FC2ブログ

時期未成熟原理 再考

 既出ですが。

“この『時期未成熟原理」とは,提案されている「やるべきこと」は確かに正しいことであり、やるべきことであることに疑いの余地はない、が、しかし、現時点では時機が熟しておらず、「残念ながら」取り組むべきではない、という主張。”

 往々にして、改革を良しとしない守旧派が、自分の主張に大義名分が欠けていることを自覚しつつ、改革を阻み既得権益などを死守しようとするときのレトリックです。時とところを問わず、組織があれば必ず登場します。

 もちろん使うのは守旧派だけではありません。
“このままでは保たない、何とかしなくては”と思っている人・改革志向派も「何とかする」ことの苦労を考えると、腰が引けることがある。
“やるべきことは百も承知だが、関係各方面の熟度が低い”つまり、「時期未成熟」というわけです。

 では、いったい、いつになったら時期は成熟するのか?ということは考えたことがありません。成さねばならぬことがあるが、あいにく時期が熟していない、とするなら次の設問は、

 時期が成熟するのはいつのことか? さらに、
じっと待っていればやがて時期が熟して、ことが始まり、万事うまく行くようになるのか?
ということでしょうが、そこまで考える人は少ないはず。
「意識改革が必要だ」とよく似たレトリックで、「とりあえず先送り」するときの言い訳です。

 もし、機は確かに熟しているとは言い難いが、事態は熟成を待ってくれない、と判断するなら、いますぐ、「時期成熟」を促進させる工夫が必要でしょうし、あるいは「未成熟状態」からスタートする方法も考えなければならない。
しかし、残念なことに、実際には「機が熟していない」「熟度が達していない」という現状認識が「未熟からの出立」のシナリオ作りに赴くことは少ないようです。ものごとのほとんどは未成熟段階でスタートする、というのが通常だと思うのですが。

 「時期未成熟原理」は、本来のあるべきスタート ―未成熟段階でのスタート― を阻害してしまうレトリックです。
レトリックは、ものの見方・考え方の表現であるとともに、一度形になると、恐ろしいことに、それ以降のものの見方・考え方を規定してしまいます。

 皆さんが「サボるつもり」はなくても「熟度が・・・」と着手をためらえば、情況は熟することなく、次の局面へとどんどん進んでいきます。熟度を待つ、などといった「やる気がない」につながる発想から何かが生まれることはけしてありません。

 やらなければならないことがあるなら、思い立ったが吉日、いますぐ着手しなければならない。もちろん、どこから着手すべきか、ということは考えてのことですが。
“熟度が低い”ということは正しい道を歩き始めることを見送る理由には出来ません。

 ということで。
中心市街地の活性化、真っ正面から取り組むならなにはさておき「商業機能の活性化」実現のシナリオを作り、計画を立て、実践を組織する、というあるべき一連の仕事のスタートをいますぐ切らなければならない。手を拱いていると事態・条件は悪化するばかりです。

 とりあえず、すぐに出来ることは、毎度のことながら、都市の関係各方面に当サイトの読者を増やすこと。これはいますぐスタートできますし、いつかは必ずやらなければならないこと、この段階をパスして先へは進めないとtakeoは思っています。

 時期未成熟に埋没するのか、未成熟からのスタートを目指すのか、行く手は二つに分かれていると思います。

※守旧派の戦術に対抗する手だては既出で書いています。

ブログランキング

レトリックについて

■ ブロガーの文体

 ブログを読んでいて面白いことの一つに、特定のブログが使うレトリックがいつの間にか他のブログに伝染している、ということがあります。
扱っている記事・論調についての影響、波及はTBもあり、当然ですが、それとは別にブロガー個人のレトリック、常套用語などが他のブログに伝搬するのが見かけられることがあります。それによって時には“アリエナイザー”(w とも思われるブロガー間の交流が推測されたりすることも。

 文体で影響を及ぼすにはもちろん、内容もさることながら(これがダメなら固定購読が成立しないですもん)、ブラインドで一段落読んだ人が「あ、例のブログだ」と判別できるくらい、特徴的かつ当の真似っこに「真似てみよっかな」と思わせるような文体を装備していることが条件。
ま、当たり前ですが。

 一時は(今でもかな)「きっこのブログ」などがそうでしたね。~今日この頃~とか。・・・そんなわけで、とか、クルリンパとか。
そうそう“アリエナイザー”も(笑。
アンチきっこを標榜するブロガーまで真似しています。

 レトリックを模倣するということは、ブログに掲載されている言説への賛否を越えて、あなたのブログに一目置いてるよ、ということの意識的・無意識的表明かも知れません。
時には他の魂胆もあったりして(笑。
「レトリックへの共感」と言うことでしょうか、おもしろいですね。 今から流行りそうなのは潜水艦乗りさんのレトリック。
いやもうすでに普及していますか(笑。

 だけどね、とか、~わけで、~わけで、とどんどんつないでいく粘着?ためぐちレトリック。話すことならいくらでもあるんだが、という人にもってこいの文体です。
きっこさん由来もありそうな。

 ブログの登場は、ブログ的レトリックの登場でもあるようで、言文一致体が発明されて以来の新しい成果が創発されるかも、などと期待している今日この頃です。
ブログの文体は、これからも観察していきたい。

 ブログ界から言文一致体以来の新しい文体が創発される、という可能性も否定できません。楽しみだなぁ、といっておきましょう。

 話はここでクルリンパと、レトリックについて。
辞書では「相手を説得する技術」とか、「伝えたいことの表現法」などと説明されています。「話したり、書いたりする際に言葉を有効に用いる技術」などとも。

 これらを手がかりにあらためて考えてみると、とてもそういうレベルのことではない、「ものの見方・考え方」と直接関係している重要なことであることに思い至るのでありまして、「問題解決能力のブラシアップへの貢献」を目的の一つとする当サイト、引き続きレトリックについて考えてみようかな、などと考えてみたりしている、今日この頃です。


■レトリックについて

 (サイトでは別記事)

 まず簡単に、レトリックとは「相手を説得する技術」であると考えます。
“どうすれば相手を説得できるか、いろいろと説得する方法、表現を工夫すること、また、その技術を研究すること。”レトリックとはそういう意味。

 次に、レトリックを用いて話し合う相手、すなわち「議論し、説得する相手」が「自分自身」の場合を考えてみましょう。

 我々が生きていくにあたっては“ある未知のことについて理解する”という作業が常に付きまとっています。この「理解する」という作業は、当の「未知のこと」について“自分自身を納得させる”ことだと考えることができます。
“自分自身を納得させる”ということは、「未知のこと」について“自分が納得できる説明を組み立てる”であり、つまり、レトリックを駆使する、ということです。 
ここからレトリックの重要な特性が導かれます。

 この場合、何しろ説得する相手が自分自身ですから、「だます」わけにはいきません。だまされた結果、「未知のこと」について誤った理解をしてしまい、その誤解をもとに「未知のこと」に対処すれば、失敗を招く可能性が高くなります。
みずからの仕事で失敗を招くわけにはいきませんから、この場合、レトリックは、“いかに対象を適切に説明するか”ということが課題になります。この「的確な説明」のために駆使されるのがレトリックです。

 私たちが「未知のもの」を言葉を用いて理解するとき、そこには必ずレトリックが働いています。「対象を理解する」とは“対象を言葉を使って構成する”ことです。
“それはただのレトリックじゃないか”などという常套句がありますが、レトリックの正体を知ると、とてもそういうセリフは使えなくなります。

 たとえば、“ライリーの法則”は、重力の法則を比喩的に用いて購買行動を理解ー予測しようとする試みですが、この場合、重力の法則がレトリックに使われています。
重力の法則の「正しさ」をもって「ライリーの法則」の妥当性を担保させようというレトリック、ということが指摘されます。
このことが意味することは重大でありまして、この欄で説明するのもなんですが、簡単に書きますと、重力の法則と同じ構造の説明になっているからといって、そのことをもってライリーの「法則」が重力の法則と同じ資格(この場合科学的知識)をもっていることが帰結するわけではない、ということがあります。
上手に説明出来たからといって、それが正しいとは限らない、ということ。

 話がちょっと先走っていますが。
今日の話題は、レトリックとは単に「人を説得する弁論術」ではなく、「(自分を含む)人を納得させるにあたっての言葉の使い方」のことです。
レトリックの正体、その重要性を理解すると、レトリックをしっかり身につけることの大切さが身にしみます。

 もちろん、いかに相手をこちらの土俵に登らせるか、という問題意識のもとに操られるレトリックもありまして、たとえば、中心市街地活性化の議論ではよく「商業の活性化だけではなく」というレトリックが登場しますが、このとき発言者の念頭にあるのは往々にして「商業の活性化以外のこと」であることが多いようです。「○○だけではなく」が言外では「○○以外」となり、これを黙認すると話は「○○以外」の施策に終始することになってしまうwさけですね。時には自覚しないまま「だけではなく」と切り出したために、「商業以外の話」に終始することになってしまう、ということもありそうです。こういう進展にピピッと来るのがレトリックセンス。

 「レトリックは(彼我を問わず)ものごとを理解させるための技術だ」「理解をめぐる議論の技術だ」と考えれば、レトリックに習熟することの大切さがしみじみと理解されますね。
言葉を用いて対象を理解する=対象を言葉で構成するということは、レトリックを駆使して納得させなければならない最初の人間は他ならぬ自分自身だ、ということを意味します。

 レトリックを駆使する能力はものごとを理解する能力につながる、「問題解決」を左右する大切な能力ですが、修得する方法は確立されておらず、「自然成長」以外は「現場百回」とか「書写」とかの領域にとどまっているようです。
レトリック、課題である「自力思考」に大きく関わることであり、その錬磨には常日頃十分留意しなければならない。
なんだか、当たり前の結論ですが、いいたかったのは「レトリックはものごとを理解するための武器である」ということ。
ほら、よく使われる「コンセプト」も「対象の言葉による構成」ですから、レトリックは不可欠です。

 磨くべし、レトリックのセンス&スキル。
特にプランニングを生業とする人にとって、レトリックスキルの錬磨は欠かせません。まずはそのことの確認から。


ブログランキング
-
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
ご案内
こちらは、コンサルタント・ファーム、有限会社クオールエイドのホームページの別館です。 商店街・中心市街地活性化関係の業務を中心に展開しています。 ご利用法について。 当ブログには、当該部門について、他では入手困難な情報をたくさん提供しています。 「ブログ内検索」で抽出、ご利用ください。 各種掲示板、ホームページ過去記事などは左欄の目次からアクセスできます。 引き続きよろしくお願いいたします。
プロフィール

進化する売場研究会

  • Author:進化する売場研究会
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
ブログ内検索
アクセスカウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
月別アーカイブ