“ラグジュアリィ”についての覚え書き
■ラグジュアリィ、原語は、「贅沢、贅沢品」ではなくて、「必需品にその人の好みが加わったもの」という意味である。
高度成長期に蔓延した経営戦略は、各業界とも企業別フルライン展開で同質類似商品でありながらデザイン、付加機能などプラスαで「差別化」した商品を溢れさせた。機能がほとんど同質なら付加されたプラスαで商品を選択することになるのは当然である。顧客は基本的な機能を求めながら企業が訴求する差別化を選択基準として商品を購買することになった。なにしろ、プラスαという基準を持っていないと必需・消耗品すら選択購入出来ない、という買い物環境なのだから。
■このプロセスから次第に「個人の好み」が立ち上がってくる。「個人の好み」は、次第に整理され体系的になり、やがて生活全体を自分らしく編集すること、特に自分が価値を置く生活局面を自分の「好み」で演出すること、などが生活の重要な課題となってくる。それに伴って、購買行動・購買先の目的別選択が顕著となる。このあたりについては「web商人塾」講義の第3講を参照していただきたい。
■生活を編集する、特に自分が大切にしているある生活局面を自分の「好み」で作りあげる、というライフスタイルが定着してくると、それに対応して購買行動が変化する。われわれがもの・サービスを購入するのは、生活を作りあげるための材料としてである。したがって、選択購買するときの基準はもはやその商品の競合する類似商品との差異ではなくなっている。
■新しい購買基準は、作りあげたい生活シーンのテーマとの整合性を持っている、ということが重要になってくる。ショッピングでは一緒に並べられている商品群を比較して優れているものが抽出・購入されるのではない。作りあげたい生活シーンの既に持っている大道具、小道具とのマッチング、自分が抱いている生活シーンのイメージとの整合性を基準にして購入する商品が選ばれるのだ。
■もちろんラグジュアリィ=贅沢品・不要品・高額品ではない。
■ショッピングは、必要な単品を品群から「比較購買」するというありかたから「吟味購買」=提供されている商品ラインから「当方の好み」で商品をピックアップする、というプロセスに変化した。特に「自分らしく作りあげたい」と位置づけている生活局面、「堪能したい生活局面」作りに必要なショッピングにおいて商品の吟味はもっとも厳しいことはいうまでもない。
■購入された商品は、手持ちの材料とコーディネートされて生活局面、生活シーンを演出する大道具・小道具として配置され利用される。あるべき情景が演出され、その空間ですごす時間を堪能する・・・。
■堪能とはもちろん「自分の好みのものを味わい、満足する」という意味。あるいは「あることを成就するために必要な能力を十分備えていること」。この二つの異なった意味には相通じるところがある。なにごとかを堪能するためには、環境・条件を作りあげる能力、それを評価し味わう能力が備えられていなければならない。
■また、その材料を提供する側には、求められている商品・サービスがマッチすべき生活局面や具体的なニーズの理解、提供する商品・サービスが具備しなければならない特性を設計し売り場を編集するなどのスキルに堪能であることが必要である。
■生活局面のグランドデザインを描き、演出に必要な材料やサービスを設計し適切なものを入手する、シーンを作り上げ・シーンを楽しむ、この全てのプロセスが自分の好みの表現として堪能されたとき、人は「得意」を感じる。
「得意」とは「自分の望むことが実現されて満足しているさま」ということである。人間は自分が求めていることの成就と、求めない・あって欲しくないことの回避という二つの基準をもって環境の中で問題を解決する。人間が生きるということは、その基準は多種多様であるが、一様に得意を求めて「問題」を解決している過程であるとも考えられる。
■現在、社会的・経済的にもっとも重要な意味を持っているのは、ラグジュアリィニーズへの対応ということである。
(これは、このシリーズの中心課題であり具体的には次回に論じる。)
「大量に売れるものなら何でも売る」という商法で拡大してきた量販百貨店やそれらが核として全体の来店目的を決定している郊外型SCがこのようなニーズへのソリューションを提供する商業集績として計画されたものではなく、したがってこれらのニーズに十分対応出来る能力を持たないことはいうまでもない。
■現在、堪能=ラグジュアリィ・ニーズに対応する商業集績は一部の大都市を除いてほとんど存在しない。人々は細切れに提供される情報を頼りに大都市の中心商店街、通販など案内不確かなルートから「買い回り」によって生活を堪能する材料を入手する以外に方法がない。「買い回り」とは「目当ての店で欲しい商品が入手出来ない、やむを得ずあちらこちらと探し回る」という買い物行動である。その過程は堪能というよりも作業であり、必ずしも努力に見合った成果が約束されるものでもない。
■居住地の近く、堪能したいときになんの障害もなく出かけられるという場所にラグジュアリィニーズを堪能出来る買い物の場がないと本当の意味で生活を堪能するという条件はそろわない。ニーズの変化と対応のミスマッチ、ここに我が国に消費不況の「構造」としての原因がある。
■我が国のライフスタイルの趨勢とライフスタイル実現に貢献すべき商業をはじめとする消費財関係業界のありかたとの間に存在する大きなミスマッチを解消すること、新しいニーズに対応するソリューションを開発し提供すること、ここに大きなビジネスチャンスが存在する。中心市街地の活性化-中心商店街のショッピングモールへの転換とは、さしあたりこのビッグチャンスを我がものとして確保することへの挑戦であり、マクロ的には産業全体のラグジュアリィ化、マス・カスタマイゼーション化の推進として、我が国の経済をアップスケール化するという時代的課題に挑戦するものである。
■中心市街地-商店街の活性化に関わる皆さんは、ラグジュアリィ、吟味、堪能、得意という4つのキーワードが新しい消費ニーズ=ビジネスチャンスの存在を示していることをしっかり認識していただきたい。
■もちろんこのことは単に中心商店街だけが直面する課題=機会ではなくて、消費生活の維持・向上に貢献することを事業分野とする全ての産業・個別企業が直面している課題=チャンスである。(ただし、一部の価格競争に狂奔するグローバリゼーション追随派を除く。そもそもラグジュアリィニーズ段階に入っている我が国の経済がどうしてそこまで至っていない「世界標準」などを基準にしなければいけないというのか?)
■中心市街地の活性化は、けして従来型のニーズにスケールアップ(規模拡大)して対応しようとあがいている郊外型SCを不十分な・制約された条件下で追随するものであってはならない。
■ラグジュアリィ・吟味・堪能・得意という新しいニーズにマッチする商業集積、「アップスケール(質的転化)」された商業集積に生まれ変わること、ショッピングモール、より具体的にはラグジュアリィモールの実現こそが中心商店街の活路である。
高度成長期に蔓延した経営戦略は、各業界とも企業別フルライン展開で同質類似商品でありながらデザイン、付加機能などプラスαで「差別化」した商品を溢れさせた。機能がほとんど同質なら付加されたプラスαで商品を選択することになるのは当然である。顧客は基本的な機能を求めながら企業が訴求する差別化を選択基準として商品を購買することになった。なにしろ、プラスαという基準を持っていないと必需・消耗品すら選択購入出来ない、という買い物環境なのだから。
■このプロセスから次第に「個人の好み」が立ち上がってくる。「個人の好み」は、次第に整理され体系的になり、やがて生活全体を自分らしく編集すること、特に自分が価値を置く生活局面を自分の「好み」で演出すること、などが生活の重要な課題となってくる。それに伴って、購買行動・購買先の目的別選択が顕著となる。このあたりについては「web商人塾」講義の第3講を参照していただきたい。
■生活を編集する、特に自分が大切にしているある生活局面を自分の「好み」で作りあげる、というライフスタイルが定着してくると、それに対応して購買行動が変化する。われわれがもの・サービスを購入するのは、生活を作りあげるための材料としてである。したがって、選択購買するときの基準はもはやその商品の競合する類似商品との差異ではなくなっている。
■新しい購買基準は、作りあげたい生活シーンのテーマとの整合性を持っている、ということが重要になってくる。ショッピングでは一緒に並べられている商品群を比較して優れているものが抽出・購入されるのではない。作りあげたい生活シーンの既に持っている大道具、小道具とのマッチング、自分が抱いている生活シーンのイメージとの整合性を基準にして購入する商品が選ばれるのだ。
■もちろんラグジュアリィ=贅沢品・不要品・高額品ではない。
■ショッピングは、必要な単品を品群から「比較購買」するというありかたから「吟味購買」=提供されている商品ラインから「当方の好み」で商品をピックアップする、というプロセスに変化した。特に「自分らしく作りあげたい」と位置づけている生活局面、「堪能したい生活局面」作りに必要なショッピングにおいて商品の吟味はもっとも厳しいことはいうまでもない。
■購入された商品は、手持ちの材料とコーディネートされて生活局面、生活シーンを演出する大道具・小道具として配置され利用される。あるべき情景が演出され、その空間ですごす時間を堪能する・・・。
■堪能とはもちろん「自分の好みのものを味わい、満足する」という意味。あるいは「あることを成就するために必要な能力を十分備えていること」。この二つの異なった意味には相通じるところがある。なにごとかを堪能するためには、環境・条件を作りあげる能力、それを評価し味わう能力が備えられていなければならない。
■また、その材料を提供する側には、求められている商品・サービスがマッチすべき生活局面や具体的なニーズの理解、提供する商品・サービスが具備しなければならない特性を設計し売り場を編集するなどのスキルに堪能であることが必要である。
■生活局面のグランドデザインを描き、演出に必要な材料やサービスを設計し適切なものを入手する、シーンを作り上げ・シーンを楽しむ、この全てのプロセスが自分の好みの表現として堪能されたとき、人は「得意」を感じる。
「得意」とは「自分の望むことが実現されて満足しているさま」ということである。人間は自分が求めていることの成就と、求めない・あって欲しくないことの回避という二つの基準をもって環境の中で問題を解決する。人間が生きるということは、その基準は多種多様であるが、一様に得意を求めて「問題」を解決している過程であるとも考えられる。
■現在、社会的・経済的にもっとも重要な意味を持っているのは、ラグジュアリィニーズへの対応ということである。
(これは、このシリーズの中心課題であり具体的には次回に論じる。)
「大量に売れるものなら何でも売る」という商法で拡大してきた量販百貨店やそれらが核として全体の来店目的を決定している郊外型SCがこのようなニーズへのソリューションを提供する商業集績として計画されたものではなく、したがってこれらのニーズに十分対応出来る能力を持たないことはいうまでもない。
■現在、堪能=ラグジュアリィ・ニーズに対応する商業集績は一部の大都市を除いてほとんど存在しない。人々は細切れに提供される情報を頼りに大都市の中心商店街、通販など案内不確かなルートから「買い回り」によって生活を堪能する材料を入手する以外に方法がない。「買い回り」とは「目当ての店で欲しい商品が入手出来ない、やむを得ずあちらこちらと探し回る」という買い物行動である。その過程は堪能というよりも作業であり、必ずしも努力に見合った成果が約束されるものでもない。
■居住地の近く、堪能したいときになんの障害もなく出かけられるという場所にラグジュアリィニーズを堪能出来る買い物の場がないと本当の意味で生活を堪能するという条件はそろわない。ニーズの変化と対応のミスマッチ、ここに我が国に消費不況の「構造」としての原因がある。
■我が国のライフスタイルの趨勢とライフスタイル実現に貢献すべき商業をはじめとする消費財関係業界のありかたとの間に存在する大きなミスマッチを解消すること、新しいニーズに対応するソリューションを開発し提供すること、ここに大きなビジネスチャンスが存在する。中心市街地の活性化-中心商店街のショッピングモールへの転換とは、さしあたりこのビッグチャンスを我がものとして確保することへの挑戦であり、マクロ的には産業全体のラグジュアリィ化、マス・カスタマイゼーション化の推進として、我が国の経済をアップスケール化するという時代的課題に挑戦するものである。
■中心市街地-商店街の活性化に関わる皆さんは、ラグジュアリィ、吟味、堪能、得意という4つのキーワードが新しい消費ニーズ=ビジネスチャンスの存在を示していることをしっかり認識していただきたい。
■もちろんこのことは単に中心商店街だけが直面する課題=機会ではなくて、消費生活の維持・向上に貢献することを事業分野とする全ての産業・個別企業が直面している課題=チャンスである。(ただし、一部の価格競争に狂奔するグローバリゼーション追随派を除く。そもそもラグジュアリィニーズ段階に入っている我が国の経済がどうしてそこまで至っていない「世界標準」などを基準にしなければいけないというのか?)
■中心市街地の活性化は、けして従来型のニーズにスケールアップ(規模拡大)して対応しようとあがいている郊外型SCを不十分な・制約された条件下で追随するものであってはならない。
■ラグジュアリィ・吟味・堪能・得意という新しいニーズにマッチする商業集積、「アップスケール(質的転化)」された商業集積に生まれ変わること、ショッピングモール、より具体的にはラグジュアリィモールの実現こそが中心商店街の活路である。