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マックス・ヴェーバーの精神

 あるとき、新聞を見て“新興ブルジョアジーにはプロテスタントが多い”ということに気づき、その理由を説こうとして書かれたのが名著の誉れも高い『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』です。

 プロテスタントの倫理と資本主義の精神の親近性を論証するために彼が利用したのが、プロテスタント・カルヴァン派の「倫理」と資本主義代表:ベンジャミン・フランクリンの「自伝」です。両者の親近性を論じることで、プロテスタントにブルジョアジーが多い理由を説明した、ということですが疑義があります。

 第一、そもそもブルジョアジーこと当時の工場主などにプロテスタントが多かったのは、その前身である手工業者・職人などの階層にプロテスタント信者が多かったからではないか?

第二、ベンジャミンフランクリンの自伝の内容がなぜ「資本主義の精神」の理念・代表として適切なのか?
代表選定の手続きはどう進められたか、といいますと手続きは一切ないまま、突然、フランクリンの自伝が資本主義の精神の代表として持ち出されています。
そのあげく、プロテスタントの理念があったからこそ資本主義が成立した、とまで言い出します。

 ヴェーバー的には両者の親近性を論証したつもりなのですが、その手続きはチャチというかとても学問とは思われません。
資本主義の精神というなら、その要件を示したうえでフランクリンの自伝に表されている彼の「精神」が資本主義の精神のモデルそのものであることを立証してからにしなければならないわけですが、こういう手続きをまったくとっていないのがこの論文の特徴です。

 どうしてこういう本が名著であり、ヴェーバーが大学者なのかさっぱり分かりません。

 資本主義の精神といえば、百貨店を発明したプシコー夫妻などは資本主義のカガミだと思いますが、夫妻もプロテスタントだったのでしょうかしらね。
いずれにせよ夫妻の経営実践は資本主義の精神の現れであるとしてた場合、それはフランクリン的精神とどう関わりがあるのか?
夫妻の経営実践に「鉄の檻」はどう影響しているか?
という興味深い問題がありまして、ヴェーバーさん、フランクリンではなく、プシコーをモデルにしたら良かったろうに、と思ったりする今日この頃です。

 いつぞや【理論創発】で取り上げた羽入辰郎『マックス・ヴェバーの犯罪』は、両者の親近性を論証するにあたって、ヴェーバーは、聖書に関する文献学的歪曲と「精神」についての自伝の引用の双方について「鉛筆を舐めている」ということを論証批判したものですが、上述のとおり、たとえヴェーバーが鉛筆を舐めていなくとも、彼の「論証」はまったく論証になっていないではないか、ということです。

 で、当記事とサイトとの関係は、といいますと啓蒙力の強化には他人の言説の批判が有効、というカントさんの教えの実行ということで。

 さらに、脱資本主義というか脱工業主義というかそのあたりの課題への取り組みとしても「資本主義」の今どき風味の解明は喫緊の課題だということで。
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