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地殻変動期のコンサルタント

 現在を“百年に一度の暴風雨”ではなく、資本主義が主流を占める経済システムの地殻変動期と見れば、これまでの組織経営をはじめ「問題解決」についての枠組みをあらためて吟味することが必要です。
特に「問題解決」についての専門家である経営コンサルタントは、真っ先にこの仕事に取り組み、成果を新しい枠組みとして潜在的クライアントに売り込まなければならない。

 クオールエイド社のサイトには、現役のコンサルタントさんが予備軍を含め、結構お出でになっています。
変動期という認識の有無は別として、現下の状況に対応する、問題解決に取り組むにあたっては、これまで慣れ親しんできた問題解決スキルの有効性は失われている、使い物にならないという実感は共有されていると思います。

 そこで。
新しい試みとしてタイトルのとおり、今どきのコンサルタントについてあれこれ考えてみたいと思います。

まず、コンサルタントという仕事の定義:
①要請により
②クライアントの問題解決過程を
③主としてものごとの見方・考え方について影響を及ぼすことを通じて
④支援する
というところでしょうか。

①~④についてはそれぞれ説明が必要ですが(特に③)、おいおいと取り組みます。

 キモは、依頼者の要請により問題解決プロセス、問題解決を支援する、ということです。
問題解決の支援ということなら、特にコンサルタントに限らず誰もが誰かに対して行うことですから、いってみれば“誰もが誰かのコンサルタント”ですね。
ということで、変動期のコンサルタントについてあれこれ考えてみることは、コンサルタントのみならず万人にとって大きな意義のある作業と思います。

 市場とか資本主義とか、企業とか利益とか、経営のイロハ的な用語・知識の意味が揺らぎ、総じて?が付いていますからね。

【理論創発】で続けます。

点から線、線から面の展開

 ご存じ、当社が提唱する商店街活性化の道ですが、どうもよく理解されていないようです。

 この道を推進していく「メインストリーム」がクオールエイオド流商人塾でありまして、自助努力の組織化によって繁盛店を増やしていくという商人塾的路線は、ホンキで活性化に取り組む場合、他の方法で代替することの出来ない、文字通り根幹となる取り組みです。

 ところが、“商人塾は個店の勉強だから、線や面については別途考えるべき”という発想の人がいたりします。もちろん、商人塾には無関係で、内容を吟味するというプロセスを省略、スタート時点で“商人塾は個店レベル”という字面に引きずられた思いこみのもと、「線や面の取り組みを別途構築しなければ」ということで、実際にそういう方向に走るわけです。提唱者のポジションや力関係によっては、一挙に“今年は線や面の取り組み”となってしまう可能性も。

 提唱される「線や面の取り組み」の中味はだいたい推測できまして、いつかどこかで手に入れた成功事例、アーケードの着脱・改修や物販・非物販の集客施設の建設ということ。
折から支援制度がどんどん増えていますから、さしあたり「お金が無くて取り組めない」という条件は払拭?されています。

 問題は、線や面ってそういう話なの?
ということでありまして、点や線の取り組み=ハード整備では無いのだ、という当たり前のことが通用しません。
いうまでもなく、「線や面の取り組み」は、“業種揃え・店揃えの最適化”を実現するための取り組みでありまして、その中心となるテーマは“中小小売商業の競争力の根幹”である業種揃え・店揃えすなわち、「面や線=商業集積としての品揃え(=地域住民から見た来街目的)」ですね。

 すなわち、「中心市街地・商店街活性化」のメイン事業は、“「集積全体としての品揃え」の実現に取り組む商人塾事業”だということでありまして、ここをはずした商人塾はあり得ません。
たとえ、「個店のため」としてスタートしたものも、本当に個店が将来にわたって安定した繁盛をめざすなら、その取り組みは点から線、線から面へと波及させることが必要です。
この点、実際に取り組み成果を上げている人たちには切実に理解されているとおりです。

 商人塾的メインストリームにとって、一般に言われている「線や面の取り組み」=ハード事業や集客イベントなどは、部分的・補完的事業ですからね。お間違えのないように。
大規模な再開発事業といえども「集積としての品揃え」を実現するための事業という位置づけがされていないと、竣工と同時に劣化スパイラルへの道に陥ってしまうことになります。

 品揃えの原点である「個店の売場・業容」を問題にすることなく、「線や面」の施策で個店を引っ張っていくというこれまでありがちだっった路線は、ハードやイベントでは業容を転換することはできない、というちょっと考えればすぐ分かることをみようとしていません。どんな立派な施設を作り・イベントを企画してもそこから「集積としての品揃え=来街目的の再確立」ヲ実現することは出来ません。立派な施設を作った、集客イベントに成功している、問いわれている事例でも「来街目的」の構築には殆ど失敗している、というのが「点」をおろそかにした・お金にものを言わせようとする「線や面」の取り組みの行き着くところですね。
これは今後も変わることはありません。

 「成功事例」の普及をめざして、新しい施策が次から次へと提供されていますが、ハード事業の竣工やソフト事業の定着が商店街・中心市街地活性化ではありません。
あらためて、中心市街地活性化とは、商店街活性化とは、当該街区にどのような情景が生まれることを意味しているのか、その定義を確認することからやり直したほうが早道かも知れません。
ホンキで活性化を実現しようと思うならば。

 それにしても。
中心市街地活性化については、長年にわたって全国の都市で取り組まれており、いつまで経っても「賽の河原」的状況から抜け出すことが出来ません。
俯瞰すれば、都市の取り組みはことごとく「たこつぼ」に入り込んでおり、経験交流の機会もたまにありますが、いかにも通り一遍でありまして、見ておく・聞いておくというレベルばかり。
フォーラム、交流会も「議論」が交わされることは全くなく、お互いに言いっぱなし、聞きっぱなし。

 そろそろ内外を問わず、ホンキで論議しないと。
“うちは繁盛しているからいいや”という人もいるかも知れませんが、うちが繁盛しても「集積としての品揃え」は実現しませんからね。

 「点から線、線から面の展開」というメインストリームの構築には、「論争」を恐れてはいけません。
話は“どの路線が活性化を実現しうるか”ということをめぐって行われるべきであって、そういうレベルを抜きにした“去年は個店に取り組んだから今年は線や面で”といった訳の分かっていない路線に埋没しないためには、どんどん「論争」するという環境を作っていくことも必要です。

 「点」と「線や面」が別の話だという「一般常識」をなんとかしないことには、最終目的の実現は不可能ですから、しっかり問題を設定して取り組むことが必要だと思います。

シビリアン・コントロールと「指揮権発動」

 読売新聞は、民主党第三者委員会の報告書にあった、“民主検察に対する法務大臣の指揮権(検察庁法第十四条)に関する言及に対する政府、与野党、識者の批判的コメントを報道しています。
資 料:
第三者委員会の報告書:
問題の個所は、「第3章 検察。法務省のありかたについて」
3.検察権の行使と民主主義の関係
に次のように書かれています。(19頁)

※引用スタート※
本件(西松事件)のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたというそしりを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルの判断があったとしても、法制行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断に委ねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされるべきであろう。
※引用エンド※

 読売の記事では自民・民主両党の法務系の担当者や法学系の学者による“指揮権発動なんてとんでもない”という拒絶反応がコメントされています。

 指揮権発動といえば1954年吉田内閣当時、いわゆる「造船疑獄」において時の犬養法相が、検事総長に対する指揮権を発動、会期中にも関わらず目睫に迫っていた佐藤栄作自民党幹事長(当時)の逮捕について、国会会期終了まで延期するよう指示したこと、その結果、ついに佐藤氏の逮捕が実現しなかったことが有名です。
 この事件は、報道から政治の司法に対する介入として厳しく批判され、政治の検察に対する「トラウマ」となりました。以来、指揮権発動はタブーになって現在に至っています。
記事での政治家の発言もタブーを踏襲し、報告書を批判しています。
他の新聞も似たり寄ったりの論調です。

 報告書のこのくだりに対する批判に対して、第三者委員会のメンバーだった郷原信郎さんが“個人の資格”で反論しています。

『「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を』
―造船疑獄指揮権発動は「検察の威信」を守るための策略だった―

 詳細は、上掲記事を読んでください。

■造船疑獄における指揮権発動の真相:
 代議士の逮捕を阻止しようとして法務大臣の検察に対する指揮権が行使された、ということになっている造船疑獄の指揮権発動ですが、実は、その時点で検察の捜査は行き詰まっており,終結しなければならない局面を迎えていたが、検察自身で幕を引くことが出来ず検事総長が法務大臣に依頼した、というのが真相だったとのこと。
どうも関係方面では周知のことのようですが、この経緯が伏せられていたため(それとはしらない?)メディアが政府与党を一斉に批判、これに対して当事者が説明責任を果たさなかったため“「指揮権」は正義の味方・検察に対する悪徳政治家の容喙の道具である”とする極めて平板・短絡的な理解が通論となり、今現在もまかり通っている検察不可侵・不謬論が確立したわけです。
報告書は、この状況に改めて一石を投じたもで、今後活発な議論が起こることは確実、展開が注目されます。法務省内部への相当の波及があるかもしれません。

■民主主義と専門家専制
 民主主義は、専門家に対する素人によるコントロールである、をよく言われます。シビリアン・コントロールですね。  
この「原則」は、軍隊に限らず、強大な検眼を負託されている行政の全体に及ぶものであり、検察もそのコントロールの下にある、ということだと思います。
その基礎となるのが、「情報の共有」であり共有を担保する「説明責任」であり、それをチェックし実現するのが報道の役割ですが、いずれもよく機能しているとは言えません。

 それにしても造船疑獄の指揮権発動の真相が、そういうことだったというのはビックリです。
あらためて、社会における「報道」機能の重大性が確認されるニュースです。

 もちろん、民主主義における“専門家にたいする素人によるコントロール”については、サボることが許されない国民の仕事です。

 “国民はおのれのレベルに応じた政治家と新聞を持つ”とするならば、両者に対する国民の・われわれの対応のあり方が問われていますね。その実現を担保するのが情報の共有であり、そのまた基礎となるのは啓蒙=自力思考ということ、とりあえず、Webをどう活用し発展させていくのかという課題があり、至る所で模索が始まっていますね。
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  • Author:進化する売場研究会
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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