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パラダイムの転換

 このところ、あちこちで再び持ち上げられ始めた経済学者ケインズは『雇用・利子及び貨幣の一般理論』の最終章において思想が人々に及ぼす影響について次のように述べています。

 “・・・経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。”

 ここでいわれている「経済学者や政治哲学者の思想」とは彼らが主張し、提供している“経済や政治を理解するためのパラダイム”のことであり、パラダイムに基づく政策提案のことです。(パラダイム=対象を理解し・取り扱うための見方・考え方の枠組みとなる知識・技術の枠組み)
パラダイムは、「それが正しい場合にも間違っている場合にも」ものの見方・考え方を決定し、行動を左右する役割を果たします。

 自然科学の場合、間違ったパラダイム(発見され・体系化されている法則)は、事実によって覆されることが可能ですが、人文系のパラダイムはそうはいきません。
間違っているパラダイムが事実によって否定されても、言いわけ・言い抜けは自由自在、つい先ごろまで世間を支配していた新自由主義・規制緩和のパラダイム、主唱者はごめんなさいと言いましたが、まだ“行き詰まっているように見えるのは改革が足りないから”という見解も聞かれますね。

 われわれはパラダイム無しでものごと、特に一定のシステムとして存在するものを把握することは出来ませんから、妥当なパラダイムを装備すること、自分が採用しているパラダイムの妥当性を吟味する機会や手段を持つことは、重要なメタの仕事ですが、あまり自覚されていないようです。
 とくに、現在のような経済・社会が「百年に一度」と言われる混乱期・転換期においては、たかだか数十年間しか使われていないパラダイムが果たして暴風雨期の最中~その後までの利用に耐えうるものであるか否かを技にすることは極めて重要な課題です。

 ケインズの言葉を中心市街地活性化の文脈に敷衍してみると、
「中心市街地活性化を実現する方向と方法についての理論家、指導者を自認する人々の主張の影響は、それが正しい場合も間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である」ということになります。
「どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。」ということもあたっているようです。

 中心市街地・商店街においては、“商業はまちの花、花を開かせるには、根や幹や枝を育てることが大切なように、商業を活性化するにはまちに住む人来る人を増やさなければならない。住む人来る人を増やさせば商業はその結果として開花する”という「思想」は、大変強くはびこっており、関係各方面の多くの「実際家」たちは自覚・無自覚を問わずその影響下にあり、「奴隷である」という状況が眼前していますからね。

 一般に自分の経験と符合する理論・パラダイムは受け入れやすく、まして競合する理論の存在を知らない場合はなおさらのことです。「商業はまちの花」理論も、高度成長期当時の商業者の経験という「実証体験」に支えられて採用されているわけです。
ものの見方・考え方は、いったん採用されるとなかなかその「間違い」に気づくことは難しい。先述したように、言い訳・言い抜けはどうにでもなるのが社会・経済・人文系のパラダイムの特徴です。
 商店街活性化の方策としての「人集め」の結果がうまく行かなかった場合も“人の集め方が足りない、もっと集めよう”ということで、いっそう拍車が掛かることになったりする。

 われわれはパラダイム無しではものごとを理解できず、ましてそれらのものごとに対応する行動を構想し、決定することは出来ません。
また、パラダイムはいったん採用されるとその結果に関わらず、なかなかその間違いに気づいて取り替えることが出来ません。

 現在われわれが直面している経済・社会の状況が「百年に一度」という大きな転換期であると考えるならば、ここ数十年間の社会経済を理解するために用いてきたパラダイムの有効性を吟味してみることは喫緊の問題なのですが、実際はそうはなっておりません。経済に関して言えば、新自由主義がもたらしている現状については、90年代にすでに多くの専門家が予測し、警鐘を鳴らしていましたが、ほとんど影響を与えることは出来ませんでした。
ご承知のとおり、新自由主義者は批判を無視しましたからね。学者の基本資質の一つは“あなたの言説が正しくて、自分は間違っているかも知れない。言論を通じてより正しい位置をめざそう”ということだと思いますが、実行している学者は極めて少ない。とくに「主流」というか実務に影響を与えるポジションにあるグループが反対派の言説と真摯に向き合うことは少ない。
そのあげく、間違っていました、ごめんなさいと土下座して、あたらし旗を振ろうという人が出たり。依然として“改革が足りない”と強弁する人の方が好ましく見えたりします。
主張が一貫していますから、こちらも態度が決めやすい。

 さて。
中心市街地・商店街の活性化という問題に取り組んでいく「パラダイムの転換」が必要だが、なかなかその機運が出てこない、というのが何処も同じ、当サイトにお出でいただいている皆さんが共通して当面されている課題ですが、オールタナティブ、「別の選択肢」の所在が知られていない、ということもその一因かも知れません。
従来採用していたパラダイムの間違いに気づくのは、新しいものの見方・考え方に立ってから、ということも良くあることです。
“こういう見方もありますよ”という選択肢を提案する機会を作ることは、支援制度がいっそう充実してくるこの時期、真っ先に取り組まなければならない仕事だと思います。

 パラダイムが変わらない限り、新しい支援制度は従来どおりの活用に終始することが確実であり、その分、新しい取り組みを試みる機会は遅れることになります。
オールタナティブとして当社が提供している方向と方法について、当社と協働する機会は、いつまでもあるわけではありません。

 餅は餅屋、「パラダイムの転換」という課題への取り組みには専門家の活用が不可欠です。
そもそも
①人はパラダイムにもとづいて行動する
②いくら努力してもものごとが上手く行かないときにはパラダイムを疑え
③転換期にはパラダイムの転換が必要だ
ということが理解されていないのですから、パラダイムに関わる作業に「専門家」抜きで取り組むというスタンスが間違っています。

 新しい動き。
その一 既報のとおり、「経営革新塾」として当社の商人塾の取り組みを計画中の商工会があります。6月スタートの予定です。
秋になると同種の取り組みが他にも出てくるかも知れません。

その二 ついにというか・やっというか、わが県都佐賀市の中心商店街で商店街のネットワークを構築しようという機運が出てきたそうです。同市の商店街の連合組織は昨年解散したそうですが、あらためて商業者の自発的な取り組みとして再構築をめざす。
「ネットワーク」の内容は分かりませんが、過去の組織の解消、個別商店街における商人塾の取り組みなどを考えますと、「パラダイムの転換」につながっていく取り組みになることが期待されます。

 実際問題としてこの時期にスタートする新しい取り組みは、パラダイムの転換・これまでの取り組みとは違う「方向と方法」をめざすものでないと始める価値がありません。
もちろん、これまでと違うものなら何でもOKというわけではなく、
①取り組んだ人が取り組まない人に比べて得をする(実際に自店が繁盛するようになる)
②自店・街の現状「見てのとおり」というレベルから無理せず取り組んでいける
③点から線、線から面への広がりが展望できる
という条件を備えた取り組みであることが必要です。

 これらの条件は、「中心市街地・商店街の活性化」の取り組みがあらためて採用する「パラダイム」を決定するにあたっての基準に使うことが出来ますね。

 パラダイムの転換は、都市経営の二大課題である
①生活条件の維持改善
②所得機会の安定確保
に取り組んでいく上でもスルーできない課題ですが、これまた理解している人は少ないようです。
「専門家」にはやきもきが続きます。

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  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
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