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中心商店街は都市の顔

 中心市街地は都市の顔、商店街は都市の顔、という言い方があります。

 言っている人がどういうつもりで言っているのか分かりませんが、気になります。「都市の顔だから」○○しなくちゃ、などと「都市の顔」であることを根拠に施策を主張する人もたまにいますからね。
「中心市街地は都市の顔」とか「商店街は都市の顔である」と言われるとき、それはいったいなにを意味しているでしょうか?

今日はこの「中心商店街=都市の顔」論について考えてみます。

 「都市の顔」論は、もちろん、人間における顔の機能?を前提とした比喩です。ここで用いられている「顔」は「顔を見ればその人の人となりが推測できる」という文脈で使われる場合の顔でしょう。
そう言えば最近「人は見た目が○割り」という本がありましたっけ。

 私たちは初対面の人を理解しようとするとき、とりあえずその人の顔を見て、これまでの経験で蓄積してきた「顔と人となりの関係」についての頭の中にあるデータを駆使して「どういう人なのか」の見当をつけようとします。これは意識的に行われることもあれば無意識に行われることもあります。

 さて、「都市の顔」について。
商店街全盛時代には、ある都市を評価するとき、商店街、それも中心商店街を見る、そのまちなみ、軒を連ねるショップのファサード、ショーウインドなどを観察する、さらに店舗数、業種・業態の充実度合いなどをチェックするとその都市の消費生活が見えてきたものでした。多くの思想家がパサージュ、モール、商店街を考察してきたのは、まさにそこがこれから営まれていく都市の生活の文字通りのショーウインドだったからでしょう。

 中心商店街で提供されている商品のレベルを見ればその都市の大まかなライフスタイルというか暮らしぶりが何となく推測できました。
その都市の活力と暮らしぶりは中心商店街を見ればおおむね推測することが出来る、そういう意味で商店街は都市の全体像を反映する「顔」だったわけです。
もちろん、軒を連ねるお店の外観や通りの景観も含んで「都市の顔」でした。

 郊外型SCの全盛時代、というほど繁盛しているかどうかは別として、今日、地方都市の多くでは集客力ナンバーワンを誇っているのは、郊外のショッピングセンターです。このことから中心商店街はSCとの競合に敗退するなかで空洞化が進展、現在に至っている、と考えている人が多いことはご承知のとおり。その因果関係の把握が適切かどうかはともかく、中心商店街の機能が劣化し、空洞化しているのに対して、SCはなかなか賑わっていることは確かです。

 一見、中心商店街と郊外のSCとで「役割の交代」があったのではないか、と見まごう〈情⇔景〉ですが、実際はそうではありません。
だれもSCをさして「都市の顔」だとは言いません。それもそのはず、量販亜百貨店を「核」とするSCのテナント構成は「セルフ」業容で統一されていまして、テナントのショップもことごとく量販ねらいのセルフ型ショップばかり、とても都市を代表する「ラグジュアリィな買い物の行き先」とはいえません。

 チェーン展開しているセルフショップといえば数も限られており、SCのモール部分のテナントは全て「どこにでもある」お店ばかり、とても「この都市のライフスタイルを象徴する」ような性格は持ち合わせておらず、そこで見えるのは、全国に共通しているレベルの生活材だけ、とてもその土地その都市が長い年月を掛けてはぐくんできたその都市のライフスタイルをSCの品揃えで推測することは出来ません。。

 セルフ主体の店づくり、集中的コントロールのもとに運営されているSCは「ラグジュアリィ=共通の機能に自分の好みが加えられた生活材の入手」という、自分の生活を演出し堪能するための材料を揃える、という新しいニーズに対応するのは苦手です。現時点では不可能と言ってもいいくらい難しい。
「自分の好み」というレベルには個々人が生きてきた時間のあり方、場所の地域性などが反映されており、それを満足させることは、セルフ販売、本部統制というチェーンシステム(SCのテナントのほとんど)では無理です。(「セルフ販売」についてはあらためて取り上げます)

 SCの物販施設としての性格が、「顔」には当たらないとして、それでは相変わらず中心商店街が都市の顔なのかと言いますと、こちらの方もとても「顔」とは呼べない状態に陥っています。

 商店街が都市の顔である、という言い方に期待されていることは、そこがラグジュアリィ・ニーズを満足させる商品を提供する商業集積として機能している、ということがあってこそ言えることですね。
充実しており、都市の住民からそのような買い物行き先として支持されているとき、はじめて「街に行けばその地域の暮らしぶりが分かる」ということが実現するのですから。

 いま現在、中心商店街がこのような意味での「顔」としての役目を果たしている都市は数えるほどしか無いと思います。もちろん、このことはメイドインジャパンの生活財の業績不振、全国産地の壊滅的な状況と併行して起こっていることです。
 
 中心商店街が活性化するためには街ぐるみでラグジュアリィニーズに対応したショッピングゾーンへと街ぐるみで転換する以外に方法はありません。個々のショップには人々の生活堪能を演出する商品が溢れ、都市の個性的な生活が反映される。街はあらためて人々の生活を映す「顔」としてあらためて評価されることになるのですが・・・。

 「商店街は都市の顔」という表現に固執すれば、人間の顔がその人のいいことばかりの象徴ではないように、都市の顔である商店街もショッピングゾーンとして再構築され、商業機能としての充実を実現した時に限って「顔」になるのではない、という言い方もあるでしょう。
 活性化に取り組み成功している街、うまく行っていない街、何らかの事情で取り組みが遅れている街、各商店街の現状は、地域の事情や関係者の思惑や能力、それぞれの関係などの総体からもたらされているものであると考えれば、商店街は今日ただいまも、「都市の顔」なのかも知れません。
 
 中心商店街の現状は「都市の顔」、その表情は活性化への皆さんの取り組み次第ででどう変わって行くのでしょうか。
いずれにせよ、中心商店街の今後のあり方は、都市の「暮らしの場」としての充実の程度、生活堪能を提供するの場としての力量、すなわち都市の魅力を左右するものであることは間違いません。

 中心商店街の空洞化がいっそう進展し、商業機能としての再生が大きな課題になっている、まさにその時、生活の側においては、ラグジュアリィニーズ=生活を自分の好みで演出して楽しむ、というニーズの顕在化が顕著に見られます。

 この新しく登場してきたニーズに対応することで危機を機会に切り替える、中心市街地とりわけ中心商店街の活性化への取り組みには、まさに起死回生のチャンスが訪れています。

 だがしかし。
「人が増えれば街は繁盛する」というSC登場の遙か以前の商店街・全盛時代、一握りの人たちが自分たちの経験を誤って理解した結果生じた「謬説」レベルを論拠にした取り組みでは、この機会を活かすことなど夢また夢、やがて中心商店街は消滅、引き続いて郊外のSC群も空きボックス化、都市生活者の買い物行き先は新たに登場するウオルマートだけ、という近未来も幻視されようかという今日この頃の中心市街地のたたずまいですね。

 さて、その時「都市の顔」はどこになるのか? いまや世界が評価するに至った和流ライフスタイルの行く末は? などなどを考えてみるのも意義があるのではないでしょうか。

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