商店街界隈の「トンデモ本」

 takeoは目下、トンデモ本:『商店街再生の罠』について連続ツィート中です。http://p.tl/UYao

 「トンデモ本」とは何か? ちゃんと定義しています。

1.商業についての「理論的理解」を欠いている
2.商店街を活性化する論理と戦略を欠いている
3.1および2を欠いたままで商店街活性化を論じていいと思っている
という「トンデモ三条件」を兼備した本のことです。
(※理論的理解については少々面倒なので後ほど説明)

 大手出版社の編集スタッフによるスクリーニングを経て出版される本がまさかトンデモだとは信じがたいかも知れませんが、どっこい、出版され流通している商店街活性化関係の本のほとんどが三条件を備えたトンデモです。
(もちろん、中心市街地活性化、タウンマネジメント関係の本も)

 トンデモレベルの本が相次いで出版社されるということは出版社の関係スタッフも「トンデモ」に分類される人たちで占められている、あるいは彼らが"トンデモ本は商売になる"と割り切っているからでしょうが、本のトンデモぶりから察すると、スタッフにもトンデモが蔓延していると考えた方がいいのかも。
トンデモを読んで"眼からウロコが落ちる"人たちも結構いるわけで、トンデモ本の世界は、
書く人
出す人
買う人
という三者のもたれ合いで成立しています。

 さて、ツィートで厳しく批判している『再生の罠』については、真面目に取り上げるのが馬鹿馬鹿しくなるレベル、忙しい仕事の合間をぬって相手する値打ちなどまったく無い本ですが、中で豊後高田市昭和の町と日田市豆田町商店街について、著者・久繁哲之介は自分の妄想臆断だけを根拠にあたかも両商店街の取組が"商店街活性化・失敗事例の典型"であるかのような誹謗中傷を加えています。
判断の根拠は、トキハでおばさんから聞いた、自転車で走っていたカップルが喋っていた等々・・・。
はて、著者はこれまで両商店街とどな関わりがあったのだろうか?と調べてみたくなるようなレトリックを使っています。

 そのトンデモぶりは一読すれば誰の目にも明らかになるレベルだと思うのですが、著者略歴や出版社名のハロー効果で"昭和の町と豆田町は失敗事例"と早合点するトンデモ派が既に発生しており、放置しておくとトンデモが一人歩き、トンデモがトンデモを呼ぶ事態にならないとも限りません。
両商店街の皆さんは、笑い話で済ませるかも知れませんが、ことはそう簡単では無いのでありまして、どこでどのようなマイナス効果が発生するか、こういう話トンデモは早い段階できちんと手を打つことが必要です。

 その第一段階としてそのトンデモぶりを白日の下にさらそうというのが連続ツィートの趣旨、近くきちんとまとめてしかるべき体裁でアップしなおします。

 ツィートで取り上げているのは昭和の町、豆田町関係だけですが、同書は全編トンデモ満載ですから、取り上げられている地域、関係者には憤慨のタネが満載されています。
あちこちで批判の火の手が上がることが同水準のトンデモ本蔓延の予防になります。
とりあえず、ツイログの拡散にご協力ください。http://p.tl/UYao

 ところで著者は商店街活性化が成功しないのは、行政の無能と商業者の怠惰が原因と散々悪態をついていますが、指導支援に当たった"学識経験者、コンサルタント、プランナーなどへの批判はまったくありません。知ってか知らずか「わな」を仕掛けたのは指導支援方面の人々では無いのか。少なくとも「共謀」関係にあることは間違いありません。
本の奥書によれば著者久繁哲之介氏は、"地域再生プランナー"を自称しています。「地域再生プランナー」とは何者か?商店街活性化も「再生プランニング」の対象としていることは本書を見れば明らかですが、専門家である以上、自身が手がけた商店街の「活性化成功ストーリー」をぜひ開陳すべきと思いますが、自身の経験についてはほとんど口を閉ざしています。奇妙なことです。

アベノミクス:「三本の矢」には『的』が無い!

 アベノミクス」:①公共投資 ②金融緩和 ③成長戦略を三本の矢として新たな経済成長の構造を作ろうというのですが、「三本の矢」をどこをめがけて射放てば見事所期の目的を果たすことが出来るのか?

 と思ってどんな『的』に向けて矢を放とうとしているのか、確かめてみますと・・・?
3番目に“成長分野”と喧伝される産業分野が掲げられているだけ、ここに向けて続けざまに、あるいは段階的に矢を放つことで目的を達成するのだ、という『的』が定められておりません。三本の矢をどのようなシナリオに基づいて放っていくのか、という戦略が無いのです。
この点、小泉政権の「構造改革」とよく似ていまして、もちろん、国内経済の好転、持続的成長を可能にする経済構造の再構築にいたる道筋はまったく描かれておりません。

 このあたり、先人はどう論じられているか。

※シュンペーター的経済発展:
1.新商品・サービスの開発
2.生産方式の革新
3.新販路の開拓
4.原料、半製品の革新、調達法の革新
5.新組織の創出
(『経済発展の理論』上 p101)

 もちろん、これらは既存の競合を駆逐するレベル(質・量)で実現可能であること、所要の投資は不可欠です。

※清成忠男的「(地域における)産業振興の方向」:
1.移入代替
2.移出代替
3.移出財の再移入阻止
4.既存産業の見直し
5.新産業の創出
(『80年代の地域振興』p15)

 「新成長」を実現するために放つ“三本の矢”の標的はどこに定めるべきか?
国の基本戦略ですから当然、全国津々浦々において取組可能であり、かつ、均霑(トリクルダウン)、循環(投資―貯蓄、消費―所得)が見込まれる分野、課題にフォーカスすることが必要です。この不可欠の“的”が定められていないのがアベノミクスの現在の水準です。(これから化ける可能性も皆無では無いですけど。)

 さて、先人の教導および我田引水を心がけつつ(笑、当社なりに“日本国経済の持続可能性を再構築する”という上位目的の達成に戦略的に貢献するという使命を帯びた「三本の矢」が射貫くべき『的』の条件を考えて見ますと。

一の矢:公共投資・・・(全国・全都市)当該地域における所得―消費循環の再構築
二の矢:金融緩和・・・(全国・全都市)当該地域における投資機会の発見と誘発
三の矢:成長分野・・・製造―流通―小売 全段階の成長に直結すること

 という条件がないと、たとえ一時的にGDPがアップしても上位目的を達成する持続的に成長していく経済構造の再構築は不可能です。

 そこで注目されるのが、国内消費財産業(製造-卸売-小売=製―流―販)の総体としての活性化を実現するという課題。

①について、都市中心市街地に生活堪能・ラグジュアリーニーズ対応の商業集積を再構築する(商店街活性化)
②について ①の進展で国内消費財産業(製-流-販)の構造革新・投資需要の拡大
③成長分野:国民生活における“時間堪能ニーズ”に対する商品・サービスの拡充で、“生活を楽しむ”ニーズへの対応という新しい成長分野が生まれる。

 「三本の矢」は生活堪能というまだ意識的な開発が進んでいない生活ニーズをターゲットに、国内消費財産業(製・流・販)の一体的活性化を目指すことで成果をあげることができる。そのスタートが「商店街活性化―中心市街地活性化」ですね。

 アベノミクス、的が定まっていない三本の矢は方向が定まら無いまま施行段階に入っていますが、このままではもちろん、グローバル化の後押しに終始します。グローバル化とは製―流―販のグローバル化、その進展は国民が営々として築いてきた国内経済循環のいっそうの、急激な、再生不能な破壊をもたらします。それはもちろん、国民生活の根底からの破壊に直結します。

 経済政策は、持続可能な都市経営の再構築という全国共通の課題への取組と一日も早く直結させなければならない。適切な“的”を設定しないまま放たれる三本の矢は、こと志と異なって、地方都市衰退を後押ししてしまうことになりかねません。

 われわれとしては、「持続可能な都市経営~中心市街地・商店街活性化」との関連でしかアベノミクスを評価することは出来ないわけで、“新成長戦略”の中身に“持続可能な都市経営”の進展に効果的な施策が、いつ・どのように講じられるのか、注視したいと思います。
三本の矢、的をハッキリ掲げないと三本が四本、五本になっても効果が挙がりません。

 “加上”ではダメだ、ということはこれまでの経験でイヤというほど確認しましたからね。

商店街活性化 不毛の遠因

 商店街活性化とは商店街がどうなることか?
根本的な定義が行われないまま数十年にわたって“加上原理”に基づく取組が繰り広げられているわけですが、現場にはちゃんと理由がありまして、高度成長という「時流」に乗って繁盛を実現してきた皆さんが、
①これまで繁盛していたのに売れなくなった
②競合に比べて何かが不足しているからだ(特に大型店と比較して)
という発想のもと、
③不足しているものを加上する
ことで活性化を実現しようとなったのは無理もないことです。

 しかし、本当の問題は“加上”では無く、お客に選ばれる買い物の場として作り直す、ことですから努力が報われなかった―今に至るまで―のは当然です。
活性化を実現するには加上原理に代わる商店街活性化への道を理論的に構築しなければならない。

 しかし、「加上原理からの脱却」という課題を日々の商売に専念しなければならない商業者が発見し、それに代わる方法と方向を構築する、というのは大変難しい。第一商業者には時間が作れないでしょう。
誰の仕事かと言えば、当然、指導支援に当たる専門家、それも「商学」を専門分野とする専業学者の皆さん。

数十年にわたって混迷する活性化の実状を俯瞰すれば、加上原理では商店街活性化は不可能だ、という結論が出されても良いと思うのですが、でも、皆さん、もっぱら“加上原理”を唱道したり、追随したりするばかり、誰一人としてそういう仕事はしていませんね。
どうしてこういうことになっているのか?

 三家英治という商業学専攻の学者がおられます。
当欄では大分前に『現代日本小売経営戦略史(杲洋書房 1985)』を紹介しました。商店街活性化関係者にお奨め、大変参考になります。

 理論としての商業学の構築を目指しておられますが、この先生曰く。

“商業に関する学問は、日本では江戸時代から発達し始めめており、経済学や経営学のルーツにもなっている。しかし、その後の学問的発展は,残念ながらお粗末としか言いようのないレベルに留まっている。”(三家英治『要説 商業とは何か(杲洋書房 1994)』p22)
と喝破しています。「商業学」についてさらに。
①商学部でも軽視されてきた学問
②若手学者はマーケティングを研究し、商学を研究しない
③マーケティング学者が片手間に商学を教えている
④ただただ古いイメージで、忘れ去られた学問になりつつある
という状態にあり、この衰退の原因は商業への社会的偏見から 
①商学理論の供給側=才能ある学者が商学を避ける→立派な理論や研究が少ない。
②商学理論の需要側=商業の業界に優秀な人材が集まらない、商業者は商売と学問は違うと考えている→理論を学習しないし、本も読まない 

 という状況にあると言っています。
このあたりが「商店街活性化」のあるべき方法と方向について一向に対案が提出されず、もっぱら現場サイドの加上原理を超克できない遠因ということが出来るかも知れません。

 試みに商学方面の学者が書いた商店街活性化への提案などを見ますと、加上原理を超えるものはありません。そもそも「なぜ商店街は活性化出来ないのか」という問題意識すらありません。

 小売商業とは何か?
①消費財を
②他から調達もしくは自ら製造して
③最終消費者に提供する
ことを機会とする営利事業です。

 最終消費者すなわち、自分の生活を作り挙げるために消費財を購入する消費購買行動の「受け皿」を自らリスクを張って構築するのが商業者です。現代においては、“商業無くして生活は成立せず、商業の繁盛無くして経済の発展も無い”のでありまして、さらに、商業が地場事業者によって担われることが都市経営の基礎体力となる「域内資金循環」再構築のカナメであることを考え合わせると、商店街活性化を導く力を持った「商業学」の再構築は喫緊の課題、もっぱら加上原理をに追随して怪しむことの無い人たちに任せておくわけにはいかないと思いますが、さて、新しい商業学、商店街活性化に間に合うように登場するものかどうか。
商業学の存在価値が問われています。
有限会社クオールエイド
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有限会社 クオールエイド

  • Author:有限会社 クオールエイド
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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