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商店街活性化の王道

 商店街活性化と言えば、なかなか実現できないのは目標を数値化し、コントロールしないからだ、という勧告があったので、
1.通行量の増大
2.空き店舗数の減少
3.販売額の増大
など、商店街に関係があり、数値がとれる事項を目標に掲げることになりました。

 その結果、何がどうなったかと言えば、
28年総務省行政評価
総 括:「中心市街地活性化基本計画は所期の効果が発現しているとみることは困難」
勧 告:中心市街地活性化施策を効果的に推進する観点から、
①効果発現のための取組を強力に実施 
②改めて目標達成が困難となっている原因の分析、改善方策を検討、実施
ということでしたが、それから一年半後、読売新聞の記事:
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 もはや、商店街活性化の目標として通行量の増大や空き店舗の減少を掲げ、数値化して実現を目指しても
1.数値目標を達成することができない
2.まれに達成できても活性化は実現されていない
という結果に終わっています。
このような取り組みでは広域で展開されている商業集積間競争の中で、商店街をもう一度「ショッピングの場」として構築する、という本来の目的に近づくことが出来ないことがはっきりしたのではないでしょうか。

 商店街を商業集積として再構築する、という目的を達成するためには、
1.モールを始め郊外型商業との棲み分け
2.その可能性の実証
3.既存店舗・空き店舗を活用したテナントミックス
4.商業集積としての再構築
という条件をクリアしなければならない。

 そのためには:
1.広域商圏で相対優位に立てるポジションをコンセプトに掲げ、
2.既存有志個店がコンセプトに基づいて業容転換、可能性を実証する
3.既存個店群の漸進的な業容転換の展開
4.空地空店舗を活用した店揃え・品揃えの最適化を追求する
という計画ー取り組みが不可欠です。
これがタウンマネジメント、商店街活性化の王道です。

 結局、この取り組みを棚上げして、もっぱら理論も技術も必要ない、シャッターの外側の事業でなんとかなるだろうという安易な考え、それを助長した商店街の要望に基づいて作られてた支援メニューが二兆三千億円と取り返しのつかない貴重な時間を空費させたわけですね。

 新年度はこういう不毛な取り組み、誰も喜んでいない・プラスになっていない取り組みを卒業、商業集積としてのい再生を目指す、個店御増収増益を実現する取り組みに大きく舵を切らなくちゃ。現在の組合活動が組合員から支持されていると思ったら大間違いですね。

コンセプト主導の商店街活性化

  商店街活性化の取り組み、真っ先に決めなければいけないのは、
「どのような商業集積を目指すのか?」
ということ。
これを決めないと取り組むべき事業とその内容・質が決まりません。

こ  れまでの活性化は、通行量や空き店舗、居住者数など数値目標を掲げてそれを実現する手段に取り組む、という不思議な取り組み方でした。店前通行量が増えると増収増益が実現できるのか?空き店舗が埋まると既存店舗の増収増益が実現するのか? 居住人口が増えると既存店舗の増収増益が実現できるおなか? 実現できると思って取り組んでいる人たちもその根拠を説明することは出来ません。実際のところは、店前通行量が増えても、空き店舗が減っても、人口が増えても、それで各個店の売り場が「わざわざショッピングに出かけたい売り場」に変わることはありませんから、客数増、増収増益は実現できません。

  まずは広域商圏で「これを実現すれば来街者が増える」という商業集積としてのコンセプトを決定すること。
そして、各個店の売り場をこのコンセプトにあわせて改善していくこと。この作業に最優先で取り組まなければならない。
まちゼミやポイントカードなどの販促で増収増益体制を作ることは出来ません。そういうこと員取り組んでいる間は、最も重要な「コンセプト主導の商店街活性化、各個店の早秋総益」は実現できません。ちょっと考えればすぐ分かることです。

ツイッターで考えました。

商店街活性化と集積間競争

当社はこれまで百貨店、モール、エキナカ、ビッグボックスなど、商店街以外の商業施設とのおつきあいもしてきましたが、それらと商店街との大きな違いの一つは、『勉強』に対する態度。

 商店街以外の商業施設ではトップからバイトまで『勉強漬け』と言って良いくらい。特に全国チェーンのショッピングモールなどは、社内にカリキュラムが整備されていて、キャリアを積んでいくごとに上位レベルの研修を受けます。また外部のセミナー等に個人で参加することもけして珍しいことではありません。

  一方、商店街の方はどうでしょうか。
取り組まれている事業のほとんどが『勉強しなくてもお客を呼べる方法』や「勉強しなくても増収増益を実現できる方法」といった怪しげな事業ばかり取り組まれています。
その怪しさを感じないのは、ただ昔から慣れ親しんでいるからにすぎません。

  店前通行量を増やす、空き店舗を減らす、中心市街地の居住人口を増やす、勉強しなくても出来ることばかり。
ではお客の満足はどうなるかと言えば、ちっとも変わり映えしません。それもそのはず、売り場は何の変化も起きませんから。

  勉強せずに増収増益を望んでもそれは無理です。
問題は何を勉強したら良いか分からないこと、ですね。
誰も活性化には勉強が必要だと言ってくれる人いませんし、ましてこれを勉強したら良い、と教えてくれる人は絶無でしょう。
困ったものです。

商店街活性化の危機

 このままでは商店街は活性化できず、立地する個店はただ自店の力量の限りで営業していく、というあり方を変えることが出来ない。

 中心市街地活性化基本計画、今年度認定されたものをいくつか読んでみましたが、キモである第七章・経済活力の向上(内容は商業の活性化)のための事業および措置」の内容は、実質デフォとなった認定第一号・青森、富山両市の計画を相変わらず踏襲しています。目標も通行量の増加、販売額の増加。
相変わらず、取り組みの目的・目標、事業の構築が間違っています。

 先行、終了した基本計画がほとんど目標未達に終わっている、という重大な状況についてほとんど検討された形跡がありません。
特に既存個店の売り場の改革・「売れる売り場づくり」という喫緊の課題には認識が示されず、従って事業も計画されていません。
結局、これまで成果の出ていない、通行量増加、空き店舗減少という二大目標を何の検討もないまま引き継いでいる、ということです。
このままでは計画期間終了時点での最終報告の内容も容易に推測されるというものです。

 最近、商店街活性化を巡る議論は非常に少なくなっています。商店街活性化が中心市街地活性化になり、コンパクトシティになり、地方創生になり、「まち・ひと・しごと」になり、と言うように対象分野がどんどん拡大・抽象化されるにつれて商店街活性化はいっそう焦点がぼけています。

 タウンマネジメントの専門家として設置されているタウンマネージャーもその多くは都市計画方面の専門家で、空き店舗の活用、イベントの担当でお茶を濁しているのではないか。
ちなみに商業系のコンサルタントでタウンマネージャーに就いているという例は聞きませんね。

 商店街は商業施策だけでは活性化できない、という検証抜き、論証抜きの思い込みから取り組み範囲がどんどん広くなった結果、商業科成果は ONE OF THEM になってしまい、グダグダになっています。

 商店街立地の個店群が協働して自分たちの経営を再生し、街の活性化を牽引する原動力にする、という取り組みはまだ一度も取り組まれないまま、商業集積としての商店街の日暮れが近づいている、という今日このごろ。

既存個店の繁盛無くして商店街は活性化できない

 商店街を商業集積として再生する。
商店街活性化の目的ですが、この取り組み、何を頼りに進めれば目的を達成出来るでしょうか?
通行量の増大? 空店舗の減少? 
いいえ、違います。 これまで全国で実証済み。

  取り組みの頼りになるのは、今そこで営業中の個店群、そう、皆さんの店舗、売り場です。ショッピングの場としての魅力を備えた売り場が揃っていて初めて、来街者がショッピング客に変容します。
売り場が揃っていて初めて、来街者が売り場を買い回る回遊が起こります。
「売れる売り場」無くして商店街御活性化を実現することは出来ません。

 活性化したい商店街は、まず、既存個店群の売り場を「売れる売り場」すなわち「ショッピングを楽しめる売り場」に転換する取り組みに死にものぐるいでとりくまなければならない。
既存個店の売り場を充実させる、この取り組みに優先される事業はありません。

 ところが、主流となっている取り組みでは、この個店群・売り場の役割がまったく無視されています。既存個店は、店前通行量を増やして事業機会を増やしてあげたり、繁盛する店を空店舗に誘致して元気をもらったりする、支援対象と見なされています。
とんでもない無いことです。
シャッターの外側の事業で売り場の不備を補い、売上を向上させる、顧客を増やすことは出来ないということは、これまでの取り組みで十分確認されています。

 しかし、このことが教訓として共有されることはなく、多くの商店街では依然としてシャッターの外側で「活性化事業」が続けられ、来街目的となるべき個店売り場については、もっぱら個店の問題として放置されたままです。その結果、事業は昇華されるもののその成果が顧客の増加として蓄積されることはなく、個店の窮状は深まるばかり・・・・。

 商店街の商業集積としての持続可能性を再構築する、という課題への取り組みにおいて、最も頼りになるのは「売れずに困っている個店」群の存在です。
個々の企業の私的利害としての増収増益の実現・「売れる売り場づくり」骨取り組み、その結果「売れる売り場」が街区内で増えることがなければ、各種事業の結果として増えるであろう来街者を来街客に転化することは出来ません。

 通行量の増大による賑わい創出から個店の増収増益というこれまでの考え方から180度転換、「売れる売り場」の存在無くして「顧客創造」なし、という商業の基本に立ち返って、商店街活性化を牽引する唯一の原動力・個店売り場の「売れる売り場への転換」・個店の「増収増益の実現」を取り組みの基本に据えることが必要です。

 繁盛する個店無くして街の活性化無し。
これまでの取り組みからの脱却、これはこれまでの取り組みの錯誤に気づいた人が新しい行動を起こすことから始まります。
どう行動すべきか?
お問い合わせは当社まで。

コンパクトシティと商店街活性化

コンパクトシティと商店街活性化
: 2005/07/08(Fri) 07:50

このところにわかに持ち上げられてきたコンパクトシティですが、これは、先に検討した九州経産局のテキストにもありますように、「中心市街地活性化法」の守備範囲よりも上位に位置する概念、総合計画に掲げ、都市マスに降ろして実施計画に至る、というレベルに関わる概念です。

コンパクトシティにおける「中心市街地」と「法」の「中心市街地」では微妙に範囲(指定する要件)が異なり、さらに推進のために達成すべき目標も多岐にわたりますから、事業メニューも大きく異なってくるはずです。
「法」はあくまでも中心市街地の商業地に立地する商業機能の活性化を目的にしたものであり、「コンパクトシティ」を推進するスキームではありません。

  では国のレベルで「法」に変わるコンパクトシティ推進のスキームが準備されているかと言えば、それはありません。
つまり、コンパクトシティについてはこれからスキームが構想される段階だ、ということになります。

  コンパクトシティと商店街活性化、両者の関係をどう考えておくべきか?
この関係を誤解すると、
①商業活性化のツールとしてコンパクトシティを位置づける
②コンパクトシティ推進のなかに商業活性化を埋没させる
という間違った取り組みが生まれかねません。
どちらに転んでも商業活性化、コンパクトシティの実現双方ともに失敗してしまいますから要注意です。


●青森市の事例 2005/07/12(Tue) 08:53

ブラウジング中に発見したブログで取り上げられていました。
『商店街再生を考える』

  作者の岩澤さんは関東学院大学経済学部の先生です。
私は『商店街活性化と街づくり』(白桃書房)という本を読みました。
「まちづくり」とされていないところがいいですね。

 青森市の事例
7月7日付け日経新聞の引用だそうですが、ここに紹介されている「活性化」施策はどれを取っても、「わざわざ商店街に出かけなければならない」目的を充実させる、作り出すという真っ正面の事業=「ショッピングモールとしての再構築」を目指しているものとは思えません。

  ということは、商店街ぐるみでショッピング目的の来街者が増えるような事業に取り組んでいるわけではないということです。物販以外の来街目的を整備充実することで街区の通行量は増えても、それは商店街にとっては単なる通行人、通過者にすぎない、という結果になることは自明です。
つまり、「これらの事業に取り組んだ結果、商店街に立地する既存個店の入店客・買い物客が増えた、すなわち、商店街(商業機能)が活性化した、という成果は挙がっていないと思います。
(もし成果が挙がっているとすれば、個店レベルの「店づくりの革新」に街ぐるみで取り組んだ成果としてしかあり得ない。その取り組みが伝えられない以上、商業機能の活性化は実現されていない・・。
ということが推測されます。

 通行量を「来街客」にするためには、商店街・個々の店舗が取り組まなければならない課題が別のところにある、ということです。

 通行者は多いが来街客は少ない、という例は全国にいくらでもあります。
なにもあらためてみなさんの街でわざわざ追試・追認する必要はありません。
商店街はものが売れてこそはじめて存在価値があり、商業者は文字通り「売れてなんぼ」ですからね。
売れてなんぼなら売れる工夫をしなくてはならない。
もの余り/店あまりになれきっている人たちを物販機能以外の魅力で集めてものを買ってもらおう、という構想自体が大きく時代にミスマッチ状態。
もの余り時代にものを売るのだ、と考えれば、「通行量」などはあてに出来ない、ということが自づからの結論ではないでしょうか。

  上で紹介したブログには、「コンパクトシティ」について概観した記事も載せられています。参考にさせていただきたいと思います。 皆さんも是非どうぞ。


●コンパクトシティを建設する2005/07/12(Tue) 10:43

思考実験です。

更地にコンパクトシティを建設するとしたら・・、と考えてみましょう。

1.コンセプトの作成:
 「コンパクトシティ」の理念を踏まえて、建設しようとするコンパクトシティのあるべき姿を描く

2.機能の設計:
 コンセプトを具現するために必要な機能を列挙、規模や下位機能などを構想、設計

3.ゾーニング
 施設・機能の配置計画

4.建設計画
 建設の優先順位の決定、着手・・・・

というように進んでいくことでしょう。
このとき。
商業・物販機能の順位は相当高いことが推測されます。
この計画における「物販機能」の実現(建設)されるあるべき姿は、
1.コンパクトシティのコンセプトを上位目標としながら
2.都市における「買い物の場」のあるべき姿を構想、実現する
ということになるはずです。

商業機能は、コンパクトシティ全体のコンセプトを「買い物の場」としてのあるべき姿、として実現されないと、コンポクトシティそのものが実現しません。たとえば。
①買い物の場が設置されないと、市外へ買い物に出かけなければならない・・・コンパクトシティという概念に矛盾する
②買い物の場が設置されているが、コンセプトに合致していないという状況でも、①と同じことが発生する。

ということで、コンパクトシティにおける商業施設のあり方は、コンパクトシティが対応しようとしているライフスタイルに合致する機能を備えて置くことが必要です。
このことはあらためて申し上げるまでもないことでしょう。

では、既存市街地がコンパクトシティを目指す場合はどうか?
①コンセプトの策定:
 当該市街地が実現を目指すコンパクトシティのあるべき姿を描く

②機能・施設の改革
 既存施設、機能などのコンセプトを基準とする評価。コンセプト基準による改革・改善の計画~実行

③ゾーニング:
 コンセプト、基本方針に基づく機能配置

④実施計画
 各機能整備の優先順位、実施時期等の計画

⑤整 備
 各機能・施設等の改革・改善、新設など

というように進んでいくことが考えられます。
この場合、「商業機能」である商店街についてはどう考えるべきか?

もちろん、コンパクトシティの「あるべき商業機能」を担うべく、改革・改善されなければならない。
そうしないと「コンパクトシティの物販機能」としての役割を果たすことは出来ません。

●コンパクトシティへの転換2005/07/12(Tue) 10:56

では次に、既存市街地がまちづくりの基本理念として「コンパクトシティを目指す」という場合について考えてみましょう。

①コンセプトの策定:
 当該市街地が実現を目指すコンパクトシティのあるべき姿を描く

②機能・施設の改革
 既存施設、機能などのコンセプトを基準とする評価。コンセプト基準による改革・改善の計画~実行

③ゾーニング:
 コンセプト、基本方針に基づく機能配置

④実施計画
 各機能整備の優先順位、実施時期等の計画

⑤整 備
 各機能・施設等の改革・改善、移設、新設など

というように進んでいくことが考えられます。

この場合、「商業機能」である商店街についてはどう考えるべきか?

もちろん、コンパクトシティの「あるべき商業機能」を担うべく、改革・改善されなければならない。
そうしないと「コンパクトシティの物販機能」としての役割を果たすことが出来ません。

●コンパクトシティの商業機能2005/07/12(Tue) 11:08

  いうまでもなく、コンパクトシティは、立地する地域における地域経営の中枢として、広範な住民に対するサービス機能を受け持ちます。

商業機能もその一環として位置づけられるべきものであり、
①コンパクトシティの住民に対して「買い物の場」を提供する
②広域の住民に対して「買い物の場」を提供する
という二つの役割を担うことが必要です。

当サイトの用語で言えば、
①を担うのが「コンビニエンスマート」であり、
②を担うのが「ショッピングモール」ということです。

詳細はあらためて述べますが、以上でおわかりのとおり、コンパクトシティを目指す、といったとたん、既存の商業機能=商店街は、「コンパクトシティのあるべき商業機能」を目指して自己変革を遂げなければならない、ということが明らかだと思います。

商店街活性化を放置というか、イベントその他で荏苒時を過ごしつつ、コンパクトシティが実現する~[まちなか居住]が増えれば何とかなる、といったシナリオは実現できません。


● もし商業者がサボったら2005/07/12(Tue) 16:51

  つまり、商業者がコンパクトシティの非物販機能が整備されれば、その結果「まちなか居住」が増える、通行量も増える、その結果商店街の売り上げも増える、などと考え、物販機能の充実という本来業務をサボり、一日千秋、コンパクトシティの整備を待っていたりしますと、コンパクトシティそのものが成立しなくなります。

  居住、非商業分野の都市的サービスは充実しても、「買い物の場」が整備されなければ、「まちなか新住民」は、買い物が出来るところまで・コンパクトシティの外まで買い物に出かけなければならない。
もし、行き先がショッピングセンターだったりすると、これはもう、マイカーの出番ということになり、コンパクトシティの内部は郊外への買い物流出で交通混雑、ということになりかねません。

 商業者が店づくりを「転換」することで獲得する新しい事業機会については、これまでも繰り返し述べてきたところですが、今回、煩を省みずもう一回(笑
ウザイとお感じの人はどうぞ無視してください。

■コンパクトシティ論に埋没するなかれ
: 2005/07/16(Sat) 10:27

①中心市街地の商業が空洞化したのは、中心市街地の人口が空洞化したからだ、というでたらめな因果論に基づき、

②中心市街地の商業活性化は中心市街地の人口(居住と交流)を増大することによって可能である、と主張する一派がありまして、

③商店街活性化、取り組むべき課題は人口増大策を推進することである、ということで、

取りいだされたるは「コンパクトシティ」構想。

商業と人口に関するこの派の考え方のでたらめさは現下の商業の実態の中からいくらでも反証を指摘することが出来ますが、ここでいくら批判しても彼らが考えを変えることはありますまい。

ここでいわなければならないことは、上のような論理(?)をもってコンパクトシティ路線を採用したら、商店街はどうなるか?ということです。
ちょっと考えておきたいと思います。

●コンパクトシティとは2005/07/16(Sat) 10:38

  これは、いずれこのコーナーで詳しくやりたいテーマですが、今はその時期ではありません。

ここで紹介する「コンパクトシティ」は、もっぱら「中心市街地活性化」策として主張されているものです。

簡単に紹介しますと。

①空洞化し、地価低落、取得しやすくなった状況を踏まえ、行政、医療、福祉、ビジネス、観光、居住などの都市機能を都市中心部にコンパクトに再ゾーニングする。
②取り組みが進めば定住&交流人口が増大する。
③中心市街地に人通りが増える
④商業が活性化する

というのがコンパクトシティ派=人口依存派の論法です。

注目しなければならないのは、この構想において「商業」については何ら積極的な施策が考えられていない、というところです。
「商業は人口に依存する」と理解している彼らにとって、首尾一貫しているといえば一貫している訳ですが、では人口が増えれば本当に商業は活性化するのでしょうか?

●商店街の空洞化は人口減が原因か2005/07/16(Sat) 10:53

まずは標題について。

中心市街地の居住人口の減少は地域住民の中心部から郊外への漸進的かつ小範囲の転居によるもの。商店主の間で進められた職住分離、郊外への居住機能の移転もその一端ですね。

では、居住人口の減少が中心市街地の商業=中心商店街の空洞化をもたらした原因なのか、といいますと全然そうではありません。

以前も当時も中心商店街の「商圏」は中心市街地にとどまらない、隣接市町村を含む広域でした。中心市街地居住者の移転先は元もと中心商店街の商圏内だったわけです。何しろ商店主の皆さんを始め「通勤圏」内での転居ですから。
商圏内での転居ということは、買い物行き先は(もし他によい行き先がなければ)従来通り、中心商店街となるはずです。
他に行き先がなければ多少遠くなっても従来通り中心商店街まで出かけてくることになります。
これはごくふつうのことです、何しろ中心商店街の商圏は自治体の境界さえ超えていましたから、同市内の郊外住宅地は昔から中心商店街のお得意さんだったわけです。

したがって、住民の郊外転居によって都市中心部の人口が空洞化したことが、中心商店街の空洞化の主因である(だから人口を増やせば商業は活性化する)という説明はオカシイ、ということが明らかです。

中心商店街の空洞化は他の理由で説明されないとつじつまが合いません。
つじつまが合わない理解に基づく人口依存に期待すると大変なことになりかねません。

●空洞化をもたらした買い物行き先の分散2005/07/16(Sat) 11:09

では、本当は何が中心商店街を空洞化させたのか?

これは簡単。
他に買い物行き先が出てきたからです。(ここは簡単ですが重要なところです。)

人は、売られている場所=商業機能がなければものを買うことが出来ません。行動圏内に自分にふさわしい買い物行き先が一カ所しかないとしたら多少不満があってもそこで買い物する以外に選択肢はありません。中心商店街が栄えた時代というのは、住んでいる近くの店・最寄りの商店街では物足りないという買い物の一括受け皿だったのです。

量販百貨店の登場でこの条件は大きく揺らぎました。
量販百貨店、はじめは商店街の一隅に出店して既存店群と競合し、やがて駅裏や工場跡などに移転して中心商店街と「集積間競争」を展開しました。このプロセスで量販百貨店は専門店などのテナント群を抱え込みました。
商圏内のお客の多くが量販店に買い物に行くようになりました。

やがて郊外にカテゴリーキラーの登場、規制緩和による大型SCの展開競争と都市の商業機能の郊外への立地が進むにつれて中心商店街の空洞化はさらに深刻になったわけです。

このように、中心商店街の空洞化の主因は人口の減少によるものではなく、人々の購買行き先の変化による、と考えなければならない。
いくら人口が郊外に移っても他に買い物行き先がなければ相変わらず人々は中心商店街にショッピングに来ているはずですからね。

逆に言えば。
もし、郊外から中心部への転居を促進しても、中心商店街が今と同様、買い物行き先としての機能を空洞化したままだったら、転居してきた人たちはこれまで通り、郊外へショッピングに行くことになります。
現状のままの(機能が空洞化している)商店街が新居住者のショッピングの受け皿になるということはあり得ません。

●新居住者をあてに活性化?2005/07/16(Sat) 11:54

もちろん、「人口依存」派は、新しい居住者の消費購買ニーズの受け皿として既存の商業者だけをあてにしているわけではありません(この点は特に重要ですから、彼ら自身の主張を直接確認されることをお勧めします)。

人口依存派は人口が増えればそこに新しい商業が張り付いてくる、と考えています。これはどうでしょうか?

①新しく登場する商業は、郊外型でのショッピングに習熟した新住民を対象に「買い物行き先の転換」を促していくことが戦略課題です。

②この戦略を展開出来る新商業者はいったいどこから現れるのか?
誰がその準備をするのか?

③新商業者は「(人口理論に基づけば)出現するだろう」という自然発生期待ですから、たとえ進出したとしてもそれぞれの都合による出店であり、彼らがいう「新陳代謝」なるものが一定時期に進むとは考えられません。

④もちろん、ある程度の新商業者の登場は予想されるところですが、彼らが空洞化し、かつ、老朽化している商店街の街並みを新開業の立地として選択するかどうか、はなはだ疑問です。

というように、人口依存派が描く「コンパクトシティの推進で中心市街地(の商業の)活性化」というシナリオはとうてい実現することのない絵空事だと思います。

コンパクトシティ、店前通行量依存でやってきた商店街関係者には確かに魅力的な方向かも知れません。しかし、考えてみれば全盛期の店前通行者はそのほとんどが商店街の買い物行き先としての魅力が引き寄せた「買い物目的」のお客さんでした。お客さんはどちらかといえば中心市街地からよりももっと他の広い範囲からのお客さんの方が圧倒的に多かったはずです。

コンパクトシティが作り出すという新しい住民が既存の商店街の店前通行客になり、個店のお客になってもらうには何をなすべきか?
課題は、新住民を対象に新規出店を目指す人と全く同様です。
郊外のショッピングセンターでのショッピングに習熟した人たちにショッピングセンターよりもこっちで買い物した方が満足できる、と評価される店づくりに取り組まなければならない。

この店づくりに成功しない限り、新住民が皆さんのお店を使うことはありません。他方、新住民が気に入って使ってくれれば、同じようなニーズ(郊外のショッピングセンターでのショッピングでは飽き足らない)を持っている鴎外・市外の人たちもあらためて中心商店街にショッピングに来てくれるようになることでしょう。

  このように考えてみると、なんのことはありません。
中心商店街立地で繁盛したかったらコンパクトシティ実現の有無に関わらず、「ラグジュアリィ志向への店づくりの転換」に取り組む以外に確実な方法はない、ということです。
新出店、既存店を問わず、ラグジュアリィ志向でないと中心市街地での商売は無理、ということは人口がいくら増えても言えることです。

  コンパクトシティ派及びそれに追随する主張がだめなのは、人口が増えればその結果として商業は活性化する、と根拠もなく唱えるばかりで商業活性化策を何ら提案していない、というところにあります。
私はここで「人口が増えてもそれが自動的に商業活性化につながるものではない」ということを示しました。
私の説明を納得した人は同時に人口依存派の商業に対する理解の貧弱さを確認されたことと思います。

 中心市街地活性化の手段としての人口依存派によるコンパクトシティの提要などには一切期待することなく、自力でお客を引き寄せる「魅力づくり」、「商店街のショッピングモールとしての再構築」に全力で取り組んで行くことが唯一、確実に繁盛に至る道だということをあらためて確認してください。

  もちろん、長期的にはコンパクトシティは都市経営の大きな目標の一つですが、これについては、現下の中心市街地活性化ー商業機能の活性課と同列に論じることは出来ません。
コンパクトシティは、ポスト工業化社会=時間堪能型社会の文脈で考えなければならない重要課題です。
これを中心市街地活性化のための人口増大策=マンション開発、病院移設など、「箱もの」いじりのレベルで考えていたら、「こんなはずじゃなかった」とほぞをかむことになる。
そのとき困るのは「目から鱗が落ちた」代わりにアワビの殻をくっつけた地元。

■コンパクトシティ
: 2005/07/17(Sun) 10:40

  この概念は、以前にも書いたように、きわめて理論的な背景を持っています。
グローバリゼーション一辺倒では実現できないし、スローフード的ナショナリズムでも無理です。

とにかく。
拡げすぎた、今度は縮めて見よう、という着想にとどまっていては実現できません。
都市経営の2大領域、所得機会の確保と生活条件の持続・充実をどう整合的に推進するかということに密接に関わること。

問題はもっと多岐に渡り・かつ、深刻、かつやりがいのあることですから、興味のある人はブログへどうぞ。

●中心市街地とコンパクトシティ2005/07/20(Wed) 15:51

紛らわしいですから要注意。

中心市街地:都市中心部の街区のうち、「三要件」に合致する地域。すなわち、商業街区。商店街地区のこと。

コンパクトシティ:中心市街地よりも広い概念。三要件で言えば、1の「集積要件」に合致する街区全般(特に「趨勢要件」は関係のない街区も含む)。
すなわち、商業街区のみならず行政、文化、医療、交通、居住、などなどの都市機能が生活環境としても優れたコンパクトな範囲にゾーニングされている都市の中心部を指す。

ということで、中心市街地とコンパクトシティ、混同すると前にも書いたように方「法」の目的である「中心市街地の商業機能の活性化」がコンパクトシティの人口問題に埋没してしまうので、十分な注意が必要です。

多くの論者が、「法」の中心市街地における定義を理解しないまま、商業機能の活性化というメインの課題を歴史・文化の活用、観光資源の活用などとone of them ととらえていたケースが余りにも多かったと思います。
スキームを良くチェックすると、歴史文化の活用、観光資源の活用は「商業機能の活性化」の手段の一つとして利用することが例示されているのだ、ということが分かるはずです。

「法」のメインは中心市街地(狭義の)の商業機能の活性化であり、その他の取り組みはこれを補強・補完するものです。

コンパクトシティ論とのからみでは、前にも書いたとおり、こちらは都市中心部(広義・常識的な中心市街地)に集積されている多様な都市機能のあり方について考えるわけですから、間口、所要期間がどうしても長くなります。
緊急に手を打たなければならない商業機能の活性化という課題をコンパクトシティのスキームに移すと、とんでもないことになります。コンパクトシティ化が推進されれば、その結果として商店街は新陳代謝が進み活性化する、などという言説に惑わされてやっぱ、小売業は人口だからな、などと考えないこと。

この傾向はこれから一時的に強まることが予想されますので、十分注意しておきましょう。そっちに流されると商店街はその時点でおしまいへの道、となります。

●関連記事2005/07/27(Wed) 07:13

【繁盛店づくりフォーラム】

  おなじみ、藻谷さんの「商業=街の花」論、人口が増えれば商業は活性化する、という考え方の批判のなかで、コンパクトシティと商業機能の整備について考えています。

 結論を書きますと、
コンパクトシティを推進するにあたって、中心市街地における物販機能の再構築は避けて通ることの出来ない課題だ、ということです。

街づくりの全体は計画できない

 私どもが大きな学恩を受けているアメリカの建築家クリストファー・アレキサンダー教授は、『街づくりの新しい理論』のなかで概略次のようなルールを述べています。

※基本理念:全体は成長し現れるものであって、計画できるものではない。

※成長のための七つのルール

1.漸進的に成長させる
2.大きな全体を成長させる
3.ビジョンをもって成長を導く
4.空間を価値あるものに
5.大きな建物の内部プランは周囲との調和を考慮する
6.施工法はビジョンに従う
7.中心を作る

このルールは、そのままま、商店街の商業集積としての再生(コミュニティモール)に応用することが出来ます。
商店街の場合、その基本的な性格・「そこで何が行われるか」ということは、来街するショッピング客の行動、ひいては各個店群の店づくり・売り場づくりに依存します。

 誰もモールの品ぞろえの全体を計画することは出来ません。これは個々の売場で仮説ー試行錯誤し、実現していく以外にない仕事です。またこの仕事には終わり,完成がありません。お客の生活は変化し、消費購買行動も変化します。売り場づくりも繁昌を持続するには変化し続けなければならない。

 モールのモールらしさ、究極のところ、個々のお店の品ぞろえ・店づくりの全体として実現されます。。
私どもが主張する商店街活性化=コミュニティモールへの転換が「売り場づくり」という個店の挑戦から始まっている理由は、ここにもあるわけです。

「売れる売場」はなぜ作れない?

そこが何であるかは、そこで何が起きているかで決まるとすれば、ものが売れてない商店街は,早晩商店街では無くなる。
「ものが売れる」とは商売を持続出来る、再投資の原資を確保出来る売上を維持出来る、ということ。

商店街を商業立地として存続させるには、「ものが売れる」状況を作り出さなければならない。これが商店街活性化の第一の目標である。
すると、第一着手は「既存の売れない売り場を売れる売り場」に変えること。
商店街活性化の核心課題は「売れる売り場づくり」だ。

住む人来る人が増え、通行量が増えても,「売れる売り場」が無ければ消費購買行動は増えない。商店街は商業機能を維持出来ず、衰滅趨勢から脱却出来ない。
売れる売り場あっての商店街、と知れ。

というあたりを前提にしながら、各地で取り組まれている「商店街活性化事業」を見ると、一言で言って「売り場の外で立ちすくんでいる」という状態。
売れる商店街を担う「売れる売り場づくり」に取り組む事業はほとんど無い。
商店街の存在意義=消費購買行動が行き着くべき場所・「買える売り場=売れる売り場」を作る仕事はもっぱら個店オーナーの役割とされている。

経営の将来的継続が危ぶまれる状態にある個店が、独力かつ自発的に現在の売り場を「売れる売り場」に変えていく力を発揮出来るだろうか。
これは難しい。出来るならとっくに取り組んでいるはず。


なぜ、商店街活性化は一丁目一番地・売れる売り場づくりに取り組めないのか?
活性化事業はなぜ個店売場の前で立ちすくむのか?
二つの理由が考えられる。
第一に、売り場は店主にとって聖域である、という考え。
第二に、「売れる売り場の作り方」の論理と技術を持っていないということ。

二つの理由は不即不離。
同時に対面することで解決法が得られる。
我々の経験からすると、第一の理由は鞏固なものでは無い。第二の理由が解消すれば霧消すると言ってよい。経験的に問題は「売れる売り場の作り方」の獲得だ。
獲得出来れば、取り組みは個店売場へ入っていける。


で、「売れる売り場の作り方」は我々が試行錯誤的に開発、手中にしている。商店街活性化、買い物行き先としての存在意義を実現する「売れる売り場づくり」は、その気になりさえすれば明日からでも取り組める条件が整っている。後は決断あるのみ。

思うに「売れる売り場づくり」の術式を持たなければ、「売れる売り場づくり」という課題に想到することは出来ないのかも知れない。
業種業態を問わず共通する「売れる売り場づくり」の術式を持っていればこそ、それが解となる問題に到達することが出来るのかも。

とは言ってみたものの、「売り場が問題」と分かっている関係者はいないと思う。
問題が分かれば、術式を持たなくても「勉強しよう」という取り組みが提唱されるはず。まったくもって提唱されないのは「売り場が問題」ということに到達していないということ。通行量を増やせば売り場が売れる・レベル。

中心市街地活性化基本計画が終了した都市、事業は消化したものの,商店街の商業集積としての再構築=売れる売り場の集積としての再構築は手つかず状態。ここからあらためて再スタート出来るものかどうか。

コミュニティモールプロジェクトを採用すればOKですけどね。

空店舗活用か繁盛店づくりか

中心市街地活性化も商店街活性化も、例外なく取り組まれているのが空店舗活用事業。
商店街に対するアンケート調査で【困っていること】の上位にランクされるのが空店舗問題。これを解消するために取り組まれるのがこの事業ですね。

 新規の出店者に対して改装費や一定期間の家賃を補助し、その間に店舗のファンを作って定着してもらおうという仕組み:
1.商店街立地の借り手の無い空店舗に
2.開店補助制度を作って
3.素人の出店希望者に出店してもらい
4.繁昌して商店街全体の賑わいづくりを牽引させる
という筋書きですが、果たしてそのとおりに運ぶものでしょうか。 やってみないと分りませんか?

 これまでのところ、出店者は確保出来ても、定着させることが極めて難しい。それはそうですよね。
特に勉強もしていない素人が補助金があるなら、と思い立って開店するのですから、それでうまく行くならみんな一度廃業して出直せばよろしい。
たいていは補助金が終わると同時に撤退します。
後に何か残ったかと言えば、それはどうでしょうか。

 その間営業中の各個店は、何の関係も無く粛々と自分の商場に専念しています。

 空店舗活用より効果的で切実なのは営業中の店舗の活用です。空店舗を埋めるより、折角営業を続けている店舗の経営を支援する方がよほど効果があるのでは無いでしょうか。

1.営業中の店舗の売り場づくりに取り組み
2.増収増益を実現し、持続可能性を向上する
3.街全体の買い物行き先としての魅力を高め
4.空店舗への出店を促し集積性を充実させる
ということになれば、個店の増収増益と街の商業集積としての活性化がいっぺんに実現される、一石二鳥です。

 商店街の状況からすれば、当然この取組の方が優先順位が高いはずですが、ほとんど取り組まれていません。
一、二年は取り組まれますが、街なかに波及していく前に補助事業終了と同時にお終い、というケースがほとんどです。

 これではならじ、と3z~5年間というスパンで繁昌店づくりに取り組むことをメインに据えたのが【コミュニティモールプロジェクト】です。取り組むと決めたら3~5年間は継続して取り組み、繁盛する個店をドンドン増やし、それを見た部外から新規出店者が登場する。

 そうなれば空店舗の利用について、こちらから業種業容を指定できますからね。テナントミックスが進みます。

 空店舗事業は主として行政の事業のようですが、空店舗を埋めたからといって商店街の商業集積としての機能の充実は実現できません。

 空店舗埋めより繁盛店づくり。
正論ですが、実現するには役所をその気にさせなければならない。
理事長さんの腕の見せ所、弁舌の利かせどころです。

中心市街地活性化の起死回生

 中心市街地活性化については、ご承知のとおり、目標を達成する計画がきわめて少なく、しかも部分的に目標を達成しても活性化の実現にはほど遠いという状況が続いています。
もう一度読売新聞の記事を紹介しておきます。
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基本計画の期間が終了して目標を達成できなかった都市のポスト基本計画の取り組みとしては、当社が『コミュニティモール』を提唱しているところです。

 内閣府の中心市街地活性化推進室のホームページを見ますと、まだ基本計画に取り組んでいる中心市街地も少なくありません。29年度に認定された計画をチェックしましたが、内容は相変わらず。このままでは確実に今までの基本計画と同じ末路をたどります。目標未達、または目標は達成したが活性化は実現できなかった・・・・。
基本計画推進中の中心市街地活性化はどうすれば良いのか?

 答えは簡単。
基本計画第七章「・・・経済活力の向上のための事業および措置」の各種事業を一体的に推進することで実現を目指す『一体的推進の目標』として『コミュニティモール』を掲げること。
モールを基準に事業群を見直し、必須事業を新たに組み込むこと。すなわち、既存個店群のモールの担い手としての業容改革、「売れる売り場づくり」を最優先課題として組み込むこと。これで中心商店街・商業街区の活性化=商業集積としての再構築は実現に向けて確実に進むことが出来ます。

 あらためて考えてみると、全店舗の2~3割を占める空き店舗については、統一目標抜きの活用計画がありますが、残り8割の営業中の店舗についてはほとんど何の施策も講じられていません。中心市街地活性化への潜在的な活用資源、磨けば輝くダイヤモンドの原石に何の手も加えない、という恩は全くおかしな話です。

 ということで、当社の「コミュニティモールプロジェクト」、基本計画活性化の必須コンテンツとして提供したいと思います。
基本計画に関わっておられる人,連絡をお待ちしています。

商店街活性化と部外者の意見

 商店街活性化について議論するとき、必ず参加を要請されるのが「消費者代表」。
「買い物の場」をどのように作りあげるべきかという問題を話し合うとき、そこの利用者である消費者の意見を聞くという方法はいかにももっともそうであり、合理的なように見えます。
しかし、果たしてそうでしょうか?

 いつも申しあげているように、消費購買行動はその目的(「客相」として3つに分類するのが当サイトの主張ですね)によって、行き先へについての期待が大きく違います。どのような客相をターゲットにするか、ということで商業集積が整備する機能とその中身は大きく変わります。

 商業集積のターゲット(顧客相)を決めて、ターゲットのニーズに合わせて様々な機能を整備する、という仕事は大変専門的な仕事であり、「仮説-試行-評価」という作業を繰り返しながら進めることになります。特にラグジュアリィモールという、我が国ではこれまで余り実例の無い集積の場合はなおさらです。

 この仕事を進める上で大切なことは、誰であれ、「理論」や「仮説」を踏まえて意見を出さなければならない、ということ。来街目的について話している最中に「店前通行量」の増大策について話をされては困る、と言うことですね。
 したがって、議論の前提として相当な予備知識が必要になります。

 もちろん、消費者代表を入れるな、と言うことではありません。消費者代表であれだれであれこの仕事に参加する人は、共通の理論的立場に立っているということが必要です。
つまり、理論を装備してもらわなければならない、消費者代表ではなく、商店街活性化に参加する一人の専門家として参加してもらうことが必要です。

 そもそも、消費者が「私たちにはこういう商業集積が必要だ」という明確な意見を持っている、と考えることが間違いです。
「消費者王様」、消費者代表の意見を尊重した計画を作ったとしても、実現した暁に彼または彼女がそこを「買い物の場」として活用するかどうかは別問題です。さらに彼または彼女はそうしてくれたとしても、彼または彼女が代表?である地域の消費者が同じような行動をとってくれることは全く期待できません。

 コンビニエンス・ストアを考えてみましょう。
県内に一店もコンビニエンスストアが無い時点であなたのまちで消費者アンケートをしたとしましょう。「24時間オープンしているミニスーパーを開きたいと思いますが、夜中に買い物に来てくれますか?」
アンケートの結果に頼っていたのではコンビニエンスストアは今でも出現していないかも知れません。

 消費者代表やアンケート調査、「商店街に欲しいもの」と聞かれると駐車場とかイベントとか答えてくれます。よくご承知のとおり、そういったハードやソフトが完備している商店街で駄目なところは全国に掃いて捨てるほど有ります。何もあなた方のまちで失敗事例にプラス1、屋上屋を重ねる必要はありません。「消費者代表」(そもそもどうして代表なのか分かりませんが)、参加を要請すれば、それなりに意見を持っているし、意見を聞いた以上むげに無視するわけにもいきません。計画は玉虫色、限りなく「プラス1」に近づくことになる。

 消費者があなたの商売について、心血を注いで考えてくれるはずがない。聞かれたら思いつきでいろいろ注文はするけれども、いざ注文通りの街が出来上がったからと言ってそこのお得意さんになるとは、限りません。消費者代表、と言われたとたん、商店街とは物販施設、自分が商店街に出かけるのは、見て・選んで・買って・持って帰る商品があると期待できるから、ということをすっかり忘れ、何かしら「代表」という特別の立場で無責任に発言しているだけですからね。そういう話を真に受けないこと、事情でどうしても参加させなければいかない場合には、委員会だけ、間違っても作業部会に入れないようにしましょう。

 これは消費者代表に限りません。学識経験者、行政代表、会議所代表等々みんな作業部会からはオミットすべきです。作業部会に参加したもらうのはそれぞれの機関の実務担当者、一緒に仕事をしていくための土俵を協働で作るためです。

 商店街活性化、皆さんはプロですから「お客はこういうことを望んでいるに違いない」というところを洞察して店づくり・商店街の商業集積としての再構築に取り組んでいくことが仕事です。これから儲けさせてもらう相手である消費者に意見を聞こうなどとは虫が良すぎます。
消費者の期待を超える商業集積、消費者が「私たちはこういうお店、商店街が欲しかった」といわせるには、消費者の意見を聞いていたのではまず、ダメですね。

省思考と自力思考

 省思考とは、本来なら当然自分で考え・根拠づけて置かなければならないこ とをどういう訳かさぼることを言う私の造語です。
 会議では自分の頭でしっかり考え理解している訳でもない「活性化」「ニー ズの多様化」「構造改革」「デフレ」などなが空中を飛び交いますが、その意 味は、誰も明確には把握していない、したがって、会議の結果もそれが本当は何を意味しているのか出席者の誰にも分かっていない、ということが有ります。

 意味や根拠の分からないことは、自分の頭で考えて解明する・少なくとも自 分的には決着を付けておく、この当たり前のことがどうして出来ないのか、今 日はその原因の一つを考えてみましょう。
かって、小売(流通)業界では、「人類4,000年に及ぶ商売の歴史の精髄は米国で花開いている。商売とりわけ小売業はすべからく米国に学ぶべし」、と主張する先生がいて、一世を風靡しました。いま?さぁどうでしょうか。

 先生は、とにかく、「商売の原理・原則は米国にある、自分で考えてはなら ない、米国小売業に学べ、絶対服従せよ」、ということを盛んに主張していま した。
「自分の頭で考えるな、アメリカで見てきたことを実行せよ」、の一点張り、 「自分の頭と商業4,000年の歴史のどちらを信頼するのか」というような論法だったようです。今考えると本当に噴飯ないい草ですけどね。
 何しろ当時はなく子も黙る米国スーパーマーケットの全盛を眼前に見せつけ
れるわけですから、否応は無かったのかも知れません。「なるほど、4,000年
の歴史かぁ、なるほどなぁ」ということだったのでしょうか。
 では、米国では新しいビジネスはどこから生まれるんでしょうかね、先生?
と聞けば、全ては一瞬でガラガラと崩れ去る「権威」だったのですが。

 何しろ当時はアメリカで全盛期だったスーパーマーケット理論を直輸入、こ れがブレイクしたため、こういう理論?が飛ぶ鳥を落とす勢いだったらしい。
米国で、顧客にとって見やすく買いやすい売場づくりの経験則が、日本では4,000年の商業の歴史の精髄、小売業の原理・原則というふれこみであがめ られたのです。とにかく、商業者の4,000年に及ぶ歴史に裏打ちされた原理・原則ですから、「疑うな・信じて実行せよ」というわけです。

 考えるな、模倣せよ、なんでそうなっているのか、理由を考えるなどしゃら くさい、そんな暇があったら一つでも多く原理原則を暗記せよ、というわけです。現在の流通大手とりわけ量販百貨店のトップクラスはこういう教育?をたたき込まれていますからね。今頃になって「良いアイデアがあったら出せ」などとはムシの良い話です。

 ところで先生ご推薦の米国の小売業ですが、当時絶頂を極めていたスー パーマーケットはどうして米国で生まれたのか? 商業4,000年の精髄がど うして歴史・経験浅い米国に生まれたのか? こういう疑問は当時の流通 関係者、先生にも生徒にも全く浮かばなかったらしいですね。技術について も「どうしてそうしなければいけないか?」という疑問をもってはいけない、それは商業4,000年の歴史を疑うことだ、というような論調ですね。

 もちろん先生自身、そういうように考えていた節がありますから、技術の説 明も抱腹絶倒というのはざらです。(これは「省思考」には付き物の悲喜劇の パターンですが、いつかまとめて紹介しましょう。)

 米国では「お客の都合」にあわせて実現した工夫が先生にかかると「人類4,000年の商業の歴史の精髄」となるわけですから、そこからはなんの進歩もありません。卑近な例は「業態」という小売業の定義。詳しくは次号で説明しますが、今となっては(とりわけクオールエイド社の理論を学んでいる人には)とうてい信じられないはちゃめちゃな説明でした。

 米国でスーパーマーケットが誕生した経緯はあまりにも有名ですから、皆さん既にご承知のことですから割愛します。
 結論だけ言えば、既存小売業とお客の関係を、もっとお客に喜ばれる、支持される商売の方法はないか?という問題意識をもって観察し、自分の頭で考える人が問題を解決したビジネスモデルを発明する、というのが米国で新しい小売業の類型が出現するパターンです。もちろん、その背景には優れた(お客に支持される)ビジネスモデルを発明すればそれが商品になる、ということがあります。

 人類の商売4,000年の歴史などということでは、新しい業態が次々に生まれる由縁を説明することが出来ませんからね。とにかく売場第一線の即戦力育成という課題に対応するため、という側面もあったのでしょうがスーパーマーケット理論の根拠を「商業4,000年の歴史」に求めたため、自分の頭をってお客の立場で考える、ということを禁止しました。「ワーカー=人手」を作るのには効率的だったかも知れませんが、組織風土は話になりません。

 そういう「人材育成」をやって来た企業がこの期に及んで「知恵を出し合って難局を乗り切ろう」などと手のひらを返しても創業以来の風土はおいそれと変えることがはできません。全て、かけ声倒れ、という事態を幾度も目にしましたね。

 小売業では、各部各層こぞって「お客のプラスを増やし・マイナスを減らす」という問題意識を持っていないと、もの余り・人あまり・店あまり・企業あまり・という現状を突破していくことは不可能です。
 特にラグジュアリィへとシフトしつつある時代、お客と直接接する第一線の人たちの能力をどう活用するか、ということが大きな課題です。

 販売第一線の人材育成・活用、これは流通のみならず、日本経済再生の鍵を握っているといって過言ではありません。ラグジュアリィ対応はでもしか販売員では無理、もちろん、商業4,000年の歴史を背負った「ワーカー」などの手に負える仕事ではありません。小売業にとって販売職が高度な識見・技術を要する専門職となる日が来ています。

 この時期、「水道哲学」時代の原理原則は全て一度疑うことが必要です。
もはや省思考で自動的に反応する、ということで解決できる問題はないと考えるべき、あらためて自分の頭を信頼し自力思考の構造を再構築することが必要です。
 とりわけ、「商業4,000歴史」説及びそれに基づく「原理原則」に呪縛されている流通関係者は絶滅したわけではありません。経営・店づくりのそこここに生存、場合によってはいまだに猛威を振るっている可能性があります。

 自力思考と省思考、あなたの持ち場でも対決が必要かも知れません。

□理論とノウハウ  
        
 スーパーマーケットという業態が移入された当時、移入の根拠は、1.商売繁盛の根拠は「時流に乗ること」であり、2.今の時流は「スーパーマーケット」である、ということでした。その根拠としては、3.人類4,000年にわたる商業進化の到達は米国にあると(何の根拠もなく)主張されました。

スーパーマーケット業態の運営の技術は、商業技術の最高到達ということになり、そのノウハウは疑うことを許されない「原理原則」になりました。これは、我が国におけるスーパーマーケット業態の普及という当時の戦略課題への対応にはとても好都合だったと思います。「なぜこうしなければならないか」「なぜならば人類4,000年にわたる商業の精髄、原理原則だからである」疑うものは米国を見よというわけで、いちいち技術の説明をする手間が省けました。先生方も本気で「原理原則」だと思いこんでいたりして(w)
 当時の参考書を見てみますと、とにかく「考えるな・暗記せよ」一辺倒です。
 
  「時流に乗れ」ということもさんざん言われました。今、これから何が時流か、米国を見てくれば一目瞭然だ、ということでした。現場の人間はものを考えてはならない、というすさまじさですね。といっても私は当時業界にはいませんでした。
 後になって教科書を読んでみたらそういうレベルだった、ということです。とにかく、自分の頭よりも「おまえは自分の頭と人類4,000年の歴史、どっちを信頼するのか」という剣幕。「とあなたが言ってるんですよね、あなたの頭より自分の方を信頼しますよ、もちろん」といいたいところですが、先方は米国スーパーマーケットの隆盛という後光が差しており、こちらは素人ですからころりとだまされたわけです。

 これはもう、人材と言うより人での粗製濫造ですね。その結果どうなったか?
自分の頭で考えない、米国あるいは国内同業他社の動向ばかり気になる風見鶏的人材が輩出されました。前述したように、スーパーマーケットの店頭の技術を小売業の経営原則と勘違いしたスーパーマーケット業界およびその関連業界を席巻した「原理原則」は、たちまちほかの業種業態、関連産業にも普及してしまいました。

 スーパーマーケットの急速な発展期に先進事例であるスーパーマーケット全盛時代の米国の技術を直輸入したのはまあよいでしょう。問題はそのときのうたい文句、 前述のように、「人類4,000年に及ぶ商業の集大成」というのが導入の大義名分でした。 厳しい陣取り合戦、急速出店戦略にあわせて人材も促成というか粗製濫造というか、自分の頭で考えるな、原理原則を丸暗記せよ、頭を使うのは本部、店は筋肉を使え、という徹底した分業システムでした。

 この方式で鍛えられた人たちが今でも各社中枢にいそうですね。某社活性化への取り組みが話題になった頃、新経営陣が店舗を巡回、「どんどんアイデアを出すように」と叱咤しているのをテレビでみて暗澹たる思いがしましたね。
 組織の「原理原則」に照らせば、「頭を使う」ことを期待されているトップが「丸暗記奨励」の筋肉組に知恵を出してくれと言っているわけですから。
 こりゃ駄目だ、と思ったものですが、最近はどうなっているのでしょうか。

 小売業は、お客が「自分の生活を作り上げる」という問題の解決にもっとも適した商品あるいはサービス(つまりソリューションですね)を提供することが事業機会です。お客が実際に来店し商品を選定し購買を決定する、というプロセスを筋肉
で対応できる、ということは絶対にありません。にも関わらず、我が国では本部=頭、店舗=筋肉という考え方が支配的でした。
これは大企業に限ったことではありません。元々「指導者」が持ち込んだことですから、これは周り回って全商業界に蔓延することとなっています。

 米国の競争は「誰がお客から見てもっとも優れたソリューションを提供できるか」 と言うことを巡って争われています。現場は筋肉でOK、ということは全くありません。常に創意工夫が求められており、その工夫の基準はよりいっそうの「顧客満足」です。
 米国で「顧客満足」を基準に工夫し、成功し、売り場の(当時の)スタンダードとなっていた技術を我が国では「人類4,000年の商業の精髄」と言うことで暗記させました。この導入方法は我が国の「先進的」と言われるような企業に先を争って取り入れられましたからその結果たるや推して知るべしです。

 私は初めて米国商業の視察研修に参加したときこのことに気づき、大きなショックを受けました。本当に目から鱗が落ちるとはこのことだ、と感じたものでした。

 もの不足時代の余韻を残していた高度成長期までは筋肉路線でよかったかもしれませんが、今や成熟した顧客にマッチョだけでは通用しません。ところがお店のノウハウ、原理原則はその昔、「これが原理原則だ」と聞かされ、米国で成功しているという折り紙付きの方法ですから、受け入れやすいものでした。
 今ではいったいどうしてこういう方法でやらなければならないか、全く意味不明の「ノウハウ」、お客や新人から見れば全く意味不明の「技術」なるものが「人類4,000年の結晶」として売り場に居座っているはずです。

 お客はお店が気に入らなくなったらさっさと次の「買い場」を見つければよろしい。他方、みなさんは不振を打開するためにはこれまで「原理原則」と聞かされ、かってはそれなりに効果のあった「原理原則」、ノウハウを疑い、吟味し、必要により改革しなければならない。これは商店街のみならず我が国小売業の全業種・業態が今まさに共通して直面している大問題です。

 このような、商売上、いわば自分の血となり肉となっている「原理原則」を疑い、 必要によりこれと決別して新しい技術を自ら作っていく、ということが必要になっています。
 もちろん、なれ親しんでいる方法を捨てることは大変難しいことです。一朝一夕に出来ることではありません。やり遂げるためには、「なぜやり遂げなければならないのか」と言うことを爪の先ほどの疑念もなく理解しておくことが必要です。

 この「ノウハウ、原理原則の転換が必要だ」という確信を持つこと、そのためには「なぜ転換が必要なのか」と言うことをしっかり理解することが必要であることは言うまでもありません。かってのスーパーマーケットの技術が、お客の不便の解消、顧客満足の提供ということを基準に、従来の常識やノウハウを否定して、自分たちの知恵と工夫、お客の反応を頼りに作り上げられのと全く同じように、新しい時代のライフスタイルやお客の購買行動の変化を理解し、その理解にたって仮説と しての技術を作り、顧客の行動を基準に評価しながらさらに進化させていく、という取り組みが必要になっています。

「活性化」とは何がどうなることか?

■「活性化」というコトバ

様々な分野で使われていますが、どういう意味でしょうね。
そういえば「連坦」という都市計画用語も意味不明(W
連坦は連袂だろう、というのが私めの勝手な解釈、当サイトでは「袂を連ねて共同行動をとる」ということで、もっぱらこちらを用いていることはご承知のとおりです。

さて、活性化。
これはかねて辞書に載っていないコトバだと書いていましたが、ところが載っておりましたですね、これが。

講談社刊『類語大辞典』に【活性化】活気を失っている組織・産業・地域などを、活気のある状態にする。とありました。「商店街活性化」:活気を失っている商店街を活気のある状態にする、なるほど、日頃用いられている語感ですね。

しかし。
確かにこのような意味で用いられておりますが、もう一歩詰めておきたい。それは「活気」について。
同じ辞書を見ますと、【活気】元気に満ちあふれた雰囲気。
そうしますと、活性化とは「元気を失っている組織・産業・地域などを、元気な雰囲気のある状態にする・・・?

気を取り直して再び辞書をめくりますと、
【元気】健康で生きるための力がみなぎっている様子 とあります。
なるほど「生きるための力がみなぎっている様子」かぁ。

そこでもう一度。
「活性化」とはこのままでは生きる力を失いかけている組織・産業・地域などを生きるための力がみなぎっている状態にすること。・・・もう一歩です。

【生きる】生き物やある機能を持つものが、活動・機能する力を失わずにいる。
ん?、「失わずにいる」ってなんだ?
あ~めんどくさい、結局、生きる:本来の機能を保っている、機能している、ということですね。

この定義をもってもう一度「活性化」を考えてみると、
【活性化】本来の機能が衰えつつある産業・組織・地域などの機能を賦活させること。

【賦活 ふかつ】病的状態を健康状態にすること(『新明解』)
ということでしょうか。
ついでに
【再生】生物が失われた一部の組織や器官を生命力によりふたたび作り出すこと、また、人工でそのようにすること。
も近いですね。

これらをヒントに考えると、
【活性化】何らかの理由で機能が衰退している組織・地域などの機能を取り戻させること ということで、日頃用いられている語感にだいぶ近くなりました。
念のために「機能」も確認しておきましょう。

【機能】目的に応じて分化した働き(『新明解』」

では「商店街活性化」の定義をば。

【商店街活性化】買い物の場としての機能が衰えている商店街を買い物の場として再生させること。

ということでいかがでしょうか。
つまり、活性化とは日本語でいうところの「賦活」=病的状態にある組織・地域などの機能を回復させること、ですね。

「元気のある雰囲気」ではなく、本来の機能を回復・発揮することによって、その結果として「元気のある雰囲気」が生まれるのであって、「元気のある雰囲気」=からにぎわいを作り出すことが商店街活性化ではない、ということが明白でです。
人間と同様。
能が衰えている人が空元気を出したからと言って何がどうなるものでもありません。意欲があるうちに正しい手当をしないと手遅れになってしまう・・・。

買い物の場としての機能が衰弱している商店街でイベントをすれば、買い物の場としての機能が回復する、などということはありません。

商店街が「買い物の場」としての機能を衰弱しているのはなぜか?
その理由は当サイトご愛顧のみなさんにあらためて説明する必要はありませんね。

ということで、活性化というコトバ、たぶん、活性というコトバの字面に惹かれて誰かが使い出したのでしょうが、活性化=元気になる、と考えれば目的は「機能」回復であることが明白です。

商店街を本来の機能である「買い物の場」ではなく、別の用途に転用する場合は、商店街活性化ではなく、「街区の活性化」と呼ぶべきでしょう。中心市街地の機能である「買い物の場」としての機能をあきらめ、他の機能として再生する、ということです。

中心市街地活性化は、法のスキームではそこに立地する商店街など商業集積の活性化=買い物行き先としての機能を深津するのだ、という問題意識が無いまま、荏苒日を送っておりますと出来ることも出来なくなってしまいます。

以上、あらためて活性というコトバを考えてみました。
冒頭書いたように、このコトバ、たぶん、並の辞書にはまだ採用されておりません。ここで検討したとおり、使用するに当たっては、「機能回復」という意味をしっかりふまえて使わないと、「活気のある雰囲気」醸成なら何でもあり、になってしまいますから要注意です。

簿記はお好き?

小室直樹さんによれば、複式簿記が分からないと資本主義経済は分からない、ということですが、皆さん簿記は得意ですか?
私は出だしで躓いて以来、三舎を避けておりますが、それでも難癖ならいくらでもつけられる(W
先日、書店で立ち読みした本には、会計が世界経済を救う、みたいなことが書いてありました(W

簿記とは何か?
考えてみたいとおもいます。

●会計とは?

> 簿記とは何か?
会計計算のお約束ですね。

会計とは何か?
何でしょうね。

企業の数値的側面の表現などといわれますが、いろいろ問題があるのです(W

●会計の機能

> 企業の数値的側面の表現などといわれますが、いろいろ問題があるのです(W

複式簿記は企業の数値的側面の表現として妥当であるか?

数値は「企業の数値的側面」を本当に表現しているか?

この二つの問、答えはいずれも否、です。

●貸借対照表

  特定の時期における企業を数値で表現したもの。
考え方では企業そのものである、という立場もあり得ます。

用いられている数値は、貨幣単位。
企業を資産の調達と運用=経営活動の集大成としてその増減として表現する。

用いられる数値は、通貨の単位である「円」ですが、これが一筋縄ではいきませんから、企業の「資産」とはいったいなんだ?、そもそも会計ってなぁに?と疑問が噴出することになる。

●会計計算の実態

> こんな数字が資産総額のはずがない。
> まして企業の数値的表現のはずもない。
> 企業の実態なんか全然表しておりません。

と目くじらをたてても仕方が無いですよね(W

  さて、資産を次期以降の経営活動の原資だと考えると、大切なものが抜けています。マンパワーです。
企業の資産を表現しているはずの貸借対照表ではマンパワーの動向はまったく不明です。

  ちょっと考えてみましょう。
今期、店づくりの転換を推進するため、社員教育に50万円を支出したため、赤字が50万円出た企業と、景気が良くなるまで我慢しようと経費節減に努め、教育訓練費ゼロ、減価償却ゼロ、設備投資ゼロ、結果果、利益50万円を計上した企業と来期はどっちが期待できますか?

考えてみると、会計計算、企業の実態~将来判断にはあまり役に立ちませんね。

●去年の実績で今年の経営を判断?

 そもそも、企業会計の基本である「複式簿記」については、「いしくにみつけたコロンブス」=冒険貿易時代の口別会計マニュアルとして生成発展してきたものを、資本主義企業会計=「ゴーイングコンサーン」の期間会計に援用するという、今になった考えれば変な話ですが当時としてはまさか複式簿記会計が世界会計として行き渡るなどと言う展望は無かったでしょうから、ムリもありません。

もちろん、税務会計としての整合性はそれなりに備えていると思います。
しかし、現時点ではどこから見てもオカシイ複式簿記が企業の実態さらには将来の可能性を判断する客観的資料として位置づけられている。これは問題です。

複式簿記の背後には「セイの法則」があります。

●「セイの法則」

> 複式簿記の背後には「セイの法則」があります。

口別損益計算の手法である複式簿記を期間損益計算に援用し、作成・公開された財務諸表をもって投資の判断基準とすることが資本主義勃興期の投資家に受容されたのは、当時、市場として未開拓の市場が果てしなく潜在していた、つまり、新規投資により生産手段を近代化することで生産量を拡大・併せてコスト削減が実現すれば、新しい需要が喚起され・収益機会が拡大される、というそろばん勘定が成立しました。原初的な株式会社への投資は、このような可能性への投資だったわけですね。

当時の、B/Sの借り方=(左方=資産の部)のさらに左側には、「潜在市場(つまり、現在の価格水準では手が出ない人たち)」が誰の目にも明らかに存在していたわけでありまして、潜在市場さえあればこれはもう、新しい投資は(すむなくともトータルでみれば)市場拡大につながっていくことは火を見るよりもあきらかです。

故に、予想される期末B/Sの各種資産は、前期簿価よりも軒並み増大、-になることはまず有り得ない、というのが「潜在市場」を前提にした場合の企業経営の大勢だということになります。前期のB/Sが投資の基準になるのは、その簿価数値がどうであれ、今期の業績は「資産の部」<潜在市場という経済全体の趨勢を基盤にしているからだということですね。

「供給は需要を生み出す」というのは、「何故ならば無尽蔵の潜在市場があるから」というわけです。
これがセイの法則の前提条件。
この前提条件については、セイの法則を否定している流派もことごとく無批判的に前提にしており、セイの法則が成立する前提条件について論及している・思いが至っている経済学流派はほとんどありません。こういう人たちは、セイの法則を否定しているつもりで、いつのまにか「セイの法則の前提条件」を自分の理論的ポジションの基礎にしてしまっている。
中で珍しく、思い至っているのはオーストリア学派とか呼ばれているカール・メンガーただ一人だと思います。

当今の講壇経済学(つまり学校で教わる経済学)にはすさまじいものがありまして、実体経済とは全く関係がありません。ご本人達がそうおっしゃっているのをお聞きになった人もあろうかと思います。では、何のために経済学って有るのぉ、といいますと、これはもう、ひたすら、講壇経済学の市場を維持するための活動と総括して過言ではありません(W。
なんてったってこの時期、「中心市街地活性化」について何の提言も出来ない経済学なんか、ちゃんちゃらお菓子喰って、じゃなかった、可笑しくって。

余談続きで。
経済学を学んだ人たちが、経済関係に就職しますと就職当日から講壇経済学など全く役に立たないことを実務のなかで骨の髄までたたき込まれます。実体経済では講壇経済学は何の力も有りませんからね。「需給均衡」?何のこっちゃ。

  ところが。
講壇経済学履修者の中には、実体経済領域に就職せず、投資顧問、経済評論といった分野に行って活躍する人達がいます。この人達は講壇経済学に基づく、予測・批評が生活手段であり、かつ、キャリアアップのアナウンス効果ということを考慮すれば、なるべくはったりをかますことが必要ということで、有ること無いこと、ジャーゴンを最大限に利用しながら手当たり次第に「予言」「提言」をしています。外れて責任をとった、という人は見渡す限り皆無のようですが。
経済学に基づいているのか・いないのか、垂れ流される提言・予言、これがまた非・実体経済市場を経由して実体経済に影響する、というようにシステムが自然成長していますから始末に負えません。

う~む、話がいよいよ「簿記」を離れ、かつ、収拾困難になってきましたので、あらためて新スレッド「セイの法則」を立てて続けます。

「複式簿記」。
もう一度展開し直したいと思います。
中心市街地活性化~国民経済活性化への取り組みでは、複式簿記の批判的検討は必須課題なのです(W。もちろん、私のいう簿記・経済・経営等々に関する理論知識は、実体社会の活動にしっかり役に立ちますからね、暇がとれる人は是非おつきあいください。

「セイの法則」については、新スレッドで続けます。

商店街立地・独立自営地場小売業は粗利50%を目指す

●小売業は粗利50%を目指す
べきである、という話は未出でしたかしら。

  これは私のかねてからの持論、実現を目指している人たちの中から達成した、達成間近ということを聞くようになりました。
小売業の付加価値=社会貢献度の目安は粗利が一番、これからは粗利益率50%を目指さないと存続が難しくなると思います。

もちろん、これまで通りの働きで実現できることではありませんし、「こうすれば実現できる」という業界共通のノウハウがあるわけでもありません。それぞれの企業の条件を踏まえて実現を目指すわけですが、まずは、何故粗利50が必要か、というところから。

達成を目指している人、ありましたらよろしく。


●粗利50%の根拠

  まずは、何故粗利50が必要か、というところから。
特に演繹的な根拠があるわけではありませんが、企業者たるもの、収益の源泉は「付加価値」ではなく「価値創造」であるべきと考えれば、内製価値=全体価値の5割以上、というのは当然の帰結です。

というのは冗談ですが、商圏(営業活動範囲)が限られている小売業の場合、企業存続原資の必要額を粗利で確保するためには、5割確保は是非クリアしたい目標です。特に、中心市街地立地でラグジュアリィ客相指向で店づくりの転換を目指す場合は是非とも達成を目指したい。

達成するためには、店づくりの全体を転換しなければならない。
コンセプトを明確にし、品揃えにブレイクダウン(もちろんこれは仕入れアイテム選定~単品管理まで含みます。)、適時適切なサービスの展開、ラグジュアリィな環境提供などトータルの取り組みではじめて実現可能になることです。

この目標をクリアすること自体がラグジュアリィ対応と密接に関連しています。


個店不沈の法

とりあえず、議論の前提として読んでおいてください。

当サイトは金太郎飴、どこを読んでも同じことを述べていますが、それでも各テーマに即した記事をキャッチすると、そこからいろいろ着想が広がります。
お暇な折りには散策をおすすめします。


<投稿記事>●いやぁ、すごい

  これだけの情報、量もですが質も、大変勉強になります。
客相の商店サイドからの設定。
周りでなく我が店に来て貰う事を最大目標にする。
人口や環境を言い訳にしない!(笑)

  などなど改めて聞いてみて再び納得!でした。
う~む。だいぶ考え方も理解できてきたし
うちも少し取り組んでみようかしら・・・
よし。今年は実践の年にしよう。
takeo先生。また相談しますね。


●「売れてなんぼ」のはずなのに・・・

  売れてなんぼという世界では、実践で成果をあげて見せることが一番、中心市街地関係者をぜ~んぶ、まとめてびっくりさせてあげてください。

それにしても今どきの商店街、「売れてなんぼ」という当たり前?の発想はタブーのようですね(W
イベントなんか「取り組むことに意義がある」らしい。

●補助金の弊害?

 > それにしても今どきの商店街、「売れてなんぼ」という当たり前?の発想はタブーのようですね(W
 > イベントなんか「取り組むことに意義がある」らしい。

  これは商店街版「流動性の罠」です。
流動性とはつまり、お金のことですが、流動資産の中でも特にお金は、いつでも・どこでも・何とでも・交換できるという機能で他の追随を許しません。お金って、有ると便利・無ければ生きていけない・日持ちもOK、少々のことでは目減りしませんしね。
こんなにありがたいものはない、ということで、営利活動とはすなわち所有流動性を増大するための活動に他なりません。

 流動性(通貨)で商品を仕入れる・販売する・結果として流動性が増大する、というのが小売業の商売。小売業のモロモロの活動は、流動性を投資し・販売に結びつける、という一点を指向して取り組まれる。
つまり「売れてなんぼ」の世界です。

 さて、我が国では中小小売業、とりわけ商店街立地の小売業者の皆さんが取り組むべき流動性増大のためのモロモロの活動のうち、「公共性」というか、「消費者の利便」に連なると判断される部分については、いつの頃からか「補助金」が用意されています。

 補助金があるとどうなるか?
虎の子の流動性を一時的にせよ、支出=減らすことなく・あるいは別の方面に支出できる余地を確保しながら、たとえば販促など流動性増大のための活動が出来ることになりますから、大変結構なことでありますね。

  しかし、反面、自分の流動性の支出を伴わないため、「売れてなんぼ」=「支出の見返りは流動性の増大」というアニマルスピリットが希薄になったりすると大変です。
自己所有の流動性を減らすことなく・拡大出来るチャンスが舞い込むわけですから、絶好の機会として「売れてなんぼ」に徹しなければならないのに、自分の流動性持分に変化がないところから事業効果への判断が甘くなってしまったりする。あるいは、事業の効果を確保するために不可欠の店内外の仕掛けが、補助事業なるが故に連動できない。

  そうすると、言うまでもないことですが、事業の成果はどこにも現れることがありません。本来、補助金がなければ身銭を切って展開したはずの「売れてなんぼ」という活動に費やす時間を「補助事業」に向けたわけですから、この期間・活動に依拠する「売り上げ」はとてもじゃないが、よ~とれません。

 流動性持分を拠出することなく、(形だけとは言いながら)流動性増大を目指して販促などの事業が出来ることになれば、この方面で流動性を拠出する=身銭をきることがなんだかあほらしくなってしまいます。
やがて、補助金が付くなら取り組む、付かないなら止めとこ、ということが習慣になってくる、これは補助事業の成果に関係なく定着し得してしまいますから恐ろしいですね~。流動性を増やすことより当面手持ち分を減らさない方に価値感が移行してしまう。

 さらに進むと、補助金が準備されている事業を役所の意向を考慮しながら、「事業のための事業」ウケを狙って、というところまで「進化」する。やがて、補助精度がないと必要性の有無に関わらずな~んにも出来ない、というのが多くの商店街の皆さんの現状ではありませんかぁ(W。

 これこそが商店街版「流動性の罠」(W、「補助金の弊害」といわれている現象の実態ですね。

 つまり、悪いのは補助金ではなく、補助金を使った結果、所期の目的=流動性の増大を実現できないまま、流動性の出し惜しみという商店街版「流動性の罠」に陥ってしまった、「売れてなんぼ」が身上=信条のはずの商店主の皆々さんのアニマルスピリットの崩壊の方(W。

●「アニマルスピリット」

 日本語で言えば「商売人の気合い・儲けてみせる!」(W
もともと、「売れれば儲かる」「売れるはず」「売ってやる!」ということで「えいやっ!」と開業した商売のはずですが、いつのまにか、血気は薄らぎ、「人口が少ない」「時代が悪い」「立地が悪い」などなど、創業当時を振り返ってみるまでもなく、全然、全く、商売とは無関係のところに言い訳を求めている。

 言い訳すれば手持ち流動性(お金のこと)縮減という趨勢に歯止めがかかるのか?
ばっかじゃないのぉ、といいたいですね~(W。

 この時期、すり減っている、あるいは居場所を替えてしまったアニマルスピリットを呼び起こしあるいは呼び戻して、もう一度商売繁盛を目指すには、「流動性の罠」からの脱出が必要です。
もちろん、アニマルスピリットの持ち主なら補助金をじゃんじゃん使って流動性増大という結果を出すことが出来るんですけど。

●時代背景

  もの不足時代には地域社会から羨望のまなざしを受け、また実際に地域社会ではトップクラスの生活水準を堪能してきた中心商店街ですが、ものが普及し・所得の絶対額が苦情するにつれて、物販業・お金持ちということだけで尊敬されるということもなくなり、並行して今日の経営環境ですから、意欲を持つにはよほど内発の動機が必要でしょうね。

 昔は誰もなにもいわなくても自分の店の利害最優先、店を枕に討ち死覚悟というか、ホントに一国一城の主でしたね。

 最近はとてもじゃないが、そういう気概はほとんどお目にかかれない。商店街イノベーション、これまでのように欲との二人三脚ではおぼつかないようですから、お金儲けはそこそこでOK、我が街を活性化して日本中をあっといわせてやる、というノリが必要かも知れません。かって一世を風靡したOB各位は昔取った杵柄、案外その気になってくれるかも知れません。

 現役バリバリの壮・青は如何でしょうか。

●モチベーション

 高度分業社会では、人並みの生活の中で「自分の好み」部分にメリハリを利かして堪能する、ということが主流の生き方になるのでしょうか。
誰もが誰かの役に立つことで、自分の生活を成り立たせるために必要な条件を実現する。これが分業社会のお約束ですからね。

 では、商店街の皆さんは「誰の役に立っているか」

 商店街立地の小売業は、「顧客に生活材料を提案する」ということを通じて、お客を満足させ・売り上げを確保する、ことを収益機会とする営利事業ですが、事業を遂行することで、

1.地域社会で人々がニーズにあった生活を楽しむことが出来る、という条件作りに貢献
2.雇用を通じて、所得機会の維持・確保に貢献
3.集積を形成して「愉楽」機会を提供
4.地域での「流動性」の確保・流通

といった機能を担っています。

この4つの機能を担っているのは、中心商店街立地の小売業・サービス業だけ、他の営利企業は、どれかの貢献が抜けています。
たとえば、郊外型SCは「集金」に来ているわけですから、売り上げは当日中にそっくり本部に上納、地元環流は営業経費のみ。
たとえば、地場産業は「生活を堪能する」というニーズには貢献できません。

地方分権が現実化するにつれて、営利企業の地域貢献ということが大きなテーマになってくると思いますが、その点、中心商店街立地の小売業は先を行っています。

 何しろ、あなたのお店の売り上げが増大するということは、
1.お客の満足が増大する=地域の生活がより豊かになる
2.あなたの生活もより豊かになる
3.雇用機会が増える
4.まちが楽しくなる
5.行政は税収が増える
6.地域で回るお金が増える
ということですからね。

儲けることが即・比例して地域社会への貢献になるというのは地元の小売業・サービス業だけの特性、どんどん儲けてください。

 補助・支援制度は1~6の条件整備が目的ですから、何の気兼ねも不要ですね。こんなに多面的な効果が期待できる「公的資金」の用途は他にはあまり無いと思いますけどね(W。
補助金なんかあっという間に何倍にもして返せます。
もちろん、活性化に成功したら、の話ですが。

 商店街立地の小売業経営。
あなたが儲かるほど地域社会に貢献できる、ということでロータリーやライオンズにはいる暇があったら商売に精出した方がよっぽど地域社会のため、という・他では滅多にない・恵まれたポジションです。

 宣伝する必要は有りませんが、プライドを持ってアニマルスピリットを涵養・発揮してください。
そもそも、皆さんが落ち込むとクオールエイドも立つ瀬がありません(W

●価値感の多様化

 とはいうものの、動機は何でもよろしい。
とにかく、各個に「商売を活性化させなくちゃ」という気持ちになってもらう。ここのところは、それぞれあるいは仲間内で、あるいは組合で「その気」になっていただきます。

当社の出番はその後ですからね。


●問題解決

 ちょうど、別スレッドで「問題解決」を論じ始めているところ、ちょうどよかった、「粗利50%達成」を解決しなければならない問題としてとらえ・解決策を考えてみることにしましょう。
まず、「粗利50%達成」が何故問題か? ということですが、このプロセスは省略します。省略の理由も省略(W。
粗利50を達成するには、粗利についての知識が必要です。

●問題を構成する問題

売り上げ=原価+値入-(割引額+値引額+減耗額)
粗利=値入-(割引額+値引額+減耗額)

粗利50%を達成するということは、
50%≧値入率-(割引率+値引率+減耗率) ということですから、
①値入率50%以上
②割引、値引、減耗を極力抑える
という政策が必要だということが理解されます。

①を実現するには、商品構成、粗利ミックス
②のためには、販売促進、在庫管理
などを中心に相当緻密な商品管理が必要ですね。

このように、問題を分析すると当初の問題を構成している下位の問題群に到達します。問題は、問題を構成している下位の問題を解決することを通じて解決されます。

●問題を構成する問題

売り上げ=原価+値入-(割引額+値引額+減耗額)
粗利=値入-(割引額+値引額+減耗額)

 粗利50%を達成するということは、
50%≧値入率-(割引率+値引率+減耗率) ということですから、
①値入率50%以上
②割引、値引、減耗を極力抑える
という政策が必要だということが理解されます。

①を実現するには、商品構成、粗利ミックス
②のためには、販売促進、在庫管理
などを中心に相当緻密な商品管理が必要ですね。

このように、問題を分析すると当初の問題を構成している下位の問題群に到達します。問題は、問題を構成している下位の問題を解決することを通じて解決されます。

それでは皆さん、頑張ってみてください(^_^)

単年度・単発事業

●単年度・単発事業

このテーマを掘り下げてみましょう。

商店街活性化の取り組みにおいて、全国各地で取り組まれている事業がことごとく、単年度・単発事業であり、その成果はほとんど上がっていない。にもかかわらず、繰り返し繰り返し取り組まれているのは何故か?

その秘密。

第一に、「活性化事業」の活性化とは街がどうなることか、誰も考えていない。このため、商店街活性化とは単年度・単発事業に取り組むことだと考えられている。つまり、事業に取り組むことそのものが自己目的化している。

第二に、商店街が取り組む各種の活性化事業は、個店にとっては「おつきあい」の対象でしかない。そういう位置づけだから、個店にはね返る成果などははじめから期待していない。
賦課金さえ無ければどんどんやればいい、つきあうよ。という程度。

「意欲がある商店街」ということで補助事業に取り組んでいる商店街の実態は、ウソや誇張は全くなし、おおむねこんなものではないでしょうか?

違うという人、反論待ってます(^_^)

ちなみに、中心市街地活性化推進室のデータ、当社で集計したら次のようになりました。

ハード面
駐車場整備    9 
公園等整備   19
交流施設整備  61
景観・区画整理 43
歩道整備     23
アーケード      8
空き店舗対策  54
その他の事業  30

ソフト面
意識改革     5
市民参加     37
循環バス     6
IT活用     6
お祭りイベント 66

ご参考まで。

ちなみに。
「活性化」ということが街に繁盛店が増えること、というような意味を持っているとしたら、上記の事業メニュー、全部取り組んでも活性化は実現できません。
その理由はおいおいと。


●このギャップを直視せよ!

◎行政は、商店街の活性化を支援するために活性化事業のメニューを提供し、

◎商店街は、活性化とは活性化事業に取り組むことであると考えて事業に取り組み、

◎個店は、「商店街へのおつきあい」と考えて事業を承認する。

 商店街活性化事業、こういう取り組みだと考えて大過ないと思いますが如何でしょうか?
これでは活性化事業の成果が挙がらない、のもムリはありませんし、さらに、誰もそのことを問題にしない、という現状も理解できるというものです。

おっと、財政担当はしっかり問題にしていますね。
「費用対効果」、だんだん批判が強まっているように部外には何となく。


さて、では、この恐るべきギャップ、
いったいぜんたい、どこから生まれたのでありましょうか???

●ギャップの原因

行政は「活性化」を支援する補助事業を提出し、
組合は、「活性化」=補助事業に取り組むこと、と考えて事業に取り組み、
店主は「立地している商店街へのおつきあい」と考えて事業に参加する・・・。

三者三様の理解のもとに年々歳々事業に取り組んでいるわけですが、それにしても恐ろしいギャップ、いったいいつ、何が原因で生じたのか?

 原因自体は簡単なことでありまして。
ギャップが発生したのは、「活性化」というコトバの定義をしなかった、ということが原因です。
「商店街活性化とは商店街にどのような状況が生まれることを意味しているのか、そこでは個々の店舗の様子はどうなっているのか」ということについて、統一見解がなかったことが同床異夢の根本要因ですね。
タッタこれだけのことでアナタ、全国の商店街活性化の取り組み、そのほとんどが制度所期の成果を挙げられない、という現状をもたらしているのであります。

考えてみましょう。
もし、商店街活性化とは商店街がどうなることか、きちんと定義されていたとしたら、活性化の取り組みとは、その定義された状態を商店街にもたらすために取り組まれる事業だと言うことになります。
活性化事業に取り組む前に、我がまちが活性化されるにはどのような事業に取り組まなければならないか、目的と現状からやらなければならないことが析出される。この取り組みについて補助事業のメニューなどを活用しながら取り組む、ということになる。
その結果は、当初目指した「活性化された状況」にどのように接近出来たか、ということで評価することが出来る。

個店についても同様です。街が活性化されるとは、街に立地している各個店にどのような状況が生まれることを意味するのか、ということが明らかになっていれば、事業には当然、各個店が取り組むべき仕事も含まれていなければならない。これは補助事業のメニューの有無に関係なく絶対に取り組まなければならないことです。

本来ならば、以上のような取り組みになるべきだった商店街活性化の取り組みが、活性化事業の消化で終わっているのは、上述したように、「商店街活性化とは、街が・個店がどのような状態になることか」という「定義」がされていなかったために、立場と問題意識のあり方の違いで好き勝手な思いこみで、事業に取り組んで来たからですね。

コトバの定義って恐ろしいですよね~

 では、何故今考えてみれば不思議としか思えない「手抜き」が何故生じたか? 何故「活性化」という専門用語は定義されなかったか? 全国あらゆる場所で日々使われている商店街活性化というコトバ、何で・ドーシテ定義されていないのか? ということを考えてみましょう。

何ごとによらず、「事業の目的」ということを第一番目に掲げずにはおられない行政が、どうして「商店街活性化」に限ってはその目的を定義しなかったのか?

 中心市街地活性化も同様、中心市街地活性化とは中心市街地がどうなることを指しているのか?
皆さんの『基本計画』、きちんと書いてありますか?
書いてないとたぶん、商店街活性化の二の舞ですからね。
中心市街地活性化基本計画策定の目的は中心市街地を活性化することである、などと書いてあったりして。

●スタート時点

「活性化」というコトバ、どうして定義されていないのか?

その理由は、商店街施策が体系的に講じられるようになった時代までさかのぼります。
商店街振興組合法が制定された当時、地域一番の商業集積といえば、これは中心商店街であり、この時期は商店街に立地する個々の店舗についても最盛期でしたが、やがて、街区内に進出した「大型店(百貨店、スーパー)にその繁栄を脅かされるようになりました。

 同一街区内でお客が大型店に集中する、という事態が生まれ、「商店街は<規模の力>に対応しなければいけない」という事態に直面して、その対応として考えられたのが「活性化(当時は「近代化」と称されていたといたと思いますが、以下、「活性化」に統一します)です。スタート当時は「活性化」とは「同一街区内の大型店対策」のことでした。「大型店対策」に「活性化」という命名したわけで、関係者にはそのことは十分理解されていました。
何しろ、競合というか、大型店による商圏侵食は現実直下のことでしたから。

 このような経緯で生まれた「活性化事業」、その多くは組合事業による「大型店を手本にした規模のメリットの実現」ということで、大型店の店づくりの「後追い」でした。アーケード、カラー舗装などの施設整備、スタンプ事業、イベントなどの販促事業、大型店の有り様を見習い・追随するものがほとんどです。

  事業は大型店との「競合」に効果を発揮したか?
発揮できませんでした。それというのも、大型店は上に列挙したような施策で集客していたのではなく、当時の消費ニーズにきちんと対応したデスティネーションを作っていました。「いい物をどんどん安く」。商店街が追随しえt取り組んだ「活性化策」は大型店にとってはデスティネーションを補完するものでした。
したがって、商店街側が取り組んだ活性化策の結果、大型店が敗退する、という事例はほとんどなかったはずです。

しかし、「大型店対策」は意外な効果を生みました。
それは、隣接・競合する商店街に対する競合対策として抜群の力を発揮したのです。

「商店街間競争」つまり、どちらの商店街がお客から見てより魅力的か、ということですが、他の条件がこれまで通りとすれば、新しくアーケード、カラー舗装、スタンプ事業、イベントなどに取り組む商店街の方が取り組まない商店街よりも吸引力が強くなることは言うまでもありません。

さらに。
対・隣接商店街競合ということでは、大型店の吸引力が抜群の力を発揮しました。
つまり、大型店が「核」機能を発揮、「活性化事業」とあいまって「自然発生的核付きモール」という形が出来上がりました。
この結果、「活性化事業」に取り組まない・大型店が立地していない、隣接商店街との競合にうち勝ち、「地域一番商店街」となったのです。
活性化に成功した商店街の隣には必ずと言っていいほど、競合に敗れた商店街があったものでした。

この時期の活性化事業の目的には、購買力の上位都市への流出阻止ということも掲げられていましたが、共同事業の実態から上位都市とデスティネーション面で競合する、という根本的な施策には取り組まれていません。「成功」は目的とは大きく異なり、隣接商店街との「域内競合」に勝ったことでもたらされたものでした。
このことは当時も余り注目されなかったと思います。
(当社サイトでは以前にも取り上げています)

活性化事業は、大型店対策、購買力流出阻止を目的に、前述したような事業をメニューとして取り組みがスタートしました。
取り組みは、当初の目的を達成することは出来ませんでしたが、隣接商店街にダメージを与えることで、事業の成果をあげることができました。

発足当時、「活性化事業」にはそれなりの効果があったわけです。
事業は「成功」事例を視察した各地の商店街にどんどん波及しまして、ついには全国において取り組まれるようになりました。

「活性化事業」は前述の目的でスタートしましたが、それから以降、あらためてこの目的について再検討されることもなく、現在まで連綿と続けられているわけです。
その間、「核」であった大型店は郊外へと移動し、「上位都市の中心商店街」は、空洞化の一途をたどっていますが、事業はスタート時点のまま、一日十年のごとく続けられ、今日に至っています。

●普及過程

スタート時点からしばらくの間、「活性化事業」は優れたリーダーを持つ商店街において取り組まれ、前述のような「成功」を修めた結果、全国的な追随が生まれました。

追随する側は、「成功」をこの目で見ているわけですから、「活性化事業」に取り組めば、我が街にも〈先進事例〉と同じような効果をもたらすことが出来る、という錯覚が生じました。
かくて、活性化事業への取り組みは、何の疑問を差し挟まれることもなく、どんどん普及していきました。

やがて、大型店が移動する、郊外に大きなショッピングセンターが開設される、という時代になっても商店街の取り組みは相変わらず、「活性化事業」のまま続けられています。今となってはもはや何の効果も無いということが明らかになった?活性化事業ですが、未だに、相変わらず、というか財政事情が厳しくなった分だけ「ちゃち」になりながら続けられています。
これはどうして?

●現  状

ぶっちゃけ、商店街&個店の繁栄にこれといって貢献できない活性化事業ですが、どうしていつまでも続けられているのか?

この理由もはっきりしておりまして、商店街の内部では誰もそう言う役割を「活性化事業」に期待していない、ということであります。

もともと、多くの商店街組織は、活性化事業・補助事業の受け皿となることを期待して作られています。
このことは、商店街振興組合法などを見ても明らかです。
商店街の組織は活性化関連の補助金を利用した「活性化事業」の事業主体として作られている、ということであり、この組織に期待されていることは補助事業に取り組むこと、です。
執行部は、活性化事業の事務取扱、役員は商店街のお世話係、というとになります。

この組合の性格は大変重要ですから、しっかり覚えておきましょう。
執行部の基本的な性格は、商店街が本来目指すべき・集積全体のデスティネーションの充実による商業集積としての再生、を目指す司令部ではなく、デスティネーションからみれば補完物でしかない「活性化事業」の事務局・お世話係でしかない、ということです。

執行部には、「活性化事業」に取り組みながら、「活性化とは街および個店がどうなることか、そのためにはどのような事業に取り組まなければならないか」と行った問題意識は全く無いはずです。

厳しい環境条件のなかでこのようなレベルの問題意識しか持たない執行部が何故執行部として存在出来るのか?
それは、言うまでもなく、組合組織の構成員である個店の経営者の皆さんがそういう認識しか持っていないからですね。

組合員に共通する認識。
商店街活動・活性化事業は商店街で商売をやっている以上、おつきあいしなければならないこと、執行部は無報酬でそのお世話をしてくれる人たちですから、文句はなにもありません。

●秘密の商店街(W

商店街のこのような状況は、商店街の成立過程にそもそもの原因があります。
商店街はよく「自然成長的商業集積」である、といわれます。自然成長的商業集積とは何か?
本当に商店街活性化に取り組もうとするならば、ここに注目しなければならない。

自然成長的商業集積とは:
個別の動機・計画で出店した個店が集合している商業区域のこと。
つまり、何らかの理由で「自分の商売にとって好立地だ」と判断した人たちが過去のある時期を通じて離合集散した結果が現在の商店街です。
したがって、基本的にその成り立ち・関係は、郊外・バイパス沿いのフリースタンディング店舗が集積している地域における個店相互の関係とたいして変わりません。しいて違うところを挙げれば「共同事業」の有無でしょうが、これだって郊外の方でも取り組んでいるところがあるでしょうからね。

 となりのお店との関係は、「地縁」であり、「事業」や「集積」ではありません。
活性化事業の実施主体として設立された組合あるいは任意団体の
目的は、個々の店舗の事業活動を補完する性格の事業、特に個店単位ではなかなか取組むことが難しい事業について共同で取組むことです。

すなわち、商店街組織の大前提は、「組合加盟の個店の経営内容については立ち入らない」ということであります。
たまたま、縁あって同じ町内に立地している店舗同士、事業活動を補完する事業については共同してやりましょう、ということが趣旨でありまして、なるほど、この趣旨を前提に考えれば「活性化事業」が単発・単年度制になっていることも納得されます。
う~む、このことはこれまで気がつきませんでした。

ところが、単年度・単発事業で補完するはずの商店街、空洞化・業績不振という現状は、立地する各個店の経営ノウハウとお客のライフスタイル~ショッピングパターンとの間に「暗くて深い河がある」、ミスマッチ状態が主因で発生しています。
つまり、活性化事業がその前提としていた「個店の業容」については問題なし、という条件が崩れているわけで、言ってみれば「補完」しようとしている本体そのものがガタガタになっているわけですから、補完が補完にならない、というのも無理も無いと言えば無理もないことですね。

今日取り組まれている商店街活性化事業、問題は商店街ではなく商店街を形成している個々の店舗のシャッターの内側にあるわけですから、効果が上がらなくても当然かも、ということです。
ショッピングのファイナルデスティネーションは、商品を持ち帰り、生活の中で使用する、ということですから、デスティネーションのレベルでは「補完」の効能効果はほとんど役に立ちません。

●聖 域 ?

商店街活動において、「個店の経営状況」については「触れてはいけない」ということが暗黙のご了解の一つ。

もともと、個々のお店が寄り集まった自然成長型商業集積ですから、「個店の存在、業容・業態」は大前提でありまして、この大前提を踏まえた上で「商店街活性化事業」が展開される。
したがいまして、「個店の業績」などを云々する、などということは商店街組織の大前提を揺るがしかねないことでありまして、もちろん、御法度中の御法度ですよね。

  何しろあなた、経産省が昨年発行した『消費者にとって魅力あるまちづくり・実践行動マニュアル』、「既存店強化」が強調されておりますが、これを新聞が「はじめて聖域に踏み込んだ」と報道したくらいです。(もちろん、これは御法度に抵触しますから、現在の商店街組織が取り組める事業ではありません)

 まあ、聖域と呼ぶか否かは別として、個店レベルの経営の実態について組合あるいは組合が事業主体となる事業で云々することはこれまで出来なかったことは事実です。組合の会議でも「空き店舗対策」は議論されても「空き店舗・候補店舗」については、どんなにせっぱ詰まっていても論議の外ですね。なかには空き店舗出店者の家賃補助よりうちの店の家賃をなんとかしてくれ、といいたい人もありそうですが、これは問題外。かくして空き店舗のオープンとお隣の閉店とイベントが重なったりする。

 商店街の皆さん、皆さんが自分のお店について、これからもずうっと商売を続けていきたい・続くようにしなくては、とお考えならば、せっかく結成し・維持してきた商店街組織ではありませんか、なんとかこれを活用していきたいと思いますでしょ?
  商店街立地のお店、これまでのようにひとりぼっちではなかなか生き残ることが出来ません。あらためて組織をきちんと立て直し、名実共に組織の力を発揮することが必要になっています。

●孤立し煩悶し・・・

  組織の有無に関わらず。
商店主は厳しく・辛い立場に立っています。
これは、商店街組織のお世話をしている役員さん方も一般の会員さんも全く同じです。
ともかく売れない、郊外の動きはさらに激化、大型店の新規出店が商店街隣接などという場合はもちろん、一段と厳しい。もともと適切な対応がとれるような組織ではありませんから、最初から組合に対応策を要請しても実効ある取り組みは期待できませんから、厳しいお店ほど頼りにしょうとはしません。

  組合の会議では街のこと、都市の課題などなど談論風発でありますが、その実、それぞれの商売の実態については絶対に話題にならない。たまに出るとすれば、今度廃業することになった仲間の話を「例」にするくらいでしょう。
どうでもいいことは議題にできるが、自店~各店の存続に関わるような問題になるとなんだか議論しにくい、というような気配が伝わってきます。

 商店街のキャッチフレーズは「運命共同体」ですが、本当は全く違いますね。店主の皆さんはそれぞれ完全に孤立、お店の先き行きについて相談相手は家族だけ、という人も結構あるはず。なかには家族にはとても言えない、という人も・・・。

  というような状況が商店街のシャッターの内外の状況でありますが。
さて、街のお世話係・役員の皆さん、自店の繁盛再現と街の「買い物の場」としての再生を一つにまとめた取り組み、運命共同体への生まれ変わりのラストチャンスとして取り組む以外に、
  何かすることがありますか?

●問 題

  さて、皆さんが、自分たちの街を今後も自分たち・店主から見た「商売の機会」、お客から見た「買い物の場」で有り続けさせようとお考えならば、現在~将来の生活と購買行動の変化をしっかり理解&予測してお客にとって「買い物の場」にふさわしい条件を整えることが必要です。いつも同じお説教で恐縮ですが。

  なかでももっとも大切な条件は、「お客がお金と交換・持って買えるにふさわしい商品が提供されていること」です。
これまたいつも同じ台詞、改めて言うまでもありませんけど。

  現在、商店街に立地する個店の業績がふるわないのは、けして立地条件、立地の集客力に問題があるからではありません。
問題は、それぞれの個店にお客から見た「欲しい商品」、お金と取り替える商品が提案されていない、ということです。
毎度のことながら、商店街立地のお店の場合、提案する商品は「郊外のショッピングセンターを横目で見ながらわざわざ求めに来る商品」が中心になります。もちろん、商店街のなかには街区周辺に住んでいる人たちの「コンビニエンスニーズ」に対応するお店もありますが、これらのお店も「利便性」にあぐらをかいていては先行きが暗い。商売はあくまでも持ち帰る商品が貢献する生活の満足、にあるからです。
利便型店舗といえども品揃えが命であることに変わりはありません。

 皆さんの街が・全体として・これからも「商業機能」として存続することを目指すのならば、当然、街全体が「買い物の場」としてその中味=品揃えを充実させることが何よりも優先して取り組まなければならない課題になります。

  この課題に取り組まなければならない皆さんの仲間には、今を去ることずう~っと昔、店前通行量を当てに・「見よう見まね」で・「露店型商売」を始めた人、そのお店をそのまま継承したという人が結構多いのではないでしょうか。そういう皆さんのなかには、オープン以来、今日まで、お客の立場に立って抜本的に商売のあり方を見直す、という機会がないまま過ごしてきたという人も少なくありません。

 商店街立地のお店は、全体として、商店街全盛期・まだ郊外のショッピングターが影も形も無かった頃と比べてけして進化・成長しているとは言えません。
もの余り、店あまりと言うことが誰に目にも明らかになった今日ですが、商店街に立地している多くの店舗はいまだに「わざわざ出掛けて買い物を楽しむ」というショッピングの行き先=デスティネーションを作っていない、作らなければいけない、ということを理解する機会が無かった、ということです。

  いろいろと手なおしは試みられているものの、基本的にもの不足・店不足という古き良き時代の経営感覚が続いていますから、店づくり=デスティネーションという発想にはほど遠い。
お客から見れば、わざわざ出掛けて「何とでも交換できるお金」を手放す理由何の興味もが無い、ということであり、もちろん、そういう「買い物の場」には全く興味も持つことが出来ません。

  お客のデスティネーションは、「お金と商品を取り替える、商品を持ち帰り生活で使う」ということです。このデスティネーションを他のこと(例えば、サービス、価格、立地など)で代替することは出来ません。お客がお店に来るのは商品を買い上げ・持って帰利、使って楽しむですから、持って帰るに値する商品が無い=商品・品揃えの不十分さを他の条件をあれこれ工夫することで補うことはできませんね。あなたにとって分かり切ったことですが。

  問題はあなたではなく、商店街の仲間にある、ということで。
現在、商店街で取り組まれている各種の事業ですが、それらの事業が各個店の不十分な「デスティネーション」の補強となり、お店の売り上げに貢献してくれる、と考えて取り組んでいる人がいるとしたら、その人はよほど楽天的な人でしょう。多くの人は商店街の事業について、自店の至らなさを補完してくれることを期待してではなく、単なる「商店街にいる以上やむを得ないおつきあい」として参加しています。もちろん、他に事業は取り組まれていませんから、商店街ぐるみで取り組んでいる唯一の事業が「おつきあい」の事業でしかない、ということになります。

  考えてみれば恐ろしいことです。
経営環境が厳しくなる一方のなかで、商業集積として生き残るために待つぐるみで取り組んでいるのが、主催者である皆さん自身「効果がない」と考えている「活性化事業」だけなのですから。

  「活性化」を目指して死にものぐるいで努力しなければならない立場の人たちが、「活性化」ではなく「活性化事業」へのおつきあいでお茶を濁している。
これで街全体が「買い物の場」としてのデスティネーションを作りあげることが出来るということは、奇跡でも起こらない限りムリですね。無神論はびこるニッポン国の中心商店街、奇跡が起こるハズはありませんから、「買い物の場」のはずが「商品店晒しの場」となるのもムリはありません。

 ということで、活性化事業が商店街活性化=繁盛する個店が軒を連ねる、という全盛期の状況をお客の意識も競争環境もすっかり様変わりしたなかで再現する、という仕事の役に立つハズがありません。
もし商店街のなかに本気で役に立つと信じている人がいるとしたら(いないこととは思いますが)、
ばっかじゃないのぉ、といわざるを得ない(W

●もし皆さんが

  あなたのお店をはじめ、商店街の各個店がデスティネーション理論をきちんと理解し、店づくり・品揃え/サービス/環境 の3点セットをお客に合わせてしっかり作りあげている、と仮定しましょう。

そうしますと、「単年度・単発事業」などと悪口を書いた(おかげでアクセスが減っているようですが(笑 )活性化事業の数々がしっかり役に立つのであります。
環境整備、集客イベント、販促サービ等々、どの取り組みをみてもデスティネーションで満足したお客をさらに満足させる仕掛けとして喜んでもらえます。
ただし、デスティネーションが不備では何の役にも立ちません。

活性化事業、当初、一番商店街づくりに効果があったように思えたわけですが、実は当時、皆さんのまちは事業に取り組まなくても繁盛店が立ち並ぶ買い物の場でありました。買い物の場として地域の皆さんに支持されていた街が、活性化事業に取り組んだ、その結果、お客に喜ばれました、ということでありまして、デスティネーション喪失・つぶれかけた「買い物の場」が活性化事業で再生された、という事例は全国、ただの一個所もない、と断言することが出来ます。

活性化事業の役割&限界はよ~く分かった、とおっしゃるあなた、それではこれから何をなすべきか?

●地縁組織から盟約組織へ

 もともと自然発生的に形成された商店街を一個の組織にしたわけですが、時代的な条件から組織の目的は、商店街に立地する個々のお店の商売を「補強」する事業に取り組むことでした。

今日、問題は店舗本体の事業の「補強」ではなく、事業そのものの中味をどうするのか?というところにあります。
つまり、個々のお店の中味そのものが革新に取り組まない限り、個々の店舗の繁栄、ひいては商店街全体の「商業集積」としての活性化も実現することは出来ない、というところに来ているわけです。ご承知のとおり。

 現在の組織=商店街という地域の「立地条件」を改善する事業の受け皿=商店街という地縁で結ばれた組織から、商業集積としての再生を目指す、という目的を共有する組織へ、組織の性格を転換することが必要ですが、一挙に転換することは出来ません。
ペーパー上の計画でなら出来るかも知れませんが、実地に成果をあげていくとなると話は別ですね。

 問題は、地縁組織から盟約組織へ、この転換をどのように進めるか、ということですが、これはもう、プロジェクト・コミュニティモールを立ち上げれば一発で解決です。

※Yさん、あなた向けに書いていますからね~(^_^)

みんな個店の潜在能力を当てにしている

 商店街立地の各個店はいわばダイヤモンドの原石、磨けば輝く、というのは我がキラリ輝く繁昌店づくり―商店街活性化の原点ですが、これは我々だけが主張しているわけではありません。

 集客イベント、ポイントカード、まちゼミ等々、取り組まれている販売促進事業は、究極、そういう取組を活かして得意客を創出する力を個店は持っている、という個店の経営力に対する無条件の信頼の上に成立しています。

 そうで無ければ、販売促進施策を得意客創出と結び付ける施策を考え、取り組まなければならないはず、それが取り組まれていないのは個店の能力に対する絶大の信頼があるから、としか考えられない。

 実際はどうか?
施策取り組みの前後に各個店の潜在能力は発揮されているか?
発揮した結果として個店の得意客が増え、商店街に賑わいが起こっているか? いませんね。

 結局、各種施策が暗黙のうちに期待している各個店の潜在能力はあるのか無いのか、これまでのところ、まったく発揮されていませんね。
だから取り組みの効果が発現されず蓄積されない。
この状況をどう突破して行くべきか、という問題意識はほとんど共有されていないのではないか, と思いますが如何でしょうか。

 各個店の潜在能力、磨けば輝く売り場の力を信じて,それを発現させるための取り組みを開発、提案しているのは当社だけ、というのは本当に危機的状況です。
模様眺めをしている余裕はないと思うのですが・・・。

計画の作り方

計画の作り方

2003年、ワークショップから
タウンマネージャーさんにプラニング業務には参考になるかも。

  TMOを担当する立場になった人がこれまで所属していた組織で計画立案業務に携わっていた人ばかりとは限りません。
また、これまで経験がある人でもTMOのように守備範囲、関係団体などが多岐多様な組織の場合、これまでの経験では押し進めることが出来ない、無視して進めるととんでもない結果を引き起こす、場合によっては立案者自らに危険(W が及ぶ、ということにも成りかねません。

 計画の作り方、とリわけTMOの場合について考えてみましょう。
その前に当サイトの計画策定業務に関する論考は一通りチェックしておいてください。
そのために「サイト内検索機能」があります。

■問題提起

 TMOレベルが担当する計画は、『基本計画』、『TMO構想』を受けて作成される、「実施計画」です。
これは2種に分けられる。

第1に、TMO構想に記載された事項の実施計画。
『基本計画』に頭出しした中小商業高度化事業のうち、特定の期間に実施するものについては、その実施時期、実施主体などが『TMO構想』において絞り込まれています。これらの事業の個々について『中小小売商業高度化事業実施計画』を策定する。
これは合意形成段階がクリアできれば計画策定自体はさして問題ありません。もちろん、当該高度化事業、この時期に取り組む根拠、全体への波及効果、採算性などシビアに検討しなければならないことはいくつもあります。これらについては、中心市街地の大型商業集積についての論考をチェックしてください。いくらか書いていると思います。

さて、このスレッドで問題にするのは、「高度化事業」=ハード事業以外の計画策定です。たとえば中心市街地所在の商業集積全体を一個のショッピングモールに見立てた場合の「テナントミックス計画」など。


■留意事項 
  TMOが作成を担当する(業務の事務窓口の場合も含む)計画の多くは、TMO事務局が直接その推進にあたることが出来ない事業の計画です。特にショッピングモールへの転換、まちぐるみ/個店の転換といった活性化の成否を左右する取り組みについては、TMOが直接自分の手で出来ることは限られています。

計画のほとんどは、TMO以外、とりわけ商店街組織をはじめとする商業者の取り組みに関わるものです。
他人の行動や経営、資産の命運を左右する計画をTMOが実施主体となって作っていくわけですから、企業の経営計画作りなどとは難しさが格段に違います。
このあたりのことをわきまえないままで基本計画やTMO構想などをのりとはさみで編集するというような迂闊な作り方をすると、総論賛成・各論反対ということで事業全体が行き詰まります。

そのころには担当者は異動しているかも知れませんが、肝心の活性化事業の方はうんと遅れ、かつ、関係者間に相互不信が生まれたりする。

■計画は机の上で作る

計画作りには現場感覚が必要、とはよく言われるところですが、私は標題の通り、計画は机の上でそれも一人の人間が作るものである、と考えています。
当社が受託する計画策定業務の原案はすべて私が一人で自室でパソコンに向かって作りあげたもの、現場で作ったものは一つもありません。

計画作成は「ここから先は実践段階」というところまで考え抜かれておくことが必要です。それも具体的に計画に関わってくる一人一人の個性・特徴を考えながら、所与の条件からスタートして計画が動き出し、成果が挙がっていく、というところまでを想像・シナリオ化することが必要になる。
さらにその背景には、中心市街地活性化に必要な様々な方位・レベルの知識・技術はもちろんですが、施策群などスキームについての知識も欠かすことが出来ません。

音楽に例えればあるオーケストラがあるホールで一回きり演奏するための楽曲の作曲、といったところでしょうか。
しかも楽団員は全員不慣れなので作曲作業の傍ら練習に立ち会い、さらに上演の暁には指揮をする、というのが中心市街地関係の計画策定担当者・プランナーに求められることです。

ちょっとずれましたが、計画は一人で机の上で作る、という常識とはいささか異なる計画策定の実態について、議論したい人は書き込んでください。


■会議は踊る 

基本計画の改訂という話が聞こえてくるようになりました。
早いところですと、作成以来5年、作成の背景となっている条件が大きく変化した、あるいは、事業組織の再編が必要になった、など事情はいろいろですが、共通しているのは「会議をすれば答えが出る」という思いこみ。
会議の構成も前回同様、肩書きで招集するいつものメンバー(W

日頃、活性化とは何か、街や個店がどうなることか、といった問題を考えたことはおろか、活性化を実現するにはそういう問題を自分たちで考えることから始めなければならない、ということさえ気付いていない人たちが、何人・何回集まっても「回答」は出ませんね。つまり、活性化に必要な「知恵」が出てくる根拠が作られない。

従って「回答」まがいは、
1.これまでの商店街単位の事業を全体に広げる
2.ショッピングセンターをまねてみる
3.他都市の事例をまねてみる
というところでまとめられることになります。

日頃問題意識皆無の参画者、いつかどこかで聞いたことのある「事業メニュー」や「大型ショッピングセンターもやっている」、「先進事例を参照」などという前置詞にころりといかれて判断停止。大勢という名の「その場の空気」が決定権を持つ。
全体の雰囲気を決定するのは計画に自分の事業の命運を賭ける商業者代表の皆さんですが、何しろ当て職、何しろ組合執行部ですから事態に適応した発言など出来るはずがありません。(だって、これまでそういう場で発言すべき内容を学んだこともなければ最低限の要件としての組合での議論も無いまんまでの会議参加ですからね)

かくて、基本的に前回の計画と同様、ショッピングモールへの転換への具体的な取り組みの計画も、それに代置されるなんらかの「一体的推進の目標」も掲げられない「基本計画」が出来上がって委員会の任務は完了・・・。

計画は会議では作れませんからね。
これは中心市街地活性化に限らず計画一般に言えること。
「計画は現場や会議では作らない、計画はプランナーの机上で作られる」

司馬遼太郎さんの小説には日本海海戦のおり、連合艦隊の作戦参謀が自室のベッドに寝転がり、焼いた大豆をポリポリしながら作戦計画を立案するシーンがありました。


■学級民主主義 

代ニッポンの義務教育では小学校で「学級自治会」といったものがありまして、テーマを出し、議論し、決定する、というパターンを刷り込まれます。

これ趣旨はなんだと思いますか。

学習ということを前提に考えれば、「組織の意志決定に自分の意見を反映させるための訓練」ということがあるはずです。つまり、ディベートですね。
ところが実際はどうか。

1.みんな平等、一人一票
2.どんな意見も平等に取り扱う
3.最終決定は多数決

ということだけを学習して卒業する。上級学校も実社会もその延長ですから、今や社会全体に学級民主主義が蔓延している。
とりわけ、地域経営に関する計画というように、今すぐ特定の誰かの直接利害に大きく関わる、ということが無い場合は顕著です。

その典型的な例の一つが「中心市街地活性化基本計画」ですね。

物事が学級民主主義で解決するなら専門家はいりません。
「中活法」関係のコンサルタントがほとんどいないのは、このことが影響しているのかも知れません。

計画改訂に向けて委員を委嘱された皆さんは、もう一度「自分は中心市街地活性化基本計画を議論するために必要な見識をいつどこで修得したか、そもそも必要な見識とはどのようなものか」ということをじっくり考えてみられるとよろしい。

議論の前に知識を修得しなければならない、ということがお分かりになるはず、行政の担当者も「今度こそ」と考えるならこのことに目をつぶって進めるわけにはいきません。


■「メタ」の仕事 

  第一にやらなければいけないことは、「計画策定事業」の計画を作ること。

{(計画を作る事業)の計画}を作ることがTMO(担当者)の最初の仕事です。これを作らないで「事業計画書だな、わかった、早速作ろう」と走り出すと、途中でとん挫する。
「計画案」は机上で作られるが、意志決定は会議で行われる。
意志決定に至る過程はきちんと計画され、かつ、意志決定に関わる皆さんに了解されていなければならない。

TMO計画の特徴は、意志決定参加者=事業推進者=自分の事業の命運を計画に賭ける人、ですからね。
このあたりを抜きにしていると、これまで通り、棚の一隅を占拠する「計画書」が出来上がるだけ。もちろん貴重な時間と引き替えに、ということになります。

では、「事業計画策定事業」の計画は如何にあるべきか?

■計画の構成 

日本海海戦のトピックを司馬遼太郎さんの小説から借用しましたが、「計画」についても作戦計画を考えてみましょう。

作戦計画の骨子

1.作戦の目的
2.敵の状況
3.味方の状況
4.作戦地域の環境与件
5.目的達成のシナリオ
6.各編成単位の行動
7.その他

とまあ、こういう具合ではないでしょうか。

一番大事なことは、「作戦の目的」を明確にすること、瞬時の判断が要求されることが多いわけですが、判断は作戦目的(上位計画及び前提となる事項を含む)を基準に行われることが肝要です。
作戦目的レベルで失敗、実戦も大敗したのが「ミッドウエー海戦」です。

余談はさておき、「作戦計画」を「中心市街地活性化計画」に置き換えてみますと、

1.作戦の目的=活性化の定義
2.敵の状況=顧客の変化・競争の変化
3.味方の状況=商業者の状況
4.作戦地域の環境与件=地域の商業環境
5.目的達成のシナリオ=これが計画の目玉
6.各編成単位の行動=街区・集積ごとに計画
7.その他=必須は理論研修・人材育成

如何でしょう、皆さんの「基本計画」、こういうことがきちんと入っていますか?

ちなみにシナリオとは、①所与の環境条件において、②手持ちの勢力資源を持って ③目的を達成するための方策 です。
作戦計画では、目的~状況分析(彼我の勢力判断も)~目的達成シナリオの妥当性が中心、これを各職種のプロがチェックする、という立て前になっていますが、中心市街地では誰がチェックしたんでしょうね。

というより、計画と目的、シナリオの関係が明確に意識されていなかった?
そもそも計画目的が実現する、実現しなければならない、という意欲が強かった訳でもない?
というところに決着したりして(W

■「活性化作戦」の難しさ? 

戦争と中心市街地活性化、机上で考えてどっちが難しいかと言えばそれは中心市街地活性化。

戦争の場合はプロがひしめいています。
装備、練度なども掌握、戦史・戦訓なども関係者に共有されている。上位部隊の作戦計画が示されればその遂行を分担する各構成単位の行動計画がトップダウンで作成される、という仕組みが出来ている。
それだけの背景知識が日頃から準備されているということで、常備軍の平常業務はこのために存在するわけです。

他方、中心市街地の活性化における「味方の状況」はといえば・・・

1.共同作戦に必要な背景知識の共有は皆無、構成単位(TMO推進協議会メンバー、TMO、各商店街組織など)はそれぞれ「見よう見まね」の知識を持って動く以外に方法がない。
 しかも「見よう見まね」理論の内部の整合性などチャックしたことは一度もないし、そもそもチェックしなければならないという問題意識も持ったことがない。

2.作戦目的は掲げられていない。「活性化計画」でありながら活性化とは何か、定義されていない。すなわち「目的」がないの作戦ですから各構成単位の行動もめちゃくちゃになる。

3.商業者の状況、理解していても打つ手が考えられていない。
 一言で言えば見よう見まね、成り行きで繁盛し、成り行きで衰退している、というのが全国商店街産業です。ここでいう「商店街産業」とは商店街のことだけではありません。メーカーから問屋、小売店に至る「消費財供給業」のチャネル全体を指しています。
つまり、これまでの消費財供給産業は「見よう見まね」だったというわけで、これは別に避難でも批判でもありませんから誤解なさらないよう。かっては見よう見まねプラスちょっとの工夫で十分繁盛できましたし、下手に「革新」などを心がける=リスクを負う必要は少なかったですからね。
 そういう環境にあっ商店街の皆さんが理論武装や技術革新に取り組まなければならないと言うことになっても即断即決、直ちに姿勢をあらためる、というのは難しいことのように思えるかも知れません。

4.購買行動の変化、競争条件の変化が把握されていない。
環境変化といえば、少子高齢化、情報化とお定まりのフレーズが列挙されているだけ、それらの変化が商業環境にどう影響するのか、ということが分からないと作戦は立てられません。
商業活性化にとってもっとも基本的な環境与件である「もの余り・店あまり」ということについて全く理解されていない。
どうやら皆さんのところでは平成15年においても「もの不足・店不足」という状態が続いているとお考えらしい。

5.活性化のシナリオ
ないないづくしの中での活性化、とてもシナリオなどはありません、というのがおおかたの基本計画の中味です。

6.構成単位の行動計画
したがって、上位目標もないまま、各単位ごとに「やりたい事業」を申請、やる気のあるところから(すなわち無目的の事業に賛成を取りつけた組合からということ)事業に着手、結果は着手する前から誰の目にも明か、という事業がスタートする・・・。

7.理論修得・人材育成
こうして「作戦計画」に置き換えてみますと一目瞭然、活性化を実現していくシナリオを作るための前提となる条件が何一つ検討されないまま計画が作られた、従って計画も活性化計画の名に値するようなレベルのものではなかった、ということが自動的な帰結になります。一読もせずに計画の至らなさが推測出来る(W

中心市街地活性化は何故難しいか?
これは簡単、地元の皆さんがよってたかって難しくしているから難しくなる(W
中心市街地活性化、環境与件は可能性を準備していますが、難しくしているのは「作戦本部」のせい(W

活性化するためには何が必要か、まずは考える、不足しているところを補う、というところから始めれば展望は出て来ます。
このことは、当社と提携・協働で取り組んでいる皆さんには実感できることだと思います。

商店街組織の目的と目標

 商店街組織の目的は加盟店の事業の発展に貢献すること。特に個店では取り組めが困難な事業に取り組み、その成果を加盟店に均霑すること。
目的を達成するためには、目的の達成にもっとも緊要・効果的な目標を選択し、その実現に組織の経営資源を集中しなければならない。

 目的は不変だが、それを達成するために掲げる目標は、時代環境によって変化する。「集積間競争」の恒常化、「ポスト基本計画」という現在における商店街組織の目標は「商業集積性の維持、強化」である。商業集積としての存在価値を維持することが加盟店の事業の発展という目的にとって、もっとも緊要な目標であることは論を俟たない。

さらに、商業集積性を維持、強化するという目標を達成するための事業には、当然、加盟店の「店づくり・売り場づくりの改革」という課題が含まれる。このは「個店の仕事」とされてきたが、個々の加盟店レベルで対応出来る問題では無い。

 商業集積性の維持、強化はという課題は、集積間競争が常態化しているこんにち、けして安易に解決出来る問題では無い。さらに、ポスト基本計画という新しい要件も考慮すると、この目標は「商業集積としてのあり方」を明確に示すものであると同時に、①集積間競争のただ中において、②商店街が自力主体で実現出来るものでなければならない。

 課題は、「自力主体で再構築する商業集積としてのあり方を目標に定め、経営資源を集注して取り組むこと」
商業集積としてのあり方は、①自力主体構築出来る ②他の集積と棲み分けが可能 という条件をクリアすること。

 我々が提唱する「コミュニティモールプロジェクト」はまさに、この、今どきの商店街組織が、その存在価値を実現するための協働の目標として掲げられるべきもの。他の目標では存在意義=目的:「加盟店の発展への貢献」が出来ない、というのが現下の環境与件である。

 従来取り組まれて来た共同事業は、①商業集積としての商店街には特に問題は無い ②商店街を形成する各個店の売り場も問題がない という前提のもとで計画されている。これらは商店街間競争には有効だったが、こんにち中心となっている計画的商業集積との競争には効果が乏しい。

 現下の商店街活性化の目標は、「商業集積性の維持・確保」というかって商店街が経験したことの無いレベルの課題への挑戦。多種多様な商業集積が布陣する広域商圏において「商業集積としての存在価値」を掲げ、実現していくこと。
商店街組織の目的に照らしてこれに優先する目標は無い。

 繰り返しになるが、我々が提唱する「コミュニティモール」は、諸条件を満たす商牛集積として再構築を目指す目標として、現下、待機されている唯一の選択肢。
存在意義に照らして、達成すべき目標を決定しなければならない状況に立ち至っている商店街組織、千載一遇のチャンスである。

 商店街組織は、目的である加盟各個店の事業の改善発達に貢献するには、加盟店の自助努力を組織化し、商店街の商業集積としての持続可能性を維持、再構築することを最上位課題として掲げなければならない。この目標を達成するため、その資源や能力を集中することが求められている。

 まずは、執行部がこの最上位目標の決定を推進、組織の共有を実現すること。
新年度の事業はこれで決まり。決めきらないとまた一年棒に振ることになる。
採用するのも大変だろうが、他に選択の余地は無い、と言うことで。

 いうも愚かながら、この商店街組織の目標は、商店街の活性化=経済活力の向上を目指す都市経営上の課題としてんも商店街活性化が実現sub駅も評とまったくおなqじであることを付け加えておきたい。

支援コンサルタント

☆旧中活法=整備改善活性化法当時の記事ですが、今でもタウンマネージャーを設置される場合の参考になると思いまして。

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 中心市街地活性化に関する計画策定業務の支援は、『基本計画』~『TMO構想』段階はシンクタンク系、『テナントミックス計画』は商業系コンサルタント、と相場が決まっているようです。国の『実践行動マニュアル(テナントミックス手法に関する調査研究)』作成も商業系コンサルタントへの委託事業だったようですね。

 中心市街地のテナントミックス=テナントリーシングを正面業務にしている商業系コンサルタントの出番、と考えるのもムリからぬところですが、果たしてどうでしょうか。

 ここでいう商業系コンサルタントとは、大手商業資本とりわけ郊外型SCを展開するデベロッパー兼務の企業と提携・業務を受託する手腕・規模を有する企業です。
主として大型商業集積の開発・リニューアル業務、テナントミックス業務などに関わっており、その方面では豊富なネットワークを持っています。中心市街地関係では再開発事業などで手腕を発揮する人たちで、一般に中小企業診断士やタウンマネージャーなどに登録している人士とは異なる実務スキルの持ち主であります。

 ところがこれら商業コンサルタント、SC開発・テナントリーシングについては実務経験十二分、他に比肩するものとてないスキルの持ち主でありますが、中心市街地の既存集積の活性化、現状を否定して全面的に転換させる、という仕事は未経験のはずですから、業務内容の異同を踏まえ、あらためて適性を確認する、あるいは新たなスキルの装備を条件にする、という手だてが必要です。

 商業系コンサルタントの現状について、私が見た限り・一般論として批評してみます。
テナントミックス計画については、これから作成するところも多いでしょうから、参考になれば幸いです。

商業系コンサルタント チェックリスト

第一、『中活法』のスキームを理解しているか?

 中心市街地に立地するすべての商業集積をえいやっとまとめて一個の「ショッピングモール」と見なし、テナントミックス手法によるマネジメントを行うことで全体の活性化を実現する、ということが『中活法』~『テナントミックス計画』の使命です。

 この前提からすれば、中心市街地の「テナントミックスマネジメント」は、既存の集積・個店群の活性化=ショッピングモールのテナントたるにふさわしい業容への転換という業務を含んでいることになります。既存集積の状況を改善せずして空地・空店舗にショッピングモールのテナントにふさわしい企業を誘致=リーシングするなどということは、よほど好条件が無い限り不可能です。
百歩譲ってリーシングが可能であったとしても、街区の大半を占める既存の店舗群が旧態依然たる業容のままでは「ショッピングモール」を実現することは出来ません。
中心市街地のテナントミックス計画には、既存集積・個店群の活性化という課題を避けて通ることは出来ません。
 さらに、これらの既存店舗群の活性化にあたっては、「ショッピングモール」の構成要素としてふさわしい業容への転換、という条件が付いていることはいうまでもありません。これまでの自然成長的商業集積から「ショッピングモール」という「計画された集積」へ転換することで中心市街地全体の商業を活性化しようということですから。
 
 中心市街地活性化は、SC開発ともリニューアルともまったく異なった仕事です。委託される商業系コンサルタントは、このあたりの条件をきちんと理解しているのか? ということをチェックすることが必要です。


第二、「ショッピングモール」を理論づけているか。

 「ショッピングモール」には次のような条件が前提されます。

1.中心市街地の全集積を総括できる概念であること
2.郊外型ショッピングセンターとの位置関係を明確にすること
3.中心市街地の現状から転換・実現が可能であること

 如何ですか、「中心市街地のすべての商業集積を一個のショッピングモールと見立てて整備、運営する」といったとたん、「ショッピングモール」は、1~3の要件を満たす「なにものか」であることが求められているのです。

 特に2については、熟慮することが必要です。郊外型ショッピングセンター、商業コンサルタントの用語でいえば、RSC:リージョナルショッピングセンター(ジャスコなどが核になり、「専門店」群でモールを形成している)です。
これとの関係をどう考えるのか? 戦うのかそれとも棲み分けるのか?
 どちらの道を選択するにせよ、「ショッピングモールとは何か」ということをしっかり考えないと活性化への道を選択することは出来ません。

 TMOが郊外型SCと戦う・勝利して活性化を実現する、という道を選べば次に直面するのは、郊外型SCとの「テナント争奪」です。これはホント難しい。
今日、SC間競争とは「テナント争奪」と同義ですから、TMOは乏しい手兵を率いてこの争奪戦に参戦することになる、売り手優位のテナント市場、テナント候補のほとんどは郊外型SCへの出店常連組ですから、勝手の分からない中心市街地の「ショッピングモール」などという得体の知れない立地においそれと出店するはずはないのであります。
戦う、というのは血沸き肉踊る方針ではありますが、とうてい勝ち目はありません。テナント誘致条件の優劣で勝負にならない。

 他の手段、たとえば既存店舗群が郊外型SCの個々のテナントをベンチマークに模倣することで「出来損ないのSC」を目指すのか? ムリムリ。第一、既存個店群がこういう話に乗ってくるはずがない。
 つまり、ショッピングモールは、郊外型SCとは異なる道を選択しないと存続することが出来ない、ということになります。

 では、郊外型SCとは異なる道とはいったいどのような道なのか? という段になって、商業系コンサルタントのスキルと中心市街地活性化という課題とのミスマッチが露わになります。
 SC理論を理論体系の根幹においている人たちは、SC理論を、従って郊外型SCを乗り越える方向を理論的に打ち出すことが出来ません。

第三、商業系コンサルタントが装備している理論とは?

 これはいうまでもなく、「SC理論」などといわれるものです。ほら、商圏人口やテナント数、来店頻度などで区分したという、NSC、CSC、RSC(ついでにSRSC、も一つついでにSSRSCとか)という分類ですね。
これはご承知の通り、米国で20年以上前に、郊外型商業集積の現状を分析するために作られた理論ですが、当時は、その後急成長することになるディスカウントストア、カテゴリーキラー、パワーセンター、アウトレットモール、スーパーセンターなどという業態・集積が登場していませんでした。このような業態・集積が出現するたびにSCは様々な影響を受けており、特に、CSCについては各業態から売り場を簒奪され、完膚無きまでに打撃を受け壊滅状態、「SC理論」は商業の現状分析のツールとしては恐ろしく実態に合わない理論になっています。

 日本の場合、商業理論は米国版の翻訳で登場、今日ではトンデモな内容になっていることは、「商圏分析手法」をはじめ、当サイトでたびたびご紹介しているところです。実務レベルについても郊外型SCの最新事例について何度か論評しています。一言でいえば、我が国のSC理論のレベルはSC及びその経営環境を反映していないのです。

 しかしながら、理論とは外界を見るためのメガネですから、生まれたときから同じメガネをかけ続けていると、映ったまんまが即外界の真の姿、怪しむことが出来ません。
イエ、ホントは実際のお客のライフスタイルや購買行動を観察すればたちどころに疑問が生じるところでありますが、せっかく体得した理論ですから、これで出来る限りやっていきたい、という気持ちも理解できないこともありません。あたりを見回すと五十歩百歩、『流通革新』以下、ほぼ同じレベルでやってますからね。
先人達が営々として蓄積してきた「理論」が現実とミスマッチ状態に陥っている、これを転覆・取り替えないと自社・業界の明日は無いという、危機感・問題意識を持ち合わせておいでとは、私の乏しい見聞に依る限り、とうてい思えないのであります。

 十年一日、旧態依然たるSC理論がまかり通っている、というのが現状ですが、はて、この理論に「ショッピングモール」=中心市街地の商業集積群が一致協力して実現を目指す「商業集積」の実現について、何らかの理論的・実践的な貢献が期待できるものだろうか、というのが私の単純素朴な疑問です。

 いつも申しあげているとおり、中心市街地の商業集積をこぞって活性化するためには、郊外型SCを横目で見ながら直進、中心市街地までショッピングに行くのだ、という明確なデスティネーションを確立しなければならないのですが、現在郊外型SCを鋭意指導中の理論にそれを期待するのは、木に登って魚を求めるようなもの、となりかねません。

 いつか来た道を繰り返さないためには、コンサルタントが装備している理論と当方が直面している課題との整合性をしっかり確認することが必要です。

三方好しのコミュニティモール

 商店街立地の中小商業者にとって、商店街組織に加盟し事業に参加する意義は何か、といえば何でしょうかね。商店街組織は、中小商業者の協同組織としての役割を果たせる状況にはないのではないか。特に未曾有の環境変化への対応という課題への対応において、
商店街組織は有効な施策を講じることが出来ないまま今日に至っている。

 状況を突破していくには何が必要か。その方法として我々が提唱しているのが「コミュニティモールプロジェクト」。
ゆ~たらなんですが、これは最善手ですよ、たぶん。個店の増収増益を実現しながら広域商圏における商業集積としてのポジションを再構築する、というプロジェクトが幾種類も立案出来ることは無いでしょう。そもそも問題意識が無かったりして。

 商店街組織と個店の関係、これは誰の責任ということでもない、協同で脱却しなければならない状況だ。脱却の方法は我々が提案しており、少数だが既に採用着手している商店街組織がある。

 あらためて考えてみると、コミュニティモールプロジェクトは、都市経営、商店街組織、個店の三者の課題を一挙に解決する起死回生の術式であることが理解されます。問題は、そのことを理解し、我が商店街の活性化策として採用することが出来るかどうか。実はここが難しかったりしますね。


念のため。
「コミュニティモールプロジェクト」のご紹介

虚構の上に築かれた商店街活性化

商店街活性化事業のすべては、個店には「新規顧客創出能力」が完備している、という仮説を前提に組み立てられている。すなわち、すべての事業は、個店の「新規顧客創出能力」のもとに、「お客のタネを届ける」事業に他ならない。全事業の成果は、究極、個店群の「新規顧客創出能力」に依存している。

個店群の「新規顧客創出能力」は機能しているか?
個店売り場は、店前通行量を入店客―得意客に転化する力を持っているか?
この力が発揮されないと、活性化事業は全部すべってしまいますが。

ということで、
商店街活性化と銘打たれて取り組まれる各種の事業は、
個店の「新規顧客創出能力」は十全に機能している、
不足しているのは「客のタネ」だけ、
というもの凄い仮説の上に組み立てられているわけですね。
わ~、こんなこと言っていいのかしら(^_^)

で、「客のタネ」が藻谷浩介先生唱導の「住む人来る人」ですね。
住む人来る人が増えれば商店街は活性化する。
なぜなら、その売り場は人さえ来れば得意客に変える力を持っているから。
これが藻谷的仮説の隠された?前提ですが、個店群がその力を持っているかどうかは、街を歩いてみればすぐ分かる。

歩けばすぐ分かる=仮説は反証されるのに仮説が生きているのは、街を自分の眼で見たことが無い人が仮説を立て、同様に街を歩いたことが無い、歩いたことが無い人がそれを指示しているから、でしょうかね

活性化は人口に依存するか?

10年ほど前の記事 再掲です。
古くならない分、取り組みがグダグダと言うことです。


■活性化は人口に依存するか?

中心市街地の活性化、ひいてはそこに立地する商業を活性化するためには、
①定住人口を増やし、
②来訪人口を増やすことで
③通行量を増やせばよい
という「頭数増大策」を提唱し、実行する人たちがいます。
典型的には当フォーラムでその主張を検討した藻谷浩介さん。

活性化は人口に依存するというのは、来街目的不問、何でもいいからとにかく通りを歩く人を増やす=通行量として算定できる人数=頭数を増やせばよい、という考え方ですから、「頭数」がぴったり、けして悪口ではありません。

いやしくも「法」のスキームに基づいて中心市街地活性化を目指そうとする場合、このような立場を採用することの弊害は目に余るものがあります。
推し進めればこれはもう「やってはいけない中心市街地活性化策の見本、総合展示会」といった情景になることは確実でありまして、取り組んだ結果、商業の空洞化はさらに進み、かつ、目標である「通行量」もけして向上することがない、という惨憺たる結果がもたらされることは火を見るより明らか、という代物です。

恐るべし・人口依存派。
当フォーラムにおいでくださる皆さんにとってはすでに過去の話題でしょうから、ここでこれ以上批判する必要は無いと思いますが、リアルではいろいろありまして(笑

施行以来7年、スキームの前途も複雑になってきましたね。

■人口(通行量)増大と商店街活性化

いいんですよ、人口(通行量)増大策を講じていただいて。

しかし、それが商店街・中心市街地活性化を実現するためのメインディッシュだと言われるとですね・・・。
商店街が活性化するためには、ショッピングという行動の受け皿になる機能を作り上げる、という仕事をヌキにすることは出来ません。
買い物目的が無くてど~して商店街にわざわざ出かけてくるのか?
買い物目的の来街者が激減している=買い物行き先としての魅力に乏しい,、つまり商業機能が劣化している(だから活性化が必要だ!)商店街が、イベントその他で通行量を増大したからといって、通行人が買い物客に変わることは無いだろ~が、このお!(笑

イベント見物に来たお客が、出かけてくるときは予定していなかった買い物をすることを「衝動購買」と言います。
衝動購買、AIDMAなしのAIDCAですね。
つまり、イベントその他で街に出かけてきて、ふとショーウインドを見たとたん、衝動入店&買い上げという行動が誘発される、という次第ですから、これはよほど店づくりに魅力がないと起こり得ない購買行動です。

衝動購買が期待できるのは、魅力十分、お得意さんをたくさん持っているお店に限られる、ということでありまして、イベントやったら人が増える、売り上げが期待できる、などとこの期に及んでいまなお夢物語が忘れられないレベルのお店で実現することではありません。
こんなことは、ちょっと自分の頭を使えば分かること。思い至らないのは、活性化を他人事だと考えている証拠。
だからアタマが働かない(笑)

といわれても。
まだ人通りが増えれば売り上げ増大、あるいは新規の商業者の出店ラッシュがある、などという妄想から抜け出せない人は、「人通りが多い」と評判の商店街をとくと視察して来ていただきたい。これは各地にあるはずでから、「通行量」が果たしてお店の入店客数、買い上げ客数になっているかどうか。
自分の目でしっかり確認して来られることをお勧めします。

そして。
通行量は多くても入店客数はそれに比例しているわけではない、という実態を理解したら。
さっさと「人口依存」路線に決別、自力更正を目指して「ショッピングモールとしての再構築」へと大きく舵を切っていただきたい。
視察に行くときは、視察の結果に基づいて行動する、という覚悟を決めておくことが大切です。

ということで、当サイト、「人口依存派」批判はこれからさらに注力していきたいと考えています。
人口依存派路線を採用した商店街、自力でやることはな~んも無くてラクチンですが、それは街の消滅に至る道だということをしっかり承知していただきたい。
といってもこの路線を走ろうとしている商店街・TMOなどの関係者が当サイトの・しかもこんな奥まったところまで来るはずがありません。
該当する商店街、TMOなどの心当たりがある人は、この際、是非とも当サイトとの理論的(笑)対決を奨励してください。

ポスト基本計画の商店街活性化


ポスト中心市街地活性化基本計画の商店街活性化☆

 この話題、繰り返しですが、数値目標の達成状況とは無関係に、これまで取り組まれた基本計画で中心市街地・商業街区が活性化した、という報告はありません。居住人口・通行量は増えても商店街は活性化出来ない。

基本計画には、これまで各地で開発された多種多様な活性化策が盛り込まれています。それらの事業に行政、まちづくり会社、商店街が協同で取り組んでも活性化出来ない、ということはもはや従来の取り組みのパターンでは商店街は活性化できない、と判断しなければならないと思いますが、如何でしょうか?

 これまでの取り組みの特徴は、個別の活性化事業に単発・一過性の事業ばかり。

 問題は、これらの事業で実現を目指す上位目標が設定されていないこと。通行量増大のために取り組まれる集客イベントなどが良い例です。一過性の集客イベントに取り組めば当日は来街者が増えます。しかし、イベントの目的は当日の来街者ではありません。イベントの翌日以降の来街者~通行量の増大のはずです。したがって、集客イベントに取り組むにあたっては、イベント来街者にイベント終了後の普通の日に買い物目的で来街してもらう=商店街の顧客になってもらうための「仕掛け」が必要です。
「仕掛け」があって初めて集客イベントが顧客創出=通行量増大のための取り組みになるわけです。

 ところが。
実際のイベントは、「顧客創出」につなぐ仕掛け無し、単発一過性で取り組まれています。これではイベント~顧客創出という流れは作れません。当日もりあがっておしまい、という取り組みが賑わい創出とか、商店街活性化というお題目の下で繰り広げられて、ジ・エンド、後片付けが終わればきれいさっぱり、後には何も残りません。翌日から街はイベント前日同様のたたづまいに戻ります。
これを何十年も繰り返した結果として今日の商店街があるわけですが、ここから先をどうするのか?

 我々は「コミュニティモール」という、商店街のすべての営みを結集して実現を目指す究極の目標を提案していますが。

 これはけして机上の空論ではありませんよ。
懸案であるポイントカードの活性化、集客イベントの成果の蓄積、空店舗のテナントミックス資源としての活用、そして何より各個店売り場の「売れる売り場」への転換と活性化実現に必要な様々の取り組みが、この最上位目標の実現に向けて一体的に推進される。
取り組みは既に始まっています。

この取り組み、遅れを取るわけにはいきませんよ。 

時間堪能型消費

マーケティング方面ではモノからコトへ、とよく言われ、「時間消費」という概念も眼にします。
時間消費、はて、時間を消費するとはどういうことか?
いずれにせよ、時間は過ぎて行くもの、つまりは消費されて行くものではないか?
と思っていましたが、考え直して見れば、これは時間の過ごし方を消費の対象にする、ということ。自分が「こんな風に過ごしたい」と期待する時間を堪能することにお金を掛ける、ということ。つまり、表題になります。

「時間堪能型消費」は、長年使用している概念、初見方は検索して見てください。

我々はいつも環境に包まれて時間を過ごします。時間を堪能するとは環境を堪能すること、堪能出来る環境を作り、それに囲まれて存在すること、それが時間を堪能する、消費するということでしょう。
このように考えてくると、時間を堪能するためには、環境の質が問題だということが分かります。
小売業、サービス業の店作りの新しい着眼です。

もう一つ、我々が重用する概念に「高度必需」があります。
是非こんな風に時間を過ごしたい、という期待と期待する時間を過ごすために無くてはならないもの、代替を入手することが困難なものを意味します。
誰のどのような高度必需、時間堪能に貢献するのか?
地場小売業・サービス業のコンセプトのテーマです。

ちなみに、キラリ輝く繁盛店づくり、売れる売り場づくりは「時間堪能型消費」をターゲットにしていることは、受講された皆さんは周知徹底しているはずですが、覚えていますよね(^_^)

忘れた人は「サイト内検索」でご確認。

非常時を克服するプロジェクト

商店街活性化という呼称のもと、様々な事業が取り組まれていますが、観察すると大きく二つに分けられます。
第一は、販売促進事業。来街者を増やすためのソフト、ハード事業の数々。個店販促三種の神器まで。
その趣旨は、商店街―個店の「ショッピングの場」としてのあり方には特に問題は無い。
来街者、来店者さえ確保すれば客数・客単価が向上、増収増益を実現できる、という考えに基づいています。
商店街―個店に特に重大な課題は無い。つまり、平時の取り組みです。

  第二の考え方は、商店街―個店の現状は、「もの余り・店あまり」時代の消費購買行動の受け皿として不十分である。改善しなければ販促事業の成果は得られず、業績は落ち込むばかり、として対策を講じるもの。非常時の取り組みです。

  両者の取り組みにははっきりした違いがあります。
それは、ショッピング目的の来街者・消費購買行動の受け皿である「個店」「売り場」の改革に取り組むかどうか。

  平時の取り組みならもちろんその必要はありません。「個店」「売り場」の改革という問題意識はありませんから、集客の仕掛けをすれば来街者が増え、個店の買い物客が増える、と考えて事業に取り組みます。
しかし、その結果はどうでしょうか。集客事業、販促事業で個店のお客がふえ、街が買い物客で賑わう、という成果が上がっているというニュースはほとんどありません。
ということは、つまりり、現在は平時では無い、非常時である、ということでは無いでしょうか。
非常時だから、平時なら効果があるはずの販促事業にほとんど成果が見られない・・・。

  一方、非常時と見なして対策を講じる側は、非常時への対処として取り組む問題を「陳腐化している個店・売り場の改革」ととらえて取り組みを組織します。シャッターの内側に入り込んでいく取り組み。
商店街は、立地する個店のこれまでの経験では十分な対応が出来ない環境の変化に見舞われており、従来取り組んできた販売促進によって業績を維持する音ひゃむずかしくなっています。
経営の持続可能性を維持するためには個店群の経験を超えた取り組みが不可欠になっています。
これが非常時であるゆえんです。

  経験したことの無い状況に対応するためには、仮説を立て、試行することが必要ですが、そのためには仮説のもととなる商業についての理論とそれを実地に活かしてく技術が必要です。前述したようにこの理論と技術はこれまでの商店街には存在しなかったものであり、新しく獲得し、使いこなすことが必要です。この取組無くして非常時において商店街を維持し発展させることは出来ません。

  あなたの街は現状をどう認識していますか?
平時でしょうか、それとも非常時でしょうか?

その認識のあり方に基づく行動があなたの街の将来を決定します。
昨日と同じことを明日も続けよいものかどうか、あらためて考えて見ていただきたい。
平時と非常時を分かつもの、それは商店街を維持し活性化するために、様々な取組の中で、商店街を商店街たらしめている個店の売り場を「ショッピングの場」をして作り直していくことを核心に置くことです。

  今、各地で非常時を乗り切って行く新しい取り組みが始まっています。
当社が提唱する「コミュニティモールプロジェクト」は、その取り組みの一つです。
プロジェクトに取り組むことで、名実ともに都市、コミュニティの担い手としての商店街を再構築していく、非常時を克服していく道を選択されることを期待します。

スタンプ事業革新の時

今企画中の「仮説ー試行」は、スタンプを常用購買の販促に限定するのでは無く、文字どおり販売の促進=日ごろ買わない商品を買ってもらう訴求に使おうというもの。

スタンプを「衝動買い」誘発の武器にしようと言うことで、これは本邦初の試みかも知れません。うまく行けば、スタンプの価値が大きく変わります。今月中には実験できると思います。

ともかく、これまでの取り組みでは先行きが厳しくなる一方ということはハッキリしています。
倍々セールもいつものメンバーにしか効果が無い。

新規顧客の確保、休眠加盟店の覚醒、新規加盟の登場と、久しく起こっていないことが次々に起こるはず、これこそ新時代のスタンプの効果、ということが実証されるといいですね。

☆スタンプ事業の交流会

これから取り組むスタンプ事業の改革が成功したら、これは是非希望される商店街に拡散したい。

廃止のカウントダウンに入ろうとしている商店街の話も聞くがもう少し辛抱しているといい話が伝わってくるかも。
一度止めたらもう永遠にお終いですからね。

企画中の取り組みはスタンプを衝動買い、新規固定客確保に活用するという、これまでに無い位置づけの取り組み。
来週は実施の有無が決まるとのこと。

楽しみです。

もちろん、この取り組みは、コミュニティモールプロジェクトの一環として取り組まれます。費用はスタンプ組織と事業に参加する有志の賦課金。
この取り組みに限らず、これからの商店街活性化は、参加する有志が賦課金を負担することが当たり前になります。参加すれば売上がアップするんですから文句ないですよね。

そうそう、交流会の前に現地視察会を開催するのもいいですね。

繁盛店づくりは自分への投資で取り組む

 個店の増収増益をめざし取り組み、もし組合が企画すれば特別賦課金を払って参加しますか?
全員参加とは行かないので有志による取り組みになることは確実。
そのとき、あなたは賦課金を払って参加する気がありますか?
これまでの経験では、業種を問わず造酒増益を実現している取り組みだとしたら?

 というような取り組みが現実に始まっています。
座学と臨店指導セット。今どき売れる売り場づくりに個店ごとに取り組むのはお金も時間も大変です。組合が主催することで、普通ならとても考えられない経費負担で自店の売場を売れる売り場に変えることが出来ます。

 その技術を修得しますから、そこから先は自力でいつでも好きなときにレイアウト、ディスプレイを変えることが出来るようになります。一度の出費でこの先ずうっと活用出来る理論と技術が修得できる。組合主催、希望者参加、というこれまであまり無かった活動です。
前述のとおり、既に始まっています。

もちろん、不可逆的な増収増益の実現は言うまでもありません。
これもずうっと続きます。
勉強して増収増益を実現することがどんなに素晴らしいことか(^_^)

こういう取り組みが当たり前になるといいですね。

専門用語の共有という課題

 商店街活性化がスタートしてもうすぐ半世紀になります。
もう取り組まれていない事業は無い、というくらいソフト・ハード両面にわたって多種多様な事業が取り組まれて来ましたが、まったく着手されていない作業があります。

 活性化の取組で使用する専門用語の定義を共有する、という作業です。活性化、まちづくり、エリアイノベーション、賑わい創出、通行量の増大、コミュニティの担い手、回遊、販売促進、タウンマネジメント、テナントミックス、数値目標、PDCA等々々

 誰もが何気なく使っていますが、ではそれらの言葉は一体何を意味しているのか?と聞かれて、きちんと答えられる人がどれくらいいるでしょうか?
もっとも基本となる「商店街活性化」についてはどうでしょうか? 商店街活性化とは商店街がどうなることか?

 商店街ごとに課題が違うのだから定義は出来ない、という人もいるかも知れませんが、そんなことはありません。
商業集積としての維持が困難になっている商店街をもう一度商業集積として持続可能にする、と言うことでは活性化に取り組む商店街の目的は同じです。
したがって、「商店街活性化」はきちんと定義しそれ以外鬼みでは使わないようにすることが重要です。
定義しない商店街活性化、上位目的の無い活性化事業を思いついて補助金を使う、補助事業そのものが自己目的化して事業が終了し、報告書を提出して一件落着、というのは商店街活性化が定義されておらず、自己流・その時々の解釈で補助事業に取り組む二発合がいいかもしれませんが、その結果として商店街が(どんな意味にせよ)活性化することは無かった、というのがこれまでの経緯ですね。

 添付した画像は有名なバベルの塔です。
人間が天まで届く塔を建て始めた神さまたちが、その傲慢を怒って、民族ごとに使う言葉を変えてしまった、その結果、人間どもは言葉通じなくなり、塔建設が挫折した、という神話ですね。

 「商店街活性化」という大プロジェクトは、バベルの塔と同じ、言葉が共有されていないので、仕事が出来ません。仕事らしいことには取り組めるのですが、その仕事の結果何がどうなるのか、そのためにはその仕事と前後して何に取り組まなければならないか、とおったことは一切お構いなし。ひたすら、眼前の補助事業に取り組むばかり・・・。

 と言うことでここまでやって来たわけですが、言葉を共有しないまま取り組んで来た「中心市街地活性化基本計画」が終了、これからほんまもんの商店街活性化に取り組む、と言うとき、障害になるのが「言葉が旧有されていない」という現実。

 「コミュニティモールプロジェクト」は取組の中で言葉の共有を実現していきますが、その前に、何故これからは「コミュニティモールプロジェクトなのか」ということを共有する、という作業があって、これが結構大変な作業のようなのです。
第一「ポスト基本計画」という問題状況が商店街にとってどんなに厳しい状況なのか、半面、的確に理解して行動すればこれまでに無い可能性が引かれている、問うことをどう共有していくのか。

 自治体、指導団体などを含めてスタートラインに着くのは結構な仕事です。

 これまで「専門用語の定義の共有」という重要な課題への取り組みをまったく指導しなかった学識経験者さん達は何を考えていたのか、聞いてみたくなりますね。

コミュニティの担い手・商店街

 ひと頃流行りましたが、最近はあまり聞かれなくなりましたね。

 存在するだけでコミュニティを担ったいるのか、コミュニティを担う方向で活路を確保せよ、ということなのか。
おそらく両方の意味を持って掲げられた「スローガン」なのでしょうが、先店舗を利用した「コミュニティ施設」などがつくられ
ました。一方で商業集積としての商店街がいっそうコミュニティに近づいて行く、といった商店街のあり方の改革が取り組まれたかと言えば、どうでしょうか。

 これまでの活性化事業と同じく、「コミュニティ機能」的な何かを「加上」しただけ。商店街の商業集積としての機能が改善されることはほとんど無かった。

 そのため、折角導入したコミュニティ施設なども機能しないまま放置されている事例が多くなっているのではないか。

 あらためて商店街がコミュニティの担い手である、とはどのような意味なのか、考えて見ることが必要ですが、これは商店街活性化に同伴している学経さんの仕事ですね。
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プロフィール

有限会社 クオールエイド

  • Author:有限会社 クオールエイド
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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