FC2ブログ

店前通行量の迷信 (2) 承前

(承前)

□中心市街地の“客相”

そもそも、中心市街地に出没するのはどういう人たちか?
まずはファイルを手元にどうぞ。

 「客相」はクオールエイドのサイト愛顧の方はとっくにご承知のとおり、「客層」ではありません。
客層は、性別・年齢・職業・居住地等々「社会的属性」でお客を区分しようという発想です。その背後には、“人の行動は社会的属性によって決まる”、“属性が分かればその人の行動を予測できる”という考え方があります。バカですね(笑

 われわれが生きている社会は、「選択的消費」が基調となっている社会です。
つまり、限られた収入をもとにどのように自分らしい生活を作り上げるか(生活の編集)、ということが消費購買行動の基本テーマになっているわけですね。
 買おうとしている商品がその人の生活でしめる位置によって、購買行動の基準が変わります。ある一人の人があるときは、価格にシビアな購買行動をとり、同じ人が別の買い物の時は、価格よりも商品の特性を重視した行動を取る、というのは当たり前にみられるところです。
 
 このように、われわれは購買ニーズの違いによって購買行動(の基準)を変える。買い物目的によって「節約」を基準にしたり、「堪能」を基準にしたりと、基準を使い分けています。この「使い分け」をクオールエイドでは「客相」と呼んでいます。

 今、中心市街地に滞在している人を、その目的によって分けてみることします。中心市街地に滞在している「客相」ですね。これを当社なりに区分してみたのが上掲の図です。図の下方に各「客相」の説明をしています。さらに念のため、例示をしておきましょう。

①遊歩客相:ショッピング(買い物、下見、冷やかし)、散策など
②居住客相:日常生活の場における行動
③用務客相:来街した用事を済ませる行動
④業務客相:お仕事

○同じ中心市街地に出没しながら、それぞれの目的は異なり、従ってもちろん、行動も異なります。

○ある特定の客相の人は中心市街地にいる間、終始、その客相のままで過ごすわけではありません。中心市街地で働いているOL(業務客相)が退社後ショッピングを楽しむときは、「遊歩客相」に変身しているわけです。

 四つの客相のうち、街の賑わいを作り出すのは、「遊歩客相」です。
他の客相は、来街目的を達成することが課題、その来街&滞在目的に「街を回遊し、堪能する」ことは本来含まれていません。
「遊歩」目的以外の客相を賑わいに参加させたかったら、この人たちが「変身」する仕掛けを作らなければならない。
居住・業務・用務客相(以下、「三客相」と呼ぶ)を遊歩客相に変身させなければ、まちに滞留・回遊し、空間&時間を堪能する=賑わいに参加することはありません。

「三客相を遊歩客相に変身させる」
中心市街地に来街目的不問で人を集める、さまざまな来街客相のその「合算通行量」をもって活性化の数値目標とする考え方には、重大な欠落がある。既にご了解のとおり。

※「客相」について、より詳しくは、「サイト内検索」を活用してください。

商業集積の特性から分ける客相は、
コンビニエンス(二ーズ)客相
コストコンシャス(ニーズ)客相
ラグジュアリィ(ニーズ)客相 です。

 一人の人がニーズの違いで買い物行き先を使い分け、行き先・買い物の違いで消費購買行動・商品選定基準が変わります。
このことは、自分自身、家族、知人その他の消費購買行動を思い出して誤解の余地が
無いようしっかり確認してください。
このあたりを理解しておきませんと、「ショッピングモールとしての再構築」が中心商店街のチャンスである、とか、その実現は既存個店の自助努力の組織化による、
といった基本中の基本について?になるかも、です。

□通行相が異なると歩行速度も異なる。

 あなたのお店の前を歩く人が通過に要する時間は、3~5秒程度でしょうか。

 遊歩客相以外に入店を訴求し、成功するにはこの5秒以内が勝負ということになります。この人たちが店前を歩いているのは、非・ショッピング目的で目的地に向かっている、どちらかといえば周囲は歩くに不便でなければ別なにがあっても気にならない、という意識です。この人たちを一瞬の間に自店のショーウインドの魅力で文字通り「秒殺」しなければ入店客になってもらえません。
他方、商店街にその気で来ている遊歩=ショッピング客相の場合、「どこかいい店はないか」とアンテナを張り巡らせつつ回遊していますから、仕掛けとマッチすれば入店確率は格段に高くなるでしょう。

 ということで、商店街は人出を狙うなら(狙うわけですが)、ショッピング目的・遊歩客相の誘引を目指さないと、せっかくの努力が水の泡におわりかねません。
おっと、その前にファサード、ショーウインドをはじめ、業容三点セットの革新はきっちり取り組んでおくことが鉄則です。

クオールエイドでは、ときどき、あまり世間では使われていないコトバを「専門用語」として使うことがあります。
疑問が生じたら、こちらで確認してください。
用語集」もあります。

 二回にわたって考えてきたように、商店街を繁昌させたかったら通行量を増やせばよい、というのは全くの迷信です。
皆さんはもちろんこういう迷信は無関係かも知れませんが、中心市街地・商店街活性化論議の中では結構はびこっていたりします。
皆さんの前に現れたら、即刻論破してください。
相手のためでもありますよね(笑

「お約束」よろしく
ブログランキング

店前通行量という迷信 (1)

□問題の所在

 新しい『中心市街地活性化法』の枠組みでは、認定の基準となる「数値目標」をどう設定する野か、ということが大問題ですが、現場ではほとんど問題視されることなく、設定されているようで、総理大臣の認定を受けた計画等でも、「居住人口」や通行量の増大」が目標数値として掲げられています。

居住人口が増えれば中心市街地は活性化したと言えるのか?
通行量が増えれば商店街は活性化したと言えるのか?

 商店街の通行量などがなぜ「中心市街地の活性化」を評価する尺度として有効なのか、どういう根拠にもとづいてこれらの数値が「達成すべき目標」つまりは、「この数値を達成した暁には中心市街地は見事活性化されている」となぜ言えるのか、という肝心要のところは全く研究された形跡がありません。

“商売がダメになったのは通行量が減ったから”とか“人口が減ったから”という商店街のOBさんたちが酒の席でしゃべる治部の現役時代の“昔は良かった”話の結びの一言とどこがどうちがうのか?
まさか、そのまんまということでは無いだろうと思うのですが・・・。

 人口・通行量を活性化達成を図る尺度とする根拠は、明らかにされていない。人口が増えている、通行量も回復した、しかし、商店街の売り上げは以前として長期低落傾向のまま、すなわち商店街活性化は実現していない、という事例がありますからね。
つまり、人口が増え・通行量が増えても商店街は活性化するとは限らない、という事例があるわけですから、人口が増え・通行量が増えれば中心市街地・商業の活性化は自動的に達成される、と信じて数値目標にしたわけですから「なぜ達成できると信じるのか」その根拠を明らかにすべきです。
もちろん、明らかに出来ないならば、そういう数値目標は設定せずにもっと実際的な数値を目標にすべきです。

 なぜ、人口や通行量が目標とするにふさわしいのか、きちんと説明出来なければ「商店街のOBさん」の「昔は良かった」とどこがちガうのか? ということになりかねません。
 OBさんの回顧談は結構ですが、基本計画の場合はそれで「人・もの・金」が動きますからね。散々使ったあげく、“ダメでした”というわけにはいかないでしょう。


□ 考えられる言い訳

 通行量を目標数値にするのは、商店街の魅力が付いてくれば、お客が帰ってくる、そうすれば通行量は増える、だから通行量を増やすということは、商店街の魅力アップの結果であり、当然、魅力を向上させる取り組みをするのは当然だという言い訳がありそうです。

これが言い訳にすぎないことは明白で
①活性化と通行量の関係をいつの間にか逆転させている
②もし、通行量が「結果」なら、その結果をもたらす施策をきちんと
 計画すべきではないか・・・。

 「通行量増大」がなぜ実現を目指す数値目標として適切なのか、その根拠を示す、という作業は目標数値を算定する前にやっておくべきでしょう。
そもそも、あなたのまちの旧『基本計画』がうまく行かなかったのは、ぶっちゃけ、本当に「数値目標を設定していなかったから」だったでしょうか?
という「総括」に関する問題もあるわけで、旧『基本計画』の見なおしについてどういうスタンスで取り組むかということは、新計画の出来映え・実効性を左右する課題でありまして、プランナーたるもの、新・基本計画を一瞥すれば「総括」のスタンスは一目瞭然のはず、総括の水準はそのまま新計画の実効性の水準に直結しています。

おっと、今回は通行量がテーマ、計画論議は端折って通行量と活性化の関係に戻ります。


□“賑わい創出”という蒙昧

根拠無しでの垂れ流しが予想される“これから流行る活性化用語”
○魅力ある個店づくり
○一店逸品
○賑わい創出
など。中でも“賑わい創出”は、“数値目標”ナンバーワン・通行量との関係から、頻出することでしょう。

 ということで、「賑わい」についてあらためてもう一度考えてみましょう。

「賑わい」とは何か?

□「商業はまちの花」理論
 そもそも「賑わい」とは“そこで何が起きている場合を表現する言葉か”ということがあきらかにされていないと、中心市街地活性化という大仕事のなかで、それも中心的な役割をになう言葉として使うことは出来ません。

 誰かが定義しているだろう、などと安心しているととんでもないことになりかねません。そもそも「誰かが」きちんと考えていれば、今の状態は起こらなかったかも知れないのですから。「賑わい」この大和言葉は曲者です。
中心市街地・商業の活性化関連で「賑わい」という言葉を使うならば、「個店の店先・商店街全体が買い物客で賑わっている」という情景を意味しないと、それこそわざわざ使う意義がありません。
「賑わい創出」は、「売れる店・売れる商店街」づくりのことであるべきでしょう。

 という、あったり前の立場と真っ向対立するのが、「商業はまちの花」理論です。
当サイトではこれまでも幾度と無く検討・批判してきましたが、活性化達成の数値目標として「人口」や「通行量」を掲げるところは、少なくないのではないかと思われます。

あらためて、さらにきびしく批判しておきます。


□ありがちなレトリック

 ちょっと外れますが。「中心市街地活性化講習会」のありがちな内容について。

「賑わい創出」がはやりですから、次のような話になります。
①中心市街地活性化の実現には商店街を活性化しなければならないが、それが全てではない。商業の活性化はまちづくりの手法の一つである。。
②商業以外の部分の取り組み、活性化が重要だ。
③地域全体の協力によって、にぎやかで元気なまちを作っていこう。

 こういうお話が通用するところでは。「商業・商店街の活性化」は「枕詞(まくらことば)」でありまして、以下の「本論」とはほとんど関係ありません。
本論は「商業活性化以外の手法によるまちづくり」のお話ばかり。
それも「論理」抜きの事例紹介ばかり・・・・。
ひょっとしたら当ブログにおいでのあなたのご当地でもこういうお話を聞く会が「勉強会」というタイトルで催されているかも知れません。
講師の先生がおっしゃりたいことは、早い話、「商業の活性化は無理だから、他のことで活性化=にぎわいを作っていきましょう」ということです。

 「商業が駄目なら他の手法でまちづくり」という、ありがちな考え方ですが、提案するのはほとんど商業については考えたことのない「まちづくりの専門家」さんであることが多い。
「商業だけでは無理・他の事業も展開しなくては」というレトリックに「そうだよね」と頷いたとたん、話は一挙に脱・商店街、脱・商業活性化路線へ突進します。

①中心市街地の活性化は必要である
②商業の活性化はその手法の一つである
という認識ですが、ちょっと待った(笑

このときの「中心市街地の活性化」とは街がどうなることを意味するのか?
漠然と「街が賑わうこと」などと考えるレベルは、商店街の空洞化への
対処がスキームとして提案され都市経営上の重要課題として取り組まれる今日的な情況で通用するものではありません。

 特に商業者は、こういうお話に「だよね」と言ったとたん、お店は、「閉店・廃業への道」に大きく舵を切ってしまうことになる。

 商業に無関係・無趣味の専門家の世間話的・「活性化・商業以外の選択肢」などに惑わされることなく、「自分の店が将来にわたって存続するためには」、何を為すべきか、ということを基準に「店づくり」の取り組む、その延長上で「まちづくり」を考え、「中心市街地活性化」を考える、というスタンスが絶対に不可欠です。
「商業離れ」を許しては中心市街地の活性化はあり得ませんから、こういう「講義」は論破しなければならない。というか、そもそもこういうお話が今どきの中心市街地で聞かれること自体がおかしいのですけど(笑

「中心市街地の活性化とは、(「法」のスキームを前提とする限り、)中心市街地の商業街区の活性化であり、ショッピングゾーンとしての機能の再構築である」これは当該都市の規模や母都市との位置関係など関係なく、すべての都市に該当することです。
ウソだと思う人はその旨書き込んでいただけば、きっちり説明します。

あなたの都市の関係各方面の方々にご一読いただく、というのも“有り”だと思いますので。


□通行目的の三大区分

 商店街の通行量とは、いうまでもなく“商店街を歩いている人の数”です。
人はなぜ商店街を歩くのか?
とりあえず「人が歩く」のは「歩くに値する目的があるからだ」としておきます。「暇つぶし」「散策」なども目的に加えます。
そうすると上記のとおり、人が歩くのは目的があるからだ、ということになる。

人はなぜ商店街を歩くのか?
あらためて考えてみますと。
①商店街を通過することが目的 の場合と
②商店街に来ることが目的 の場合とが考えられ、さらに②の場合は、②の1 商店街に買い物目的で来る場合と
②の2 商店街に買い物以外の目的で来る場合に分けられます。

 商店街の通行量とか、中心市街地の通行量とか一口に言いますが、その目的はいろいろでありまして、目的に応じて目的を達成するための行動も異なります。
商店街を歩いている人たち、あなたのお店の店前通行量のみんながみんな、買い物目的の来街客というわけではありません。

当たり前のことですが、通行量云々というアプローチをするときは得てして「来街目的」についての配慮はカッコに入れたままであり、最後までカッコから出さないままで議論が進められ、「数値目標」になってしまう、ということもありそうなので要注意です。

 いや、通過通行量やイベント来街者も潜在的・可能的な買い物客である、従って通行量を増やせば買い物客が増え、個店および街の繁盛・活性化が実現するという論法です、が基本的なところで間違っています。
 問題は、商店街に今現在オープンしているお店の数々、それらのお店は、非・買い物目的の通行量(すなわち個々の生身の人間)が増え、彼&彼女らがお店を一瞥したとたん、欲しくてたまらなくなるような、品揃え・業容を提供しているのかどうか、ということです。

 お店の業容が「買い物行き先としてOK」と評価されないと、いくら通行量が多くても、彼&彼女らが入店客・買い上げ客には変身することはありません。
あまりにも当たり前すぎ、かつ、何度も書いたことので、なんだか書くのが恥ずかしいのですが。

 あなたが「通行量」の one of them だったとして、商店街から期待されているような「変相(来街目的が変わること)」があり得ますか?

この稿は続きます。

ブログランキング

意識改革とか啓蒙とか

 当サイトが主要な活動範囲としている中心市街地活性化・商店街活性化というジャンル、業界ではよく飛び交うコトバがいくつもありまして、中には“誰も反対できないがよく考えてみるとなのこっちゃ”という「黄門さんの印籠」的文言も少なくありません。

 その一つが「意識改革」ですね。
活性化話が煮詰まった段階でよく出てくるコトバの一つです。
「活性化が進まないのは、結局、意識が遅れているから」であり、活性化を実現するためには、「やっぱ意識を改革しないと」とか「意識改革が先決だ」というように話が進むわけです。

 面白いことが二つありまして、
一つは、「意識改革」が必要なのは、言い出した当人を除く「誰か」である、さらにいえば、その発言が行われた場に出席している人を除く「誰か」である。
「そうだよね」ということで、この発言に対する異論・反論は一切無い、ということに決まっています。

 もう一つは、「必要だ」ということを確認するところで論議が打ち切りになること。
普通なら「必要だ」と認識されれば次は「意識改革をどう実現するか」という段階に議論が進むべきところ、絶対に話がそっちに進まない。必要性を確認したところでこの話はお終い、次の機会にはまた一から確認まで、というのが「意識改革」論議の通り相場です。

 と考えてきますと、まず第一に「意識改革」が必要なのは、そういう問題のとらえ方・発想に明け暮れており・かつ・その非生産性に気が付かない当該会議にご参加の皆さん方ではないでしょうか(笑。
どう「改革」するんですか?
というか、問題の立て方に問題がある(笑

 「意識改革」という発想のウラには「啓蒙」というコトバが見え隠れしておりまして、わが国において「啓蒙」とは明治以来、「進んでいるものが遅れているものを指導する」ことを意味しています。戦後、この役割を一手に引き受けてきたつもりなのが、「進歩的知識人」の皆さんですが、もちろん、「啓蒙」に勤しんで来たのはこの人たちばかりではありません。
「ものごとをかくあらしめているのは、関係者の意識が遅れているからだ」と決めつけ、「意識の改革」こそ問題解決の決めてである、と考え、関係者の意識を改革しようとする人たちは、保守・革新を問わず、すべて「啓蒙」を実践しているわけです。
 
 「啓蒙」といえば、わが国では“進んでいるものが遅れたものを導く”あるいは“正しいものが間違っているものを矯正する”ということになっています。
これは本来の啓蒙とはすると全く異なった方法です。
もともとの「啓蒙」とは、国王や教会からいただく「正しいものの見方・考え方」を基本に自分の生活を作っていくことから脱却して、「自分のことは自分で考える」ようにしようではないか、という提言でした。

 ヨーロッパで生まれた思想ですが、これまで「王権や教会」が示していた「ものの見方・考え方」に代わるものとして、「新しいものの見方・考え方」を提案するものではありませんでした。
それは自分で考えて作る、あるいは選択するものであり、これまでの「正統」を批判する方法として登場したのが啓蒙です。
従って、「啓蒙」は「王権や教会など既存の権威に代わる権威」であることを主張して登場したのではなく、「権威を批判的に検討する方法」として提唱されました。

 この「態度としての啓蒙」がわが国に輸入されたのは、明治初期ですが、“進んだ欧米に学ぶ”という国家的要請から、「制度としての啓蒙」すなわち“遅れている日本を進んでいる欧米に追いつかせる”ことが「啓蒙」となってしまった。
「態度」が「制度」になってしまった。

 以来、今日に至るまで、問題は常に「おくれている当事者」を如何に進ませるか、「意識の改革」が課題とされています。
「進んでいる」誰かさんが指導して少しでも「進んでいる位置」に近づける、というパターンが至る所に蔓延しています。

 問題がいろいろありまして、

□「進んでいる」と自覚している人は何を根拠に「進んでいる」と主張できるのか?

□彼らに近づくことが本当に「問題の解決」への接近を意味するのか?
などなど。

実はこういうアプローチの仕方そのものが解きにくい新しい問題の原因になっていたりするわけで、いやはや南友といったあたりについては、【理論創発】で考えようとしています。

 進歩派さんたちに比べれば、「意識改革が必要だ」とお考えの皆さんが「意識改革の方法」などを発明して実践されないのは、とりあえず結構なことですが、「これこそ正しい方法だ」という「方向と方法」が「進歩的立場」から提示されると、まっすぐそれを「啓蒙」することにならないとも限りません。

 「商業の活性化」は、“自力思考に基づく現状批判~仮説試行~評価の繰り返し”でしか実現出来ません。
この方法と「似非啓蒙」「意識改革」とは、全く異なるアプローチです。「意識改革の必要」は、ちょっと考えれば出来ない相談であることは明白、さっそく破棄して「自力思考」に舵を切られることをお奨めします。

いうまでもないことですが、「自力思考」とは“先入観を取り去って考える(出来るはずがない)”とか“人のいうことは聞かない(じゃどうすんのよ)”といったことを意味するわけではありませんよね。

ブログランキング
-
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
ご案内
こちらは、コンサルタント・ファーム、有限会社クオールエイドのホームページの別館です。 商店街・中心市街地活性化関係の業務を中心に展開しています。 ご利用法について。 当ブログには、当該部門について、他では入手困難な情報をたくさん提供しています。 「ブログ内検索」で抽出、ご利用ください。 各種掲示板、ホームページ過去記事などは左欄の目次からアクセスできます。 引き続きよろしくお願いいたします。
プロフィール

進化する売場研究会

  • Author:進化する売場研究会
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
ブログ内検索
アクセスカウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
月別アーカイブ