中心市街地とはどこのことか

 いよいよ『整備改善・活性化法』から『中心市街地活性化法』へ、スキームが変更されます。

 これまでの『中心市街地活性化基本計画』の問題点の一つは、計画において「中心市街地」に指定されている区域と実際の事業対象地域の間に懸隔があったこと。
このことは総務省の中間総括において批判されているとおりで、非常に広い範囲を対象地域に指定している例が多い。しかし、実際に事業を行っているのはほとんど商店街地域だけですね。これはスキームの趣旨からしてこうなるのが当然ですが、問題は指定地域が本来の対象地域を逸脱した原因が「法」の趣旨を適切に把握していなかったことにあるのではないかと思われること。

 中心市街地指定のミスマッチがそのことに起因しているとすれば、ことは総務省が指摘しているように、単に対象地域を過大に設定した、と言うことにはとどまらない重大な問題がある可能性があります。
 そして、後で見るように、このことが今日に至るまで反省的に理解されていないということは、新スキームの理解についても同じ轍を踏んだまま事を進めようとしているのではないか?
という懸念を起こさせる訳ですが・・。

 以上を踏まえて、現下の状況を見ますと。
『中心市街地活性化法』のスキームをもって「コンパクトシティ」的取り組みを推進しようとする流れが生じています。果たして新スキームは、「コンパクトシティ」推進のスキームとして妥当なものでしょうか?

問題は、
①法律で定義されている中心市街地と
②「コンパクトシティ」推進の文脈で語られる市街地とは
同じ概念、同じ地域を指しているのだろうか? ということです。
検討してみましょう。

「法」における「中心市街地」は、次の要件を持つ地域とされています(「法」)第二条)

一.当該市街地に相当数の小売商業者が集積し、及び都市機能が相当集積しており、その存在している市町村の中心としての役割を果たしている市街地であること。
(「集積要件」という)
二.当該市街地の土地利用及び商業活動の状況等からみて、機能的な都市活動の確保又は経済活力の維持に支障を生じ、又は生ずるおそれがあると認められる市街地であること。(「趨勢要件」という)
三.当該市街地において「都市機能の増進及び経済活力の向上」を総合的かつ一体的に推進することが、当該市街地の存在する市町村及びその周辺の地域の発展にとって有効かつ適切であると認められること。(「広域効果要件」という)
(ちなみに今回の改正による変更は、「」の部分だけです。これまでは「市街地の整備改善及び商業等の活性化のための活性化」でした。)

「法」に定義された中心市街地とはこの三つの要件(以下「三要件」という)を兼ね備えた地域のことです。
◆三要件を兼ね備えた地域とは、どこのことか?
これは「中心市街地のうち商業街区=中心商店街及びその周辺」のこと以外にあり得ません。「集積要件」をもう一度見てください。
これを読めば、「都市機能が相当集積している、あるいは集積していたが今では空洞化が進んでいる地域(以下「旧市街地」という)が中心市街地なのではなく、「相当数の小売商業者が集積し、及び都市機能が相当集積」すなわち、中心商店街地区及びその周辺に限定された地域が「法」が指定する中心市街地であることが分かります。 念のため、他の要件も検討しておきます。
二の「趨勢要件」において、中心市街地とは、
①土地利用及び商業活動の状況等からみて、
②機能的な都市活動の確保又は経済活力の維持に支障を生じ、
③又は生ずるおそれがあると認められる市街地であること。
 と定められています。
ここでも明らかに「中心市街地=中心商店街及びその縁辺地域」であり、旧市街一般を指すものではない、ということが明らかです。

三の「広域効果要件」について。
「都市機能の増進及び経済活力の向上を総合的かつ一体的に推進することが、当該市街地の存在する市町村及びその周辺の地域の発展にとって有効かつ適切である」のはコンパク党の皆さんが主張するように、当該地域に行政・教育・社会・医療等々の都市機能を一極集中することでは無いことは言うまでもありません。

 では、ここで言われている「当該市街地において都市機能の増進及び経済活力の向上を総合的かつ一体的に推進することが、当該市街地の存在する市町村及びその周辺の地域の発展にとって有効かつ適切」な中心市街地とはどこのことか?
この要件が指し示しているのも「中心商店街及びその縁辺街区」です。

 どうしてそういえるのか? 広域効果要件で言えば、
①他地区の発展を妨げず
②他地域の住民の生活条件として有意義
③地域商業活性化の手法として非中心市街地においても応用可能
という条件をクリアしているのが「中心商店街」だということ。
その他の都市機能のばあい、域内地域間はゼロサム関係のことが多い。

 と言うことで。
「法」のスキームにおける中心市街地とは、これまでもこれからも「中心商店街及びその縁辺地域」のことである、と言うことを説明しました。
それがどうした、という人もあるかも知れません。
①中心市街地を広めに指定し
②増進する都市機能もあれこれ幅広く計画しておけば
③結果的に商業・商店街の活性化にも役立つではないか
という主張も予想されます。
ここからコンパクトシティ的発想まではほんの一歩であり、これまで商店街活性化に取り組み、挫折してきた経験を持つ皆さんにとって、中心市街地の商業活性化は商業だけの取り組みでは実現できない、商店街を活性化するにはコンパクトシティを目指すべきべきだ、といった主張が受け入れやすい下地は出来ています。
(挫折の原因はそんなところにあるのではなく、問題の定義を間違えた、と言うところにあったのですが、ここではそのことは省略します。)

新スキームの発表とともに、中心市街地活性化=コンパクトシティ化の推進、という流れが一挙に出来上がろうとしています。

ところが、この方針・方向は大きな間違いでありまして(笑
そもそも、中心市街地=中心商店街及びその縁辺という狭小な地区に多種多様な都市機能の一極集中が出来るはずがありません。
このスキームによるいうところのコンパクトシティの推進は、
①「法」が目指している中心市街地活性化を挫折させた上
②「コンパクトシティ」も実現できない
という結果に陥る可能性が極めて高い。
 
 商業の活性化=空洞化している既存の商業機能を「買い物行き先」として再構築する、という仕事は、「人を集めれば何とかなる」というような安易な考えでは絶対に実現できません。
この「安易な考えではぜったいに実現できない」ということをしっかり理解した上で取り組まないと商店街の活性化は難しい。

この問題は長くなりますので、続きはホームページで。

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スキミングマーケティング

 マーケティングにおけるスキミングとは、高額所得者をターゲットにした市場細分化・商品政策のこと。教科書では上澄み価格政策と呼ばれたりします。
市場重要のうち、まずは高価格政策で一番おいしいところをねらうという、かって教科書に載っていた「マーケティング」手法です。

 中心市街地「活性化」の文脈でもてはやされている「コンパクトシティ」の特に「人口増加」は、限りなくこのスキミングに似ています。

①中心市街地に賑わいを再現することが必要だ
②賑わうためには人を集めなければならない
③中心市街地居住を増やそう:誰でもいいから引っ越してきて、ただし、マンションを買える人
ということで、現住居宅を処分して中心市街地に移住できる人がターゲット。で、この人がどこから移住してくるかと言えば、主要には都市縁辺部、周辺町村などからです。

 「中心市街地居住」の都市経営上のメリットがさまざまに語られますが、忘れてはいけないのは、これに呼応するのは、「中心部に新たに住居を確保出来る条件が揃っている」人たちだけですね。たとえ、推進のための助成金を作っても以下の状況が起きることは間違いない。

中心市街地移住有資格者(笑 が中心市街地へ移住した後、かって彼らが住んでいた地域はどうなるか?
火山が噴火したわけではありませんから、全世帯・全員一斉・強制移住などは考えられません。そうすると、世帯数が半減しようとも各種インフラは当然維持しなければならない。
当然ですね。除雪費用だってそうじゃないんですか。
 もし、本気で縁辺地域の生活環境維持コストを軽減したかったら、当該地区から全世帯を中心市街地へ移住させなければならない。そのためには、既存居宅の処分は絶対条件でしょうが、処分=売れますか? 売れたとしたら(そこに住む人が減らず)一極集中は出来ないし、売れなければ移住コストがカバーできない・・・。

 少子高齢化社会に備えて都市経営コストを軽減しなければならない、といえば大義名分っぽくてかっこいいと思う人もあるいはいるかも知れませんが、ちょいと考えれば、コスト削減は出来ない相談だと言うことになる。中心市街地居住を推進したかったら「移住○ケ年計画」を立案しなければならず、そのコストたるや・・・・と考えればこれは最初からアウトですね。

 どうしてこういうはめに陥るかと言えば、これはもうはっきりしていまして、そもそも、コンパクトシティを「中心市街地の賑わいつくり」という喫緊の課題の手段のレベルで考えるからこういうことになる。マジメにコンパクトシティを目指すならば、中心市街地と非・中心市街地との緩やかな役割分担は当たり前、何もコンパクトな範囲にコンパクトな住宅を密集させ、コンパクトな生活を目指すことがコンパクトシティではないでしょ。
これは数十年掛けて取り組むテーマ、他方、中心市街地活性化は3年~5年の勝負です。

 次に「賑わい作り」について。人が住む、人が通ってくれば「賑わい」が埋まれる、とコンパク党の党員さんたちは主張しますが、反証は簡単です。
①先行事例においてマンション密集地区は賑わっているか?
②工場・オフィスへのアクセス道路(人通りは多いが)は賑わっているか?
「人が集まれば賑わう」というのなら、
①これまで賑わっていなかったが
②住む人が増え・通用道路として使う人が増えたら
③賑わうようになった
という街の事例を一個でいいから挙げて見よ(笑

 そもそも。「賑わい」とは何か? ということもはっきりさせていない。もちろん、
①街に住む人来る人が増える
②街が賑わう
③街の経済活力が向上するということがねらいですから、この①~③について、「商業は街の花」などというお馬鹿なレベルではない、専門家としての論証をしていただきたいところだが、まあ、無理でしょう。  

と言うことで。
中心市街地が活性化できないのは、中心市街地に人が少ないからだ、人を集めれば街は活性化する、という短絡・省思考に基づいて、「中心市街地の賑わい作り」とやらのために、学校や病院、オフィスや住宅、公共施設等々を集中させれば「人が集まり、街が賑わう」、その結果として「中心市街地の経済活力が向上する」。

なんで? どうして? 説明できるものなら説明していただきたいものですね。

「中心市街地活性化」の手段としてのコンパクトシティは、反・コンパク党宣言を引くまでもなく、「夢のまた夢」です。
 もし、真性コンパクトシティ派がいるとするなら、彼らにとって「中心市街地に買い物の場を再構築する」ことは、優先順位の高い仕事であり、間違ってもコンパクトシティを目指せば、商業は「花」として見事に開花する、などと言うことは夢にも考えません。真性コンパクトシティ志向とコンパク党の最終的な違い、ご納得でしょうか、ですよね?

商店街の数値目標

クオールエイドが各地で商店街の勉強会「商人塾」を受託運営をしていることはご承知ですね?
3時間×10回というコースを私が一人で担当します。


 商人塾にはたいていお菓子屋さんが参加されています。
共通しているところがありまして、年輩であること、後継者を修行に出していること、など。
 受講の動機も共通しており、繁盛再現という他の店主さんと共通する期待の他に、「息子が帰って来たとき、息子が主張するであろう新しい方針を理解するため」ということです。こういう動機が共通していることの背景にはお菓子屋さんたちの「勉強」に対する考え方があり、これは皆さんに是非参考にしていただきたいところですが、とりあえず今回は別の話題。


 今日のニュースは、息子が帰ってきて「〈店づくり〉をちゃっちゃと転換してしまった、正面衝突間違いなしのところ、商人塾で勉強していたため、息子の言うことがよく分かり、うまくいった」という人。
息子さんには私も一度会いましたが、なかなかの好青年でした。
この人が修業しながら「うちの店は如何にあるべきか」を考え続けている、一方、店では親父さんがその帰りを待ちながら夜遅くまで商人塾、イベント参加、組合活動のリーダーとがんばっておられる・・・。
という二年間がこの春、見事に実を結びました。大将の勝利、ですね。
 今年の商人塾には息子さんが参加することでしょう。


 と、塾頭である連合会の理事長さんからお知らせがありました。
理事長さんも大変嬉しそうでした。こういう話が伝わるとみんながいっそう盛り上がっていいですね。
 お菓子屋さんの同じようなケースは他の塾でもありまして、来年は別の街で同じような〈情⇔景〉が見られると思います。


さて、数値目標主義。


 中心市街地活性化、実現が遅れているのは目標が具体的で無かったからだ、という説があります。確かにおっしゃるとおりでありまして、「緑あふれる・・・」とか「歴史・文化・伝統を活かした・・・」といった抽象的な文言では「中心市街地活性化の一体的推進の目標」にはなりにくい。


 ところが、せっかくの「具体的目標を立てよう」という提言ですが、これが「活性化するには通行量の増大が必要だ」という先入観と結びつくとどうなるでしょうか?


 「具体的目標を立てる」ということが「通行量増大の目標を立てる」と言うことになり、さらに「目標管理~評価がしやすいように目標を数値化する」という考えが加わると、「年次ごとの通行者数」が中心市街地活性化の具体的な目標となってしまう。
 当サイトでは先にその実例を紹介しました。


 第一に、「具体的」と「数値」は違いますからね。


 「ショッピングモールを目指す」というのは中心市街地/商業街区を活性化するための「具体的な目標」ですが、「通りの通行量を○○人にする」というのは、「通行量を増やす」という目的にとっては確かに具体的な目標でしょうが、「中心市街地活性化」という目的にとってはどうでしょうか?


 目的が商店街活性化(新しい定義では活性化とは「機能増進&経済活力の向上」です)の場合、通行量を増やす、ということを直接の目的にするというアプローチでは本来の達成すべき目標に届かないと思います。


さらに言えば、通行量を増やすための仕掛けのモノ凄いこと。
○居住人口を増やす
○就業人口を増やす
○来街人口を増やす
○散策の仕掛けを増やす
○イベントを増やす・・・
その結果、通行量が増える・・・?
お望みどおり人口が増えたと仮定して、それがそのまま「通行量増大」につながるのか? 通行量こと来街者は何を求めて商店街にやってくると想定されているのか?
「来街目的」はなんでしょうか? 
人が歩けば「経済活力の向上」が実現する・・・?


 ということで。
数値目標を立てれば、それが即、中心市街地活性化の具体的な目標を立てたことになり、したがってその数値目標を達成すれば中心市街地活性化が達成される、というようなお話はお話のママで終わります。


 こういう流れは、どうして始まったかと言いますと、「人通りの多い街が元気のいい街だ」という「定義」からです。
その定義のきっかけになったのが佐世保市の中心商店街の状況。


 ご存じのとおり、平日でも・経済的に落ち込んでいても・お店でモノが売れていなくても・人通りはびっくりするするほど多い、ということから「日本一元気な街」と折り紙をつけられた佐世保市の中心商店街ですが、地元ではどのように評価されているか。
たとえばここなどに商店街の状況がいろいろと描かれています。
「日本一元気がいいからこのままでよい」という意見は地元でも少ないのではないでしょうか。


 私は具体的な目標は「ショッピングモール」でOK、問題は実現の手法に現実性があるかどうか、ということだと考えています。
どうしても数値目標にこだわるのなら、
①1年後に「売り上げが好転した」「商売の存続に希望が持てるようになった」という店主が○%増える 2年後、3年後とどんどん目標数値を上げていく、とか、
②2年後に空店舗率を○%まで下げる
といったものでないと活性化(機能が増進し経済活力が向上する)を評価する指標にはならないか?
目標を設定するのは、目的である「活性化」を実現するため、したがって設定される目標派、これを達成すれば目的が実現される、ということを疑問の余地無く明らかにしておかなければならない。
とフツーに思いますが、あなたは如何ですか?


 ちなみに、①、②などを数値目標にするのなら、上位目標は当然、「ショッピングモールとしての再構築」になるわけですが・・・。
もちろんこの目標は「中心市街地活性化」のうち「商業街区の活性化」という目的を実現するための「具体的な目標」です。


 申しあげたいのは、
①中心市街地活性化に向けて具体的な目標を立てることは必要だが、それは「活性化実現の方向と方法」を具体的に選択する、ということである。
②方向と方法抜きで抽象的な数値(通行量とか)を掲げて「この数字を達成することが活性化の実現である」「この数値を達成すれば全ては解決する」と言うようにだんだん短絡してしまうのは全然具体的・実践的なことではないのではないか。
ということです。


ということで、ここからが本論ですが(笑
数値目標主義の皆さんには、今日紹介したお菓子屋さんの事例などはなんの意味もないことでしょう。
人口もちろん増えませんし、通行量も目に見えて増えるわけではない。


 ところが実は。
後継者が帰ってきた、お店が変わった、という話はどんどん拡がっていきます。なにしろ「商人塾・おもてなしイベント」や地元新聞の報道などでその「業容」は再確認・再評価されていますから、話題になるしその伝播も早い。行ってみなくちゃ、という人が増えています。
腕に覚えの先代(といっても現役ですが)がGOサインを出した新・業容ですから、堪能客相の支持もバッチリでしょう。
ご祝儀来店や新規お試し来店やもちろん固定客も来店頻度が増す・・・。
ということでますます「商売繁盛」という可能性が高くなりました。


 注目していただきたいのは、この間、「人口はただの一人も増えていない」ということです。人口が増えなくてもきれいに成立する繁盛事例であり、現に起きている事実だということです。


 今すぐ取り組める・取り組みやすくて結果の出る・中心市街地活性化の方向と方法を実践した場合に起こる商店街の活性化=「経済力の向上」事例です。
人口増がすべてを解決する、という考えは、人口が増えない限り何をしても効果はない、という諦念と裏腹のことが多い。
想像力が貧困というか、想像力の使い方がマンネリ化しているというか・・・。


 このお店に新しく「お試し来店」して気に入り、お得意客になった人がある日隣のお店にも「お試し入店」したとします。
商店街に来た一人の人が二つのお店に入れば、来街者1が来店者2となる・・・。
入店数の多い人ほど「繰り返し来街」の可能性が高くなり、来街するごとに・・・、
と考えれば、これが商店街ならぬ「商業集積」の集積力です。


 人口は増えなくても(さらに言えば多少減少したとしても)お店・商店街が繁盛する方法はあるのだ、ということが得心されたことと思います。
小売店は「人口」相手、人口が多ければ街は繁盛すると思っている人は、是非、その実例を挙げていただきたい。
「数値目標」はそれからでも遅くはありません。


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商店主はベンキョ~が大事

 


「勉強」 辞書を引きますと:
「そうすることに抵抗を感じながらも、将来の大成・飛躍のために、一時忍ばなければならな、辛い経験」
とあります(『新明解国語辞典』 三省堂)
 

なるほど、「商売について勉強する」「値段を勉強する」どちらも「強いて勉める」訳ですね。
ところが。このところの商店街を見ておりますと、この二文字が忘れ去られているようです。値段のほうは赤札などをつけて安易な「一律値下げ」で、まあ、百歩譲れば勉強していると言えないこともありませんが、問題は、「商売について勉強する」こと。こちらのほうあ、もう、ものの見事に放棄されている。
ちなみに、全国の商店街で最近取り組まれている事業はこういうメニュー
如何ですか。少しでも「商売について勉強」しているのかな、と思われるような取り組みは文字通り皆無です。
一方、皆さんが「規模と駐車場で負けている」と思っている郊外のショッピングセンターなどは、企業ぐるみで勉強し、向上心のあるスタッフはその上さらに自分でしっかり勉強しています。これは30年くらい蓄積されていますから大きいですね。



 さて、私は、「勉強無くして繁盛無し」ということで商店街の皆さんに「勉強の機会」を提案することを生業としていますが、なかには「勉強が嫌だから家業を継いだんだ」と豪語?する人もあったりします。
商店主はなぜ勉強しなければいけないか? あらためて考えてみましょう。


商店主はなぜ勉強しなければいけないか? 理由は簡単でありまして、お客さんが買い物についてしっかり勉強しているから。おっと、お客さんの場合、「強いられて勉める・勉強」と「好きで取り組む学習」の二種類の「買い物能力向上させるの法」を駆使していますから、「勉強嫌い」であろうと無かろうと、商売を続けたかったらあらためて勉強に取り組まなければならない。


>※お客さんはこんなに勉強している


消費者の購買活動は「問題解決活動」の一環として行われます。


※「購買行動」が問題解決行動となる問題情況をざっと書いてみますと、
①生活のなかでニーズを意識する
②ニーズを充足する手段(ソリューション)を考える
③商品の「購買」を決心する
④購買先を選択する(情報・過去の体験の評価)
⑤アクセス (店舗に出向く、無店舗販売の手続きをとる)
⑥アイテム選定(ソリューションとしての適正 対価)
⑦購買決定・購買(お金を払う)
⑧ソリューションとしての評価
⑨問題解決過程全体の反省的評価
という具合です。


買い物というのは、このプロセスを意識的・無意識的に踏んで行われる。通常はルーティーンでやっていることでも、いったん、どこかのプロセスで異変が起これば、そこからしっかり意識的な「問題解決行動」となります。


買い物とは、「何とでも交換できる通貨」と「使い道がきわめて限定されているアイテム」とを交換することです。一度使うと二度と帰ってきませんからね。
大事なお金と交換するに値する買い物か? 購買行動はしっかり計画され・アイテムは厳しい吟味に掛けられる。


 購買行動は、問題解決行動であり、これは同時に「仮説~試行」プロセスですから、その結果は、購買行動にフィードバックされます。お客さんはこのプロセスを通じて、否応なく学習=購買能力の開発向上を続けている、ということです。
(このことは「消費者懇談会」などを開催すると手に取るように分かります。)


 この自発的な学習と併行してもう一つ、お客さんの購買行動に「購買能力の向上」をもたらすことがあります。「強いられて勉める」=勉強ですね。


①「在庫一掃大バーゲン」に釣られて無駄な買い物をした
②「ぴったりですよ」と言われたが帰って吟味したら全然だった
③その他いろいろ


「強いられて勉める」、できれば体験しないで済ませたかったこともこれまでの買い物のなかでしっかり修得しています。
購買行き先の選択、アイテムの選択、矢でも鉄砲でももっていらっしゃい。ついでにお店の前に立っただけで店内の様子は「品揃え・接客サービス・雰囲気」全部・バッチリ透視できます(笑


 ということで、日々の購買プロセスを無意識のうちに「学習・能力開発プロセス」にしているお客さんに相対している皆さんは、いったいどういう方法でお客さんに「遅れないように」していますか?
販売データなどは「後の祭り」ですからね。


 ちなみに。
アイテムにとって競合相手は、別のアイテム、別のニーズの他に、「通貨として保持しておく」という強力なライバルがいることをお忘れなく。
商店街はもちろん、郊外のSCにもにも出ていかないお金がタンスのなかで待機しています。
出動要請には何が必要か?
①汎用性のある=売られているソリューションなら何とでも換えられる能力を持つ通貨と取り替えたくなるような魅力のある単機能アイテムを提案できる「店づくり」を実現すること。


ということで。
お客さんはしっかり学習し、しかり勉強させられて購買能力を日々向上させながら買い物に来ています。
買い物の結果はまた学習・勉強として「購買能力」にフィードバックされ、能力を向上させる・・・。


あんたもベンキョ~しないと置いてかれるのはあったり前じゃん、それが「もの余り・店あまり」ということでしょ~。


ここに商店街空洞化の根本要因があるのだ、と、どうしてこれまで誰も言わなかったのでしょうね(笑


お客さんは、買い物を通じて無意識のうちにさえベンキョ~しています。皆さんは「無意識に」ではダメ、ちゃんと意識的にベンキョ~しなくちゃ、お客さんに追いつけません。
なるほど一理あると思ったらクオールエイドのサイトへどうぞ。
商店街立地で繁盛を再生するための「勉強道具」がぎっしりです。



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商店街リーダーさん、お覚悟あれ

 何十年来、活性化に取り組んできたが成果が得られるどころか、年々歳々、商業機能・買い物行き先としての魅力は劣化するばかり、という全国の各都市の中心商店街、リーダーの皆さん。


 『中心市街地活性化(整備改善・活性化)法』の制定以来、8年の長きにわたる、一応、中心市街地・商業街区としての取り組みが行われてきましたが、さしたる効果が見られないまま、スキームが変わろうとしています。
商店街単位=点や線の取り組みから、「面」での取り組みへ、さらに今度は中心市街地の人口・世帯数まで増やそうという、取り組みが計画されようとしています。
 一方では郊外地区への大型店の出店の規制と中心市街地への出店誘導を図る施策も織り込まれており、なにやら商店街の皆さんが待ちに待っていた(しかし遅すぎた、という声あり)施策を束にして展開することになりました。


 ひょっとしたら喜んでいる人もあるかも知れません。何しろ、
①逃げ出した「核店舗」の跡に新しく核を誘致する
②郊外には出店させない
③まちなかの人口や来街者が増えるように居住や集客施設を建設する
 ということで、商店街の役員会で出そうな話がそっくり実現することになるかも知れません。ホント、人によっては夢みたいな話かも知れません。


 さて、①~③が首尾良く実現したとして、皆さんの商店街に果たしてどんな影響が考えられるでしょうか?


商店街への影響ですから、当然、
1.来街者が増える
2.入店客が増える
3.買い上げが増える
4.個店・通りが繁盛する
という流れで影響を考えている人もあるのではないか?
まさかぁ、という人は物事を知らなさすぎ。  では検討してみましょう。


1.来街者が増える・・え、何で増えるんですか? 増えないんじゃないですか?


 これは増えません。なぜか? 商店街に出かける理由がありませんから。
 もちろん、商店街を区画整理、上ものは再開発で店舗つきマンションということにすれば、ひょっとしたら住む人が増えるかも知れません。でもこの新住民が商店街を歩くのは商店街を通り抜けて目的地に向かって通り抜けるときだけでしょう。
 なぜそういえるか? だって、いままでよそで買い物していた新住民が商店街に引っ越してきたからといってなんで急に商店街で買い物するようになるんですか?
商店主たちでさえ買い物しない商店街だというのに。


したがって、
2.入店客が増える
3.買い上げが増える
4.個店・通りが繁盛する
というシナリオは成立いたしません。
おっとこれらと併行して「繁盛する個店~まちづくり」の取り組みが街ぐるみで行われていれば、もちろん、話は別の展開になるのですが、残念ながら、です。


 ということで、最初の①~③は例えそれらが成功したとしても1~4は実現しないことが明白だと思いますが、それでも「そんなことはないだろう」という人は以下をご検討いただきたく

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自然流マーケティング

 takeoは、年来、自然(じねん)会というNPOに参加しています。

 自然会はtakeが所属する㈲クオールエイド社が所在する武雄市に本拠をおき、「有機栽培の普及」を中心に活動しています。
会員は農業者、スーパーマーケット、生協、食品メーカー、消費者などさまざまです。
活動拠点は武雄市の農村部の旧武家屋敷。広大な敷地と田畑山林を借り受けて、農業・食育・地産地消の普及などに取り組んできました。

 このたび、全国最年少(36歳)・武雄市の新市長・樋渡啓祐さんが、武雄市について、「食」領域を中心にまちづくりを目指す、という方針を掲げましたので、これに呼応し、さらに風呂敷を大きくして(笑)、新・「自然会」を構想することになりました。

 名は体を現す、新・自然会は、自然に学び・発展させる=「自然流様式(ライフスタイル)」を出来るだけ広い分野で模索・実践し、領域を越えた成果の伝播・交流の活動を通して世紀の課題:「時間堪能型ライフスタイル」の実践・普及を目指します。

 長く暖めてきた構想ですが、新市長誕生を契機に自薦段階へ脱皮することになりました。

 ところで、市長さんがこういう取り組みの契機になるのは珍しいでしょうね。
もちろん、ご本人はまったくご存じないことですが、「この人の話に乗ってみようか」という気にさせる、そういう気持ちを起こさせる力を持った人だということですね。
ちなみにマーケティングの極意は「その気にさせる」ですね。
ということで、皆さんもこの人には是非ご注目ください。

 さて、本論。
takeoは仕事がら、「自然に学び発展させる」というNPOのモットーを、ビジネスの世界においても、イヤ、ビジネスにおいてこそ活用していきたいと考えています。
どう活用するのか? 
○ビジネス実践上の問題解決における知恵の源泉としての活用 というレベルだけではなく、
○ビジネスの根幹となる理念体系への採用
をはじめ、いろいろな領域・レベルでの活用を模索・実践していく・・・。

 自然流マーケティング
クールエイドではマーケティングを「相手の期待していることの実現に貢献することを通して自分の目標を達成する」という発想に基づくビジネス作法・経営理念であると定義しています。

 考えて見れば、菜の花とミツバチの共生関係など、その典型は自然界にたくさんあります。
 菜の花はミツバチに蜜を提供することで受粉という目的を達成します。ミツバチは、菜の花に誘われ花にたどり着き蜜を集めることで専念(?)することで、知らず、菜の花の子孫保存という目的達成に不可欠の役割を果たしています。

 自然会の「自然学び発展させる」という理念をビジネスの領域で展開する、ビジネスにおける問題解決に自然界の作法を取り入れるというのは、自然から逃れては生きていけない私たちにとってあまりにも当然のことであり、また、脱自然を暗黙の情念として突っ走ってきた高度成長期以降のビジネスの反省を踏まえての基本理念~実践再構築へのアプローチとしてもスリリングです。

当ブログでも、折にふれ、自然流マーケティングやNPOの活動のご披露をしていきたいと思います。

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「三法見直し」後の中心市街地活性化

 ご承知のとおり、『中心市街地活性化法』の見直しは、その「名称」及び「目的」レベルの変更という「抜本的」なものですが、しかし、子細に読み解けば、これはまさしくこれまでの「法」において不十分だった個所にあらためて目配りをするものである、という理解も可能です。

要点はどこにあるのか?

 第一に「中心市街地の範囲」
これは、従来どおり「三要件」を兼ね備えたところ、ということでそのまま継続です。ということは、「法」に定められた・したがって「法」のスキームの対象となる地域は、「中心市街地の商業集積街区=商店街」及びその縁辺ということになります。

 第二に、新しく定義づけられた「中心市街地活性化」
takeoはかねて、
中心市街地活性化については、①中心市街地の ②何が ③どうなることを目指すのか、明確に定義されていない。 
各都市の『基本計画』は自ら定義をする必要があると指摘して来たところですが、今回の改正で「中心市街地活性化」の定義が明示されたことはもっとも大きな改正点です。

 改正されて『中心市街地活性化法』における「中心市街地活性化の定義は」次のとおり。(『中心市街地活性化法 第一条から)
①中心市街地における都市機能の増進
②中心市街地における経済活力の向上

では、これを踏まえて、takeoが先に解明作業を行った、現行スキームとを比較して見てください。
http://www.quolaid.com/city/city121.htm
takeoはこの時点(2001年6月)で、中心市街地活性化の目的は「都市機能の整備と経済活力の向上」であると主張しています

新「法」:都市機能の増進と経済活力の向上
takeo  :都市機能の整備と経済活力の向上 (現行「法」の解説)

 如何ですか。両者の「中心市街地活性化の定義」はほとんど同一ですね。これは単に表現の類似ではありません。見直し後の「法」のスキームが目指すところと、現在のスキームが目指したものとはほとんど変わらないのです。
冒頭に書きましたように、見直しでは、現行スキームの不備が修正されたのだ、ということになります。

このことは、クオールエイド社の【都市経営フォーラム】で詳しく論じます。

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中心商店街は都市の顔

 中心市街地は都市の顔、商店街は都市の顔、という言い方があります。

 言っている人がどういうつもりで言っているのか分かりませんが、気になります。「都市の顔だから」○○しなくちゃ、などと「都市の顔」であることを根拠に施策を主張する人もたまにいますからね。
「中心市街地は都市の顔」とか「商店街は都市の顔である」と言われるとき、それはいったいなにを意味しているでしょうか?

今日はこの「中心商店街=都市の顔」論について考えてみます。

 「都市の顔」論は、もちろん、人間における顔の機能?を前提とした比喩です。ここで用いられている「顔」は「顔を見ればその人の人となりが推測できる」という文脈で使われる場合の顔でしょう。
そう言えば最近「人は見た目が○割り」という本がありましたっけ。

 私たちは初対面の人を理解しようとするとき、とりあえずその人の顔を見て、これまでの経験で蓄積してきた「顔と人となりの関係」についての頭の中にあるデータを駆使して「どういう人なのか」の見当をつけようとします。これは意識的に行われることもあれば無意識に行われることもあります。

 さて、「都市の顔」について。
商店街全盛時代には、ある都市を評価するとき、商店街、それも中心商店街を見る、そのまちなみ、軒を連ねるショップのファサード、ショーウインドなどを観察する、さらに店舗数、業種・業態の充実度合いなどをチェックするとその都市の消費生活が見えてきたものでした。多くの思想家がパサージュ、モール、商店街を考察してきたのは、まさにそこがこれから営まれていく都市の生活の文字通りのショーウインドだったからでしょう。

 中心商店街で提供されている商品のレベルを見ればその都市の大まかなライフスタイルというか暮らしぶりが何となく推測できました。
その都市の活力と暮らしぶりは中心商店街を見ればおおむね推測することが出来る、そういう意味で商店街は都市の全体像を反映する「顔」だったわけです。
もちろん、軒を連ねるお店の外観や通りの景観も含んで「都市の顔」でした。

 郊外型SCの全盛時代、というほど繁盛しているかどうかは別として、今日、地方都市の多くでは集客力ナンバーワンを誇っているのは、郊外のショッピングセンターです。このことから中心商店街はSCとの競合に敗退するなかで空洞化が進展、現在に至っている、と考えている人が多いことはご承知のとおり。その因果関係の把握が適切かどうかはともかく、中心商店街の機能が劣化し、空洞化しているのに対して、SCはなかなか賑わっていることは確かです。

 一見、中心商店街と郊外のSCとで「役割の交代」があったのではないか、と見まごう〈情⇔景〉ですが、実際はそうではありません。
だれもSCをさして「都市の顔」だとは言いません。それもそのはず、量販亜百貨店を「核」とするSCのテナント構成は「セルフ」業容で統一されていまして、テナントのショップもことごとく量販ねらいのセルフ型ショップばかり、とても都市を代表する「ラグジュアリィな買い物の行き先」とはいえません。

 チェーン展開しているセルフショップといえば数も限られており、SCのモール部分のテナントは全て「どこにでもある」お店ばかり、とても「この都市のライフスタイルを象徴する」ような性格は持ち合わせておらず、そこで見えるのは、全国に共通しているレベルの生活材だけ、とてもその土地その都市が長い年月を掛けてはぐくんできたその都市のライフスタイルをSCの品揃えで推測することは出来ません。。

 セルフ主体の店づくり、集中的コントロールのもとに運営されているSCは「ラグジュアリィ=共通の機能に自分の好みが加えられた生活材の入手」という、自分の生活を演出し堪能するための材料を揃える、という新しいニーズに対応するのは苦手です。現時点では不可能と言ってもいいくらい難しい。
「自分の好み」というレベルには個々人が生きてきた時間のあり方、場所の地域性などが反映されており、それを満足させることは、セルフ販売、本部統制というチェーンシステム(SCのテナントのほとんど)では無理です。(「セルフ販売」についてはあらためて取り上げます)

 SCの物販施設としての性格が、「顔」には当たらないとして、それでは相変わらず中心商店街が都市の顔なのかと言いますと、こちらの方もとても「顔」とは呼べない状態に陥っています。

 商店街が都市の顔である、という言い方に期待されていることは、そこがラグジュアリィ・ニーズを満足させる商品を提供する商業集積として機能している、ということがあってこそ言えることですね。
充実しており、都市の住民からそのような買い物行き先として支持されているとき、はじめて「街に行けばその地域の暮らしぶりが分かる」ということが実現するのですから。

 いま現在、中心商店街がこのような意味での「顔」としての役目を果たしている都市は数えるほどしか無いと思います。もちろん、このことはメイドインジャパンの生活財の業績不振、全国産地の壊滅的な状況と併行して起こっていることです。
 
 中心商店街が活性化するためには街ぐるみでラグジュアリィニーズに対応したショッピングゾーンへと街ぐるみで転換する以外に方法はありません。個々のショップには人々の生活堪能を演出する商品が溢れ、都市の個性的な生活が反映される。街はあらためて人々の生活を映す「顔」としてあらためて評価されることになるのですが・・・。

 「商店街は都市の顔」という表現に固執すれば、人間の顔がその人のいいことばかりの象徴ではないように、都市の顔である商店街もショッピングゾーンとして再構築され、商業機能としての充実を実現した時に限って「顔」になるのではない、という言い方もあるでしょう。
 活性化に取り組み成功している街、うまく行っていない街、何らかの事情で取り組みが遅れている街、各商店街の現状は、地域の事情や関係者の思惑や能力、それぞれの関係などの総体からもたらされているものであると考えれば、商店街は今日ただいまも、「都市の顔」なのかも知れません。
 
 中心商店街の現状は「都市の顔」、その表情は活性化への皆さんの取り組み次第ででどう変わって行くのでしょうか。
いずれにせよ、中心商店街の今後のあり方は、都市の「暮らしの場」としての充実の程度、生活堪能を提供するの場としての力量、すなわち都市の魅力を左右するものであることは間違いません。

 中心商店街の空洞化がいっそう進展し、商業機能としての再生が大きな課題になっている、まさにその時、生活の側においては、ラグジュアリィニーズ=生活を自分の好みで演出して楽しむ、というニーズの顕在化が顕著に見られます。

 この新しく登場してきたニーズに対応することで危機を機会に切り替える、中心市街地とりわけ中心商店街の活性化への取り組みには、まさに起死回生のチャンスが訪れています。

 だがしかし。
「人が増えれば街は繁盛する」というSC登場の遙か以前の商店街・全盛時代、一握りの人たちが自分たちの経験を誤って理解した結果生じた「謬説」レベルを論拠にした取り組みでは、この機会を活かすことなど夢また夢、やがて中心商店街は消滅、引き続いて郊外のSC群も空きボックス化、都市生活者の買い物行き先は新たに登場するウオルマートだけ、という近未来も幻視されようかという今日この頃の中心市街地のたたずまいですね。

 さて、その時「都市の顔」はどこになるのか? いまや世界が評価するに至った和流ライフスタイルの行く末は? などなどを考えてみるのも意義があるのではないでしょうか。

中心市街地活性化 二つの難問

 昨日に引き続き中心市街地活性化と「頭数」の問題です。

 中心市街地活性化を一言でいえば、「空洞化している中心市街地の機能を蘇らせる」ということです。中心市街地の機能とは何か?

ご承知のとおり、中心市街地にはさまざまな都市機能が存在していますが、なかでも中心市街地固有の都市機能といえば中心商店街であり、空洞化が著しいのもここであることは言うまでもありません。

 中心商店街の機能とは、「買い回り型ショッピング」のデスティネーション(来訪目的)です。この機能が劣化・衰退していることが空洞化の原因であり、ほんとうに中心商店街を活性化したかったら、施策は「中心商店街の買い物行き先としての機能の再生」に的を絞って展開しなければならない。
私どもは一貫してそう主張し、志を共有する都市、商店街の皆さんの取り組みを支援しています。
問題が二つあります。

○第一の問題
 中心市街地~商店街活性化への取り組みの難関は、その仕事の成否が中心市街地に立地する各個店の繁盛再現という「計画できない事業」に掛かっている、というところにあります。商店街の活性化とは、商店街が買い物行き先として再評価されるようになることであり、そのためには一店、一店にお客が来店し、そこで買い物をする、ということが起こるようにならなければならない。

 これはもちろん、これまでかって誰も経験したことのない課題、何しろ郊外のショッピングセンター全盛という時代に、ショッピングセンターを横目に見ながらわざわざアクセス劣悪な中心商店街まで買い物に来る、来てもらうに値するデスティネーション(来訪目的)をあらためて作り上げる、ということを意味しています。

 つまり、個店レベルの取り組みがお客に支持される「店づくり」として実現しない限り、中心商店街の活性化はぜったいに実現できません。
この取り組みをどう推進するのか。
 問題は、活性化を推進するための計画、たとえば『中心市街地活性化基本計画』などにおいて、「個店の活性化」を主要課題として掲げ、施策を計画していても、それで個店の転換が実現するわけではない、ということです。

 個店の転換は『計画』にいつまでにどうする、と明記できません。
いや、記載したければしてもいいのですが、しかし、それは実行できる取り組み、としての計画ではなく、「できたらいいな」という願望でしかありません。
 個店は、①品揃え ②提供サービス ③提供環境 の「三点セット」の転換に取り組むわけですが、これは「こうすればよい」というモデル・成功事例もほとんど無い未知への挑戦、「試行錯誤」として取り組む以外にありません。さらに、この取り組みにはこれで終わり、ということもありません。誰か代行するということもできません。誰かが指導したとしても「コンサルタントが帰ってから本当の仕事が始まる」という「コンサルトンのオキテ」がある(笑

 ということで、中心市街地活性化のメインとなる仕事は、そこに立地する個々の店舗のシャッターの内側における「終わりのない試行錯誤」として店主以下によって営々と続けられていく取り組みだ、ということになります。  
 この取り組みは個々の店主にとってはこれまで経験を遙かに超えた課題であり、多くの店主にとって自分の能力だけで対処出来るところではありません。成功させるには「買い物の行き先」としての再生の方向と方法を示し、必要な支援を強力に行うことが必要です。

 にもかかわらず、現状は、個店レベルの取り組みを喚起し・支援するという取り組みがまったく行われていません。ここに第二の問題がある。

○第二の問題
 すでにお分かりのとおり、「中心市街地活性化」は、計画することのできない、個店の経営者の意欲的なチャレンジに負うところがきわめて大きい仕事です。

 ところが、目下各地で展開されている取り組みは、「中心市街地の人口を増やす」、「商店街の人出を増やす」といった「シャッターの外側」の施策がほとんど終始しています。
「わざわざ中心市街地に買い物にやってくる」=来街目的作り=「買い物の場としての充実」として個々の店舗の改革を推進しなければならない、という課題はもっぱら個店の責任とされ、事業としての取り組みは行われていないのです。 これは何を意味するか?
 頭数が増えても街が活性化することはないことは明らか、現在の施策を続けるならば中心市街地の活性化はかならず失敗する、ということではないか?
もっとも「活性化とは頭数が増えることだ」と定義するなら話は別ですが・・・。

 以上、簡単にみたとおり、中心商店街を活性化する、という課題には二つの難しい問題があります。
一つは、「買い物の場としての充実」という目標を実現する取り組みが、個々の店舗によって担われる他に手だてが無く、個店経営者の意欲を喚起し、取り組みに必要な支援をすること。
これはそう難しいことではありません。現に私たちが支援している都市では顕著な成果が挙がっています。

 もう一つは、個店レベルの改革がもっとも緊要であるにもかかわらず、現在、実際に取り組まれていることは、居住人口を増やす、とか、人出を増やす、とか本末転倒したことばかりだということ。
 商店街が空洞化しているのは人通りが少ないからだ。人通りが少ないのは人口が減ったせいだ、という短絡的な発想で、マンションを建てる、学校や病院を誘致する、大型店を誘致するなどなど、肝心の「買い物行き先の充実」以外のことなら何でもやる、ただし、個店の内側は店主の聖域、これについては一切云々しない、という現在主流となっている取り組み、その取り組みを作っているものの見方/考え方こそが大問題です。

 「個店レベルのデスティネーション再構築」という難問への取り組みを展開しなければならないところに「頭数がすべてを癒す」という思いこみが覆い被さって邪魔をしている、という「二重の難問」状態が起きているわけですね。

 この流れを作り出しているものの見方/考え方を変えない限り、活性化実現の方向と方法が変わることはなく、したがって活性化が成功することは無い、と断言することが出来ます。
ものの見方/考え方というものはそう簡単に変わるものではない、ということを考えれば・・。

ということで中心市街地活性化への取り組み、二つの課題への取り組みを巡って、二つの潮流がありまして、一つは「人出を作れば全ては解決する」というハード試行の大きな流れ、もう一つは「活性化するには来街目的の再構築が必要だ」として個店の転換を中心に取り組むことを主張する少数派。
 
 で、もちろん、私ども㈲クオールエイドは少数派です(笑

 中心市街地活性化に使える時間はきわめて少なくなっています。
皆さんの都市ではどのような取り組みが行われているでしょうか。
「みんなで渡れば怖くない」、ひょっとしたら「中心市街地活性化」といえば、住む人・来る人の「頭数」を如何に増やすか、ということばかりに論議・施策が向いているかも知れません。
ご注意あれ。

中心市街地の数値目標

 中心市街地活性化、「法」が制定されて本格的な取り組みが始まって8年が経過しようとしています。しかし、残念なことに活性化に成功したという事例がなかなか見あたりません。なぜ、成功しないのか?
活性化が実現出来ないのは、取り組みの目標が具体的で無かったからだ、という批判があります。確かにおっしゃるとおりでありまして、「緑あふれる・・・」とか「歴史・文化・伝統を活かした・・・」といったよく見かけられた抽象的な文言では「中心市街地活性化の一体的推進の目標」、「これを実現すれば中心市街地は活性化される」という機能をもった目標とは思えません。こんな目標を一所懸命追求したとしても中心市街地の活性化(=本来の機能を取り戻すこと)は実現できません。

 ということで、抽象的な文言を並べるのではなく、目的達成に直接つながる具体的な目標を設定せよ、という提言はほんとうにその通りだと思います。

 ところが、ここから先が問題で、「具体的目標を立てよう」という正しい提言が、「活性化するには通行量の増大が必要だ」という先入観と結びつくとどうなるか?

 「具体的目標を立てる」ということが「通行量増大の目標を立てる」となり、さらに「目標管理~評価がしやすいように目標を数値化する」という考えが加わると、「中心市街地の通行者数」が中心市街地活性化の具体的な目標となってしまう。
(まさかと思われるかも知れませんが、実際に「中心市街地の通行者数を○年度に○○人にする」という「中心市街地活性化を実現するための数値目標」としている例がありますからね)

 中心市街地活性化を進めていくについては「具体的な目標」を立てることが大切だ、ということはいいのですが、問題は「具体的な目標」の具体的なあり方です。
 「具体的」と「数値」は違いますからね。

 たとえば「活性化を実現する方向としてショッピングモールを目指す」というのは中心市街地/商業街区/商店街を活性化するための「具体的な目標」ですが、「通りの通行量を○○人にする」というのは、「通行量を増やす」という目的にとっては確かに具体的な目標でしょうが、「中心市街地活性化」という目的にとってはどうでしょうか?

 目的が商店街活性化(新しい「法」の定義では活性化とは「機能増進&経済活力の向上」です)の場合、通行量を増やす、ということを直接の目的にするというアプローチでは本来の達成すべき目標に届かないと思います。

 「通行量を増やすための仕掛け」は目標が具体的な分、こちらも具体的になっています。

居住人口を増やす・・・マンションを建設する
就業人口を増やす・・・オフィスを増やす
来街人口を増やす・・・学校、病院、公共施設を増やす
散策の仕掛けを増やす・・・街路の整備、街並み美化
イベントを増やす・・・毎月欠かさず、空店舗などを利用して
という壮大な取り組みの結果、通行量が増える・・・増えますか?
増えた人口は何を求めて街にやってくるのでしょうか?
「来街目的」はなんでしょうか?
人が歩けば「経済活力の向上」が実現する・・・?
 
 あれこれと「人口増加・通行量増加策」を高じた結果、通行量が増えたとします。しかし、通りに「気に入る店」が無かったとしたらどうでしょうか・・・?

 商店街に街ぐるみで活性化策が必要だということはとりもなおさず商圏内に住んでいる人たちから見て、「気に入る店」「入ってみたくなる店」が少ない、ということを物語っているわけで、そういうまちが肝心のお店の中身についてはほっぽらかしたまま、通りに人を集める算段ばかりしても、繁盛・売り上げということではなんの効果もないのは当然でしょう。
人口がすべてを癒すと考えている人は、想像力が貧困というか、想像力の使い方がマンネリ化しているというか・・・。
 かって、商店街の全盛時代には確かに通りに人があふれていました。そのことを思い出せば、「人通りさえ増えれば繁盛を再現できる」と思いたくなるかも知れません。しかし、当時と今とでは条件が違いすぎます。
①当時はもの不足・店不足、商店街以外に買い物行き先がなかった
②お客は経験不足、お店の誘導に従順に購買した
という時代背景ですから、その当時まちを歩いていたのは、①モノが欲しい、買いたい ②生活経験の少ない 顧客と潜在顧客ばかりでした。
今はどうでしょうか?
①もの余り・店あまり 
②生活体験豊富 情報豊富
という背景のもと、誰もが「買い物行き先」などいくらでもあるというのに、漫然と人を集めれば何とかなる、中心市街地活性化のきめては通行量だ、というのはあんまりという他はない時代錯誤です。

 ということで。
数値目標を立てれば、それが即、中心市街地活性化の具体的な目標を立てたことになり、したがってその数値目標を達成すれば中心市街地活性化が達成される、というようなお話はお話のままで終わり、目的実現にはつながらないと思います。

 こういう流れは、どうして始まったかと言いますと、「人通りの多い街が元気のいい街だ」という「定義」から始まった話です。
その定義のきっかけになったのが佐世保市の中心商店街の状況。

 ご存じのとおり、平日でも・経済的に落ち込んでいても・お店でモノが売れていなくても・人通りはびっくりするするほど多い、ということから「日本一元気な街」と折り紙をつけられた佐世保市の中心商店街ですが、地元ではどのように評価されているか。
http://sasebo.yh.land.to/zatu.html
いろいろと商店街の様子が描かれています。
(たとえば17年6/22~7/24、12/26、18年3/2 などの記事)
「日本一元気がよくてこのままでよい」という意見は地元でも少ないのではないでしょうか。

 目標を設定するのは、「活性化」を実現するため、したがって設定される目標は、これを達成すれば「活性化」が実現される、ということを疑問の余地無く明らかにしておかなければならない。
とフツーに思いますが、如何ですか?

 どうしても数値目標にこだわるのなら、
①1年後に「売り上げが好転した」「商売の存続に希望が持てるようになった」という店主が○%増える 2年後、3年後とどんどん目標数値を上げていく、とか、
②2年後に空店舗率を○%まで下げる
といったものでないと活性化(機能が増進し経済活力が向上する)を評価する指標にはならないのではないか?

 ちなみ、①、②などを数値目標にするのなら、上位目標は当然、「ショッピングモールとしての再構築」ということになるわけで、もちろんこの目標は「中心市街地活性化」のうち「商業街区の活性化」という目的を実現するための「具体的な目標」です。
私は具体的な目標は「商店街をショッピングモールとして再構築する」でOK、問題は実現の手法に現実性があるかどうか、ということだと考えています。
(このことはあらためて。)

 中心市街地活性化に向けて具体的な目標を立てることは必要なことですが、それは「活性化実現の方向と方法」を具体的に選択する、ということであり、方向と方法抜きで抽象的な数値(通行量とか)を掲げて「この数字を達成することが活性化の実現である」「この数値を達成すれば全ては解決する」と言うようにだんだん短絡してしまうのは全然具体的・実践的なことではない、ということです。

ということで、ここからが本論ですが(笑
数値目標主義の皆さんには、繁盛店が一店出来ると街がどう変わるか、という話などはなんの意味もないことでしょう。
人口もちろん増えませんし、通行量も目に見えて増えるわけではない。

 ところが実際は。
繁盛するお店が生まれた、という話はどんどん拡がっていきます。もの余り時代、ものは売られていてもほんとうに欲しいものは売られていない、と思っている人は多いのですから、一度行ってみようか、ということになる。
 お試しで出かけてみて気に入れば、「得意客」となる。得意客とは「この店は私にとって買い物行き先としてぴったりだ」と考えている人のこと、自然と来店頻度も高くなります。
 こういう人が増えてくることが「繁盛店」になるということです。お客が増え・来店頻度が増え・売り上げが上がる・・・・。
この様子に刺激を受けた近所のお店も心機一転、「お客にとっていい買い物行き先」となるよう努力を始める、それをみた隣のお店のお客が「お試し来店」、気に入れば・・。
 ということで、来街者1が来店客数2とか3になりますね。人口停滞・現象時代に繁盛する商店街とはこういう人の動きが生まれる街ではないでしょうか。
 注目していただきたいのは、この間、「人口はただの一人も増えていない」ということです。人口が増えなくてもきれいに成立する繁盛話であり、現に私の守備範囲内では当たり前のこととして起きている事実です。
 これが今すぐ取り組める・取り組みやすくて結果の出る・中心市街地活性化の方向と方法を実践した場合に起こる商店街の活性化=「経済力の向上」現象ですね。

 中心市街地活性化を実現するには具体的な目標が必要だ、というしごく当たり前のことからスタートしても「商店街を活性化するには人通りを増やさなければならない」という思いこみとマッチングされると、「人通りを○○人増やす」などというナンセンスな数値が「具体的目標」になってしまう・・・。

 具体的な目標を設定するに当たっては、何を実現するための目標なのか、この目標を達成すればほんとうに目的が実現されるのか、ということをしっかり検討することが必要です。アタマでは分かっていることですが、「中心新市街地活性化」のように集団で取り組む仕事になると陥ってしまいやすい落とし穴の一つです。
 取り組みをまとめていくはずの「具体的目標」が目的を逸脱した抽象的な数値目標になってしまえばその結果は火を見るよりも明らかです。

マーケティングという経営理念

 マーケティングは、一般に企業経営の一領域、市場活動における戦術構築のツールと位置づけられていますが、きわめて不十分です。というか、これではこの概念に含まれているせっかくの豊富な内容・知恵の源泉を市場活動のそれも小手先の競争戦術だけに限ってしまうことになり、もったいない限りです。

 マーケティング、教科書的には通常、「商品、価格、流通・立地、販売促進という4つの市場活動の要素をうまく組みあわせることで、市場における所要のポジションを確保することを通じて目標利益を達成する技法」、とされてきました。
「されてきた」というのは他でもありません。四大要素からスタートするこの発想では、見れば分かるとおり、類似市場ねらいの競合他社に差を付けるための「差別化」戦術レベルの話になりかねず、「もの余り時代」には「差別化」戦術は通用しない、ということが明らかになっており、新しい視点が必要になっている、という状況があるからです。
はっきりいって、マーケティング=4Pなどという思考はもはや時代遅れ、今どきこういう発想のマーケティングなどは考えるだけ無駄・やるだけ損です。

 もの余り・店あまり・人あまり(なのにお客は激減!)という時代には、「もの不足・店不足・人不足(なのに潜在市場は無尽)」という時代のマーケティングは通用しません。言うまでもないことですね。ところが、現在流通しているマーケティングは「もの不足時代」のまっただ中で生まれており、そのために「もの不足時代」特有のあり方を色濃く残しています。それが「マーケティング」そのものであるかのように認識している向きも、未だにあとを絶っていません。

 もの余り・店あまり・人あまり(客激減)という時代におけるマーケティングは如何にあるべきか? 考えてみたいと思います。

 マーケティングは、企業の利益を実現する市場活動のあり方をより効果・効率的にするためのアプローチの方法として発明されたのですが、ご承知のとおり、今では社会のさまざまな分野で利用されています。つまり、マーケティングは、市場活動=営利活動のためのツールにとどまらない、さまざまな領域におけるさまざまな目的を持ついろいろな組織の社会に対するアプローチの方法として普遍的なものである、ということですね。

企業以外で使われるマーケティングとはどのようなものか?

 企業の市場活動は、利益=企業存続に必要なコスト原資の確保を求めて行われる「顧客満足を実現するための活動」ですが、これを企業に限らず・社会活動一般に当てはまるように定義すれば、「マーケティングとは自分の目的達成を左右する相手の目的達成に貢献することを通じて自分の目的を達成しようとする活動」です。

 整理してみましょう。
①企業は、営利という目的を達成するために、顧客に対して「マーケティング」を駆使して顧客満足を実現しようとする。
②社会において活動している組織は、それぞれの目的を達成するために、活動の対象となる人々に対して「マーケティング」を駆使して対象の満足を実現しようとする。
 こうしてみると、①の企業におけるマーケティングは、②の社会における組織一般がおこなうマーケティングの「営利」分野における応用、というように理解することが出来ます。

 もの不足からもの余りへ、市場与件が大きく変わっている今日、「マーケティングとはなにか」という「一般論」からあらためて考えてみることは、是非とも取り組まなければならない課題だと思います。②のように考えれば、私たちの社会的な活動の多くはマーケティング活動そのものだ、ということになります。
 ここからは②の定義をもとにマーケティングを考えてみましょう。
「もの不足時代」にあっても「もの余り時代」においても「マーケティングとは自分の目的達成を左右する相手の目的達成に貢献することを通じて自分の目的を達成しようとする活動」であるということでは同じですからね。

 さて、②の定義をもっと簡潔に表現すると、
「相手の問題解決に貢献することを通じて自分の目的を達成しようとする活動」さらに短縮すると「相手を喜ばせながら目的を果たすこと」ですね。
クオールエイド流に言えば「その気にさせる」(笑

 このように考えていきますと、マーケティングという組織活動は、組織(端的には企業)の顧客に対して行われる活動に限られるものではありません。「組織の目的達成を左右する」のは顧客・市場に限るものではありせん。
 組織・企業活動に関わる人たちは、その誰もが企業活動への参加に先立って自分自身の目的を持っています。それぞれの目的を達成する手段として企業活動に参加する輪眼です。このことは、創業者、オーナー、経営者、株主、社員全て同じです。もちろん、顧客、取引先はいうまでもありません。
 組織・企業は、その目的を達成していくプロセスにおいて、参加者が組織・企業に期待していること=それぞれの参加動機である固有の目的の達成に貢献すること、を実現していくことが必須課題です。
意欲・知恵の源泉は「私利私欲の実現」ですからね。
 マーケティングが「自分の目的達成を左右する相手の目的達成に貢献することを通じて自分の目的を達成しようとする活動」であると定義するならば、組織は、その全ての活動を「マーケティング」として展開しなければならない。

 今日、地域社会、国、世界という空間的な広がりのなかで組織・企業に期待されていることは、直接の関係者の利害の他にもたくさんあります。それらの期待に応えることが企業にとって、企業の存続、関係者の期待に応えていくという本来の任務を果たして幾重でどんなに大切なことか、このところ、私たちはその例をたくさん見ています。広義のマーケティング概念を企業の行動原理として採用することは、社会的存在としての組織・企業が取り組む市場活動にも好ましい結果をもたらすことになることは言うまでもありません。

 「マーケティング」はもはや企業経営の一分野・市場という限られた領域における活動のツールという位置にとどめるのではなく、企業の命運を左右する企業理念のレベルにおける有力な考え方であるととらえるべきです。
 企業とは、顧客をはじめ関係者の「先行する目的」の実現に貢献することを通じて自己の目的達成を目指すマーケティング活動体である、ということになります。

 市場原理主義よ、さらば・マーケティングよ、あらためてこんにちは(笑

 このブログでは、このような新しいマーケティング概念を導きとして、具体的なマーケティング実践へのアプローチを開拓していくことも課題の一つとしています。
興味のある方はクオールエイドのサイトにお出でいただけば、「中心市街地活性化」という課題への取り組みを舞台に総合的なマーケティングの展開を堪能していただけます。

TMOと中心市街地活性化協議会

 『中心市街地活性化法』の見直しによりTMOはスキームから消滅したのではないか?
という質問を時々受けますが、そういう質問が出ること自体、TMOが理解されず・したがって機能していないことを物語っています。TMOがきちんと所期の役割を遂行しているところではこういう質問は出ないはずです。

 TMOは消滅するのか? そんなことはありません。
むしろ今回の法改正ではじめて正式にオーソライズされて登場する、と理解すべきです。端的に言えば新「法」第十五条 活性化協議会を発起するメンバー、一及び二のうち、二の「ロ」がTMOですね。
ここでいうTMOとはもちろん、「中心商店街8中心市街地の商業機能)をショッピングモールとして再構築する」仕事の中核を担う組織です。

 これまでのスキームにおいてTMOは字義通り「タウンマネジメント機関」として法定されていたのかといえば、厳密にはNOでした。
TMOと見されてきたのは「認定中小小売商業高度化事業構想者」でしたが、法律上では、これはご承知のとおり、高度化事業の実施主体・申請窓口でありまして、「ショッピングモールとしての再構築」の取り組みを推進する、タウンマネジメント・中心商店街の活性化全般を推進する司令塔、とされたのは中企庁『TMOマニュアル』においてでした。

 従ってというか、取り組みの至らなさでというか、TMOが商店街、商店街組織と密接に連携して本来の任務に邁進する、というあり方を実現しているところはきわめて限られています。
TMOは、商店街組織の恒常的活動とは別の位相でもっぱら「高度化事業」「補助事業」関係の事業主体として活動してきたところが多かったのではないでしょうか。法的にはそういう組織ですからね。

 TMOに期待されている本来的なタウンマネジメント業務とは、商店街組織と連携して「商店街のショッピングモールとしての再構築」に取り組む、ということですが、従来のTMOには、その任務に邁進する法的根拠はありませんでした。
実際にマネジメント業務に取り組んでいるTMOは、その「司令塔」としてのポジションを商店街組織などによる承認で確保しています。もちろんその承認を得るには得るに値する役割分担をこなしている、ということがあるわけです。
 そういう組織であると定義し、関係方面と合意を形成しているTMOのみがTMOらしい取り組みをしています。(もちろんその数は極めて限られています。)

 司令塔としての承認が得られないTMOは、リノベその他の事業には取り組んでいても、「タウンマネジメント機関」として関係各方面から認知はされていなかった、自らもその自覚に乏しかった、というのが実態だったのではなかったか?

 今回の改正ではじめて「商業等の活性化を図る事業活動を行うことを目的として設立された公益法人または特定会社」の登場で法的にオーソライズされたTMOが登場することになります。
詳細は政令で定められるわけですが、真性TMOがここに位置づけられると思います。(ただし断定はまだできません)

 中心市街地における商業の活性化は、関係する組織団体によって構成される一体的な推進体制を作って取り組むことがきわめて重要であり、もちろんこれは「中心市街地活性化協議会」などの協議機関がよく担うところではありません。
 全体を統合して推進する機能(組織)にはすぐれて商業関係のエキスパートであることが求められていますからね。

 ということで名称は何であれ、TMO(的機関)の存在・活躍は中心市街地活性化の実現にとって絶対条件です。
まじめに商業・商店街活性化をもくろむならば、法律上の位置づけの有無に関わらず、タウンマネジメント機関はきちんと設置しなければならない。

 問題は、このような機能を担うべきTMOをいわゆる「企画調整型」、「会議所TMO」でやってきたところですね。
新しいスキームによる取り組みをどんなキャスティングでやるのか、そのとき、「商業等の活性化を図る事業活動」には誰が当たるのか?
「事業活動」は「企画調整」ではありませんからね。

○中心市街地活性化協議会
 この協議会をTMOだと考えている人もありますが、とんでもない。
TMOとの類似性を見いだそうとするなら「企画調整型TMO」でしょうか。
協議会はあくまでも関係諸団体の「協議の場」、事業主体ではありませんから、事業主体は別に構築しなければならない。

 現在のスキームにおいて、TMOが「中心市街地の商業機能を一個のショッピングモールとして再構築する」ことを任務としていることは、ひょっとしたらあまり知られていないかも知れません。

 TMOの役割(中小小売商業高度化事業関連以外の)がショッピングモールの構築&運営である、ということが周知されていたとしたら・・・
①「モール」の実現には既存商業者の業容転換が不可欠であり、当然、転換の取り組みがTMOの主要事業の一つとなる

②事業に取り組んだ個店の中から「業容転換」に成功、繁盛を再生するところが続出し、中心市街地活性化実現への見通しが少しなりとも立っていたはずである

③TMOと商店街組織、個店との連携も確立されている

という状況に到達しているはずです。
これが実現していないと言うことは、実際の組織形成と相まって、TMOがその任務を十分理解していなかったということを意味しています。

 繰り返しますが、中心市街地活性化推進協議会は、協議のための組織であって実働組織ではありません。
皆さんがホンキで新しい中心市街地活性化の定義=中心市街地における「経済活力の向上」を目指すとすれば、商店街活性化への取り組みは絶対に省略できないし、かならず成功させなければならない。

○「再構築」を誰が担うか
 ショッピングモールへの転換、新スキームでは果たしてどうなるのでしょうか。予断は出来ませんが、いずれにせよ、中心市街地在住の商業機能を活性化させたいのなら、その推進の司令塔であるTMO(に変わる新組織)の設置は不可欠です。
 皆さんの都市では果たしてどう取り組まれるつもりなのか。
特にこれまで会議所TMOだったところは大変でしょうね・・・。
そもそも、「企画調整型TMO」という存在に問題がありました。
TMOマニュアルにおいてTMOの役割は中心市街地の商業機能=商店街群を一個のショッピングモールとして再構築する、ということが銘記してあります。再構築は企画調整だけでは出来ません。

 商店街群、個店群を叱咤激励、指導育成することを通してショッピングモールを実現しなければならない、これがTMOのお仕事でした。
これが実行出来なかったことが、活性化が出来なかった直接の原因です。

 ということは、行政をはじめ関係者がこぞってTMOの役割を理解できてなかった、ということです。だからTMOを本来業務を遂行できる組織として立ち上げなかった。その結果ショッピングモールは影も形も実現できず、したがって中心市街地活性化は実現しなかったし、この間の取り組みの結果も全く蓄積されていない、ということですね。

 以上を踏まえて、「中心市街地活性化協議会」を検討してみましょう。
これは、
①中心市街地整備推進機構 と
②商業等の活性化を業とする法人が
言い出しっぺになって作る・中心市街地活性化に関する関係者による協議組織です。①や②などが作る中心市街地活性化に関する事業計画は、全て当協議会における協議を経てから外部に出すことになっています。
 言ってみればこの協議会は、中心市街地活性化に関係する各団体等が企画する事業間の連携を図る・調整を行うための機関です。
とてもショッピングモールとしての再構築その他中心市街地活性化の実務事業の主体になることは期待されておりません。
そういう意味では会議所TMOによく似ていますが、前述のとおり、会議所TMOは本来のTMO業務を推進しない組織でした。
協議会も同じことです。

 TMOの本来業務を協議会が担うということは出来ません。
協議組織がどうして「ショッピングモールとしての再構築」その他、中心市街地・商店街活性化の実務を担ったり指導したりすることが出来ますか?
そういうスキルは当協議会にはありませんからね。
ある振りをすると、いままでと同じ結末が予定ーけっていされることになりませんか?

○新スキームに乗らないところ
 新スキームはハードルがかなり高いと言われており、乗らないところ&乗れないところが出てくるかも知れません。いろいろな事情が考えられますから。

1.今持っている基本計画でOKと言う都市
 数はどうか分かりませんが、確実に存在します。ほんのこの前見直したばかり、「これで活性化できる」と確信して取り組んでいるところもあっておかしくない。
 こういうところも支援を受けるには新しいスキームで計画を作り直し、総理大臣の認定を受ける?
現在の進捗状況は不問、とりあえずスキームに乗りたかったら作り直すこと、ということになるのでしょうかね。

2.活性化のめどは立っていないが、作り直すことも難しい。
 事情は諸般。いろいろ考えられますが、それは措いておきまして。
新スキームに乗らないからといって中心市街地・商店街の空洞化という問題が消滅するわけではありません。
①従来の計画ではダメだった
②新スキームには乗れそうもない
 ガラガラポン、スキーム無しでなんとかして行かなくてはならない。こういうところは意外と多くなりそうです。

3.他の手法でちゃちゃっと取り組む。
 ハード面についてはこれもあり得る選択肢ですが、もっとも大事な買い物の場「シャッターの内側」についてはどんな取り組みを考えていくのか?

 新スキームを採用しない都市においても、商店街・商業集積・商業機能の活性化についてどう対処するのか、この間の取り組みの結果を踏まえつつ、最終方針を出さなければならない。
まさに、事態がそこに立ち至ったからこそ行われた今度の法改正であり、このタイミングを利用することが「千載一遇のラストチャンス」になるわけです。

 この際言っておきますと。
新スキームに盛られた項目全般にわたって事業目録を作ればそれで中心市街地が活性化される、と言うことはありませんからね。
他はともかく、商店街の「シャッターの内側」問題は事業目録では片づきません。

 旧スキームが使えるのは、大雑把にいって人口30万以下くらいの都市だったと思います。中規模以上の県都クラスなどになると、このスキームには収まりにくいかな、と感じている人が多かったと思います。
新スキームはどうでしょうか。
「市街地の整備改善」と「商業等の活性化」以外にも実施すべき事業がたくさんあるようです。
これらの事業に網羅的に取り組むとなると、相当規模の都市でないと要件をクリアできないかも知れません。

 ところがそういう都市では別にこのスキームでは取り組みにくい事情がある・・・。
ということで、新スキーム自体の前途もけして平坦ではありません。

空店舗対策、最優先の取り組み(承前)



○空洞化はなぜ起こったか?

 商店街の空洞化=物販機能としての商店街の空洞化はどうして起こったか? もう一度振り返っておきましょう。

答えは簡単です。
①これまで商店街が作り上げ提供していた「買い物の場」としてのあり方=機能を支持する人が少なくなった、ということ。

②少なくなったのは「人口が少なくなった」からでも「収入が減った」からでもない。他に相対的に良いと評価される機能を装備した商業集積が出現したため、商店街という既存機能が陳腐化。

③お客の生活は次第に変化し、買い物ニーズも着実に変化していったにもかかわらず、商店街(立地の各個店)はそれに対応して「店づくり」を変化させていくことが出来なかった。
ということです。

 空洞化とは、
空店舗が増えることではなく、「買い物の場」としての機能がお客のニーズに適合していない店舗が増えることで起きること。
お客の購買ニーズが変化する時、対応して「店づくり」を変化させられないお店の「物販施設」としての機能は自ずと空洞化するのです。

見た目には立派な専門店ですが、お客が来ない、売り上げが上がらないというお店は、小売店としての機能が老朽化し始めており、空洞化が始まっています。
つまり、店主が「これなら売れるだろう」と考えて(?)作っている「売り場」がお客から見て「欲しいものが売られている」:「買い場」になっていないお店は、見た目的にはしっかり商品が詰まっていても、ねらっているお客の「買い物行き先」機能としては「空洞化」しています。「いろいろあるけど買うものが何もない」というお店は小売業としての機能の空洞化が進んでいるのです。


○空洞化は空洞化の前からすでに始まっている

 お店の空洞化に一番先に気づくのは誰か? もちろん、お金と商品を換えなければならない「お客」です。

 ではお店の空洞化に最後まで気づかないのは誰か? もちろん、景気や大型店・・といった逃げ口上・「お店が売れないお店の外の理由」を持っている店主さんです。

 ということで、商店街の空洞化は第三者の目に見える段階に至れば、すでに手遅れ、すでにお客は逃げ出し・新しい買い物行き先を発見・確保しています。
空店舗が発生するもっとずう~っと前、お店が営業している間にきっちり手を打たなければならない。空店舗になってからでは決定的に遅すぎます。
「商店街の空洞化」という問題から見れば、空店舗はその「氷山の一角」のようなもの。その背後には空店舗予備軍=機能不全に陥って降り、お客から見放されつつあるお店がたくさんある、ということです。

 とするならば、空店舗をどうにかする前に、かろうじてなんとか頑張っている既存個店の活性化という課題への取り組みを優先しなければならない。
よろしいですか。
空洞化対策は空店舗の活用ではなく・既存個店の繁盛再生に組織的に取り組むこと。常々が申しあげているとおり。

 ところで皆さんの街の活性化への取り組み、既存個店の活性化への取り組み、組合を挙げての取り組みが計画されていますか?
計画されていませんよね、どうするんですか?

 ということで、あらためて。
補助金を使って空店舗をチャレンジショップで埋めたとしてもそれで商店街の「物販機能」の空洞化が止まることは無い、なぜならば、という理由がご理解いただけたことと思います。
では、なすべきことは何か?


○店舗が空っぽになる前に

 繰り返しますが、そのお店の「買い物行き先」としての機能が劣化しています。
買い物行き先=買い物の場は、
◇品揃え
◇サービス
◇環 境
の三大要素が三位一体的にバランス良く作り上げられていてはじめてお客に「買い物の場・買い物行き先」として承認されます。
この「買い物行き先として承認される」ということが小売店にとってもっとも大事なことでありまして、お店の仕事という仕事はぜ~んぶ、この一事を実現することを目的に営まれているわけです。
ま、ご承知のとおりですね。

 空洞化の第一段階、外部の眼には見えない段階は、お客が「もう買い物に来るところじゃなくなっている」と、これまでの承認を引き上げることから始まります。
どうもこのごろ売れなくなった、そう言えば客数が減っている、という気づきには、こういうことが起きているわけです。
それなのに、景気のせい、消費税のせい、大型店のせい、通行量のせい・・・などなど、「買い物行き先」としての自店のあり方を批判的に見るという仕事をすっぽかして、シャッターの外側に責任を転嫁しているうちに、一杯詰め込んでいた商品が全く回転しなくなる、在庫の新陳代謝が出来ない、機能不全に陥ってしまう・・・。
すでに、まっすぐ「目に見える空洞化」に向かってまっしぐら状態です。
ここから「空店舗」=「第三者がみても空洞化」という状態までいく時間は店主の事情によってまちまちですが、シャッターの外側の事情が変わったからと言って「機能不全」が修復されることはありません。街全体どうなろうと、中身がダメな店はダメになっていく。

 ということで、機能不全に陥ろうとしながら、まだかろうじてシャッターを上げているお店をいまのうちにどうにかする、しなければならない、ということが中心市街地/商店街活性化の大きな課題。
これは、
①イベントなどの集客事業
②マンション併設などの人口増加策
③学校・事業所誘致などの来街増加策
④大型核店舗の誘致
などなど、常識的活性化策を束にして取り組んでも実現できることではありません。
それぞれの店舗がシャッターの内側で取り組む以外に、個店~商店街を「買い物行 き先」として再承認してもらう方法は無いのです。

空店舗、実は店がからっぽになる前に、「買い物の場」としての機能が劣化していたのでありまして、空店舗はその当然の結果ですよね、ということから、空店舗の活用に取り組む前にやらねばならぬことがある。


○不毛な空店舗対策

 その前に、空店舗が利用されない理由として声高に言われている「家賃」について考えておきましょう。
 「家賃が高いのが問題だ」ということで「家賃を下げない家主が悪い」という論議も聞かれますが、家賃が下がれば空店舗は埋まるのか?ほんとうにそう思いますか?
 たとえば、家賃を50%下げたとしましょうか。
そうすると、これは経常経費全体の何%が下がることになるのでしょう?
恒常経費に占める家賃の比重ってそんなに高いですかしらね。

 今どき商店街に出店してくる業容があるとすれば、もちろん、自店の魅力だけで集客してみせる、という自信があるから。
(家賃軽減などに惹かれてでるとたちまち敗退)
来街目的になりうるお店が出てくれれば、商店街全体の集客力のアップにつながり、努力するお店には回遊が発生するかも知れません。
是非、そういうお店に出店してもらいたいものですが、あいにくそういうお店にとって「家賃下げ」などが出店動機になることはありません。
中心市街地がトータルで新しいショッピングゾーンとして再生するのだ、その方向と方法はこの通り、というアピールがあってはじめて食指が動く。

 家賃を下げたら出店者続出、おかげで空店舗が無くなり、かつ、既存店舗の売り上げアップにも貢献している、という事例がどこかにあるでしょうか?
無いとすれば、わざわざ皆さんの街で「家賃を補助してチャレンジショップを出させる」といった、まったく効能効果の考えられない事業の「効能効果の無さ」を貴重なお金と時間を費やして再確認してみる必要はありません。
ということで、まじめに活性化を考えるならば、第一着手点は全然別のところにある。


○緊急の空店舗対策は「これ以上空店舗を増やさない」こと

 空店舗対策の第一歩はこれです。
街なかに点在する空店舗予備軍を空店舗に陥らせないためには、ちゃんとした取り組みが必要です。

先に書いたように、空店舗は、
※空店舗になる以前に物販施設としての機能が空洞化している※
機能の空洞化が先行してやがて空間の空洞化にいたる、という言われて見れば当たり前・言われてみないと分からない(笑、コロンブスの卵チックなお話ですが、このことはもう皆さんのまちの中心市街地活性化関係者に共有されていますか?

空店舗予備軍を立ち直らせること、繁盛していないお店を繁盛するようにすること、これが空店舗対策のもっとも緊急かつ効果的な解です。
ちょっと考えてみればすぐ分かる。
①繁盛店が生まれる
②その影響で繁盛店が増える
③この商店街は好立地だ、という評価が拡がる
④空店舗への入居者がでてくる
というシナリオですね。
もちろん繁盛店づくりにはこれまたそれ相応の努力が必要であることは言うまでもありません。

他方、既存店舗の命運はそれぞれの店主が決めること、みんなで取り組むのは空店舗のシャッターを上げることだ、という考えを踏襲すれば、
①集客力のあるショップを誘致した
②繁盛している
③従来通りの既存店に波及することはなにもない
ということになります。
この状況が続くと、だんだん空店舗進出組もマンネリ化、いつの間にかふたたびシャッターが下りてしまう・・・ということになりかねません。

 実際にチャレンジショップ制度のパイオニアと自他共に許した事例でもいつの間にか既存街並みの中に埋没しちゃって、あれはいったい何だったのか、といわれる状況に陥っている。
空店舗活用、取り組むならば最低でも既存の予備軍の繁盛再現への努力と併行して取り組まない、時間とお金の無駄遣いに終わる可能性が高い。
いつも申しあげているように、この時期、お金をかければいい、お金を使えば何とかなる、というそんな事業は無いのだ、と思いきらなければいけない。
おっと「勉強」に使うお金は別ですよ(笑
活性化を実現するための勉強とは「お金と時間の使い方」の勉強、お金をかけない以上、「お金をかけないで繁盛する方法」の修得は必要です。
 もちろんちゃんと分かっている人には必要ないことです。

空洞化・空店舗対策の根本問題

○空洞化とは何か、なぜ起こったか?
 中心市街地活性化とは空洞化著しい中心市街地のとりわけシャッター通りと酷評されたりする中心商店街を活気ある「買い物の場」として再生させること。
おそらく関係者の十人中十人の人が「そのとおり」と賛成する定義だと思いますが、では商店街の現状=空洞化とはいったい何を指しているのか?
 「いまさら言うまでもない、空店舗が発生し、活用する人が無く、さらに増える趨勢にあるということだよ」。なるほど。
では、空店舗はなぜ発生し、なぜ活用されず、なぜ増加傾向にあるのか? と聞かれたらどう答えますか?
 この問に適切に答えないと「空洞化」という問題はきちんと把握されているとは言えません。今日はこのことを少し詳しく書いてみます。

○商店街と空店舗
 もともと商店街に空店舗の発生は付きものです。それぞれの商店街が街並みを整えて以来、これまで、いったい何十、何百の空店舗が発生したことでしょうか。店舗によっては街の誕生当時から連綿として続いている老舗もありますが、多くの店舗は一度や二度、五回、六回は空店舗~新規開店を繰り返しています。
 つまり、空店舗の発生はいまに始まったことではありません。
商店街の空店舗はなぜ発生するのか? 答えは簡単です。
「商売を続けられなくなったから」ということですね。
なぜ続けられないのか、その理由はそれぞれのお店の事情により、様々でした。

 個店の事情は様々でしたが、これを商店街という商業集積から見れば、「何らかの理由で廃業する人があり、空店舗が発生した」ということです。これは商店街にとって何を意味するか?
空店舗の意味は、当該商店街がどのような状況にあるか、ということで大きく変わります。

○全盛期の空店舗
 繁盛店が軒を連ねる商店街で発生した空店舗(繁盛している商店街でも空店舗は発生しますからね)は、「この街で商売が出来たら・・」と新規参入の機会を求めていた人たちの新規出店の受け皿としてすぐさま利用される。空店舗はたちまち埋まってしまいます。
このとき、新しく参入する人は、多くの場合、「これからこの立地で繁盛する業容」を踏まえた「店づくり」をもって登場することでしょう。それはたぶん「先代店舗」の店づくりと比べれば、より「今どきの顧客ニーズ」に適応した店づくりである可能性が高かったのではないか。
 とするなら、隆盛期の商店街にとって空店舗が発生することは、街の「買い物の場」としての機能を維持・拡充するための「誰も意図しない・新陳代謝」とも言うべき作用を伴っていたわけです。
商店街は、そこに立地する各個店の営業努力はもちろんのこと、それに加えるに事情があって廃業・空店舗化したところに新しい店舗が生まれる、ということもあって「買い物行き先」としての機能を維持してきたのです。

○空洞化と空店舗
 商店街が隆盛期を終え、停滞期に入ってくると空店舗が発生してもなかなか次の借り手が現れない、という状況が生まれてきます。
A:空店舗が発生してもすぐ次の借り手が現れる
B:空店舗が発生してもなかなか次の借り手が現れない
実はこの間に大きな事態の変化があるのです。

 先述したように、空店舗の発生は、個々のお店の店主の事情によります。オーナーの事情は様々です。
 一方、新規参入は、新規出店を目指す起業者の目論見に基づくものですが、こちらの方は、出店者に共通することがある。

 それは「この場所に出店すれば成功するだろう」という観測です。
商店街全盛時代、この観測は「立地の評価」で行われました。いうまでもなく当時の立地とは「店前通行量の多寡」でしたから、商店街の空店舗を出店先に先に選択するということは、「空店舗」があったからではなく、「立地が良かったから」ですね。なぜ、立地が良かったか?
 それは「店前通行量」ではなく、「買い物目的の来街者」がとおりにあふれていたからです。つまり、

①商店街が「買い物行き先」としての機能をしっかり作り上げており、
②それがお客に評価され機能が活用されている 
という状態において
③たまたま事情があって空店舗が発生した
という場合、「待ってました」と新規出店希望者が出てくるのは当たり前です。

 「この商店街に出店すれば儲かる」という観測があればこそ、都市において地価の最高額を占めている商店街にあえて新規投資を行う人が多かった。
もちろんこの人たちは、先代店舗の廃業理由も把握しています。廃業店舗の中には「武運つたなく」廃業のやむなきに至ったところも少なくなかったことでしょうが、新規出店者は「にもかかわらず自分の企画は成功する」という確信をもって参入してきました。

 このような新しい企画を持った参入者の登場は、商店街が「買い物行き先」としての機能を維持し、革新していく上で大いに力を発揮するものでした。新規参入者は商店街という商業機能の「革新者」だったのです。
もちろん、商店街の革新=買い物行き先としての機能の維持・拡充は、新規参入者だけの力で取り組まれたわけでありません。既存個店の自助努力による革新も大いに力を発揮したことは言うまでもありません。

 これが商店街全盛時代の空店舗事情でした。
同じ空店舗でも今どきとはどこがとどう違うのか?
すでにおわかりのことと思いますが、念のために確認しておきましょう。

○空店舗が埋まらない
 商店街の全盛期においても空店舗が発生することは、オーナーにとってはいざ知らず、商店街にとっては「新陳代謝」が促進されるという意味で悪いことではありませんでした。
 ところが何時の頃からか、新陳代謝を促進するはずの空店舗が埋まらなくなりました。空店舗を利用した新規出店が少なくなり、もっと少なくなり、だんだん空店舗が空いたままというところが多くなって来たのです。

 これは何を意味しているのか? 意味していることはハッキリしておりまして。
空店舗を利用して出店しようという人が少なくなった、ということです。どうして少なくなったのか?
出店しても出店目的を達成できる条件が揃っていない、と判断する人が多くなったからですね。ここは大事なところ。

 新規出店希望者は、出店するに当たって考えることは「ここに出店して目的を達成できるだろうか」ということ。
判断に当たっては「空店舗」よりも現在営業中のお店の業況を観察判断することになる。
繁盛しているかどうかは店舗内外のにぎわい程度で判断可能です。
賑わっていれば、「出店場所としてOK」と言うことになり、賑わっていなければNGということになる。と考えれば。

 空店舗が発生してなかなか埋まらないのは、空店舗周辺の既存店舗が賑わっていないと判断されるから(この場合、にぎわい=お客に支持され売り上げを確保している、ということ)。
賑わっていないということは、商業機能としての役割を果たしていないこと・他にもっと役割をきちんと果たす集積があることを意味しています。新しく出店し、これから顧客を作っていかなければならない新規出店の場所として賑わっていない場所にある空店舗が敬遠されるのは当然です。

○空店舗が空店舗のまま長く続くようになったら要注意。
 すでにおわかりのとおり、その商店街は「商業機能」としての魅力を失いつつあるということですからね。
すなわち、空店舗がなかなか埋まらない商店街は、まだお店の数はそれほど減っていなくても、買い物の場としての機能が空洞化し始めているのです。「空洞化」とは、見た目にはちゃんとしたしたお店、商店街だが中身(お客がわざわざ買い物に出かけてくる理由)が劣化している、機能しなくなっていることを意味します。
商店街の空洞化とは、お店は建ち並んでいるけれどもお客にとって「買い物行き先」として認知されていない、認知する人がだんだん減っているという状態から始まっているのです。
つまり、商店街としての役割を果たせなくなっている商店街、お店は軒を連ねているが「物販」という店内の機能は劣化し役に立だなくなっている商店街が「空洞化している商店街」なのです。
 このような状態が続けば、やがて営業不振その他の理由で廃業のやむなきに至るお店がさらに増え、新規出店はほとんどゼロ、空店舗がどんどん増えていく(これは加速度的)。

 ということで、空店舗があるから商店街が空洞化しているのではなくて、商店街の「買い物の場」として備えておくべき機能が空洞化しているから空店舗が埋まらなくなっている、というように考えなくてはならない。 このように考えれば。

 空店舗対策とは、さしあたりこれ以上空店舗を増やさないこと。
お間違いのないように。
出来てしまった空店舗に対策を講じるのではなく、営業中のお店の活性化に取り組むこと。これがほんとうの空店舗対策です。
 補助制度などを利用して「チャレンジショップ」などを開いてみてもうまくいかない理由が良く理解できたと思います。

○長くなりました。「空店舗の活用の仕方」については明日。

『裕仁天皇の昭和史』

山本七平 祥伝社(non select)平成16年7月

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396500815/qid=1098610713/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-0306505-4815404

山本さんは、学徒兵の体験を原点に「日本」を徹底して分析したことで有名です。
イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』の訳者として世に出て以来、「日本の正体」に迫る数々の論考を発表しました。
その業績は『山本七平ライブラリィ』全16冊にまとめられています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163646108/qid=1098610836/sr=1-6/ref=sr_1_10_6/250-0306505-4815404


本書は、ライブラリィ発刊以降に書かれたものです。
上記「ライブラリィ」では昭和天皇についての論考、論及がほとんど無く、ストラッグルが推測されるところでした。

山本さんが本書で明らかにした昭和天皇の足跡が教えるところは、これまでの現代史などで語られてきた定番的見解を一網打尽、戦前・戦後を貫く「日本」とはいったい何か、ということです。

軽佻浮薄とでも表現する他はないような政治家の言動に象徴される今日の状況において、「日本なるもの」をあらためて認識するために、この本が教えてくれるところはまことに多く、深いと思います。

ちなみに、戦前の版図拡大路線から戦後の経済成長路線、はては現下の「国益」吹聴まで、根底にある「日本」は微動だにしておりませんが、山本さん描くところの昭和天皇は、この趨勢に流れる事無く、君主としての権力を掣肘する大日本帝国憲法を奉じ、敢然として屹立していた希有な君主であった、ということです。
もちろん、政治家、官僚、軍部の言動は憲法以下の法をないがしろにする「日本」そのものであり、そのスタイルは戦後もずうっと今日まで通底しているわけです。

こういう視点で「日本」を把握する試みはこれまで全くなかったと思います。
進路の混迷がさらに深まっているおりから、あらためてこのようなスパンで歴史を顧みることはとても意義があると思います。
今後連綿と読み継がれるべき書であることは間違いありません。
皆さんに是非ご一読をお薦めします。

レトリカルリテラシー

リテラシーは読み書き能力。
最近は「Webリテラシー」、Webを情報手段として利用する能力、ということがよく話題になっています。

リテラシー(一般に「語学力」といっても良いかも)で問題にしなければならないことは、読み書き能力ではなく・レトリック能力です。というか、読み書き能力とは、リテラシー能力あってはじめてものになる。

ということで、リテラシーレトリック=ここでは物ごとの様子や筋道を説明する&説明を批判的に理解する能力、としておきます。レトリックは、読み書き以前、人間が頭のなかで物事を考える際の考え方を整理したもの、その基本は「異同」の認識や「分類」の技術であり、読み書きに先立って存在します。(文字が無くともレトリックは存在する)
ただし、現代の我々はその多くを読み書きを通じて習得します。

読み書き能力を用いて情報を取り扱う=他人の考えを知る・他人に自分の考えを知らせる(ここで他人には将来の自分を含めます)能力の一環と考えれば、その能力は当然、「情報を取り扱うためのルール」にしたがって使われなければならない。
そうしないと、情報が正しく伝わらないし、相手からの情報の価値判断も難しくなります。

レトリックは、「発信情報を正しく伝える/受信情報を正しく理解する」ために各自が装備しておかなければならない必須の技術です。

レトリックリテラシー、「読み書き能力」の重要な一環として情報処理技術の第一番目にランクされるべき能力、残念ながらこの能力の重要性はあまり意識されておらず、体系的・計画的な修得の方法の開発も進んでおらず、アタマがよい/悪いというレベルで取り扱われている。

一例を挙げれば、中心市街地活性化がはかどらないのもレトリックリテラシー不足が原因の大きな部分を占めています。
文章を読み解くときの注意力・批判的に読む力が装備されていない。
「中心市街地活性化」とは何がどうなることか?
その前に「中心市街地」とはどこのことか?

などなど、レトリックリテラシーがアタマのなかにきちんと設定されていたならば、必ず起動し・効用を発揮するはずのところ、何故かすんなり見過ごされ、その結果、思いもよらぬ挫折の連続・・・といったことが多すぎます。

ことは中心市街地活性化に限ったことではありません。
地方分権・都市経営・・・・。

地方分権を主張する地方の「レトリカルリテラシー」は大丈夫でしょうか?

新しいところではコンパクトシティとか。
範囲を広げれば最近流行の「情報創発」なども・・・。
レトリカルリテラシーが不足すると、「集団浅慮」=みんなで渡れば怖くない、が待っていますからね。

当ブログではこのあたり、メタのテーマもこれからどんどん取り上げていきたいと思います。

中心商店街没落の原因

 現下、賑わっている似非コンパクトシティ論を批判するには、まずは、中心市街地とりわけ商店街活性化についてある程度の知識が必要です。
特に、「似非」を放逐、正しいコンパクトシティ構築にアプローチするには「中心商店街空洞化のメカニズム」はしっかり理解しておくことが不可欠です。
なぜか、ということは後回し(すぐに理解できます)、まずは迂遠のようですが商店街について)

では、まず商店街没落の原因から。

1.これはハッキリしており、「中心市街地の人口減」などがその原因ではありません。もしこの説がほんとうなら、中心市街地に人口減が生じていない都市の中心市街地商業は空洞化していない、ということでないとおかしい。
人口減が原因だというのなら人口減→空洞化の相関を1980年代あたりまで遡及してお得意のデータ分析で立証して見せて。
ついでに「郊外のSCは周辺人口ゼロなのにどうして成立するのか、中心商店街と何がどう違うのか、ということも考えて。

2.実態は、中心市街地(あるいは都市全体)の人口が減っているところも増えているところも、あるいは±ゼロのところでも、
①中心部の商店街は、
②軒並み
③空洞化している
ということでしょう。
もちろん、なかには一部空洞化していない、繁盛している商店街もありますが、これらは人口増加の結果ではありません。

商店街空洞化の要因を解明する、というのなら
①人口などの増減に関係なくほとんどの中心商店街が空洞化している
②中には人口の増減に関係なく空洞化していない商店街も若干だが存在する

という状況を説明できる仮説を用意しなければならない。
上の①と②という相矛盾する情況が現出している以上、中心部居住&往来人口の増減という仮説で、都市→中心商店街の現状実態を説明できるはずがない。

空洞化の原因は何か?
ズバリ、「商業集積間競争への敗北」です。
負けた相手は? 束になってかかってこられました。

①最寄りに開設されたスーパーマーケット群
②同じくコンビニエンスストア群
③中心部へのアクセスに乱立するデスティネーションストア群
④郊外立地のショッピングセンター群
⑤ターミナルのデスティネーションストア群
⑥上位都市の中心商店街
⑦無店舗販売

これら、それぞれ特化した・従来は存在しなかった商業機能が相次いで出現した結果、中心商店街はそれらに逐次顧客を奪われたわけです。

如何ですか?
いずれも中心商店街全盛時代には影も形もなかった業種・業態・集積ですね。
これらが商圏内に進出してくるたびにかっては中心商店街を買い物行き先としていた「購買力」の一部がそちらにむかうことになりました。お客は「立地」に向かったのではなく「機能」に向けて買い物に行ったのですね。

 この30年間の都市の商業機能の変遷は、まんま、中心商店街空洞化の歴史そのもです。

という当サイトの仮説がウソ・偽り・デタラメであることを証明したかったら、
①全盛期同様の業容群が主力を占めている中心商店街が
②上記 ①~⑦の進出にも関わらず、
③空洞化していない
という事例を全国中からただの「一カ所」でいいから実例を挙げればよろしい。


さて、考えてみますと。
①「法」制定までの中心市街地空洞化は、やむを得ない趨勢だったが、
②「法」のスキームができた平成10年以降の中心商店街の実態は人為的な失策によるものであることが明らかです。
といっても「何のことやら」という人もあるでしょうから後ほど説明しましょう。

 ということで、コンパクトシティ論のつもりが「商店街没落論」になりましたが、このあたりを踏まえておくと現下もてはやされている「コンパクトシティ=中心市街地活性化」論の至らなさが、すっきり納得できるはずです。

おっと、大切なことを一つ。

原因~結果論について

Bという好ましくない結果が,Aということが原因で起きたとして。
Bを改善するにはAをかってのカタチに戻せばよい。
というおバカなことを言う人がいます。

①中心商店街が空洞化したのは人口(人通り)減が原因 だから
②活性化したかったら、人口(人通り)を増やせばよい。などと。

これが如何にバカげた話か、念のために考えてみましょう。
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=432&reno=no&oya=432&mode=msgview&page=0

大型店規制はいつか来た道

 なんか『大店法』時代を思い出しますね。
店舗面積○○○㎡以上の店舗を出店するにあたっては、地元の商調協の協議による調整を得なければならない、ということで大変でした。

 「調整4項目」ということで
①売り場面積
②閉店時間
③休業日数
④開店期日
について協議を行い、
①既存商業者への影響の緩和
②対応のための時間の確保
を目指したものです。

出店案件は各項目について相当「調整」されましたが、その間、地元商店街で効果的な対応策が講じられたかというと、ほとんど無かった、というか、当時は対応策などあり得なかった、というほうが適切でしょう(その理由は後述)。
したがって、せっかく4項目についていろいろ制限を欠けてみたものの、
既存商業者の「買い物の場」としての機能・魅力を増進させることは出来ませんでした。

 ついでに言っておきますと、地元商業者が商店街を見捨てて郊外にショッピングセンターを開設する場合は、ほとんど調整無しですんなりOKだったと思います。
商店街としてはこちらのほうがよっぽど打撃でした。
まちなかから有力店舗がごっそり抜け出し、郊外に新しくデスティネーションを作り、顧客をみんな連れて行くわけですからね。
 これで壊滅的打撃を受け、未だに立ち直れない商店街はたくさんありますからね。

 ウ~ム、脱線ばかりしておりますが、いいたかったことは、
①郊外出店を規制してもお客が帰ってくることはない
②お客を呼び戻すには、郊外SCの有無に関わらず、しっかりした「来店目的」・「買い物の場」を作り上げる以外に方法はない、ということです。

 郊外出店の規制をよろこんでいる人は、
①『大店法』時代の教訓を忘れている か
②当時の状況を知らない人 のいずれかですが、なかでも①的状態にある人たちの責任は重い。

 規制を奇貨として、「買い物の場」としての再生を目指す取り組みをスタートさせないと、次の機会はもうありませんからね。
新しい規制を「感謝」しているようでは「おまえはもう死んでいる」
といわれかねません。

「商人(あきんど)」のオキテ

 商人は、商品を他から仕入れ、消費者に販売することを事業機会とします。
①自分のお金で仕入れを起こす
②顧客に販売する
この結果生じる差額が諸経費の源泉、もちろん経費の中には事業目的(各事業体ごとに異なる)を達成するためのコストも含まれます。

 あきんどたるもの、これがチャンス、と思ったらリスクを取るというのが古今東西のオキテです。もちろん、ピンチと思ったらこれまたリスクをとって回避する。

 ところが。
何時の頃からか、特に商店街立地のあきんどさんたちは、「リスクを取らない」という習性に染まってしまいました。
あきんどという生業に不可欠の「リスクを取る」、商売に必要なことには身銭を切る、ということがどんどん薄らいでいるのではないか。仕入れ以外にはお金を使わない。

 どうしてこ~なったのか、あらためて考えてみましょう。

 どうしてこうなったのか、これには諸説あると思いますが、いずれにしましても、一つ言えることは、誤った「補助金」の使い方をしたことが、この傾向に拍車を掛けたことは確かです。
これまで補助制度はどのような利用されてきたか。
それは制度の趣旨に添ったものであったのか。
検討してみましょう。

 国の補助制度の基本は、企業規模に劣る中小企業者が自力では対応できない経営課題に協同で対応する、そのために必要な投資等についてしかるべき支援を行う、ということです。

もう少し詳しく書くと、
①企業単独でやれること、やらなければいけないことについては、それぞれしっかり取り組むことを前提として、
②企業規模的に対応できない、あるいは協同での取り組みが必要な課題については支援する
と言うカタチです。
つまり、補助事業の前提は自助努力で実行されていること。

 ところが実際はどうか?
これはほんとうは補助制度の時代的な流れを踏まえて書かなければいけないのですが、とりあえず端折っていいますと。

 各般にわたって多種多様・かつ・潤沢な補助制度が提供されたため、いつの間にか、商店街の事業には補助金がつくもの、という「常識」が生まれ、やがて「補助金がつくのが商店街の事業」となり、最後には「補助金がつかない事業はやらない」ということになってしまいました。

 この結果、何が起こったか?
上に書いたとおり、
①補助金がつくなら不要不急の事業でも取り組む
②補助金がつかないのならどんな大切な事業でも取り組まない
ということになったのではないか。
かくして、本来なら自らリスクをとって取り組まなければならない課題については置いてけぼりという現に見ての通りの情況が出現したわけですが、もちろん、いくら補助制度が完備されても「自助努力」分野にまでは及びません。
このことが理解されていれば、自助努力分野をサボって補助事業に期待する、という姿勢は無かったはず、と考えれば。
根本的なところで忘れられていることがあるのではないか?
その「忘れ」があったからこその「補助金」に振り回される取り組みが現前しているのではないか?
忘れられたのはいったい何だったのか?
 hyほうっとしたらそれはあきんどのオキテに関わる重大事項かも知れません。重大事項が忘れられており、このことが原因で商売がうまくいかないのかも・・・。
 ということで、忘れられている「あきんどのオキテ」は、言わずと知れた「私利私欲」を貫徹する、ということ。
どういう訳か、このことがきれ~いに忘れられてる。

 今や補助金の無いところに事業無し。取り組むべき事業の優先順位は、事業の必要性・内容ではなく、補助金の有無・補助率の高さで決まったりして。
かくして、商店街の事業といえば補助事業のメニュー、これまでの流れ、他都市の事例などなど、でピックアップされることになり、その結果、
①継続性無し
②波及性無し
③事後評価無し
という全くもって「使いっぱなし」が多くなった・・・。
と見てきたようなことを言っておりますが、皆さんのお話をそ~ご~すればこ~ゆ~ことになる(笑

 こんなことでいいのだろうか、とマジメにお考えの皆さん、ご安心ください。
補助金の有無で取り組む事業を決めるという、まか不思議な話は、もうちょっとでおしまいです

反・コンパク党宣言

 一匹の妖怪が中心市街地を徘徊している・・・コンパクトン(笑 という名の妖怪が。

 自分のアタマで考えるという責任を放棄したものたちがこの妖怪を己の望みを叶えてくれる最後の切り札とあがめ奉っている。
信奉者のうち、あるものは中心商店街活性化の切り札といい、またあるものは、少子高齢化時代の都市経営戦略といい、さらにあるものは、みんなが肩寄せあって生きていくってすばらしいじゃん、という。

 怪獣コンパクトン、その正体はいかにと凝視すれば、体躯は実体を成さず曖昧模糊、地に着く足もなく宙を漂う様は、まっこと、妖怪の名にふさわしく、信奉者たちにとっては彼らが抱く阿吽的願望のままに伸縮自在、いかにも見果てぬ夢を夢見続けるに格好のゆりかご・コンパクトシティと映っている。
 もちろん、これら信奉者の多くは、かねて活性化もショッピングモールも理解せぬまま、中心市街地活性化を玩弄したものたちに他ならない。

 この事実から二つのことが明らかになる。
第一に、コンパクトンが妖怪以外の何ものでもないことは、自分のアタマで考える習慣を持つ人たちにとっては自明である。この妖怪とこれに同伴する取り組みの最終的な挫折はすでに予定=決定されており、そこから逃れるすべはない。
第二に、したがって、心ある中心市街地関係者が立ち上がり、実効ある「中心市街地活性化への道」を切り開く努力と併せて、断固、この妖怪に反対し、その跋扈を押しとどめ、「ショッピングモールとしての再構築」へと舵を切らない限り、中心市街地に再び繁盛する街並みが現れることはない。

 中心市街地・商店街活性化関係者は、コンパクトンについての理解を共有し、関係各方面にその真の姿を暴露し、最終的な打倒に立ち上がらなければならない。
その時がまさに到来している。
暗雲たれ込める中心市街地、その空中を浮遊するコンパクトン、その跳梁を放置すればやがては商店街を消滅させる宿命にある妖怪コンパクトン、この奇ツ怪至極の代物を一刻も早く退治することは、中心市街地活性化に邁進せんとするあらゆる人々に課せられた使命である。

消費購買行動

 言うまでもなく、この、お客さんの「消費購買行動」があってはじめて小売業の売り上げは成立する訳ですが。
そうであるからには、この「消費購買行動」については、一点の曇りもなく(? 理解し・周知徹底しておかなければならない。
当たり前っすね。

にもかかわらず、実態はどうか?

二言目には消費者ニーズに対応した店づくりなどと飛び交うが、消費購買行動が分からないと対応も独りよがりになっていたりして。
そもそも「消費購買」という四字熟語が意味しているところは何でしょうか?

 当たり前のことながら、消費と購買は区分して考えないと中身の詮索まで至りません。
我々がお店に出かけ商品を買うのは、その商品を消費するためですが、ではまず「消費」について考えてみましょう。

消費とは何か?
人はなぜ消費するのか?
ということもこの際あらためて考えてみたいと思います。
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1720&reno=no&oya=1720&mode=msgview&page=0

私利私欲に徹底せよ

 世の中は「私利私欲」を基準とした諸個人の行動を基礎として動いていくと考えるものですが、なかには、「私利私欲」が希薄な人、「私利私欲」に無知な人等も散見されまして、こういう人たちの行動を織り込んでおかないと、物事はうまく運べません。ご承知のとおり。

〈私利私欲〉についての考察:【経営フォーラム】
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1734&reno=no&oya=1734&mode=msgview&page=0

 私利私欲に希薄な人、ということでは中心市街地活性化という仕事に関わっていらっしゃる皆さんのなかには立場を超えて結構多いような。
これでは話が進まないのも無理はない。

 たとえば商業者。商売人だから商売については私利私欲をエンジンにシャカリキにやっている、だよね、そうにちがいない、ということを前提に組み立てられているのが、商業活性化施策。
シャカリキにやっているが、シャカリキだけではどうにもならないことがある、そこをお手伝いしょう、というのが施策の基本的な位置だということは言うまでもないところですね。

 ところが、私利私欲を実現したい、という気迫に欠ける場合、リスクを取り、知恵と汗でシャカリキになる以外に方法がない、という領域の取り組みが手抜きされたまま、安易に施策に飛びつく、ということになったりする。
そうすると、「ショッピングゾーン」としての機能を充実した上で、あるいはそれと併行すべき「補助事業」で取り組む助演的事業が、活性化のための主役事業になってしまう・・・。
皆さんの取り組みがそのことを如実に実証しています。
http://www.quolaid.com/city/c005.htm
 「本来事業」そっちのけで「補助的事業」だけを10年、20年もっと続けても商店街空洞化の趨勢は微動だにしない、ということの証拠が山積みされている。

 ということで、私利私欲が希薄な場合、「私利私欲旺盛」ということを前提に形成されている当今の諸関係において、充実した仕事・生活を全うすることは難しいのではないでしょうか。

 私利私欲がはっきり主張され・行動されてはじめて、そのことを通じて「公共」が形成されていきます。
商店街を今ひとたび「ショッピングゾーン」として再構築したいならば、皆さんが「私利私欲を実現する場」としてこれを再構築していかなければならない。当然、取り組みは個々の店舗のシャッターの内側から、ということになる。

 皆さんの私利私欲に基づく取り組み・提案が地域の生活者によるこれまた「私利私欲」を基準とする選別をクリアしてはじめて中心市街地にショッピングゾーンという新しい「公共空間」が出現する。

 ということで、つまるところ、商店街の皆さんがもっと私利私欲を強く自覚し、それを鮮明に行動に現していく、ということがないと、中心市街地活性化は夢のまた夢に終わるのではないか、などと考えさせられる今日この頃っすね。

ちなみに私利私欲の対極にあるのは「妄利妄欲」(笑

『計画の作り方』

 計画を作ることはいいことだ、という常識が有ると思いますがそうとばかりも言えないのでありまして。
計画を立てるということは、「今の能力で将来の行動を縛る」ということでもあるわけですね。

 特に、計画を立てて取り組まなければならない問題が、
①未知の分野
②情況不分明
③スキル不足
といった条件があったりすると、なおさらです。

 他ならぬ「中心市街地活性化」がまさにそういう問題なのでありまして。
この問題に取り組むに際して「作れ」といわれて『基本計画』を作り、「見直せ」と言われて見直す、というようなことでほんとうに役に立つ計画が作られるものか?

 役に立つ計画とはどういう計画か?
役に立つ計画を作るにはどういった着意が必要か?
などなど、計画業務に携わる人必見の記事にしたいですね。
【都市経営フォーラム】です。
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=647&reno=no&oya=647&mode=msgview&page=0

有限会社クオールエイド
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有限会社 クオールエイド

  • Author:有限会社 クオールエイド
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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