「通行量原理主義」 批判

◇問題の所在
 依然として大勢は「通行量増大」こそが商店街・中心市街地活性化の切り札だという風潮が続いています。
先に簡単に検討した「地域商店街活性化法」に基づく支援の利用も従来の常識をもとに取り組むと「人出増やし」に終始することになります。

 “住む人・来る人を増やせば街は活性化できる”とは、過去のデータばかり見て、動的情況・革新的可能性を見ることの出来ない情況開設を真に受けている人たちが確信するところですが、折しも「数値目標としての頭数」を追求した各地の認定基本計画の年度総括が公開され、その実態が露わになりました。

 数値目標を設定するのは、取り組みの目的合理性と達成情況を測定するためですから、数値目標が達成されても上位目的がピクリとも動かない場合には、そもそもこの数値目標を追求することで計画の目的を達成することができるのか? ということの検討も出来るわけで、二年度においては「数値目標の達成」レベルの検討に止まらず、数値目標の目的合理性、つまりこの数値目標を達成すればホントに中心市街地が活性化されるのか?
なぜそう言えるのか?
などについても、真摯な検討が必要ではないでしょうか。

 幸か不幸か、通行量という数値目標を達成していない基本計画がほとんどですから、数値目標の非合理性はばれずに済んでおりますが、これはほんとうに良いことでしょうかしらね。
一日も早く「通行量が増えても街は活性化しない」ことが疑う余地のない事実として眼前すれば良かったのに・・・。

 もう一つ。
幸か不幸か、世界金融恐慌の襲来という“千載一遇”もありました。
おかげで「活性化が進まなかったのは恐慌のせい」という逃げ口上が出来ました。
これでまた一年は言い逃れが出来る(笑

 もちろん、世の中、そういうところばかりではありません。
どうも通行量という目標はおかしいのではないか?
という疑問を抱く人が日増しに増えているようです。

 なんと言っても、中心市街地活性化(=都市機能の向上と経済活力の向上)を達成した結果として実現する「人出」について、本末転倒、人出が増えれば街が活性化する、と思いこんでいるレベルでの基本計画~実践で街が活性化するなどというのは、その気になって取り組んだ都市という都市で挫折している方法ですからね。

 ということで、あらためて「商店街を活性化するには通行量を増やせばよい」という100%間違っている「理論」を最終的に・完膚無きまでに論破し、見直し段階に入っている基本計画に基づく取り組み、あるいは新法による取り組みについて、実効ある方向と方法を選択されるについての一助とします。
異論・反論大歓迎。

 まずは過去記事の引用から

 □通行量はすべてを癒す。

 “商店街はまちの花、きれいに咲かせたかったら根や茎にあたる居住者・来街者を増やしなさい”とは、ご存じ、藻谷さんを理論的指導者とする商店街活性化への取り組みにおいて主流を占めている人たちが信奉しているテーゼです。

 その根拠とされているのが佐世保市四ケ町・“日本一元気な商店街”の人出であることも関係者には周知のところです。
“日本一元気な”四ヶ町の人出が即“日本一繁昌している商店街”という「経済活力の向上」を伴うものではないこと、したがって、商店街を活性化するには「人出を増やす」だけでは不十分、というか、「買い物行き先」としての劣化が目立つ商店街の場合、個店の売場の劣化からの脱却無くして「繁盛」を実現することは出来ない、というのは“自分の頭で考える”習慣を持っている人なら誰でも気づくこと、否、そういう習慣を持っていない人でも“通行量が増えた”まちでは、レジの中味をチェックすればイヤでも気づかされるところですが、それでも“未だ人通りが足りない”とシャッターの内側から眼を逸らさせてしまうのが「通行量原理」の恐ろしいところです。

 先週は福岡市で開催された中小企業庁主催による新法の説明会に参加しました。

 ご承知のとおり、新法では「商店街活性化事業」を次のように定義しています。
“商店街活性化事業とは”
①商店街振興組合等が
②当該振興組合等に係る商店街の区域及びその周辺の地域の住民の需要に応じて行う
③商品の販売または役務の提供、行事の実施等の事業であって
④これらの事業を行うことにより当該商店街への来訪者の増加を通じて
⑤主として当該商店街振興組合等の会員または所属員である中小小売業者又は中小サービス業者の事業機会の増大を図る
ものをいう”

 この法律に基づいて提供される支援メニューを「繁盛する商店街作り」に活用し所期の成果を挙げるには関係各方面が相当の「理論武装」をしておくことが不可欠です。
その前に当然のことながら、行政・商工団体・商店街の三者による協働体制の確立は絶対条件。

 思い起こせば、新旧の基本計画の作成にあたっては、当然実現しておかなければならなかった「三者体制」の構築が果たされないまま、見よう見まねの計画づくり」に終始した結果、“これだけ取り組んだのに何も残らなかった”。
結局残ったのは三者間の相互不信だけ、という都市も少なくないのではないか。

 新法を活用しようとする場合、イの一番に取り組むべきはあらためて「三者体制」を構築し直すことですが、
①なぜ必要か?
②どうすれば構築できるか?
という問題がありますから、蛇の道は蛇、専門家の指導助言を受けることが不可欠だと思います。

 宿痾の原因は「通行量原理主義」。
新法の利用にあたっては、この“百害あって一利もない”主義を真っ向否定、新しく「繁盛への道」を構想することが不可欠です。

 仏の顔も二度三度、商店街活性化の取り組みも今度こそ結実に至る取り組みにしないと、環境与件の激変もさることながらそろそろ我が身が保たなくなります。

※四ヶ町については、地元シンクタンクが実施してWeb上に公開していた調査をもとに取り組んだ
  検討作業をあらためて近日再掲します。


1-1「通行量原理主義」 とは

 通行量原理主義とは、
①通行量と商店街の活性化の間には「因果関係」がある。
②もちろん、通行量が「因」であり、活性化が「果」である。
③したがって、商店街を活性化したかったら、通行量を増やせばよい。
という立場です。

 当社はこれを「原理主義」だと指摘しているわけですが、その理由は、両者間の因果関係はまったく証明されておらず、したがって人はこの主張の信頼性について論理的に検討することが出来ず、この主張に対する態度を決めるにあたっては、この主張の検討以外の方法で信じるか信じないかを決定しなければならない、ということです。
 
 ご存じのとおり、「通行量原理主義」はなぜそれが原理なのかということを説明することをしません。
「商業はまちの花」という藻谷流アナロジーがあるだけ、もちろん、アナロジーは論証にはなりません。

 繁盛している商店街は確かに人通りが多い。
だからといって、人通りの多いことが商店街繁盛の原因であるとは言えません。
また、人通りが多い商店街がすべて繁盛しているかと言えばそんなことはありませんし、また、ビックリするほど人通りが少ない商店街にも繁盛店は存在しています。

 まとめておきましょう。
通行量原理主義とは、“人通りを商店街活性化との間には因果関係があり、だから、商店街を活性化したかったら通行量を増やす手だてを講じればよい”という主張のことです。
繰り返しておきますが、この立場は論理的な根拠をもって主張されることはありません。通行量原理主義は「信心」の世界です。

 根拠のない通行量原理主義に基づいて、“通行量を増やす”ことを目的にして取り組まれる、これをやれば来街者が増えるはず、という期待のもとに実施される事業はすべて、通行量原理主義の影響下にある「通行量原理主義的」な取り組みですね。

 ためしに今どき取り組まれている事業メニューを考えてみると、その影響の大きさにビックリさせられます。


1-2 こんな便利なものはない

 通行量原理主義、全国的にはびこっていますが、はびこるにはそれなりの理由がありまして、
通行量はなぜもてはやされるのか?
あらためてそのわけを考えてみましょう。

 まずもう一度、定義を確認しておきます。

>  通行量原理主義とは、
> ①通行量と商店街の活性化の間には「因果関係」がある。
> ②もちろん、通行量が「因」であり、活性化が「果」である。
> ③したがって、商店街を活性化したかったら、通行量を増やせばよい。
> という立場です。


 藻谷浩介氏が佐世保市四ヶ町商店街の状況を紹介し、“日本一元気な商店街”という折り紙をつけました。
折り紙をつけた藻谷氏の「権威」の源泉は、
①これまでに全国の市町村を視察、行ったことがないところは5個所だけ(もちろん、もうとっくに全市町村を踏破されていることでしょう)。
②はじめての訪問は全部「自費」で出掛けた。
ということで、大変意欲的な学究のイメージです。

 この人の主張を真に受けたのは、
①商店街全盛時代の店前通行量が脳裏を離れない人たち、
②どういうわけか藻谷氏の「権威」の源泉を受容した人たち、
ですね。さらに、
③だんだん藻谷氏のネームバリューが大きくなり、“第一人者らしい”といった風評が立ちますと、雪崩が起こります。

 猫も杓子も「住む人・来る人を増やせ、店前通行量を確保せよ」ということになるわけですね。

 もちろん、通行量原理主義がはびこる理由はそれだけではありません。
商店街の現状、各個店のシャッターの内側、組合の体制、共同事業の現状などなど、問題が山積しているのが今どきの商店街、なんとかしようと思ったら、なんとかしなければならないことがたくさんあり、どこからどう手をつけたらよいのか、五里霧中の状況です。

 そういうところへ、あなた、通行量さえ増やせば街は賑わうようになる、と「第一人者」さんがおっしゃるのですから、否やはありません。さっそくみんなで「住む人・来る人」を増やしに掛かります。
これが中心市街地活性化基本計画のうち、商業の活性化のための事業のメインになる。

 当社のように“シャッターの内側をなんとかしなくては”たとえ人通りが増えてもお客は入店してくれない、入店客・買い物客になってもらうには個店の中味を改革しなければならない。
などという話は敬遠されてしまいます。
“人通りさえ増えれば繁盛するというのに、なんでそういう無駄なことに取り組むのか”ということでしょうかね。

 ということで、こんにちではもはや、「通行量増大」という金看板に疑問を提起する人はほとんどありません。
基本計画の「認定」に不可欠の数値目標も「通行量の増大」が掲げられていますし、新法の目的は、商店街に人を集めることで活性化を実現することを目指す、徹頭徹尾、通行量増大作戦です。
これからさらに、ますます、通行量増大への傾斜が強くなりそうな気配です。

 「通行量増大」というまったく根拠のない事業が、全国的にはびこっている理由を考えてみました。
最大の理由は、”これで活性化が出来るならこんな便利なことはない、ということでしょうか。

 だがしかし、巷ではイベントで人を集めても売り上げにはつながらない、という不協和音が連綿として続いておりまして、もはや“組合は人集めが任務、集めた人をお客にするのは個店の役目”というような逃げ口上は通用しなくなっています。
そういうことを言っている理事長さんも集まった人を自店のお客にすることは出来ません。

 通行量増大、便利な事業ですが成果は上がりません。
 

1-3 便利ではあるが

>  通行量原理主義とは、
> ①通行量と商店街の活性化の間には「因果関係」がある。
> ②もちろん、通行量が「因」であり、活性化が「果」である。
> ③したがって、商店街を活性化したかったら、通行量を増やせばよい。
> という立場です。


 便利ですね。
①商業者・組織の問題意識や力量に関係なく実現できる
②商店街・個店の現状に関係なく実現できる
③補助制度は十分
ということですから、どんどん取り組めます。

 勉強会に出掛けますと、中心市街地活性化基本計画・商業活性化のための事業について、まったく知らされていない商業者が多く、ビックリしたものですが、なるほど、「人出増大」で活性化できるという認識・手法なら、特段、商店街の皆さんに「その気になってもらう」必要は無いわけです。

 いろいろとやっかいな手順を踏む必要もありません

 ということで。
「人出増大」と聞いて目からウロコが落ちた人は、ホントは“こんな取り組みがしたかった”ということだったのはなかったのか?”
という疑問がよぎるのであります。

 さて、便利なことこの上ない「通行量原理主義」ですが、その便利さは実効性に掛、というか、こと商業・商店街の活性化という上位目的に関する限り、

 なんの効果もない

ということがだれの眼にも明らかになっています。
通行量原理主義に基づく取り組みでは商店街は活性化できない、
もはやこれは、他ならぬ、一所懸命、この事業に取り組んでいる人たちも否定しょうがない、冷厳たる事実です。


◇ 「通行量原理主義」と「立地主義」

 なんの根拠も示さず声高に主張される「原理主義」ですが、こういう荒唐無稽がどうして“売り上げが上がってなんぼ”のはずの商店街活性化の現場に受け入れられるのか?という疑問があるのですが、商店街の方(というか、そこで商売を営んでいる商業者個々)には、あらかじめ「原理主義」を受け入れる下地が準備されておりました。

それは、
①自分が創業(あるいは事業承継)した当時の経験であり、とりわけ
②商店街全盛時代の通りの情景 
から総括された“うちが繁盛しているのは立地がよいから”という経験則の存在です。
もちろん、このとき、立地条件とは「店前通行量」のことですね。

 こういう発想がありますと、
①繁盛しないのは立地条件が悪くなったから
②繁盛するには立地条件をよくしなくては
③店前通行量を増やしてくれ
ということになるのは当然でありまして、なんと言っても商店街所在の中小小売店が自力で「店前通行量」を増やすことは無理ですから、「共同事業」に頼ることになる。
ここから逆転して
①自店が繁盛しないのは、立地条件が悪くなかったから
ということになり、
②立地条件を改善するのは(自店ではない)、誰かの仕事
ということになり、
③誰でもいいから何とかしろ
ということになる(かも知れません)。

 こういう空気が充満しているところに登場したのが「通行量原理主義」ですからね。

 今まで、経験的に
“小売業は立地商売、うちが繁盛しなくなったのは通行量が減ったから”
と感じていたところに、
“商業はまちの花、住む人来る人が増えないと栄えることは出来ない”
と商店街活性化の指導者それも全国屈指と評判の専門家が、各地の情況分析・各種のデータを駆使しながら提唱するのですから受けないはずがありません。
“眼からウロコが落ちた”とは「自分が考えていたことが正しかったことが専門家によって保証された”ということでした。

 専門家の提案を冷静に評価するよりも「眼からウロコが落ちる」方が先だったようです。

 専門家さんにとってもこのあたりは百も承知の成り行きだったのかも知れません。
“商業はまちの花”という原理主義は、「小売業は立地商売」という商店街関係者に共有されている経験則が無かったとしたら、現在みられるような一挙的な普及(信者の増加)はあり得なかったはずです。
というか、そもそも「商業はまちの花」という原理そのものが「小売業は立地商売」という経験則を無意識のうちに踏まえていたのかも知れません。

 そうでなければ、なぜ「商業はまちの花」と見なすことができるのか、お得意の「データ」の収集・加工・分析の結果として提言すべきところ、いきなり「商業はまちの花」という「ご託宣」として打ち出されについては、
①提唱者自身が「小売業は立地商売」という俗論を信じていた
②俗論の上に「商業はまちの花」論を展開すれば受ける と判断した
ということがあったであろうという推測が成り立ちます。
(この点については、得Web上でみられる藻谷氏の主張から傍証あり)

 つまり、「通行量原理主義」とは、
①「小売業は立地商売」という俗論を意識的・無意識的に受け入れ、かつ、
②それを助長する、あるいはそれと相互補完する方向で提唱されている
“商店街活性化あるいは中心市街地活性化の「方向と方法」”である
ということをしっかりりかしておくことが重要です。

 ということで「通行量原理主義」の成立及び普及の背景について明らかにしてみました。
「通行量原理主義」には、本来なら「原理」が具備すべき要件が備わっていないのですが、にもかかわらず、それが普及したのは「原理」が原理というより当時の商店街活性化関係者が持っていた“小売業は立地商売”という考えと共鳴作業を起こしたから、ということです。

 ということで、通行量原理主義の正体は
“小売業は立地商売”という俗論に基礎を置き、俗論にこびを売る
ものである
と考えられますが、如何でしょうか。

 “小売業は立地商売”“よい立地とは通行量の多いところ”というのは、商店街全盛時代特有の商売繁盛ノウハウの一つでありまして、それ以上でも以下でもありません。
その正否については、“我が社にとっていい立地とは、狸や狐しか通ってな無いところ”という大手流通業トップの言葉に歴然としています。

 商業はまちの花・原理主義者は、郊外型商業について“あんなものは造花であってほんとうの花でない”、ほんとうの花は商店街だ、中心市街地にしか咲かない、と主張していますが、ほんとうの信心をするの以外の幸福はほんとうの幸福では無い、という原理主義まんまの主張であり、“商業活性化とは顧客の支持を獲得する努力である”という本来あるべき取り組みを阻害することはなはだしい、というところも領域をと問わず。「原理主義ならでは」の原理主義に共通するところ、一日も早く脱却すべきです。

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  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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