日本型GMSについて(めっちゃ長文)

当社サイトはアクセスの数は少ないのですが、各級行政、大学、企業、外国からも。立ち寄り先は様々ですが、なるほど、と思うことがあります。
今日は最近アクセされたメルマガ『コンサルタントの眼』の記事を紹介します。15年前の記事ですが、今でも読める内容かどうか。
テーマは日本型GMS。ご承知のとおり、その後企業、店舗数とも激減しています。もはや単体で営業している例はほとんど無いかも知れませんね。
最後まで単体で頑張ったのは、タンピンカンリのイトーヨーカ堂でした。
他に比べて業績を維持していたので、ショッピングセンターへの転換で遅れを取りました。

これから書くなら「消費の殿堂・ショッピングモールの凋落」でしょうか。おっと、既に『殿堂』のイメージはありませんが。

以下転載***************************

【日本型GMSについて(めっちゃ長文)】

◆マイカルに続き壽(ことぶき)屋が破綻した。かって九州において旧ジャス コと並び称せられた「日本型GMS」の雄である。
  この2社はどちらも大型スーパー、量販店、ビッグストアなどといろいろな名前で呼ばれている業態を本業とする企業。実は小売業において本業である業態の呼び名が一定していないというのはおかしなとで、例えばコンビニエンスストアが「米国型よろずや」とか「利便型少販店」その他で呼ばれることは一切あり得ない。「日本型GMS」だけがどうしてこうなのか、口では業態、業態といいながら、頭の中にはそもそも業態とは何か、自社はいったいどのような業態を経営しているのか、という問題意識が全くなかったのである。
  実はここには彼らが崩壊への道をたどらざるを得ない恐るべき秘密が隠されている。今日はこのことを考えてみたい。
なお、業界ではかっこよく「日本型GMS」と呼ばれているが、実際はGMSとは全く異なる似非業態であることは以下に論じる通りである。なお、以下では「量販百貨店」という呼び方で統一したい。

  この業態については郊外型ショッピングセンターの核ということで、クオールエイド社のサイトでは繰り返し論じている。一例としては次を参照のこと。
  http://www.quolaid.com/city/city-m.htm#4

 ◆業態といえば、スーパーマーケット(以下、SMと略記)、ホームセンター(以下、HCと略記)、コンビニエンスストア(以下、CVSと略記)などお客のライフスタイルや購買行動に対応することを基準に店づくりをいる小売業のことである。(問屋、メーカーの事情に対応して店づくりをしているのは「業種」店) 通常、業態は「スーパーマーケット」、「ホームセンター」というように、名前を聞いたとたん、誰でもその店舗の様子が思い浮かべられるというくらい、名称と店舗の店づくりが結びついている。これが業態の特徴である。ところが始めに書いたように、「量販百貨店」に限ってこれという決まった呼び方が無いのである。
  不思議なことである。ジャスコ、ダイエー、マイカルその他個々の「量販百貨店」の名を聞けばその業容が思い浮かべられる。それぞれ看板をはずせばどこの店内にいるのか分からないくらい似たり寄ったりの業容である。それなのにこの業態には決まった名前が付けられていない。何故か、理由は簡単、誰も、とりわけどの企業のトップも誰一人その必要を感じなかった、ということがその理由である。

 ◆このことは、彼らの「業態」という言葉の理解の程度をまざまざと示すものである。後で説明するような理由から、彼らが考えている「業態」には顧客の生活のどの分野にどのような論理でもって商品・サービスを提供するか、という「業態」に不可欠の方針がすっぽり欠落している。だからこそ自社の業態を示す言葉などどうでもよい、という態度なのである。
  他の業態との「業態」という言葉の理解の違いを一言でいえば、量販百貨店が「業態」ならばSMやCVSなどが業態ではない、というくらいに店づくりの原則が違うのだ。
  もちろんセブン、ローソン、ファミマ等々のCVS業態の各店舗にはそれぞれの企業の特徴がある。それはCVSという業態が提供すべきソリューションのあり方についての個別企業の解釈・理念・方針が反映されるから当然である。
しかし個別企業の店づくり段階の特徴の前に、各社の店舗にはCVS業態として他の業態や業種とははっきり違う店づくりの論理(前述したようにこの論理はお客の生活・購買行動の論理)が共通しているのである。店づくりの論理が共通すれば、実際の店づくりは企業ごとあるいはそれぞれの個店ごとに異なってくる、異ならなければ業態ではない、というのが業態の特性である。
  例えばSMであれば、「家庭での食事の準備を担当する人が食事の材料をワンストップで調達できる、そのついでに済ませたい買い物(消耗品の補充など)や用事(クリーニングなど)も一緒に解決できる」というソリューションを提供する業態である。CVSは、「今すぐ使いたいもの、したいことに必要なものを今すぐ買いたい」というお客のニーズにソリューションを提供している。
  これらのニーズはそれぞれの業態の個々の店舗が立地している地域の生活の特性から異なってくるはずだから店づくりはそれぞれ異なることになる。

 ◆「量販百貨店」は何を提供しているのか。それはお客のどのようなニーズや購買行動に対応しようとしているのか、その店づくりは一言でいえば何という言葉で表現されているか?
びっくりたまげることにそれが一切無いのが「量販百貨店」なのである。いや、コトバとしては表現されていなくてもよい、肝心の「量販百貨店は〇〇〇というお客のニーズや購買行動に対応している」という説明が出来ないのである。
  それともあなたは出来ますか?
  私が彼らを「量販百貨店」と呼ぶのは、その店舗が「大量に売れるものならなんでも売りたい」という企業本位の考えに基づいて作られている店舗だからである。 ね、こういえばダイエーもジャスコも壽屋もぴったり納得でしょ?

 ◆「量販百貨店」は「日本型GMS」と呼ばれたりもしていたが、名前の由来である米国のGMS業態とは大違いである。今や米国のGMSは死滅しているといわれるが、全盛期にもその店舗には「日本型GMS」の核売場であるSM部門は配置されていなかった。米国GMSの商品構成=提供しているソリューションには「家庭用献立材料のワンストップ調達」という購買ニーズは含まれていないからである。
  これはかって一世を風靡した小売業界の米国詣で、「米国流通事情視察ツアー」に参加して現地のGMSを視察したことのある人なら全員その目で見てきたことであるが、悲しいことに参加した人のほとんどがツアーをコーディネートしたコンサルタントから支給された偏光レンズのメガネを掛けていたために肝心のところが見えていなかったのである。

 ※今でも見えていないのが各量販百貨店企業のトップ。今頃になって量販店からの業態転換が遅れた、などと泣き言が聞こえてくる。そもそも自分たちがやっていた商売は業態小売業ではなかった、ということが分からないようでは業態転換ならぬ業態構築は金輪際不可能である。遅れようが遅れまいが、いったいいつ、どのような業態からどのような業態に転換しようとしたのか、はっきり聞いてみたいものだ。

 ◆さて、思わず脱線してしまったが、この日本独特の「量販百貨店」、ある時期に全国各地で、雨後のタケノコみたいに続々登場したわけだが、その盛衰にはちゃんと理由がある。

 ※以下、我が国の量販百貨店出現の経緯については、『日本スーパーマーケット原論(安 土 敏 ぱるす出版)』に大いに負っている。同書は小売業関係者にとって必読文献、昭和62年刊と古いが図書館にはあると思うので是非一読をお勧めする。

 ◆そもそも量販百貨店は、当時の各地の商店街(!)の有志が商業関係のセミナーに参加、米国ツアーで当時食品関係のチェーン店などを駆逐して絶頂期にあったSM群を視察、引率のコンサルタントからこれが時流だ、とお墨付きをもらって転業したのがスタートである。
  顧客のライフスタイルや購買行動などについて学び、その結果米国のSM業態にたどり着いた、というわけではない。米国のSMがこれまでの小売業の業種チェーンや独立店を駆逐、繁盛している全盛期の様子を目の当たりにして感激、我々も日本でこれを展開しなくては、という決意を持って帰国、早速着手されたという次第。
このころツアーを引率し、帰国して店づくりを指導したコンサルタントのレベルはといえば、業態の意味も理解していない、購買目的に対応する店づくりの必要性も論理的に主張出来ないというレベルだった。指導の根拠としては、全人類の商業のノウハウは米国に凝縮されており、その結晶がスーパーマーケットである。
  その根拠?「売れているではないか、よく見ろ」というくらいところだったでしょう、たぶん。これが当時一流といわれたコンサルタントのレベル、それ以降もこのレベルを超えている人は少なさそう。みなさんの近辺に出没される方々はどうでしょうね。いけない、また脱線した。

 ◆さっそく出店したところお客が押し寄せた。これは戦後復興から文化生活の普及という、なんだかよく分からない言葉に象徴されている、経済成長・所得増大で空間的な生活が拡大できる可能性が生まれたという時代背景があった。
  この時代背景のもと、主婦は単に主婦としてではなく、時代の「生活のあらゆる分野でものが不足している」「買い物が必要」という全世帯共通のニーズを一身に体現している象徴的存在として買い物の場に殺到していたのである。このようなニーズがあったからこそSM側が衣料を出せばバカ売れ、雑貨を出せばバカ売れ、家電を出せばバカ売れ・・・・という現象が起こった。「大量に売れるものなら何でも売る」、「ラインロビング」などという語るに落ちるノウハウのもと、売場面積の拡大に次ぐ拡大に狂奔した結果、今日の業容になってしまった、というのが量販百貨店である。時流追随、売れるか売れないかを唯一の基準に商品ラインを広げ、必要に迫られて売場を広げてきたこんな風になっちゃった、というのが量販百貨店である。
  量販百貨店なんか作ろうと思って作ったわけではない、「出来ちゃった業態」というのが本当のところなのだ。

 ◆当時のお客はものが不足しているからそれを売っているところに買いに来た、というだけなのに、企業側は我が社の店こそ時流・商売の原理原則を体現していると勘違いした。売れる=業態としての正しさ、3千年の小売業の歴史の正当な継承者という思いこみ。
  主観的にはSMを作ったつもりだったがその何たるかを理解していなかったために、いつの間にか「大量に売れるものならなんでも売る」=「量販百貨店」へと変身したわけですね。もちろん、SMの方では自分たちがSMという業態をやっているという認識はなく、小売業の時流=今から成長する商売を見つけてそっちに乗り移ることを目指しているつもり。時流に合っているか否かの判断基準は売上げである。
  ね、売れるものならなんでも売るという定義があんまりぴったりでびっくりでしょ?

 ◆「生活必需品の普及」という時代的ニーズが解決すると、量販百貨店の出番は基本的におしまい、今となっては日本人の生活に全く必要ない小売業なんですね。それにしても我が国の流通業経営者、指導者は何と形容すべきか、「量販百貨店」である自店の、生活必需品不足の時代から充足の時代への過渡期だけに許された隆盛を見ながら、小売業は大型売場の時代である、とか、核売場であるSMが購買力を吸引する、とか好き勝手な現状説明に基づいて戦略?をたててきた。これを真に受けて現在も続いているのが「量販百貨店を核とする大型ショッピングセンター」ラッシュである。
 http://www.quolaid.com/library/flash/flash0108.htm#0812

 ◆ダイエーがダメならジャスコもダメ、勝ち残りというのはあり得ないのである。「量販百貨店」という業態のあり方自体がその将来を明瞭に示している。ライフスタイルが多様化した今日、量販とは商圏で同じ品なら必ず一番価格が安いところで買うという商品が対象であり、専門ディスカウント・カテゴリーキラーに太刀打ちできないし、「百貨」とは「何でも売っているが私の欲しいものだけが無い」ということであり、この土俵では日に日に専門店からお客を剥がされていく。頼みの毎日型のSMニーズは住宅地入り口のSMで間に合うし、利便性でなら隣接するCVSにさえ勝ち目は無い。
  ということで、後はテナントの売上げ歩合制の家賃だけが頼みの綱、テナントショップがスーパーブランドに倣って中心商店街に回帰すれば一巻の終わりとなる。SCテナントショップ型専門店企業の量販百貨店離れ、郊外型SC離れの動きは、これから確実に加速する。

 ◆またまた脱線したが、「量販百貨店」の業態転換による再生というのは可能だろうか。似非業態である「量販百貨店」としてはこれは無理。もともと転換というのは業態として起こるのではなく、個別企業の取り組みとして起こるものである。
  企業のこれまでの歴史において自社の業態を否定するような改革に取り組んだ経験のある企業だけに可能性がある。これまで述べてきた業態理解のもとで原理原則とやらを信じてきた人たちがトップを構成し、彼らの薫陶を受けた人たちが現場を運営している、と考えただけで思い半ばを過ぎるというものだ。たとえ能力があったとしても、日々の売上げで回っている小売業である。今日の売上げを今日の業態で稼ぐ、という毎日の繰り返しの中で出来ることは改善だけ、とても転換=今日までの業態の否定は不可能であると考えるのが妥当である。

 ◆さて、以上のことから得られる教訓。
  量販百貨店がこのような状態になったのは、一にも二にも「自分の頭で一から自分で考えてみる」という、後悔せずに人生を送りたい人なら誰でも心がけなければならないこと、やるべきことをやらなかったからである。どうして自分の目で見た米国SM業態の隆盛ぶりについての説明=人類三千年の商売のノウハウは米国に凝集されている、その証拠としてのSMの隆盛、それを根拠とするコンサルタントの正しさ、という論理のでたらめを見破れなかったのか?
  それは眼前の米国SMの繁盛ぶりに夢中になり、自分の頭で一から自分で考える、ということを忘れたからである

 ◆小売業は、「?消費財を ?他から調達し、または自ら製造し、?最終消費者に販売する」というビジネスである。「消費財」を自店のお客から見れば、「自分の生活を作り上げるために必要な材料」である。提供する側としては、お客の生活はどう組み立てられているか、何がお客にとって望ましいことか、を一所懸命考えて店づくりに実現していくことを通して顧客に支持される、ということをずうっと続けていかなければならないビジネスだということである。
  「時流」に乗るなどと繁盛他店の模倣をするのは小売店の機能ではない。一から考えるとは、その繁盛を「小売業の役割=生活を作り上げるために必要な材料の提供」という原点から何故顧客に支持されているのか、ということを自分の頭で一から考え抜いて、さらに顧客に支持される店づくりに挑戦する、新しい買い物の場を提案することで今使っている買い物の場を見捨てさせる、ということが本当の業態志向であり、業態・店づくりの転換である。

 ◆登場が期待されている新しい小売業とは、「買い控え」や「同じ商品なら一番安いところで買う」という面白くもなんともない買い物機会しか提供されていない消費者に「こっちの水は甘いよ」と新しい、お客の買い物の論理・期待に応じた買い物の場を提供することが出来るものである。
  一から自分で考えるとは、お客自身さえ言葉ではきちんと表現できないそのニーズを「こうではないか」と仮説的にとらえ、店づくりに試行する、実際のお客の動きを見ながら改善を重ねていく、ということである。仮説-実践-評価・・・仮説-実行-評価の連続をずうっと続けていくことである。
  このように考えてみると、原理原則とか専門店経営のノウハウとかが如何にばかげた代物であるかということが誰の目にも明らかだろう。
  専門家と称する人たちの言動には、まず専門家という肩書を見ただけで眉に唾をつけて応対しなければならない。何故か?何故ならば彼を専門家たらしめているのは、昨日までの・バブル期までの・量販百貨店全盛期の・「原理原則」についての知識であり、経験であるかも知れないではないか。もちろん、かくいう私の主張についても同様の態度で接しなくてはいけない。ま、私の場合は一応、一から自分の頭で考えているので、すぐ見破られる・ボロが出るようなへまは書きませんけどね(笑)。

 ◆昔、全ては疑い得る、といった人がいたらしいが、疑うだけでは一歩も前には出られない、「一から自分で考える」、考えて納得したら実践に向かう、という行動パターンが必要である。この時期、商業三千年の歴史とか企業経営の原理・原則とかいう類の垂れ流しは全て「うそ」、「デタラメ」であることが露呈してきた。これまでの常識への安住を願う人たちにとっては厳しいお先真っ暗の時代だが、「今までの常識はこれからの非常識」と達観し、「一から自分の頭で考える」、「納得したら行動する」ということを決意する人には、ワクワクドキドキにアクセスできるチャンスが多い時代である。

 ◆読者にもし、量販百貨店に関わりのある人がおいでなら、今回の記事をじっくり読んでいただき、一から自分で考えたうえで、ワクワクドキドキへと針路を転じていただきたい。

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  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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