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中心市街地活性化の起死回生

 中心市街地活性化については、ご承知のとおり、目標を達成する計画がきわめて少なく、しかも部分的に目標を達成しても活性化の実現にはほど遠いという状況が続いています。
もう一度読売新聞の記事を紹介しておきます。
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基本計画の期間が終了して目標を達成できなかった都市のポスト基本計画の取り組みとしては、当社が『コミュニティモール』を提唱しているところです。

 内閣府の中心市街地活性化推進室のホームページを見ますと、まだ基本計画に取り組んでいる中心市街地も少なくありません。29年度に認定された計画をチェックしましたが、内容は相変わらず。このままでは確実に今までの基本計画と同じ末路をたどります。目標未達、または目標は達成したが活性化は実現できなかった・・・・。
基本計画推進中の中心市街地活性化はどうすれば良いのか?

 答えは簡単。
基本計画第七章「・・・経済活力の向上のための事業および措置」の各種事業を一体的に推進することで実現を目指す『一体的推進の目標』として『コミュニティモール』を掲げること。
モールを基準に事業群を見直し、必須事業を新たに組み込むこと。すなわち、既存個店群のモールの担い手としての業容改革、「売れる売り場づくり」を最優先課題として組み込むこと。これで中心商店街・商業街区の活性化=商業集積としての再構築は実現に向けて確実に進むことが出来ます。

 あらためて考えてみると、全店舗の2~3割を占める空き店舗については、統一目標抜きの活用計画がありますが、残り8割の営業中の店舗についてはほとんど何の施策も講じられていません。中心市街地活性化への潜在的な活用資源、磨けば輝くダイヤモンドの原石に何の手も加えない、という恩は全くおかしな話です。

 ということで、当社の「コミュニティモールプロジェクト」、基本計画活性化の必須コンテンツとして提供したいと思います。
基本計画に関わっておられる人,連絡をお待ちしています。

商店街活性化と部外者の意見

 商店街活性化について議論するとき、必ず参加を要請されるのが「消費者代表」。
「買い物の場」をどのように作りあげるべきかという問題を話し合うとき、そこの利用者である消費者の意見を聞くという方法はいかにももっともそうであり、合理的なように見えます。
しかし、果たしてそうでしょうか?

 いつも申しあげているように、消費購買行動はその目的(「客相」として3つに分類するのが当サイトの主張ですね)によって、行き先へについての期待が大きく違います。どのような客相をターゲットにするか、ということで商業集積が整備する機能とその中身は大きく変わります。

 商業集積のターゲット(顧客相)を決めて、ターゲットのニーズに合わせて様々な機能を整備する、という仕事は大変専門的な仕事であり、「仮説-試行-評価」という作業を繰り返しながら進めることになります。特にラグジュアリィモールという、我が国ではこれまで余り実例の無い集積の場合はなおさらです。

 この仕事を進める上で大切なことは、誰であれ、「理論」や「仮説」を踏まえて意見を出さなければならない、ということ。来街目的について話している最中に「店前通行量」の増大策について話をされては困る、と言うことですね。
 したがって、議論の前提として相当な予備知識が必要になります。

 もちろん、消費者代表を入れるな、と言うことではありません。消費者代表であれだれであれこの仕事に参加する人は、共通の理論的立場に立っているということが必要です。
つまり、理論を装備してもらわなければならない、消費者代表ではなく、商店街活性化に参加する一人の専門家として参加してもらうことが必要です。

 そもそも、消費者が「私たちにはこういう商業集積が必要だ」という明確な意見を持っている、と考えることが間違いです。
「消費者王様」、消費者代表の意見を尊重した計画を作ったとしても、実現した暁に彼または彼女がそこを「買い物の場」として活用するかどうかは別問題です。さらに彼または彼女はそうしてくれたとしても、彼または彼女が代表?である地域の消費者が同じような行動をとってくれることは全く期待できません。

 コンビニエンス・ストアを考えてみましょう。
県内に一店もコンビニエンスストアが無い時点であなたのまちで消費者アンケートをしたとしましょう。「24時間オープンしているミニスーパーを開きたいと思いますが、夜中に買い物に来てくれますか?」
アンケートの結果に頼っていたのではコンビニエンスストアは今でも出現していないかも知れません。

 消費者代表やアンケート調査、「商店街に欲しいもの」と聞かれると駐車場とかイベントとか答えてくれます。よくご承知のとおり、そういったハードやソフトが完備している商店街で駄目なところは全国に掃いて捨てるほど有ります。何もあなた方のまちで失敗事例にプラス1、屋上屋を重ねる必要はありません。「消費者代表」(そもそもどうして代表なのか分かりませんが)、参加を要請すれば、それなりに意見を持っているし、意見を聞いた以上むげに無視するわけにもいきません。計画は玉虫色、限りなく「プラス1」に近づくことになる。

 消費者があなたの商売について、心血を注いで考えてくれるはずがない。聞かれたら思いつきでいろいろ注文はするけれども、いざ注文通りの街が出来上がったからと言ってそこのお得意さんになるとは、限りません。消費者代表、と言われたとたん、商店街とは物販施設、自分が商店街に出かけるのは、見て・選んで・買って・持って帰る商品があると期待できるから、ということをすっかり忘れ、何かしら「代表」という特別の立場で無責任に発言しているだけですからね。そういう話を真に受けないこと、事情でどうしても参加させなければいかない場合には、委員会だけ、間違っても作業部会に入れないようにしましょう。

 これは消費者代表に限りません。学識経験者、行政代表、会議所代表等々みんな作業部会からはオミットすべきです。作業部会に参加したもらうのはそれぞれの機関の実務担当者、一緒に仕事をしていくための土俵を協働で作るためです。

 商店街活性化、皆さんはプロですから「お客はこういうことを望んでいるに違いない」というところを洞察して店づくり・商店街の商業集積としての再構築に取り組んでいくことが仕事です。これから儲けさせてもらう相手である消費者に意見を聞こうなどとは虫が良すぎます。
消費者の期待を超える商業集積、消費者が「私たちはこういうお店、商店街が欲しかった」といわせるには、消費者の意見を聞いていたのではまず、ダメですね。

省思考と自力思考

 省思考とは、本来なら当然自分で考え・根拠づけて置かなければならないこ とをどういう訳かさぼることを言う私の造語です。
 会議では自分の頭でしっかり考え理解している訳でもない「活性化」「ニー ズの多様化」「構造改革」「デフレ」などなが空中を飛び交いますが、その意 味は、誰も明確には把握していない、したがって、会議の結果もそれが本当は何を意味しているのか出席者の誰にも分かっていない、ということが有ります。

 意味や根拠の分からないことは、自分の頭で考えて解明する・少なくとも自 分的には決着を付けておく、この当たり前のことがどうして出来ないのか、今 日はその原因の一つを考えてみましょう。
かって、小売(流通)業界では、「人類4,000年に及ぶ商売の歴史の精髄は米国で花開いている。商売とりわけ小売業はすべからく米国に学ぶべし」、と主張する先生がいて、一世を風靡しました。いま?さぁどうでしょうか。

 先生は、とにかく、「商売の原理・原則は米国にある、自分で考えてはなら ない、米国小売業に学べ、絶対服従せよ」、ということを盛んに主張していま した。
「自分の頭で考えるな、アメリカで見てきたことを実行せよ」、の一点張り、 「自分の頭と商業4,000年の歴史のどちらを信頼するのか」というような論法だったようです。今考えると本当に噴飯ないい草ですけどね。
 何しろ当時はなく子も黙る米国スーパーマーケットの全盛を眼前に見せつけ
れるわけですから、否応は無かったのかも知れません。「なるほど、4,000年
の歴史かぁ、なるほどなぁ」ということだったのでしょうか。
 では、米国では新しいビジネスはどこから生まれるんでしょうかね、先生?
と聞けば、全ては一瞬でガラガラと崩れ去る「権威」だったのですが。

 何しろ当時はアメリカで全盛期だったスーパーマーケット理論を直輸入、こ れがブレイクしたため、こういう理論?が飛ぶ鳥を落とす勢いだったらしい。
米国で、顧客にとって見やすく買いやすい売場づくりの経験則が、日本では4,000年の商業の歴史の精髄、小売業の原理・原則というふれこみであがめ られたのです。とにかく、商業者の4,000年に及ぶ歴史に裏打ちされた原理・原則ですから、「疑うな・信じて実行せよ」というわけです。

 考えるな、模倣せよ、なんでそうなっているのか、理由を考えるなどしゃら くさい、そんな暇があったら一つでも多く原理原則を暗記せよ、というわけです。現在の流通大手とりわけ量販百貨店のトップクラスはこういう教育?をたたき込まれていますからね。今頃になって「良いアイデアがあったら出せ」などとはムシの良い話です。

 ところで先生ご推薦の米国の小売業ですが、当時絶頂を極めていたスー パーマーケットはどうして米国で生まれたのか? 商業4,000年の精髄がど うして歴史・経験浅い米国に生まれたのか? こういう疑問は当時の流通 関係者、先生にも生徒にも全く浮かばなかったらしいですね。技術について も「どうしてそうしなければいけないか?」という疑問をもってはいけない、それは商業4,000年の歴史を疑うことだ、というような論調ですね。

 もちろん先生自身、そういうように考えていた節がありますから、技術の説 明も抱腹絶倒というのはざらです。(これは「省思考」には付き物の悲喜劇の パターンですが、いつかまとめて紹介しましょう。)

 米国では「お客の都合」にあわせて実現した工夫が先生にかかると「人類4,000年の商業の歴史の精髄」となるわけですから、そこからはなんの進歩もありません。卑近な例は「業態」という小売業の定義。詳しくは次号で説明しますが、今となっては(とりわけクオールエイド社の理論を学んでいる人には)とうてい信じられないはちゃめちゃな説明でした。

 米国でスーパーマーケットが誕生した経緯はあまりにも有名ですから、皆さん既にご承知のことですから割愛します。
 結論だけ言えば、既存小売業とお客の関係を、もっとお客に喜ばれる、支持される商売の方法はないか?という問題意識をもって観察し、自分の頭で考える人が問題を解決したビジネスモデルを発明する、というのが米国で新しい小売業の類型が出現するパターンです。もちろん、その背景には優れた(お客に支持される)ビジネスモデルを発明すればそれが商品になる、ということがあります。

 人類の商売4,000年の歴史などということでは、新しい業態が次々に生まれる由縁を説明することが出来ませんからね。とにかく売場第一線の即戦力育成という課題に対応するため、という側面もあったのでしょうがスーパーマーケット理論の根拠を「商業4,000年の歴史」に求めたため、自分の頭をってお客の立場で考える、ということを禁止しました。「ワーカー=人手」を作るのには効率的だったかも知れませんが、組織風土は話になりません。

 そういう「人材育成」をやって来た企業がこの期に及んで「知恵を出し合って難局を乗り切ろう」などと手のひらを返しても創業以来の風土はおいそれと変えることがはできません。全て、かけ声倒れ、という事態を幾度も目にしましたね。

 小売業では、各部各層こぞって「お客のプラスを増やし・マイナスを減らす」という問題意識を持っていないと、もの余り・人あまり・店あまり・企業あまり・という現状を突破していくことは不可能です。
 特にラグジュアリィへとシフトしつつある時代、お客と直接接する第一線の人たちの能力をどう活用するか、ということが大きな課題です。

 販売第一線の人材育成・活用、これは流通のみならず、日本経済再生の鍵を握っているといって過言ではありません。ラグジュアリィ対応はでもしか販売員では無理、もちろん、商業4,000年の歴史を背負った「ワーカー」などの手に負える仕事ではありません。小売業にとって販売職が高度な識見・技術を要する専門職となる日が来ています。

 この時期、「水道哲学」時代の原理原則は全て一度疑うことが必要です。
もはや省思考で自動的に反応する、ということで解決できる問題はないと考えるべき、あらためて自分の頭を信頼し自力思考の構造を再構築することが必要です。
 とりわけ、「商業4,000歴史」説及びそれに基づく「原理原則」に呪縛されている流通関係者は絶滅したわけではありません。経営・店づくりのそこここに生存、場合によってはいまだに猛威を振るっている可能性があります。

 自力思考と省思考、あなたの持ち場でも対決が必要かも知れません。

□理論とノウハウ  
        
 スーパーマーケットという業態が移入された当時、移入の根拠は、1.商売繁盛の根拠は「時流に乗ること」であり、2.今の時流は「スーパーマーケット」である、ということでした。その根拠としては、3.人類4,000年にわたる商業進化の到達は米国にあると(何の根拠もなく)主張されました。

スーパーマーケット業態の運営の技術は、商業技術の最高到達ということになり、そのノウハウは疑うことを許されない「原理原則」になりました。これは、我が国におけるスーパーマーケット業態の普及という当時の戦略課題への対応にはとても好都合だったと思います。「なぜこうしなければならないか」「なぜならば人類4,000年にわたる商業の精髄、原理原則だからである」疑うものは米国を見よというわけで、いちいち技術の説明をする手間が省けました。先生方も本気で「原理原則」だと思いこんでいたりして(w)
 当時の参考書を見てみますと、とにかく「考えるな・暗記せよ」一辺倒です。
 
  「時流に乗れ」ということもさんざん言われました。今、これから何が時流か、米国を見てくれば一目瞭然だ、ということでした。現場の人間はものを考えてはならない、というすさまじさですね。といっても私は当時業界にはいませんでした。
 後になって教科書を読んでみたらそういうレベルだった、ということです。とにかく、自分の頭よりも「おまえは自分の頭と人類4,000年の歴史、どっちを信頼するのか」という剣幕。「とあなたが言ってるんですよね、あなたの頭より自分の方を信頼しますよ、もちろん」といいたいところですが、先方は米国スーパーマーケットの隆盛という後光が差しており、こちらは素人ですからころりとだまされたわけです。

 これはもう、人材と言うより人での粗製濫造ですね。その結果どうなったか?
自分の頭で考えない、米国あるいは国内同業他社の動向ばかり気になる風見鶏的人材が輩出されました。前述したように、スーパーマーケットの店頭の技術を小売業の経営原則と勘違いしたスーパーマーケット業界およびその関連業界を席巻した「原理原則」は、たちまちほかの業種業態、関連産業にも普及してしまいました。

 スーパーマーケットの急速な発展期に先進事例であるスーパーマーケット全盛時代の米国の技術を直輸入したのはまあよいでしょう。問題はそのときのうたい文句、 前述のように、「人類4,000年に及ぶ商業の集大成」というのが導入の大義名分でした。 厳しい陣取り合戦、急速出店戦略にあわせて人材も促成というか粗製濫造というか、自分の頭で考えるな、原理原則を丸暗記せよ、頭を使うのは本部、店は筋肉を使え、という徹底した分業システムでした。

 この方式で鍛えられた人たちが今でも各社中枢にいそうですね。某社活性化への取り組みが話題になった頃、新経営陣が店舗を巡回、「どんどんアイデアを出すように」と叱咤しているのをテレビでみて暗澹たる思いがしましたね。
 組織の「原理原則」に照らせば、「頭を使う」ことを期待されているトップが「丸暗記奨励」の筋肉組に知恵を出してくれと言っているわけですから。
 こりゃ駄目だ、と思ったものですが、最近はどうなっているのでしょうか。

 小売業は、お客が「自分の生活を作り上げる」という問題の解決にもっとも適した商品あるいはサービス(つまりソリューションですね)を提供することが事業機会です。お客が実際に来店し商品を選定し購買を決定する、というプロセスを筋肉
で対応できる、ということは絶対にありません。にも関わらず、我が国では本部=頭、店舗=筋肉という考え方が支配的でした。
これは大企業に限ったことではありません。元々「指導者」が持ち込んだことですから、これは周り回って全商業界に蔓延することとなっています。

 米国の競争は「誰がお客から見てもっとも優れたソリューションを提供できるか」 と言うことを巡って争われています。現場は筋肉でOK、ということは全くありません。常に創意工夫が求められており、その工夫の基準はよりいっそうの「顧客満足」です。
 米国で「顧客満足」を基準に工夫し、成功し、売り場の(当時の)スタンダードとなっていた技術を我が国では「人類4,000年の商業の精髄」と言うことで暗記させました。この導入方法は我が国の「先進的」と言われるような企業に先を争って取り入れられましたからその結果たるや推して知るべしです。

 私は初めて米国商業の視察研修に参加したときこのことに気づき、大きなショックを受けました。本当に目から鱗が落ちるとはこのことだ、と感じたものでした。

 もの不足時代の余韻を残していた高度成長期までは筋肉路線でよかったかもしれませんが、今や成熟した顧客にマッチョだけでは通用しません。ところがお店のノウハウ、原理原則はその昔、「これが原理原則だ」と聞かされ、米国で成功しているという折り紙付きの方法ですから、受け入れやすいものでした。
 今ではいったいどうしてこういう方法でやらなければならないか、全く意味不明の「ノウハウ」、お客や新人から見れば全く意味不明の「技術」なるものが「人類4,000年の結晶」として売り場に居座っているはずです。

 お客はお店が気に入らなくなったらさっさと次の「買い場」を見つければよろしい。他方、みなさんは不振を打開するためにはこれまで「原理原則」と聞かされ、かってはそれなりに効果のあった「原理原則」、ノウハウを疑い、吟味し、必要により改革しなければならない。これは商店街のみならず我が国小売業の全業種・業態が今まさに共通して直面している大問題です。

 このような、商売上、いわば自分の血となり肉となっている「原理原則」を疑い、 必要によりこれと決別して新しい技術を自ら作っていく、ということが必要になっています。
 もちろん、なれ親しんでいる方法を捨てることは大変難しいことです。一朝一夕に出来ることではありません。やり遂げるためには、「なぜやり遂げなければならないのか」と言うことを爪の先ほどの疑念もなく理解しておくことが必要です。

 この「ノウハウ、原理原則の転換が必要だ」という確信を持つこと、そのためには「なぜ転換が必要なのか」と言うことをしっかり理解することが必要であることは言うまでもありません。かってのスーパーマーケットの技術が、お客の不便の解消、顧客満足の提供ということを基準に、従来の常識やノウハウを否定して、自分たちの知恵と工夫、お客の反応を頼りに作り上げられのと全く同じように、新しい時代のライフスタイルやお客の購買行動の変化を理解し、その理解にたって仮説と しての技術を作り、顧客の行動を基準に評価しながらさらに進化させていく、という取り組みが必要になっています。

「活性化」とは何がどうなることか?

■「活性化」というコトバ

様々な分野で使われていますが、どういう意味でしょうね。
そういえば「連坦」という都市計画用語も意味不明(W
連坦は連袂だろう、というのが私めの勝手な解釈、当サイトでは「袂を連ねて共同行動をとる」ということで、もっぱらこちらを用いていることはご承知のとおりです。

さて、活性化。
これはかねて辞書に載っていないコトバだと書いていましたが、ところが載っておりましたですね、これが。

講談社刊『類語大辞典』に【活性化】活気を失っている組織・産業・地域などを、活気のある状態にする。とありました。「商店街活性化」:活気を失っている商店街を活気のある状態にする、なるほど、日頃用いられている語感ですね。

しかし。
確かにこのような意味で用いられておりますが、もう一歩詰めておきたい。それは「活気」について。
同じ辞書を見ますと、【活気】元気に満ちあふれた雰囲気。
そうしますと、活性化とは「元気を失っている組織・産業・地域などを、元気な雰囲気のある状態にする・・・?

気を取り直して再び辞書をめくりますと、
【元気】健康で生きるための力がみなぎっている様子 とあります。
なるほど「生きるための力がみなぎっている様子」かぁ。

そこでもう一度。
「活性化」とはこのままでは生きる力を失いかけている組織・産業・地域などを生きるための力がみなぎっている状態にすること。・・・もう一歩です。

【生きる】生き物やある機能を持つものが、活動・機能する力を失わずにいる。
ん?、「失わずにいる」ってなんだ?
あ~めんどくさい、結局、生きる:本来の機能を保っている、機能している、ということですね。

この定義をもってもう一度「活性化」を考えてみると、
【活性化】本来の機能が衰えつつある産業・組織・地域などの機能を賦活させること。

【賦活 ふかつ】病的状態を健康状態にすること(『新明解』)
ということでしょうか。
ついでに
【再生】生物が失われた一部の組織や器官を生命力によりふたたび作り出すこと、また、人工でそのようにすること。
も近いですね。

これらをヒントに考えると、
【活性化】何らかの理由で機能が衰退している組織・地域などの機能を取り戻させること ということで、日頃用いられている語感にだいぶ近くなりました。
念のために「機能」も確認しておきましょう。

【機能】目的に応じて分化した働き(『新明解』」

では「商店街活性化」の定義をば。

【商店街活性化】買い物の場としての機能が衰えている商店街を買い物の場として再生させること。

ということでいかがでしょうか。
つまり、活性化とは日本語でいうところの「賦活」=病的状態にある組織・地域などの機能を回復させること、ですね。

「元気のある雰囲気」ではなく、本来の機能を回復・発揮することによって、その結果として「元気のある雰囲気」が生まれるのであって、「元気のある雰囲気」=からにぎわいを作り出すことが商店街活性化ではない、ということが明白でです。
人間と同様。
能が衰えている人が空元気を出したからと言って何がどうなるものでもありません。意欲があるうちに正しい手当をしないと手遅れになってしまう・・・。

買い物の場としての機能が衰弱している商店街でイベントをすれば、買い物の場としての機能が回復する、などということはありません。

商店街が「買い物の場」としての機能を衰弱しているのはなぜか?
その理由は当サイトご愛顧のみなさんにあらためて説明する必要はありませんね。

ということで、活性化というコトバ、たぶん、活性というコトバの字面に惹かれて誰かが使い出したのでしょうが、活性化=元気になる、と考えれば目的は「機能」回復であることが明白です。

商店街を本来の機能である「買い物の場」ではなく、別の用途に転用する場合は、商店街活性化ではなく、「街区の活性化」と呼ぶべきでしょう。中心市街地の機能である「買い物の場」としての機能をあきらめ、他の機能として再生する、ということです。

中心市街地活性化は、法のスキームではそこに立地する商店街など商業集積の活性化=買い物行き先としての機能を深津するのだ、という問題意識が無いまま、荏苒日を送っておりますと出来ることも出来なくなってしまいます。

以上、あらためて活性というコトバを考えてみました。
冒頭書いたように、このコトバ、たぶん、並の辞書にはまだ採用されておりません。ここで検討したとおり、使用するに当たっては、「機能回復」という意味をしっかりふまえて使わないと、「活気のある雰囲気」醸成なら何でもあり、になってしまいますから要注意です。

簿記はお好き?

小室直樹さんによれば、複式簿記が分からないと資本主義経済は分からない、ということですが、皆さん簿記は得意ですか?
私は出だしで躓いて以来、三舎を避けておりますが、それでも難癖ならいくらでもつけられる(W
先日、書店で立ち読みした本には、会計が世界経済を救う、みたいなことが書いてありました(W

簿記とは何か?
考えてみたいとおもいます。

●会計とは?

> 簿記とは何か?
会計計算のお約束ですね。

会計とは何か?
何でしょうね。

企業の数値的側面の表現などといわれますが、いろいろ問題があるのです(W

●会計の機能

> 企業の数値的側面の表現などといわれますが、いろいろ問題があるのです(W

複式簿記は企業の数値的側面の表現として妥当であるか?

数値は「企業の数値的側面」を本当に表現しているか?

この二つの問、答えはいずれも否、です。

●貸借対照表

  特定の時期における企業を数値で表現したもの。
考え方では企業そのものである、という立場もあり得ます。

用いられている数値は、貨幣単位。
企業を資産の調達と運用=経営活動の集大成としてその増減として表現する。

用いられる数値は、通貨の単位である「円」ですが、これが一筋縄ではいきませんから、企業の「資産」とはいったいなんだ?、そもそも会計ってなぁに?と疑問が噴出することになる。

●会計計算の実態

> こんな数字が資産総額のはずがない。
> まして企業の数値的表現のはずもない。
> 企業の実態なんか全然表しておりません。

と目くじらをたてても仕方が無いですよね(W

  さて、資産を次期以降の経営活動の原資だと考えると、大切なものが抜けています。マンパワーです。
企業の資産を表現しているはずの貸借対照表ではマンパワーの動向はまったく不明です。

  ちょっと考えてみましょう。
今期、店づくりの転換を推進するため、社員教育に50万円を支出したため、赤字が50万円出た企業と、景気が良くなるまで我慢しようと経費節減に努め、教育訓練費ゼロ、減価償却ゼロ、設備投資ゼロ、結果果、利益50万円を計上した企業と来期はどっちが期待できますか?

考えてみると、会計計算、企業の実態~将来判断にはあまり役に立ちませんね。

●去年の実績で今年の経営を判断?

 そもそも、企業会計の基本である「複式簿記」については、「いしくにみつけたコロンブス」=冒険貿易時代の口別会計マニュアルとして生成発展してきたものを、資本主義企業会計=「ゴーイングコンサーン」の期間会計に援用するという、今になった考えれば変な話ですが当時としてはまさか複式簿記会計が世界会計として行き渡るなどと言う展望は無かったでしょうから、ムリもありません。

もちろん、税務会計としての整合性はそれなりに備えていると思います。
しかし、現時点ではどこから見てもオカシイ複式簿記が企業の実態さらには将来の可能性を判断する客観的資料として位置づけられている。これは問題です。

複式簿記の背後には「セイの法則」があります。

●「セイの法則」

> 複式簿記の背後には「セイの法則」があります。

口別損益計算の手法である複式簿記を期間損益計算に援用し、作成・公開された財務諸表をもって投資の判断基準とすることが資本主義勃興期の投資家に受容されたのは、当時、市場として未開拓の市場が果てしなく潜在していた、つまり、新規投資により生産手段を近代化することで生産量を拡大・併せてコスト削減が実現すれば、新しい需要が喚起され・収益機会が拡大される、というそろばん勘定が成立しました。原初的な株式会社への投資は、このような可能性への投資だったわけですね。

当時の、B/Sの借り方=(左方=資産の部)のさらに左側には、「潜在市場(つまり、現在の価格水準では手が出ない人たち)」が誰の目にも明らかに存在していたわけでありまして、潜在市場さえあればこれはもう、新しい投資は(すむなくともトータルでみれば)市場拡大につながっていくことは火を見るよりもあきらかです。

故に、予想される期末B/Sの各種資産は、前期簿価よりも軒並み増大、-になることはまず有り得ない、というのが「潜在市場」を前提にした場合の企業経営の大勢だということになります。前期のB/Sが投資の基準になるのは、その簿価数値がどうであれ、今期の業績は「資産の部」<潜在市場という経済全体の趨勢を基盤にしているからだということですね。

「供給は需要を生み出す」というのは、「何故ならば無尽蔵の潜在市場があるから」というわけです。
これがセイの法則の前提条件。
この前提条件については、セイの法則を否定している流派もことごとく無批判的に前提にしており、セイの法則が成立する前提条件について論及している・思いが至っている経済学流派はほとんどありません。こういう人たちは、セイの法則を否定しているつもりで、いつのまにか「セイの法則の前提条件」を自分の理論的ポジションの基礎にしてしまっている。
中で珍しく、思い至っているのはオーストリア学派とか呼ばれているカール・メンガーただ一人だと思います。

当今の講壇経済学(つまり学校で教わる経済学)にはすさまじいものがありまして、実体経済とは全く関係がありません。ご本人達がそうおっしゃっているのをお聞きになった人もあろうかと思います。では、何のために経済学って有るのぉ、といいますと、これはもう、ひたすら、講壇経済学の市場を維持するための活動と総括して過言ではありません(W。
なんてったってこの時期、「中心市街地活性化」について何の提言も出来ない経済学なんか、ちゃんちゃらお菓子喰って、じゃなかった、可笑しくって。

余談続きで。
経済学を学んだ人たちが、経済関係に就職しますと就職当日から講壇経済学など全く役に立たないことを実務のなかで骨の髄までたたき込まれます。実体経済では講壇経済学は何の力も有りませんからね。「需給均衡」?何のこっちゃ。

  ところが。
講壇経済学履修者の中には、実体経済領域に就職せず、投資顧問、経済評論といった分野に行って活躍する人達がいます。この人達は講壇経済学に基づく、予測・批評が生活手段であり、かつ、キャリアアップのアナウンス効果ということを考慮すれば、なるべくはったりをかますことが必要ということで、有ること無いこと、ジャーゴンを最大限に利用しながら手当たり次第に「予言」「提言」をしています。外れて責任をとった、という人は見渡す限り皆無のようですが。
経済学に基づいているのか・いないのか、垂れ流される提言・予言、これがまた非・実体経済市場を経由して実体経済に影響する、というようにシステムが自然成長していますから始末に負えません。

う~む、話がいよいよ「簿記」を離れ、かつ、収拾困難になってきましたので、あらためて新スレッド「セイの法則」を立てて続けます。

「複式簿記」。
もう一度展開し直したいと思います。
中心市街地活性化~国民経済活性化への取り組みでは、複式簿記の批判的検討は必須課題なのです(W。もちろん、私のいう簿記・経済・経営等々に関する理論知識は、実体社会の活動にしっかり役に立ちますからね、暇がとれる人は是非おつきあいください。

「セイの法則」については、新スレッドで続けます。

商店街立地・独立自営地場小売業は粗利50%を目指す

●小売業は粗利50%を目指す
べきである、という話は未出でしたかしら。

  これは私のかねてからの持論、実現を目指している人たちの中から達成した、達成間近ということを聞くようになりました。
小売業の付加価値=社会貢献度の目安は粗利が一番、これからは粗利益率50%を目指さないと存続が難しくなると思います。

もちろん、これまで通りの働きで実現できることではありませんし、「こうすれば実現できる」という業界共通のノウハウがあるわけでもありません。それぞれの企業の条件を踏まえて実現を目指すわけですが、まずは、何故粗利50が必要か、というところから。

達成を目指している人、ありましたらよろしく。


●粗利50%の根拠

  まずは、何故粗利50が必要か、というところから。
特に演繹的な根拠があるわけではありませんが、企業者たるもの、収益の源泉は「付加価値」ではなく「価値創造」であるべきと考えれば、内製価値=全体価値の5割以上、というのは当然の帰結です。

というのは冗談ですが、商圏(営業活動範囲)が限られている小売業の場合、企業存続原資の必要額を粗利で確保するためには、5割確保は是非クリアしたい目標です。特に、中心市街地立地でラグジュアリィ客相指向で店づくりの転換を目指す場合は是非とも達成を目指したい。

達成するためには、店づくりの全体を転換しなければならない。
コンセプトを明確にし、品揃えにブレイクダウン(もちろんこれは仕入れアイテム選定~単品管理まで含みます。)、適時適切なサービスの展開、ラグジュアリィな環境提供などトータルの取り組みではじめて実現可能になることです。

この目標をクリアすること自体がラグジュアリィ対応と密接に関連しています。


個店不沈の法

とりあえず、議論の前提として読んでおいてください。

当サイトは金太郎飴、どこを読んでも同じことを述べていますが、それでも各テーマに即した記事をキャッチすると、そこからいろいろ着想が広がります。
お暇な折りには散策をおすすめします。


<投稿記事>●いやぁ、すごい

  これだけの情報、量もですが質も、大変勉強になります。
客相の商店サイドからの設定。
周りでなく我が店に来て貰う事を最大目標にする。
人口や環境を言い訳にしない!(笑)

  などなど改めて聞いてみて再び納得!でした。
う~む。だいぶ考え方も理解できてきたし
うちも少し取り組んでみようかしら・・・
よし。今年は実践の年にしよう。
takeo先生。また相談しますね。


●「売れてなんぼ」のはずなのに・・・

  売れてなんぼという世界では、実践で成果をあげて見せることが一番、中心市街地関係者をぜ~んぶ、まとめてびっくりさせてあげてください。

それにしても今どきの商店街、「売れてなんぼ」という当たり前?の発想はタブーのようですね(W
イベントなんか「取り組むことに意義がある」らしい。

●補助金の弊害?

 > それにしても今どきの商店街、「売れてなんぼ」という当たり前?の発想はタブーのようですね(W
 > イベントなんか「取り組むことに意義がある」らしい。

  これは商店街版「流動性の罠」です。
流動性とはつまり、お金のことですが、流動資産の中でも特にお金は、いつでも・どこでも・何とでも・交換できるという機能で他の追随を許しません。お金って、有ると便利・無ければ生きていけない・日持ちもOK、少々のことでは目減りしませんしね。
こんなにありがたいものはない、ということで、営利活動とはすなわち所有流動性を増大するための活動に他なりません。

 流動性(通貨)で商品を仕入れる・販売する・結果として流動性が増大する、というのが小売業の商売。小売業のモロモロの活動は、流動性を投資し・販売に結びつける、という一点を指向して取り組まれる。
つまり「売れてなんぼ」の世界です。

 さて、我が国では中小小売業、とりわけ商店街立地の小売業者の皆さんが取り組むべき流動性増大のためのモロモロの活動のうち、「公共性」というか、「消費者の利便」に連なると判断される部分については、いつの頃からか「補助金」が用意されています。

 補助金があるとどうなるか?
虎の子の流動性を一時的にせよ、支出=減らすことなく・あるいは別の方面に支出できる余地を確保しながら、たとえば販促など流動性増大のための活動が出来ることになりますから、大変結構なことでありますね。

  しかし、反面、自分の流動性の支出を伴わないため、「売れてなんぼ」=「支出の見返りは流動性の増大」というアニマルスピリットが希薄になったりすると大変です。
自己所有の流動性を減らすことなく・拡大出来るチャンスが舞い込むわけですから、絶好の機会として「売れてなんぼ」に徹しなければならないのに、自分の流動性持分に変化がないところから事業効果への判断が甘くなってしまったりする。あるいは、事業の効果を確保するために不可欠の店内外の仕掛けが、補助事業なるが故に連動できない。

  そうすると、言うまでもないことですが、事業の成果はどこにも現れることがありません。本来、補助金がなければ身銭を切って展開したはずの「売れてなんぼ」という活動に費やす時間を「補助事業」に向けたわけですから、この期間・活動に依拠する「売り上げ」はとてもじゃないが、よ~とれません。

 流動性持分を拠出することなく、(形だけとは言いながら)流動性増大を目指して販促などの事業が出来ることになれば、この方面で流動性を拠出する=身銭をきることがなんだかあほらしくなってしまいます。
やがて、補助金が付くなら取り組む、付かないなら止めとこ、ということが習慣になってくる、これは補助事業の成果に関係なく定着し得してしまいますから恐ろしいですね~。流動性を増やすことより当面手持ち分を減らさない方に価値感が移行してしまう。

 さらに進むと、補助金が準備されている事業を役所の意向を考慮しながら、「事業のための事業」ウケを狙って、というところまで「進化」する。やがて、補助精度がないと必要性の有無に関わらずな~んにも出来ない、というのが多くの商店街の皆さんの現状ではありませんかぁ(W。

 これこそが商店街版「流動性の罠」(W、「補助金の弊害」といわれている現象の実態ですね。

 つまり、悪いのは補助金ではなく、補助金を使った結果、所期の目的=流動性の増大を実現できないまま、流動性の出し惜しみという商店街版「流動性の罠」に陥ってしまった、「売れてなんぼ」が身上=信条のはずの商店主の皆々さんのアニマルスピリットの崩壊の方(W。

●「アニマルスピリット」

 日本語で言えば「商売人の気合い・儲けてみせる!」(W
もともと、「売れれば儲かる」「売れるはず」「売ってやる!」ということで「えいやっ!」と開業した商売のはずですが、いつのまにか、血気は薄らぎ、「人口が少ない」「時代が悪い」「立地が悪い」などなど、創業当時を振り返ってみるまでもなく、全然、全く、商売とは無関係のところに言い訳を求めている。

 言い訳すれば手持ち流動性(お金のこと)縮減という趨勢に歯止めがかかるのか?
ばっかじゃないのぉ、といいたいですね~(W。

 この時期、すり減っている、あるいは居場所を替えてしまったアニマルスピリットを呼び起こしあるいは呼び戻して、もう一度商売繁盛を目指すには、「流動性の罠」からの脱出が必要です。
もちろん、アニマルスピリットの持ち主なら補助金をじゃんじゃん使って流動性増大という結果を出すことが出来るんですけど。

●時代背景

  もの不足時代には地域社会から羨望のまなざしを受け、また実際に地域社会ではトップクラスの生活水準を堪能してきた中心商店街ですが、ものが普及し・所得の絶対額が苦情するにつれて、物販業・お金持ちということだけで尊敬されるということもなくなり、並行して今日の経営環境ですから、意欲を持つにはよほど内発の動機が必要でしょうね。

 昔は誰もなにもいわなくても自分の店の利害最優先、店を枕に討ち死覚悟というか、ホントに一国一城の主でしたね。

 最近はとてもじゃないが、そういう気概はほとんどお目にかかれない。商店街イノベーション、これまでのように欲との二人三脚ではおぼつかないようですから、お金儲けはそこそこでOK、我が街を活性化して日本中をあっといわせてやる、というノリが必要かも知れません。かって一世を風靡したOB各位は昔取った杵柄、案外その気になってくれるかも知れません。

 現役バリバリの壮・青は如何でしょうか。

●モチベーション

 高度分業社会では、人並みの生活の中で「自分の好み」部分にメリハリを利かして堪能する、ということが主流の生き方になるのでしょうか。
誰もが誰かの役に立つことで、自分の生活を成り立たせるために必要な条件を実現する。これが分業社会のお約束ですからね。

 では、商店街の皆さんは「誰の役に立っているか」

 商店街立地の小売業は、「顧客に生活材料を提案する」ということを通じて、お客を満足させ・売り上げを確保する、ことを収益機会とする営利事業ですが、事業を遂行することで、

1.地域社会で人々がニーズにあった生活を楽しむことが出来る、という条件作りに貢献
2.雇用を通じて、所得機会の維持・確保に貢献
3.集積を形成して「愉楽」機会を提供
4.地域での「流動性」の確保・流通

といった機能を担っています。

この4つの機能を担っているのは、中心商店街立地の小売業・サービス業だけ、他の営利企業は、どれかの貢献が抜けています。
たとえば、郊外型SCは「集金」に来ているわけですから、売り上げは当日中にそっくり本部に上納、地元環流は営業経費のみ。
たとえば、地場産業は「生活を堪能する」というニーズには貢献できません。

地方分権が現実化するにつれて、営利企業の地域貢献ということが大きなテーマになってくると思いますが、その点、中心商店街立地の小売業は先を行っています。

 何しろ、あなたのお店の売り上げが増大するということは、
1.お客の満足が増大する=地域の生活がより豊かになる
2.あなたの生活もより豊かになる
3.雇用機会が増える
4.まちが楽しくなる
5.行政は税収が増える
6.地域で回るお金が増える
ということですからね。

儲けることが即・比例して地域社会への貢献になるというのは地元の小売業・サービス業だけの特性、どんどん儲けてください。

 補助・支援制度は1~6の条件整備が目的ですから、何の気兼ねも不要ですね。こんなに多面的な効果が期待できる「公的資金」の用途は他にはあまり無いと思いますけどね(W。
補助金なんかあっという間に何倍にもして返せます。
もちろん、活性化に成功したら、の話ですが。

 商店街立地の小売業経営。
あなたが儲かるほど地域社会に貢献できる、ということでロータリーやライオンズにはいる暇があったら商売に精出した方がよっぽど地域社会のため、という・他では滅多にない・恵まれたポジションです。

 宣伝する必要は有りませんが、プライドを持ってアニマルスピリットを涵養・発揮してください。
そもそも、皆さんが落ち込むとクオールエイドも立つ瀬がありません(W

●価値感の多様化

 とはいうものの、動機は何でもよろしい。
とにかく、各個に「商売を活性化させなくちゃ」という気持ちになってもらう。ここのところは、それぞれあるいは仲間内で、あるいは組合で「その気」になっていただきます。

当社の出番はその後ですからね。


●問題解決

 ちょうど、別スレッドで「問題解決」を論じ始めているところ、ちょうどよかった、「粗利50%達成」を解決しなければならない問題としてとらえ・解決策を考えてみることにしましょう。
まず、「粗利50%達成」が何故問題か? ということですが、このプロセスは省略します。省略の理由も省略(W。
粗利50を達成するには、粗利についての知識が必要です。

●問題を構成する問題

売り上げ=原価+値入-(割引額+値引額+減耗額)
粗利=値入-(割引額+値引額+減耗額)

粗利50%を達成するということは、
50%≧値入率-(割引率+値引率+減耗率) ということですから、
①値入率50%以上
②割引、値引、減耗を極力抑える
という政策が必要だということが理解されます。

①を実現するには、商品構成、粗利ミックス
②のためには、販売促進、在庫管理
などを中心に相当緻密な商品管理が必要ですね。

このように、問題を分析すると当初の問題を構成している下位の問題群に到達します。問題は、問題を構成している下位の問題を解決することを通じて解決されます。

●問題を構成する問題

売り上げ=原価+値入-(割引額+値引額+減耗額)
粗利=値入-(割引額+値引額+減耗額)

 粗利50%を達成するということは、
50%≧値入率-(割引率+値引率+減耗率) ということですから、
①値入率50%以上
②割引、値引、減耗を極力抑える
という政策が必要だということが理解されます。

①を実現するには、商品構成、粗利ミックス
②のためには、販売促進、在庫管理
などを中心に相当緻密な商品管理が必要ですね。

このように、問題を分析すると当初の問題を構成している下位の問題群に到達します。問題は、問題を構成している下位の問題を解決することを通じて解決されます。

それでは皆さん、頑張ってみてください(^_^)

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  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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