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タウンマネジメントはいま何処?

 当社が中心市街地活性化の根本にして最大の課題は、「商業の活性化」=“中心市街地所在の商業集積(施設)群のショッピングコンプレックスとしての再構築”である、と提唱していることはご承知のとおりです。

 取り組みは、ショッピングコンプレックスを構成する単位集積(商店街・大型商業施設)それぞれが中心市街地で分担する商業機能を再確認しその革新に取り組む、「自助努力の組織化」として展開されるわけですが(「業容転換」ですね。他に方法がありますか?)、もちろんこれは、計画を示しただけで実践できるというレベルの話ではありません。

 理論修得~仮説設定~試行定着・・・理論改善~仮説設定・・・というサイクルで取り組んでいきますが、この取り組みには「基本計画」を導きに、取り組みを組織し、プロセスをマネジメントする機能が不可欠です。タウンマネジメント機構=TMOですね。

 その第一の使命は「ショッピングコンプレックスとしての再構築」に向けた実践を指導すること。
各商業集積・施設には、「業容転換」の論理も技術も装備されていません(装備していれば)転換・活性化は日常業務で可能)から、方向と方法を示すだけでは転換・再構築は実現されません。理論・技術・実際の取り組みなど全般において適切・強力な指導が必要です。

 『整備改善・活性化法』において、「中小小売商業高度化事業構想」の策定にあたる者として登場したTMOですが、今日ではその任務は有名無実化しています。
存続しているTMOも取り組んでいることは、従来、商店街組織が取り組んできた販促事業を「面」的に拡大しているというレベルにとどまっているようです。
“これはTMOでないとやれない事業だ”というレベルの仕事に取り組んでいる、本来的なTMOが幾つあるでしょうか?

 ハード、ソフトを問わず「中小小売商業高度化事業」は、中小小売商業者の競争力の根幹である「業種揃え・店揃え(以下「売り馬連携)の最適化」の取り組みと密接に連携させないと効果が得られません。
高度化事業実施の有無に関わらず「売り場連携」によるショッピングコンプレックスの再構築は、中心市街地活性化の実現にとって至上課題です。

 TMOは、あらためて「組織化とマネジメント」を担う「司令塔」と位置づけ、任務遂行に必要な措置を講じることが必要です。

 残念なことに、新スキームではTMOのポジション・任務が明示されておらず、一部でTMOに代替することが期待されている「活性化協議会」も任務的には不明確のままです。
認定基本計画の遂行を目指す各都市も、推進主体が不在であることに気が付き、対策を講じようとしている頃かも知れません。
もちろんそうではないかも知れません。

 「テナントミックスの最適化」を空地・空店舗の活用と間違えると、商店街空洞化の根本要因(人口が増えている都市でも中心商店街は空洞化著しい)を把握していないわけで、その取り組みはいつまで経っても「対症療法」の域を出ることはありません。
その間も「根本要因」はさらに悪化していきます。

 計画の有効性をチェックする簡便な方法は、商業機能再構築の「司令塔」として不可欠のTMO(名称はどうでも良いが)がどのように位置づけられているかということ。
影も形もないようだと、中心市街地・商業街区が影も形も無くなるかも知れません。

 あらためてTMOを考えます。

 もともと、「中心市街地所在の商業機能活性化の論理と戦略」は、「理論」という整理された形では提起されておらず、「高度化事業構想」や「TMO」の本来的業務も「売り場連携の最適化」「テナントミックスの最適化」という概念の再定義からスタートしなければならない。

 基本計画がそういうレベルを踏まえて作られているかどうか、いよいよこれから真価が問われるわけです。
まずは基本計画においてタウンマネジメント組織がどのように構想されているか、実際にどう組織され、活動しているか?
注目していきましょう。


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理論に裏打ちされた計画と実践を

 このところ、中心市街地活性化の取組に用いられる「専門用語」は理論に裏打ちされていることが必要だ、ということを強調しています。

 昨日の記事「専門用語の理論負荷性」は如何でしたか?
もちろん、「小売商業の経営」というジャンルで飛び交う用語もすべて「理論負荷」「背景知識前提」ですね。
「理論負荷性」、納得されたでしょうか?

 特に目下『基本計画』を作成中のところ、作成を準備中の方は、このことをしっかりご理解のうえ、当社が提供する「体系(パラダイム)」の御地での取り組みへの採用を一日も早く実現されることを期待します。

 目指すのは「理論に裏打ちされた計画」を作ることです。
当サイトの内容を理解し、ご当地の能力を結集して作業にあたる、というのがあり得る取り組みですが、これはたぶん、takeoが支援した方が早く・確実だと思います。
理論を作ることと、理解することと、応用することとはそれぞれ違う仕事であり、要求される能力も異なります。

 有効な基本計画を作成するには、理論体系を活用しなければならない、実践段階にも理論が不可欠だということを理解した人は、当社との協働の実現を目指すべきだと思います。
これは心からのご提案です。

 takeoはこれまで「理論に裏打ちされた基本計画」の提唱は、実務段階にはいってから行おうと考えていたのですが、それでは遅すぎる、というか、理論の不可欠性を理解せず、理論装備をしないまま計画つくりに突入してしまうという例があまりにも多い。当サイトとご縁のある都市でも計画作成段階は当社と無縁のところで取り組まれる、というケースも過去にありました。
これではせっかくの理論理解がムダになり、かつ「取り組み」の不毛が約束されてしまいかねません。

 ということで、当社が提唱する「理論に裏打ちされた基本計画」、特に、「商業の活性化」については、商店街の皆さんの自助努力を組織して「ショッピングコンプレックス」再構築の中核とする取り組みを目指す、という「大道」を歩もうとする場合、絶対に必要ですが、採用にあたっては是非、当社との協働を前提に検討していただきたいと思います。

 スキームを理解し、理論を装備したからといって計画が作れる・実践もOKというものではありません。「プランニングスキル」と「マーケティングスキル(主体をその気にさせる)」が必要です。理論・プランニング&マーケティングスキルの三位一体で取り組まないと、有効な基本計画は出来上がりません。

 理論に裏打ちされた計画・それに基づく実践でなければ、3年後、5年後に活性化が実現すると主張することはでき無いはずです。

 まさか、と思う人はネット上でアクセス可能な先行『基本計画』、なかでも事業を羅列しただけで「段階的な達成」のスケジュールを持たないものを検討していただきたい。
当サイトの常連であるあなたが“この基本計画なら自信を持って活性化の実現に取り組んで行ける”と評価出来るかどうか。

 「理論に裏打ちされた基本計画」を目指すとするなら、それを提唱し、所要の理論をセットで提供しているのは当サイトだけ、クオールエイドとの協働を一日も早く・万難を排して実現してください。

協働を提案中です
まずはメールでご連絡を。
いろいろ考えるのはそれからということで。

※ 月曜日、ちょ~画期的な論文「中心市街地は《中心性》を再構築せよ」を発表します。
事業立地としての「経済活力の向上(「法」)」を目指すべき中心市街地活性化の「論理と目標」が明確になるはずです。
計画作成中の方々、お楽しみに。
もちろん、他の皆さんも。

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専門用語の理論負荷性

 今日は、見た目、ちょっと毛色の変わったお話を。

「理論負荷性」、聞いたことのない人はぜんぜん聞いたことが無く、聞いたことがある人もホントはよく分かっていなかったりする、「知識についての知識」領域の専門用語です。

 一般には「観察の理論負荷性」といわれ、“われわれはものごとを「白紙」で観察することは出来ない”“われわれは「理論」という色眼鏡を掛けて物事を見る”ということです。
たとえば、あなたのマイカーを“先入観無しで観察せよ”といわれたら、あなたには何が見えますか? 見えたものを説明できますか?

 というような話で、このコトバの意味・それが使われている文脈ももまた、「理論負荷」でありまして、業界ではあ~でもない、こ~でもないと議論されているところです。

 という話と関連していますが、昨日サイトの掲示板で紹介した本を読んであらためて感じたのは、「専門用語」ってホントに「理論負荷」だよな~ということ。
この場合の理論負荷とは、“一般に専門用語は、ある「専門用語の体系」に所属しておりまして、好むと好まざるとに関わらず、それら「仲間」の専門用語と一緒になって事物なり状況なりを‘見る・説明する’ために使われます。

 つまり、ある「専門用語」の背後には専門用語の一群(パラダイム)がひしめいているわけで、このことを「専門用語の理論負荷性」と名付けて見ました。専門用語を理解するには、その専門用語が所属する理論を踏まえなければならないわけです。

 たとえば。
「中心市街地の商業集積群を一個のショッピングモールに見立てて、テナントミックス手法を利用した「業種揃え・店揃えの最適化」の追求により活性化していく」
と言ったとします。

 この発言ははじめから終わりまで「理論負荷」されています。
「中心市街地」・・・「法」の定義
「商業集積」・・・・どういう定義を採用するか
「ショッピングモール」・・・何のことか
「テナントミックス」・・・何のことか
「業種揃え・店揃え」・・・何のことか
「テナントミックスの最適化の追求」・・・どうすることか
「活性化」・・・どうなることか

 如何ですか。
上の例文は、「中心市街地の商業の活性化」を表現していますが、これを活性化の取り組みに役立つように理解する・計画づくりに使いこなすには、一連の用語を一つの「理論体系」を構成している専門用語として理解し、それらが表している内容を把握しておかなければならない、ということですね。

 実際に使われている現場ではどうなっているか?
こう言うことには無頓着・適当に使っているというか、弄んでいるというか、「専門用語は適当に使って問題はない」という「理論?信念?」に基づき、そういう理論「体系?」を駆使して「活性化」を考え・推進している例が多すぎます。

 実践は「勝てば官軍」という考え方もありますから、そういうスタイルで取り組んで活性化できればそれはそれで結構かも知れませんが、結果が出るまでに数年掛かる、それからやり直しはなかなか難しい、と言う事情がありますから、没理論・出たとこ勝負、というのはなかなか採用しがたい方法です。

 と思うのですが、これまでに拝見した『基本計画』で「用語解説の部」が設置されているものはありませんでした。
皆さん、理論抜き・専門用語抜きで計画を作られたのでしょうか。

 背景知識(つまり「理論」です)抜きで使われる専門用語は、背景知識については相手と共有が成立している、ということが前提になっています。
現場の性格を問わず、現場での専門家のやり取りは常に「背景知識前提」ですね。「背景知識」はお互いちゃんと装備していることが前提になっています。
通常・多くの場合はそれで良いのですが、「中心市街地活性化」という領域の場合は、専門家といえども専門用語の体系的装備が出来ている・共有されている、とは限りませんから、話はやっかいです。
お互いに共有しているはずの専門用語が実は全く別々の意味で使われていたり、よく聞いて見ると「意味」を持たないコトバだったりします。
こう言うことでは、目に見える仕事は進むものの、肝心の「目に見えないレベル」の目的・目標の達成にはつながらないかも知れません。

 先に例として挙げた「中心市街地活性化の方向と方法」は、『整備改善活性化法』当時、国が提示していたものですが、これを理解し・シナリオを描き、所要の事業を計画するには「中心市街地活性化論」とも言うべき理論体系が前提になります。
考えてみれば国の提示も「背景理論前提」だったわけです。
説明はされていませんが。

 現場ではスキームの専門用語を「理論抜き」で用いつつ、例示されている事業群を編集して『基本計画』を作り、認定を受ければ補助金が流れ込み、ソフト&ハードの事業に取り組めばそれが「活性化」だと理解されています。数値目標などは付け足し程度。
これでは絶対に活性化を実現することは出来ません。

 目下、日曜日に買ってきた「中心市街地活性化 三法改正とまちづくり」を繙いていますが、あらためて、内容の「理論負荷性」ということを感じさせられました。
一方、現場では「理論」というコトバさえ聞かれません・・・・。

 中心市街地はなぜ活性化できないか?
答えの一端はこのあたりにもあるのではないでしょうか。

 と言うことで、当ブログの延々とした作業があるわけですが、さて、お役に立つかどうか、は皆さん次第。
そうしますと、たまにこういう毛色の話もさせていただかないと、ということですね。

 「専門用語の理論負荷性」納得されると当サイトとの親近性が強まります。理論・専門用語への態度は「中心市街地活性化」に限らず、一生の財産になるかも知れません。


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基本計画の作成は慎重に

『基本計画』作成たけなわのの秋ですが、課題は“これなら「活性化を実現できる”と自信を持てる計画を作ること。
当たり前と言えば当たり前ですが。

 これからの5年間、きちんと方向と方法を定め、徐々に市価質役実に活性化の実現に向かって進んでいく。
新しく作る『基本計画』の任務ははっきりしています。
その任務を達成できる『基本計画』の作成に着手あるいはその準備が進められているわけですが・・・。

 では『基本計画』が期待されている役割を果たしていくためには何をどう計画しなければならないか、実効ある取組の導きとなる『基本計画』にはどのような内容が必要か、ということについての検討はきっちり・十分行った、と胸が張れるでしょうか?
その成果は明文化されて計画作成の指針となっている、といえるでしょうか?

 これは、『基本計画』の内容、したがって取り組み全体、ひいては中心市街地の将来を左右する重要な作業です。
あらためて作業の重要性を再確認し、作成の要領や体制・機関などを再検討することが必要ではないか?

 国が提供している『中心市街地活性化法』以下のスキームは、あくまでも「枠組み」であり、「容れもの」です。この枠組みに「事業」を放り込めば活性化の実現が保証される、というものではありません。
ご承知のとおり。
 強調しておきますが、枠組みは「こういう種類の事業に取り組もう」という枠であり、その枠においてどのような事業に取り組んでいく過、という個別事業の内容について「スキーム」は何の指示もしていません。専ら自力・自己責任で事業ミックスを作り、スキームに落とし込まなければならない。

 あなたの都市・商店街の「活性化実現の道」はスキームが教えてくれるわけではありません。その道は「スキーム」に先立ち、スキームとは無関係に構築し・その道を歩いていくために必要なハード&ソフトの事業による「事業ミックス」を自分たちで構想し、計画しなければならない。この段階でスキームに出来ることはありません。
出来上がったシナリオ・個別計画を全体計画・期間mの行動計画としてまとめるにあたって「スキーム」に落とし込んでいく、というのが正しいアプローチです。

 もちろん、スキームには諸処に「活性化への道」構築の「ヒント」がたくさん示されています。しかし、そのヒントをヒントとして活用するには、利用する側が「背景知識」を装備しておくことが必須ですが、takeo的には、背景知識の準備が終わっている取組はほとんど無いように見えています。

 背景知識を装備しないまま、「ヒント」を「指示」と誤解して“この枠組みで作れば間違いない”とそのまま基本計画に反映させたりすると、その時点で「活性化への道」が閉ざされることになってしまいかねません。

 ここはじっくり、準備段階を確保することが必要です。
当初設定した期間に計画を上げることが大事か、それとも活性化を見事実現できると自信が持てる計画を作ることが大事か
状況は二者択一を迫っているように思われるのはtakeoめの偏見のせいでしょうか?


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人はなかなか自分が引いた境界線から出られない

 「人はイメージに基づいて行動する」とは、マーケティング的アプローチには欠かせない命題ですが、私たちがものごとを見たり・判断する場合も、まずは、「先入見」による判断が先行します。
つまり、どんな新しいことでも、まずは“何とかこれまでの経験・知識で理解しよう”とするのが通常のアプローチです。

 どうも先入見による理解やそれに基づく対応ではまずいのではないか、と判断されると、「まずい」状況から抜け出すために必要な新しい「見方・考え方」を探求することになります。
当サイトにおいでの皆さんは、探索プロセスのなかで当サイトを発見されたわけですね。

 他方、「まずい」という判断に至らなかったり、そもそも判断という自立的なプロセスを放棄している人は、先入見から脱却する契機がありません。

 カントが「幼児性」と表現しているのはこのような心的状況ですが、もちろん、「幼児性」とは言葉のアヤ、けしてその持ち主が幼児のように無力だというわけではありません。

 ということで、問題の解決にあたる側の状況が新たな問題を引き起こす、問題への適切なアプローチを阻害し・停滞させるという状況が各地で起こっているわけで、起こっていないところはただ単に「まずい」と判断する人がいないだけ、という惨憺たる状況です。

 悪戦苦闘のさなかにある皆さんの取り組みに果たして貢献出来るかどうか、心許ない限りですが、【都市経営コーナー】であらためてスキームを提供した国の問題意識を検討します。

国の問題意識・都市の問題意識
機会があれば、都市の取組のなかで取り上げてください。
関係者こぞって「自分たちが設定した境界線」から脱出する一助に「国の権威」をばw

※【商店街起死回生コーナー】
『別府市のケーススタディ』大筋終了しましたが如何でしたか。
上記新スレッドの展開にも大きく関わることですが、
①シャッターの外側で何がおきようとも、シャッターの内側の問題は解決されない
②大型集客施設の誘致は、既存商業者の自助努力の組織化と進出する施設自体の業容革新を伴わないと所期の成果を生むことは出来ない
ということは取り組む前から分かり切っていることです。
このあたり、ケーススタディならぬ実務の場合、実証されてからでは遅すぎるわけですが、さて、取組はどう構想・計画されているでしょうか。

 そういえば、昨秋、金沢市中心市街地へのイオン系SC「フォーラス」が進出しました。
既存中心商店街との「回遊」が目論まれていたわけですが、果たして目論見どおりにいったかどうか、既にきっちり結果が出ていると思われます。
【理論創発】ー『用語解説』-「デスティネーション」を手がかりに、ご自分でケーススタディをどうぞ。
上記①、②についての参考事例になると思います。
“「回遊性の創出」、ナメたらあかんぜよ”
といっておきましょう。

※高齢化する地域社会への対応とかの看板を掲げつつ、ハコを作ってナショナルチェーンのファッションを詰め込む、というワンパターン・ミスマッチの横行は、「高齢化対応」とか「中心市街地・地場小売商業者の事業機会の確保」などの命題が「お題目」としてしか扱われていないことの証拠、と同憂同志のサイト愛顧の皆さんに向かって書くのはただの愚痴ですねw

※中心市街地のネライ目は、高齢化とラグジュアリィのセットです。ここがスイートポケットであり、ここをはずした取組は実りません。
高齢化とはつまり、「成熟したニーズ」のことですからね。ニッポン国の革新に向けて代替のない資源、ということが理解されないと、都市そして日本は、ズルズル・めそめそ、衰退への既存軌道を進むことになる。

 この軌道には、国内各都市、勝ち組も負け組もありませんからね。消費購買力が減衰すれば企業は逃げます。
地方が沈没すればその消費購買力に依存している「勝ち組」はお終い、“企業は人を捨て・国を捨てる”にはもちろん「都市を捨てる」も含まれているわけで、勝ち組都市の「勝ち」もいまのうちだけかも、です。

瀬島龍三氏 逝く

 昨日瀬島龍三氏が亡くなりました。
 昭和14年11月(ノモンハン事件は同年5月・第二次世界大戦勃発は同年9月)から20年7月まで、すなわち、「大東亜戦争」の全期間を通じて一貫して陸軍参謀本部作戦部作戦課(さらにその「奥の院」作戦班)に勤務、対米作戦を一手に立案・指導した人です。
階級としては大尉~中佐でした。このクラスの軍人が一国の戦争~国家の命運を握るというのは、近代国家の常識を越えているのですが。

 この人の特徴は、自分が取り組んできたことについての「説明責任」をほとんど果たさなかった、ということ。
このため、解明されないままになっていることがホントにいろいろとあるわけで、こういう立場にあった人が率先して「総括」業務を推進してくれたら、言っても詮無いことですが、いろいろ違った道があったかも知れません。
無かったかも知れません。

 戦争に限らず、経験が教訓として活かされる・活かされない、という結果が生まれるにあたっては、立場立場にある個人のそのときどきの立ち居・振る舞いが大きく作用するわけです。

 日米戦争の全期間を通してキーパーソンとしてのポジションを占め続けていたという希有の人・瀬島氏について客観的に言えることは、この人はしかるべき時点でしかるべき総括作業に取り組むべきだった、その責任を負っていたはず、ということ。
責任を果たしていたらなにがどうなったか、ということとは別の話ですが、少なくとも氏の戦後の軌跡が違ったことは確かです。

 戦争の経過~結果に責任のある人で、一番最後まで生きていた・長寿を全うした人でした。

※以下、話はかわりますが。
 一般にプランナーさんは職人肌の人が多く、自分の仕事のに他から口出しされるのが大嫌いです。
能力についての自負心強大、情報関係などは手足も同然という認識だったりすると、情報の取り扱いをあやまり、ときに元も子もなくすこともありかねません。
立案作業を終了、実施段階に入った段階で得られた、計画立案の前提を覆す情報などは“握りつぶす”可能性だってありますから要注意です。
プランナーさんも周りの人も。

 瀬島さんについては、サイトでも少し触れています。

 takeoはこの人にプランニング、プランナー、責任者の説明責任などという項目で関心を持っています。 

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都市自衛の時代

 昨夜のNHKスペシャル、ご覧になりましたか。
「企業は人を捨て、国を捨てる」という昔読んだ本のタイトルを思い出しました。

 社内業務を中国へアウトソーシングする、ノウハウが出来たら他社の業務もそちらで受託する、という流れが出来ているというレポートでした。
「競争に勝ち抜くためにやむを得ない」わけですが、「何で勝ち抜かなければならないか」といえば、「会社が存続するため」であり、「存続すべき会社ってなぁに」と聞けば、さて、どういう答えが返ってくるでしょうか・・・。

 工業化社会の良かったところは、生活を向上させるために必要な財の生産に「人手」が必要だったこと。働いて賃金を得て生活財を購入する、というサイクルが程良くスパイラルを描いていたのが高度成長期までの社会でした。
「終身雇用」とか、「会社は永遠です」とか。

 バブル崩壊を機に「工業と人間の蜜月」はお終い。
もはや“人は雇わない、しかし、商品は買ってもらいたい”というのがポスト工業社会において「工業化時代の発想ヲ続けている」企業の本音でしょう。

 他方、都市はそうはいきません。「住民の福祉の維持増進」を目的とする都市経営は、廃業も移転も出来ません。
何としても「生活条件の維持」と「所得機会の確保」に努めなければならない。
 特に、これまで企業の営利活動に委ねてきた「都市住民の所得の確保」という課題を都市自身の課題ととらえ直して、その実現に取り組むことが重要、いちはやくこのことに着目する都市とそうでない都市の間にはものすごい格差が生じます。新しい格差は「着目の方向と着目した時期」によってもたらされます。

 絶対にしてはいけないことは、従来の思考パターンのまま,“大変な時代、危機が迫っている・切りつめなくては”というネガティブな発想におちいること。
コスト重視のコンパクトシティ志向とか。

 激動の時代ですが、これをチャンスと見るか危機と見るかは、どういう視点を持っているか、望ましいあり方と現状のギャップを的確に認識し、かつ、そのギャップを克服していく方向と方法を案出出来るか否かにかかっています。

 視点としては「ポスト工業化社会」が目指すべき方向を見誤らないこと。
工業社会が達成した「生産現場に人手が要らない」という状況をプラスと見て、そこから新しい所得機会を工作していくことが求められています。
新しい切り口は「時間堪能・ラグジュアリィ」です。
これは中心市街地の商業活性化のテーマに限ったことではありません。

 ものの生産は手段であり、大事なことは高度に発達して生産手段を活用してどんな生活を作り・堪能するか、ということがポスト工業化社会の課題であり、いちはやく新しいニーズに向けた画期的なマーケティングを創発していくことが、都市経営の戦略課題です。

 中心市街地活性化は、この文脈でとらえ・知恵を出していかないと目的をたっせいすることはできません。都市がこれまでと同じ生活条件の提供にとどまろうとするならば、中心市街地は不要ですからね。

 ということで、ポスト工業化社会の都市経営、「時間堪能・ラグジュアリィの享受&提供」という未だ明確にはなっていないニーズをこじ開けていくところに新しい・これまでとは質的に異なる成長機会があるのだ、と考えるのはtakeo的妄想でしょうか。
中心市街地で商店街を中心にラグジュアリィ市場が構築されれば、その結果は川上産業に波及します。
日本消費財産業界の「ラグジュアリィによる再編」はわが国がこれから世界に貢献していく道を切開します。

津田真澄『企業は人を捨て国を捨てる
(used 0円 昭和63年刊 お奨め度★★★☆☆)
あの時代にこういう話があったのか、ということをかみしめ、わが国・都市の行く手は「ラグジュアリィ」しかあり得ないことを確認しましょう。
新しい道を切り開くのは企業ではなく都市だと思います。

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ラグジュアリィ 吟味 堪能 得意

 クオールエイドでは、「ラグジュアリィ」を他とは違うニュアンスで用いています。

以下、かって発行していたメルマガの記事を紹介します。

********* 以下引用 ****************

■今回は、サイトの「FLASH NOTE」から転載する。
2回にわたって「われわれ が生きる時代」のスケッチを試みているところだが、作業を進めていくために必要なのでサイトと重複するがご了解いただきたい。

■ラグジュアリィ、原語の意味は、日本語の「贅沢、贅沢品」というより、「必需品にその人の好みが加わったもの」というニュアンスである。
高度成長期に蔓延した経営戦略は、 各業界とも企業別フルライン展開で同質類似商品でありながらデザイン、付加機能などプラスαで「差別化」した商品を溢れさせた。機能がほとんど同質な ら付加されたプラスαで商品を選択することになるのは当然である。
顧客は基本的な機能を求めながら企業が訴求する差別化を選択基準として商品を購買することになった。
なんと、現代とはプラスαという基準を持っていないと必需・消耗品すら選択購入出来ない、という買い物環境なのだ。

■このプロセスから次第に「個人の好み」が立ち上がってくる。「個人の好み」は、次第に整理され体系的になり、やがて生活全体を自分らしく編集すること、特に自分が価値を置く生活局面を自分の「好み」で演出すること、などが重要な課題となってくる。
それに伴って、購買行動・購買先の目的別選択が顕著となる。このあたりについては「web商人塾」講義の第3講を参照していただきたい。

■生活を編集する、特に自分が大切にしているある生活局面を自分の「好み」で作りあげる、というライフスタイルが定着してくると、それに対応して購買行動が変化する。われわれがもの・サービスを購入するのは、生活を作りあげるための材料としてである。したがって、選択購買するときの基準は、もはやその商品の競合する類似商品との差異ではなくなっているのだ。
 
■新しい購買基準は、作りあげたい生活シーンのテーマとの整合性を持っている、ということが重要になってくる。ショッピングでは一緒に並べられている商品群を比較して優れているものが抽出・購入されるのではない。
作りあげたい生活シーンの材料として既に持っている大道具、小道具とのマッチング、自分が抱いている生活シーンのイメージとの整合性を基準にして購入する商品が選ばれるのだ。
 
■ラグジュアリィ=贅沢品・不要不急品・高額品ではないことをお分かりいただいたことと思う。

■ショッピングは、必要な単品を品群から「比較購買」するというありかたから「吟味購買」=提供されている商品ラインから「当方の好み」で商品をピックアップする、というプロセスに変化した。特に「自分らしく作りあげたい」と位置づけている生活局面、「堪能したい生活局面」作りに必要なショッピングにおいて商品の吟味はもっとも厳しいことはいうまでもない。

■購入された商品は、手持ちの材料とコーディネートされて生活局面、生活シーンを演出する大道具・小道具として配置され利用される。
あるべき情景が演出され、その空間ですごす時間が堪能される・・・。

■堪能とはもちろん「自分の好みのものを味わい、満足する」という意味。あるいは「あることを成就するために必要な能力を十分備えていること」。
この二つの異なった意味には相通じるところがある。
なにごとかを堪能するためには、環境・条件を作りあげる能力、それを評価し味わう能力が備えられていなければならない。

■また、その材料を提供する側には、求められている商品・サービスがマッチすべき生活局面や具体的なニーズの理解、提供する商品・サービスが具備しなければならない特性を設計し売り場を編集するなどのスキルに堪能であることが必要である。

■生活局面のグランドデザインを描き、演出に必要な材料やサービスを設計し適切なものを入手する、シーンを作り上げ・シーンを楽しむ、この全てのプロセスが自分の好みの表現として堪能されたとき、人は「得意」を感じる。
 「得意」とは「自分の望むことが実現されて満足しているさま」ということである。人間は自分が求めていることの成就と、求めない・あって欲しくないことの回避という二つの基準をもって環境の中で問題を解決する。
人間が生きるということは、その基準は多種多様であるが、一様に得意を求めて「問題」を解決している過程であるとも考えられる。

■現在、社会的・経済的にもっとも重要な意味を持っているのは、ラグジュアリィニーズへの対応ということである。
(これはこのシリーズの中心課題であり具体的には次回論じる。)
 「大量に売れるものなら何でも売る」という商法で拡大してきた量販百貨店やそれらが核として全体の来店目的を決定している郊外型SCがこのようなニーズへのソリューションを提供する商業集績として計画されたものではなく、したがってこれらのニーズに十分対応出来る能力を持たないことはいうまでもない。

■現在、堪能=ラグジュアリィ・ニーズに対応する商業集績は一部の大都市を除いてほとんど存在しない。人々は細切れに提供される情報を頼りに大都市の中心商店街、通販など案内不確かなルートから「買い回り」によって生活を堪能する材料を入手する以外に方法がない。「買い回り」とは「目当ての店で欲しい商品が入手出来ない、やむを得ずあちらこちらと探し回る」という買い物行動である。その過程は堪能というよりも作業であり、必ずしも努力に見合った成果が約束されるものでもない。
 
■居住の近く、堪能したいときになんの障害もなく出かけられるという場所にラグジュアリィニーズを堪能出来る買い物の場がないと本当の意味で生活を堪能するという条件はそろわない。ニーズの変化と対応のミスマッチ、ここに我が国に消費不況の「構造」としての原因がある。

■我が国のライフスタイルの趨勢とライフスタイル実現に貢献すべき商業をはじめとする消費財関係業界のありかたとの間に存在する大きなミスマッチを解消すること、新しいニーズに対応するソリューションを開発し提供すること、ここに大きなビジネスチャンスが存在する。中心市街地の活性化-中心商店街のショッピングモールへの転換とは、さしあたりこのビッグチャンスを我がものとして確保することへの挑戦であり、マクロ的には産業全体のラグジュアリ
ィ化、マス・カスタマイゼーション化の推進として、我が国の経済をアップスケール化するという時代的課題に挑戦するものである。

■中心市街地-商店街の活性化に関わる皆さんは、ラグジュアリィ、吟味、堪能、得意という4つのキーワードが新しい消費ニーズ=ビジネスチャンスの存在を示していることをしっかり認識していただきたい。

■もちろんこのことは、単に中心商店街だけが直面する課題=機会ではなくて、消費生活の維持・向上に貢献することを事業分野とする全ての産業・個別企業が直面している課題=チャンスである。(ただし、一部の価格競争に狂奔するグローバリゼーション追随派を除く。そもそもラグジュアリィニーズ段階に入っている我が国の経済がどうしてそこまで至っていない「世界標準」などを基準にしなければいけないというのか?)

■中心市街地の活性化は、けして従来型のニーズにスケールアップ(規模拡大)して対応しようとあがいている郊外型SCを不十分な・制約された条件下で追随するものであってはならない。

■ラグジュアリィ・吟味・堪能・得意という新しいニーズにマッチする商業集積、「アップスケール(質的転化)」された商業集積に生まれ変わること、ショッピングモール、より具体的にはラグジュアリィモールの実現こそが中心商店街の活路である。 

******* 引用終わり ********

如何でしょうか。
なかには読み飽きた、という人もいらっしゃるかも・ですが。
カタカナ語の意味で?なら英英辞書を引いてみるといいです。輸入した人のいい加減さが分かったリします。

ちなみに、一部の人たちが内容などはあんまし考えずに口走っておいでの「地域密着」とは「ラグジュアリィ」のことだったりします。その真逆が「世界標準」。

 ということで、あらためて「ラグジュアリィ」を取り上げてみました。「品揃え・サービス・環境」三点セットの取組が必要なことがよく確認さたてことと思います。
店づくりに取り組む側の技術に〈堪能〉が必要なことも。


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活性化 実践的な取組とは理論的な取組だ

 新・中心市街地活性化基本計画には「これまでの取り組みの総括」つまり“これまでの取組はなぜ活性化を実現できなかったのか”ということの解明とそれへの対処が求められています。
ご承知のとおり。

 「反省」しているとはとても思えない「総括」の多いこと。
“いろいろ事業を計画しすぎたから”などという言い訳もあるようですが、反省すべきは「どうして計画しすぎてしまったのか?」ということであり、「適切に計画するためには何を改善しなければならないか」ということですね、もちろん。
さらに、なかで選択実施した事業の結果はどうか、その延長上に活性化の展望はあるか、ということもシビアに吟味すれば、「計画能力」に問題が有ったことが剔抉されるかも知れません。問題は無かったかも知れません。
(剔抉(てっけつ)=欠陥などを明らかにすること)

 ところが実際には「総括」の記述とは全く無関係に「事業」が計画されている・・?
新計画については、「総括」の視点から「評価」し、「今度の計画なら大丈夫」という判断が行われていなければならないわけですが、そういう作業に取り組まれた形跡はほとんどありません。takeoが読んだ限りでは。

 新スキームのスタートから早くも一年が経過しましたが、あらためて「中心市街地活性化」という課題の全体像、都市経営におけるポジション、取組の方向と方法などについて、再考することが必要だと思います。
 二口めには「時間がない」というセリフが聞かれ、一座を支配するということがあったりするわけですが、計画作成は“期限内に作る”ことが目的ではないはず、多少スケジュールが遅れても実効ある取組を練り上げることが最優先ではないでしょうか。というか実際そうですよね。

 特に新スキームではこれまで無かった「アクセル&ブレーキ」という強力な制度が登場しています。これをどう活用して都市住民の生活のいっそうの充実と所得機会の実現に結びつけていくのか?
方向と方法を構想するには、作業に必要な理論を準備することが先決です。
まかり間違うと新施設と郊外SCが激突、各機能の発揮どころか、空洞化を加速することになりかねません。

 この時期、取組を着実に前進させるのは、早急に計画を作る、事業に着手する、といった目に見える動きではなく、実効ある実践を作っていくための基礎となる理論の構築・修得だということを理解すること。
 難しい課題ですが、この「当たり前のこと」が出来ない、というところにこれまでの取組が成功しなかった原因があるわけですから、「理論」レベルの取り組み、何が何でも定着させる、という決意と行動が求められています。

 「アクセル&ブレーキ」の活用には「理論武装」が不可欠である証拠: 『ゆめタウン、別府市中心市街地へ進出』

 ケーススタディで取り上げている別府市は、自覚的に「A&B」を活用して活性化を目指す第一号事例だと思いますが、成功するためには検討している程度の理論武装は当たり前です。
それとも中心市街地に大規模商業施設を誘致すれば、自動的に街区全体に回遊が発生し,売り上げにつながり、活性化が実現する、と主張できますか?
出来るというならその根拠を示さなければならない。

 ということで、好むと好まざるとに関わらず、この時期、「理論」レベルの取組を抜きに先へ進もうとする都市は、必ず隘路に突っ込んでいくことになります。

 理論武装、どういう筋道で実現するか、知恵の出しどころです。


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儲からなければ活性化ではない

 秋涼の候、いよいよ事業フル回転のときを迎えました。
フル回転であるべきところ、実際は如何でしょうか。新スキーム発足2年目の秋、首尾良く初年度の取組の蓄積の上に新たな展開が始まっているでしょうか。

 当サイトではこのところ、ショッピングモールならぬショッピングコンプレックスをめぐる論考がスタートしています。 商業理論をはじめ所要の理論的作業を行いつつの取組です。 この時期に理論的作業が必要である、というところに中心市街地活性化の難しさが象徴されているようにも思われる今日この頃です。

 さて、中心市街地活性化といえば、「法」における定義から、都市当該地区における都市機能の増進と経済活力の向上です。 定義は都市計画方面のタームのようでもあり、当社ごときにはあまりなじみのない専門用語ですが、中心市街地といえば、従来、都市及びその縁辺広域の生活を対象とする「支援」を事業機会としている小売商業・サービス業をはじめ多様なビジネスが集積されている「産業立地」です。もちろん、これらのビジネスは「都市機能」です。
都市の市街地のなかで「中心市街地」の特性は、この「産業立地」という機能にあります。 

 当たり前のことですがあらためてこのことを持ち出すのは、「中心市街地活性化」とは、当該地区の固有の都市機能である「都市及びその周辺の生活に対する支援」という機能が小売商業をはじめ空洞化しており、そのことが地域全体の産業立地としてのポテンシャルを劣化させていることを問題として取り上げ、「都市機能の増進」即ち集積し・機能が劣化している「都市及びその周辺の毎日の生活に対する支援」を担う機能を増進するを通じて「経済活力の向上」即ち収益事業としての活性化を実現することを目的とする取組だからです。
早い話、「儲からなければ活性化ではない」のであります。
にもかかわらず、儲け話が占めるべき位置に座っていない。
では、儲け話は諦めたのかと言えばそうではなくて、住む人・来る人を増やせばなんとかなるのではないか、それを当て込んでハード事業に取り組もう・・・、というところがおおかたの基本計画だと思われるからです。

 中心市街地活性化実現のメルクマールは「事業に取り組めば儲かるようになる」かどうかです。小売商業を中心にもう一度繁盛するビジネス集積街区として復興させるのが中心市街地活性化の眼目です。
 中心市街地活性化に取り組む多くの都市に共通している課題は、いうまでもなく「小売商業機能の活性化」です。ご承知のとおり、中心市街地に立地する小売商業の空洞化は、「人口が増えている」、「他の都市機能は十全に機能している」という都市においても一様に進展している問題です。このことは、「人口を増やす」「他の都市機能を整備する」などを手段に「商業をはじめとする生活支援機能」の活性化を実現する、という発想に基づく取組では問題の解決が出来ないことを雄弁に物語っていると思います。

 中心市街地を産業立地として再生させる、これが中心市街地活性化の第一の目標であることに疑問の余地はないと思います。「複利機能」「居住機能」の整備増進なら何も法定中心市街地に限定して取り組む必要は無いはず、周辺市街地をも含む取り組みにした方がより合理的なはず、コンパクトなまちづくりとは「何が何でも法定中心市街地に限定して都市機能を整備する」ことを意味するものではないはずです。

 ということで、問題は「小売商業の活性化」実現の方向と方法です。
『基本計画』所載の事業に粛々と取り組めば、その結果として「商業の活性化」は達成される、と自信をもてるのか?
関係各方面特に商業者に対して「この計画に事業の命運を賭けてくれ」と自信を提案できる計画になっているのか?
特に新しいスキームでは大型集客施設について「アクセル&ブレーキ(以下「A&B」)」が施行されます。
これを中心市街地活性化の実現に直結圧せていくには、あらためてその意味するところを十分理解し、活性化にどう活用していくのか、そしてその結果として都市及びその周辺の住民の生活にどのような新しい効能効果を提供できるようになるのか?
ということをもう一度考えてみることが必要ではないでしょうか。
新しい効能効果の提供無くして経済活力の向上無し、です。

 今日、都市住民の多くは、複数の買い物行き先を持っておりみずからの生活の論理をもって「使い分け」ています。中心市街地の空洞化によって「買い物」に不自由を期待しているのは中心市街地居住者に限られていますが、中心市街地居住者の買い物不便を解消する、という着想では「中心市街地所在の小売商業」を活性化することはできません。他方、都市住民の大半は既に「買い物行き先」を十分に確保しています。

今日、中心市街地所在の小売商業の活性化を目指すならば、その方向はただ一つ、従来都市及び」その周辺に立地し生活を支援している多様な業種業態の小売商業が、まだ提供していない・提供すれば必ず住民の生活のいっそうの充実に貢献し、住民の支持を」得られる、という商業機能のありかたを発見・構想し、その実現・提供に取り組むこと以外にありません。
 問題へ取り組むにあたっては、このことを直視しておかないと、とんでもない誤答を出すことになってしまいかねないと危惧されます。

 目下【商店街起死回生】では別府市の取組を取り上げてケーススタディに取り組んでいるところですが、あらためて「中心市街地活性化とA&B」についてさらに本格的に考察してみたいと思います。
「A&B」はわが国の全小売商業を、ひいては消費財産業全体を巻き込む一大経営環境の変化です。中心市街地活性化は、全小売商業界がそれぞれの命運を賭けて取り組む戦略課題です。そのつもりで考察に参加していただきたいと思います。

 なお、密接に関係する「郊外型ショッピングセンター」などの考察にも「理論創発コーナー」で取り組んでいます。こちらにもご参加ください。

 産業立地としての中心市街地活性化は、「収益の場」としての再構築であり、「儲からなければ活性化ではない」、と考えればやるべきことははっきりしておりまして、個別企業は、儲かりたかったら儲けられるように自助努力を重ねなければならない。
その組織は、新しい取り組みに向けて「自助努力の組織化」の道筋をつけなければならない。
都市は必要な能力を結集して全体としての取組を成功に導く「タウンマネジメント」をプロデュースしなければならない、といういつもながらの提唱ですが、あらためて「活性化の方向と方法」に、「A&B」をきちんと配置した新しいシナリオを作りましょう。

合い言葉はもちろん
“儲からなければ活性化ではない”
本当に儲かるのか、儲かるためには何が必要か、この一点をはずすとこれまでの取組と同じ轍を踏むことになります。

 以上、これまでの延長でOKという人たちには関係のない話でした。



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白 旗 論 議

 白旗、戦争にはつきものですが、その意味するところは何か?

白旗(しらはた):降伏を表示する白い旗(『新明解国語辞典』)

 沖縄戦などの記録写真では、棒の先に白い布を結びつけて高く掲げながら投降する兵隊さんを見ることがあります。
白旗=降伏のサインというのは一部では常識化しているようです。

 開国をめぐる日米交渉の過程について議論されている『白旗伝説』というトピックがあります。
 ペリー来航、最初の交渉で、日本側に白旗を渡し、次のように書面で通告したというものです。
①通商を求める
②不承知なら武力をもってその罪を糺す
③日本も国法を立てて防戦するがよい、しかし当方の勝利は確実である
④戦いに破れ和睦を乞うならばこの旗を立てよ
⑤そうすれば攻撃を止めて和睦に応じるであろう
正式の文書は残っておらず、正式文書の筆写とされる文書が有り、その真偽をめぐって論争が行われています。

 米国側が本当にこのような文書と白旗を日本側に渡したのか、それともそういう事実は無かったのか、多年論議が行われています。
いろいろと問題点が有りまして、その分、議論も微に入り細に渡って丁々発止、興味津々です。
論者によっては、アメリカによる開国強要は我が国のトラウマだ、という「自虐史観」の根拠にされていたりします。
このトピックは扶桑社版の中学教科書にも採用されています。

論議の経過は 岸俊光『ペリーの白旗 150年目の真実』
にまとめられています。
有った/無かった 両派による応酬が客観的に紹介されています。

岸さんの評定では大勢は「無かった」派に有利のようです。

ネットで読める論争の一端ご紹介


 筆写文書の真偽。原本が有ったか無かったかはともかく、「白旗」が「砲艦外交」を象徴するものだということでは両者の認識は一致しています。
その上で「米国による申し渡しの有無」を争っているわけですが、もし白旗=砲艦外交であり、かつその有無を確認したいのなら、交渉のスタート~条約締結前後以降における米国の態度が「砲艦外交」の延長であったかどうか、これは記録が有ることですから、経緯を確認すればよいのでは無かろうか、と素人の単純素朴な感想ですが、そのあたりについては両派とも言及されていないようです。
勘案するに、‘白旗って作り話でしょ’ということでは無いでしょうか。

ともかく、大変面白い議論でありまして、カントさんが推奨される「公的討論」とはこういうものではないでしょうか。
ご紹介の一冊、お暇な折りにご一読をお薦めします。

 ちなみに、ハーグ陸戦条約では、白旗=(「降参」の印ではなく)「軍使・交渉」の標識であり、かつ、“軍使は不可侵”だそうです。
(第三章 第32条)
『新明解』さん、しっかりしてください。
「交渉」と「降伏」を間違えると、腹が立ち、理不尽な行動に決起したりすること、なきにしもあらず。


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江戸時代 賛

地方分権の時代ということで、なかには地方“受難”の時代だろうという声が聞こえたりしますが、とりあえず何をどこから考えようか、ということがありますね。

これからは観光だと言う話もあったりして、十年一日、地元の偉人で大河ドラマを、とかそのドラマのロケ地に是非とか、中心市街地活性化関連でも「観光目的来街者増で通行量の増加を実現する、とか賑やかです。
路線に共通しているのは「他力本願」と言うところでしょうか。

 地方分権時代の都市経営、どこかにたたき台になる話はないか、ということではなんと言っても幕藩体制・江戸時代など如何でしょうか。
都市間ならぬ藩間競争の時代、それぞれが「生活条件の改善」と「所得機会の確保」に知恵を絞った時代です。
日本文化が花と開き、どこから見ても当時の世界において隔絶した地位を占めていた時代でもあります。

この時代を「暗黒時代」と喧伝・定着させたのは尊皇攘夷~文明開化のという「挿し木文化」の流れでありまして、欧米を手本に、封建時代の無知頑迷が、というノリでした。
まあ、治世上の必要もあったのでしょうkrど。

 江戸時代については、優れた研究がドンドン出ているところですが、まだこれから、という部分もあるようです。
とりあえずお奨めは、
山本博文 > 『読み方で江戸の歴史はこう変わる』

渡辺恭二 『逝きし世の面影』

外国人の紀行もいろいろありますね。

 町人学者の業績なども往時の諸外国にひけを取るものではありません。富永仲基とか天下一品。 

 最近関心があるのは当時の官僚制でありまして、立身出世を旨とする階層と一朝有事に備えるものとがあった、と山本さんはおっしゃっています。

 幕府官僚でイチオシは 岩瀬忠震
愛知県へ出張の折りには是非出かけてみたいと思ったりする今日この頃です。

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  • Author:進化する売場研究会
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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