間違いだらけの経営ノウハウ

SWOT分析

 ライリー派、ランチェスター派の批判的検討が一段落、思いがけなく面白がっていただきましたので、ものはついで、よく見かける経営ノウハウを検討してみたいと思います。

まずはSWOT分析から。

これ、日本では多くの人が誤解しているようで、まずは我が国で理解されているところから検討してみましょう。

よく聞かれるSWOT理解

1.SWOTとは、
  S:強み
  W:弱み
  O:機会
  T:脅威 の略です。

2.使い方
  企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述することにより、戦略の構築および評価を行うフレームワーク
(Web「経営用語の基礎知識」野村総合研究所)

 つまり、自社の強み、弱みを分析、機会と脅威を分析、マトリックスに記述して戦略の構築・評価を行う、ということですね。
 これだけではなんのことやら分かりません。

■「強みと弱み」とか

「戦略を立てる前にまず自社を知る」その手法としてSWOTを分析する、などとおよそ本気で経営戦略について考えたことがある人間なら絶対に間違うはずのないデタラメを書いている例が圧倒的です。

 まずはこちらから。
一見、何の問題もなさそうですが実は大有り(W。

 強みとか弱みということは相対的なものでありまして、相手あるいは課題がはっきりしないと自社の現状のうち、何が強みであり、何が弱みなのかということは決められないのであります。

 例えば、一般には「強み」と考えられるであろう「教育訓練の実績が高い」ということも、今後の方針とこれまでの実施内容次第では強みなのか弱みなのか、にわかには判断できません。
環境の変化に対応する、という課題を前にしたとき、「社員全員、ランチェスター流で理論武装している」ことは強みか弱みか?

 ということで、社内の状況、何が強みで何が弱みかということは、「何をやろうとしているか」によってがらりと変わる可能性があります。

 こんなことはちょっと考えればたちまち分かることですから、「戦略策定にあたってはまず社内環境を分析する」などと称して、強み/弱みと静態的に評価するのはナンセンスです。
 そもそも、こういう分析をやれば採用すべき戦略が出てくる、そのための作業フローだという理解自体が、おかしい。

 例えば企業規模、例えば店舗規模、商品(製品)構成、市場の状況、業界におけるポジション、競争環境、競合の動向などなど、企業の現状&外部環境は、「これから何をしようとしているか」という評価基準が設定されない限り、評価することが出来ません。一般に「強み」と評価されるであろう、「業界ナンバーワン」という位置も今後の目標次第では「弱み」と考えなければならない場合がいくらでもあり得ます。

 企業の強み/弱み、目標抜きで評価できるというのは戦略策定業務で苦労したことのない人の思いつきかも。

 もちろん、本家では「強み/弱みは、分析に先立って設定した目標を基準に評価する」とされているハズです。

 SWOTに限らず、カタカナビジネスツールは、ハーバードビジネスレビュー経由など米国渡来が多いのですが、もともとの発案者(以下〈言い出しっぺ〉さん)およびその周辺では「思いつき」であることが前提とされている仮説・道具なのに、海を渡り・列島住人の口と耳を経ている間に「有効性が実証された経営技術」、「科学」、「真理」と〈言い出しっぺ〉さんからの距離に比例して評価が高まっていくのがニッポン省思考列島のビヘイビアですね。

 住人の言説によるまどわかしから身を守るには。
はて?と思わされる言説にぶかったら出会ったら「言い出しっぺ」さんは一体何についてどういうことを言っていたのか?ということを自分で確認してみると良いと思います。
例えば。
 ランチェスター派と一口に言いますが、ランチェスターさん~クープマン(?)さん~田岡さん~田岡さん以後の人々と代を経るごとに仮説への姿勢が変化しているはずです。

■「機会」とか「脅威」とか

 外部環境のうち、何が機会で何が脅威か?
 これもまた「当社は何を目指そうとしているか?」ということが前提にされないと間違ってしまいます。

 SWOT分析というのは「何を目指すべきか」を決定するためのツールではありません。
何を目指すのか、ということが基準にならないと「機会」も「脅威」もそれとして認識することが出来無いと思います。

 例えば、当社所在地域において抜き差しならない競合関係にある業界ナンバーワン企業が当社所在地域において市場占有率を一挙に倍増するという戦略を発表した。当社にとってプラスかマイナスか?

一般的には、当社が業態転換という目標を立てていればプラス?であり、現状維持ならマイナスでしょうね。こちら側に何の方針もない場合、競合の動向さえプラスともマイナスとも評価できないこともあるはずです。

とうことで、強み/弱み、機会/脅威、戦略立案の前提となる環境分析のツールのはずのSWOT、分析評価のツールではない、ということが明らかになりました。(かな?)

 ではSWOTとは一体何だ?
次に野村総研さんの説明を検討してみましょう。

■野村総研では

SWOT分析とは:
「企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述することにより、戦略の構築および評価を行うフレームワーク
(Web「経営用語の基礎知識」野村総合研究所)」
ということだそうです。(以下野村総研を「NRI」と略記)

 列島内通説と異なるのは、「戦略の構築および評価を行うフレームワーク」というところ。
「企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述する」ということでは通説と同一ですが、位置づけは大違い。

 通説が「分析を基礎に戦略を構築する」すなわち、SWOT分析は戦略の基礎であると考えているのに対して、NRIでは「戦略の構築および評価を行うフレーム」だといっています。
つまり、戦略の前提ではなく、戦略を策定するためのテーブルだということですね。

ではNRIではSWOTというテーブルの上でどのように戦略の策定/評価を行うのか?


■野村総研による講義

細かいことのようですが。
「企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述することにより」というところが?です。

 断定は出来ないのですが、戦略の構築とSWOT記述、どちらが先か?ということをこの説明から考えてみると、まず記述有り、かなと思われます。
まずSWOT分析を行い、その後、この分析を参考に戦略を策定、評価する、と言うように読めるわけです。
 問題は、んじゃ、記述に先立って強み/弱み、機会/脅威を判断する(判断しないと当該象限に配置できない)のは何を基準にするのか、ということが述べられていない。

 普通に考えると、SWOTテーブルを戦略策定の前提ではなくツールに使うということになれば、戦略策定に先だって「目標」は設定済み、ということになります。目標が立てられていてはじめて状況諸要因についてプラス/マイナスなどと評価することが出来るわけです。

 NRIの説明は簡単すぎてこのあたりをどう考えられているのか、いまいちわかりにくいのですが、
①分析に先立って戦略目標は設定済み
②SWOTは目標を基準に「記述」される、ということでしょう。
つまり、
③企業の内外状況はあらかじめ把握されている
④目標を基準に内外状況をSWOTテーブル上にポジショニングする
ということになります。

ここからいよいよNRI流「戦略策定/評価」作業が始まるわけです。

■NRI式分析の基準

次のように述べられています。
**
企業が市場での競争に勝ち残るためには、自社の状況を適切に把握して、競合他社との比較において優位に立てる戦略を打ち出す必要があります。ここで、企業が自社の目指す姿を経営理念として構築し、どのような市場でビジネスを推進するか、事業領域を明確に定義したと仮定します。その企業の経営企画部や各事業部門が、事業領域でどのような戦略を実行すべきかを検討する時に、共通の分析枠組みとしてSWOTを活用しながら議論を行えば、分析結果を各部門が理解しやすい形にまとめることができます。SWOTは多くの企業で認知、活用されているため、共通のフレームワークとして機能しやすいといえます。
ただし、SWOT分析を行えば必ず戦略の構築と代替案の評価が完成するとは限りません。SWOTとは異なる切り口で戦略を検討することにより、適切な分析を実施している場合も数多くあります。
**
以上、
http://www.nri.co.jp/opinion/r_report/m_word/swot.html
から。

①企業の目指す姿・市場・事業内容の決定(SWOT以前)
②SWOTによる分析を活用した戦略策定
と言う流れになっています。
ここでSWOT分析は①を基準として行われるのか、あるいは他の基準で行われるのか、今ひとつはっきりしません。

同じwebページでは次のように続いています。
**
プロセスの分析には不向き
例えば、食品メーカーA社が新しいインスタント食品を市場に投入する時にSWOTを用いることによって、自社の「強み」を技術力やマーケティング力、「弱み」を製造コストの高さと認識し、「機会」を新たな市場の創造・開拓による先行者利益の獲得、「脅威」を類似商品の出現やファーストフードの低価格戦略と捉えたとします。しかし、SWOTだけでは、原料調達から顧客に消費されるまでのプロセスにおいて最も利益を稼ぐことができる部分がどこか、また、A社はどの事業プロセスに注目して事業を展開すべきかについての示唆を直接的には得られません。
SWOT分析は、あくまでも分析ツールの1つとして活用し、必要に応じてバリューチェーン分析やファイブ・フォース分析など他の分析フレームワークを活用することが、適切な戦略立案には必要です。
**

「新しいインスタント食品の市場投入」という新しい事業目標に基づいて分析されているように見受けられますね。

ところがここからが問題なのです。

■戦略策定の実務

新しい経営目標の設定~戦略策定というプロセスについて。

経営目標の設定:
 これは、所与の諸条件、経営環境において企業の維持存続を図るために何をなすべきか、ということですから、当然ながらSWOT分析に使われる要因などについては目標設定に先立ってしっかり把握されているはずです。状況分析抜きで経営目標を立てるというのはおかしいですからね。つまり、SWOTと呼ぶかどうかは別としてSWOTに記述される内容などは恒常的・継続的に把握されていないと目標は設定できません。

次に:
目標を決めると、条件や状況が目標達成にとってプラスに作用する、マイナスに作用する、ということがあらためて明確になりますから、諸条件・環境要因などをSWOTテーブルに配置することが出来ます。

ここからが本番:
SとW、比較秤量して、どのような方策を立てればこの「SとW」の関連するなかで目標を達成することが出来るのか?ということについて考えを凝らします。 OとTについても同様です。

さらに4者の絡み合いの中でどのようなシナリオを描けば目標を達成することが出来るか? ということを考え抜かねばならない。
この過程が「戦略の構築」ですね。
ここからあそこへ、SWOT的状況を上手にくぐって到達する。そのためのシナリオが戦略です。

もし万一、SWOTテーブルにおいてどうしても目標達成へのシナリオが描けなかったら?

そのときは目標を変更しなければならない!

目標を変えれば諸要因のSWOTにおける軽重さらには位置関係さえ変化する可能性があります。場合によると、目標AではWだった要因が目標をBに変更したとたん、Sに変わる可能性さえもあるわけです。

一般に戦略策定過程というのは、戦略の策定に当たるとともに、状況によっては(動員可能な経営資源をどう組み合わせてもコースが描けないときなど)、目標・ゴールを変更することもあり得ます。
「達成可能な目標を設定せよ」と言うことですね。

つまり、SWOTは目標達成のための作業の場であると同時に、状況の中で達成可能なレベルに目標を変更する、という機能も果たすことになります。

SWOTテーブル上に配置された諸条件は、達成目標が変われば配置が変わったり、比重が変わったりします。その結果、あらためて目標達成への「戦略」・シナリオを考えることになる。

と言うようにSWOT分析といいながら、分析するためのツールではなく実は戦略策定のツールだ、というのがSWOTです。

■SWOTによる戦略策定?

NRIsaid;
>しかし、SWOTだけでは、原料調達から顧客に消費されるまでのプロセスにおいて最も利益を稼ぐことができる部分がどこか、また、A社はどの事業プロセ
>スに注目して事業を展開すべきかについての示唆を直接的には得られません。
**
こういう作業は「目標設定」プロセスで行われることであり、SWOTの守備範囲ではありません。

SWOTは目標設定はしない、あらかじめ設定された目標の達成可能性の探索(シナリオ作成)、評価(達成可能性の評価)を受け持っています。もう一つ、きわめて大事なことは、所与の目標がSWOT分析・戦略策定段階で達成困難となった場合、目標を変更する、という業務に貢献できる、ということです。

実務としてSWOTを使うとすれば、表をにらみながら目標/S/W/O/Tをめまぐるしく操作して最適解=目標達成のシナリオを描く、ということになります。もちろん。こういう作業は戦略業務の常として「たった一人の人間」が行うことが望ましい。

アタマの中に必要なデータは全部はいっている、という担当者が所与の目的・目標を受けて描き上げるのが戦略(案)、この作業が担当者のアタマのなかでどういう風に行われるのか、知っているのは神様だけ、いらっしゃればの話ですが。

SWOTご愛顧の皆さんがおっしゃるように、雁首並べて企業特性/環境与件を列挙して、あ~でもない、こ~でもないと並び替えるのが戦略策定プロセスだと思ったらとんでもないですね。

今までやったことのない人が陥るところかも知れませんが、そういう人はSWOT=正しい戦略を策定するための手法などと勘違いしそうです。そういう人たちが集まってSWOTテーブルを囲みますと・・・・。

もちろん、SWOT分析、使い道はちゃんとあります。


■SWOTによる戦略評価

戦略評価。
問題状況における戦略の妥当性を監査するわけですが、これはもちろん戦略立案者以外の職能によって実施されるものです。

このプレゼンおよび作業をSWOTテーブルで行う、というのは有りですね。
しっかり取り組めば、監査機能のみならず、推進に不可欠な理解者が出てくることになります。

あと、関係各方面へのプレゼン用スキームとしてもバッチリですね。
ただし、前述のとおり、戦略を策定するプロセスで有効かというと、そんなことはぜんぜん無いと思います。 


■他の例を一つだけ

例えば
http://www.tdb.co.jp/marketing/mark02.html

環境分析の手法の一つであるとしながら、
1.SWOT分析で自社の環境を客観的につかむ
2.目標設定
3.マーケティング戦略の立案
4.アクションプランの立案
5.実行
というフローに見られるように、目標設定~企業戦略立案を導く「要」と位置づけられています。

SWOTの手法とは、
1.まずは、自社の弱みと強みを分析する・・・基準は(同業)他社
2.外部環境においてビジネスチャンスおよびビジネスに悪影響となる環境・条件の列挙
3.S/W/O/Tを組み合わせて分析、自社の将来ビジョンを策定、最適かつ最強の戦略を立案する
ということだそうです。

他社を基準にする、などランチェスター派が陥りやすそうな誤解ですね。他社なんか基準にしてどうするんでしょうね、差別化でしょうか?

憎まれ口はさておき。
SWOT分析をもとにして当社が目指すべき方向と戦略が策定できる、という考えですが、これはSWOT分析を「活用」する多くのコンサルタントさんに共通するアプローチだと思います。
SWOT、いくら眺めてもそこから「論理的に」目標・戦略導き出されることはありません。
ウソだと思うならやってみればよろしい。

「革新」という目標を立てると、経営の主要な部位にこれまでの経営のあり方とは全く異なる要素を取り入れることになります。そうしますと、これまでと同じ企業内外の環境であるにもかかわらず、これまでのSWOTとは異なったSWOT配置が生まれるはずです(そのくらいのことが無ければ革新とはいえません)。

つまり、目標が変われば諸要因のSWOTテーブルにおける配置は変化する。
逆に、この例で主張されているように、経営資源の状況、外部環境の状況などをこれまでどおりの思考パターンで評価・配置したうえで、目標や戦略を考えようとするなら、これまで通りのパターンの目標や戦略しか出てこない。
これで要求されている「新しい目標」「目標を達成するための戦略」が立てられるならいのですが・・・。


■正しい戦略の作り方

正しい戦略策定法、つまり、目的と目的達成に関係する諸要因のデータが与えられれば、正しいゴールへの道筋を描くことが出来る、と言う方法はありませんからね。

SWOT分析で立てた経営戦略、ランチェスター理論に基づいた営業戦略、あるいはKJ法で到達した問題解決法などというように、何らかの「解」を導く方法がいろいろ存在しています。
しかし、どの方法であれ、その方法によって解を導きだした、ということをもってその戦略や解答の正しさ・妥当性を主張することは出来ません。解を導く方法は、その結果としての〈解〉の正しさを保証するものではありません。
「正しい答えを導き出す方法」と言うものは無いのです。

「正しい戦略を策定する方法」というものはありません。

■正しい戦略とは

方法はありませんが、「正しい戦略」は存在します。
あそこからここへ、我々を到達させてくれた戦略が「正しい戦略」、つまり正しい戦略というのは「勝てば官軍」、終わってみないと分からない(w

■我らの課題

正しい戦略を導き出す方法というものはない。
正しい戦略とは、我々をゴールに到達させた戦略である。

戦略とは持てる力を組み合わせて目標を達成するシナリオである、とか言っておきながら、それはあんまりだ、と言う声が聞こえそうですね(w

んじゃ、戦略ってどうやって立てたら良いのか?
戦略Aと戦略B、どっちがよりよい戦略化ということはどうやって見分けることが出来るのか?

これが分かれば、「正しい戦略」に限りなく近づけるかも、ですね。


■皆さんと確認しておきたいこと

 私は、戦略とはここからあそこへ移行するためのシナリオである、と定義しています。ご承知ですね。

 SWOTについて考えている間に、この当社の定義が「戦略」の定義として本当にぴったりだ、ということにお気づきですか?

 SWOTテーブル、目標を前提に持てる力を組み合わせ、現在~将来の予想される障碍や後押ししてくれる条件などをふまえながら、歩いていく道筋を考え・決定する、と言う作業の場であり、ここで作られているのは紛れもなく私の定義する「戦略」ですね。
(ただし、SWOTがそういう場として適切かどうか、という点についての評価は別の話)

 戦略≠計画、長期計画、経営計画、将軍が作る計画、などなどではないことをしっかり確認してください。

■情景マーケティング

 米国の経営学の先生方は、我々が通常アタマのなかで行っている作業を客観化、ビジュアル化して「○○法」と命名、特許を取るのが上手です。

 当社が開発した標記の技法、これももちろん、通常はアタマのなかで行っている作業をビジュアライズしたものですが、脳味噌に汗をかきながらペーパーとにらめっこ、アイデアを絞り出す、というプロセスでありまして、使い勝手は使ってみてのお楽しみ(W


■戦略の一回性

 いつぞや米軍の戦略定義で、artであり、手作りであり、一回こっきりの「作品」である、といったことを紹介したと思います。

 いかなる戦略であれ、一定の状況における戦略は、特定の時空において、特定の課題に対する解として作られるものであり、他の事例の模倣であろうと何であろうと、今現在直面している課題への解ということでは紛れもなく一回性のしかも当事者が選択したということでは手作りといえないこともありません。

 戦略はart、artがそうであるように戦略もまた「優れた成果(戦略)をもたらす正しい方法」というものはありません。

 ただし、本当に向こうに行きたかったら、到達したい地点を見極め、スタート時点を見極め、調達できる乗り物のうち最適のものを選択すること、もちろん、戦略=乗り物です。

※戦略案の評価
戦略は策定に用いた方法によって差別・評価してはならない。
戦略の評価は、目標達成の可能性を基準に行うのであって、「○○法に基づいて立案した」などということは解としての正しさの根拠にはなりません。
解としての正しさは、方法からは独立、論理的な検討を通じて確認されるべきです。

立案された戦略案の評価のツールとしては「SWOT分析」、優れた方法の一つだと思います。

間違いだらけの経営ノウハウ

SWOT分析

 ライリー派、ランチェスター派の批判的検討が一段落、思いがけなく面白がっていただきましたので、ものはついで、よく見かける経営ノウハウを検討してみたいと思います。

まずはSWOT分析から。

これ、日本では多くの人が誤解しているようで、まずは我が国で理解されているところから検討してみましょう。

よく聞かれるSWOT理解

1.SWOTとは、
  S:強み
  W:弱み
  O:機会
  T:脅威 の略です。

2.使い方
  企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述することにより、戦略の構築および評価を行うフレームワーク
(Web「経営用語の基礎知識」野村総合研究所)

 つまり、自社の強み、弱みを分析、機会と脅威を分析、マトリックスに記述して戦略の構築・評価を行う、ということですね。
 これだけではなんのことやら分かりません。

■「強みと弱み」とか

「戦略を立てる前にまず自社を知る」その手法としてSWOTを分析する、などとおよそ本気で経営戦略について考えたことがある人間なら絶対に間違うはずのないデタラメを書いている例が圧倒的です。

 まずはこちらから。
一見、何の問題もなさそうですが実は大有り(W。

 強みとか弱みということは相対的なものでありまして、相手あるいは課題がはっきりしないと自社の現状のうち、何が強みであり、何が弱みなのかということは決められないのであります。

 例えば、一般には「強み」と考えられるであろう「教育訓練の実績が高い」ということも、今後の方針とこれまでの実施内容次第では強みなのか弱みなのか、にわかには判断できません。
環境の変化に対応する、という課題を前にしたとき、「社員全員、ランチェスター流で理論武装している」ことは強みか弱みか?

 ということで、社内の状況、何が強みで何が弱みかということは、「何をやろうとしているか」によってがらりと変わる可能性があります。

 こんなことはちょっと考えればたちまち分かることですから、「戦略策定にあたってはまず社内環境を分析する」などと称して、強み/弱みと静態的に評価するのはナンセンスです。
 そもそも、こういう分析をやれば採用すべき戦略が出てくる、そのための作業フローだという理解自体が、おかしい。

 例えば企業規模、例えば店舗規模、商品(製品)構成、市場の状況、業界におけるポジション、競争環境、競合の動向などなど、企業の現状&外部環境は、「これから何をしようとしているか」という評価基準が設定されない限り、評価することが出来ません。一般に「強み」と評価されるであろう、「業界ナンバーワン」という位置も今後の目標次第では「弱み」と考えなければならない場合がいくらでもあり得ます。

 企業の強み/弱み、目標抜きで評価できるというのは戦略策定業務で苦労したことのない人の思いつきかも。

 もちろん、本家では「強み/弱みは、分析に先立って設定した目標を基準に評価する」とされているハズです。

 SWOTに限らず、カタカナビジネスツールは、ハーバードビジネスレビュー経由など米国渡来が多いのですが、もともとの発案者(以下〈言い出しっぺ〉さん)およびその周辺では「思いつき」であることが前提とされている仮説・道具なのに、海を渡り・列島住人の口と耳を経ている間に「有効性が実証された経営技術」、「科学」、「真理」と〈言い出しっぺ〉さんからの距離に比例して評価が高まっていくのがニッポン省思考列島のビヘイビアですね。

 住人の言説によるまどわかしから身を守るには。
はて?と思わされる言説にぶかったら出会ったら「言い出しっぺ」さんは一体何についてどういうことを言っていたのか?ということを自分で確認してみると良いと思います。
例えば。
 ランチェスター派と一口に言いますが、ランチェスターさん~クープマン(?)さん~田岡さん~田岡さん以後の人々と代を経るごとに仮説への姿勢が変化しているはずです。

■「機会」とか「脅威」とか

 外部環境のうち、何が機会で何が脅威か?
 これもまた「当社は何を目指そうとしているか?」ということが前提にされないと間違ってしまいます。

 SWOT分析というのは「何を目指すべきか」を決定するためのツールではありません。
何を目指すのか、ということが基準にならないと「機会」も「脅威」もそれとして認識することが出来無いと思います。

 例えば、当社所在地域において抜き差しならない競合関係にある業界ナンバーワン企業が当社所在地域において市場占有率を一挙に倍増するという戦略を発表した。当社にとってプラスかマイナスか?

一般的には、当社が業態転換という目標を立てていればプラス?であり、現状維持ならマイナスでしょうね。こちら側に何の方針もない場合、競合の動向さえプラスともマイナスとも評価できないこともあるはずです。

とうことで、強み/弱み、機会/脅威、戦略立案の前提となる環境分析のツールのはずのSWOT、分析評価のツールではない、ということが明らかになりました。(かな?)

 ではSWOTとは一体何だ?
次に野村総研さんの説明を検討してみましょう。

■野村総研では

SWOT分析とは:
「企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述することにより、戦略の構築および評価を行うフレームワーク
(Web「経営用語の基礎知識」野村総合研究所)」
ということだそうです。(以下野村総研を「NRI」と略記)

 列島内通説と異なるのは、「戦略の構築および評価を行うフレームワーク」というところ。
「企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述する」ということでは通説と同一ですが、位置づけは大違い。

 通説が「分析を基礎に戦略を構築する」すなわち、SWOT分析は戦略の基礎であると考えているのに対して、NRIでは「戦略の構築および評価を行うフレーム」だといっています。
つまり、戦略の前提ではなく、戦略を策定するためのテーブルだということですね。

ではNRIではSWOTというテーブルの上でどのように戦略の策定/評価を行うのか?


■野村総研による講義

細かいことのようですが。
「企業内部の強みと弱み、企業を取り巻く環境における機会と脅威を記述することにより」というところが?です。

 断定は出来ないのですが、戦略の構築とSWOT記述、どちらが先か?ということをこの説明から考えてみると、まず記述有り、かなと思われます。
まずSWOT分析を行い、その後、この分析を参考に戦略を策定、評価する、と言うように読めるわけです。
 問題は、んじゃ、記述に先立って強み/弱み、機会/脅威を判断する(判断しないと当該象限に配置できない)のは何を基準にするのか、ということが述べられていない。

 普通に考えると、SWOTテーブルを戦略策定の前提ではなくツールに使うということになれば、戦略策定に先だって「目標」は設定済み、ということになります。目標が立てられていてはじめて状況諸要因についてプラス/マイナスなどと評価することが出来るわけです。

 NRIの説明は簡単すぎてこのあたりをどう考えられているのか、いまいちわかりにくいのですが、
①分析に先立って戦略目標は設定済み
②SWOTは目標を基準に「記述」される、ということでしょう。
つまり、
③企業の内外状況はあらかじめ把握されている
④目標を基準に内外状況をSWOTテーブル上にポジショニングする
ということになります。

ここからいよいよNRI流「戦略策定/評価」作業が始まるわけです。

■NRI式分析の基準

次のように述べられています。
**
企業が市場での競争に勝ち残るためには、自社の状況を適切に把握して、競合他社との比較において優位に立てる戦略を打ち出す必要があります。ここで、企業が自社の目指す姿を経営理念として構築し、どのような市場でビジネスを推進するか、事業領域を明確に定義したと仮定します。その企業の経営企画部や各事業部門が、事業領域でどのような戦略を実行すべきかを検討する時に、共通の分析枠組みとしてSWOTを活用しながら議論を行えば、分析結果を各部門が理解しやすい形にまとめることができます。SWOTは多くの企業で認知、活用されているため、共通のフレームワークとして機能しやすいといえます。
ただし、SWOT分析を行えば必ず戦略の構築と代替案の評価が完成するとは限りません。SWOTとは異なる切り口で戦略を検討することにより、適切な分析を実施している場合も数多くあります。
**
以上、
http://www.nri.co.jp/opinion/r_report/m_word/swot.html
から。

①企業の目指す姿・市場・事業内容の決定(SWOT以前)
②SWOTによる分析を活用した戦略策定
と言う流れになっています。
ここでSWOT分析は①を基準として行われるのか、あるいは他の基準で行われるのか、今ひとつはっきりしません。

同じwebページでは次のように続いています。
**
プロセスの分析には不向き
例えば、食品メーカーA社が新しいインスタント食品を市場に投入する時にSWOTを用いることによって、自社の「強み」を技術力やマーケティング力、「弱み」を製造コストの高さと認識し、「機会」を新たな市場の創造・開拓による先行者利益の獲得、「脅威」を類似商品の出現やファーストフードの低価格戦略と捉えたとします。しかし、SWOTだけでは、原料調達から顧客に消費されるまでのプロセスにおいて最も利益を稼ぐことができる部分がどこか、また、A社はどの事業プロセスに注目して事業を展開すべきかについての示唆を直接的には得られません。
SWOT分析は、あくまでも分析ツールの1つとして活用し、必要に応じてバリューチェーン分析やファイブ・フォース分析など他の分析フレームワークを活用することが、適切な戦略立案には必要です。
**

「新しいインスタント食品の市場投入」という新しい事業目標に基づいて分析されているように見受けられますね。

ところがここからが問題なのです。

■戦略策定の実務

新しい経営目標の設定~戦略策定というプロセスについて。

経営目標の設定:
 これは、所与の諸条件、経営環境において企業の維持存続を図るために何をなすべきか、ということですから、当然ながらSWOT分析に使われる要因などについては目標設定に先立ってしっかり把握されているはずです。状況分析抜きで経営目標を立てるというのはおかしいですからね。つまり、SWOTと呼ぶかどうかは別としてSWOTに記述される内容などは恒常的・継続的に把握されていないと目標は設定できません。

次に:
目標を決めると、条件や状況が目標達成にとってプラスに作用する、マイナスに作用する、ということがあらためて明確になりますから、諸条件・環境要因などをSWOTテーブルに配置することが出来ます。

ここからが本番:
SとW、比較秤量して、どのような方策を立てればこの「SとW」の関連するなかで目標を達成することが出来るのか?ということについて考えを凝らします。 OとTについても同様です。

さらに4者の絡み合いの中でどのようなシナリオを描けば目標を達成することが出来るか? ということを考え抜かねばならない。
この過程が「戦略の構築」ですね。
ここからあそこへ、SWOT的状況を上手にくぐって到達する。そのためのシナリオが戦略です。

もし万一、SWOTテーブルにおいてどうしても目標達成へのシナリオが描けなかったら?

そのときは目標を変更しなければならない!

目標を変えれば諸要因のSWOTにおける軽重さらには位置関係さえ変化する可能性があります。場合によると、目標AではWだった要因が目標をBに変更したとたん、Sに変わる可能性さえもあるわけです。

一般に戦略策定過程というのは、戦略の策定に当たるとともに、状況によっては(動員可能な経営資源をどう組み合わせてもコースが描けないときなど)、目標・ゴールを変更することもあり得ます。
「達成可能な目標を設定せよ」と言うことですね。

つまり、SWOTは目標達成のための作業の場であると同時に、状況の中で達成可能なレベルに目標を変更する、という機能も果たすことになります。

SWOTテーブル上に配置された諸条件は、達成目標が変われば配置が変わったり、比重が変わったりします。その結果、あらためて目標達成への「戦略」・シナリオを考えることになる。

と言うようにSWOT分析といいながら、分析するためのツールではなく実は戦略策定のツールだ、というのがSWOTです。

■SWOTによる戦略策定?

NRIsaid;
>しかし、SWOTだけでは、原料調達から顧客に消費されるまでのプロセスにおいて最も利益を稼ぐことができる部分がどこか、また、A社はどの事業プロセ
>スに注目して事業を展開すべきかについての示唆を直接的には得られません。
**
こういう作業は「目標設定」プロセスで行われることであり、SWOTの守備範囲ではありません。

SWOTは目標設定はしない、あらかじめ設定された目標の達成可能性の探索(シナリオ作成)、評価(達成可能性の評価)を受け持っています。もう一つ、きわめて大事なことは、所与の目標がSWOT分析・戦略策定段階で達成困難となった場合、目標を変更する、という業務に貢献できる、ということです。

実務としてSWOTを使うとすれば、表をにらみながら目標/S/W/O/Tをめまぐるしく操作して最適解=目標達成のシナリオを描く、ということになります。もちろん。こういう作業は戦略業務の常として「たった一人の人間」が行うことが望ましい。

アタマの中に必要なデータは全部はいっている、という担当者が所与の目的・目標を受けて描き上げるのが戦略(案)、この作業が担当者のアタマのなかでどういう風に行われるのか、知っているのは神様だけ、いらっしゃればの話ですが。

SWOTご愛顧の皆さんがおっしゃるように、雁首並べて企業特性/環境与件を列挙して、あ~でもない、こ~でもないと並び替えるのが戦略策定プロセスだと思ったらとんでもないですね。

今までやったことのない人が陥るところかも知れませんが、そういう人はSWOT=正しい戦略を策定するための手法などと勘違いしそうです。そういう人たちが集まってSWOTテーブルを囲みますと・・・・。

もちろん、SWOT分析、使い道はちゃんとあります。


■SWOTによる戦略評価

戦略評価。
問題状況における戦略の妥当性を監査するわけですが、これはもちろん戦略立案者以外の職能によって実施されるものです。

このプレゼンおよび作業をSWOTテーブルで行う、というのは有りですね。
しっかり取り組めば、監査機能のみならず、推進に不可欠な理解者が出てくることになります。

あと、関係各方面へのプレゼン用スキームとしてもバッチリですね。
ただし、前述のとおり、戦略を策定するプロセスで有効かというと、そんなことはぜんぜん無いと思います。 


■他の例を一つだけ

例えば
http://www.tdb.co.jp/marketing/mark02.html

環境分析の手法の一つであるとしながら、
1.SWOT分析で自社の環境を客観的につかむ
2.目標設定
3.マーケティング戦略の立案
4.アクションプランの立案
5.実行
というフローに見られるように、目標設定~企業戦略立案を導く「要」と位置づけられています。

SWOTの手法とは、
1.まずは、自社の弱みと強みを分析する・・・基準は(同業)他社
2.外部環境においてビジネスチャンスおよびビジネスに悪影響となる環境・条件の列挙
3.S/W/O/Tを組み合わせて分析、自社の将来ビジョンを策定、最適かつ最強の戦略を立案する
ということだそうです。

他社を基準にする、などランチェスター派が陥りやすそうな誤解ですね。他社なんか基準にしてどうするんでしょうね、差別化でしょうか?

憎まれ口はさておき。
SWOT分析をもとにして当社が目指すべき方向と戦略が策定できる、という考えですが、これはSWOT分析を「活用」する多くのコンサルタントさんに共通するアプローチだと思います。
SWOT、いくら眺めてもそこから「論理的に」目標・戦略導き出されることはありません。
ウソだと思うならやってみればよろしい。

「革新」という目標を立てると、経営の主要な部位にこれまでの経営のあり方とは全く異なる要素を取り入れることになります。そうしますと、これまでと同じ企業内外の環境であるにもかかわらず、これまでのSWOTとは異なったSWOT配置が生まれるはずです(そのくらいのことが無ければ革新とはいえません)。

つまり、目標が変われば諸要因のSWOTテーブルにおける配置は変化する。
逆に、この例で主張されているように、経営資源の状況、外部環境の状況などをこれまでどおりの思考パターンで評価・配置したうえで、目標や戦略を考えようとするなら、これまで通りのパターンの目標や戦略しか出てこない。
これで要求されている「新しい目標」「目標を達成するための戦略」が立てられるならいのですが・・・。


■正しい戦略の作り方

正しい戦略策定法、つまり、目的と目的達成に関係する諸要因のデータが与えられれば、正しいゴールへの道筋を描くことが出来る、と言う方法はありませんからね。

SWOT分析で立てた経営戦略、ランチェスター理論に基づいた営業戦略、あるいはKJ法で到達した問題解決法などというように、何らかの「解」を導く方法がいろいろ存在しています。
しかし、どの方法であれ、その方法によって解を導きだした、ということをもってその戦略や解答の正しさ・妥当性を主張することは出来ません。解を導く方法は、その結果としての〈解〉の正しさを保証するものではありません。
「正しい答えを導き出す方法」と言うものは無いのです。

「正しい戦略を策定する方法」というものはありません。

■正しい戦略とは

方法はありませんが、「正しい戦略」は存在します。
あそこからここへ、我々を到達させてくれた戦略が「正しい戦略」、つまり正しい戦略というのは「勝てば官軍」、終わってみないと分からない(w

■我らの課題

正しい戦略を導き出す方法というものはない。
正しい戦略とは、我々をゴールに到達させた戦略である。

戦略とは持てる力を組み合わせて目標を達成するシナリオである、とか言っておきながら、それはあんまりだ、と言う声が聞こえそうですね(w

んじゃ、戦略ってどうやって立てたら良いのか?
戦略Aと戦略B、どっちがよりよい戦略化ということはどうやって見分けることが出来るのか?

これが分かれば、「正しい戦略」に限りなく近づけるかも、ですね。


■皆さんと確認しておきたいこと

 私は、戦略とはここからあそこへ移行するためのシナリオである、と定義しています。ご承知ですね。

 SWOTについて考えている間に、この当社の定義が「戦略」の定義として本当にぴったりだ、ということにお気づきですか?

 SWOTテーブル、目標を前提に持てる力を組み合わせ、現在~将来の予想される障碍や後押ししてくれる条件などをふまえながら、歩いていく道筋を考え・決定する、と言う作業の場であり、ここで作られているのは紛れもなく私の定義する「戦略」ですね。
(ただし、SWOTがそういう場として適切かどうか、という点についての評価は別の話)

 戦略≠計画、長期計画、経営計画、将軍が作る計画、などなどではないことをしっかり確認してください。

■情景マーケティング

 米国の経営学の先生方は、我々が通常アタマのなかで行っている作業を客観化、ビジュアル化して「○○法」と命名、特許を取るのが上手です。

 当社が開発した標記の技法、これももちろん、通常はアタマのなかで行っている作業をビジュアライズしたものですが、脳味噌に汗をかきながらペーパーとにらめっこ、アイデアを絞り出す、というプロセスでありまして、使い勝手は使ってみてのお楽しみ(W


■戦略の一回性

 いつぞや米軍の戦略定義で、artであり、手作りであり、一回こっきりの「作品」である、といったことを紹介したと思います。

 いかなる戦略であれ、一定の状況における戦略は、特定の時空において、特定の課題に対する解として作られるものであり、他の事例の模倣であろうと何であろうと、今現在直面している課題への解ということでは紛れもなく一回性のしかも当事者が選択したということでは手作りといえないこともありません。

 戦略はart、artがそうであるように戦略もまた「優れた成果(戦略)をもたらす正しい方法」というものはありません。

 ただし、本当に向こうに行きたかったら、到達したい地点を見極め、スタート時点を見極め、調達できる乗り物のうち最適のものを選択すること、もちろん、戦略=乗り物です。

※戦略案の評価
戦略は策定に用いた方法によって差別・評価してはならない。
戦略の評価は、目標達成の可能性を基準に行うのであって、「○○法に基づいて立案した」などということは解としての正しさの根拠にはなりません。
解としての正しさは、方法からは独立、論理的な検討を通じて確認されるべきです。

立案された戦略案の評価のツールとしては「SWOT分析」、優れた方法の一つだと思います。

商店街活性化を阻む5段階の不備

■中心市街地活性化、「法」制定以来7年に渡り、全国ほとんどの都市で取り組まれている訳ですが、ご承知のとおり、「成功事例」がなかなか出て来ません。
そもそも何をもって「成功」とするのか、ということさえ定義・基準がない、という状況があります。
 このような状況に鑑み、総務省は昨秋、取り組みの総括を実施、『中心市街地の活性化に関する行政評価・監視』〈評価・監視結果に基づく勧告〉総務省 平成16年9月15日 を提示しました。
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040915_1_1.pdf
(ちなみに、この勧告についての当社の考察は
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=104&reno=no&oya=104&mode=msgview&page=0  で行っています。

 最近、中心市街地活性化の実現を阻んでいるのは、取り組みの5つの段階それぞれにおいて基本的な不備があるからだ、ということに思い至りました。


□各段階の不備
驚くなかれ(笑、次のような不備があります。

第一段階:「中心市街地活性化はなぜ必要か」最終目的の不備
第二段階:「中心市街地活性化を実現する」達成目標の不備
第三段階:「中心市街地活性化の目標を達成する」事業計画の不備
第四段階:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備
第五段階:「中心市街地活性化を実現する」理論・技術の不備

如何ですか。中心市街地活性化の目的・目標の設定から実践に必要な理論・知識まで取り組みを成功させるための取り組みの各段階にすべて「不備があった」?
こうしてみると、中心市街地活性化を推進する、実現するために必要な要件がことごとく不備だった、ということですね。
もしこれがほんとうだったら、「活性化なんて出来なくて当たり前」とか思いません?
これでは活性化が実現しないのも無理ありません。
大変なことですね。

大変なことですが、「ものは考えよう」でありまして。
たとえば、一から五まで、全部、完全に整備されており、それにも関わらず活性化が実現できなかった、というのならそれこそ活性化は不可能だと言うことでほんとうに大変ですが、取り組む側に不備があって出来なかったわけですから、不備を整備すれば成功する・活性化できる可能性があるということになる(笑
活性化できなかったのは、取り組みに不備があったから、と言うことが分かった、これは喜ばしいことではないでしょうか(笑

 ということで、以下、5つの不備をしっかり分析、課題を抽出、対処の方法を考えてみることにいたしましょう。

□第一段階の不備について
> 第一段階:「中心市街地活性化はなぜ必要か」最終目的の不備
Q1.中心市街地とはどこのことか?
 A 都市中心部に立地する商業機能が集積した街区のことである。
Q2.なぜそういえるか?
 A 「法」第●上「中心市街地の三要件」の1及び2を見よ
Q3 中心市街地の活性化とは何がどうなることか?
 A 中心市街地がその本来の機能である小売商業機能として再構成さ   れることである。(『TMOマニュアル』)
Q4 中心市街地活性化の目的は何か?
 A その目的は多様である。後ほど詳しく説明するが待ちきれない人   は「サイト内検索」で適宜自修しましょう。
Q5 中心市街地の活性化はなぜ必要か
 A 必要な理由は山ほどある。(下で説明します。)

 如何ですか。
このあたりはしっかり押さえておかないと、
①取り組んでいる自分たち自身の仕事の価値が分からない、誇りが持て ない、知恵がでない・・、と、当事者としてははなはだ困ったことに なる。
②関係各方面、TMO体制を担う仲間、上司&部下・議会・市民・消費 者・中心市街地以外で活性化に取り組んでいる人などなど関係者を中 心市街地活性化の必要性について説得、合意を確保することが出来な い。
③これからどんどん出てくる類似課題との競合において、「中心市街地 活性化」の優先順位を確保できない。
 (これは、競合する事業の成功を妨げることになる=例:コンパクト シティ)
○広域合併以降の都市経営における中心市街地活性化の重要性、しっかり理論武装しておかないと放置されてしまうことになりかねません。
今のうちに、しっかり頭に入れてくださいね。
特に、行政関係の人は大変だと思います。他部局と議会が共同戦線を張ったりして(笑)


□前提条件

 取り組みがスタートして7年、多くの都市がおおむね5年間は取り組んできたところですが、なかなか展望が開けません。
まず、基本計画レベルにおいて。
中心市街地活性化がなぜ必要か? 活性化するとどんなメリットがあるいかということがハッキリと理解されていない。ここが適切に理解されていないと、取り組み全体が致命的な方向ミスになると思います。

○基本的な視点としては。
1.中心市街地を新しい事業活動の場として再生させる
 新しくないと「事業活動」と言うほどのことはできない

2.新しい消費・生活ニーズの受け皿として商業機能を再構築する
 郊外型商業とは「棲み分け」を目指す。真っ正面からぶつかっても勝ち目はない。もし五分に渡り合っても将来が不安。

3.再構築は中心市街地既存の商業者の自助努力を中心とする
 他に中心市街地に出かけてきて活性化を引っ張ってくれる業種・業態・企業がありますか?
ということが前提になります。


■第二の不備について
> 第二段階:「中心市街地活性化を実現する」達成目標の不備

 中心市街地とはどこのことか、そこの何を活性化するのか?
ここが判然としていないと、「これを実現することが中心市街地活性化である」という「目標」を設定することが出来ません。
国は、中心市街地活性化を推進するにあたっては、「車の両輪」である、市街地の整備改善の事業と商業等の活性化の事業を「一体的に推進することにより実現を目指す目標」を設定することを求めていますが、
中心市街地活性化は、これを実現すれば達成される、という具体的な「一体的推進の目標」を掲げている都市はきわめて少ないでしょう。
一体的推進の目標、これが適切に設定されていないと、実施する各種事業の方向、内容、時期などが適切か否か、判断する基準がありません。それでは目標達成は難しい。

□一体的推進の目標
 中心市街地≒中心商店街を活性化することを目的に取り組まれる、市街地の整備改善(基盤整備)及び商業等の活性化(機能整備)といういわば「デザインと機能」両面について施策群を展開して何を実現しようとするのか? 対象が商業街区ですからこれはもちろん、商業機能であることは明白です。
 一体的推進の目標とは、商業機能を活性化するにあたって実現を目指す目標です。 中心市街地の場合、目標設定にあたってはいくつか超えなければならない課題があります。

1.郊外のショッピングセンター(以下[SC]と略記)をはじめとする 商業機能との関係をどのように考えれば、活性化を実現することが出 来るか?
※棲み分けを目指すのか? その場合、相手の機能の特性をどのように とらえ、みずからのポジションをどう設定するのか?

2.商業機能としての活性化を主体的に担うのは誰か?
  新しい企業群を誘致しようとするならば、彼らが進出してくるメリ ットは何か?

3.いずれにしろ、既存商業者の大多数が新たに設定する「一体的推進 の目標」の実現に向けて「その気になって」取り組むことが可能か?
 既存商業者がその気になって取り組めば、彼らの事業が活性化する目 標か?
などの課題はたちどころに直面するところです。

4.さらに。もっとも重要な課題として、
 現在、わが都市における商業機能の配置において、充足され得ない消費生活ニーズが存在するか?
そのニーズは都市既存の商業集積群では対応できないニーズなのか?
ということも考えなければならない。

○だってそうでしょう。活性化に取り組むにあたって、
1.SCを無視して、あるいはSCの模倣路線を採用したが、SCから  お客を奪うことは出来なかった。
2.誘致を見込んで施設を建設したが、応じるものがいなかった。
3.既存商業者個々の店舗について目標を与えられないと、街区の動き  と無関係に、それらはさらに劣化していく。空き店舗対策をしてい  る間も空き店舗が増える。
4.新しい消費生活ニーズは、消費者が自覚しているとは限りません。  当事者のことは当事者が一番よく知っている、というのは真っ赤な  ウソですからね。

 ついでに言っておきますと。
潜在顧客を事業に巻き込むのは、「そんな商業集積が出来たら、是非利用したい」と評価してもらうため。潜在顧客の意見通りに動けば彼らが買い物に愛用する集積になるとは限りません。
だって、彼らが「どういう商業機能が不足しているか」、一所懸命考えているはずがありませんからね。

○たとえば。
 コンビニが一軒も無いときに、住民に「24時間営業の小さなスーパーのような店を作ろうと思うがどうでしょう、夜中に買い物に来てくれますか」と聞いてみた場合を想像してみれば一目瞭然。
ほとんどの人が「そんな時間に買い物には行かない」と答えたはず。それを真に受けていたら、今でもコンビニは存在しなかったはず(笑

○本題に帰りまして。
 中心市街地、「こういう方向でこういう方法で頑張れば、活性化することが出来る」というのが「一体的推進の目標」です。
この目標が、
1.「商業集積の活性化」を目指す目標としては設定されていない
2.設定されているが、SCとの関係が意識されていない
3.誰が主体で牽引するのか定かではない
4.既存商業者の位置づけが不明確
などの不備があれば、これはもう、役に立つと期待する方が絶対おかしい事業になってしまう可能性が極めて高い、ということになります。

□目標とシナリオ
 ところで、目標は、立てれば実現する、というものでありません。
もちろん、ヒト・モノ・カネが潤沢ならばOKというものでもない。
現在から目標に到達する大まかなシナリオを描かないと、(ほんとうは)一歩も進むことができないはずです。
このシナリオが「戦略」です。
戦略がなければ目的を達成する行動を組み立てることが(ほんとうは)できません。
※戦略については、10月12日の記事参照のこと
http://quolaid.blog13.fc2.com/blog-date-20051012.html

□戦略=シナリオの不在
 これは大きいですね。「中心市街地活性化」の条件:
①対象となる街区が広い
②商業機能を始め多様な都市機能が集積している
③さまざまな事業をミックスして取り組むことが必要だ
④いろいろな立場の人の協働が不可決
⑤数年は掛かる
などを考えると、「シナリオ」抜きで実現できるとは思えません。
 皆さんの都市の『基本計画』では、活性化を実現していくためのシナリオが作られていたでしょうか?これは是非チェックしてください。
シナリオとは:我々はこのような経路をたどって中心市街地活性化を実現していく、という「構想」です。
もし、これに類するものが基本計画中に見あたらない場合、早急にシナリオを作ることが必要です。
 このことはきわめて重要なことですから、もし、なぜ必要か分からない、という人があればその旨書き込んでいただけば説明します。
書き込みがなければ、皆さんはシナリオ作りにこれから邁進する、という段階になるということなるのでしょうか。
「戦略策定」、参考になるようなことをどこかに書きたいと思います。

■第三の不備
> 第三段階:「中心市街地活性化の目標を達成する」実施計画の不備
中心市街地活性化という
①相当広い範囲の街区について
②市街地の整備及び商業等の活性化という両目に渡る事業を駆使して
③相当の期間を掛けて取り組む
というのがこの事業の特性です。

 したがって、取り組むにあたっては、
事業種別、事業期間別、事業主体別などなどさまざまに区分される多様な事業を逐次展開していくことが必要です。
言ってみればオーケストラが演奏を行うようなものです。
オーケストラの演奏に楽譜が必要なように、中心市街地活性化の取り組みには「計画」が必要です。
 ここの事業の実施計画はもちろん、中心市街地活性化という大事業における個別事業の位置づけ、他の事業との関係・条件などが計画されて初めて、ここの事業が全体の一翼を担うことになり、全体の進展が担保されます。
中心市街地活性化には事業期間中の骨格となる計画・運行表が作られていません。

□事業ミックス
 対象街区・機能・期間など、いずれを考えても、「単年度・単発事業」やその「連発」でなんとかなると言うことはありません。
「一体的推進の目標」が決定したら。
1.その目標が達成されている中心市街地の情況を想像してみる
(1)商業機能~個店の情況
(2)非物販機能
(3)通り景観
  などなど.
※特に。「そこが何であるかはそこで何が起きているかで決まる」という視点で考えれば、お客がそこで何をしているか、それはなぜか、ということは一番真剣に考えなければならないことですね。
2.それらの情況が中心市街地に起こるための条件を考え・実現する計 画を立てる
3.2で立てた各種計画を組み合わせ、効果・効率を考えて先後その他 を考える。これが事業ミックス。
4.特に、事業によっては着手の前提として事前に整備しておかなけれ ばならない条件を持っていることがあるので、事業の先後関係は十分 注意が必要です。ちなみに「個店の転換」への取り組みはなにはさて おき最優先で着手すべき事業です。
  必要な事業をおおむね3カ年の期間内に配置、先述のように事業に は準備期間も必要ですから、それも勘案しながら3カ年でモールへの 転換を軌道に乗せる事業ミックスを作る。
 といえば大仕事のようですが、やってみればそうでもない。要は個店 の転換がどんどん進んでいくことが最大必要条件です。

■第四の不備
> 第四段階:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備
 市街地の整備改善及び商業等の活性化、両事業を車の両輪として進められる中心市街地活性化の取り組みは、それぞれ立場や役割のことなるさまざまな組織、個人によって推進されます。
立場、仕事の内容、実施する場所・時間、などがさまざまな事業の基準を定めたり、実施時期を調整するという重要な機能が必要です。
TMOがそれに充てられるわけですが、事業を効果的に進めていくためには、TMOを中心に関係者がさまざまな企画調整や協働を組み立てられる体制を作ることが必要です。
 『基本計画』には行政内部における体制づくり、経営機能あるいは企画調整機能としてのTMOの設置はうたってありますが、事業を推進する「体制」の組織化については計画されておらず、計画されていたとしても実践レベルを担う商業者の位置づけなどの重要課題が未着手のままのはずです。

□あるべき組織体制
①基本計画以下のスキームをマネジメントするTMO
②実働部隊として「転換」に取り組む商業者とその組織
③支援する位置にあるセクションの活動
がそれぞれ適時適切に事業を推進することが活性化を成功させる組織面での条件です。

□組織体制は機能しているか?
 基本計画に基づき全体の取り組みについて企画調整の任にあたるTMOの威信はあまねく行き渡っているでしょうか?
TMOの威信、特に商業者に対する指導支援には、役割論だけではどうにもならない部分がある訳で、信頼(人的・技術的)関係を築き・維持するという課題がある。基本となるのは、「基本計画~一体的推進の目標~事業ミックス」 について、関係者、とりわけ商業者組織・商業者の賛同が得られていること。賛同というより、「自分の事業の命運を賭ける」という決意ですね。これがないとその気になってろ組めません。
 逆にこういう姿勢で取り組む人たちが増えると、TMOの権威はこの人たちが作り上げていくことにおなります。TMOに権威をもって所要の役割を果たしてもらわないと目的を達成することが出来ない、ということが分かっていますから。
 こうして、組織のあるべき姿を実現するにもやはり、「理論~目的-目標の共有」は絶対条件ですね。
さらに、その機能はどのように発揮されるのかと言えば、関係各方面の人たち、とりわけ商店街のみなさんが「その気になって」頑張ってくれることによって。
 それ以外にTMOが機能する方法はありません。
TMOがタウンマネジメント機構としての権威を確保できるのは、その提案する活性化策の方向と方法が商店街の「繁盛店づくり」と一致したときだけに限ります。
つまり、活性化の方向と方法についての関係者の合意を作り出しているTMOだけがTMOとしての機能を発揮することが出来るわけです。

もちろん方向と方法は、ショッピングモール(ラグジュアリィモール)を目指す
既存商店街・商店の繁盛再生への取り組みが中軸の取り組み
ということです。
TMOさん、活性化を実現したかったら、方向と方法について明確に提起できなければいかません。
さらに、提案の内容は商店主の金銭じゃなかった,琴線にふれるものであること、長~い算盤が弾けるものであること、という条件をそろえていなければならない。

 これは組織論的にはもう当たり前というか、常識というか、何でこういうことが分からないわけ?というくらいのことですからね。
TMOさんは「商店主をその気にさせる」という芸が出来ないとものの役には立たない存在といわれる羽目に必ず陥ります。
「商業者にやる気が・・・」と思ったら、「やる気が出る方向と方法を提案するのがおらっちの仕事、給与の源泉だ、と考えていただきたいものですね。

■第五の不備
> 第五の不備:「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論の不備

 もっとも根本的な不備、実はここにあります。
第一から第四までの不備は、「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論を備えておれば、ちゃんと取り組み・実現したことばかりです。
常々申し上げているように、中心市街地活性化という仕事に『整備改善・活性化法』の枠組みを用いて取り組もうとするならば、枠組みを駆使して対応しようとする「問題状況」の把握が不可欠です。
大きく変化する今日のような時代における「問題情況の把握」は静態的な経験・知識ではなく、変化を説明しうる理論を装備し、理論に基づいて行うことが大前提です。
理論の不備とは、すなわち、大前提の不備。
言ってみれば「親亀」がこけたわけですから、子亀、孫亀・・、みんなこけるのも無理はありません。

□理論装備
 環境が大きく変わっている、とは誰も口にすることですが、では、
どのように変わっているのか、何が原因で変わったのか?
ということについては余りつっこんだ議論が行われていません。
このことが大問題。
環境変化の実態と変化をもたらした要因を把握しないで活性化への方策を考えることが出来る・・・?
まさかそんなことが・・、といわざるを得ませんが、実際に多くの都市の計画では環境変化について紙数を費やしている例は少ないと思います。

 ほんとうは。
 我々は中心市街地をかくあらしめている要因はこれこれである。故に活性化にあたってはかくかくの事業に取り組まなければならない、という形で計画が提出されるべきだと思うのですが・・・。
環境変化を正しく把握していることは、事業が所期の目的を達成するための基本条件だと思います。
計画には人を動かす力が必要ですが、それにはまず「環境の変化をどう理解しているか」と言うことを明らかにすることが必要です。
計画を提示された人々はまず、計画の前提となっている環境変化の説明を実際の眼前の情景と比較検証してみることで、その妥当性をチェックすることが出来ます。
 環境変化の把握と対応する方向の妥当性、これが計画が人を引きつけるために持っていなければならない条件です。
もちろん、この条件を装備するためには、環境変化を理解するための「理論装備」が不可欠の前提条件になります。
このあたりをテキトーに済まそうとすれば、「商業=街の花」論的俗説を採用することになり、本末転倒、虻蜂取らずということになりかねません。
 論無き中心市街地活性化、実現を期待するのは奇跡を待つようなもの。
現実具体の取り組みでなんとかしたいと考えるなら必要な理論は手段を講じて確保しなければならないはずですね。

■「五つの不備」が意味するところ
 このことが意味するところは、中心市街地活性化のシナリオが作られていない ということです。
つまり、「シナリオ不在」

 中心市街地活性化に限らず、対象が大きく・複雑で、取り組みに時間を要する事業の場合、事業全体のスタートからゴールまでのシナリオを描くことが不可欠です。
各種の個別事業は、このシナリオを前進するための階梯ということであり、他の事業との関連を踏まえないと所期の効果を発揮することが難しいものも多々あります。単一の事業で活性化を実現できる、ということはありません。
さらに言えば、
中心市街地活性化は、「シナリオ無し」「戦略無し」で実現できる、と考えていた状況認識に問題があった、ということです。

□再確認
中心市街地活性化。
方向及び方法はとりあえず、多種多様である、と考えましょう。
いろいろな選択肢があることにして、
では、現状からスタートして「活性化された情況」に到達する過程の「シナリオ」が不要な方向&方法というものが考えられるでしょうか?
あなたのまちの中心市街地活性化、各種の事業が掲げられていることは言うまでもありませんが、それらの事業に取り組むことで実現していく、肝心要の全体のシナリオは書かれていないと思います。
年々、目先の変わった事業に取り組む、というおなじみのパターンでは効果が生まれないことはハッキリしてきましたが、ではどうするのか?
誰かが・どこかが取り組むであろう新しい事業のレポートを待ってそれを模倣する、というこれまでの路線を繰り返すのか、それともこれまでのシナリオ抜きの取り組みをきちんと総括、あらためてシナリオ作りから再スタートするのか?
どこのまちにも共通している課題です。
あらためて確認、「どうすべきか」考えてみなければならないときです。


■ 中心市街地活性化・成功の可能性

如何ですか?総務省の総括は、国レベル相互の話、地元・現場では「どうしてあんな総括が出されるような取り組みになったのか」もっとシビアに総括しなければならないことは当然です。

ウーム、これだけ不備があっては・・・、とご心配には及びません。
最初に書いたように、活性化が実現できないのは、これまでの取り組みが不備だらけだったから。各段階の不備をエイヤッと解消出来れば、洋々たる可能性が開けてくる、かも知れません。問題は解消の方向と方法でありまして、これはたぶん、当社とおつきあいいただくのが最良の方法ではないかと愚考する次第です。

 諸悪の根元は「第五の不備」であることは明白。
この不備を解消する・しなければならない、という問題意識を持つ人が徒党を組んで、藩内の守旧派を相手に一戦交えてセミナー開催にこぎ着ける、というのが「5段階の不備」解消のスタートだと思います。
他の選択肢はウームですよね。
と、言うのは簡単なのですが(笑、実行するのもそんなに難しいことでは無いはずです。

商店街活性化を阻む5段階の不備

■中心市街地活性化、「法」制定以来7年に渡り、全国ほとんどの都市で取り組まれている訳ですが、ご承知のとおり、「成功事例」がなかなか出て来ません。
そもそも何をもって「成功」とするのか、ということさえ定義・基準がない、という状況があります。
 このような状況に鑑み、総務省は昨秋、取り組みの総括を実施、『中心市街地の活性化に関する行政評価・監視』〈評価・監視結果に基づく勧告〉総務省 平成16年9月15日 を提示しました。
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040915_1_1.pdf
(ちなみに、この勧告についての当社の考察は
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=104&reno=no&oya=104&mode=msgview&page=0  で行っています。

 最近、中心市街地活性化の実現を阻んでいるのは、取り組みの5つの段階それぞれにおいて基本的な不備があるからだ、ということに思い至りました。


□各段階の不備
驚くなかれ(笑、次のような不備があります。

第一段階:「中心市街地活性化はなぜ必要か」最終目的の不備
第二段階:「中心市街地活性化を実現する」達成目標の不備
第三段階:「中心市街地活性化の目標を達成する」事業計画の不備
第四段階:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備
第五段階:「中心市街地活性化を実現する」理論・技術の不備

如何ですか。中心市街地活性化の目的・目標の設定から実践に必要な理論・知識まで取り組みを成功させるための取り組みの各段階にすべて「不備があった」?
こうしてみると、中心市街地活性化を推進する、実現するために必要な要件がことごとく不備だった、ということですね。
もしこれがほんとうだったら、「活性化なんて出来なくて当たり前」とか思いません?
これでは活性化が実現しないのも無理ありません。
大変なことですね。

大変なことですが、「ものは考えよう」でありまして。
たとえば、一から五まで、全部、完全に整備されており、それにも関わらず活性化が実現できなかった、というのならそれこそ活性化は不可能だと言うことでほんとうに大変ですが、取り組む側に不備があって出来なかったわけですから、不備を整備すれば成功する・活性化できる可能性があるということになる(笑
活性化できなかったのは、取り組みに不備があったから、と言うことが分かった、これは喜ばしいことではないでしょうか(笑

 ということで、以下、5つの不備をしっかり分析、課題を抽出、対処の方法を考えてみることにいたしましょう。

□第一段階の不備について
> 第一段階:「中心市街地活性化はなぜ必要か」最終目的の不備
Q1.中心市街地とはどこのことか?
 A 都市中心部に立地する商業機能が集積した街区のことである。
Q2.なぜそういえるか?
 A 「法」第●上「中心市街地の三要件」の1及び2を見よ
Q3 中心市街地の活性化とは何がどうなることか?
 A 中心市街地がその本来の機能である小売商業機能として再構成さ   れることである。(『TMOマニュアル』)
Q4 中心市街地活性化の目的は何か?
 A その目的は多様である。後ほど詳しく説明するが待ちきれない人   は「サイト内検索」で適宜自修しましょう。
Q5 中心市街地の活性化はなぜ必要か
 A 必要な理由は山ほどある。(下で説明します。)

 如何ですか。
このあたりはしっかり押さえておかないと、
①取り組んでいる自分たち自身の仕事の価値が分からない、誇りが持て ない、知恵がでない・・、と、当事者としてははなはだ困ったことに なる。
②関係各方面、TMO体制を担う仲間、上司&部下・議会・市民・消費 者・中心市街地以外で活性化に取り組んでいる人などなど関係者を中 心市街地活性化の必要性について説得、合意を確保することが出来な い。
③これからどんどん出てくる類似課題との競合において、「中心市街地 活性化」の優先順位を確保できない。
 (これは、競合する事業の成功を妨げることになる=例:コンパクト シティ)
○広域合併以降の都市経営における中心市街地活性化の重要性、しっかり理論武装しておかないと放置されてしまうことになりかねません。
今のうちに、しっかり頭に入れてくださいね。
特に、行政関係の人は大変だと思います。他部局と議会が共同戦線を張ったりして(笑)


□前提条件

 取り組みがスタートして7年、多くの都市がおおむね5年間は取り組んできたところですが、なかなか展望が開けません。
まず、基本計画レベルにおいて。
中心市街地活性化がなぜ必要か? 活性化するとどんなメリットがあるいかということがハッキリと理解されていない。ここが適切に理解されていないと、取り組み全体が致命的な方向ミスになると思います。

○基本的な視点としては。
1.中心市街地を新しい事業活動の場として再生させる
 新しくないと「事業活動」と言うほどのことはできない

2.新しい消費・生活ニーズの受け皿として商業機能を再構築する
 郊外型商業とは「棲み分け」を目指す。真っ正面からぶつかっても勝ち目はない。もし五分に渡り合っても将来が不安。

3.再構築は中心市街地既存の商業者の自助努力を中心とする
 他に中心市街地に出かけてきて活性化を引っ張ってくれる業種・業態・企業がありますか?
ということが前提になります。


■第二の不備について
> 第二段階:「中心市街地活性化を実現する」達成目標の不備

 中心市街地とはどこのことか、そこの何を活性化するのか?
ここが判然としていないと、「これを実現することが中心市街地活性化である」という「目標」を設定することが出来ません。
国は、中心市街地活性化を推進するにあたっては、「車の両輪」である、市街地の整備改善の事業と商業等の活性化の事業を「一体的に推進することにより実現を目指す目標」を設定することを求めていますが、
中心市街地活性化は、これを実現すれば達成される、という具体的な「一体的推進の目標」を掲げている都市はきわめて少ないでしょう。
一体的推進の目標、これが適切に設定されていないと、実施する各種事業の方向、内容、時期などが適切か否か、判断する基準がありません。それでは目標達成は難しい。

□一体的推進の目標
 中心市街地≒中心商店街を活性化することを目的に取り組まれる、市街地の整備改善(基盤整備)及び商業等の活性化(機能整備)といういわば「デザインと機能」両面について施策群を展開して何を実現しようとするのか? 対象が商業街区ですからこれはもちろん、商業機能であることは明白です。
 一体的推進の目標とは、商業機能を活性化するにあたって実現を目指す目標です。 中心市街地の場合、目標設定にあたってはいくつか超えなければならない課題があります。

1.郊外のショッピングセンター(以下[SC]と略記)をはじめとする 商業機能との関係をどのように考えれば、活性化を実現することが出 来るか?
※棲み分けを目指すのか? その場合、相手の機能の特性をどのように とらえ、みずからのポジションをどう設定するのか?

2.商業機能としての活性化を主体的に担うのは誰か?
  新しい企業群を誘致しようとするならば、彼らが進出してくるメリ ットは何か?

3.いずれにしろ、既存商業者の大多数が新たに設定する「一体的推進 の目標」の実現に向けて「その気になって」取り組むことが可能か?
 既存商業者がその気になって取り組めば、彼らの事業が活性化する目 標か?
などの課題はたちどころに直面するところです。

4.さらに。もっとも重要な課題として、
 現在、わが都市における商業機能の配置において、充足され得ない消費生活ニーズが存在するか?
そのニーズは都市既存の商業集積群では対応できないニーズなのか?
ということも考えなければならない。

○だってそうでしょう。活性化に取り組むにあたって、
1.SCを無視して、あるいはSCの模倣路線を採用したが、SCから  お客を奪うことは出来なかった。
2.誘致を見込んで施設を建設したが、応じるものがいなかった。
3.既存商業者個々の店舗について目標を与えられないと、街区の動き  と無関係に、それらはさらに劣化していく。空き店舗対策をしてい  る間も空き店舗が増える。
4.新しい消費生活ニーズは、消費者が自覚しているとは限りません。  当事者のことは当事者が一番よく知っている、というのは真っ赤な  ウソですからね。

 ついでに言っておきますと。
潜在顧客を事業に巻き込むのは、「そんな商業集積が出来たら、是非利用したい」と評価してもらうため。潜在顧客の意見通りに動けば彼らが買い物に愛用する集積になるとは限りません。
だって、彼らが「どういう商業機能が不足しているか」、一所懸命考えているはずがありませんからね。

○たとえば。
 コンビニが一軒も無いときに、住民に「24時間営業の小さなスーパーのような店を作ろうと思うがどうでしょう、夜中に買い物に来てくれますか」と聞いてみた場合を想像してみれば一目瞭然。
ほとんどの人が「そんな時間に買い物には行かない」と答えたはず。それを真に受けていたら、今でもコンビニは存在しなかったはず(笑

○本題に帰りまして。
 中心市街地、「こういう方向でこういう方法で頑張れば、活性化することが出来る」というのが「一体的推進の目標」です。
この目標が、
1.「商業集積の活性化」を目指す目標としては設定されていない
2.設定されているが、SCとの関係が意識されていない
3.誰が主体で牽引するのか定かではない
4.既存商業者の位置づけが不明確
などの不備があれば、これはもう、役に立つと期待する方が絶対おかしい事業になってしまう可能性が極めて高い、ということになります。

□目標とシナリオ
 ところで、目標は、立てれば実現する、というものでありません。
もちろん、ヒト・モノ・カネが潤沢ならばOKというものでもない。
現在から目標に到達する大まかなシナリオを描かないと、(ほんとうは)一歩も進むことができないはずです。
このシナリオが「戦略」です。
戦略がなければ目的を達成する行動を組み立てることが(ほんとうは)できません。
※戦略については、10月12日の記事参照のこと
http://quolaid.blog13.fc2.com/blog-date-20051012.html

□戦略=シナリオの不在
 これは大きいですね。「中心市街地活性化」の条件:
①対象となる街区が広い
②商業機能を始め多様な都市機能が集積している
③さまざまな事業をミックスして取り組むことが必要だ
④いろいろな立場の人の協働が不可決
⑤数年は掛かる
などを考えると、「シナリオ」抜きで実現できるとは思えません。
 皆さんの都市の『基本計画』では、活性化を実現していくためのシナリオが作られていたでしょうか?これは是非チェックしてください。
シナリオとは:我々はこのような経路をたどって中心市街地活性化を実現していく、という「構想」です。
もし、これに類するものが基本計画中に見あたらない場合、早急にシナリオを作ることが必要です。
 このことはきわめて重要なことですから、もし、なぜ必要か分からない、という人があればその旨書き込んでいただけば説明します。
書き込みがなければ、皆さんはシナリオ作りにこれから邁進する、という段階になるということなるのでしょうか。
「戦略策定」、参考になるようなことをどこかに書きたいと思います。

■第三の不備
> 第三段階:「中心市街地活性化の目標を達成する」実施計画の不備
中心市街地活性化という
①相当広い範囲の街区について
②市街地の整備及び商業等の活性化という両目に渡る事業を駆使して
③相当の期間を掛けて取り組む
というのがこの事業の特性です。

 したがって、取り組むにあたっては、
事業種別、事業期間別、事業主体別などなどさまざまに区分される多様な事業を逐次展開していくことが必要です。
言ってみればオーケストラが演奏を行うようなものです。
オーケストラの演奏に楽譜が必要なように、中心市街地活性化の取り組みには「計画」が必要です。
 ここの事業の実施計画はもちろん、中心市街地活性化という大事業における個別事業の位置づけ、他の事業との関係・条件などが計画されて初めて、ここの事業が全体の一翼を担うことになり、全体の進展が担保されます。
中心市街地活性化には事業期間中の骨格となる計画・運行表が作られていません。

□事業ミックス
 対象街区・機能・期間など、いずれを考えても、「単年度・単発事業」やその「連発」でなんとかなると言うことはありません。
「一体的推進の目標」が決定したら。
1.その目標が達成されている中心市街地の情況を想像してみる
(1)商業機能~個店の情況
(2)非物販機能
(3)通り景観
  などなど.
※特に。「そこが何であるかはそこで何が起きているかで決まる」という視点で考えれば、お客がそこで何をしているか、それはなぜか、ということは一番真剣に考えなければならないことですね。
2.それらの情況が中心市街地に起こるための条件を考え・実現する計 画を立てる
3.2で立てた各種計画を組み合わせ、効果・効率を考えて先後その他 を考える。これが事業ミックス。
4.特に、事業によっては着手の前提として事前に整備しておかなけれ ばならない条件を持っていることがあるので、事業の先後関係は十分 注意が必要です。ちなみに「個店の転換」への取り組みはなにはさて おき最優先で着手すべき事業です。
  必要な事業をおおむね3カ年の期間内に配置、先述のように事業に は準備期間も必要ですから、それも勘案しながら3カ年でモールへの 転換を軌道に乗せる事業ミックスを作る。
 といえば大仕事のようですが、やってみればそうでもない。要は個店 の転換がどんどん進んでいくことが最大必要条件です。

■第四の不備
> 第四段階:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備
 市街地の整備改善及び商業等の活性化、両事業を車の両輪として進められる中心市街地活性化の取り組みは、それぞれ立場や役割のことなるさまざまな組織、個人によって推進されます。
立場、仕事の内容、実施する場所・時間、などがさまざまな事業の基準を定めたり、実施時期を調整するという重要な機能が必要です。
TMOがそれに充てられるわけですが、事業を効果的に進めていくためには、TMOを中心に関係者がさまざまな企画調整や協働を組み立てられる体制を作ることが必要です。
 『基本計画』には行政内部における体制づくり、経営機能あるいは企画調整機能としてのTMOの設置はうたってありますが、事業を推進する「体制」の組織化については計画されておらず、計画されていたとしても実践レベルを担う商業者の位置づけなどの重要課題が未着手のままのはずです。

□あるべき組織体制
①基本計画以下のスキームをマネジメントするTMO
②実働部隊として「転換」に取り組む商業者とその組織
③支援する位置にあるセクションの活動
がそれぞれ適時適切に事業を推進することが活性化を成功させる組織面での条件です。

□組織体制は機能しているか?
 基本計画に基づき全体の取り組みについて企画調整の任にあたるTMOの威信はあまねく行き渡っているでしょうか?
TMOの威信、特に商業者に対する指導支援には、役割論だけではどうにもならない部分がある訳で、信頼(人的・技術的)関係を築き・維持するという課題がある。基本となるのは、「基本計画~一体的推進の目標~事業ミックス」 について、関係者、とりわけ商業者組織・商業者の賛同が得られていること。賛同というより、「自分の事業の命運を賭ける」という決意ですね。これがないとその気になってろ組めません。
 逆にこういう姿勢で取り組む人たちが増えると、TMOの権威はこの人たちが作り上げていくことにおなります。TMOに権威をもって所要の役割を果たしてもらわないと目的を達成することが出来ない、ということが分かっていますから。
 こうして、組織のあるべき姿を実現するにもやはり、「理論~目的-目標の共有」は絶対条件ですね。
さらに、その機能はどのように発揮されるのかと言えば、関係各方面の人たち、とりわけ商店街のみなさんが「その気になって」頑張ってくれることによって。
 それ以外にTMOが機能する方法はありません。
TMOがタウンマネジメント機構としての権威を確保できるのは、その提案する活性化策の方向と方法が商店街の「繁盛店づくり」と一致したときだけに限ります。
つまり、活性化の方向と方法についての関係者の合意を作り出しているTMOだけがTMOとしての機能を発揮することが出来るわけです。

もちろん方向と方法は、ショッピングモール(ラグジュアリィモール)を目指す
既存商店街・商店の繁盛再生への取り組みが中軸の取り組み
ということです。
TMOさん、活性化を実現したかったら、方向と方法について明確に提起できなければいかません。
さらに、提案の内容は商店主の金銭じゃなかった,琴線にふれるものであること、長~い算盤が弾けるものであること、という条件をそろえていなければならない。

 これは組織論的にはもう当たり前というか、常識というか、何でこういうことが分からないわけ?というくらいのことですからね。
TMOさんは「商店主をその気にさせる」という芸が出来ないとものの役には立たない存在といわれる羽目に必ず陥ります。
「商業者にやる気が・・・」と思ったら、「やる気が出る方向と方法を提案するのがおらっちの仕事、給与の源泉だ、と考えていただきたいものですね。

■第五の不備
> 第五の不備:「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論の不備

 もっとも根本的な不備、実はここにあります。
第一から第四までの不備は、「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論を備えておれば、ちゃんと取り組み・実現したことばかりです。
常々申し上げているように、中心市街地活性化という仕事に『整備改善・活性化法』の枠組みを用いて取り組もうとするならば、枠組みを駆使して対応しようとする「問題状況」の把握が不可欠です。
大きく変化する今日のような時代における「問題情況の把握」は静態的な経験・知識ではなく、変化を説明しうる理論を装備し、理論に基づいて行うことが大前提です。
理論の不備とは、すなわち、大前提の不備。
言ってみれば「親亀」がこけたわけですから、子亀、孫亀・・、みんなこけるのも無理はありません。

□理論装備
 環境が大きく変わっている、とは誰も口にすることですが、では、
どのように変わっているのか、何が原因で変わったのか?
ということについては余りつっこんだ議論が行われていません。
このことが大問題。
環境変化の実態と変化をもたらした要因を把握しないで活性化への方策を考えることが出来る・・・?
まさかそんなことが・・、といわざるを得ませんが、実際に多くの都市の計画では環境変化について紙数を費やしている例は少ないと思います。

 ほんとうは。
 我々は中心市街地をかくあらしめている要因はこれこれである。故に活性化にあたってはかくかくの事業に取り組まなければならない、という形で計画が提出されるべきだと思うのですが・・・。
環境変化を正しく把握していることは、事業が所期の目的を達成するための基本条件だと思います。
計画には人を動かす力が必要ですが、それにはまず「環境の変化をどう理解しているか」と言うことを明らかにすることが必要です。
計画を提示された人々はまず、計画の前提となっている環境変化の説明を実際の眼前の情景と比較検証してみることで、その妥当性をチェックすることが出来ます。
 環境変化の把握と対応する方向の妥当性、これが計画が人を引きつけるために持っていなければならない条件です。
もちろん、この条件を装備するためには、環境変化を理解するための「理論装備」が不可欠の前提条件になります。
このあたりをテキトーに済まそうとすれば、「商業=街の花」論的俗説を採用することになり、本末転倒、虻蜂取らずということになりかねません。
 論無き中心市街地活性化、実現を期待するのは奇跡を待つようなもの。
現実具体の取り組みでなんとかしたいと考えるなら必要な理論は手段を講じて確保しなければならないはずですね。

■「五つの不備」が意味するところ
 このことが意味するところは、中心市街地活性化のシナリオが作られていない ということです。
つまり、「シナリオ不在」

 中心市街地活性化に限らず、対象が大きく・複雑で、取り組みに時間を要する事業の場合、事業全体のスタートからゴールまでのシナリオを描くことが不可欠です。
各種の個別事業は、このシナリオを前進するための階梯ということであり、他の事業との関連を踏まえないと所期の効果を発揮することが難しいものも多々あります。単一の事業で活性化を実現できる、ということはありません。
さらに言えば、
中心市街地活性化は、「シナリオ無し」「戦略無し」で実現できる、と考えていた状況認識に問題があった、ということです。

□再確認
中心市街地活性化。
方向及び方法はとりあえず、多種多様である、と考えましょう。
いろいろな選択肢があることにして、
では、現状からスタートして「活性化された情況」に到達する過程の「シナリオ」が不要な方向&方法というものが考えられるでしょうか?
あなたのまちの中心市街地活性化、各種の事業が掲げられていることは言うまでもありませんが、それらの事業に取り組むことで実現していく、肝心要の全体のシナリオは書かれていないと思います。
年々、目先の変わった事業に取り組む、というおなじみのパターンでは効果が生まれないことはハッキリしてきましたが、ではどうするのか?
誰かが・どこかが取り組むであろう新しい事業のレポートを待ってそれを模倣する、というこれまでの路線を繰り返すのか、それともこれまでのシナリオ抜きの取り組みをきちんと総括、あらためてシナリオ作りから再スタートするのか?
どこのまちにも共通している課題です。
あらためて確認、「どうすべきか」考えてみなければならないときです。


■ 中心市街地活性化・成功の可能性

如何ですか?総務省の総括は、国レベル相互の話、地元・現場では「どうしてあんな総括が出されるような取り組みになったのか」もっとシビアに総括しなければならないことは当然です。

ウーム、これだけ不備があっては・・・、とご心配には及びません。
最初に書いたように、活性化が実現できないのは、これまでの取り組みが不備だらけだったから。各段階の不備をエイヤッと解消出来れば、洋々たる可能性が開けてくる、かも知れません。問題は解消の方向と方法でありまして、これはたぶん、当社とおつきあいいただくのが最良の方法ではないかと愚考する次第です。

 諸悪の根元は「第五の不備」であることは明白。
この不備を解消する・しなければならない、という問題意識を持つ人が徒党を組んで、藩内の守旧派を相手に一戦交えてセミナー開催にこぎ着ける、というのが「5段階の不備」解消のスタートだと思います。
他の選択肢はウームですよね。
と、言うのは簡単なのですが(笑、実行するのもそんなに難しいことでは無いはずです。

「まちづくり三法」の見直し

●はじめに
商店街ではよく「大店法が撤廃されてから空洞化が進んだ」といわれます。
では『大店法』時代には商店街は賑わっていたのかといえば、残念ながら、大店法が施行されていた当時も着実?に空洞化は進んでいました。

○どうしてそういえるのか?
大店法時代、商店街では「大型店対策」がほとんど取り組まれなかった、という事実がありますからね。
多くの商店街連合組織が、調整4項目、特に店舗面積と開店日について、出来るだけ削減、出来るだけ遅く、という方針で商調協に臨んだことと思います。
開店時期についえては、「対応する時間が必要だ」ということにしてなるべく・出来るだけ遅くしたものです。

○で、開店が延期されたその間、どのような大型店対策が講じられたか といいますと、これがほとんど対策らしい対策は立てないままで開店日を迎える、というパターンが全国で繰り広げられたと思います。
もちろん皆さん、出来ればしっかり対策を講じて大型店に一泡吹かせてやりたい気持ちはやまやまなれど、正直なところ、何をどうしたらよいか分からない、というのが当時の状況でした。
当時の常識は、「小売業は立地商売」ということでしたから、調整4項目をどう調整したところで、向こうは確かに困るでしょうが、だからといって商店街の立地がちょっとでもよくなるかと言えば、もちろんそんなことはありません。

○ということを重々承知の皆さんですから、「車立地、無料駐車場ン百台だろ、勝ち目はないさね。」やることはな~んもない、せいぜい、開店日前後に販促イベントに取り組む位のことでした。
繰り返しますが、当時としてはどうしようも無かったと思います。
したがって、商店街の空洞化はどんどん進みました。
不思議なことに、大型店の出店が無かったまちの商店街も同じように空洞化が進みました。

○あれから○○年(笑、あらためて出店協議が行われそうな雲行きですが、これはよほど気を付けないと「贔屓の引き倒し」になりかねません。
という話はあらためて別スレッドで進めるとしまして。

●「まちづくり三法」の見直しが進められているそうです。
たぶん、次のようなスキームが立てられるのではないでしょうか。
1.コンパクトシティ化の推進
2.賑わい創出
3.魅力ある個店づくり
この三点セットは、年来、国が提唱している方向ですね。
さらに、1及び2から「出店調整」あるいは「出店協議」が制度化される可能性があります。
問題は、この三点セットの取り組みを一体的に進めることが出来るだろうか、ということです。これについても後回し。

○さて今日取り上げるのは「魅力ある個店づくり」という課題。
まちづくりの「三点セット」の推進について、どれだけ多様な施策が準備され・講じられても、とどのつまり、商店街既存の各個店が「売れる店」「繁盛する店」へと様変わりしないことには、すべての取り組みが水の泡に終わることは言うまでもありませんが、さて、「売れない店」から「売れる店」への転換はどのような段取りで進めようとするのか?

○これはTMO以下の皆さん、とりわけ、商店街のリーダー、役員さんたちの両肩にずっしり掛かっている課題ですが、気づいている人は少数派です。
大方は、「大店法が還ってくるかも」と一安心かも知れません。
しかし、ぶっちゃけ、今どきの大型店は商店街をライバルなどとは見なしておりません。けんか相手は一に同業他社、二にフリースタンディングのカテゴリーキラーであり、商店街は「問題外」なのであります。

○「売れる店づくり」の方向と方法を確立すること。
これが商店街に回り回ってきた最後のチャンスだと思います。
今度こそ、「大店法」当時の拱手傍観ではなく、「売れる店づくり」へのチャレンジで新規出店を迎え撃たなければならない。
これは必ず出来ます。

○万一、前例同様で終始するならこの揺り戻しは大きいですからね。
仏の顔も二度三度、今度は消費者、議会(中心部以外の議員が圧倒的ですよね)、財政の三位一体での取り組みへの評価が行われます。
今までのようにイベントやスタンプカードでお茶を濁すことは許されません。はっきり、「売れる店」「繁盛する店」へ生まれ変わらなければならない。
「魅力ある個店」って「買い物行き先として魅力がある」と言うことですからね。
胸に手を当てて自問自答しなければならない。
おらっちの商店街、どうすれば「売れる店」が軒を連ねる「活性化された商店街」への道を歩くころが出来るだろうか? と。


◆コンパクトシティ

○アルバート・シュペールという人をご存じですか?
元ナチスドイツの軍需相です。
敗戦後ニュルンベルグ国際軍事法廷で禁固20年の計を宣告されました。
ということはさておき。この人はもともと建築家で、ヒトラー(建築家志望だった)の側近としてナチスの建造物多数を設計しました。
ヒトラーが「パリとウイーンをしのぐ都市を建造する」と称して取り組んだ「ベルリン都市計画」の推進にあたり、帝国首都建設総監に任ぜられ、腕を振るいました。
 『回想録(邦訳タイトル「ナチス凶器の内幕」)』(1982 読売新聞社)に当時のことを書いています。ちなみに彼は31~45年の間ヒトラーに仕えました(彼曰く「ヒトラーに友人がいたとすれば数少ないその一人は私である」)。

○「都市を計画に基づいて建設する」あるいは改造するという仕事は、古今東西、圧倒的な権力者(その多くは独裁者)にしか出来ない仕事です。やった人:秦の始皇帝に始まり、目下のところ、ヒトラーまで。うちらでは福原遷都とか。

●コンパクトシティ話です(笑
 主要な都市機能を都市中心部にコンパクトにまとめよう、ということだと思いますが、言うは易し、いざやるとなるととんでもない負担が生じ、かつ、成果は余り期待できない、ということになるのではないか。中心部、所有権も錯綜しており、財政的なキャパから考えてもなかなかおいそれと進まないのではないでしょうか。

○大きな課題はこの大事業に取り組む「目的は何か」ということです。 漠たる「中心市街地活性化」とか「賑わい創出」等を目指して取り組むと、ホント、とんでもないことになりますからね。
 特に商店街のみなさんは、
①昔繁盛してた頃は商店街に人があふれていた。
②繁盛しなくなったのは人が少なくなったから、
などと素人まんまの「いいわけ」を考えだし、
③人通りが多くなれば、店を繁盛させる自信がある
などと全く裏付けに乏しいことをおっしゃる。
こういう人の発言力が「中心市街地活性化のためのコンパクトシティ」を高く評価することにつながります。

○学校・病院・図書館・官庁などなど。
 それらの機能がそれぞれの機能を十全に発揮するために中心市街地こそが好立地である、という場合は別ですが、中心市街地活性化のため、というのはいただけない。
機能は不全、活性化は不可能という「虻蜂取らず」になりかねません。

○中心市街地活性化、ー「法」の規定によればとりわけ商業街区のことですが-の実現は、「買い物の場としての再生」以外の手法では不可能ですからね。このことは声を大に言っておかなければならない。
特に商店街のみなさんは、街に人が帰ってくる、等と浮かれて「売れる店づくり」をほったらかしにしていると、とんでもないことになること、間違いありません。
木の根っこにころり転げた兎を「待ちぼうけ」した猟師の二の舞になりかねません。

○猟師は歌の中での話、商店街は生身の話。
 商店街は、何が・どうなろうとも・「売れる店づくり」という仕事に最優先で取り組まなければならない。
それが中心市街地活性化を支援して頂く関係各方面に対するご恩返し。いいですね、自分が儲かればご恩返しになるんですから(笑
でも、どういう訳か儲け話には乗りたくない???


◆賑わいづくり

●「コンパクトシティ」に追加。
 ポスト工業社会/スローライフ/時間堪能型社会という文脈で、理念としてのコンパクトシティを掲げる、すなわち、改造・建設ニーズが発生した案件については、努めて中心市街地及びその周辺に適地を選定する、というのは大いに結構かと思います。

○私が疑問とするのは、
①中心市街地活性化の方策として
②集人機能を中心市街地に集約する という方策です。
 効果が期待できないし、第一、コンパクトシティという概念は、中心市街地活性化手法として云々するにはちとでかすぎる。

●さて賑わいづくり話
 「魅力ある個店づくり」と区別して取り上げられる「賑わいづくり」とは、すなわち、
[買い物以外の目的で来街する人を増やす ]ことを意味します。
「もの余り時代」、物売りではなかなか人を呼べないから、「物売り以外の方法で人を集める」等と注釈が付けられたりします。
賑わいづくりで店前通行量が増えればものが売れるようになる(のだそうです)。
 商店街の全盛時代、確かに通りは人通りが多く賑わっていました。しかし、その賑わいは「買い物の場」の魅力で人が集まり・ものが売れていたからこその賑わいでした。それを誤解して、「人が集まればものが売れる」と思いこみ、「物売りよりまず賑わいづくり」というわけです。

○ところが。
 もの余り時代に、買い物以外の目的で人を集めるわけですから、集まってきた人たちに「買い物客」に変身してもらわなければならない。買い物以外の目的で街に来た人に買い物をしてもらう、「もの余り・もの離れ」顕著なこの時代に、というわけです。つまり、「買い物する気はなかったのに、お店を見たら・商品を見たらすごく気に入ったので買っちゃった」と言う「衝動購買」がドンドン起こらないと、賑わいが商店街の活性化=繁盛店の連袂実現につながりません。
 そこで、カギとなる「衝動購買」について考えてみましょう。
ご存じの方も多いと思いますが、「衝動購買」は非計画的購買とも言われまして、その商品を見るまでは全く買う気がなかったのに、その商品を見たとたん欲しくてたまらなくなり買ってしまった、という購買パターンのことですね。

○衝動購買、買う気がなかったのに買う気になる・・・・。
 その気になってもらうには、よほど「魅力ある個店」が出来上がっていないと無理ですね。「活性化しなければならない」というレベルのお店でドンドン起こることではないと言うことはご明察の通りです。
つまり、「魅力ある個店」が軒を連ねる段階に至っていない商店街が、賑わい創出などと称して、イベントその他で来街者をいくら集めても、それが売り上げに結びつくことはない、ということになります。
 早い話。今どき、商店街のイベントに誰が「せっかく行くんだからいろいろショッピングしなくちゃ」を財布をふくらませて来ますか。

●賑わい創出、少なくとも中心市街地活性化・商店街活性化を目的に取り組まれるとしたら、やる前から「失敗」が決まっています。


◆魅力ある個店づくり

●これこそ大本命(笑
 だが、大急ぎで断っておきますが「魅力ある個店」とは、
①魅力のある商品が揃っている
②接客サービスが行きとどいている
③店舗内外の環境演出もOK
という三拍子揃ったお店のことですからね。

①ファサードのデザインに魅力がある
②店主のキャラクターに魅力がある
③チラシの目玉に魅力がある
等々も魅力には違いありませんが、「繁盛店づくり」とは直接関係ありません。
「繁盛店」とは「買って帰って生活で使うととても満足できる商品」が揃っており、サービス接客抜群、環境雰囲気言うこと無し、ということで得意客多く、新規客多く、新規客から得意客になっていく人も多い、というお店のことですからね。

○コンパクトシティ話、賑わいづくりなどに「ひょっとしたら・・・」 うちの店もまた売れるようになるかも知れない、などと心が動いてしまうようでは覚悟が足りません。
この時期、売り上げが低迷しているお店・店主がやるべきことは、たった一つしかありません。
何が何でももう一度お店に繁盛を再現すること。

●あなたのお店が繁盛すると言うことは、
①お客の生活満足が達成される
②商店街に買い物客が増える
③買い物目的の回遊が増える
④買い物客で街が賑わう
⑤物販以外の機能の立地が増える
ということで、すべては、あなたのお店の繁盛からしか始まりません。
もちろん、繁盛すればあなたの「五重の課題」への取り組みの基盤が固まることは言うまでもありません。

○さて、この時期、空洞化著しい中心市街地で「繁盛店」を作っていくためには何が必要か?
「魅力ある個店」はどう作るか?
という話は、クオールエイドのホームページのあちこちでイヤと言うほど展開していますから、あらためて確認してください。

http://www.quolaid.com

「まちづくり三法」の見直し

●はじめに
商店街ではよく「大店法が撤廃されてから空洞化が進んだ」といわれます。
では『大店法』時代には商店街は賑わっていたのかといえば、残念ながら、大店法が施行されていた当時も着実?に空洞化は進んでいました。

○どうしてそういえるのか?
大店法時代、商店街では「大型店対策」がほとんど取り組まれなかった、という事実がありますからね。
多くの商店街連合組織が、調整4項目、特に店舗面積と開店日について、出来るだけ削減、出来るだけ遅く、という方針で商調協に臨んだことと思います。
開店時期についえては、「対応する時間が必要だ」ということにしてなるべく・出来るだけ遅くしたものです。

○で、開店が延期されたその間、どのような大型店対策が講じられたか といいますと、これがほとんど対策らしい対策は立てないままで開店日を迎える、というパターンが全国で繰り広げられたと思います。
もちろん皆さん、出来ればしっかり対策を講じて大型店に一泡吹かせてやりたい気持ちはやまやまなれど、正直なところ、何をどうしたらよいか分からない、というのが当時の状況でした。
当時の常識は、「小売業は立地商売」ということでしたから、調整4項目をどう調整したところで、向こうは確かに困るでしょうが、だからといって商店街の立地がちょっとでもよくなるかと言えば、もちろんそんなことはありません。

○ということを重々承知の皆さんですから、「車立地、無料駐車場ン百台だろ、勝ち目はないさね。」やることはな~んもない、せいぜい、開店日前後に販促イベントに取り組む位のことでした。
繰り返しますが、当時としてはどうしようも無かったと思います。
したがって、商店街の空洞化はどんどん進みました。
不思議なことに、大型店の出店が無かったまちの商店街も同じように空洞化が進みました。

○あれから○○年(笑、あらためて出店協議が行われそうな雲行きですが、これはよほど気を付けないと「贔屓の引き倒し」になりかねません。
という話はあらためて別スレッドで進めるとしまして。

●「まちづくり三法」の見直しが進められているそうです。
たぶん、次のようなスキームが立てられるのではないでしょうか。
1.コンパクトシティ化の推進
2.賑わい創出
3.魅力ある個店づくり
この三点セットは、年来、国が提唱している方向ですね。
さらに、1及び2から「出店調整」あるいは「出店協議」が制度化される可能性があります。
問題は、この三点セットの取り組みを一体的に進めることが出来るだろうか、ということです。これについても後回し。

○さて今日取り上げるのは「魅力ある個店づくり」という課題。
まちづくりの「三点セット」の推進について、どれだけ多様な施策が準備され・講じられても、とどのつまり、商店街既存の各個店が「売れる店」「繁盛する店」へと様変わりしないことには、すべての取り組みが水の泡に終わることは言うまでもありませんが、さて、「売れない店」から「売れる店」への転換はどのような段取りで進めようとするのか?

○これはTMO以下の皆さん、とりわけ、商店街のリーダー、役員さんたちの両肩にずっしり掛かっている課題ですが、気づいている人は少数派です。
大方は、「大店法が還ってくるかも」と一安心かも知れません。
しかし、ぶっちゃけ、今どきの大型店は商店街をライバルなどとは見なしておりません。けんか相手は一に同業他社、二にフリースタンディングのカテゴリーキラーであり、商店街は「問題外」なのであります。

○「売れる店づくり」の方向と方法を確立すること。
これが商店街に回り回ってきた最後のチャンスだと思います。
今度こそ、「大店法」当時の拱手傍観ではなく、「売れる店づくり」へのチャレンジで新規出店を迎え撃たなければならない。
これは必ず出来ます。

○万一、前例同様で終始するならこの揺り戻しは大きいですからね。
仏の顔も二度三度、今度は消費者、議会(中心部以外の議員が圧倒的ですよね)、財政の三位一体での取り組みへの評価が行われます。
今までのようにイベントやスタンプカードでお茶を濁すことは許されません。はっきり、「売れる店」「繁盛する店」へ生まれ変わらなければならない。
「魅力ある個店」って「買い物行き先として魅力がある」と言うことですからね。
胸に手を当てて自問自答しなければならない。
おらっちの商店街、どうすれば「売れる店」が軒を連ねる「活性化された商店街」への道を歩くころが出来るだろうか? と。


◆コンパクトシティ

○アルバート・シュペールという人をご存じですか?
元ナチスドイツの軍需相です。
敗戦後ニュルンベルグ国際軍事法廷で禁固20年の計を宣告されました。
ということはさておき。この人はもともと建築家で、ヒトラー(建築家志望だった)の側近としてナチスの建造物多数を設計しました。
ヒトラーが「パリとウイーンをしのぐ都市を建造する」と称して取り組んだ「ベルリン都市計画」の推進にあたり、帝国首都建設総監に任ぜられ、腕を振るいました。
 『回想録(邦訳タイトル「ナチス凶器の内幕」)』(1982 読売新聞社)に当時のことを書いています。ちなみに彼は31~45年の間ヒトラーに仕えました(彼曰く「ヒトラーに友人がいたとすれば数少ないその一人は私である」)。

○「都市を計画に基づいて建設する」あるいは改造するという仕事は、古今東西、圧倒的な権力者(その多くは独裁者)にしか出来ない仕事です。やった人:秦の始皇帝に始まり、目下のところ、ヒトラーまで。うちらでは福原遷都とか。

●コンパクトシティ話です(笑
 主要な都市機能を都市中心部にコンパクトにまとめよう、ということだと思いますが、言うは易し、いざやるとなるととんでもない負担が生じ、かつ、成果は余り期待できない、ということになるのではないか。中心部、所有権も錯綜しており、財政的なキャパから考えてもなかなかおいそれと進まないのではないでしょうか。

○大きな課題はこの大事業に取り組む「目的は何か」ということです。 漠たる「中心市街地活性化」とか「賑わい創出」等を目指して取り組むと、ホント、とんでもないことになりますからね。
 特に商店街のみなさんは、
①昔繁盛してた頃は商店街に人があふれていた。
②繁盛しなくなったのは人が少なくなったから、
などと素人まんまの「いいわけ」を考えだし、
③人通りが多くなれば、店を繁盛させる自信がある
などと全く裏付けに乏しいことをおっしゃる。
こういう人の発言力が「中心市街地活性化のためのコンパクトシティ」を高く評価することにつながります。

○学校・病院・図書館・官庁などなど。
 それらの機能がそれぞれの機能を十全に発揮するために中心市街地こそが好立地である、という場合は別ですが、中心市街地活性化のため、というのはいただけない。
機能は不全、活性化は不可能という「虻蜂取らず」になりかねません。

○中心市街地活性化、ー「法」の規定によればとりわけ商業街区のことですが-の実現は、「買い物の場としての再生」以外の手法では不可能ですからね。このことは声を大に言っておかなければならない。
特に商店街のみなさんは、街に人が帰ってくる、等と浮かれて「売れる店づくり」をほったらかしにしていると、とんでもないことになること、間違いありません。
木の根っこにころり転げた兎を「待ちぼうけ」した猟師の二の舞になりかねません。

○猟師は歌の中での話、商店街は生身の話。
 商店街は、何が・どうなろうとも・「売れる店づくり」という仕事に最優先で取り組まなければならない。
それが中心市街地活性化を支援して頂く関係各方面に対するご恩返し。いいですね、自分が儲かればご恩返しになるんですから(笑
でも、どういう訳か儲け話には乗りたくない???


◆賑わいづくり

●「コンパクトシティ」に追加。
 ポスト工業社会/スローライフ/時間堪能型社会という文脈で、理念としてのコンパクトシティを掲げる、すなわち、改造・建設ニーズが発生した案件については、努めて中心市街地及びその周辺に適地を選定する、というのは大いに結構かと思います。

○私が疑問とするのは、
①中心市街地活性化の方策として
②集人機能を中心市街地に集約する という方策です。
 効果が期待できないし、第一、コンパクトシティという概念は、中心市街地活性化手法として云々するにはちとでかすぎる。

●さて賑わいづくり話
 「魅力ある個店づくり」と区別して取り上げられる「賑わいづくり」とは、すなわち、
[買い物以外の目的で来街する人を増やす ]ことを意味します。
「もの余り時代」、物売りではなかなか人を呼べないから、「物売り以外の方法で人を集める」等と注釈が付けられたりします。
賑わいづくりで店前通行量が増えればものが売れるようになる(のだそうです)。
 商店街の全盛時代、確かに通りは人通りが多く賑わっていました。しかし、その賑わいは「買い物の場」の魅力で人が集まり・ものが売れていたからこその賑わいでした。それを誤解して、「人が集まればものが売れる」と思いこみ、「物売りよりまず賑わいづくり」というわけです。

○ところが。
 もの余り時代に、買い物以外の目的で人を集めるわけですから、集まってきた人たちに「買い物客」に変身してもらわなければならない。買い物以外の目的で街に来た人に買い物をしてもらう、「もの余り・もの離れ」顕著なこの時代に、というわけです。つまり、「買い物する気はなかったのに、お店を見たら・商品を見たらすごく気に入ったので買っちゃった」と言う「衝動購買」がドンドン起こらないと、賑わいが商店街の活性化=繁盛店の連袂実現につながりません。
 そこで、カギとなる「衝動購買」について考えてみましょう。
ご存じの方も多いと思いますが、「衝動購買」は非計画的購買とも言われまして、その商品を見るまでは全く買う気がなかったのに、その商品を見たとたん欲しくてたまらなくなり買ってしまった、という購買パターンのことですね。

○衝動購買、買う気がなかったのに買う気になる・・・・。
 その気になってもらうには、よほど「魅力ある個店」が出来上がっていないと無理ですね。「活性化しなければならない」というレベルのお店でドンドン起こることではないと言うことはご明察の通りです。
つまり、「魅力ある個店」が軒を連ねる段階に至っていない商店街が、賑わい創出などと称して、イベントその他で来街者をいくら集めても、それが売り上げに結びつくことはない、ということになります。
 早い話。今どき、商店街のイベントに誰が「せっかく行くんだからいろいろショッピングしなくちゃ」を財布をふくらませて来ますか。

●賑わい創出、少なくとも中心市街地活性化・商店街活性化を目的に取り組まれるとしたら、やる前から「失敗」が決まっています。


◆魅力ある個店づくり

●これこそ大本命(笑
 だが、大急ぎで断っておきますが「魅力ある個店」とは、
①魅力のある商品が揃っている
②接客サービスが行きとどいている
③店舗内外の環境演出もOK
という三拍子揃ったお店のことですからね。

①ファサードのデザインに魅力がある
②店主のキャラクターに魅力がある
③チラシの目玉に魅力がある
等々も魅力には違いありませんが、「繁盛店づくり」とは直接関係ありません。
「繁盛店」とは「買って帰って生活で使うととても満足できる商品」が揃っており、サービス接客抜群、環境雰囲気言うこと無し、ということで得意客多く、新規客多く、新規客から得意客になっていく人も多い、というお店のことですからね。

○コンパクトシティ話、賑わいづくりなどに「ひょっとしたら・・・」 うちの店もまた売れるようになるかも知れない、などと心が動いてしまうようでは覚悟が足りません。
この時期、売り上げが低迷しているお店・店主がやるべきことは、たった一つしかありません。
何が何でももう一度お店に繁盛を再現すること。

●あなたのお店が繁盛すると言うことは、
①お客の生活満足が達成される
②商店街に買い物客が増える
③買い物目的の回遊が増える
④買い物客で街が賑わう
⑤物販以外の機能の立地が増える
ということで、すべては、あなたのお店の繁盛からしか始まりません。
もちろん、繁盛すればあなたの「五重の課題」への取り組みの基盤が固まることは言うまでもありません。

○さて、この時期、空洞化著しい中心市街地で「繁盛店」を作っていくためには何が必要か?
「魅力ある個店」はどう作るか?
という話は、クオールエイドのホームページのあちこちでイヤと言うほど展開していますから、あらためて確認してください。

http://www.quolaid.com

小売吸引力理論 (ライリー&ハフ) 批判

※お断り:長文につき、興味のある人は印刷して読まれることをおすすめします

●はじめに
 前回の記事。福島県の「商業まちづくり条例」について、現時点で懸念されるところを書きました。
「出店調整」といえば、『大店法』時代を思い出します。大型店が出店すれば、商店街など既存の商業集積にどのような影響を与えるか、予測して売り場面積等を「調整」する根拠にされました。福島県ではどのような判断をもって「調整」されるのか、早く条例を見たいものです。こういうときには、新しく出店する商業集積がどのくらい顧客を吸引するのか、客観的に判定できるといいですよね。

 『大店法』が施行されていた当時は、「商業集積の購買吸引力理論(以下「小売吸引力理論」)というものがありまして(今もあるようですが)、購買吸引力は「集積の面積の二乗に比例し、距離の二乗に反比例する」という「ライリーの法則」や、距離を時間距離に置き換えたハフモデル、修正ハフモデルなどが「大型店の影響」を判定するツールとして用いられました。
 これから全国的に波及して行くであろう「商業まちづくり条例」ですが、ひょっとしたら、あくまで「ひょっとしたら」でありますが、「影響度合い」の判定に購買吸引力理論」が用いられることがありかも知れません。
 転ばぬ先の杖、ここで「小売吸引力理論」とはどういう代物なのか、とくと検討しておきたいと思います。

●「小売吸引力理論」は、1930年代、米国のライリーさんという学者によって開発された「ライリーの法則」:「二つの都市の間に位置するコミュニティの住民が二つの都市の商店街のいずれかに出向く確率は、商店街の面積の二乗に比例し、コミュニティ~都市間の距離の二乗に反比例する」が基本になっています。
我が国ではスーパーマーケットなどの出店にあたっての「市場予測」に用いるために導入されたのがスタートです。
 実は私自身、かって、これらの手法で予測した売上げが達成されたかどうか、知り合いの企業や共同店舗にヒアリングをしたことがあります。結果はほとんど信頼に値しない。ことごとくはずれるんですが、それも+だったり-だったり一貫性がない。
 もちろん、ここでの検討は、「共同店舗で聞いたらそう言っていた、だから吸引力算定方式はおかしい」ということを言いたいのではありません。
 そもそも、商業集積の小売吸引力を評価する手法としてこういう手法を用いること自体が(算定の結果はどうであれ)おかしい、バカじゃないの、ということです(W)
 以下、手法として如何におバカな方法か、ということをきちんと論じますから、だまされないよう、眉につばを付けてしっかり検討してください。

◆その1:ライリー説
●ライリーさんを創唱者とする小売吸引力計算手法とは、
1.二つの都市の間に位置するコミュニティ(郡部)から、
2.買い回り品の買い物について
3.どちらの都市に出かける確率が高いか?
ということを計算する手法です。

○この場合忘れてはいけないことは、ライりーさんの仮説の前提条件です。
1.対象になる消費購買行動は、「買い回り品」である。
2.当時は米国にも「郊外型ショッピングセンター」はまだ存在しなかった。
3.したがって、比較されたのは両方の都市の中心商店街同士だった。
ということですね。

○つまり、
1.最寄り品の買い物には通用しない。
2.ショッピングセンターには通用しない。
3.田舎(二つの都市に挟まれた)から都市へ出かける買い物、限定の話。
だったわけです。(この部分は後ほど説明します)

○ライりーさんに追随した人たちは、彼が明記していた仮説の適用範囲〔中心商店街間〕を忘れ、適用範囲を拡大解釈して、「小売業の吸引力=競争力」計算一般に通用する手法だ、としてしまいました。
まずこれが「拡大解釈」であり、間違いだ、と言うことを説明しておきましょう。

○繰り返しますが、ライリーさんが手法を発案した当時の用途はあくまでも
1.二つの都市の中間に位置する地区から、
2.買い回り品の買い物について
3.どちらの都市に出かける確率が高いか? ということであり、

>1.最寄り品の買い物には通用しない。
なぜか?
最寄り品(食料など日用品)の買い物についてはわざわざ都会まで出かけなくても 自分の町で事足りるから。

>2.ショッピングセンターには通用しない。
なぜか?
ショッピングセンターの場合は後で説明するように、来訪=購買目的がはっきりしており、「確率」などに頼る必要がない。

>3.田舎から都市へ出かける買い物、限定の話。
 ライリーさんによってこの仮説が作られた時代というのは、田舎に住んでいる人は日常の買い物については自分の住んでいる町で済まし、ファッションなど買い回り品については年に何度か母都市の中心商店街に出かける、という消費購買行動が普通でした。
 しょっちゅう出かける訳ではありませんから、行きつけの店があるわけでもありません。なにしろ、たま~にしか行かないわけですからね。どちらの商店街に行った方がよいか?というはっきりした評価を持っていません。

○そういう人が、「買い回り品」について自分の希望する商品を見つけることが出来る可能性、どちらが高いかと言えば当然、店舗数が多い商店街に決まっています。
 商店街というのは「自然発生的商業集積」ですから、「計画的商業集積」すなわち、特定の購買動機に対応することを目的に計画的に作られた集積ではありません。いろんな店舗が雑然と集まっているわけですね。雑然としたお店の集合体に出掛けてお目当ての商品を売っているお店が見つかる確率は、お店の多い商店街と少ない商店街、どちらが高いか? 考えるまでもなく、売り場面積が広い・お店の数が多い方の商店街ですね。

○そうしますと、「どちらの街に出かけようか」と考え他とき、たくさん店舗がある商店街の方が自分の気に入る商品が手に入りやすいだろう、とい漠然とした可能性やそこまでの所要時間などから行き先を選択することが合理的、と考えられたのでしょう。もちろんこの時代にも「行きつけの店」がある人にとっては、上述のようなあやふやなデスティネーション選択はありません。さっさと行きつけのお店のある都市に出かけるわけですね。

●ショッピングセンターの場合。 ショッピングセンターが登場するのは、もっと後の時代です。 情報ということでは都市と田舎の差が縮まり、移動手段もマイカー主体です。

○アメ リカのショッピングセンターは、ご承知の人も多いと思いますが、
A:毎日型の買い物
B:コストを基準にした買い物
C:「こだわり」主体の買い物
というように、お客の買い物動機に合わせた売り場構成=テナントミックスで計画的に集積が作られています。

○Aの核はスーパーマーケット、Bの核はデスカウントストア、カテゴリキラー、Cの核は百貨店、GMSとそれぞれお客の購買目的別になっています。
 したがって、AとB,Cは競合関係にありません。また、Aタイプのショッピングセンターを選択する場合も、面積(テナント数)や距離(or時間距離)ではなくて、自分が今使用としている買い物の行き先としてどこがふさわしいか、ということを基準に選ばれます。売り場面積だとか時間距離だとか、買い物目的(つまり、商品を買って持ち帰ること)と関係のないレベルの数字をいじくって算出できるようなことが基準になるのではありません。

●ということで、ショッピングセンターが登場した段階でこのような「吸引力」と いう考え方は消滅すべきだったのです。それが今日に至るまで依然として「出店計画策定のツール」などと考えられているのは、もともと仮説が成立するための前提(つまり田舎から都心に出かける買い物に限って成立する仮説)について書かれていたことを前提を省略して輸入した日本の先生方のお説を鵜呑みにした結果であり、もっと追求すれば自分自身で仮説の根拠を確認してみる、という作業を省略する、 我が国の伝統的な思考習慣にまで遡ることができるのであります。
 「活性化」の定義もしないまま活性化事業に取り組む思考パターンと相通じるものがありますね。

◆その2 ハフ説
●「ハフモデル」はもっとひどい。
  ご承知のとおり、これは、「ある地域に住む消費者が、ある商業集積で購入する確率は、商業集積の規模に比例し、そこに到達する時間距離の2乗に反比例する」という仮説ですね。
 検索掛けてみるとあるわあるわ、論文、調査研究事例、はては計算ソフトまで。

○原型は先述したように、ライリーさんが1930年頃、もちろんショッピングセンターなどは影も形も無かった時代の、米国のコミュニティにおける買い回り型消費の流出について立てた仮説です。
 ライリー説は、当時の米国のコミュニティ住民の買い回り型購買行動解明の「一次アプローチとしては」妥当だったと思います。
 ただし、ショッピングセンター全盛の今日には全く通用しない仮説だということは既に検討したとおりです。

○さて、ハフさんは、ライリーさんの仮説を拡大膨張させて、何と、
1.ショッピングセンター時代において、
2.消費者がある商業集積に買い物に出かける確率は、商業集積の規模に比例し、
3.そこまでの時間距離の二乗に反比例する、 という仮説を提出したわけです。
(この仮説をもとにいろんな手法が案出されているようですが、全てはこの仮説が 大前提になっています。つまり、この仮説が崩壊すれば手法は全て、文字通り、砂上の楼閣となるわけです。たとえば修正ハフモデルとか)

○「商業集積」は、計画性の有無で三つに区分することが出来ます。
1.自然成長的商業集積:例えば商店街、郊外のロードサイド集積
2.計画的商業集積:例えば当社がいう「商業集積の3類型」に該当する商業集積。 特定の購買目的に対するデスティネーションを計画的なテナ ントミックスで作りあげている商業集積。
3.どっちつかず:施設は「計画」されているが、デスティネーションは計画されていない、我が国既存の郊外型ショッピングセンターのオープン当初はこういうものでした。
 さて、ある地区にこれら三つの類型の商業集積が一個ずつあったとして、それらの 集積相互の間にハフさんが言うような関係が成立するものでしょうか? 

○分かりや すくするために例を出してみましょう。
 A,B,Cという商業集積があったとしてそれぞれ上の1,2,3という性格の 集積だったとしましょう。
ハフ理論によれば、三つの異なった機能を果たしている商業集積群のちょうど真ん中(時間距離的)に住んでいる人が、ある集積に買い物に確率は、その集積の「規模」によって決まることになります。
 そんな馬鹿なことがありますか?

○あり得る購買行動は次の通りでしょう。
1.ある購買ニーズが発生する。
2.自分が知っているお店を思い浮かべてどこがもっとも適切なデスティネーション (買い物目的を基準にした行き先)であるかを判断する。
3.最適と思われる集積(に)所属する個店に出かける。 (このとき、デスティネーションはその人が当該買い物についてどのような「客相」としての基準を持っているか、ということで変化します)
 如何ですか?
 この場合、集積の規模などなんの関係もありませんね。
(このことは「時間距離」についても全く同じように言えることです。)

○大事なことは、お客は、商業集積の規模や時間距離よりも、どこが自分のデスティネーションとしてもっともふさわしい行き先か、という判断をもとに行動する、ということです。
 この判断の基になる情報は既に持っています。少なくとも「商業集積の規模」や 「時間距離」を知っている商業集積なら、どういう店舗があるか、自分の特定のニーズについてデスティネーションとなる店舗があるかどうか、ということはこれまで何回か「お試し」で出かける間に把握していますからね。

○もっと簡単な例ですと、ある人の住宅の隣がミニスーパーだったとします。ミニスーパーの先隣にコンビニがあったとします。この人が「カルビーポ テトチップス・うすしお」一袋を買いに出かける行き先の確率は、両方の「集積」の規模と時間距離によって決まりますか?

○異業種で比較するから駄目なんだ、同業同士の場合は成立するだろう、という反 論がありそうです。しかしこれも駄目、成立しないのです。
 時間距離が同等で店舗面積も同一という二つのスーパーがあったとして、片方は品ぞろえがスカスカ、もう一方は抜群、 という状況があったとします。二つのスーパーマーケットに出かける確率は同じですか?

○いや、いや、「集積の質」も問題だ、「修正」では質(?)を考慮している、と いう声も聞こえてきそう。
 しかし、これも駄目です。スーパーマーケットの競争に はすさまじいものがあり、静態的にどっちの売場が「質」が優れている、と固定的に判断することは出来ません。

○また、例えば精肉はこっちがいいが鮮魚は向こう、 となると、今夜の献立次第でデスティネーションが変わってしまう。
 ということで、ハフさんの仮説は、とんでもない前提に立っており、とても実務には使えない、ということが明らかになったと思います。使ってもいいですけど共同店舗のみなさんに笑われます。
 こういうトンデモなモデルがまかり通っているのは、「ハフモデル」で売上げ予測をした人はその予測と結果を照合させる時点までフォローするということが無いからですね。あるいはどこでも使っている、予測が当たらないのはうちだけじゃない、 と安心しているのかも知れません。
 実務では予測の精度云々よりも、たちまち目標売上げ達成のあの手この手の方に目が行ってしまいますしね。調査を請け負った調査会社さんはそのころ別件調査を受 託、計算に余念がない・・・。  ということで「ハフモデルって駄目じゃん」という声がなかなか出てこないわけですね。

●最後に、ハフさんの仮説のトンデモなところをあらためて簡潔に。
ハフさんが想定しているのは、
1.商業集積の規模(面積や施設)を知っており、
2.そこまでの時間距離も分かっているが、
3.そこに行けば目的が達成できるかどうかは分からない
 (店揃え・店揃えはさっぱり分からず)、
4.面積とか時間距離で判断するしか方法がない という大変特殊な条件の下にある購買客である。
ということです。こういう購買客っていませんでしょ、ふつう。

●さて、時々いただくメールによると、当社サイトには「小売吸引力理論」を勉強したい学生さんや実務家などが相当見えているようで、この批判は『ハフモデル』には当てはまらないのでは、という疑問が複数寄せられました。
 他にも同種の疑問があるかも知れないので、あらためて展開しておきます。

◆まとめ
 米国のコミュニティというのは、西部劇に出てくるタウンのイメージですね。 市役所、義務教育の学校、病院、教会その他、恒常的・基礎的な生活に必要な機能が揃っています。商業機能としては町の中心部に日常的なショッピングに対応する商店街があります。
 ライリーさんの仮説は、太平洋戦争の遙か以前という時代、このような田舎町から都市中心商店街へ買い物に出かけるときの行動に関するものでした。
 今日、コミュニティにはウオルーマートが盤踞しておりまして、町によってはシェア70%などと言われています。これはあり得る話です。
 米国のコミュニティのライフスタイルは質素ですからね。

○ハフさんはライリーさんの仮説をデタラメに拡大しました。 1930年代の二つの都市に挟まれたコミュニティ住民のショッピング行動に関する仮説を「全ての商業集積についての全ての消費者のデスティネーション」仮説にしてしまったわけです。
 ライリーさんの時代の当該都市の人口(当時、商業集積の規模は人口の≒関数と考えられた)を集積規模に、距離を時間距離に変えることで、ショッピングセンター時代、マイカー時代に対応しようとしたのですが、どっこいそうはいきません。
 この時代になりますとショッピングというのは日常茶飯事、自分の気の向いたとき に気の向いた場所に出かけるということになっている。行き先は集積の規模や時間距離などを勘案して決定されるものではありません。行き先は、自分の期待している目的が達成されることへの期待可能性でで決定されます。
 デスティネーションはこれまでの経験や新しい情報に基づいて決定されるのであ って、そこに集積の規模や時間距離などが条件として出てくることはほとんど無い と考えられます。

●いうも愚かながら。
 提出される仮説には、往々にして前提条件があります。あまり方法論などを考えない場合には、この前提条件が本人に意識されないことがあります。ライリーさんの場合は、ライリーさんが住んでいる時代の米国のコミュニティ住民の購買行動、という前提条件を考えれば、蓋然性がありそうな仮説です。
(ただし、社会的・文化的な紐帯がどちらかの都市により強ければ、当然それは「吸引力」に影響する)
 他方、ハフさんのモデルが成立するには、集積の規模と時間距離は理解しているが、集積の内容についての知識は持っていない、という大変特殊な立場の消費者を前提にしなければなりません。ハフさんは自分の仮説がどのような条件を前提にしているか、ということまで思いが及びませんでした。  

 ということで(笑
またもや、ちょ~長文となりましたが、果たして最後まで読んでいただけましたことやら。
 といいながら、いけない、まだ「まとめ」が終わっていません(笑

●問題は、「商業まちづくり条例」による新しく開設される大型店の「影響力」評価にこの手の仮説を使うことが出来るか? ということですが。
これは、はっきり出来ません。「計画的商業集積」と「自然発生的商店街」の吸引力を「面積と時間」で比較するというのは全くのナンセンスですからね。
では、「影響」は内を使って判断すべきか?
この解答は、後ほどあらためて、福島県条例を入手・検討するときに考えてみたいと思います。

◆さて、以下は蛇足ながら。
 一般に、仮説にはその仮説が成り立つために必要な前提条件が隠されているこがよくあります。隠すつもりはない、誰の目にも明かな条件が前提されているという場合もあります。ライリーさんがその「法則」を発表した当時がそうでした。
 ところが、往々にして、提唱者がいなくなり前提条件が無くなっても理論が生き残り一人歩きをする、ということがよく起こります。先人が活用し成果を挙げた理論ですから、今さら「この理論が成り立つためには前提としてどんな条件が成立しておくことが必要か」ということを考えてみるのは時間の無駄と思われたのかも知れません。

○ところが人間の知識の歴史は、正しいと信じられていた知識が論駁され・迷信として退けられていった歴史そのものです。「すべては疑いうる」と喝破した人がいたという話を聞いたことがありますが、上に述べたような態度から知識が進化するということはまず有り得ません。
 知識の進化の歴史は、誰かが「正しい知識」の根拠を疑い・掘り崩す、新しい知識が構築される、という作業の連続です。これは個々人が持っている知識の進化についても同じことが言えると思います。
 全ては疑いうる。大きな時代の転換期にあると思われるこんにち、あらためて自分自身の知識を批判的に検討する機会を持つことは、どんな分野であれ、大変有意義なことだと思います

小売吸引力理論 (ライリー&ハフ) 批判

※お断り:長文につき、興味のある人は印刷して読まれることをおすすめします

●はじめに
 前回の記事。福島県の「商業まちづくり条例」について、現時点で懸念されるところを書きました。
「出店調整」といえば、『大店法』時代を思い出します。大型店が出店すれば、商店街など既存の商業集積にどのような影響を与えるか、予測して売り場面積等を「調整」する根拠にされました。福島県ではどのような判断をもって「調整」されるのか、早く条例を見たいものです。こういうときには、新しく出店する商業集積がどのくらい顧客を吸引するのか、客観的に判定できるといいですよね。

 『大店法』が施行されていた当時は、「商業集積の購買吸引力理論(以下「小売吸引力理論」)というものがありまして(今もあるようですが)、購買吸引力は「集積の面積の二乗に比例し、距離の二乗に反比例する」という「ライリーの法則」や、距離を時間距離に置き換えたハフモデル、修正ハフモデルなどが「大型店の影響」を判定するツールとして用いられました。
 これから全国的に波及して行くであろう「商業まちづくり条例」ですが、ひょっとしたら、あくまで「ひょっとしたら」でありますが、「影響度合い」の判定に購買吸引力理論」が用いられることがありかも知れません。
 転ばぬ先の杖、ここで「小売吸引力理論」とはどういう代物なのか、とくと検討しておきたいと思います。

●「小売吸引力理論」は、1930年代、米国のライリーさんという学者によって開発された「ライリーの法則」:「二つの都市の間に位置するコミュニティの住民が二つの都市の商店街のいずれかに出向く確率は、商店街の面積の二乗に比例し、コミュニティ~都市間の距離の二乗に反比例する」が基本になっています。
我が国ではスーパーマーケットなどの出店にあたっての「市場予測」に用いるために導入されたのがスタートです。
 実は私自身、かって、これらの手法で予測した売上げが達成されたかどうか、知り合いの企業や共同店舗にヒアリングをしたことがあります。結果はほとんど信頼に値しない。ことごとくはずれるんですが、それも+だったり-だったり一貫性がない。
 もちろん、ここでの検討は、「共同店舗で聞いたらそう言っていた、だから吸引力算定方式はおかしい」ということを言いたいのではありません。
 そもそも、商業集積の小売吸引力を評価する手法としてこういう手法を用いること自体が(算定の結果はどうであれ)おかしい、バカじゃないの、ということです(W)
 以下、手法として如何におバカな方法か、ということをきちんと論じますから、だまされないよう、眉につばを付けてしっかり検討してください。

◆その1:ライリー説
●ライリーさんを創唱者とする小売吸引力計算手法とは、
1.二つの都市の間に位置するコミュニティ(郡部)から、
2.買い回り品の買い物について
3.どちらの都市に出かける確率が高いか?
ということを計算する手法です。

○この場合忘れてはいけないことは、ライりーさんの仮説の前提条件です。
1.対象になる消費購買行動は、「買い回り品」である。
2.当時は米国にも「郊外型ショッピングセンター」はまだ存在しなかった。
3.したがって、比較されたのは両方の都市の中心商店街同士だった。
ということですね。

○つまり、
1.最寄り品の買い物には通用しない。
2.ショッピングセンターには通用しない。
3.田舎(二つの都市に挟まれた)から都市へ出かける買い物、限定の話。
だったわけです。(この部分は後ほど説明します)

○ライりーさんに追随した人たちは、彼が明記していた仮説の適用範囲〔中心商店街間〕を忘れ、適用範囲を拡大解釈して、「小売業の吸引力=競争力」計算一般に通用する手法だ、としてしまいました。
まずこれが「拡大解釈」であり、間違いだ、と言うことを説明しておきましょう。

○繰り返しますが、ライリーさんが手法を発案した当時の用途はあくまでも
1.二つの都市の中間に位置する地区から、
2.買い回り品の買い物について
3.どちらの都市に出かける確率が高いか? ということであり、

>1.最寄り品の買い物には通用しない。
なぜか?
最寄り品(食料など日用品)の買い物についてはわざわざ都会まで出かけなくても 自分の町で事足りるから。

>2.ショッピングセンターには通用しない。
なぜか?
ショッピングセンターの場合は後で説明するように、来訪=購買目的がはっきりしており、「確率」などに頼る必要がない。

>3.田舎から都市へ出かける買い物、限定の話。
 ライリーさんによってこの仮説が作られた時代というのは、田舎に住んでいる人は日常の買い物については自分の住んでいる町で済まし、ファッションなど買い回り品については年に何度か母都市の中心商店街に出かける、という消費購買行動が普通でした。
 しょっちゅう出かける訳ではありませんから、行きつけの店があるわけでもありません。なにしろ、たま~にしか行かないわけですからね。どちらの商店街に行った方がよいか?というはっきりした評価を持っていません。

○そういう人が、「買い回り品」について自分の希望する商品を見つけることが出来る可能性、どちらが高いかと言えば当然、店舗数が多い商店街に決まっています。
 商店街というのは「自然発生的商業集積」ですから、「計画的商業集積」すなわち、特定の購買動機に対応することを目的に計画的に作られた集積ではありません。いろんな店舗が雑然と集まっているわけですね。雑然としたお店の集合体に出掛けてお目当ての商品を売っているお店が見つかる確率は、お店の多い商店街と少ない商店街、どちらが高いか? 考えるまでもなく、売り場面積が広い・お店の数が多い方の商店街ですね。

○そうしますと、「どちらの街に出かけようか」と考え他とき、たくさん店舗がある商店街の方が自分の気に入る商品が手に入りやすいだろう、とい漠然とした可能性やそこまでの所要時間などから行き先を選択することが合理的、と考えられたのでしょう。もちろんこの時代にも「行きつけの店」がある人にとっては、上述のようなあやふやなデスティネーション選択はありません。さっさと行きつけのお店のある都市に出かけるわけですね。

●ショッピングセンターの場合。 ショッピングセンターが登場するのは、もっと後の時代です。 情報ということでは都市と田舎の差が縮まり、移動手段もマイカー主体です。

○アメ リカのショッピングセンターは、ご承知の人も多いと思いますが、
A:毎日型の買い物
B:コストを基準にした買い物
C:「こだわり」主体の買い物
というように、お客の買い物動機に合わせた売り場構成=テナントミックスで計画的に集積が作られています。

○Aの核はスーパーマーケット、Bの核はデスカウントストア、カテゴリキラー、Cの核は百貨店、GMSとそれぞれお客の購買目的別になっています。
 したがって、AとB,Cは競合関係にありません。また、Aタイプのショッピングセンターを選択する場合も、面積(テナント数)や距離(or時間距離)ではなくて、自分が今使用としている買い物の行き先としてどこがふさわしいか、ということを基準に選ばれます。売り場面積だとか時間距離だとか、買い物目的(つまり、商品を買って持ち帰ること)と関係のないレベルの数字をいじくって算出できるようなことが基準になるのではありません。

●ということで、ショッピングセンターが登場した段階でこのような「吸引力」と いう考え方は消滅すべきだったのです。それが今日に至るまで依然として「出店計画策定のツール」などと考えられているのは、もともと仮説が成立するための前提(つまり田舎から都心に出かける買い物に限って成立する仮説)について書かれていたことを前提を省略して輸入した日本の先生方のお説を鵜呑みにした結果であり、もっと追求すれば自分自身で仮説の根拠を確認してみる、という作業を省略する、 我が国の伝統的な思考習慣にまで遡ることができるのであります。
 「活性化」の定義もしないまま活性化事業に取り組む思考パターンと相通じるものがありますね。

◆その2 ハフ説
●「ハフモデル」はもっとひどい。
  ご承知のとおり、これは、「ある地域に住む消費者が、ある商業集積で購入する確率は、商業集積の規模に比例し、そこに到達する時間距離の2乗に反比例する」という仮説ですね。
 検索掛けてみるとあるわあるわ、論文、調査研究事例、はては計算ソフトまで。

○原型は先述したように、ライリーさんが1930年頃、もちろんショッピングセンターなどは影も形も無かった時代の、米国のコミュニティにおける買い回り型消費の流出について立てた仮説です。
 ライリー説は、当時の米国のコミュニティ住民の買い回り型購買行動解明の「一次アプローチとしては」妥当だったと思います。
 ただし、ショッピングセンター全盛の今日には全く通用しない仮説だということは既に検討したとおりです。

○さて、ハフさんは、ライリーさんの仮説を拡大膨張させて、何と、
1.ショッピングセンター時代において、
2.消費者がある商業集積に買い物に出かける確率は、商業集積の規模に比例し、
3.そこまでの時間距離の二乗に反比例する、 という仮説を提出したわけです。
(この仮説をもとにいろんな手法が案出されているようですが、全てはこの仮説が 大前提になっています。つまり、この仮説が崩壊すれば手法は全て、文字通り、砂上の楼閣となるわけです。たとえば修正ハフモデルとか)

○「商業集積」は、計画性の有無で三つに区分することが出来ます。
1.自然成長的商業集積:例えば商店街、郊外のロードサイド集積
2.計画的商業集積:例えば当社がいう「商業集積の3類型」に該当する商業集積。 特定の購買目的に対するデスティネーションを計画的なテナ ントミックスで作りあげている商業集積。
3.どっちつかず:施設は「計画」されているが、デスティネーションは計画されていない、我が国既存の郊外型ショッピングセンターのオープン当初はこういうものでした。
 さて、ある地区にこれら三つの類型の商業集積が一個ずつあったとして、それらの 集積相互の間にハフさんが言うような関係が成立するものでしょうか? 

○分かりや すくするために例を出してみましょう。
 A,B,Cという商業集積があったとしてそれぞれ上の1,2,3という性格の 集積だったとしましょう。
ハフ理論によれば、三つの異なった機能を果たしている商業集積群のちょうど真ん中(時間距離的)に住んでいる人が、ある集積に買い物に確率は、その集積の「規模」によって決まることになります。
 そんな馬鹿なことがありますか?

○あり得る購買行動は次の通りでしょう。
1.ある購買ニーズが発生する。
2.自分が知っているお店を思い浮かべてどこがもっとも適切なデスティネーション (買い物目的を基準にした行き先)であるかを判断する。
3.最適と思われる集積(に)所属する個店に出かける。 (このとき、デスティネーションはその人が当該買い物についてどのような「客相」としての基準を持っているか、ということで変化します)
 如何ですか?
 この場合、集積の規模などなんの関係もありませんね。
(このことは「時間距離」についても全く同じように言えることです。)

○大事なことは、お客は、商業集積の規模や時間距離よりも、どこが自分のデスティネーションとしてもっともふさわしい行き先か、という判断をもとに行動する、ということです。
 この判断の基になる情報は既に持っています。少なくとも「商業集積の規模」や 「時間距離」を知っている商業集積なら、どういう店舗があるか、自分の特定のニーズについてデスティネーションとなる店舗があるかどうか、ということはこれまで何回か「お試し」で出かける間に把握していますからね。

○もっと簡単な例ですと、ある人の住宅の隣がミニスーパーだったとします。ミニスーパーの先隣にコンビニがあったとします。この人が「カルビーポ テトチップス・うすしお」一袋を買いに出かける行き先の確率は、両方の「集積」の規模と時間距離によって決まりますか?

○異業種で比較するから駄目なんだ、同業同士の場合は成立するだろう、という反 論がありそうです。しかしこれも駄目、成立しないのです。
 時間距離が同等で店舗面積も同一という二つのスーパーがあったとして、片方は品ぞろえがスカスカ、もう一方は抜群、 という状況があったとします。二つのスーパーマーケットに出かける確率は同じですか?

○いや、いや、「集積の質」も問題だ、「修正」では質(?)を考慮している、と いう声も聞こえてきそう。
 しかし、これも駄目です。スーパーマーケットの競争に はすさまじいものがあり、静態的にどっちの売場が「質」が優れている、と固定的に判断することは出来ません。

○また、例えば精肉はこっちがいいが鮮魚は向こう、 となると、今夜の献立次第でデスティネーションが変わってしまう。
 ということで、ハフさんの仮説は、とんでもない前提に立っており、とても実務には使えない、ということが明らかになったと思います。使ってもいいですけど共同店舗のみなさんに笑われます。
 こういうトンデモなモデルがまかり通っているのは、「ハフモデル」で売上げ予測をした人はその予測と結果を照合させる時点までフォローするということが無いからですね。あるいはどこでも使っている、予測が当たらないのはうちだけじゃない、 と安心しているのかも知れません。
 実務では予測の精度云々よりも、たちまち目標売上げ達成のあの手この手の方に目が行ってしまいますしね。調査を請け負った調査会社さんはそのころ別件調査を受 託、計算に余念がない・・・。  ということで「ハフモデルって駄目じゃん」という声がなかなか出てこないわけですね。

●最後に、ハフさんの仮説のトンデモなところをあらためて簡潔に。
ハフさんが想定しているのは、
1.商業集積の規模(面積や施設)を知っており、
2.そこまでの時間距離も分かっているが、
3.そこに行けば目的が達成できるかどうかは分からない
 (店揃え・店揃えはさっぱり分からず)、
4.面積とか時間距離で判断するしか方法がない という大変特殊な条件の下にある購買客である。
ということです。こういう購買客っていませんでしょ、ふつう。

●さて、時々いただくメールによると、当社サイトには「小売吸引力理論」を勉強したい学生さんや実務家などが相当見えているようで、この批判は『ハフモデル』には当てはまらないのでは、という疑問が複数寄せられました。
 他にも同種の疑問があるかも知れないので、あらためて展開しておきます。

◆まとめ
 米国のコミュニティというのは、西部劇に出てくるタウンのイメージですね。 市役所、義務教育の学校、病院、教会その他、恒常的・基礎的な生活に必要な機能が揃っています。商業機能としては町の中心部に日常的なショッピングに対応する商店街があります。
 ライリーさんの仮説は、太平洋戦争の遙か以前という時代、このような田舎町から都市中心商店街へ買い物に出かけるときの行動に関するものでした。
 今日、コミュニティにはウオルーマートが盤踞しておりまして、町によってはシェア70%などと言われています。これはあり得る話です。
 米国のコミュニティのライフスタイルは質素ですからね。

○ハフさんはライリーさんの仮説をデタラメに拡大しました。 1930年代の二つの都市に挟まれたコミュニティ住民のショッピング行動に関する仮説を「全ての商業集積についての全ての消費者のデスティネーション」仮説にしてしまったわけです。
 ライリーさんの時代の当該都市の人口(当時、商業集積の規模は人口の≒関数と考えられた)を集積規模に、距離を時間距離に変えることで、ショッピングセンター時代、マイカー時代に対応しようとしたのですが、どっこいそうはいきません。
 この時代になりますとショッピングというのは日常茶飯事、自分の気の向いたとき に気の向いた場所に出かけるということになっている。行き先は集積の規模や時間距離などを勘案して決定されるものではありません。行き先は、自分の期待している目的が達成されることへの期待可能性でで決定されます。
 デスティネーションはこれまでの経験や新しい情報に基づいて決定されるのであ って、そこに集積の規模や時間距離などが条件として出てくることはほとんど無い と考えられます。

●いうも愚かながら。
 提出される仮説には、往々にして前提条件があります。あまり方法論などを考えない場合には、この前提条件が本人に意識されないことがあります。ライリーさんの場合は、ライリーさんが住んでいる時代の米国のコミュニティ住民の購買行動、という前提条件を考えれば、蓋然性がありそうな仮説です。
(ただし、社会的・文化的な紐帯がどちらかの都市により強ければ、当然それは「吸引力」に影響する)
 他方、ハフさんのモデルが成立するには、集積の規模と時間距離は理解しているが、集積の内容についての知識は持っていない、という大変特殊な立場の消費者を前提にしなければなりません。ハフさんは自分の仮説がどのような条件を前提にしているか、ということまで思いが及びませんでした。  

 ということで(笑
またもや、ちょ~長文となりましたが、果たして最後まで読んでいただけましたことやら。
 といいながら、いけない、まだ「まとめ」が終わっていません(笑

●問題は、「商業まちづくり条例」による新しく開設される大型店の「影響力」評価にこの手の仮説を使うことが出来るか? ということですが。
これは、はっきり出来ません。「計画的商業集積」と「自然発生的商店街」の吸引力を「面積と時間」で比較するというのは全くのナンセンスですからね。
では、「影響」は内を使って判断すべきか?
この解答は、後ほどあらためて、福島県条例を入手・検討するときに考えてみたいと思います。

◆さて、以下は蛇足ながら。
 一般に、仮説にはその仮説が成り立つために必要な前提条件が隠されているこがよくあります。隠すつもりはない、誰の目にも明かな条件が前提されているという場合もあります。ライリーさんがその「法則」を発表した当時がそうでした。
 ところが、往々にして、提唱者がいなくなり前提条件が無くなっても理論が生き残り一人歩きをする、ということがよく起こります。先人が活用し成果を挙げた理論ですから、今さら「この理論が成り立つためには前提としてどんな条件が成立しておくことが必要か」ということを考えてみるのは時間の無駄と思われたのかも知れません。

○ところが人間の知識の歴史は、正しいと信じられていた知識が論駁され・迷信として退けられていった歴史そのものです。「すべては疑いうる」と喝破した人がいたという話を聞いたことがありますが、上に述べたような態度から知識が進化するということはまず有り得ません。
 知識の進化の歴史は、誰かが「正しい知識」の根拠を疑い・掘り崩す、新しい知識が構築される、という作業の連続です。これは個々人が持っている知識の進化についても同じことが言えると思います。
 全ては疑いうる。大きな時代の転換期にあると思われるこんにち、あらためて自分自身の知識を批判的に検討する機会を持つことは、どんな分野であれ、大変有意義なことだと思います

『大店法』の教訓を活かそう

●福島県の『商業まちづくり条例』

○昨日の朝日新聞によれば、福島県議会は13日、「商業まちづくり条例」を全会一致で可決しました。記事は、「中心商店街の空洞化に歯止めをかけるため、件が、郊外への出店を計画する大型店(売り場面積6千平方メートル以上)について、」市町村などの意見を聴き、地域の商店街に影響がある場合、計画見直しを求める内容」とのこと。
○さっそく、イオンの社長が反論「憲法違反の可能性がある、国の経済にもいい影響はない」とのこと。
自治体の反発もある。県内のある町長は、「郊外型の大型店を規制したら中心市街地に活気が戻るなんて夢物語。仙台や東京に流れる客を引き留めるためにも魅力ある店が必要だとコメントしています。

○量販店企業の郊外型ショッピングセンター開発の目的及びその地域における役割についてはあらためて考えることにして、今日は条例の目的である、
①大型店の規制が「中心市街地の空洞化に歯止めをかける」ことができるか?ということと、誘致派町長さんの
②「仙台や東京に流れる客を引き留める」ことができるか?
という二つの点を考えてみたいと思います。

●教訓としての『大店法』
 大型店の出店規制で思い出されるのは、かっての『大店法』のことです。
1973年に制定されたこの法律は、「地域中小商業者の事業機会を確保する」ことを目的に、大型店の出店にあたっては、地元に設置する商業活動調整協議会(「商調協」)において、出店時期、売り場面積、閉店時刻、協業日数について調整を行う、というものでした。施行期間中は、大型店の出店を規制する効果が相当ありました。

○この法律、果たして「中小商業者の事業機会の確保」に効果を発揮することができたでしょうか?あらためてこの時期、検討してみることは意義があることと思います。
調整4項目のうち出店時期は、「地元商業者が対応するための準備期間を確保する」ことを目的に調整されました。出店希望者の計画出店時期よりも半年延長くらいは当たり前、長いときは1年以上調整されることもあったようです。
 その期間、地元商業者特に商店街ではどのような「対応策」が講じられたのか、といいますと、これはもう効果的な対策はほとんど講じられなかったのではないか、というのが率直な感想です。
○というか、当時の商店街に郊外に出店する大型店(その多くはショッピングセンターでした)に対抗するために必要な手だてはほとんどありませんでした。もちろん、駐車場の設置、アーケード、カラー舗装などのハード事業やスタンプ事業、イベントなどのソフト事業が取り組まれましたが、大型店対策としてはほとんど効果がありませんでした。どうしてでしょうか?
 お客はお店に買い物をするために出かけます。もちろん、駐車場やアーケードは買い物にとって便利ですし、イベントは楽しく、スタンプはちょっと得した気分にさせてくれます。しかし、そんなことは「付け足し」であって、肝心の「買って持ち帰り、生活の材料として使う」のに適した商品が妥当な価格で提供されていなかったら、出かける気にはなれません。商店街は、「買い物行き先」としての機能で大型店に対抗することができませんでした。せっかく開店時期を延期させても、その間に効果的な対応策を講じることができなかったのです。

●商店街の現状と活性化策
 今日、商店街は、当時にもまして空洞化が進展しています。全国的にほとんど例外はありません。
このような時期に「商店街の空洞化をくい止める」ことを目的に行われようとしている大型店に対する出店規制が効果を上げ得るものか、私は疑問だと思います。

○どうしてか?
 先述したように、現在、商店街は多くの地域住民から「買い物行き先」・「買い物の場」と認知されていません。大店法の施行中から撤廃、「店づくり三法」が施行されている現在に至るまで、商店街の「買い物の場」としての魅力は劣化し続けています。もはや、郊外にこれから出店が計画されている大型店の出店を阻んだとしても、そのことによって、自店・商店街の「買い物行き先としての魅力」が戻ってくるわけはありません。つまり、お客は戻らず・空洞化はますます進展していくことになるでしょう。

○ご承知のとおり、大店法の撤廃と同時にいわゆる「まちづくり三法」が施行されました。中でも「中心市街地活性化法」は、これまで効果の上がらなかった商店街活性化について、
①これまでは点や線の取り組みだったからだめだった、これからは中心市街地全体という「面」の活性化を推進する。
②新しい取り組みは、市町村が「中心市街地活性化基本計画」を作成し、タウンマネジメント機関を設置して取り組むという、これまでにない画期的な「活性化へのスキーム」が準備されました。ご承知の通りです。
しかし、これまたご承知のとおり、新しいスキームでも活性化を実現する展望を持っている都市はきわめて限られています。
○活性化への取り組みが続いているにもかかわらず、依然として商店街の空洞化の趨勢が止まらないということは、とりもなおさず、従来の活性化策だけでは商店街およびそこに立地する個店群を「買い物の場」として充実させることができない、従ってお客が帰ってこない、という事実があります。買い物の場としての充実という、買い物目的の来街者にとって最優先の来街目的となる要因の整備充実がほとんど取り組まれていない、あるいは取り組まれていてもほとんど効果をあげていない、ということを意味しています。
このような状況で大型店の出店を抑制したとして、そのことで商店街の事業機会が確保される、などということはあり得ないと考えるべきです。

●平行した取り組みが必要だ
 クオールエイドのホームページでは一貫して、個店・商店街を保護することは出来ないと主張し、その根拠及び保護に代わる活性化策を提案しています。また、それと平行して各地の商店街において、活性化の方向と方法について考え方を共有する皆さんの取り組みを支援しています。

○商店街およびそこに立地する個店が、今後とも地域の商業機能としての役割を担うことを事業機会とすることを望むならば(望まない人は少ないと思いますが)、第一に考えなければならないことは、「郊外の大型店、ショッピングセンターとの関係をどう考えるか」ということです。商店街のみなさんがショッピングセンターをライバルと見なして、「なんとか出来るだけ近づきたい」と努力しても、あまり効果はないと思います。大切なお金の使い道ですから、お客は「同じ買い物ならより満足できる店」に集中するのです。

○中心市街地活性化に取り組む、行政・商工会議所・TMO・商店街組織などの関係者の皆さんは、まず、「自分たちの商店街はショッピングセンターと真っ向競争の道を歩むのか、それとも棲み分けを目指すのか」ということをあらためて考えてみることが必要です。我々はその方向を郊外のショッピングセンターとは質的に異なる買い物のための行き先「ショッピングモール」として提唱しています。ご承知のとおり、「中心市街地の商業地を一個のショッピングモールに見立てて再構築する」は、国が設置を推進している「TMO」の主要業務です。

○中心市街地の個店及び商店街が、活性化の実現を目指すならば、第一に必要なことは「買い物の場」としての機能の充実に取り組むことです。
「買い物」は個店のシャッターの内側で行われます。あらためていうまでもないことですが。商店街が空洞化しているということは、商業機能としての役割が果たせなくなっている、「商業機能が空洞化している」ということを意味しています。
つまい、商店街に立地している個々の店舗が「買い物行き先として十分ではない」と判断されていることが商店街空洞化の第一の要因です。
 とするならば、「個店を買い物の場として再構築すること」こそが最優先の課題として取り組まれなければならない。個々の店舗の業績も長期的に下落の一途をたどっており、早急に具体的に売り上げの下げ止まり、上向きを実現する方策を講じなければならない。

●活性化の目的
 「出店調整」についてはさまざまな視点がありますが、先述したように「地元商店街を保護する」というような趣旨では、商店街の事業機会を確保することは不可能です。商店街活性化は、それが地域に住む住民の生活、都市経営双方にとってプラスである、といいきれるポジションで打ち出されない限り、所期の目的を達成することは出来ないと思います。

○商店街を「買い物の場」として再生するということは、地域の「消費購買力」がそれだけ多く地域内を環流することになり、地域経済の流動性を確保するという課題にとって望ましいことは当然です。
 大型店対策は、地域の所得を出来るだけ地域内で環流させる仕組みを構築する、という視点から考えることが必要です。これは「出店調整」だけで出来ることではありません。「どこで何を買うか」という選択は個々の買い物客が行います。地元の商店街を現状のままにしておいて「出店調整」を実施してもお客が帰ってくるわけはありません。お客は既存の大型店あるいは隣町の大型店にさっさとショッピングに出かけることになるだけです。
○ということで。
商店街の保護ならぬ、商店街の活性化実現に向けては、『大店法』の苦い教訓を活かし、どんな施策にも優先して「商店街の買い物の場としての再生」という課題に取り組むことが不可欠です。諸々の施策の効果は、「買い物の場」を再生させる取り組みが始動してはじめて期待できることです。

●「買い物の場」の再生のために
商店街活性化とは、劣化している「買い物の場」としての機能を賦活させることです。
方向としては、現在~将来の地域に住む人たちの生活の変化、消費購買行動の変化を理解し、それらの変化に対応した新しい商業機能として再生する以外に道はありません。さらに、商業機能とはそれを利用する側から見れば「買い物の場」ということであり、買い物が個店の「シャッターの内側」で行われる以上、「買い物の場」の再構築は、当然、個店の「売り場」のあり方の改革を必要とします。

○主要な問題はまさしくここにあります。
空洞化とは商業機能の劣化、つまり、「売り場」のあり方とお客が期待する「買い物の場」との間に大きなギャップが生じていることを意味します。
このギャップを解消することが「活性化への道」ですが、「売り場」を経営する個々の商業者が日々の業務を遂行しながらこのギャップの解消、「売り場の改革」似鳥組むために必要な条件を持っているかどうか、ということが問題です。
 商店街全盛時代から『大店法』の時代、そして『店づくり三法』下にある現在と見たとき、その時々の変化は漸進的だったため、「これからは時代が変わる」「しっかり対応策を考えねば」という共通の認識のもとに「売り場の改革」を含む商店街活動が行われたことはありません。「シャッターの内側は店主の主権」というキャッチフレーズのもとで放置されてきたのです。

○考えてみれば当たり前のことですが、「売り場」が買い場」として不適切、お客の「買い場」への期待との間にギャップが生じている、ということは売り場の現状を作り出している商業者側の経営理論・技術が「買い場づくり」の理論・技術としてミスマッチを発生している、ということを意味しています。
とするならば、「シャッターの内側の改革」には、これまで「売り場」の現状をもたらしていた経営理論・技術を捨て、新しい経営理論・技術を修得することが必要です。
 「商店街活性化を実現するために必要な理論・技術を修得すること」
これこそ現在、商店街活性化に関わるすべての人々が直面している「目には見えないほんとうの課題」ではないでしょうか。

○福島県の皆さんは、①商店街の活性化を通じて、地域に住む人たちの生活をいっそう充実させる ②地元商業者の活動を通じて地域経済の流動性を確保する という
『商業まちづくり条例』の真の目的の達成に向けて「買い物の場」の再生に向けた取り組みを平行推進させていただきたいものです。
 条例についてはこれから全国的に追随する動きが出ることが予想されますが、「人の商売を邪魔してもこっちが儲かるわけではない」ということを全国規模でイヤというほど思い知らされた『大店法』の二の舞だけは避けて欲しいものです。
「どこで買い物をするかはお客の勝手、買い物の場を再生しない限り、活性化は実現しない」ということを肝に銘じて「シャッターの内側」の改革」への取り組みを推進しないと「虻蜂取らず」ということになりかねません。


****お断り****
「企業にとって戦略とは何か・本編」考え中です。
もうしばらくお待ちください.

『大店法』の教訓を活かそう

●福島県の『商業まちづくり条例』

○昨日の朝日新聞によれば、福島県議会は13日、「商業まちづくり条例」を全会一致で可決しました。記事は、「中心商店街の空洞化に歯止めをかけるため、件が、郊外への出店を計画する大型店(売り場面積6千平方メートル以上)について、」市町村などの意見を聴き、地域の商店街に影響がある場合、計画見直しを求める内容」とのこと。
○さっそく、イオンの社長が反論「憲法違反の可能性がある、国の経済にもいい影響はない」とのこと。
自治体の反発もある。県内のある町長は、「郊外型の大型店を規制したら中心市街地に活気が戻るなんて夢物語。仙台や東京に流れる客を引き留めるためにも魅力ある店が必要だとコメントしています。

○量販店企業の郊外型ショッピングセンター開発の目的及びその地域における役割についてはあらためて考えることにして、今日は条例の目的である、
①大型店の規制が「中心市街地の空洞化に歯止めをかける」ことができるか?ということと、誘致派町長さんの
②「仙台や東京に流れる客を引き留める」ことができるか?
という二つの点を考えてみたいと思います。

●教訓としての『大店法』
 大型店の出店規制で思い出されるのは、かっての『大店法』のことです。
1973年に制定されたこの法律は、「地域中小商業者の事業機会を確保する」ことを目的に、大型店の出店にあたっては、地元に設置する商業活動調整協議会(「商調協」)において、出店時期、売り場面積、閉店時刻、協業日数について調整を行う、というものでした。施行期間中は、大型店の出店を規制する効果が相当ありました。

○この法律、果たして「中小商業者の事業機会の確保」に効果を発揮することができたでしょうか?あらためてこの時期、検討してみることは意義があることと思います。
調整4項目のうち出店時期は、「地元商業者が対応するための準備期間を確保する」ことを目的に調整されました。出店希望者の計画出店時期よりも半年延長くらいは当たり前、長いときは1年以上調整されることもあったようです。
 その期間、地元商業者特に商店街ではどのような「対応策」が講じられたのか、といいますと、これはもう効果的な対策はほとんど講じられなかったのではないか、というのが率直な感想です。
○というか、当時の商店街に郊外に出店する大型店(その多くはショッピングセンターでした)に対抗するために必要な手だてはほとんどありませんでした。もちろん、駐車場の設置、アーケード、カラー舗装などのハード事業やスタンプ事業、イベントなどのソフト事業が取り組まれましたが、大型店対策としてはほとんど効果がありませんでした。どうしてでしょうか?
 お客はお店に買い物をするために出かけます。もちろん、駐車場やアーケードは買い物にとって便利ですし、イベントは楽しく、スタンプはちょっと得した気分にさせてくれます。しかし、そんなことは「付け足し」であって、肝心の「買って持ち帰り、生活の材料として使う」のに適した商品が妥当な価格で提供されていなかったら、出かける気にはなれません。商店街は、「買い物行き先」としての機能で大型店に対抗することができませんでした。せっかく開店時期を延期させても、その間に効果的な対応策を講じることができなかったのです。

●商店街の現状と活性化策
 今日、商店街は、当時にもまして空洞化が進展しています。全国的にほとんど例外はありません。
このような時期に「商店街の空洞化をくい止める」ことを目的に行われようとしている大型店に対する出店規制が効果を上げ得るものか、私は疑問だと思います。

○どうしてか?
 先述したように、現在、商店街は多くの地域住民から「買い物行き先」・「買い物の場」と認知されていません。大店法の施行中から撤廃、「店づくり三法」が施行されている現在に至るまで、商店街の「買い物の場」としての魅力は劣化し続けています。もはや、郊外にこれから出店が計画されている大型店の出店を阻んだとしても、そのことによって、自店・商店街の「買い物行き先としての魅力」が戻ってくるわけはありません。つまり、お客は戻らず・空洞化はますます進展していくことになるでしょう。

○ご承知のとおり、大店法の撤廃と同時にいわゆる「まちづくり三法」が施行されました。中でも「中心市街地活性化法」は、これまで効果の上がらなかった商店街活性化について、
①これまでは点や線の取り組みだったからだめだった、これからは中心市街地全体という「面」の活性化を推進する。
②新しい取り組みは、市町村が「中心市街地活性化基本計画」を作成し、タウンマネジメント機関を設置して取り組むという、これまでにない画期的な「活性化へのスキーム」が準備されました。ご承知の通りです。
しかし、これまたご承知のとおり、新しいスキームでも活性化を実現する展望を持っている都市はきわめて限られています。
○活性化への取り組みが続いているにもかかわらず、依然として商店街の空洞化の趨勢が止まらないということは、とりもなおさず、従来の活性化策だけでは商店街およびそこに立地する個店群を「買い物の場」として充実させることができない、従ってお客が帰ってこない、という事実があります。買い物の場としての充実という、買い物目的の来街者にとって最優先の来街目的となる要因の整備充実がほとんど取り組まれていない、あるいは取り組まれていてもほとんど効果をあげていない、ということを意味しています。
このような状況で大型店の出店を抑制したとして、そのことで商店街の事業機会が確保される、などということはあり得ないと考えるべきです。

●平行した取り組みが必要だ
 クオールエイドのホームページでは一貫して、個店・商店街を保護することは出来ないと主張し、その根拠及び保護に代わる活性化策を提案しています。また、それと平行して各地の商店街において、活性化の方向と方法について考え方を共有する皆さんの取り組みを支援しています。

○商店街およびそこに立地する個店が、今後とも地域の商業機能としての役割を担うことを事業機会とすることを望むならば(望まない人は少ないと思いますが)、第一に考えなければならないことは、「郊外の大型店、ショッピングセンターとの関係をどう考えるか」ということです。商店街のみなさんがショッピングセンターをライバルと見なして、「なんとか出来るだけ近づきたい」と努力しても、あまり効果はないと思います。大切なお金の使い道ですから、お客は「同じ買い物ならより満足できる店」に集中するのです。

○中心市街地活性化に取り組む、行政・商工会議所・TMO・商店街組織などの関係者の皆さんは、まず、「自分たちの商店街はショッピングセンターと真っ向競争の道を歩むのか、それとも棲み分けを目指すのか」ということをあらためて考えてみることが必要です。我々はその方向を郊外のショッピングセンターとは質的に異なる買い物のための行き先「ショッピングモール」として提唱しています。ご承知のとおり、「中心市街地の商業地を一個のショッピングモールに見立てて再構築する」は、国が設置を推進している「TMO」の主要業務です。

○中心市街地の個店及び商店街が、活性化の実現を目指すならば、第一に必要なことは「買い物の場」としての機能の充実に取り組むことです。
「買い物」は個店のシャッターの内側で行われます。あらためていうまでもないことですが。商店街が空洞化しているということは、商業機能としての役割が果たせなくなっている、「商業機能が空洞化している」ということを意味しています。
つまい、商店街に立地している個々の店舗が「買い物行き先として十分ではない」と判断されていることが商店街空洞化の第一の要因です。
 とするならば、「個店を買い物の場として再構築すること」こそが最優先の課題として取り組まれなければならない。個々の店舗の業績も長期的に下落の一途をたどっており、早急に具体的に売り上げの下げ止まり、上向きを実現する方策を講じなければならない。

●活性化の目的
 「出店調整」についてはさまざまな視点がありますが、先述したように「地元商店街を保護する」というような趣旨では、商店街の事業機会を確保することは不可能です。商店街活性化は、それが地域に住む住民の生活、都市経営双方にとってプラスである、といいきれるポジションで打ち出されない限り、所期の目的を達成することは出来ないと思います。

○商店街を「買い物の場」として再生するということは、地域の「消費購買力」がそれだけ多く地域内を環流することになり、地域経済の流動性を確保するという課題にとって望ましいことは当然です。
 大型店対策は、地域の所得を出来るだけ地域内で環流させる仕組みを構築する、という視点から考えることが必要です。これは「出店調整」だけで出来ることではありません。「どこで何を買うか」という選択は個々の買い物客が行います。地元の商店街を現状のままにしておいて「出店調整」を実施してもお客が帰ってくるわけはありません。お客は既存の大型店あるいは隣町の大型店にさっさとショッピングに出かけることになるだけです。
○ということで。
商店街の保護ならぬ、商店街の活性化実現に向けては、『大店法』の苦い教訓を活かし、どんな施策にも優先して「商店街の買い物の場としての再生」という課題に取り組むことが不可欠です。諸々の施策の効果は、「買い物の場」を再生させる取り組みが始動してはじめて期待できることです。

●「買い物の場」の再生のために
商店街活性化とは、劣化している「買い物の場」としての機能を賦活させることです。
方向としては、現在~将来の地域に住む人たちの生活の変化、消費購買行動の変化を理解し、それらの変化に対応した新しい商業機能として再生する以外に道はありません。さらに、商業機能とはそれを利用する側から見れば「買い物の場」ということであり、買い物が個店の「シャッターの内側」で行われる以上、「買い物の場」の再構築は、当然、個店の「売り場」のあり方の改革を必要とします。

○主要な問題はまさしくここにあります。
空洞化とは商業機能の劣化、つまり、「売り場」のあり方とお客が期待する「買い物の場」との間に大きなギャップが生じていることを意味します。
このギャップを解消することが「活性化への道」ですが、「売り場」を経営する個々の商業者が日々の業務を遂行しながらこのギャップの解消、「売り場の改革」似鳥組むために必要な条件を持っているかどうか、ということが問題です。
 商店街全盛時代から『大店法』の時代、そして『店づくり三法』下にある現在と見たとき、その時々の変化は漸進的だったため、「これからは時代が変わる」「しっかり対応策を考えねば」という共通の認識のもとに「売り場の改革」を含む商店街活動が行われたことはありません。「シャッターの内側は店主の主権」というキャッチフレーズのもとで放置されてきたのです。

○考えてみれば当たり前のことですが、「売り場」が買い場」として不適切、お客の「買い場」への期待との間にギャップが生じている、ということは売り場の現状を作り出している商業者側の経営理論・技術が「買い場づくり」の理論・技術としてミスマッチを発生している、ということを意味しています。
とするならば、「シャッターの内側の改革」には、これまで「売り場」の現状をもたらしていた経営理論・技術を捨て、新しい経営理論・技術を修得することが必要です。
 「商店街活性化を実現するために必要な理論・技術を修得すること」
これこそ現在、商店街活性化に関わるすべての人々が直面している「目には見えないほんとうの課題」ではないでしょうか。

○福島県の皆さんは、①商店街の活性化を通じて、地域に住む人たちの生活をいっそう充実させる ②地元商業者の活動を通じて地域経済の流動性を確保する という
『商業まちづくり条例』の真の目的の達成に向けて「買い物の場」の再生に向けた取り組みを平行推進させていただきたいものです。
 条例についてはこれから全国的に追随する動きが出ることが予想されますが、「人の商売を邪魔してもこっちが儲かるわけではない」ということを全国規模でイヤというほど思い知らされた『大店法』の二の舞だけは避けて欲しいものです。
「どこで買い物をするかはお客の勝手、買い物の場を再生しない限り、活性化は実現しない」ということを肝に銘じて「シャッターの内側」の改革」への取り組みを推進しないと「虻蜂取らず」ということになりかねません。


****お断り****
「企業にとって戦略とは何か・本編」考え中です。
もうしばらくお待ちください.


企業にとって「戦略」とは何か 前段・戦略概念の整理

 「戦略」、検索をかけるといろいろ出てきます。
出てきますが、どうもあまり納得できるような定義が見あたりません。
こういう内容のことを表現するのにわざわざ「戦略」という言葉を使う必要はないだろう、と思われる説明が多い。

 「戦略」という言葉の定義は、この言葉が何を表しているのか、ということを理解し、「戦略」を必要とする状況で首尾よく有効な「戦略」を立てることが出来るようにするため、に必要です。
検索で呼び出された「戦略」の定義、果たして「戦略」を立案するときに有効、すなわち、「これで目的を達成することが出来る」と確信できるような戦略を立てるのに役に立つ定義と認められるかどうか、検討してみてください。

 今回展開する「戦略論」は、あなたが今後、将来にわたって、公私を問わず、「戦略の策定を必要とする状況」に直面したとき、戦略を立案するのに有意義な定義を仕上げてご覧に入れようというものです。
 これであなたも戦略家になれること請け合いです(笑

 さてご承知のとおり、戦略はもとはといえば戦争・軍事用語です。本家ではどのように定義されているか、まずはそのあたりからアプローチしてみたいと思います。

「戦略の原理・原則」や「本質」などを論じている本はたくさんありますが、「戦略とは何か」ということを真正面から取り上げている本は余り多くないと思います。
 「戦略とは何か」すなわち、戦争において戦略はどのような機能を果たすのか、ということを把握しないまま「原理・原則」などの「ノウハウ」をもてあそぶと、当初の目的を逸脱して戦略が一人歩き、最後には何がなんだか分からないうちに失敗した、ということになりかねません。

●戦略とは何か
 ということで、まずは「戦略とは何か」ということから考えてみたいと思います。

試行の導きとして取り上げるのは、次の二つの定義。
○『戦略論』(リデルハート)
「戦略とは、一国または一連の国家群のあらゆる資源をある戦争のための政治目的(基本政策の規定するゴール)の達成に向けて調整し、かつ志向することである」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4562018127/qid=1129117004/sr=8-4/ref=sr_8_xs_ap_i4_xgl14/249-1617476-1950725
○『統合軍参謀マニュアル』(米国統合幕僚学校のテキスト・白桃書房)
①国家戦略とは、国家目的を確保するために平時、戦時を問わず、軍備を含めた国家の政治力、経済力、心理力の使用と開発の技量(art)ないし科学(science)である。
②軍事戦略:武力の行使あるいは武力による脅威による国家方針の目的を確保するため、国の兵力を使用する技量(art)ないし科学(science)である
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456124140X/qid%3D1129117076/249-1617476-1950725

○ハートさんのいわれるところ=資源を目的の達成に向けて調整する?目的達成を志向する? ウ~ム、いまいちよく分かりませんね。戦略とは何か、ではなくて戦略の機能・役割ではないでしょうか、この定義は。

参謀マニュアル=「技量ないし科学」???
こちらは「戦略」を決定する技術?

どちらを見ても「戦略とは何か」には当てはまりません。
(※takeoは結構戦略関係の資料を読みあさっていますが、おおむね同じように「機能」や「技術論」をもって「とは論」に代えようとしていることが多いようです)

ということで、あらためて「戦略とは何か」、上で引用した二つを手がかりに考えてみましょう。

●国家、戦争にとって「戦略」とは

○『戦略論』(リデルハート・)
「戦略とは、一国または一連の国家群のあらゆる資源をある戦争のための政治目的(基本政策の規定するゴール)の達成に向けて調整し、かつ志向することである」

○『統合軍参謀マニュアル』(米国統合幕僚学校のテキスト・白桃書房)
①国家戦略とは、国家目的を確保するために平時、戦時を問わず、軍備を含めた国家の政治力、経済力、心理力の使用と開発の技量(art)ないし科学(science)である。
②軍事戦略:武力の行使あるいは武力による脅威による国家方針の目的を確保するため、国の兵力を使用する技量(art)ないし科学(science)である

 まとめてみますと、戦略とは:
①「国家目的(あるいは戦争目的)の達成」に関わる概念である。
②目的達成に利用する(出来る)「資源」に関わる概念である。
③「使用」、「調整」、「開発」に関わる概念である。
ということですね。

 つまり、「目的を達成するために資源を活用すること」に関わる概念。これが「戦略」です。ここで短絡して「戦略とは目的を達成するために資源を活用することである」と定義しないこと。この段階でtakeoが述べているのは、「戦略とは目的を達成するために資源を活用することに関わる概念である」ということであり、戦略の定義ではありません。(この区別は大変重要)

 「目的を達成するために資源を活用する」ということを手がかりに先に進んでいきましょう。

○戦争について考えてみましょう。

①戦争とは別の手段をもって行われる政治の延長である(クウゼヴィッツ)
②戦争のゴールは「新しい・期待する形での平和」であり、最終的には旧敵と協働し て「新しい平和」を作り上げることである。
③戦争の目的は敵の継戦意志を打砕することである。
(つまり、自国ペースでの講和の交渉に入ることが戦争の目的)
 このように考えてきますと、「戦略」の意味がはっきりしてきます。
戦略とは、「戦争目的を達成するために戦力を活用することに関わる概念である」書き直すと、「戦略とは戦争目的を達成するために戦力を如何に使ったらよいか」ということに関わる概念、ですね。
(まだ「関わる概念」レベルであって「戦略の定義」ではないことに留意)

 ここで新しい要素を入れて考えてみましょう。環境と時間です。
いうまでもなく、戦争はある特定の環境において始められ・戦争の進行と平行して環境も変わっていきます(変化には戦争の遂行それ自体がもたらすもの、それとは直接関係なく起こるものがある)。つまり、「時間」とそれに伴って変化する「環境」は、
「戦力の活用」を図る上で必らず考慮しなければならない要因です。
そうしますと。
戦略とは:「ある条件下において戦われる戦争目的を達成するためには(現に有する&戦争期間を通じて調達可能な)戦力をどのように活用したらよいか」ということに関わる概念である、ということになります。

 ということで、いよいよ結論。
戦略とはズバリ、「戦争目的を達成するためには、戦力をどのように活用したらよいか」という問題に対する「このように活用すればよい(目的を達成できる)」という「解答」のことなのです。

takeo流「戦略」の定義:戦略とは戦争において戦力を活用して目的を達成するためのシナリオである」

「戦略とは戦争目的を達成するためのシナリオである」如何ですか?

●戦略とは戦争目的を達成するためのシナリオである。

 ということで、「戦略」とは開戦から戦争終結に至るまでのシナリオである、という定義にたどり着きました。
戦略とはシナリオである、というtakeo流とハートさん、幕僚学校さんの定義を比較してみましょう。

○戦略とは:
ハートさんの定義 :目的達成に向けた資源の調整・指向だ
幕僚学校さんの定義:目的達成に向けた資源活用の技量・科学だ
takeoさんの定義  :目的達成に向けた資源活用のシナリオだ

如何ですか? こうしてみると一目瞭然、
①ハート流はtakeo流のシナリオ作成の仕事の中身のこと
②幕僚学校流はtakeo流のシナリオ作成の技量のこと
であり、いずれも「戦略」そのものの定義ではないだろう、ということになりますね?
ということで、シナリオの中身について考え、「戦略」をさらにいっそう「戦略的思考」を指向しつつ(笑、検討していきましょう。

○シナリオは一つの物語の起承転結を記述したもの、としておきます。
シナリオ=戦略は、開戦から終結(開戦目的を達成する)まで、全体をどう導いていくか、という筋書きにあたります。これを構想するには
①環境及びその推移の見積もり
②敵の戦力及びその推移の見積もり
③我が戦力及びその推移の見積もり
が必須です。
予測される環境の中でどのように戦力を活用(配置・運用)したら首尾よく敵を講和に導くことが出来るか? 個々の状況において作成される「成功のためのシナリオ」こそが「戦略」なのです。

 皆さんはさまざまな機会に「戦略」について、特に「戦略の立て方」についての原理原則などを見聞されることがあると思います。それらの「原理原則」は戦略とはシナリオである、という理解を前提に「シナリオの書き方」として向き合ったときにはじめて有意義、「あなたの知恵の使い方を導く」ノウハウになるのです。 

○若干、論じ残したこともありますが、なにしろ、SCの戦略課題のスレッドに貢献すること、今日中にブログに投稿すること、という二つの課題を背負っていますので、不足分はあらためて彌縫することにして、とりあえず拙速で行きます。


●シナリオを構成するもの

国家・戦争の戦略は、
①上位目的を達成するために
②状況において(敵及び環境)
③戦争目的を達成することを目的として
④動員・調達可能な戦力を
⑤ある方向・方法をもって配置・運用する
シナリオのことです。

戦略を策定するということは、
①戦争目的、環 境、敵の状況、我が方の状況 について理解し、その理解を踏まえて、
②目的を達成するために戦力(軍事その他の戦争資源)を配置・運用する方向と方法を決定する、ということです。
このようにして決定されたものが「戦略」ということですね。

したがって、戦略とはある国がある状況において策定する一回こっきりの「戦争目的」
を達成するための「方向と方法=シナリオ」だということになります。
この意味では戦略はartと呼んでもいいかも知れません。

●戦術とは何か

戦略・戦術とセットで呼ばれることが多いのですが、戦略が一回こっきりの状況における目的達成のシナリオであるとするなら、「戦略」とはいったい何か?

「戦術」とは、過去の経験などから抽出された「戦争についてのノウハウ」のことです。
このように考えれば、「戦略・戦術」とは戦略=一回性の事態において策定される戦争の方向と方法・シナリオであり、戦術=戦争の仕方に着いてのノウハウということになります。「状況に対応する方法」と「方法を考えるために使えるノウハウ」ということになります。
 したがって、「戦術」には戦略レベルについてのノウハウもあれば、作戦レベル、戦闘レベル、あるいは兵站・通信など業務別などさまざまなレベル・分野で蓄積されています。
戦略策定を担当する人は、状況を的確に判断することと同時に、各般の戦術についての知識を持っていることが求められることになります。

「戦略と戦術」の関係についてこのような捉え方をしているのは、たぶん,takeoだけですね。この理解の有効性については「経営戦略」を検討する際に明らかになると思います。

●戦略の転換

戦略の転換はなぜ必要か、どんなときに必要か?

○転換の必要性:従来の戦略では目的達成が困難になったと判断されるとき、目的を達成するためには戦略を変更することが必要である。
○必要な時期:戦略の変更を必要とする場合とは、戦略決定の前提としていた事項(戦争目的、敵状、味方の状況、環境など)に従来の戦略の有効性を失わせるような変化が生じたとき。

※「SCの戦略転換」は、SCを取り巻く環境の変化が著しく、従来の戦略ではSCひいては企業の存続が難しいかも知れない、という状況判断の結果として取り組まれる訳です。
「戦略的課題」とは、「戦略の変更を要するような課題」、「戦略変更に伴って新しく発生する解決すべき課題」などを指します。
検索していただくと、当サイトでは、「戦略」、「戦略的課題」という語句が数多く使用されているはずですが、すべてこのような意味で用いているはずです。


●前段の終了

 以上をもって「企業にとって戦略とは何か」という問題に取り組む前準備として、「戦略」について考えてみました。
戦略の定義、戦争における位置、戦術との関係など、すべてtakeo流で展開しています。企業経営あるいは一般に問題を解決するにあたって、戦略ないし戦略的思考が如何に重要か、その策定に如何に取り組むべきかということは、後半の展開で明らかになると思います。
ともかく。以上の整理を理解しただけであなたの戦略策定能力、問題解決能力の向上への第一歩、戦略家への第一歩が踏み出されました。

 長くなりますので、とりあえずここまで。
次回はいよいよ「企業にとって戦略とは何か」本編をお届けします。
疑問・批判などコメント歓迎です。こちらにもどうぞ。
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1530&reno=no&oya=1530&mode=msgview&page=0

企業にとって「戦略」とは何か 前段・戦略概念の整理

 「戦略」、検索をかけるといろいろ出てきます。
出てきますが、どうもあまり納得できるような定義が見あたりません。
こういう内容のことを表現するのにわざわざ「戦略」という言葉を使う必要はないだろう、と思われる説明が多い。

 「戦略」という言葉の定義は、この言葉が何を表しているのか、ということを理解し、「戦略」を必要とする状況で首尾よく有効な「戦略」を立てることが出来るようにするため、に必要です。
検索で呼び出された「戦略」の定義、果たして「戦略」を立案するときに有効、すなわち、「これで目的を達成することが出来る」と確信できるような戦略を立てるのに役に立つ定義と認められるかどうか、検討してみてください。

 今回展開する「戦略論」は、あなたが今後、将来にわたって、公私を問わず、「戦略の策定を必要とする状況」に直面したとき、戦略を立案するのに有意義な定義を仕上げてご覧に入れようというものです。
 これであなたも戦略家になれること請け合いです(笑

 さてご承知のとおり、戦略はもとはといえば戦争・軍事用語です。本家ではどのように定義されているか、まずはそのあたりからアプローチしてみたいと思います。

「戦略の原理・原則」や「本質」などを論じている本はたくさんありますが、「戦略とは何か」ということを真正面から取り上げている本は余り多くないと思います。
 「戦略とは何か」すなわち、戦争において戦略はどのような機能を果たすのか、ということを把握しないまま「原理・原則」などの「ノウハウ」をもてあそぶと、当初の目的を逸脱して戦略が一人歩き、最後には何がなんだか分からないうちに失敗した、ということになりかねません。

●戦略とは何か
 ということで、まずは「戦略とは何か」ということから考えてみたいと思います。

試行の導きとして取り上げるのは、次の二つの定義。
○『戦略論』(リデルハート)
「戦略とは、一国または一連の国家群のあらゆる資源をある戦争のための政治目的(基本政策の規定するゴール)の達成に向けて調整し、かつ志向することである」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4562018127/qid=1129117004/sr=8-4/ref=sr_8_xs_ap_i4_xgl14/249-1617476-1950725
○『統合軍参謀マニュアル』(米国統合幕僚学校のテキスト・白桃書房)
①国家戦略とは、国家目的を確保するために平時、戦時を問わず、軍備を含めた国家の政治力、経済力、心理力の使用と開発の技量(art)ないし科学(science)である。
②軍事戦略:武力の行使あるいは武力による脅威による国家方針の目的を確保するため、国の兵力を使用する技量(art)ないし科学(science)である
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/456124140X/qid%3D1129117076/249-1617476-1950725

○ハートさんのいわれるところ=資源を目的の達成に向けて調整する?目的達成を志向する? ウ~ム、いまいちよく分かりませんね。戦略とは何か、ではなくて戦略の機能・役割ではないでしょうか、この定義は。

参謀マニュアル=「技量ないし科学」???
こちらは「戦略」を決定する技術?

どちらを見ても「戦略とは何か」には当てはまりません。
(※takeoは結構戦略関係の資料を読みあさっていますが、おおむね同じように「機能」や「技術論」をもって「とは論」に代えようとしていることが多いようです)

ということで、あらためて「戦略とは何か」、上で引用した二つを手がかりに考えてみましょう。

●国家、戦争にとって「戦略」とは

○『戦略論』(リデルハート・)
「戦略とは、一国または一連の国家群のあらゆる資源をある戦争のための政治目的(基本政策の規定するゴール)の達成に向けて調整し、かつ志向することである」

○『統合軍参謀マニュアル』(米国統合幕僚学校のテキスト・白桃書房)
①国家戦略とは、国家目的を確保するために平時、戦時を問わず、軍備を含めた国家の政治力、経済力、心理力の使用と開発の技量(art)ないし科学(science)である。
②軍事戦略:武力の行使あるいは武力による脅威による国家方針の目的を確保するため、国の兵力を使用する技量(art)ないし科学(science)である

 まとめてみますと、戦略とは:
①「国家目的(あるいは戦争目的)の達成」に関わる概念である。
②目的達成に利用する(出来る)「資源」に関わる概念である。
③「使用」、「調整」、「開発」に関わる概念である。
ということですね。

 つまり、「目的を達成するために資源を活用すること」に関わる概念。これが「戦略」です。ここで短絡して「戦略とは目的を達成するために資源を活用することである」と定義しないこと。この段階でtakeoが述べているのは、「戦略とは目的を達成するために資源を活用することに関わる概念である」ということであり、戦略の定義ではありません。(この区別は大変重要)

 「目的を達成するために資源を活用する」ということを手がかりに先に進んでいきましょう。

○戦争について考えてみましょう。

①戦争とは別の手段をもって行われる政治の延長である(クウゼヴィッツ)
②戦争のゴールは「新しい・期待する形での平和」であり、最終的には旧敵と協働し て「新しい平和」を作り上げることである。
③戦争の目的は敵の継戦意志を打砕することである。
(つまり、自国ペースでの講和の交渉に入ることが戦争の目的)
 このように考えてきますと、「戦略」の意味がはっきりしてきます。
戦略とは、「戦争目的を達成するために戦力を活用することに関わる概念である」書き直すと、「戦略とは戦争目的を達成するために戦力を如何に使ったらよいか」ということに関わる概念、ですね。
(まだ「関わる概念」レベルであって「戦略の定義」ではないことに留意)

 ここで新しい要素を入れて考えてみましょう。環境と時間です。
いうまでもなく、戦争はある特定の環境において始められ・戦争の進行と平行して環境も変わっていきます(変化には戦争の遂行それ自体がもたらすもの、それとは直接関係なく起こるものがある)。つまり、「時間」とそれに伴って変化する「環境」は、
「戦力の活用」を図る上で必らず考慮しなければならない要因です。
そうしますと。
戦略とは:「ある条件下において戦われる戦争目的を達成するためには(現に有する&戦争期間を通じて調達可能な)戦力をどのように活用したらよいか」ということに関わる概念である、ということになります。

 ということで、いよいよ結論。
戦略とはズバリ、「戦争目的を達成するためには、戦力をどのように活用したらよいか」という問題に対する「このように活用すればよい(目的を達成できる)」という「解答」のことなのです。

takeo流「戦略」の定義:戦略とは戦争において戦力を活用して目的を達成するためのシナリオである」

「戦略とは戦争目的を達成するためのシナリオである」如何ですか?

●戦略とは戦争目的を達成するためのシナリオである。

 ということで、「戦略」とは開戦から戦争終結に至るまでのシナリオである、という定義にたどり着きました。
戦略とはシナリオである、というtakeo流とハートさん、幕僚学校さんの定義を比較してみましょう。

○戦略とは:
ハートさんの定義 :目的達成に向けた資源の調整・指向だ
幕僚学校さんの定義:目的達成に向けた資源活用の技量・科学だ
takeoさんの定義  :目的達成に向けた資源活用のシナリオだ

如何ですか? こうしてみると一目瞭然、
①ハート流はtakeo流のシナリオ作成の仕事の中身のこと
②幕僚学校流はtakeo流のシナリオ作成の技量のこと
であり、いずれも「戦略」そのものの定義ではないだろう、ということになりますね?
ということで、シナリオの中身について考え、「戦略」をさらにいっそう「戦略的思考」を指向しつつ(笑、検討していきましょう。

○シナリオは一つの物語の起承転結を記述したもの、としておきます。
シナリオ=戦略は、開戦から終結(開戦目的を達成する)まで、全体をどう導いていくか、という筋書きにあたります。これを構想するには
①環境及びその推移の見積もり
②敵の戦力及びその推移の見積もり
③我が戦力及びその推移の見積もり
が必須です。
予測される環境の中でどのように戦力を活用(配置・運用)したら首尾よく敵を講和に導くことが出来るか? 個々の状況において作成される「成功のためのシナリオ」こそが「戦略」なのです。

 皆さんはさまざまな機会に「戦略」について、特に「戦略の立て方」についての原理原則などを見聞されることがあると思います。それらの「原理原則」は戦略とはシナリオである、という理解を前提に「シナリオの書き方」として向き合ったときにはじめて有意義、「あなたの知恵の使い方を導く」ノウハウになるのです。 

○若干、論じ残したこともありますが、なにしろ、SCの戦略課題のスレッドに貢献すること、今日中にブログに投稿すること、という二つの課題を背負っていますので、不足分はあらためて彌縫することにして、とりあえず拙速で行きます。


●シナリオを構成するもの

国家・戦争の戦略は、
①上位目的を達成するために
②状況において(敵及び環境)
③戦争目的を達成することを目的として
④動員・調達可能な戦力を
⑤ある方向・方法をもって配置・運用する
シナリオのことです。

戦略を策定するということは、
①戦争目的、環 境、敵の状況、我が方の状況 について理解し、その理解を踏まえて、
②目的を達成するために戦力(軍事その他の戦争資源)を配置・運用する方向と方法を決定する、ということです。
このようにして決定されたものが「戦略」ということですね。

したがって、戦略とはある国がある状況において策定する一回こっきりの「戦争目的」
を達成するための「方向と方法=シナリオ」だということになります。
この意味では戦略はartと呼んでもいいかも知れません。

●戦術とは何か

戦略・戦術とセットで呼ばれることが多いのですが、戦略が一回こっきりの状況における目的達成のシナリオであるとするなら、「戦略」とはいったい何か?

「戦術」とは、過去の経験などから抽出された「戦争についてのノウハウ」のことです。
このように考えれば、「戦略・戦術」とは戦略=一回性の事態において策定される戦争の方向と方法・シナリオであり、戦術=戦争の仕方に着いてのノウハウということになります。「状況に対応する方法」と「方法を考えるために使えるノウハウ」ということになります。
 したがって、「戦術」には戦略レベルについてのノウハウもあれば、作戦レベル、戦闘レベル、あるいは兵站・通信など業務別などさまざまなレベル・分野で蓄積されています。
戦略策定を担当する人は、状況を的確に判断することと同時に、各般の戦術についての知識を持っていることが求められることになります。

「戦略と戦術」の関係についてこのような捉え方をしているのは、たぶん,takeoだけですね。この理解の有効性については「経営戦略」を検討する際に明らかになると思います。

●戦略の転換

戦略の転換はなぜ必要か、どんなときに必要か?

○転換の必要性:従来の戦略では目的達成が困難になったと判断されるとき、目的を達成するためには戦略を変更することが必要である。
○必要な時期:戦略の変更を必要とする場合とは、戦略決定の前提としていた事項(戦争目的、敵状、味方の状況、環境など)に従来の戦略の有効性を失わせるような変化が生じたとき。

※「SCの戦略転換」は、SCを取り巻く環境の変化が著しく、従来の戦略ではSCひいては企業の存続が難しいかも知れない、という状況判断の結果として取り組まれる訳です。
「戦略的課題」とは、「戦略の変更を要するような課題」、「戦略変更に伴って新しく発生する解決すべき課題」などを指します。
検索していただくと、当サイトでは、「戦略」、「戦略的課題」という語句が数多く使用されているはずですが、すべてこのような意味で用いているはずです。


●前段の終了

 以上をもって「企業にとって戦略とは何か」という問題に取り組む前準備として、「戦略」について考えてみました。
戦略の定義、戦争における位置、戦術との関係など、すべてtakeo流で展開しています。企業経営あるいは一般に問題を解決するにあたって、戦略ないし戦略的思考が如何に重要か、その策定に如何に取り組むべきかということは、後半の展開で明らかになると思います。
ともかく。以上の整理を理解しただけであなたの戦略策定能力、問題解決能力の向上への第一歩、戦略家への第一歩が踏み出されました。

 長くなりますので、とりあえずここまで。
次回はいよいよ「企業にとって戦略とは何か」本編をお届けします。
疑問・批判などコメント歓迎です。こちらにもどうぞ。
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1530&reno=no&oya=1530&mode=msgview&page=0

中心市街地活性化・3つの潮流

 中心市街地活性化、法律が施行されてからすでに7年が経過しましたが、なかなか活性化に成功した、という話が聞こえません。昨秋は総務省から「中心市街地はなぜ活性化できないか」、これまでの取り組み方について厳しい総括が出されるなど、これまでとは異なる趣向の取り組みが必要になっていることが誰の目にも明らかになっています。
 「まちづくり三法」の見直しも始まっており、その方向には大いに関心を持っています。いずれにしても、中心市街地、特にそこに立地する商店街については、自力で新しい「商業機能」として再生する以外に活性化することはできません。
商店街は、「ものが売れてなんぼ」、その盛衰を決めるのはもっぱらお客であり、お客の支持を得ることが出来る店づくり・まちづくりが出来るか否かに掛かっているのでありまして、商店街を法律などで保護することはとうてい出来ない相談です。

ということで、商店街は全盛期とは打って変わった環境のなかで新しい繁盛を再構築したかったら、街を「買い物の場」として再構築する以外に方法はありません。最近の商店街活性化の取り組みはどうなっているか、概観してみましょう。

 商店街活性化の取り組みは大きく3つの潮流に区分することができそうです。

その1 にぎわいづくり~店前通行量アップ~人口アップねらい
その2 「魅力ある個店づくり」:一店一品,単品の魅力でお客を集めて・・・・
その3 商業集積としての魅力づくり~ショッピングモールとしての再構築

それぞれの取り組みについて、思考実験を加えて検討します。


●その1 にぎわいづくり~店前通行量アップ~人口アップねらい

 最近ではご存じ、「コンパクトシティ」論の流行と相まってとみにもてはやされている潮流です。「活性化への取り組みには目標数値を掲げなければならない」「目標数値は来街者数の増加が適切だ」という、ちょっと考えると「なるほど」、しかしよく考えてみると「なにそれ」という話ですが、「コンパクトシティ」と相まってにわかに勢いづいている考えです。
勢いづいていますが、中身は、商店街の「古きよき時代を忘れられない」皆さんの主張と変わるところはありませんで、一言でいえば「人が多ければものが売れる」という恐るべき迷信に基づく主張。

○支持するのは商店街の「夢よもう一度」派の皆さん
 面白いことに、この考えが地域で受け入れられる条件としては、「遅れた商店主」の存在が不可欠です。すなわち、「人が増えれば商売のチャンスが生まれる」という単純素朴な考え方が通用するという基盤があってはじめて「人通り・人口が多ければものが売れる/居住者は根・来街者は茎・そして商業は街の花、人口が増えれば商業は活性化する」といったたとえ話が評価されるわけです。
 ただし、この評価は「遅れた」考えに基づいており、増えた人口/人通りと郊外型商業集積との関係、言い換えれば活性化を目指す中心市街地商業と郊外型商業との関係などについては全く検討されていない、あたかも郊外のショッピングセンターなどははなから存在していないかのような物の言い方/考え方です。
 このようなとても理論とか提唱とか呼ぶこともはばかられるような主張プラス商店街の「昔は人通りが多くて繁盛した・夢よもう一度」という支持者という勢力で「中心市街地活性化」の方向と方法が決定=合意形成されると、とんでもない結果に至ることが予測されます。

○「人が多くなれば街は活性化する」
 懐古趣味商業者と「商業に関する理解」に乏しい指導者の二人三脚があってはじめて選択される「方向と方法」ですが、もちろん、活性化が実現する可能性は万に一つもありません。以下、簡単に検討してみましょう。

 結局のところ、「とおりを歩く頭数を増やせば商店街は活性化する」、「活性化のためには居住者・来街者を増やせばよい」というのがこの潮流の主張ですが、この主張は、
①地域商業を取り巻く環境が大きく変化、従来型の商業機能が空洞化している中で、
②中心市街地立地の商業機能を再生・活性化する、という課題への取り組みにおいて、
③商業者の「環境変化への対応努力」の有無に関わりなく活性化を実現することを目指す
という中心市街地活性化の「方向と方法」を意味しています。

 買い物行き先があり余っている今日、果たしてこういう発想で活性化を実現できるものかどうか?
中心市街地に住んでいる人&これから住む人たち、どうして空洞化著しい中心市街地で買い物をしなければ行けないのか? みんな、今まで通り郊外のショッピングセンターに行くに決まっています。
普通のアタマを持っていれば、人が増えれば商店街が活性化する、などということはけしてあり得ない、ということが分かるはず。

 この路線を主張/採用している人たちは、
①中心市街地は空洞化しているが、それは環境が変わったからでも、買い物行き先が増えたからでも無い。
②空洞化は人通りがへったから、人通りを増やせばまた繁盛するようになる。
という、二つのことを前提にしている訳です。

 問題は、この路線を採用している人たちが、
①この路線を「活性化の方向と方法」として主張するには、上記の①及び②を論証しなければならない ということが分かっているか?
②分かっているとしたら。
 どうして論証作業を行わないのか? (特に専門家及び素人を自称しながらこの主張を売り歩いている人たち)
③分かっていない人たちは、
 人が増えるまでの間、どうやって暮らしを立てていくのか?
昔はよかった=人通りが多かったから、という誤った思い出から抜け出せない商店街のみなさん。

 ということで、この路線は提唱者から商店街のみなさんまで、たぶん、自分でもちょっと考えてみると、「どうしてこういうことを言ったり、信じたりしているのか」訳の分からないことを考え・信じて動いていらっしゃるのではないか?
 
○あの手この手
 「人が増えればものが売れる」と信じていますから自動的に、
 ・景観を整備すれば人が増える
 ・マンションを建てれば人が増える
 ・学校を誘致すれば人が増える
 ・イベントをすれば人が増える とゆ~ことになり、そ~ゆ~ことに取り組みたがる。
 こ~ゆ~ことを主張する人はすべて、「商業」、「小売業」が果たしている社会的役割が分かっていない、ということを自白しているに等しい。

 ・景観を整備すれば・人が増えてものが売れるか?
 ・マンションを建て・人が増えるとものが売れるか?
 ・学校を誘致して・人が増えるとものが売れるか?
 ・イベントをやって・人が増えるとものが売れるか?
と胸に手を当てて考えてみるとよい。
どういう商品が、どういう店で、なぜ売れるようになるといえるのか・・・?
周りにあるのは「活性化」が必要なショボい店ばかりのはずだが・・・

 あの手この手の集人・集客、いくらやっても中心市街地活性化を実現することはできません。分かり切ったことですね。
他の立場の人はいざ知らず、「在庫が回転してなんぼ」の商店主が今どき、こういう話にころりと騙されるようでは活性化の実現は夢のまた夢に終わります。
現実に自ら望んでそういう運命に陥ってしまっている商店街もけして少なくありません。その一端はクオールエイド社のサイトで紹介しています。


●その2 一店一品~単品の魅力でお客を集めて・・・・
 平凡な品揃えを買ってもらいたいという、いわば「羊頭狗肉の法」

 商店街の魅力は詰まるところ「魅力ある個店の存在だ」ということで、魅力ある個店を作るには=一店一品運動による魅力作りだ、という大昔に流行った手法に先祖帰りする話。

 考えてみましょう。そもそも「中心市街地活性化」という集積ぐるみの活性化への取り組みが提起されたのは、従来の「点や線単位の取り組みでは活性化が難しくなっている」という認識に基づいてのことです。
 とするなら、「中心市街地活性化」の取り組みは、従来の点(再開発ビル)や線(商店街)単位の取り組みを超えたものでなければならない。(そうしないと活性化はできない、というのが『中心市街地活性化法』制定の趣旨です)

 では、一店一品って「点や線での取り組みを超える」内容を持っているか?ということが評価のキモになりますが、ひとまずそのことは措きまして、「一店一品運動」の中身を考えてみるところからスタートしましょう。

○一店一品のバリエーションは、
 ①一品の良さ・魅力で来店を訴求、来店したお客に品揃えを買ってもらう
 ②一点を売り込むことを通じて、「マーケティング」の重要性を再確認、「意識改革」をして店づくりに取り組む契機にする
 ③各店から一点を集めて新しい販路を作る
などがあるようです。

①について。
 これは「できない相談」といわなければならない。
 これまで、品揃えがミスマッチのため遠ざかっていたお客が、品揃えから抽出した・これまでアピールが不足していた「一品」の魅力で来店し、一品を購入したとしましょう。そのついでに「他品」を購入する、という購買行動が期待出来るでしょうか?出来ませんね。もし、他品も売れる、ということなら「品揃えはOK」だったということであり、問題は宣伝・告知にあったのだ、ということになり、「効果的な宣伝広告」が課題だった、一点一品は品揃えをアピールする手段でしかなかった、ということになります。 
 一店一品運動に取り組むレベルのお店の品揃えが戦でさえすれば売れるようになる、ということは考えられませんから、①の可能性は限りなく低い。

②について。
 品揃えから一品を選択、工夫を凝らしてこれを「売れ筋」に仕立てることで、商品がよければ売れる」ことをあらためて体験、店づくりの改革に取り組む契機にする、という段取り。ありそうな話ですが、成功させるのはなかなか難しいと思います。
そんなことがもし出来るのなら、一品、また一品と時間をかけずにさっさと全体の改革にはじめから取りかかれるはず。

③について
 当初の目的であった「魅力ある個店づくり」を逸脱、話がとんでもない方向にぶっ飛んでしまっています。状況の進展に伴い方針が変わる、初志はどこへやら状況次第でどんどん目的・目標が変わっていく、やってはいけない取り組みの典型です。

 ということで、一品を集めて売って何がどうなるというのか?
その結果、参加した各店の店づくりはどうなるのか?
と考えれば、あまりにも当初の志とはかけ離れてしまった方向です。

○ご注意
 この路線は、これまでハード/ソフトの事業にまじめに取り組んできたところが最終的に陥りやすい陥穽です。
 いろいろやってきたが、活性化に近づけない。
原点に戻って「魅力ある個店づくりだ」「売れる店づくりだ」と言うことで、ここまではいいのですが、「作り方」が分からない。
そこで記憶の底からいつかどこかで聞いた「一店一品」を思い出し、子細の検討もしないまま採用してしまう・・・。

○問題点が二つあります。

その1 一点販促の彼方に「繁盛するの図」を描けるのか?
    一点が売れる、二点目が売れる、三、四・・・というように既存在庫に候補があるものでしょうか?
    拡大しないとすれば、新たな商品を導入することになるが新商品選定の基準は何でしょう?

その2 一点一品で来店したお客が商店街を回遊、他店のお客になる、というシナリオはどう描くのか?

 如何ですか? 結構な問題でしょ?
この二つの問題にはきちんと答えを出しておくことが必要です。
    
○羊頭狗肉・その手法
 一店一品運動に参加する店舗は、
 ①業績低迷中
 ②抜本的な改革が必要 という状況にあるわけですが、
 商店街全盛時代~現時点の状況の変化を考えれば、
 ①環境変化の理解
 ②環境条件の理解
 ③隣地環境の把握 
などをきちんと行った上で、現在の立地/規模/陣容で成立する業容を構想する、という作業が不可欠です。そのためには、なにはさておき、「作業に必要な理論・技術を装備する」ということが大前提になります。その結果として「何をどうすべきか」と言うことがわかる。

 ところが「一店一品」の場合は、
 ①立地、店舗規模、業容は現状のまま
 ②個店を取り巻く環境変化の把握、技術の修得などは省略
 ③既存店内在庫から「一品」を抽出
 ④販促をかけることで集客
 ⑤一品を二品、三品・・・と拡大していく
という、勉強無し、転換無しのお手軽路線ですからね。
 これで活性化・繁盛が実現できるのならホンットに言うことなし、当社もさっそく乗り移りたいところです。が、しかし。
 ①「一品」はほんとうに集客ツールとして役に立つのか?
 ②二品、三品と拡大していく候補アイテムが店内にあるのか?
 という疑問が起こる。

 ①について。
  一品とは:A・当店だけが取り扱っている商品 &or お客の支持を他に優先して得られるであろう商品、ということでしょうが、果たして当店にだけしか在庫がない商品でお客の支持を優先的に得られるというおあつらえ向きのアイテムが存在するだろうか? という疑問が生じますね。
 さらにそういうぴったりの商品があったとして、

 ②について
   一品に続く商品が店内在庫から発見することができるか? という疑問が生じる。もしあるとすれば、どうして最初からそうした「商品群」を一括してアピールしないのか? という疑問が起こる。
  もし二品、三品目の候補が無かったとしたら、新しく仕入れ・集荷することになるが、それならば、どうして最初から「一品を中心にした品揃えの改革」に取り組まないのか? という疑問が湧きます。

 もちろん、これらの仕事に取り組むには「店づくりの転換」に必要な知識・技術の修得という段階を踏むことが必要であり、一品から入って勉強抜きで「転換」に取り組むことはできません。
どこかの段階で必ず「勉強」をしなければならない。
「一店一品」にこだわるかぎり、「一品」という羊頭を掲げて従来通りの在庫という狗肉を売ろうとすることになりますが、店あまり/もの余りの今日、狗肉が売れるはずがありません。

○魅力ある個店づくり
 中心市街地活性化、多くの都市で既存の基本計画以下のスキームでは実現できないことが明らかになって来ました。取り組みを続けている間も街の空洞化は確実に進展しています。
 これではならじ、初心に帰って、ということで。
やはり個店が大事だ、個店が活性化しないと街の活性化はあり得ない、という「半分だけ正しい」総括を行い、「これからは個店の活性化だ」ということですね。
問題が二つあります。

 第一に、これまでの取り組みをどう総括するのか?
これまでの取り組みは「ダメだった」ということで済むでしょうか?

 これまでの取り組みかの教訓は何か?
その教訓は新しい(?)「魅力ある個店づくり」という方向を選択するにあたって、どのような役割を果たしたか?
今度こそ間違うことはない方向だ、と胸を張れる根拠があるか?
などなど、考えてみるべきことがいろいろあります。
もし、こういうことを考える手間暇を惜しんで選んだ「魅力ある個店づくり」だとすれば、またもや「こんなはずではなかった」ということになりかねません。

 第二に、個店の活性化のシナリオをどう描くのか?
「魅力ある個店」どういう手法で進めていくのか?
なぜそその方法を採用するのか?
ということはしっかり詰めておかないと、「個店レベル」の取り組みの場合、「取り組んでみたがダメだった」では済みません。

 第三に、取り組みをどう拡大していくか?
スタート時点から街ぐるみで取り組むというのはなかなか困難でしょうが、それでも取り組みは拡大していかないと中心市街地活性化にはつながりません。
個店から街全体へ、繁盛を拡げていくシナリオが必要です。


●潮流その3 正真正銘・活性化への道
 商業集積としての魅力づくり~ショッピングモールとしての再構築

 クオールエイド社が提唱している方向です。
 ①中心市街地所在の商業機能の再生を
 ②まず第一に既存個店の繁盛再現を柱に取り組み
 ③平行してその他の事業に取り組む
ことによって実現しようとするものです。

既述の2つの路線と異なるところは、
①既存個店の取り組みがきわめて重要である
②やればやっただけの効果がある
ということです。

①については説明する必要はないと思います。
②について。
 つまり、この路線を採用し実践に参加した個々の店舗は、「業容転換」に取り組むことによって、自店の繁盛を実現できる可能性が高い、ということです。

 事業に取り組む個店にとってこのことはきわめて重要です。
うちは一所懸命取り組んだが、よそがサボったために活性化できなかった、骨折り損おくたびれ儲け立った」ということがありません。「人出作り」や「一店一品」と大きく異なるところ。
 この路線については、クオールエイド社のサイトに詳しく展開しておりますのでご面倒ながらそちらを参照してください。

※このところ、中心市街地関係の記事が続きました。明日は趣向を変えて「企業にとって戦略とは何か?」お楽しみに。

中心市街地活性化・3つの潮流

 中心市街地活性化、法律が施行されてからすでに7年が経過しましたが、なかなか活性化に成功した、という話が聞こえません。昨秋は総務省から「中心市街地はなぜ活性化できないか」、これまでの取り組み方について厳しい総括が出されるなど、これまでとは異なる趣向の取り組みが必要になっていることが誰の目にも明らかになっています。
 「まちづくり三法」の見直しも始まっており、その方向には大いに関心を持っています。いずれにしても、中心市街地、特にそこに立地する商店街については、自力で新しい「商業機能」として再生する以外に活性化することはできません。
商店街は、「ものが売れてなんぼ」、その盛衰を決めるのはもっぱらお客であり、お客の支持を得ることが出来る店づくり・まちづくりが出来るか否かに掛かっているのでありまして、商店街を法律などで保護することはとうてい出来ない相談です。

ということで、商店街は全盛期とは打って変わった環境のなかで新しい繁盛を再構築したかったら、街を「買い物の場」として再構築する以外に方法はありません。最近の商店街活性化の取り組みはどうなっているか、概観してみましょう。

 商店街活性化の取り組みは大きく3つの潮流に区分することができそうです。

その1 にぎわいづくり~店前通行量アップ~人口アップねらい
その2 「魅力ある個店づくり」:一店一品,単品の魅力でお客を集めて・・・・
その3 商業集積としての魅力づくり~ショッピングモールとしての再構築

それぞれの取り組みについて、思考実験を加えて検討します。


●その1 にぎわいづくり~店前通行量アップ~人口アップねらい

 最近ではご存じ、「コンパクトシティ」論の流行と相まってとみにもてはやされている潮流です。「活性化への取り組みには目標数値を掲げなければならない」「目標数値は来街者数の増加が適切だ」という、ちょっと考えると「なるほど」、しかしよく考えてみると「なにそれ」という話ですが、「コンパクトシティ」と相まってにわかに勢いづいている考えです。
勢いづいていますが、中身は、商店街の「古きよき時代を忘れられない」皆さんの主張と変わるところはありませんで、一言でいえば「人が多ければものが売れる」という恐るべき迷信に基づく主張。

○支持するのは商店街の「夢よもう一度」派の皆さん
 面白いことに、この考えが地域で受け入れられる条件としては、「遅れた商店主」の存在が不可欠です。すなわち、「人が増えれば商売のチャンスが生まれる」という単純素朴な考え方が通用するという基盤があってはじめて「人通り・人口が多ければものが売れる/居住者は根・来街者は茎・そして商業は街の花、人口が増えれば商業は活性化する」といったたとえ話が評価されるわけです。
 ただし、この評価は「遅れた」考えに基づいており、増えた人口/人通りと郊外型商業集積との関係、言い換えれば活性化を目指す中心市街地商業と郊外型商業との関係などについては全く検討されていない、あたかも郊外のショッピングセンターなどははなから存在していないかのような物の言い方/考え方です。
 このようなとても理論とか提唱とか呼ぶこともはばかられるような主張プラス商店街の「昔は人通りが多くて繁盛した・夢よもう一度」という支持者という勢力で「中心市街地活性化」の方向と方法が決定=合意形成されると、とんでもない結果に至ることが予測されます。

○「人が多くなれば街は活性化する」
 懐古趣味商業者と「商業に関する理解」に乏しい指導者の二人三脚があってはじめて選択される「方向と方法」ですが、もちろん、活性化が実現する可能性は万に一つもありません。以下、簡単に検討してみましょう。

 結局のところ、「とおりを歩く頭数を増やせば商店街は活性化する」、「活性化のためには居住者・来街者を増やせばよい」というのがこの潮流の主張ですが、この主張は、
①地域商業を取り巻く環境が大きく変化、従来型の商業機能が空洞化している中で、
②中心市街地立地の商業機能を再生・活性化する、という課題への取り組みにおいて、
③商業者の「環境変化への対応努力」の有無に関わりなく活性化を実現することを目指す
という中心市街地活性化の「方向と方法」を意味しています。

 買い物行き先があり余っている今日、果たしてこういう発想で活性化を実現できるものかどうか?
中心市街地に住んでいる人&これから住む人たち、どうして空洞化著しい中心市街地で買い物をしなければ行けないのか? みんな、今まで通り郊外のショッピングセンターに行くに決まっています。
普通のアタマを持っていれば、人が増えれば商店街が活性化する、などということはけしてあり得ない、ということが分かるはず。

 この路線を主張/採用している人たちは、
①中心市街地は空洞化しているが、それは環境が変わったからでも、買い物行き先が増えたからでも無い。
②空洞化は人通りがへったから、人通りを増やせばまた繁盛するようになる。
という、二つのことを前提にしている訳です。

 問題は、この路線を採用している人たちが、
①この路線を「活性化の方向と方法」として主張するには、上記の①及び②を論証しなければならない ということが分かっているか?
②分かっているとしたら。
 どうして論証作業を行わないのか? (特に専門家及び素人を自称しながらこの主張を売り歩いている人たち)
③分かっていない人たちは、
 人が増えるまでの間、どうやって暮らしを立てていくのか?
昔はよかった=人通りが多かったから、という誤った思い出から抜け出せない商店街のみなさん。

 ということで、この路線は提唱者から商店街のみなさんまで、たぶん、自分でもちょっと考えてみると、「どうしてこういうことを言ったり、信じたりしているのか」訳の分からないことを考え・信じて動いていらっしゃるのではないか?
 
○あの手この手
 「人が増えればものが売れる」と信じていますから自動的に、
 ・景観を整備すれば人が増える
 ・マンションを建てれば人が増える
 ・学校を誘致すれば人が増える
 ・イベントをすれば人が増える とゆ~ことになり、そ~ゆ~ことに取り組みたがる。
 こ~ゆ~ことを主張する人はすべて、「商業」、「小売業」が果たしている社会的役割が分かっていない、ということを自白しているに等しい。

 ・景観を整備すれば・人が増えてものが売れるか?
 ・マンションを建て・人が増えるとものが売れるか?
 ・学校を誘致して・人が増えるとものが売れるか?
 ・イベントをやって・人が増えるとものが売れるか?
と胸に手を当てて考えてみるとよい。
どういう商品が、どういう店で、なぜ売れるようになるといえるのか・・・?
周りにあるのは「活性化」が必要なショボい店ばかりのはずだが・・・

 あの手この手の集人・集客、いくらやっても中心市街地活性化を実現することはできません。分かり切ったことですね。
他の立場の人はいざ知らず、「在庫が回転してなんぼ」の商店主が今どき、こういう話にころりと騙されるようでは活性化の実現は夢のまた夢に終わります。
現実に自ら望んでそういう運命に陥ってしまっている商店街もけして少なくありません。その一端はクオールエイド社のサイトで紹介しています。


●その2 一店一品~単品の魅力でお客を集めて・・・・
 平凡な品揃えを買ってもらいたいという、いわば「羊頭狗肉の法」

 商店街の魅力は詰まるところ「魅力ある個店の存在だ」ということで、魅力ある個店を作るには=一店一品運動による魅力作りだ、という大昔に流行った手法に先祖帰りする話。

 考えてみましょう。そもそも「中心市街地活性化」という集積ぐるみの活性化への取り組みが提起されたのは、従来の「点や線単位の取り組みでは活性化が難しくなっている」という認識に基づいてのことです。
 とするなら、「中心市街地活性化」の取り組みは、従来の点(再開発ビル)や線(商店街)単位の取り組みを超えたものでなければならない。(そうしないと活性化はできない、というのが『中心市街地活性化法』制定の趣旨です)

 では、一店一品って「点や線での取り組みを超える」内容を持っているか?ということが評価のキモになりますが、ひとまずそのことは措きまして、「一店一品運動」の中身を考えてみるところからスタートしましょう。

○一店一品のバリエーションは、
 ①一品の良さ・魅力で来店を訴求、来店したお客に品揃えを買ってもらう
 ②一点を売り込むことを通じて、「マーケティング」の重要性を再確認、「意識改革」をして店づくりに取り組む契機にする
 ③各店から一点を集めて新しい販路を作る
などがあるようです。

①について。
 これは「できない相談」といわなければならない。
 これまで、品揃えがミスマッチのため遠ざかっていたお客が、品揃えから抽出した・これまでアピールが不足していた「一品」の魅力で来店し、一品を購入したとしましょう。そのついでに「他品」を購入する、という購買行動が期待出来るでしょうか?出来ませんね。もし、他品も売れる、ということなら「品揃えはOK」だったということであり、問題は宣伝・告知にあったのだ、ということになり、「効果的な宣伝広告」が課題だった、一点一品は品揃えをアピールする手段でしかなかった、ということになります。 
 一店一品運動に取り組むレベルのお店の品揃えが戦でさえすれば売れるようになる、ということは考えられませんから、①の可能性は限りなく低い。

②について。
 品揃えから一品を選択、工夫を凝らしてこれを「売れ筋」に仕立てることで、商品がよければ売れる」ことをあらためて体験、店づくりの改革に取り組む契機にする、という段取り。ありそうな話ですが、成功させるのはなかなか難しいと思います。
そんなことがもし出来るのなら、一品、また一品と時間をかけずにさっさと全体の改革にはじめから取りかかれるはず。

③について
 当初の目的であった「魅力ある個店づくり」を逸脱、話がとんでもない方向にぶっ飛んでしまっています。状況の進展に伴い方針が変わる、初志はどこへやら状況次第でどんどん目的・目標が変わっていく、やってはいけない取り組みの典型です。

 ということで、一品を集めて売って何がどうなるというのか?
その結果、参加した各店の店づくりはどうなるのか?
と考えれば、あまりにも当初の志とはかけ離れてしまった方向です。

○ご注意
 この路線は、これまでハード/ソフトの事業にまじめに取り組んできたところが最終的に陥りやすい陥穽です。
 いろいろやってきたが、活性化に近づけない。
原点に戻って「魅力ある個店づくりだ」「売れる店づくりだ」と言うことで、ここまではいいのですが、「作り方」が分からない。
そこで記憶の底からいつかどこかで聞いた「一店一品」を思い出し、子細の検討もしないまま採用してしまう・・・。

○問題点が二つあります。

その1 一点販促の彼方に「繁盛するの図」を描けるのか?
    一点が売れる、二点目が売れる、三、四・・・というように既存在庫に候補があるものでしょうか?
    拡大しないとすれば、新たな商品を導入することになるが新商品選定の基準は何でしょう?

その2 一点一品で来店したお客が商店街を回遊、他店のお客になる、というシナリオはどう描くのか?

 如何ですか? 結構な問題でしょ?
この二つの問題にはきちんと答えを出しておくことが必要です。
    
○羊頭狗肉・その手法
 一店一品運動に参加する店舗は、
 ①業績低迷中
 ②抜本的な改革が必要 という状況にあるわけですが、
 商店街全盛時代~現時点の状況の変化を考えれば、
 ①環境変化の理解
 ②環境条件の理解
 ③隣地環境の把握 
などをきちんと行った上で、現在の立地/規模/陣容で成立する業容を構想する、という作業が不可欠です。そのためには、なにはさておき、「作業に必要な理論・技術を装備する」ということが大前提になります。その結果として「何をどうすべきか」と言うことがわかる。

 ところが「一店一品」の場合は、
 ①立地、店舗規模、業容は現状のまま
 ②個店を取り巻く環境変化の把握、技術の修得などは省略
 ③既存店内在庫から「一品」を抽出
 ④販促をかけることで集客
 ⑤一品を二品、三品・・・と拡大していく
という、勉強無し、転換無しのお手軽路線ですからね。
 これで活性化・繁盛が実現できるのならホンットに言うことなし、当社もさっそく乗り移りたいところです。が、しかし。
 ①「一品」はほんとうに集客ツールとして役に立つのか?
 ②二品、三品と拡大していく候補アイテムが店内にあるのか?
 という疑問が起こる。

 ①について。
  一品とは:A・当店だけが取り扱っている商品 &or お客の支持を他に優先して得られるであろう商品、ということでしょうが、果たして当店にだけしか在庫がない商品でお客の支持を優先的に得られるというおあつらえ向きのアイテムが存在するだろうか? という疑問が生じますね。
 さらにそういうぴったりの商品があったとして、

 ②について
   一品に続く商品が店内在庫から発見することができるか? という疑問が生じる。もしあるとすれば、どうして最初からそうした「商品群」を一括してアピールしないのか? という疑問が起こる。
  もし二品、三品目の候補が無かったとしたら、新しく仕入れ・集荷することになるが、それならば、どうして最初から「一品を中心にした品揃えの改革」に取り組まないのか? という疑問が湧きます。

 もちろん、これらの仕事に取り組むには「店づくりの転換」に必要な知識・技術の修得という段階を踏むことが必要であり、一品から入って勉強抜きで「転換」に取り組むことはできません。
どこかの段階で必ず「勉強」をしなければならない。
「一店一品」にこだわるかぎり、「一品」という羊頭を掲げて従来通りの在庫という狗肉を売ろうとすることになりますが、店あまり/もの余りの今日、狗肉が売れるはずがありません。

○魅力ある個店づくり
 中心市街地活性化、多くの都市で既存の基本計画以下のスキームでは実現できないことが明らかになって来ました。取り組みを続けている間も街の空洞化は確実に進展しています。
 これではならじ、初心に帰って、ということで。
やはり個店が大事だ、個店が活性化しないと街の活性化はあり得ない、という「半分だけ正しい」総括を行い、「これからは個店の活性化だ」ということですね。
問題が二つあります。

 第一に、これまでの取り組みをどう総括するのか?
これまでの取り組みは「ダメだった」ということで済むでしょうか?

 これまでの取り組みかの教訓は何か?
その教訓は新しい(?)「魅力ある個店づくり」という方向を選択するにあたって、どのような役割を果たしたか?
今度こそ間違うことはない方向だ、と胸を張れる根拠があるか?
などなど、考えてみるべきことがいろいろあります。
もし、こういうことを考える手間暇を惜しんで選んだ「魅力ある個店づくり」だとすれば、またもや「こんなはずではなかった」ということになりかねません。

 第二に、個店の活性化のシナリオをどう描くのか?
「魅力ある個店」どういう手法で進めていくのか?
なぜそその方法を採用するのか?
ということはしっかり詰めておかないと、「個店レベル」の取り組みの場合、「取り組んでみたがダメだった」では済みません。

 第三に、取り組みをどう拡大していくか?
スタート時点から街ぐるみで取り組むというのはなかなか困難でしょうが、それでも取り組みは拡大していかないと中心市街地活性化にはつながりません。
個店から街全体へ、繁盛を拡げていくシナリオが必要です。


●潮流その3 正真正銘・活性化への道
 商業集積としての魅力づくり~ショッピングモールとしての再構築

 クオールエイド社が提唱している方向です。
 ①中心市街地所在の商業機能の再生を
 ②まず第一に既存個店の繁盛再現を柱に取り組み
 ③平行してその他の事業に取り組む
ことによって実現しようとするものです。

既述の2つの路線と異なるところは、
①既存個店の取り組みがきわめて重要である
②やればやっただけの効果がある
ということです。

①については説明する必要はないと思います。
②について。
 つまり、この路線を採用し実践に参加した個々の店舗は、「業容転換」に取り組むことによって、自店の繁盛を実現できる可能性が高い、ということです。

 事業に取り組む個店にとってこのことはきわめて重要です。
うちは一所懸命取り組んだが、よそがサボったために活性化できなかった、骨折り損おくたびれ儲け立った」ということがありません。「人出作り」や「一店一品」と大きく異なるところ。
 この路線については、クオールエイド社のサイトに詳しく展開しておりますのでご面倒ながらそちらを参照してください。

※このところ、中心市街地関係の記事が続きました。明日は趣向を変えて「企業にとって戦略とは何か?」お楽しみに。

商店街・経営理論の水準

商店街活性化で前提にされていることの一つに、
「商店主はみんな商売のプロである」
ということがあります。

プロ=それで生計を立てている、ということでは確かにプロですが、他方、プロ=これからもずっとこの道で生計を立てて行く/行くことが出来る=これからも繁盛を続けられる、ということでは果たしてどうでしょうか?
 このように考えてみますと、プロとは、環境が変わってもちゃんと期待されている仕事が出来る人、というように定義することも出来そうです。これは経営者だけでなく、お客の条件にあわせて買い物の支援が出来ること=販売員さんなどにも言えることですね。

 プロとは:
①基礎となる能力を持ち
②状況の変化に応じて能力を応用・発揮できる人
のことですね。
この定義を用いるならば、環境の変化に対応できない商業者が果たしてプロといえるのか?という過激な疑問が生じたりするのであります。

 さらに言えば、状況に応じて能力の現れ方を自在に変える、ということができるには、
①基礎能力を持っている
②状況の変化を見極める
③状況の変化に対応する能力の使い方を工夫する
ということが必要です。

 業績の低迷にあえぐ中心商店街立地の個店の苦境の原因はどこにあるのか。

その1:基礎的能力は装備されているか
 ここでいう基礎能力とは、商売のイロハといったことではなくて、当社がいう店づくり3点セット、すなわち、
①品揃え
②接客サービス
③店舗内外の環境演出
についての基本的な知識・技術を装備しているかどうか、ということです。3要件とも業種・業態が変わり、ねらっている客相が変われば具体的な現れ方が変わります。当然です。
しかし、3つの要件とも、小売業であれば、あるいは専門店で有れば、当然備えておかなければならない、基本となることがあるはず。
それを持っているかどうか、ということです。

次に。
環境の変化をどのように理解しているか?ということ。
これも大切なことです。

三要件の基本・・・環境の条件・・・有るべき店づくり というように店づくりとは、環境の変化に対応して三要件の具体的な現れ方を変えていくことですから、
①店づくりの基礎を理解している とともに
②環境の変化を適切に理解している ということが大切です。
この二つがそろってはじめて今という時代のお客の生活ニーズ、買い物行動に対応する店づくりが可能になるわけです。

 とするならば、業績が低迷しているお店は、対応が出来ていない
・不十分だということであり、その原因は、
①店づくりの基本を修得していない
②環境条件の変化を適切に把握していない
のいずれか、あるいはその両方にある、ということになります。

 売れない原因、それは、
①小売業の基礎理論を持っていない
②環境変化を適切に把握していない
のいずれか、あるいは両方が原因となって、お客の生活ニーズ、買い物行動に適切に対応出来る店づくりが出来ていない、というところにあるわけです。
では、その原因は、ぶっちゃけ、どこに有るのか?

●商店街のヒミツ
 結論を先に言ってしまえば、商店街の現状は、
①小売業経営についての基礎理論を備えていない
②目下進行している環境の変化を適切に把握していない
 という二つのことが同時に作用してもたらされていることではないか、というのが私の判断です。
なぜそう判断できるか。

 第一に、商店街のみなさんの創業以来の足跡を考えてみればこのことは明らかです。
創業以来今日まで、みなさんは「小売業経営に関する理論」を修得する機会がありませんでした。また、実務の経験もそれほどいろんな業種・売り場を経験したことも有りませんから、自分の経験を基礎にみずから理論を組み立てる、ということもなかなか出来ませんでした。
 多くの商業者が先行する同業種あるいは異業種のお店の店づくりの「見よう見まね」+問屋・メーカーなど川上からのリテイルサポート=小売店支援で開店しています。
さらに、開店以後の経営は、問屋、売れ筋、店前通行量を頼りにした従来型経営プラス販促アイデアの試行錯誤ということで繁盛店を作り出してきました。
当時はそれが可能でしたからね。当時の状況とは、
①もの不足・買い物行き先不足という時代
②中心商店街は、最後の買い物行き先、ここで買わないと後がない。
③店前通行人は、もの不足、ものが欲しい人ばかり
という時代です。
 極論すれば、焼け跡闇市、店頭にものさえ並べておけば売れたという時代からの右肩上がりの線上に商店街全盛時代が到来した訳ですから、一般論など基本的な勉強はしなくても店頭さえ知っていれば商売は繁盛しました。
勉強などしなくても売れましたし、勉強する暇はないし、何よりも「勉強する機会」もありませんでした。
年に一、二度、会議所、組合主催の講習会にお義理で参加して「初心に帰る」ことが出来たらそれで商売が成り立ったわけです。

 以来、今日まで、小売業の基礎理論を本格的に学ぶ機会は一度もないまま、現在を迎えています。
商店街のみなさん、その多くは「もの不足・店不足」時代に誰ともなく作り出し、広がっていった当時の繁盛店の経営ノウハウしか持っていない、ということです。
これは大変なことですね。

 さらに、環境の変化をどう理解するか、ということ。
小売業にとって環境の変化とは、お客の生活の変化、購買行動の変化です。目に見えているとおり、商店街繁盛時代とは全く変わってしまったお客の行動をどのように理解すればよいのか?
これまた「理論」がなければ理解することは出来ませんが、商店街のみなさんが国民のライフスタイルの変化・消費購買ニーズの変化・買い物行動の変化をきちんと理解するために必要な理論的な枠組みを装備する機会もその必要性の自覚も(大勢としては)有りませんでした。

 ということで。
経営理論なく、環境変化の理解もない、という状況で「店づくりの転換」に取り組み新しい繁盛を実現する、とった経営課題に取り組むことが出来るはずがありません。
ここに、商店街商売が全国・全業種・枕を並べて不振のどん底に陥っている真の原因があります。
このことを直視し、具体的に対策を講じる以外に商店街が活性化されると言うことはありません。

●試行錯誤と出たとこ勝負
 試行錯誤とは、理論に基づいてしっかりした仮説を立て、仮説に基づいて考えられる行動をとることでより効果的に結果を得ようとする方法です。
当社が提案している「繁盛店づくり」は、それぞれのお店が仮説に基づいて「対策」を講じる、その結果を評価して次の段階に進んでいく、という試行錯誤法です。
・失敗したら・・・二度と同じ失敗は繰り返さない、
・成功したら・・・成功して理由が分かり、今後応用が可能
というメリットがあります。
 他方、出たとこ勝負というのは、「何でもいいからやらないよりやった方がまし」という「世間の合い言葉」を採用してやってみるということ。
・成功した場合:なぜ成功したのか分からない。
・失敗した場合:なぜ失敗したのか分からない。
つまり、今後の参考にはならない、ということです。
 この違いは表面、見た目よりもずっと大きいですからね。
試行錯誤の場合、
理論について相当の信頼性があることが前提・・・確認作業
仮説について相当の信頼性があることが前提・・・確認作業
と踏まえて「対応策」を考えるわけですから、この過程で「対応策」の効果は相当練り上げられることになります。
さらに、この作業は知らず知らずのうちに本人の「問題解決能力」を向上させます。
重要なことは、なぜ成功したか/失敗したか、その理由を他人に伝えることができる、ということです。この場合、他人には「将来の自分も含まれます。

 出たとこ勝負の場合
勝負の一手を選ぶための作業は決まっていません。たとえば、先行事例、占い、思いつき何でもありですね。
出たとこ勝負で能力がアップするということは無いのです。
手法を重ねていくことはこの差がどんどん広がっていくことを意味します。
もちろんこちらは「なぜ成功(失敗)したのか」その理由を他人(未来の自分を含む)に伝えることが出来ません。

 商店街ぐるみで繁盛店づくりに取り組む場合、試行錯誤法で取り組まなければならない理由がここにあります。
試行錯誤法に基づく実践だけがその結果(成功にせよ失敗にせよ)を次の試行に活用することが出来ます。
このことは、「先行事例に学ぶ」時に忘れてはならない態度です。
成功事例にせよ、失敗事例にせよ、事例から学ぶにはその事例がどのような目的を達成するために、どのような理論・仮説に基づいて取り組まれたのか、ということを理解することがきわめて大切です。


●商店街全盛時代の経営理論
 商店街全盛時代の経営、その依って立つ仮説を作ってみますと。
当時の経済・社会的特徴は、
①生活財普及の時代
②所得向上の時代
③余暇増大の時代
④競争過小の時代
⑤消費者未熟の時代
⑥消費人口漸増の時代
ということだったと思います。

このような時代背景であったから、
①立地(店前通行量)に頼り
②問屋情報に頼り
③自店売れ筋頼り
という構えで商売を繁盛させることが出来ました。
これが当時の商売の「王道」だった、といえるかも知れません。
 問題は、当時の商売のあり方・業容が、上記のような経営環境を前提として成立した「時代限定的・成功の方程式」だったということを忘れ、「普遍的・成功の法則」であるかのように位置づけていたこと。つまり、経営環境が変われば店づくりも変えなければならない、ということが「役に立つ」レベルで身についていなかった、ということです。
その名残りは今日もなお、店づくりのあちこちに居座っています。

 当時の経営は、ご本人たちが意識していた/いなかったは別として、店づくりとしてはその環境に適応していました。
ただ、店づくりが「仮説」に基づいている、という理解がなかったことがその後の環境不適応の原因です。
つまり、その時々の「店づくり」は仮説に基づいているものではなくく、「生きた商売のあり方」として「実地」に根ざしている、と考えられたわけですね。このような「理屈」と「実際」を区分する考え方はなにも商業に限ったことではありませんが、「もの作り」のように仮説と実際が離れては成り立たないところとは異なり、人と人との交渉が主である小売業では、より強く「理屈と実際は違う」という思いこみが残っているのかも知れません。

 いずれにせよ。
商店街全盛時代の経営ノウハウは、当時の誰かが「仮説」として考案し、店づくりに採用してみたところ「うまく機能した」という「創意工夫」から始まっています。その背後には「仮説」=「こうすればこうなるはず」という仮説があったことはいうまでもありません。
この「仮説」が、成功しやがて「商売の実際」と位置づけられ、環境条件が変化して「仮説」が性行ノウハウとしては成り立たなくなっていても相変わらず生き続けている、というのが商業界の現状ではないでしょうか。


● 大・転・換
 商店街の経営環境・昔と今
上述のとおり、当時の経済・社会的特徴は、     
> ①生活財普及の時代         
> ②所得向上の時代         
> ③余暇増大の時代         
> ④競争過小の時代         
> ⑤消費者未熟の時代        
> ⑥消費人口漸増の時代       
> ということだったと思います。 

これらの趨勢は今やことごとく転換というか、文字通りひっくり返ってしまいました。
①消費財:もの余り/気に入る商品は少ない
②所 得:停滞・漸減・二極分化
③余 暇:活動領域の拡大
④競 争:激化・店あまり
⑤消費者:成熟・買い物行き先使い分け・買い控え
⑥人 口:漸減・少子高齢化

 古き良き時代の経営方針は、 
①立地(店前通行量)に頼り      
②問屋情報に頼り           
③自店売れ筋頼り           
ということでしたが、もちろん、もはやこのようなかっての「繁盛の秘訣」はことごとく通用しなくなっています。
 問題は、当時の商売のあり方・業容が、上記のような経営環境を前提として成立した「時代限定的・成功の方程式」だったということに気がつかず、時代限定の「成功」だったノウハウを「普遍的・成功の法則」であるかのように勘違い・位置づけたこと。つまり、経営環境が変われば店づくりも変えなければならない、ということが「役に立つ」レベルで身についていなかった、ということです。
 環境の変化に伴う業績の低下が漸進的だったため、「今日からは抜本的に方針を変えなければならない」というきっかけが無かったわけで、放っておきますとこの傾向は現在~将来も、たぶん、ずうっと続きます。

 商店街のみなさん、この間、けして手をこまねいていたわけではありませんが、着手した対応策が「時代の転換」への対策、というレベルでは無かった、というところに問題がありました。もちろん、これはひとり商店街立地の商業者に限られたものではなく、今をときめく?郊外型SC立地の商業者の多くにも共有されていることは、当サイト常連の皆さんにはすでに常識ですね。
以上のような状況については、少なくともTMO推進体制の中核を担う人たちは理解しておくことが必要です。 もちろん、このような状況を突破していく方向&方法についても。
理解は対応策とセットになっていないと単なる「知識」に終わってしまいます。
 また、個々の商業者の皆さんは、自分のこれまでの経営が、
①特定の時代環境においてのみ有効な商業経営手法の 
②「見よう見まね」を基本とする経営だった
ということをきちんと自覚、「転換」に対応しうる経営の基本を確保する、ということが必要です。

 中心市街地活性化、本当に実現したいならこのあたりを避けたまま前進することは出来ません。すなわち、ここで述べていることをヌキにしたまま、個店が新設の核施設に入居したり、郊外立地へ移転したり、SCテナントとして脱出したりしても抜本的な改革にはなりません。このとは特に声を大にして申し上げておきたいと思います。
 商店街の究極の問題は、直面している課題と採用されている解決策との間に大きなギャップが存在しており、かつ、そのことが自覚されていない、というところにあります。
このことは、いくら声を大にして言ってもけして声が大きすぎると言うことはありませんが、@商店街の味方 にしか言えないことかも知れません(笑

商店街・経営理論の水準

商店街活性化で前提にされていることの一つに、
「商店主はみんな商売のプロである」
ということがあります。

プロ=それで生計を立てている、ということでは確かにプロですが、他方、プロ=これからもずっとこの道で生計を立てて行く/行くことが出来る=これからも繁盛を続けられる、ということでは果たしてどうでしょうか?
 このように考えてみますと、プロとは、環境が変わってもちゃんと期待されている仕事が出来る人、というように定義することも出来そうです。これは経営者だけでなく、お客の条件にあわせて買い物の支援が出来ること=販売員さんなどにも言えることですね。

 プロとは:
①基礎となる能力を持ち
②状況の変化に応じて能力を応用・発揮できる人
のことですね。
この定義を用いるならば、環境の変化に対応できない商業者が果たしてプロといえるのか?という過激な疑問が生じたりするのであります。

 さらに言えば、状況に応じて能力の現れ方を自在に変える、ということができるには、
①基礎能力を持っている
②状況の変化を見極める
③状況の変化に対応する能力の使い方を工夫する
ということが必要です。

 業績の低迷にあえぐ中心商店街立地の個店の苦境の原因はどこにあるのか。

その1:基礎的能力は装備されているか
 ここでいう基礎能力とは、商売のイロハといったことではなくて、当社がいう店づくり3点セット、すなわち、
①品揃え
②接客サービス
③店舗内外の環境演出
についての基本的な知識・技術を装備しているかどうか、ということです。3要件とも業種・業態が変わり、ねらっている客相が変われば具体的な現れ方が変わります。当然です。
しかし、3つの要件とも、小売業であれば、あるいは専門店で有れば、当然備えておかなければならない、基本となることがあるはず。
それを持っているかどうか、ということです。

次に。
環境の変化をどのように理解しているか?ということ。
これも大切なことです。

三要件の基本・・・環境の条件・・・有るべき店づくり というように店づくりとは、環境の変化に対応して三要件の具体的な現れ方を変えていくことですから、
①店づくりの基礎を理解している とともに
②環境の変化を適切に理解している ということが大切です。
この二つがそろってはじめて今という時代のお客の生活ニーズ、買い物行動に対応する店づくりが可能になるわけです。

 とするならば、業績が低迷しているお店は、対応が出来ていない
・不十分だということであり、その原因は、
①店づくりの基本を修得していない
②環境条件の変化を適切に把握していない
のいずれか、あるいはその両方にある、ということになります。

 売れない原因、それは、
①小売業の基礎理論を持っていない
②環境変化を適切に把握していない
のいずれか、あるいは両方が原因となって、お客の生活ニーズ、買い物行動に適切に対応出来る店づくりが出来ていない、というところにあるわけです。
では、その原因は、ぶっちゃけ、どこに有るのか?

●商店街のヒミツ
 結論を先に言ってしまえば、商店街の現状は、
①小売業経営についての基礎理論を備えていない
②目下進行している環境の変化を適切に把握していない
 という二つのことが同時に作用してもたらされていることではないか、というのが私の判断です。
なぜそう判断できるか。

 第一に、商店街のみなさんの創業以来の足跡を考えてみればこのことは明らかです。
創業以来今日まで、みなさんは「小売業経営に関する理論」を修得する機会がありませんでした。また、実務の経験もそれほどいろんな業種・売り場を経験したことも有りませんから、自分の経験を基礎にみずから理論を組み立てる、ということもなかなか出来ませんでした。
 多くの商業者が先行する同業種あるいは異業種のお店の店づくりの「見よう見まね」+問屋・メーカーなど川上からのリテイルサポート=小売店支援で開店しています。
さらに、開店以後の経営は、問屋、売れ筋、店前通行量を頼りにした従来型経営プラス販促アイデアの試行錯誤ということで繁盛店を作り出してきました。
当時はそれが可能でしたからね。当時の状況とは、
①もの不足・買い物行き先不足という時代
②中心商店街は、最後の買い物行き先、ここで買わないと後がない。
③店前通行人は、もの不足、ものが欲しい人ばかり
という時代です。
 極論すれば、焼け跡闇市、店頭にものさえ並べておけば売れたという時代からの右肩上がりの線上に商店街全盛時代が到来した訳ですから、一般論など基本的な勉強はしなくても店頭さえ知っていれば商売は繁盛しました。
勉強などしなくても売れましたし、勉強する暇はないし、何よりも「勉強する機会」もありませんでした。
年に一、二度、会議所、組合主催の講習会にお義理で参加して「初心に帰る」ことが出来たらそれで商売が成り立ったわけです。

 以来、今日まで、小売業の基礎理論を本格的に学ぶ機会は一度もないまま、現在を迎えています。
商店街のみなさん、その多くは「もの不足・店不足」時代に誰ともなく作り出し、広がっていった当時の繁盛店の経営ノウハウしか持っていない、ということです。
これは大変なことですね。

 さらに、環境の変化をどう理解するか、ということ。
小売業にとって環境の変化とは、お客の生活の変化、購買行動の変化です。目に見えているとおり、商店街繁盛時代とは全く変わってしまったお客の行動をどのように理解すればよいのか?
これまた「理論」がなければ理解することは出来ませんが、商店街のみなさんが国民のライフスタイルの変化・消費購買ニーズの変化・買い物行動の変化をきちんと理解するために必要な理論的な枠組みを装備する機会もその必要性の自覚も(大勢としては)有りませんでした。

 ということで。
経営理論なく、環境変化の理解もない、という状況で「店づくりの転換」に取り組み新しい繁盛を実現する、とった経営課題に取り組むことが出来るはずがありません。
ここに、商店街商売が全国・全業種・枕を並べて不振のどん底に陥っている真の原因があります。
このことを直視し、具体的に対策を講じる以外に商店街が活性化されると言うことはありません。

●試行錯誤と出たとこ勝負
 試行錯誤とは、理論に基づいてしっかりした仮説を立て、仮説に基づいて考えられる行動をとることでより効果的に結果を得ようとする方法です。
当社が提案している「繁盛店づくり」は、それぞれのお店が仮説に基づいて「対策」を講じる、その結果を評価して次の段階に進んでいく、という試行錯誤法です。
・失敗したら・・・二度と同じ失敗は繰り返さない、
・成功したら・・・成功して理由が分かり、今後応用が可能
というメリットがあります。
 他方、出たとこ勝負というのは、「何でもいいからやらないよりやった方がまし」という「世間の合い言葉」を採用してやってみるということ。
・成功した場合:なぜ成功したのか分からない。
・失敗した場合:なぜ失敗したのか分からない。
つまり、今後の参考にはならない、ということです。
 この違いは表面、見た目よりもずっと大きいですからね。
試行錯誤の場合、
理論について相当の信頼性があることが前提・・・確認作業
仮説について相当の信頼性があることが前提・・・確認作業
と踏まえて「対応策」を考えるわけですから、この過程で「対応策」の効果は相当練り上げられることになります。
さらに、この作業は知らず知らずのうちに本人の「問題解決能力」を向上させます。
重要なことは、なぜ成功したか/失敗したか、その理由を他人に伝えることができる、ということです。この場合、他人には「将来の自分も含まれます。

 出たとこ勝負の場合
勝負の一手を選ぶための作業は決まっていません。たとえば、先行事例、占い、思いつき何でもありですね。
出たとこ勝負で能力がアップするということは無いのです。
手法を重ねていくことはこの差がどんどん広がっていくことを意味します。
もちろんこちらは「なぜ成功(失敗)したのか」その理由を他人(未来の自分を含む)に伝えることが出来ません。

 商店街ぐるみで繁盛店づくりに取り組む場合、試行錯誤法で取り組まなければならない理由がここにあります。
試行錯誤法に基づく実践だけがその結果(成功にせよ失敗にせよ)を次の試行に活用することが出来ます。
このことは、「先行事例に学ぶ」時に忘れてはならない態度です。
成功事例にせよ、失敗事例にせよ、事例から学ぶにはその事例がどのような目的を達成するために、どのような理論・仮説に基づいて取り組まれたのか、ということを理解することがきわめて大切です。


●商店街全盛時代の経営理論
 商店街全盛時代の経営、その依って立つ仮説を作ってみますと。
当時の経済・社会的特徴は、
①生活財普及の時代
②所得向上の時代
③余暇増大の時代
④競争過小の時代
⑤消費者未熟の時代
⑥消費人口漸増の時代
ということだったと思います。

このような時代背景であったから、
①立地(店前通行量)に頼り
②問屋情報に頼り
③自店売れ筋頼り
という構えで商売を繁盛させることが出来ました。
これが当時の商売の「王道」だった、といえるかも知れません。
 問題は、当時の商売のあり方・業容が、上記のような経営環境を前提として成立した「時代限定的・成功の方程式」だったということを忘れ、「普遍的・成功の法則」であるかのように位置づけていたこと。つまり、経営環境が変われば店づくりも変えなければならない、ということが「役に立つ」レベルで身についていなかった、ということです。
その名残りは今日もなお、店づくりのあちこちに居座っています。

 当時の経営は、ご本人たちが意識していた/いなかったは別として、店づくりとしてはその環境に適応していました。
ただ、店づくりが「仮説」に基づいている、という理解がなかったことがその後の環境不適応の原因です。
つまり、その時々の「店づくり」は仮説に基づいているものではなくく、「生きた商売のあり方」として「実地」に根ざしている、と考えられたわけですね。このような「理屈」と「実際」を区分する考え方はなにも商業に限ったことではありませんが、「もの作り」のように仮説と実際が離れては成り立たないところとは異なり、人と人との交渉が主である小売業では、より強く「理屈と実際は違う」という思いこみが残っているのかも知れません。

 いずれにせよ。
商店街全盛時代の経営ノウハウは、当時の誰かが「仮説」として考案し、店づくりに採用してみたところ「うまく機能した」という「創意工夫」から始まっています。その背後には「仮説」=「こうすればこうなるはず」という仮説があったことはいうまでもありません。
この「仮説」が、成功しやがて「商売の実際」と位置づけられ、環境条件が変化して「仮説」が性行ノウハウとしては成り立たなくなっていても相変わらず生き続けている、というのが商業界の現状ではないでしょうか。


● 大・転・換
 商店街の経営環境・昔と今
上述のとおり、当時の経済・社会的特徴は、     
> ①生活財普及の時代         
> ②所得向上の時代         
> ③余暇増大の時代         
> ④競争過小の時代         
> ⑤消費者未熟の時代        
> ⑥消費人口漸増の時代       
> ということだったと思います。 

これらの趨勢は今やことごとく転換というか、文字通りひっくり返ってしまいました。
①消費財:もの余り/気に入る商品は少ない
②所 得:停滞・漸減・二極分化
③余 暇:活動領域の拡大
④競 争:激化・店あまり
⑤消費者:成熟・買い物行き先使い分け・買い控え
⑥人 口:漸減・少子高齢化

 古き良き時代の経営方針は、 
①立地(店前通行量)に頼り      
②問屋情報に頼り           
③自店売れ筋頼り           
ということでしたが、もちろん、もはやこのようなかっての「繁盛の秘訣」はことごとく通用しなくなっています。
 問題は、当時の商売のあり方・業容が、上記のような経営環境を前提として成立した「時代限定的・成功の方程式」だったということに気がつかず、時代限定の「成功」だったノウハウを「普遍的・成功の法則」であるかのように勘違い・位置づけたこと。つまり、経営環境が変われば店づくりも変えなければならない、ということが「役に立つ」レベルで身についていなかった、ということです。
 環境の変化に伴う業績の低下が漸進的だったため、「今日からは抜本的に方針を変えなければならない」というきっかけが無かったわけで、放っておきますとこの傾向は現在~将来も、たぶん、ずうっと続きます。

 商店街のみなさん、この間、けして手をこまねいていたわけではありませんが、着手した対応策が「時代の転換」への対策、というレベルでは無かった、というところに問題がありました。もちろん、これはひとり商店街立地の商業者に限られたものではなく、今をときめく?郊外型SC立地の商業者の多くにも共有されていることは、当サイト常連の皆さんにはすでに常識ですね。
以上のような状況については、少なくともTMO推進体制の中核を担う人たちは理解しておくことが必要です。 もちろん、このような状況を突破していく方向&方法についても。
理解は対応策とセットになっていないと単なる「知識」に終わってしまいます。
 また、個々の商業者の皆さんは、自分のこれまでの経営が、
①特定の時代環境においてのみ有効な商業経営手法の 
②「見よう見まね」を基本とする経営だった
ということをきちんと自覚、「転換」に対応しうる経営の基本を確保する、ということが必要です。

 中心市街地活性化、本当に実現したいならこのあたりを避けたまま前進することは出来ません。すなわち、ここで述べていることをヌキにしたまま、個店が新設の核施設に入居したり、郊外立地へ移転したり、SCテナントとして脱出したりしても抜本的な改革にはなりません。このとは特に声を大にして申し上げておきたいと思います。
 商店街の究極の問題は、直面している課題と採用されている解決策との間に大きなギャップが存在しており、かつ、そのことが自覚されていない、というところにあります。
このことは、いくら声を大にして言ってもけして声が大きすぎると言うことはありませんが、@商店街の味方 にしか言えないことかも知れません(笑


郊外型ショッピングセンターの正体

 郊外型ショッピングセンターのテナントミックスはどのような原理に基づいて構成されているのでしょうか?
最近、仕事で出かけた夢タウン光の森(熊本市郊外)、ダイヤモンドシティ東浦店(愛知県)をネタに当社創発の「業容理論」を使って考えてみました。

その結果見えてきたショッピングセンターの正体とは?

 上記2店はもとより、ほとんどの郊外型SC、その「テナントミックス」たるや、
①SM+GMSというキーテナント
②モールのギャル、ファミリー向け「専門店」
③書店、AV、雑貨などのカテゴリーキラー
ということで、客層、購買動機、プロモーションなどなど、従来のマーケティングの常識に基づく「テナントミックス」理論では考えられない混合ぶりです。
 デベロッパーもテナントも戦略としては「競合SCとの差別化」を追求しているにも関わらず、結果的にどうして現状のような混合かつ金太郎飴になってしまうのか? ナゾですね。このナゾ、「業容理論」が解き明かします(笑。

◆テナントミックス
もう少し詳しく見ますと。
①「キーテナント」:
 その集積における買い物の「相」テナントミックスを方向付ける力を 持つ店舗。
  我が国のSCのほとんどがキーに量販百貨店を配置しています。
 ということは、SCは、量販百貨店を核とすることでその業容を方向 付けられている、ということになります。
②モールのギャル、ファミリー向け「専門店」
 これは二つに分類することができます。
 1.デスティネーション・ショップ(と名付けてみました):
  特定の客相にとってSCに出かけてくる・来店目的になる業容のテ  ナント(SPAを含む)
 2.もっぱら店前通行量依存のその他のショップ
  その多くは、いち早く流行を取り入れたギャル~ヤング向けファッ  ションであることはご承知のとおり。

③書店、AV、雑貨などのカテゴリーキラー
 これも業容によりデスティネーション性を持つ/持たない に区分で きますね。

 さて「業容理論」的には、お店は、
①品揃え
②サービス
③演出(こないだまでは「環境」としていました)
のバランスで販売促進・誘客し、購買促進で売り上げを作っていくわけですが、上記のようなさまざまなショップで構成されるSの場合、量販百貨店をキーとしてうまく「ミックス」されているのでしょうか?

◎デベロッパーさん
 SC開発を生業とするデベロッパーさんのテナントミックス構築にあたっての最初の意気込みはいうまでもなく、
①元気のいい店を集める
②客数が増える
③買い回り期待
④売り上げアップ
⑤競合に勝利する
ということを目指しています。

 したがってテナントミックスは、デスティネーションショップをはじめSC常連の専門店群、おなじく御用達のカテゴリーキラーなどが軒を連ねることになる。
加えて可能な場合は地元有力ショップ。これは競合との「差別化」ねらい。もっとも最近ではあまり期待されていないかも知れません。その理由は後ほど。
 さて、だれもが「差別化」を願い、工夫して開設されるSCですが、どうして「金太郎飴」になってしまうのでしょうか?

◎SCの現状
 理由が三つありまして。
①差別化を目指すと、類型化する。
 どういうことかといいますと、我がSC業界において同業他店と差別 化を目指すということは、
 ・同業他店にあるものはすべてそろえ、その上で
 ・同業他店にないものを付け加える。 ということです。
 そうしますと、とりあえず、基本的なテナントミックスは「相似  形」になります。
ここで他店に差をつけたい、という+アルファ、オープン当初はそろえてみますが長続きしません。次第に淘汰され、「元気のいい店」すなわちどこのSCにでもあるショップだけにいつの間にかなってしまう・・・。
 ちなみに、「淘汰」されるとは、SC内部の競合で落ちこぼれていく、ということだけではありません。
「お客がいない」業容つまり、SC向きでないショップはたちまち「敗退」ですからね。

②「元気のいい店」を集めると類型化する
「元気のいい店」には2種ありまして、
まず、自他社を問わず、SCテナントとして繁盛している業容を確立しているショップ。
もう一つは、新しくオープンする地域の商店街で繁盛している店

 差別化戦略一辺倒のデベロッパーとしては両方そろえたい気持ち山々だと思います。ところが、前述のとおり、地元繁盛店は「SCという商売」を理解していません(あっと驚く、SC側もひょっとしたら自分の業容をきちんと把握していないかも知れません)。
うちの地域じゃうちが一番店だし、SCが広域から集客してくれれば、その分うちのお客が増える、なぁんて架空の算盤を弾いて出店してみると見事に空振り・・・。
結局、「元気のいい店」はどのSCにも出店している「SC業容」のショップばかり、ということになる。

 かくして。
先行SCと差別化する/先行SCを陳腐化するには。
先行SCのテナントミックスをそっくり再現した上、さらに。
先行SCが(規模その他の関係で)編制に入れていない「元気のいい店」を引っ張ってこなければならない。
そうしますと。
売り場面積を先行SCよりも広くすることが戦略課題になる。
さらに。
後続参入を防ぐには、思いっきりでっかく、「元気のいい店」をありったけ収容できる規模のハコを作る。
ということになりますね。行くつくところ。

 とりあえずこの話はここまで。
SCの行く手に何が待っているか、対処の着眼などについては改めてアップします。

◎SCテナントの業容
 さて業容理論的には、お店は既述のとおり、「三点セット」のバランスで誘客し、売り上げを作っていくわけですが、上記のようなさまざまなショップで構成されるSCですが、量販百貨店をキーとしてうまく「ミックス」されているのでしょうか?
 SCのテナントミックス、キーストア以下を見ますと、一見、ねらっている客相はさまざま、したがって店づくり・業容も多様ですが、共通していることが一つあります。
それは、
販売方法が「セルフ」主体である、ということです。
つまり業容3点セット
①品揃え
②サービス
③演出
のうち、②サービス がセルフである、ということです。

 そうしますと。
品揃え、演出も「セルフ」とバランスの取れたセットでないと売れない=元気のいい店になれない、ということですね。
SCのキーテナントの定義を思い出しましょう。
「その集積における買い物の「相」テナントミックスを方向付ける力を持つ店舗」でしたね。この定義からすると。
キーがもっぱらセルフ販売を主力とする量販百貨店であるということは、SCの業容は、サービスのあり方=「セルフ」だということになります。そんな馬鹿な、SC内には多様な業容のショップが成立するだろう、と思うのは当然ですが成立いたしません。ダメなのです。

○なぜか?
 その前に御地のSCを思い出して見ましょう。
すべてのショップがセルフ業容のはずです。
スタート時点では「目玉」だったかも知れない、地域一番店・接客販売のブティックなどはすでに撤退しています。
SC風に「セルフ」を目指しましたが、ダメでした。

差別化を目指して編入した接客型のショップはことごとく敗退しました。敗退とはもちろん業績不振。
どうして業績が不振だったかといえば・・・。

「業績不振の3大要因」、
①お客がいない
②お客が知らない
③もっといい店がある
のうち、どれに該当したのでしょう?

 SCの場合、お客から「私には関係のない店」と判断されることが、業績不振の唯一の原因。
「関係のない店」は淘汰され、後に残ったのは「元気のいい店」ばかり、お客から見て「買い物行き先」と評価される店ばかり。  
 で、この「元気のいい店」の「提供方法」がほとんど「セルフ」であるということがSC業容の特徴でありまして、
どうしてそうなるのか?

○self mede manというアプローチ
 本来の意味は「たたき上げ」といいましょうか、手助け無しで成功した人、というような意味ですね。
独学で勉強した人も self made man 、さしずめtakeoなどはself made consultantということになる(笑

 これをライフスタイルに援用してみますと。
self mede man:生活のある部分について、独力で作り上げる人。
もちろん、交換経済の現段階において生活局面に必要な材料を独力で作り上げることが出来る人はそうそうはありません。
この場合、self made とは、購買過程において自力で選択して生活を作る、という意味になります。
奇しくも販売側ではself service などといっております。
self service 販売で求められるものは、self made life の材料ということになる。
 ではself service という販売方法を離礁してself mede される生活とはどのような生活か?

※self madeな生活
 大きく二つに分けることが出来ます。
その1:
 その生活分野全体を熟知しており、self抜きで自分のビジョン通りの生活を作り上げることが出来る、という場合の買い物。
たとえば、主婦相の献立材料調達など。おなじく、家家族用下着、「実用衣料」などの買い物とか。
当社の購買行動の四象限で「当 用」とされている領域ですね。

その2:
 その生活に余り「こだわり」がなく、適当な商品が適当な価格で提供されていればそこからピックアップすればよい、という場合の買い物。
こちらは少々凝っていまして。
好みよりも他の側面を重視した買い物。
あっと驚く、流行に追随するヤングの購買などもこの部類でしょう。
何を買うかは、自分の好みよりも流行優先、一シーズンで着倒しが原則ですから低価格。となれば限りなくself service という業容のお店に向かうことになる。

 ということで、もはや説明は無用、ショッピングセンターのテナントミックスは、self shop のオンパレード、ターゲットにしている客相は、self mede person ということになるわけです。

◎業容の淘汰
 やっと結論に到達しました。
つまり、SCの客相は「self made person」だということです。
customaized servics など受ける必要がない、ウザイ、苦手という購買局面&客相でくくられているのがSCのテナントミックス。
これは、もちろん、デベロッパーさんが構想・設計したものではありませんで、競合SCとの差別化を目指し、いろんな業容のお店を集めて編制したものの、客相により淘汰された結果、self shopping center に落ち着いた、というわけです。新しく招聘されるテナント=元気のいい店ももちろんのこと、selfのショップということになります。

 こうして、郊外型SCのテナントミックス、みんな同業他SCとの差別化を目指しているはずなのに、どうして金太郎飴になってしまうのか?
全業界人が抱いている疑問(笑 に答えてみました。如何でしょうか。

 さて、ここで問題(笑、ここで述べた業容理論を踏まえて新しく展開できる郊外型SC起死回生の戦略があります。
どういう方向&方法でしょうか、考えてみてください。

郊外型ショッピングセンターの正体

 郊外型ショッピングセンターのテナントミックスはどのような原理に基づいて構成されているのでしょうか?
最近、仕事で出かけた夢タウン光の森(熊本市郊外)、ダイヤモンドシティ東浦店(愛知県)をネタに当社創発の「業容理論」を使って考えてみました。

その結果見えてきたショッピングセンターの正体とは?

 上記2店はもとより、ほとんどの郊外型SC、その「テナントミックス」たるや、
①SM+GMSというキーテナント
②モールのギャル、ファミリー向け「専門店」
③書店、AV、雑貨などのカテゴリーキラー
ということで、客層、購買動機、プロモーションなどなど、従来のマーケティングの常識に基づく「テナントミックス」理論では考えられない混合ぶりです。
 デベロッパーもテナントも戦略としては「競合SCとの差別化」を追求しているにも関わらず、結果的にどうして現状のような混合かつ金太郎飴になってしまうのか? ナゾですね。このナゾ、「業容理論」が解き明かします(笑。

◆テナントミックス
もう少し詳しく見ますと。
①「キーテナント」:
 その集積における買い物の「相」テナントミックスを方向付ける力を 持つ店舗。
  我が国のSCのほとんどがキーに量販百貨店を配置しています。
 ということは、SCは、量販百貨店を核とすることでその業容を方向 付けられている、ということになります。
②モールのギャル、ファミリー向け「専門店」
 これは二つに分類することができます。
 1.デスティネーション・ショップ(と名付けてみました):
  特定の客相にとってSCに出かけてくる・来店目的になる業容のテ  ナント(SPAを含む)
 2.もっぱら店前通行量依存のその他のショップ
  その多くは、いち早く流行を取り入れたギャル~ヤング向けファッ  ションであることはご承知のとおり。

③書店、AV、雑貨などのカテゴリーキラー
 これも業容によりデスティネーション性を持つ/持たない に区分で きますね。

 さて「業容理論」的には、お店は、
①品揃え
②サービス
③演出(こないだまでは「環境」としていました)
のバランスで販売促進・誘客し、購買促進で売り上げを作っていくわけですが、上記のようなさまざまなショップで構成されるSの場合、量販百貨店をキーとしてうまく「ミックス」されているのでしょうか?

◎デベロッパーさん
 SC開発を生業とするデベロッパーさんのテナントミックス構築にあたっての最初の意気込みはいうまでもなく、
①元気のいい店を集める
②客数が増える
③買い回り期待
④売り上げアップ
⑤競合に勝利する
ということを目指しています。

 したがってテナントミックスは、デスティネーションショップをはじめSC常連の専門店群、おなじく御用達のカテゴリーキラーなどが軒を連ねることになる。
加えて可能な場合は地元有力ショップ。これは競合との「差別化」ねらい。もっとも最近ではあまり期待されていないかも知れません。その理由は後ほど。
 さて、だれもが「差別化」を願い、工夫して開設されるSCですが、どうして「金太郎飴」になってしまうのでしょうか?

◎SCの現状
 理由が三つありまして。
①差別化を目指すと、類型化する。
 どういうことかといいますと、我がSC業界において同業他店と差別 化を目指すということは、
 ・同業他店にあるものはすべてそろえ、その上で
 ・同業他店にないものを付け加える。 ということです。
 そうしますと、とりあえず、基本的なテナントミックスは「相似  形」になります。
ここで他店に差をつけたい、という+アルファ、オープン当初はそろえてみますが長続きしません。次第に淘汰され、「元気のいい店」すなわちどこのSCにでもあるショップだけにいつの間にかなってしまう・・・。
 ちなみに、「淘汰」されるとは、SC内部の競合で落ちこぼれていく、ということだけではありません。
「お客がいない」業容つまり、SC向きでないショップはたちまち「敗退」ですからね。

②「元気のいい店」を集めると類型化する
「元気のいい店」には2種ありまして、
まず、自他社を問わず、SCテナントとして繁盛している業容を確立しているショップ。
もう一つは、新しくオープンする地域の商店街で繁盛している店

 差別化戦略一辺倒のデベロッパーとしては両方そろえたい気持ち山々だと思います。ところが、前述のとおり、地元繁盛店は「SCという商売」を理解していません(あっと驚く、SC側もひょっとしたら自分の業容をきちんと把握していないかも知れません)。
うちの地域じゃうちが一番店だし、SCが広域から集客してくれれば、その分うちのお客が増える、なぁんて架空の算盤を弾いて出店してみると見事に空振り・・・。
結局、「元気のいい店」はどのSCにも出店している「SC業容」のショップばかり、ということになる。

 かくして。
先行SCと差別化する/先行SCを陳腐化するには。
先行SCのテナントミックスをそっくり再現した上、さらに。
先行SCが(規模その他の関係で)編制に入れていない「元気のいい店」を引っ張ってこなければならない。
そうしますと。
売り場面積を先行SCよりも広くすることが戦略課題になる。
さらに。
後続参入を防ぐには、思いっきりでっかく、「元気のいい店」をありったけ収容できる規模のハコを作る。
ということになりますね。行くつくところ。

 とりあえずこの話はここまで。
SCの行く手に何が待っているか、対処の着眼などについては改めてアップします。

◎SCテナントの業容
 さて業容理論的には、お店は既述のとおり、「三点セット」のバランスで誘客し、売り上げを作っていくわけですが、上記のようなさまざまなショップで構成されるSCですが、量販百貨店をキーとしてうまく「ミックス」されているのでしょうか?
 SCのテナントミックス、キーストア以下を見ますと、一見、ねらっている客相はさまざま、したがって店づくり・業容も多様ですが、共通していることが一つあります。
それは、
販売方法が「セルフ」主体である、ということです。
つまり業容3点セット
①品揃え
②サービス
③演出
のうち、②サービス がセルフである、ということです。

 そうしますと。
品揃え、演出も「セルフ」とバランスの取れたセットでないと売れない=元気のいい店になれない、ということですね。
SCのキーテナントの定義を思い出しましょう。
「その集積における買い物の「相」テナントミックスを方向付ける力を持つ店舗」でしたね。この定義からすると。
キーがもっぱらセルフ販売を主力とする量販百貨店であるということは、SCの業容は、サービスのあり方=「セルフ」だということになります。そんな馬鹿な、SC内には多様な業容のショップが成立するだろう、と思うのは当然ですが成立いたしません。ダメなのです。

○なぜか?
 その前に御地のSCを思い出して見ましょう。
すべてのショップがセルフ業容のはずです。
スタート時点では「目玉」だったかも知れない、地域一番店・接客販売のブティックなどはすでに撤退しています。
SC風に「セルフ」を目指しましたが、ダメでした。

差別化を目指して編入した接客型のショップはことごとく敗退しました。敗退とはもちろん業績不振。
どうして業績が不振だったかといえば・・・。

「業績不振の3大要因」、
①お客がいない
②お客が知らない
③もっといい店がある
のうち、どれに該当したのでしょう?

 SCの場合、お客から「私には関係のない店」と判断されることが、業績不振の唯一の原因。
「関係のない店」は淘汰され、後に残ったのは「元気のいい店」ばかり、お客から見て「買い物行き先」と評価される店ばかり。  
 で、この「元気のいい店」の「提供方法」がほとんど「セルフ」であるということがSC業容の特徴でありまして、
どうしてそうなるのか?

○self mede manというアプローチ
 本来の意味は「たたき上げ」といいましょうか、手助け無しで成功した人、というような意味ですね。
独学で勉強した人も self made man 、さしずめtakeoなどはself made consultantということになる(笑

 これをライフスタイルに援用してみますと。
self mede man:生活のある部分について、独力で作り上げる人。
もちろん、交換経済の現段階において生活局面に必要な材料を独力で作り上げることが出来る人はそうそうはありません。
この場合、self made とは、購買過程において自力で選択して生活を作る、という意味になります。
奇しくも販売側ではself service などといっております。
self service 販売で求められるものは、self made life の材料ということになる。
 ではself service という販売方法を離礁してself mede される生活とはどのような生活か?

※self madeな生活
 大きく二つに分けることが出来ます。
その1:
 その生活分野全体を熟知しており、self抜きで自分のビジョン通りの生活を作り上げることが出来る、という場合の買い物。
たとえば、主婦相の献立材料調達など。おなじく、家家族用下着、「実用衣料」などの買い物とか。
当社の購買行動の四象限で「当 用」とされている領域ですね。

その2:
 その生活に余り「こだわり」がなく、適当な商品が適当な価格で提供されていればそこからピックアップすればよい、という場合の買い物。
こちらは少々凝っていまして。
好みよりも他の側面を重視した買い物。
あっと驚く、流行に追随するヤングの購買などもこの部類でしょう。
何を買うかは、自分の好みよりも流行優先、一シーズンで着倒しが原則ですから低価格。となれば限りなくself service という業容のお店に向かうことになる。

 ということで、もはや説明は無用、ショッピングセンターのテナントミックスは、self shop のオンパレード、ターゲットにしている客相は、self mede person ということになるわけです。

◎業容の淘汰
 やっと結論に到達しました。
つまり、SCの客相は「self made person」だということです。
customaized servics など受ける必要がない、ウザイ、苦手という購買局面&客相でくくられているのがSCのテナントミックス。
これは、もちろん、デベロッパーさんが構想・設計したものではありませんで、競合SCとの差別化を目指し、いろんな業容のお店を集めて編制したものの、客相により淘汰された結果、self shopping center に落ち着いた、というわけです。新しく招聘されるテナント=元気のいい店ももちろんのこと、selfのショップということになります。

 こうして、郊外型SCのテナントミックス、みんな同業他SCとの差別化を目指しているはずなのに、どうして金太郎飴になってしまうのか?
全業界人が抱いている疑問(笑 に答えてみました。如何でしょうか。

 さて、ここで問題(笑、ここで述べた業容理論を踏まえて新しく展開できる郊外型SC起死回生の戦略があります。
どういう方向&方法でしょうか、考えてみてください。

活性化事業の「一体的推進」

今日は私の正面業務関連をば。

●『整備改善・活性化法(中心市街地活性化法)』の枠組みにおいて、最も重要なキーワードは、「一体的推進の目標」ですね。ご承知のとおり。

①市街地の整備改善のための事業 と ②商業等の活性化のための事業 を
一体的に推進することで中心市街地の活性化を実現する・目標です。
目標は、「これが達成されれば中心市街地は活性化される」という具体的なものでなければならないことはいうまでもありません。この「目標」に「文化と歴史を活かしたまちづくり」とか「中心市街地の通行量の増加」・「居住人口の増加」などを持ち出すのは、自分たちが取り組むべき問題を理解していないことを自白しているようなもの。
これからは「コンパクトシティ」を目標にところも出てきそうですね。
コンパクトシティについてはあらためて取り上げるつもりですが、これは「中心市街地活性化」よりも遙かに大きく重たい課題です。

さて、中心市街地の活性化は、上記①及び②という二方面の事業を「車の両輪」として取り組んでいくわけですが、もとより、事業内容は多岐に渡り、関係者も多い。
利害関係ということでは必ずしも共通していない各方面の関係者が「自分のこととして」中心市街地活性化に取り組むためには、「一体的推進の目標」に関係者の個別利害が反映されていなければならない。
「一体的推進の目標」の達成に貢献することが、そのまま関係者の利害追求・固有の目的追求になる、というあり方を実現しなければならない。

「一体的推進の目標」を適切に定め、その目標について関係者が合意することは、取り組みを一体的に推進するための不可欠の条件です。
「法」の枠組みでは、一体的推進の目標は中心市街地所在の商業機能の「ショッピングモールとしての再構築」とされています。
(この点、疑問がある人はその旨書き込まれたらあらためて説明します)
関係者の合意は、目標である「ショッピングモールとしての再構築」にむけて、必要な取り組みを適時適切に行っていく、「シナリオ」レベルまで含んだものでなければならない。

● 関係各方面による一体的推進。

行政、商工会議所、TMO、商店街連合組織、単位組織、立地する個店経営者のそれぞれが、固有の目的・利害を達成する方向・方法として「一体的推進の目標」を合意する。
「目標」を達成するための計画・ロードマップに基づいて、それぞれ持ち場・持ち場での役割をまっとうしていく。
 「一体的推進の目標」、整備改善事業と商業等の活性化のための事業のための目標であるということは、両事業を推進する関係各団体・組織、個人に共通する目標であり、一体的に推進しなければならない目標でもあるわけです。
 問題は、既成の「一体的推進の目標」がこのような位置づけのもとに掲げられており、関係各方面で合意・共有されている、ということ。
このような条件を確保している所はきわめて少ないと思います。

「商人塾」に取り組んでいる都市では、2年目になると「目標の共有」がきわめて重要であることが理解され、あらためて「商人塾」が取り組もうとしている方向・方法における合意・共有を実現することが課題になっており、積極的に取り組まれています。

●商店街全盛時代、通りに人があふれていたのは、中心市街地に人口が多かったからでも、物販以外の都市機能が集積していたからでもありません。
いつも申し上げていいるとおり、そこに立地・集積している商業機能が、「買い物の場」として評価されていたから、「にぎわい」があったのです。
全盛時代の商店街は、けして他力で繁盛していたわけではありません。
 もちろん、当時は今とは比較にならない「好条件」がそろっていました。
一言でいえば「未成熟」ということ。
①所得・余暇の増加傾向
②生活の「未成熟」・発展途上
③商業機能の未成熟
④消費購買行動の未熟
 中心商店街全盛時代の背景には以上のような事情があったわけですが、これから中心市街地を活性化するにあたっては、もちろん、このような条件はもはや雲散霧消しています。
中心商店街の活性化という課題を取り巻く環境は、
①所得・余暇の伸び悩み・減少傾向
②生活の成熟
③商業の競争激化
④消費購買行動の成熟
全盛時代とは全く異なる環境条件の下で取り組まなければならない。
まずはこのことについての覚悟をしっかり共有すること。
 環境の変化に対応するために必要なこちら側の条件について。
従来同様の能力の発揮ではとうてい目的を達成できないことはハッキリしており、個々の経営者の個別の努力だけでは、「個店の活性化」自体も難しい、というレベルで環境が変化していますから、個店の活性化に取り組む条件作り(能力の転換)には組織的な取り組みが必要になっています。
 もちろん、とおりの活性化は繁盛する個店が軒を連ねることではじめて実現されることですから、商店街組織にとって、合意した方向・方法による商店街活性化への取り組みとは、とりもなおさず、繁盛する個店の続出が目標になります。
その活動は、個店繁盛への条件づくりと集積として取り組む「モール」の条件づくり。

個店と商店街、「一体的推進の目標」を達成するためには、一体的な取り組みが不可欠です。

◆一体的推進の目標は、「ショッピングモールとしての再構築」
『基本計画』でもっとも重要なことは、「一体的推進の目標」をどう設定するか、ということです。
このことは、これまで当社サイトで何度も説明してきましたが、もう一度簡単に。

『基本計画』では、中心市街地活性化を推進するための取り組みを大別して、
①市街地の整備改善のための事業
②商業等の活性化のための事業
を計画することになっています。
「一体的推進の目標」とは、この2大事業を一体的に推進することで、中心市街地活性化を実現する目標のことです。
つまり、これを実現することができれば、即・中心市街地は活性化できる、というのが「一体的推進の目標」です。
この「一体的推進の目標」が「ショッピングモールとしての再構築」であることは、『TMOマニュアル』(参照 12年版 P49 A69)に示されているとおりです。

●漸進的推進
 「一体的推進の目標」は、ある特定の事業に取り組み、成功することで忽然と達成される、というものではありません。
もの余り・店あまりという今日、中心市街地の活性化=商業集積としての再生は、取り組みに対する居住者・潜在顧客の支持が増えることによってはじめて達成されます。商業者側の試行・提案とお客の側のお試し・評価とが一致していく、一致の進行とともに「買い物の場」が形成されていくわけです。
したがって、その形成は「漸進的」にならざるを得ません。
 ちなみに当社が提唱する「商人塾」は、この「買い物の場としての漸進的な再生」を担っていく「戦略事業」です。
http://www.quolaid.com/seminar/syouninjuku05.htm
 「ショッピングモールとしての再構築」という一体的推進の目標を達成するために必要な「個店の店づくり技術の転換」という課題に共鳴する個店経営者が参加して、「理論・技術の修得」と「自店の業容転換」に取り組む。
漸進的に成果を挙げることで、業績の向上を実現するとともに、とおりの集積としての魅力の増大に寄与する。
この実績を評価した仲間が次年度の「商人塾」に参加し、繁盛を実現するとともにそのプロセスでとおりの魅力がさらにアップする・・・・、という次第です。

●「一体的推進」は、漸進的であり、かつ、事業の進展に即応してその成果が誰の目にも明らかになる、という条件を備えた・「方向と方法」のセットで作り、提案することが必要でしょう。
なかなか理屈っぽい話ですが、ことは郊外型SCを開設する以上の難事業ですからね。
「理屈っぽい」などという前に、この程度の理屈で「活性化実現の見込みが立つ」というこにを感心しなければならない(笑

◆失敗事例
 中心市街地の人口は減っておらず、とおりに人があふれていても、商店街は空洞化している・・・。
中心市街地に人口が増え、通りに人があふれても、商店街が活性化しない・・・・。

こういうところの問題点は、
①関係者の取り組みが収斂する「一体的推進の目標」が、「買い物の場としての再生」として具体的・実践的に設定されていない。
②個々の事業が「上位目的=買い物の場としての再生」からのトップダウンで計画されていないため、再生という目標実現への効果が期待できない。
③事業が一過性となり、相乗効果、成果の積み上げという集積づくりに不可欠の結果を生むことができない。などなど。
これではいつまで経っても「集積としての活性化」を実現しつつある、と実感することはできません。
いきおい、取り組みはだんだん細くなっていく。

●取り組みの再構築
 多くの都市・中心市街地活性化の取り組みが直面している課題は、あれこれの事業企画を推進することではなく、
①それらの事業がその一翼を担っているはずの、中心市街地活性化への取り組みのシナリオはどうなっているか?
②シナリオが不備だとすれば、どういう手順でシナリオを再構築するのか?
というところにあります。
 場合によっては現在の取り組みをいったん休止する、その後、場合によっては方向を変更する、ということになる可能性もあり得ます。
これは大変気の重くなる仕事であり、特に、「先輩の仕事を批判するような言動は慎む」という組織文化が確立していますからねぇ・・・・。
中心市街地活性化に限ったことではありませんが。
 前例のない環境状況における前例のない取り組みですから、これまでの延長上でなんとかしようというのはあまりにも無理な話、従来の組織文化との格闘も場合によってはあり得ます。

●すでに各地で「一体的推進の目標」を「ショッピングモールとしての再構築」と定めた新しい取り組みがスタートしています。個店~商店街~中心市街地を貫く取り組みの中核を当社が支援する「商人塾」事業がになっています。
具体的な事例は:
http://15kai.quolaid.com/index.htm

機会があれば事例を視察されるのもいいと思います。
現段階の一押しは、高知県四万十市の取り組み。
http://www.40010tmo.com/index.php
昨年度からTMO主催で取り組まれている「商人塾」、今年は第二期を開講するとともに平行して具体的に「商店街単位でのモールとしての再構築」に取り組む計画です。

●あなたのまちの「一体的推進の目標」果たしてどのように設定されているでしょうか?あなたはご存じですか? もしご存じでないとすると・・・・
その程度の「目標」が設定されていることになる。
あらためて確認してみられることをお勧めします。

活性化事業の「一体的推進」

今日は私の正面業務関連をば。

●『整備改善・活性化法(中心市街地活性化法)』の枠組みにおいて、最も重要なキーワードは、「一体的推進の目標」ですね。ご承知のとおり。

①市街地の整備改善のための事業 と ②商業等の活性化のための事業 を
一体的に推進することで中心市街地の活性化を実現する・目標です。
目標は、「これが達成されれば中心市街地は活性化される」という具体的なものでなければならないことはいうまでもありません。この「目標」に「文化と歴史を活かしたまちづくり」とか「中心市街地の通行量の増加」・「居住人口の増加」などを持ち出すのは、自分たちが取り組むべき問題を理解していないことを自白しているようなもの。
これからは「コンパクトシティ」を目標にところも出てきそうですね。
コンパクトシティについてはあらためて取り上げるつもりですが、これは「中心市街地活性化」よりも遙かに大きく重たい課題です。

さて、中心市街地の活性化は、上記①及び②という二方面の事業を「車の両輪」として取り組んでいくわけですが、もとより、事業内容は多岐に渡り、関係者も多い。
利害関係ということでは必ずしも共通していない各方面の関係者が「自分のこととして」中心市街地活性化に取り組むためには、「一体的推進の目標」に関係者の個別利害が反映されていなければならない。
「一体的推進の目標」の達成に貢献することが、そのまま関係者の利害追求・固有の目的追求になる、というあり方を実現しなければならない。

「一体的推進の目標」を適切に定め、その目標について関係者が合意することは、取り組みを一体的に推進するための不可欠の条件です。
「法」の枠組みでは、一体的推進の目標は中心市街地所在の商業機能の「ショッピングモールとしての再構築」とされています。
(この点、疑問がある人はその旨書き込まれたらあらためて説明します)
関係者の合意は、目標である「ショッピングモールとしての再構築」にむけて、必要な取り組みを適時適切に行っていく、「シナリオ」レベルまで含んだものでなければならない。

● 関係各方面による一体的推進。

行政、商工会議所、TMO、商店街連合組織、単位組織、立地する個店経営者のそれぞれが、固有の目的・利害を達成する方向・方法として「一体的推進の目標」を合意する。
「目標」を達成するための計画・ロードマップに基づいて、それぞれ持ち場・持ち場での役割をまっとうしていく。
 「一体的推進の目標」、整備改善事業と商業等の活性化のための事業のための目標であるということは、両事業を推進する関係各団体・組織、個人に共通する目標であり、一体的に推進しなければならない目標でもあるわけです。
 問題は、既成の「一体的推進の目標」がこのような位置づけのもとに掲げられており、関係各方面で合意・共有されている、ということ。
このような条件を確保している所はきわめて少ないと思います。

「商人塾」に取り組んでいる都市では、2年目になると「目標の共有」がきわめて重要であることが理解され、あらためて「商人塾」が取り組もうとしている方向・方法における合意・共有を実現することが課題になっており、積極的に取り組まれています。

●商店街全盛時代、通りに人があふれていたのは、中心市街地に人口が多かったからでも、物販以外の都市機能が集積していたからでもありません。
いつも申し上げていいるとおり、そこに立地・集積している商業機能が、「買い物の場」として評価されていたから、「にぎわい」があったのです。
全盛時代の商店街は、けして他力で繁盛していたわけではありません。
 もちろん、当時は今とは比較にならない「好条件」がそろっていました。
一言でいえば「未成熟」ということ。
①所得・余暇の増加傾向
②生活の「未成熟」・発展途上
③商業機能の未成熟
④消費購買行動の未熟
 中心商店街全盛時代の背景には以上のような事情があったわけですが、これから中心市街地を活性化するにあたっては、もちろん、このような条件はもはや雲散霧消しています。
中心商店街の活性化という課題を取り巻く環境は、
①所得・余暇の伸び悩み・減少傾向
②生活の成熟
③商業の競争激化
④消費購買行動の成熟
全盛時代とは全く異なる環境条件の下で取り組まなければならない。
まずはこのことについての覚悟をしっかり共有すること。
 環境の変化に対応するために必要なこちら側の条件について。
従来同様の能力の発揮ではとうてい目的を達成できないことはハッキリしており、個々の経営者の個別の努力だけでは、「個店の活性化」自体も難しい、というレベルで環境が変化していますから、個店の活性化に取り組む条件作り(能力の転換)には組織的な取り組みが必要になっています。
 もちろん、とおりの活性化は繁盛する個店が軒を連ねることではじめて実現されることですから、商店街組織にとって、合意した方向・方法による商店街活性化への取り組みとは、とりもなおさず、繁盛する個店の続出が目標になります。
その活動は、個店繁盛への条件づくりと集積として取り組む「モール」の条件づくり。

個店と商店街、「一体的推進の目標」を達成するためには、一体的な取り組みが不可欠です。

◆一体的推進の目標は、「ショッピングモールとしての再構築」
『基本計画』でもっとも重要なことは、「一体的推進の目標」をどう設定するか、ということです。
このことは、これまで当社サイトで何度も説明してきましたが、もう一度簡単に。

『基本計画』では、中心市街地活性化を推進するための取り組みを大別して、
①市街地の整備改善のための事業
②商業等の活性化のための事業
を計画することになっています。
「一体的推進の目標」とは、この2大事業を一体的に推進することで、中心市街地活性化を実現する目標のことです。
つまり、これを実現することができれば、即・中心市街地は活性化できる、というのが「一体的推進の目標」です。
この「一体的推進の目標」が「ショッピングモールとしての再構築」であることは、『TMOマニュアル』(参照 12年版 P49 A69)に示されているとおりです。

●漸進的推進
 「一体的推進の目標」は、ある特定の事業に取り組み、成功することで忽然と達成される、というものではありません。
もの余り・店あまりという今日、中心市街地の活性化=商業集積としての再生は、取り組みに対する居住者・潜在顧客の支持が増えることによってはじめて達成されます。商業者側の試行・提案とお客の側のお試し・評価とが一致していく、一致の進行とともに「買い物の場」が形成されていくわけです。
したがって、その形成は「漸進的」にならざるを得ません。
 ちなみに当社が提唱する「商人塾」は、この「買い物の場としての漸進的な再生」を担っていく「戦略事業」です。
http://www.quolaid.com/seminar/syouninjuku05.htm
 「ショッピングモールとしての再構築」という一体的推進の目標を達成するために必要な「個店の店づくり技術の転換」という課題に共鳴する個店経営者が参加して、「理論・技術の修得」と「自店の業容転換」に取り組む。
漸進的に成果を挙げることで、業績の向上を実現するとともに、とおりの集積としての魅力の増大に寄与する。
この実績を評価した仲間が次年度の「商人塾」に参加し、繁盛を実現するとともにそのプロセスでとおりの魅力がさらにアップする・・・・、という次第です。

●「一体的推進」は、漸進的であり、かつ、事業の進展に即応してその成果が誰の目にも明らかになる、という条件を備えた・「方向と方法」のセットで作り、提案することが必要でしょう。
なかなか理屈っぽい話ですが、ことは郊外型SCを開設する以上の難事業ですからね。
「理屈っぽい」などという前に、この程度の理屈で「活性化実現の見込みが立つ」というこにを感心しなければならない(笑

◆失敗事例
 中心市街地の人口は減っておらず、とおりに人があふれていても、商店街は空洞化している・・・。
中心市街地に人口が増え、通りに人があふれても、商店街が活性化しない・・・・。

こういうところの問題点は、
①関係者の取り組みが収斂する「一体的推進の目標」が、「買い物の場としての再生」として具体的・実践的に設定されていない。
②個々の事業が「上位目的=買い物の場としての再生」からのトップダウンで計画されていないため、再生という目標実現への効果が期待できない。
③事業が一過性となり、相乗効果、成果の積み上げという集積づくりに不可欠の結果を生むことができない。などなど。
これではいつまで経っても「集積としての活性化」を実現しつつある、と実感することはできません。
いきおい、取り組みはだんだん細くなっていく。

●取り組みの再構築
 多くの都市・中心市街地活性化の取り組みが直面している課題は、あれこれの事業企画を推進することではなく、
①それらの事業がその一翼を担っているはずの、中心市街地活性化への取り組みのシナリオはどうなっているか?
②シナリオが不備だとすれば、どういう手順でシナリオを再構築するのか?
というところにあります。
 場合によっては現在の取り組みをいったん休止する、その後、場合によっては方向を変更する、ということになる可能性もあり得ます。
これは大変気の重くなる仕事であり、特に、「先輩の仕事を批判するような言動は慎む」という組織文化が確立していますからねぇ・・・・。
中心市街地活性化に限ったことではありませんが。
 前例のない環境状況における前例のない取り組みですから、これまでの延長上でなんとかしようというのはあまりにも無理な話、従来の組織文化との格闘も場合によってはあり得ます。

●すでに各地で「一体的推進の目標」を「ショッピングモールとしての再構築」と定めた新しい取り組みがスタートしています。個店~商店街~中心市街地を貫く取り組みの中核を当社が支援する「商人塾」事業がになっています。
具体的な事例は:
http://15kai.quolaid.com/index.htm

機会があれば事例を視察されるのもいいと思います。
現段階の一押しは、高知県四万十市の取り組み。
http://www.40010tmo.com/index.php
昨年度からTMO主催で取り組まれている「商人塾」、今年は第二期を開講するとともに平行して具体的に「商店街単位でのモールとしての再構築」に取り組む計画です。

●あなたのまちの「一体的推進の目標」果たしてどのように設定されているでしょうか?あなたはご存じですか? もしご存じでないとすると・・・・
その程度の「目標」が設定されていることになる。
あらためて確認してみられることをお勧めします。

われわれが生きる社会

 有史以来の転換期、個人、各種組織ともに 如何にあるべきか、という戦略的な問題に直面しています。戦略的な課題の常として、今日取り組まなかったとしても明日明確に弊害がでるわけではなく、取り組んだからといって明日からバラ色になるわけでもありません。戦略課題への真剣な取り組みが一日延ばしになっていくゆえんですが、はっきりしているのはやがていつか必ず取り組まなかった付けを払わなければならない、ということです。
 ということで、まずは我々が生きている時代とはいったいどのような時代なのか、過去の延長線上で考えられる=従来の戦略で対処できるのか、それとも本当に転換期であり戦略ぐるみの転換が必要なのか、あらためて考えてみませんか。

◎政府税制調査会レポート
 ちょうど1年前、政府税制調査会は、
 『わが国経済社会の構造変化の「実像」について 
 ~「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ~ 』
と題するレポートを発表しました。
 「構造変化」がいわれる現在から将来に渡っての税制のスキームを構想するに先立って、変化の実像を見極めようというものです。
さしあたり、このレポートをもとに考えてみたいと思います。

「二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト」

1.今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」
(1)人口減少社会への突入
(2)超高齢化社会への変貌-少子化と長寿化の同時進行
(3)従属人口指数の上昇-社会的な扶養力の弱まり
2.「右肩上がり経済」の終焉
(1)高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅-標準モデルの非標準化
(2)「量的拡大」志向の限界
3.家族のかたちの多様化
(1)「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化
(2)「戦後家族モデル」の終焉-標準的ライフコースの相対化
(3)ライフコースの多様化と不確実性の高まり
4.「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化
(1)雇用形態の多様化
(2)職業観の多様化―カイシャ離れと不確実性の高まり)
5.価値観・ライフスタイルの多様化・多重化
(1)「画一」から「多様」、「多重」へ
(2)キーワード-選択の自由、煩わしさ回避、現在(いま))
6.社会や「公共」に対する意識
(1)社会貢献意識と他者への依存
(2)個人の主体的な「公共」への参加
7.分配面での変化の兆し
(1)均質化、流動化の動きの鈍化
(2)「機会の平等」志向
8.環境負荷の増大、多様化
(1)「循環型社会」への転換
9.グローバル化の進行
(1)世界規模でのグローバル化
(2)わが国における国際的結びつきの深化
10.深刻化する財政状況
(1)戦後の財政運営
(2)問われる「持続可能性」

というように「実像」が報告されています。
※詳細は、
http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top_zei3.htm から「諮問・答申・報告書等」~「我が国経済社会の構造変化の実像について」及び「参考資料」を参照のこと

◎構造変化の特徴と課題 (レポートの続き)

「三 結びにかえて-将来に向けての示唆」では、二でみた「10のキー・ファクト」に見られる特徴として、二つあげられています。

1.経済社会の「基盤」の変容-「量的拡大」から「質の充実」へ
  第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべき構造変化である。
  今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中心の若い社会」から「成熟した長寿社会」となる。また、高度経済成長を支えた基礎的条件(高い家計貯蓄率、人口ボーナス、労働力人口増加等)はほぼ消滅した。グローバル化が加速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が問われている。
  このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」を期待することができなくなった。「質の充実」を軸とする経済社会への転換が求められている。
 
2.「標準」から「多様」へ
 第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し、「多様化」が進みつつあるということである。
 もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどのように活かしていくのかが問われることになる。

●確認しましょう。
1.「10のキーワード」に象徴される構造変化は、「我が国経済社会の基盤の変容」というレベルのものである。
2.従来の標準的・定型的なターゲットが消失、方式が適用できない。

●このような現状認識から導かれる課題は、
新しい「経済社会」の方向は、「質的充実」をめざし「多様化」を活用していかなければならないが、ほうっておいても「実像」的構造変化が進展するなかで、「質的充実」を実現していくシナリオをどう描けるか? ということです。
 もちろん、「中心市街地活性化」の取り組みもこの「実像」を踏まえたものでなければならない。
 ちなみに「転換期」は、
①これまで傾向として一定の方向なり範囲なりにあったことが、
②その方向や範囲を成立させていた条件が変化することで、
③これまでの延長線上では物事が想定できなくなる時代を指すとすれば、転換期の特徴は、
①「復旧」はない
②これまでの経験・ノウハウが役に立たないことが多く・変化への対応を妨害する可能性がある
③新しい取り組みのスタイルが必要である
といったことではないでしょうか。
 ここには非常に興味深くまた重要な問題があるので後ほど考えます。

●「構造改革」とは転換期における「新しい取り組みのスタイル」の構築を意味し、「転換期(ミクロではなく社会経済全体の)におけるありかた」という問題意識がないとせっかくの取り組みがミスマッチ、思いがけない結果を招く可能性があります。
中心市街地活性化への取り組みの将来に渡って繁栄する商業街区を再構築するという課題は、もちろん、「転換期」の文脈で構想されなければならないわけで、「転換期」の課題としての中心市街地活性化に「プレ転換期」の施策で対応しようとしてもうまくいくはずがありません。

●中心市街地活性化を構想するにあたっては、
①[10のキーワード]的な転換期の特性を「自分にとってのラス要因に出来る」ポジションを考え出し、
②現状からそのポジションへの移行をめざして転換戦略(=シナリオ)を描く
という作業が不可欠だということが理解されると思います。
 ちなみに、当社が提唱している「中心市街地活性化への道」が提唱するショッピングモールへの転換という目標と転換のシナリオは、「転換期」という環境に対応し、これをプラスにする方向ですからね。もちろん、「転換期という環境をプラスにする」という課題は、中心市街地に限らず、[転換期」の影響を被る組織・地域においては、それぞれの存在目的に応じてしっかり対応を構築していかなければならない、まさに「画期的」な課題です。

●もちろん、中心市街地活性化の方向を含みつつ、当社が可能的な方向として提唱している「時間堪能型社会」は、[10のキーワード」的趨勢をふまえ、かつ、それをプラス方向で各般の経済社会活動のあり方を試行、定着させていくことにより、全体として「豊かな社会」を維持発展させていくという戦略的なスタンスを持っています。
 企業、都市その他、マーケティングを手段とする組織、団体にとって今後のあり方を構想する上で前提となる「組織を取り巻く環境の変化」をどのように理解しておくかということは、早急に取り組まなければならない課題です。

◆グレシャムの法則
「悪貨は良貨を駆逐する」をもじり「恒常的業務は戦略的業務を駆逐する」(by takeo)

●「転換期の戦略」を如何に立案するか?
 重要な問題ですが、困ったことに、適切に立案したからといって明日から状況が変化するわけでではありません。1週間後、1ヶ月後も大差ないかも知れません。
しかし、半年、1年、2年後を想像した場合果たしてどうでしょうか?
問題は、誰の目にも見える形で現れてからでは対処が難しい。
 他方、恒常業務は、今日明日の業績を直接左右するものであり、取り組みの結果は業績にただちに反映します。
無視するわけには行きません。戦略業務はしっかり意識して取り組まないとどんどん先延ばしになってしまいます。

●もう一つ、大事なことは「価値観」です。
転換に「構造改革」で対応しようとするのは、慣行的なあり方では転換に対応できないから。「対応できない」とは、「価値」を維持存続することが出来ない、ということを意味しています。
 つまり構造改革は、経済社会が大きな転換期を迎えている、従来通りのやり方では「価値」が維持できないようだ、「構造改革」をすることで変化する環境においても価値を維持していこう、ということです。
このことを忘れると「構造改革」自体、「転換」にこれまでとは違う形で対応すれば、即ちそれが改革である、というような勘違いも起こりそうです。
 では、変化に対応することで保持していく「価値」とはなにか?
それは経済社会が変化しても維持していくべきものなのか、はたまた維持していけるものなのか? といったことも当然検討しなければならない。
 なにを「価値」とするかで「転換期」への対応戦略は規定されます。
戦略とは、「価値が危ういここ」から「価値を確保できる」あそこへ移行するシナリオ、です。
 「価値」・「目的」・目標」が無いところに戦略はありません。
手法はいろいろあると思いますが、戦略はあくまで価値・目的と状況において獲得・保持するためにたてるもの、と考えるべきです。
目的無き目標・手段は主体をどこに導くか分かったものではありません。
転換期、このことは大変重要なことです。
たとえば、企業。なにを価値とするかで転換期への対応戦略の基本が大きく変わります。企業の機能、会社の「所有権」などという問題も絡んできます。
 ぼけ~っとみているとライブドアが転換期のヒーローに見えたりしますからね。

◆「質的充実」という阿吽語
「質的充実」、「高付加価値化」と並ぶ錦の御旗ですが、高付加価値化と同じく、いったいなにがどうなることか、きちんと定義され、「実現された状態」が想像できる(目的達成に不可欠)のか?

●量から質へ、とはこのところ場面を問わず飛び交う阿吽語です。
量は分かりますが、はて「から」と量を超えて追求される「質」とは何か?
阿吽語の特徴として、「これを言えばそこで問題になっている状況への解答・指針が出た」という気分になれる、という効能効果を持っています。「質的充実への転換」と言ったとたん、なるほど、そうだよね、となりますがではなにをどうやって、という段になると
ウ~ム、さっぱり分かりません。

●中身がはっきりしないと、目的・方向が定まらない。
これでは戦略は立てられません。
「経済社会の転換」に対応するには「量から質へ」、目標を変えなければならない。なるほど、
目標とする「質的充実」とはなにか? それは従来の価値観とどのような関係にあるのか?
というあたりをしっかり考えてみることが必要です。

◆量から質へ
つまり、
①ものをあれこれたくさん持つことから離陸、
②元来ものが奉仕していた「生活を演出し堪能する」方にウエイトが移り、
③自分にとって意義のある生活、充実感のある生活を実現する
という方に生活の課題・目標がシフトしたことをもって「質へのシフト」というのでしょう。
「質への転換」はしっかり考えておかないと、「差別化」とか「高付加価値化」とかの阿吽語に置き換えただけで分かったつもりになったりすると何事も始まらないので要注意。

◆見せびらかしvsラグジュアリィ
 見せびらかし・ゴージャスとラグジュアリィの違いについては、メルマガ・イシューとしてしっかり書くつもりですが。
 見せびらかしには2種類ありまして、①王侯貴族→臣民 と ②成り上がり→もとのポジション。
①の機能は、支配⇔被支配という関係をこれでもかと思い知らせる、という機能を果たしました。これが高じてバカ騒ぎを繰り返した結果として御用達商人に原始蓄積が生じ・資本制経済への道が開かれたと物の本に書かれています。
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4846000087/qid=1116223432/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/250-5777230-0769817

 下りまして、①の御用達の儲けからスタートした資本制経済、一山当てた資本家が始めたのが②の見せびらかし。
かっては仰ぎ見るだけだった王侯貴族のライフスタイルを金にものをいわせて採用、被支配階級・その他大勢からの脱出を目指します。
ところが。
斜陽を迎えていることに過敏な王侯貴族階級、既得権益のお裾分けなどやなこった、というわけでなかなか仲間に入れてもらえません。
せっかくのライフスタイルもかっての同輩に見せびらかすしか効用がありません。
かくして。
昔・王侯貴族、今・ブルジョアジー御用達ブランドの効用は、
①仲間内の証
②「あんたたちとは違うのよ」光線の源泉
という二つが混然として「ゴージャス」を醸し出しておりますが、いずれにしましても、「認めてもらいたい」相手というのはそういうライフスタイルに縁のないみなさん方というわけで、ま、なんと言いますか、よ~やりますね~、という感じ。
「ほら見て、見て、あたしっておまえさん方とは違うんだからね、その証拠に」
ブランド着てるでしょ、よ~見て見。
 なにやら悲哀感が漂っております。

●その点、我が国では二つの流れがありまして。
①かたや、上記の流れに属しているみなさん と
②かたや、我が国独特の流れ・名古屋大須商店街・コメ兵ご愛顧のみなさんに代表される流れ
 ラグジュアリィは、如上の見せびらかしとははっきり一線を画すものでありまして、他人はともかく、あたし的にはこれを堪能したい、ということがスタートですから、はじめっから縁無き衆生に認めてもらおうなどという願望はありません。
 見せびらかし=ゴージャスは、お金の「量」で実現できますが、
ラグジュアリイ=時間堪能は、お金の量で何とかすることは出来ません。
これが「量」から「質」への転換です。

◆問題情況
 当社の問題解決理論おなじみの方には耳にたこですが。
問題を認識し、解決しようとする主体に「解決策」が必要な状況とは、
①目標 ②問題 ③条件
の3つで構成されています。

①目標:価値を維持するために達成しなければならないこと
②問題:放置すれば価値の増減・得失にマイナス効果が発生すると予測される事態
③条件:内部=問題解決に使える道具
    外部=問題を取り巻く状況
このような問題解決を迫られている場面を情況と呼ぶことにします。
問題解決の場面は、情と況から成り立っているわけです。
 ちなみに、戦略とは、問題情況において道具をうまく組み合わせて主体の価値を維持・確保するために行動するシナリオ ということになります。
あなた個人、あなたが参加している組織、日本国、中心市街地その他
何でもよろしい、問題情況と戦略の関係を考えてみてください。
戦略の意味・意義が了解されると思います。

◆「ある」と「あるべき」
 「ある」:現状 「あるべき」:目標。
 「かくある」現状に「違和」を覚え、「あるべき」を想定しその実現に向かう。
世の中、ミクロ&マクロ、私事から公共まで、この繰り返しで成り立っているようなもの、このプロセスが「問題解決過程」ですね。
「実像」描写の趣旨は、あるべき税制を構想するため、ということですが、もちろん実像が了解されればそこから自動的に「あるべき」が導出される、という段取りではありません。「実像」への対応を「量から質へ」というスローガンでまとめるのならば、「量から質へ」、経済社会のシステムを転換していく、という想像を絶する一大転換プロジェクトが構想されなければならない。
このプロジェクトの方向と調和し・かつ促進するのが「あるべき税制」ということになるのでしょう。
●もちろん、これは税制に限られたことではありません。
「これまで通りには行かなくなっている」という「ある」から直接、「今後はこうしなくては」という「あるべき」が出てくるわけではない、ということは、すべてのことに共通していること、私が言いたいのは税制のことではなく、こちらの一般論の方です。
(税制=国家財政は、経済社会の「あるべき」構想を受けて設計されることでしょうが、財政構想は「税」が封建領主の手から国王に移管された(つまりスタート時点)以来の抜本改革が不可欠でしょう。)
●「ある」=現状が「慣行システムの行き詰まり」ならば、このままでは「今までの価値を実現する仕組み」は挫折することになる。そうはさせじ、というのなら「実像」を踏まえつつ、「価値を実現する仕組み」を再構想しなければならない。
このとき、「あるべき」のキモとなる「価値」も従来通り維持出来るかどうか分かりません。「かくあるべき」と信じて疑われなかったレベルのことも、意識的に形を変えることが必要になるかも知れません。
「社会設計かよ」・「出来る訳ないじゃん」といわれそうですが、おおまかにではあれ、こっちの方向へ行く・行きたい、ということを決めないと身動きが怪しくなります。これは個人、組織、果ては国家まで皆一緒ですね。

※「阿吽語」については次を参照してください。
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1326&reno=1252&oya=1252&mode=msgview&page=0

われわれが生きる社会


 有史以来の転換期、個人、各種組織ともに 如何にあるべきか、という戦略的な問題に直面しています。戦略的な課題の常として、今日取り組まなかったとしても明日明確に弊害がでるわけではなく、取り組んだからといって明日からバラ色になるわけでもありません。戦略課題への真剣な取り組みが一日延ばしになっていくゆえんですが、はっきりしているのはやがていつか必ず取り組まなかった付けを払わなければならない、ということです。
 ということで、まずは我々が生きている時代とはいったいどのような時代なのか、過去の延長線上で考えられる=従来の戦略で対処できるのか、それとも本当に転換期であり戦略ぐるみの転換が必要なのか、あらためて考えてみませんか。

◎政府税制調査会レポート
 ちょうど1年前、政府税制調査会は、
 『わが国経済社会の構造変化の「実像」について 
 ~「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ~ 』
と題するレポートを発表しました。
 「構造変化」がいわれる現在から将来に渡っての税制のスキームを構想するに先立って、変化の実像を見極めようというものです。
さしあたり、このレポートをもとに考えてみたいと思います。

「二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト」

1.今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」
(1)人口減少社会への突入
(2)超高齢化社会への変貌-少子化と長寿化の同時進行
(3)従属人口指数の上昇-社会的な扶養力の弱まり
2.「右肩上がり経済」の終焉
(1)高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅-標準モデルの非標準化
(2)「量的拡大」志向の限界
3.家族のかたちの多様化
(1)「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化
(2)「戦後家族モデル」の終焉-標準的ライフコースの相対化
(3)ライフコースの多様化と不確実性の高まり
4.「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化
(1)雇用形態の多様化
(2)職業観の多様化―カイシャ離れと不確実性の高まり)
5.価値観・ライフスタイルの多様化・多重化
(1)「画一」から「多様」、「多重」へ
(2)キーワード-選択の自由、煩わしさ回避、現在(いま))
6.社会や「公共」に対する意識
(1)社会貢献意識と他者への依存
(2)個人の主体的な「公共」への参加
7.分配面での変化の兆し
(1)均質化、流動化の動きの鈍化
(2)「機会の平等」志向
8.環境負荷の増大、多様化
(1)「循環型社会」への転換
9.グローバル化の進行
(1)世界規模でのグローバル化
(2)わが国における国際的結びつきの深化
10.深刻化する財政状況
(1)戦後の財政運営
(2)問われる「持続可能性」

というように「実像」が報告されています。
※詳細は、
http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top_zei3.htm から「諮問・答申・報告書等」~「我が国経済社会の構造変化の実像について」及び「参考資料」を参照のこと

◎構造変化の特徴と課題 (レポートの続き)

「三 結びにかえて-将来に向けての示唆」では、二でみた「10のキー・ファクト」に見られる特徴として、二つあげられています。

1.経済社会の「基盤」の変容-「量的拡大」から「質の充実」へ
  第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべき構造変化である。
  今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中心の若い社会」から「成熟した長寿社会」となる。また、高度経済成長を支えた基礎的条件(高い家計貯蓄率、人口ボーナス、労働力人口増加等)はほぼ消滅した。グローバル化が加速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が問われている。
  このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経済成長期のような大幅な「量的拡大」を期待することができなくなった。「質の充実」を軸とする経済社会への転換が求められている。
 
2.「標準」から「多様」へ
 第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し、「多様化」が進みつつあるということである。
 もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどのように活かしていくのかが問われることになる。

●確認しましょう。
1.「10のキーワード」に象徴される構造変化は、「我が国経済社会の基盤の変容」というレベルのものである。
2.従来の標準的・定型的なターゲットが消失、方式が適用できない。

●このような現状認識から導かれる課題は、
新しい「経済社会」の方向は、「質的充実」をめざし「多様化」を活用していかなければならないが、ほうっておいても「実像」的構造変化が進展するなかで、「質的充実」を実現していくシナリオをどう描けるか? ということです。
 もちろん、「中心市街地活性化」の取り組みもこの「実像」を踏まえたものでなければならない。
 ちなみに「転換期」は、
①これまで傾向として一定の方向なり範囲なりにあったことが、
②その方向や範囲を成立させていた条件が変化することで、
③これまでの延長線上では物事が想定できなくなる時代を指すとすれば、転換期の特徴は、
①「復旧」はない
②これまでの経験・ノウハウが役に立たないことが多く・変化への対応を妨害する可能性がある
③新しい取り組みのスタイルが必要である
といったことではないでしょうか。
 ここには非常に興味深くまた重要な問題があるので後ほど考えます。

●「構造改革」とは転換期における「新しい取り組みのスタイル」の構築を意味し、「転換期(ミクロではなく社会経済全体の)におけるありかた」という問題意識がないとせっかくの取り組みがミスマッチ、思いがけない結果を招く可能性があります。
中心市街地活性化への取り組みの将来に渡って繁栄する商業街区を再構築するという課題は、もちろん、「転換期」の文脈で構想されなければならないわけで、「転換期」の課題としての中心市街地活性化に「プレ転換期」の施策で対応しようとしてもうまくいくはずがありません。

●中心市街地活性化を構想するにあたっては、
①[10のキーワード]的な転換期の特性を「自分にとってのラス要因に出来る」ポジションを考え出し、
②現状からそのポジションへの移行をめざして転換戦略(=シナリオ)を描く
という作業が不可欠だということが理解されると思います。
 ちなみに、当社が提唱している「中心市街地活性化への道」が提唱するショッピングモールへの転換という目標と転換のシナリオは、「転換期」という環境に対応し、これをプラスにする方向ですからね。もちろん、「転換期という環境をプラスにする」という課題は、中心市街地に限らず、[転換期」の影響を被る組織・地域においては、それぞれの存在目的に応じてしっかり対応を構築していかなければならない、まさに「画期的」な課題です。

●もちろん、中心市街地活性化の方向を含みつつ、当社が可能的な方向として提唱している「時間堪能型社会」は、[10のキーワード」的趨勢をふまえ、かつ、それをプラス方向で各般の経済社会活動のあり方を試行、定着させていくことにより、全体として「豊かな社会」を維持発展させていくという戦略的なスタンスを持っています。
 企業、都市その他、マーケティングを手段とする組織、団体にとって今後のあり方を構想する上で前提となる「組織を取り巻く環境の変化」をどのように理解しておくかということは、早急に取り組まなければならない課題です。

◆グレシャムの法則
「悪貨は良貨を駆逐する」をもじり「恒常的業務は戦略的業務を駆逐する」(by takeo)

●「転換期の戦略」を如何に立案するか?
 重要な問題ですが、困ったことに、適切に立案したからといって明日から状況が変化するわけでではありません。1週間後、1ヶ月後も大差ないかも知れません。
しかし、半年、1年、2年後を想像した場合果たしてどうでしょうか?
問題は、誰の目にも見える形で現れてからでは対処が難しい。
 他方、恒常業務は、今日明日の業績を直接左右するものであり、取り組みの結果は業績にただちに反映します。
無視するわけには行きません。戦略業務はしっかり意識して取り組まないとどんどん先延ばしになってしまいます。

●もう一つ、大事なことは「価値観」です。
転換に「構造改革」で対応しようとするのは、慣行的なあり方では転換に対応できないから。「対応できない」とは、「価値」を維持存続することが出来ない、ということを意味しています。
 つまり構造改革は、経済社会が大きな転換期を迎えている、従来通りのやり方では「価値」が維持できないようだ、「構造改革」をすることで変化する環境においても価値を維持していこう、ということです。
このことを忘れると「構造改革」自体、「転換」にこれまでとは違う形で対応すれば、即ちそれが改革である、というような勘違いも起こりそうです。
 では、変化に対応することで保持していく「価値」とはなにか?
それは経済社会が変化しても維持していくべきものなのか、はたまた維持していけるものなのか? といったことも当然検討しなければならない。
 なにを「価値」とするかで「転換期」への対応戦略は規定されます。
戦略とは、「価値が危ういここ」から「価値を確保できる」あそこへ移行するシナリオ、です。
 「価値」・「目的」・目標」が無いところに戦略はありません。
手法はいろいろあると思いますが、戦略はあくまで価値・目的と状況において獲得・保持するためにたてるもの、と考えるべきです。
目的無き目標・手段は主体をどこに導くか分かったものではありません。
転換期、このことは大変重要なことです。
たとえば、企業。なにを価値とするかで転換期への対応戦略の基本が大きく変わります。企業の機能、会社の「所有権」などという問題も絡んできます。
 ぼけ~っとみているとライブドアが転換期のヒーローに見えたりしますからね。

◆「質的充実」という阿吽語
「質的充実」、「高付加価値化」と並ぶ錦の御旗ですが、高付加価値化と同じく、いったいなにがどうなることか、きちんと定義され、「実現された状態」が想像できる(目的達成に不可欠)のか?

●量から質へ、とはこのところ場面を問わず飛び交う阿吽語です。
量は分かりますが、はて「から」と量を超えて追求される「質」とは何か?
阿吽語の特徴として、「これを言えばそこで問題になっている状況への解答・指針が出た」という気分になれる、という効能効果を持っています。「質的充実への転換」と言ったとたん、なるほど、そうだよね、となりますがではなにをどうやって、という段になると
ウ~ム、さっぱり分かりません。

●中身がはっきりしないと、目的・方向が定まらない。
これでは戦略は立てられません。
「経済社会の転換」に対応するには「量から質へ」、目標を変えなければならない。なるほど、
目標とする「質的充実」とはなにか? それは従来の価値観とどのような関係にあるのか?
というあたりをしっかり考えてみることが必要です。

◆量から質へ
つまり、
①ものをあれこれたくさん持つことから離陸、
②元来ものが奉仕していた「生活を演出し堪能する」方にウエイトが移り、
③自分にとって意義のある生活、充実感のある生活を実現する
という方に生活の課題・目標がシフトしたことをもって「質へのシフト」というのでしょう。
「質への転換」はしっかり考えておかないと、「差別化」とか「高付加価値化」とかの阿吽語に置き換えただけで分かったつもりになったりすると何事も始まらないので要注意。

◆見せびらかしvsラグジュアリィ
 見せびらかし・ゴージャスとラグジュアリィの違いについては、メルマガ・イシューとしてしっかり書くつもりですが。
 見せびらかしには2種類ありまして、①王侯貴族→臣民 と ②成り上がり→もとのポジション。
①の機能は、支配⇔被支配という関係をこれでもかと思い知らせる、という機能を果たしました。これが高じてバカ騒ぎを繰り返した結果として御用達商人に原始蓄積が生じ・資本制経済への道が開かれたと物の本に書かれています。
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4846000087/qid=1116223432/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/250-5777230-0769817

 下りまして、①の御用達の儲けからスタートした資本制経済、一山当てた資本家が始めたのが②の見せびらかし。
かっては仰ぎ見るだけだった王侯貴族のライフスタイルを金にものをいわせて採用、被支配階級・その他大勢からの脱出を目指します。
ところが。
斜陽を迎えていることに過敏な王侯貴族階級、既得権益のお裾分けなどやなこった、というわけでなかなか仲間に入れてもらえません。
せっかくのライフスタイルもかっての同輩に見せびらかすしか効用がありません。
かくして。
昔・王侯貴族、今・ブルジョアジー御用達ブランドの効用は、
①仲間内の証
②「あんたたちとは違うのよ」光線の源泉
という二つが混然として「ゴージャス」を醸し出しておりますが、いずれにしましても、「認めてもらいたい」相手というのはそういうライフスタイルに縁のないみなさん方というわけで、ま、なんと言いますか、よ~やりますね~、という感じ。
「ほら見て、見て、あたしっておまえさん方とは違うんだからね、その証拠に」
ブランド着てるでしょ、よ~見て見。
 なにやら悲哀感が漂っております。

●その点、我が国では二つの流れがありまして。
①かたや、上記の流れに属しているみなさん と
②かたや、我が国独特の流れ・名古屋大須商店街・コメ兵ご愛顧のみなさんに代表される流れ
 ラグジュアリィは、如上の見せびらかしとははっきり一線を画すものでありまして、他人はともかく、あたし的にはこれを堪能したい、ということがスタートですから、はじめっから縁無き衆生に認めてもらおうなどという願望はありません。
 見せびらかし=ゴージャスは、お金の「量」で実現できますが、
ラグジュアリイ=時間堪能は、お金の量で何とかすることは出来ません。
これが「量」から「質」への転換です。

◆問題情況
 当社の問題解決理論おなじみの方には耳にたこですが。
問題を認識し、解決しようとする主体に「解決策」が必要な状況とは、
①目標 ②問題 ③条件
の3つで構成されています。

①目標:価値を維持するために達成しなければならないこと
②問題:放置すれば価値の増減・得失にマイナス効果が発生すると予測される事態
③条件:内部=問題解決に使える道具
    外部=問題を取り巻く状況
このような問題解決を迫られている場面を情況と呼ぶことにします。
問題解決の場面は、情と況から成り立っているわけです。
 ちなみに、戦略とは、問題情況において道具をうまく組み合わせて主体の価値を維持・確保するために行動するシナリオ ということになります。
あなた個人、あなたが参加している組織、日本国、中心市街地その他
何でもよろしい、問題情況と戦略の関係を考えてみてください。
戦略の意味・意義が了解されると思います。

◆「ある」と「あるべき」
 「ある」:現状 「あるべき」:目標。
 「かくある」現状に「違和」を覚え、「あるべき」を想定しその実現に向かう。
世の中、ミクロ&マクロ、私事から公共まで、この繰り返しで成り立っているようなもの、このプロセスが「問題解決過程」ですね。
「実像」描写の趣旨は、あるべき税制を構想するため、ということですが、もちろん実像が了解されればそこから自動的に「あるべき」が導出される、という段取りではありません。「実像」への対応を「量から質へ」というスローガンでまとめるのならば、「量から質へ」、経済社会のシステムを転換していく、という想像を絶する一大転換プロジェクトが構想されなければならない。
このプロジェクトの方向と調和し・かつ促進するのが「あるべき税制」ということになるのでしょう。
●もちろん、これは税制に限られたことではありません。
「これまで通りには行かなくなっている」という「ある」から直接、「今後はこうしなくては」という「あるべき」が出てくるわけではない、ということは、すべてのことに共通していること、私が言いたいのは税制のことではなく、こちらの一般論の方です。
(税制=国家財政は、経済社会の「あるべき」構想を受けて設計されることでしょうが、財政構想は「税」が封建領主の手から国王に移管された(つまりスタート時点)以来の抜本改革が不可欠でしょう。)
●「ある」=現状が「慣行システムの行き詰まり」ならば、このままでは「今までの価値を実現する仕組み」は挫折することになる。そうはさせじ、というのなら「実像」を踏まえつつ、「価値を実現する仕組み」を再構想しなければならない。
このとき、「あるべき」のキモとなる「価値」も従来通り維持出来るかどうか分かりません。「かくあるべき」と信じて疑われなかったレベルのことも、意識的に形を変えることが必要になるかも知れません。
「社会設計かよ」・「出来る訳ないじゃん」といわれそうですが、おおまかにではあれ、こっちの方向へ行く・行きたい、ということを決めないと身動きが怪しくなります。これは個人、組織、果ては国家まで皆一緒ですね。

※「阿吽語」については次を参照してください。
http://quolaid.com/cgi/kforum/wforum.cgi?no=1326&reno=1252&oya=1252&mode=msgview&page=0

[商人塾]全国サミット レポート

去る9月29~30日商人塾発祥の地といわれる大分市で開催されました。
その一部始終を所感を交えつつレポートします。
まず、大会次第をアップし、その内容をレポートします。
(文中敬称略)

第一日目
◎開会式
 ○挨 拶 佐々木寛大分県商店街振興組合連合会理事長
       広瀬勝貞大分県知事
◎基調講演
○「不況と競走を乗り切る変化対応経営の実践哲学」 
  ~いま店と企業に真に問われているものは何か~
  講師:㈱セブン&アイホイールディングス 
     代表取締役兼CEO 鈴木敏文
◎講  演
○「商売の原点と創造」
 ~生き残りをかけて商業者がいま心すべきものとは~
  講師:豊の国商人塾塾頭 緒方知行
◎パネルディスカッション
 ○「志高き商人たれ!商人としてのあり方」
  ※パネリスト
  アトリエカズ・おたる織物㈱代表取締役 寺岡和子 
  協同組合松江天神町商店街理事長 中村寿男
  豊後高田市「昭和の町」運営協議会会長 安部谷次郎
  豊の国商人塾塾生 渡邉正太郎
  日本政策投資銀行地域企画参事役 藻谷浩介
  ※コーディネーター
  豊の国商人塾塾頭 緒方知行
◎交流会(参加せず・省略)
 
第二日目
◎開講挨拶
 全国商店街振興組合連合会理事長 桑島俊彦
◎講  演
 講師:㈱石見銀山生活文化研究所 取締役所長 松場登美
◎全国商人塾討論会
○「商人塾の現状と行方 君たちの志を問う」
  ※パネリスト
  愛知県商店街振興組合連合会青年部長 鶴田伸也
  四万十市商店街振興組合連合会理事長 友永幸雄
  鶴岡銀座商店街振興組合 三井雅子
  中小企業庁商業課企画官 朝稲秀男
  ㈲はんだ商店代表取締役 飯田孝徳
  ※コーディネーター
  多摩大学教授 望月照彦

◎エキスカーション:商店街視察(参加せず・省略)

◎鈴木さんの基調講演
テーマ:「不況と競走を乗り切る変化対応経営の実践哲学」

●状況
○不況、好景気と見方が分かれているが、各種景気指標を見れば好 景気である。ただし、
小売業についてはおしなべて業績が低迷している。
○対応を考えるには、「世の中をどう見るか」ということがカギ。
①消費飽和:1980年代初頭から「もの」の普及が飽和化している。
②選択消費時代、既存業種・業態のノウハウが通用しなくなっている。
③「専門家」「専門技術」など過去の「専門」が役にたたない。
④過去の成功体験が役に立たない、それまでのポストからはずす。
⑤もの余り、「衝動買い」の時代にどう対応するか
※直面している課題は企業の大小を問わず共通している。
●これからの繁盛づくりは
①経験でものを考えるな 経験を咀嚼するより変化の方が早い。
②マーケットの変化を見極めないと生きていけない
③マーケットは一律ではない、ローカルなニーズに対応せよ
④競争相手は、同業他社ではない、お客の変化だ
⑤繁盛するためにはお客を見続けよ
といった内容でした。

●さらに「変化対応経営」の実践を提唱するということで、
①もの不足~普及が課題であった・量販店全盛時代の経営ノウハウは、「消費飽和」の時代には
役に立たず、むしろマイナスである。
②対応するためには、変化を見極めなければならない。
「お客の変化」を注視せよ
という提言が行われました。

◆所感
 当サイトの常連の皆さんにとっては、あらためて自分の時代認識と同じような認識をトップ企業の
経営者が共有している、ということが確認された、ということになります。対応の方向としては、
変化を見極める/お客の変化を理解せよ、ということで、まずはここから始まるということは当然
ですが、問題は、「お客の変化を見極める仮説を立てる」ということです。
 お客の変化、具体的な観察を羅列してもしょうがない、観察結果を仮説(理論)としてまとめ上げる
ことではじめて「対応の方向」を考えることができるようになる。
この作業を経過しないままで取り組むのでは「変化への対応」をものにすることは難しいと思います。

 トップ企業の「理論武装」の取り組みはどうなっているのか、このあたりの話が聞いてみたかった
ですね。
「変化対応」と言えば、「変化に対応するための理論」の構築が先行する、というのが理論重視派・takeoの立場です。

◎緒方さんの講演
テーマ:「商売の原点と創造」
注:緒方さんは、㈱商業界出身、現在、雑誌2020AIMを発行されていま   す。我が国流通業の栄枯盛衰をずっと見てこられた方です。

●商業者を取り巻く状況
○前世紀末、隆盛を誇った「流通5大グループ」は今どうなっているか
○シャッター通りになったのは商店街だけではない、SCもシャッター通りになっている。
○このまま行けば「商業自滅の時代」、マクロ環境のせいにせず、お客の支持を構築せよ
○SCに商圏を席巻されるのは商店街の怠慢が原因である

●今後の指針
○イノベーション=自己革新、つらいが取り組む以外にない、創意工夫せよ。
○お客のわがままをチャンスにせよ
といった内容でした。

◆所感
 講演ということもあって、「わがままをチャンスにする」具体的なアプローチなどについて、つっこんだ提案までは開陳されませんでした。
 鈴木さんの講演とも共通することですが、環境の変化(規制消費の飽和)の理解と対応の基本的な方向(変化した顧客ニーズに対応する)については、もはや多くの関係者が共有しているのではないでしょうか。
問題は、「対応する」とは具体的に何をどうすることなのか、というレベルにあるわけで、これまでの商売のあり方を否定し、「こっちの方向に舵を切れ」ということを具体的に提唱することが「商人塾」に期待されていることではないかと思います。
 「創意工夫」の必要なことはおっしゃるとおりですが、問題はどこに向けて何をどう創意工夫するのかというところにあると思われます。
もはや「心がけ」のレベルではない、「心がけ」をもって何を実践していくのか、というところへの提言が参加者が一番望んでいるところではなかったか、と、これは日頃の私自身の問題意識もあって、考えてしまいました。

◎パネルディスカッション
テーマ:「志高き商人たれ!商人としてのあり方」
「志高き商人」各位を全国から招聘、その志を聞くという企画です。

●寺岡さん:北海道小樽市で手織り和風を基調としたファッションを立 ち上げておられる人
●中村さん:松江市天神町商店街の活性化のリーダー。高齢者向けの  「買い物の場」「パスタイム」としてのまちづくりに成功している事 例を発表されました。
●安部さん:豊後高田「昭和の町」の取り組みについて。
  まちづくりにはライフサイクルがあり、寿命は10年くらいだと思う。 自分たちの取り組みは5年目で正念場を迎えており、今後とも挑戦の 姿勢をもって取り組んでいきたい。
●渡辺さん:大分の地場特産であり、自社の主力商品である魚の干物を 活かした活性化への取り組みについて。

◆所感
 以上は、各地でまちづくり・地域振興に携わっている皆さんの取り組みの現状報告でした。志と言うことではそれぞれ明確に掲げられておりますが、もちろん志を具現化するには商人の、というかビジネスとしての、というか「あり方」が問われるわけでありまして、パネラーの皆さんはそれぞれ、自らの「あり方」を報告されたと思います。
 これらの報告を集約するとどうなるのか?
集約するには「集約する視点」が必要であり、それが「商人としてのあり方」だと思うのですが、では今回のサミットが標榜する「商人としてのあり方」とは何か?
ということが問われる訳で、これについてはレポートの終わりに考えてみたいと思います。

●藻谷さん:
  言わずと知れた中心市街地活性化、地域活性化の専門家です。どうしてこの人がこのテーマのパネルディスカッションの、コーディネーターとしてならまだしも、一パネラーとして参加することになったのか、正直、不思議な気がします。
藻谷さんは、少子高齢化の進行が全国的に進展すること、現在進展している地方のみならず、今後は大都市においても急激に進展すること、これを絶好のビジネスチャンスとして活用することが課題である、というお話でした。
藻谷さんのお話は、講演として独立させた方が参加者には意義があったのではないかな、と思いました。

◆所 感
サミットは、「環境の変化に如何に対応するか」というそれこそ規模を問わず全国の商業者が直面している課題に指針を提起する、ということよりも、「商人塾の理念」の普及・継承ということに主眼をおいて展開された、という感想を持ちました。
この感想は二日目の催しにも共通するところです。


◎ 二日目 開講挨拶
 全国商店街振興組合連合会理事長 桑島俊彦
○挨拶の中で、世田谷区の連合会が取り組んでいる「商店街加入促進活動」について紹介されました。 商店街に参入しているチェーン店などの組織加入を促進しようと言うことで、同区では条例が制定されたそうで、この動きは都内各地に波及しているとのこと、会員減少に悩む商店街にとっては耳よりの話です。

◎松葉さんの講演
 ●松葉さんは、ご夫君とともに石見銀山・太田市大森町で実家の呉服店をもとに新しいファッション関連のビジネスを起こされました。
http://www.gungendo.co.jp/
 スローライフ・時間堪能という方向性をビジネスとして見事に成功された事例ですね。是非たずねてみたいと思います。


◎ 商人塾討論会
いよいよ、メインディッシュ。
テーマ:「商人塾の現状と行方 君たちの志を問う」
 討論は、
①商人とは何か
②商人塾・スタートの経緯
③商人塾で何を学ぶか
④21世紀の商人塾とは
という流れで、参加者がそれぞれ自分の思いを発表する、という形式。

①商人とは何か
●鶴田さん:お客の喜びを自分の喜びとしたい
      画廊経営
●友永さん:お客様の問題解決に貢献する存在
      化粧品店経営
●三井さん:お客の笑顔
      台所用品店経営
●朝稲さん:行政の立場から
      ※まちづくり三法の見直しを進めている
      ※活性化の対応としては
      ①コンパクトシティの推進
      ②賑わい創出
      ③個店の魅力づくり を進めていく
●飯田さん:人の役に立てたらいいな
      酒屋経営
②商人塾の現状について
●鶴田さん:安城商業塾
      ○講義を約50時間実施、これを踏まえて各店ごとに「店づくりの転換」に取り組んだ。
      ○「店を閉めてでも受講する」を合い言葉に取り組んだ
      ○現在、第二期生を募集中
      ○一期生の感想は取り組んでよかった。二期生を集めるのは難しいが実施する。参照:http://www.anjo-tmo.jp/

●友永さん:なかむら商人塾
      ○TMOの提案によりスタートした。「まちづくり」に向けた商人塾というところが特徴
      ○輝く個店が軒を連ねる商店街を目指す取り組み
      ○取り組みの結果業績が好転している店が出始めた
      ○今年は2年目、一期生も引き続き添加に取り組んでいく
      ○二期生は、中心市街地に限定せず市内全域から募集

●三井さん:岩手県鶴岡銀座商店街振興組合
      ○商道館という勉強会組織が昨年まで活動したが、今年、中止になった。
      ○現在は「次世代あきんどの会」という組織で頑張っている。
      ○商店街を一個のデパートに、という方向で取り組んでいる
      ○旧世代との意識のギャップがある。古い成功体験からの脱却が商店街の課題だ

●朝稲さん:中小企業庁
      ○施策の新しい方向として
      ①人材育成:創業等支援事業など
      ②チャレンジショップ事業の拡充

●飯田さん:豊の国商人塾
      ○「豊の国商人塾」の秘密は、ボランティアと感動にある
      ○商人塾創設者、塾頭の後ろ姿をみなが前進していきたい
      ○「商人道」「如何に生きるべきか」という話は一切しない、商売を通じて自成せよ
      ○「商人として今、地域で何ができるか」を追求していく

③今後の抱負(商人塾への期待)
●鶴田さん:自分の人生を豊かにする機会 お店の姿は自分の姿、自分が変わっていく以外にない
      ○理論~仮説~実践~検証というサイクルを回していく
      ○ビジョンを設定し、実体化する取り組み
 ※求められる商人塾:人の役に立って、魅力あるエリア、市民にとって無くてはならぬまちを作っていく実践の場

●友永さん:素直で勉強好きな商人を育成する
      他流試合(仲間との交流)の場、交流の中でズレを修正する
 ※求められている商人塾:本物商品、本物商店を作っていく場
●三井さん:商売は人と人とのつながりづくり     
      ○町も店もコミュニケーションの場と心得て磨いていく
●朝稲さん:多様な人との交流の場、五官を研ぐ機会として活用してもらいたい
      ○他地区商人塾とのネットワークの構築も課題
●飯田さん:「学ぼう商人塾魂」
      ○人として、商人として如何にあるべきか?
      ○「商人文化の継承」
●コーディネーターによるまとめ
 ①いよいよ「商人塾の時代」が到来した
 ②21世紀、人材のインキュベーターを担うのが商人塾
 ③商人塾は地域の問題解決センターである     
 ④自立した商人塾のネットワークを構築しよう
 ⑤商人塾の本質は、「野生の力」であり、「野生の苗床」だ
 二日間で学んだことをしっかり活用して、新しい商人塾運動、ネットワークの構築を目指していただきたい。

◆所感
 5名のパネラーのうち、
 愛知県商店街振興組合連合会青年部長 鶴田伸也
 四万十市商店街振興組合連合会理事長 友永幸雄
のお二人は、クオールエイド流商人塾の塾生です。ご承知のとおり。
発言内容をチェックしていただくと、お二人の発言内容を他の人の発言がはっきり違うことが見て取れます。
 我が商人塾は、「目的不問、儲かりたかったらこうしてみたら」というレベルからスタートします。けして「商人道」や「商人としてのあり方」を立てて、その実践・修養の場として「商人塾」に取り組むわけでありません。
また、だからといって単なる「ノウハウ修得の機会」でもありません。
環境が激変する中で商業者としてあり続けるには、という問題意識を共有する人が集まって、
①対応する方向と方法について学び、
②自店の業容転換を構想し、
③試行錯誤を繰り返し転換を実践していく
③仲間との交流で転換をより確実、より加速する
というのがクオールエイド流・実利追求商人塾ですね。
 ということで、奇しくも最後の討論では、従来型の商人塾vs革新的商人塾という対照が見られました。元気がよかった、展望がありそうだ、というのは我が二商人塾の方だった、というのはひいき目でしょうか(笑
 さて、サミットは場所を変えながら続けていく、という方向が打ち出されました。
続けるのは結構なことですが、どうせ開催するのであれば、何のための交流か、ということをもっとシビアに突き詰めることが必要ではないでしょうか。
もちろん、商人塾自体も、この厳しい時代、想定する参加者のどのような問題意識と切り結ぼうとするのか、参加者に何を約束するのか、という根元的なところから考えてみることが必要ではないでしょうか。

 ということで、駆け足で報告しましたが如何だったでしょうか。
なお、今後ともさらにシビアに検討してみたいと思いますので、興味のある方はクオールエイドのサイトでおつきあいください。
http://www.quolaid.com/cgi/tmo/wforum.cgi?no=1087&reno=no&oya=1087&mode=msgview&page=0
 商人塾は、商店街活性化を推進していく上で「起死回生」の働きが期待されています。期待に応えうる内容をどう作り上げていくのか、それぞれの商人塾が重い課題を突きつけられていると思います。

[商人塾]全国サミット レポート

去る9月29~30日商人塾発祥の地といわれる大分市で開催されました。
その一部始終を所感を交えつつレポートします。
まず、大会次第をアップし、その内容をレポートします。
(文中敬称略)

第一日目
◎開会式
 ○挨 拶 佐々木寛大分県商店街振興組合連合会理事長
       広瀬勝貞大分県知事
◎基調講演
○「不況と競走を乗り切る変化対応経営の実践哲学」 
  ~いま店と企業に真に問われているものは何か~
  講師:㈱セブン&アイホイールディングス 
     代表取締役兼CEO 鈴木敏文
◎講  演
○「商売の原点と創造」
 ~生き残りをかけて商業者がいま心すべきものとは~
  講師:豊の国商人塾塾頭 緒方知行
◎パネルディスカッション
 ○「志高き商人たれ!商人としてのあり方」
  ※パネリスト
  アトリエカズ・おたる織物㈱代表取締役 寺岡和子 
  協同組合松江天神町商店街理事長 中村寿男
  豊後高田市「昭和の町」運営協議会会長 安部谷次郎
  豊の国商人塾塾生 渡邉正太郎
  日本政策投資銀行地域企画参事役 藻谷浩介
  ※コーディネーター
  豊の国商人塾塾頭 緒方知行
◎交流会(参加せず・省略)
 
第二日目
◎開講挨拶
 全国商店街振興組合連合会理事長 桑島俊彦
◎講  演
 講師:㈱石見銀山生活文化研究所 取締役所長 松場登美
◎全国商人塾討論会
○「商人塾の現状と行方 君たちの志を問う」
  ※パネリスト
  愛知県商店街振興組合連合会青年部長 鶴田伸也
  四万十市商店街振興組合連合会理事長 友永幸雄
  鶴岡銀座商店街振興組合 三井雅子
  中小企業庁商業課企画官 朝稲秀男
  ㈲はんだ商店代表取締役 飯田孝徳
  ※コーディネーター
  多摩大学教授 望月照彦

◎エキスカーション:商店街視察(参加せず・省略)

◎鈴木さんの基調講演
テーマ:「不況と競走を乗り切る変化対応経営の実践哲学」

●状況
○不況、好景気と見方が分かれているが、各種景気指標を見れば好 景気である。ただし、
小売業についてはおしなべて業績が低迷している。
○対応を考えるには、「世の中をどう見るか」ということがカギ。
①消費飽和:1980年代初頭から「もの」の普及が飽和化している。
②選択消費時代、既存業種・業態のノウハウが通用しなくなっている。
③「専門家」「専門技術」など過去の「専門」が役にたたない。
④過去の成功体験が役に立たない、それまでのポストからはずす。
⑤もの余り、「衝動買い」の時代にどう対応するか
※直面している課題は企業の大小を問わず共通している。
●これからの繁盛づくりは
①経験でものを考えるな 経験を咀嚼するより変化の方が早い。
②マーケットの変化を見極めないと生きていけない
③マーケットは一律ではない、ローカルなニーズに対応せよ
④競争相手は、同業他社ではない、お客の変化だ
⑤繁盛するためにはお客を見続けよ
といった内容でした。

●さらに「変化対応経営」の実践を提唱するということで、
①もの不足~普及が課題であった・量販店全盛時代の経営ノウハウは、「消費飽和」の時代には
役に立たず、むしろマイナスである。
②対応するためには、変化を見極めなければならない。
「お客の変化」を注視せよ
という提言が行われました。

◆所感
 当サイトの常連の皆さんにとっては、あらためて自分の時代認識と同じような認識をトップ企業の
経営者が共有している、ということが確認された、ということになります。対応の方向としては、
変化を見極める/お客の変化を理解せよ、ということで、まずはここから始まるということは当然
ですが、問題は、「お客の変化を見極める仮説を立てる」ということです。
 お客の変化、具体的な観察を羅列してもしょうがない、観察結果を仮説(理論)としてまとめ上げる
ことではじめて「対応の方向」を考えることができるようになる。
この作業を経過しないままで取り組むのでは「変化への対応」をものにすることは難しいと思います。

 トップ企業の「理論武装」の取り組みはどうなっているのか、このあたりの話が聞いてみたかった
ですね。
「変化対応」と言えば、「変化に対応するための理論」の構築が先行する、というのが理論重視派・takeoの立場です。

◎緒方さんの講演
テーマ:「商売の原点と創造」
注:緒方さんは、㈱商業界出身、現在、雑誌2020AIMを発行されていま   す。我が国流通業の栄枯盛衰をずっと見てこられた方です。

●商業者を取り巻く状況
○前世紀末、隆盛を誇った「流通5大グループ」は今どうなっているか
○シャッター通りになったのは商店街だけではない、SCもシャッター通りになっている。
○このまま行けば「商業自滅の時代」、マクロ環境のせいにせず、お客の支持を構築せよ
○SCに商圏を席巻されるのは商店街の怠慢が原因である

●今後の指針
○イノベーション=自己革新、つらいが取り組む以外にない、創意工夫せよ。
○お客のわがままをチャンスにせよ
といった内容でした。

◆所感
 講演ということもあって、「わがままをチャンスにする」具体的なアプローチなどについて、つっこんだ提案までは開陳されませんでした。
 鈴木さんの講演とも共通することですが、環境の変化(規制消費の飽和)の理解と対応の基本的な方向(変化した顧客ニーズに対応する)については、もはや多くの関係者が共有しているのではないでしょうか。
問題は、「対応する」とは具体的に何をどうすることなのか、というレベルにあるわけで、これまでの商売のあり方を否定し、「こっちの方向に舵を切れ」ということを具体的に提唱することが「商人塾」に期待されていることではないかと思います。
 「創意工夫」の必要なことはおっしゃるとおりですが、問題はどこに向けて何をどう創意工夫するのかというところにあると思われます。
もはや「心がけ」のレベルではない、「心がけ」をもって何を実践していくのか、というところへの提言が参加者が一番望んでいるところではなかったか、と、これは日頃の私自身の問題意識もあって、考えてしまいました。

◎パネルディスカッション
テーマ:「志高き商人たれ!商人としてのあり方」
「志高き商人」各位を全国から招聘、その志を聞くという企画です。

●寺岡さん:北海道小樽市で手織り和風を基調としたファッションを立 ち上げておられる人
●中村さん:松江市天神町商店街の活性化のリーダー。高齢者向けの  「買い物の場」「パスタイム」としてのまちづくりに成功している事 例を発表されました。
●安部さん:豊後高田「昭和の町」の取り組みについて。
  まちづくりにはライフサイクルがあり、寿命は10年くらいだと思う。 自分たちの取り組みは5年目で正念場を迎えており、今後とも挑戦の 姿勢をもって取り組んでいきたい。
●渡辺さん:大分の地場特産であり、自社の主力商品である魚の干物を 活かした活性化への取り組みについて。

◆所感
 以上は、各地でまちづくり・地域振興に携わっている皆さんの取り組みの現状報告でした。志と言うことではそれぞれ明確に掲げられておりますが、もちろん志を具現化するには商人の、というかビジネスとしての、というか「あり方」が問われるわけでありまして、パネラーの皆さんはそれぞれ、自らの「あり方」を報告されたと思います。
 これらの報告を集約するとどうなるのか?
集約するには「集約する視点」が必要であり、それが「商人としてのあり方」だと思うのですが、では今回のサミットが標榜する「商人としてのあり方」とは何か?
ということが問われる訳で、これについてはレポートの終わりに考えてみたいと思います。

●藻谷さん:
  言わずと知れた中心市街地活性化、地域活性化の専門家です。どうしてこの人がこのテーマのパネルディスカッションの、コーディネーターとしてならまだしも、一パネラーとして参加することになったのか、正直、不思議な気がします。
藻谷さんは、少子高齢化の進行が全国的に進展すること、現在進展している地方のみならず、今後は大都市においても急激に進展すること、これを絶好のビジネスチャンスとして活用することが課題である、というお話でした。
藻谷さんのお話は、講演として独立させた方が参加者には意義があったのではないかな、と思いました。

◆所 感
サミットは、「環境の変化に如何に対応するか」というそれこそ規模を問わず全国の商業者が直面している課題に指針を提起する、ということよりも、「商人塾の理念」の普及・継承ということに主眼をおいて展開された、という感想を持ちました。
この感想は二日目の催しにも共通するところです。


◎ 二日目 開講挨拶
 全国商店街振興組合連合会理事長 桑島俊彦
○挨拶の中で、世田谷区の連合会が取り組んでいる「商店街加入促進活動」について紹介されました。 商店街に参入しているチェーン店などの組織加入を促進しようと言うことで、同区では条例が制定されたそうで、この動きは都内各地に波及しているとのこと、会員減少に悩む商店街にとっては耳よりの話です。

◎松葉さんの講演
 ●松葉さんは、ご夫君とともに石見銀山・太田市大森町で実家の呉服店をもとに新しいファッション関連のビジネスを起こされました。
http://www.gungendo.co.jp/
 スローライフ・時間堪能という方向性をビジネスとして見事に成功された事例ですね。是非たずねてみたいと思います。


◎ 商人塾討論会
いよいよ、メインディッシュ。
テーマ:「商人塾の現状と行方 君たちの志を問う」
 討論は、
①商人とは何か
②商人塾・スタートの経緯
③商人塾で何を学ぶか
④21世紀の商人塾とは
という流れで、参加者がそれぞれ自分の思いを発表する、という形式。

①商人とは何か
●鶴田さん:お客の喜びを自分の喜びとしたい
      画廊経営
●友永さん:お客様の問題解決に貢献する存在
      化粧品店経営
●三井さん:お客の笑顔
      台所用品店経営
●朝稲さん:行政の立場から
      ※まちづくり三法の見直しを進めている
      ※活性化の対応としては
      ①コンパクトシティの推進
      ②賑わい創出
      ③個店の魅力づくり を進めていく
●飯田さん:人の役に立てたらいいな
      酒屋経営
②商人塾の現状について
●鶴田さん:安城商業塾
      ○講義を約50時間実施、これを踏まえて各店ごとに「店づくりの転換」に取り組んだ。
      ○「店を閉めてでも受講する」を合い言葉に取り組んだ
      ○現在、第二期生を募集中
      ○一期生の感想は取り組んでよかった。二期生を集めるのは難しいが実施する。参照:http://www.anjo-tmo.jp/

●友永さん:なかむら商人塾
      ○TMOの提案によりスタートした。「まちづくり」に向けた商人塾というところが特徴
      ○輝く個店が軒を連ねる商店街を目指す取り組み
      ○取り組みの結果業績が好転している店が出始めた
      ○今年は2年目、一期生も引き続き添加に取り組んでいく
      ○二期生は、中心市街地に限定せず市内全域から募集

●三井さん:岩手県鶴岡銀座商店街振興組合
      ○商道館という勉強会組織が昨年まで活動したが、今年、中止になった。
      ○現在は「次世代あきんどの会」という組織で頑張っている。
      ○商店街を一個のデパートに、という方向で取り組んでいる
      ○旧世代との意識のギャップがある。古い成功体験からの脱却が商店街の課題だ

●朝稲さん:中小企業庁
      ○施策の新しい方向として
      ①人材育成:創業等支援事業など
      ②チャレンジショップ事業の拡充

●飯田さん:豊の国商人塾
      ○「豊の国商人塾」の秘密は、ボランティアと感動にある
      ○商人塾創設者、塾頭の後ろ姿をみなが前進していきたい
      ○「商人道」「如何に生きるべきか」という話は一切しない、商売を通じて自成せよ
      ○「商人として今、地域で何ができるか」を追求していく

③今後の抱負(商人塾への期待)
●鶴田さん:自分の人生を豊かにする機会 お店の姿は自分の姿、自分が変わっていく以外にない
      ○理論~仮説~実践~検証というサイクルを回していく
      ○ビジョンを設定し、実体化する取り組み
 ※求められる商人塾:人の役に立って、魅力あるエリア、市民にとって無くてはならぬまちを作っていく実践の場

●友永さん:素直で勉強好きな商人を育成する
      他流試合(仲間との交流)の場、交流の中でズレを修正する
 ※求められている商人塾:本物商品、本物商店を作っていく場
●三井さん:商売は人と人とのつながりづくり     
      ○町も店もコミュニケーションの場と心得て磨いていく
●朝稲さん:多様な人との交流の場、五官を研ぐ機会として活用してもらいたい
      ○他地区商人塾とのネットワークの構築も課題
●飯田さん:「学ぼう商人塾魂」
      ○人として、商人として如何にあるべきか?
      ○「商人文化の継承」
●コーディネーターによるまとめ
 ①いよいよ「商人塾の時代」が到来した
 ②21世紀、人材のインキュベーターを担うのが商人塾
 ③商人塾は地域の問題解決センターである     
 ④自立した商人塾のネットワークを構築しよう
 ⑤商人塾の本質は、「野生の力」であり、「野生の苗床」だ
 二日間で学んだことをしっかり活用して、新しい商人塾運動、ネットワークの構築を目指していただきたい。

◆所感
 5名のパネラーのうち、
 愛知県商店街振興組合連合会青年部長 鶴田伸也
 四万十市商店街振興組合連合会理事長 友永幸雄
のお二人は、クオールエイド流商人塾の塾生です。ご承知のとおり。
発言内容をチェックしていただくと、お二人の発言内容を他の人の発言がはっきり違うことが見て取れます。
 我が商人塾は、「目的不問、儲かりたかったらこうしてみたら」というレベルからスタートします。けして「商人道」や「商人としてのあり方」を立てて、その実践・修養の場として「商人塾」に取り組むわけでありません。
また、だからといって単なる「ノウハウ修得の機会」でもありません。
環境が激変する中で商業者としてあり続けるには、という問題意識を共有する人が集まって、
①対応する方向と方法について学び、
②自店の業容転換を構想し、
③試行錯誤を繰り返し転換を実践していく
③仲間との交流で転換をより確実、より加速する
というのがクオールエイド流・実利追求商人塾ですね。
 ということで、奇しくも最後の討論では、従来型の商人塾vs革新的商人塾という対照が見られました。元気がよかった、展望がありそうだ、というのは我が二商人塾の方だった、というのはひいき目でしょうか(笑
 さて、サミットは場所を変えながら続けていく、という方向が打ち出されました。
続けるのは結構なことですが、どうせ開催するのであれば、何のための交流か、ということをもっとシビアに突き詰めることが必要ではないでしょうか。
もちろん、商人塾自体も、この厳しい時代、想定する参加者のどのような問題意識と切り結ぼうとするのか、参加者に何を約束するのか、という根元的なところから考えてみることが必要ではないでしょうか。

 ということで、駆け足で報告しましたが如何だったでしょうか。
なお、今後ともさらにシビアに検討してみたいと思いますので、興味のある方はクオールエイドのサイトでおつきあいください。
http://www.quolaid.com/cgi/tmo/wforum.cgi?no=1087&reno=no&oya=1087&mode=msgview&page=0
 商人塾は、商店街活性化を推進していく上で「起死回生」の働きが期待されています。期待に応えうる内容をどう作り上げていくのか、それぞれの商人塾が重い課題を突きつけられていると思います。

商店街とイベント

もの余り、という商業を取り巻く状況については、このたびの「商人塾全国サミット」(*)においても基調認識となっており、すでに定着しています。

(* 「商人塾全国サミット」:去る9月29~30日、商人塾発祥の地といわれる大分市で開催された。内容については後日アップします。)

では「環境適応業」と言われる小売業において、「もの余り」への対応はどのように考えられているか?
と考えてみますと、あっと驚く、これが、全然・全く・無いのであります。

消費ニーズは多様化し・個性化している、十人十色から一人十色へ、などといわれるだけ、では多様化し、個性化し、一人十色化しているニーズにどう対応するのかということになるとほとんど答えは提案されていませんね。(ただし、当サイトをのぞく(笑 )
皆さん、「もの余り時代」というキャッチコピーにはくれぐれもご注意。もう一度しっかり中身を詰めなおさないと、「こんなはずじゃなかった」的結末を迎えることになりますからね。

なかには、もの余り時代だ、もの売りでお客を集めることはできない、イベントで集めよう などという素っ頓狂な意見が出てきたりする。

あるいは、エラソーに、「商売ばかり考えるのではなく、市民の皆さんと一緒にまちづくりに取り組む中から活路を見いだそう」などという、単純思考の私などにはとても理解できない立派な意見も出てきたりする。

ということで。
もの余り時代の集客戦術・イベントについてもう一度考えてみたいと思います。思いっきり否定的に書きますので、「物言わぬは腹膨るるわざなり」、反論、悪口、何でもどうぞ。


○イベント再考

イベント、英英辞典を引いてみますと、「起こることが待ち望まれている出来事」とあります。
(ちなみに、外来用語について、暇な人は英英辞典でチェックされることを推奨します。もともとの意味を知ると、意外と「知恵のもと」になったりします。国語辞典との差異なども分かって面白い。お勧めです)

イベントが起きることを望んでいるのは誰か? 
もちろん、イベントに出かけてくる人ですね。
イベントの元来の意味は、「(ある人たちにとって)わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体験できない出来事」ということです。
二つの要因が含まれており、
①わざわざ出かけて楽しむ
②日頃は体験できない
という性格を併せ持っているのがイベントです。あらためてこうして分析してみますと、ほとんど私たちが使っているニュアンスであり、異存のある人は少ないと思います。

商店街のイベントといえば、これはもう、伝統的に「売り出し」ですね。
お祭り、期末、シーズンオフなどなど、機会を捉えては「大売り出し」「在庫一掃・棚ざらえ」、「せいもん払い」などなど、物売りをイベントに仕立てて提供してきました。

その昔、イベントを提供されるお客にとって、商店街が提供する「大売り出し」は、
①わざわざ出かけて楽しむ
②日頃は体験できない
ことでしたから、近郊近在に住む人たちから圧倒的な支持を受け、人出最高・売り上げ最高、という成果をもたらしました。
今は昔のお話です。

つまり、プレ・もの余り、家庭にも個人にも欲しくてたまらないものがいくらでもあった時代、「もの不足時代」には、
①日頃欲しくてたまらないが価格的に二の足を踏んでしまう商品が
②3割引、5割引で提供される売り出しは、
わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体験できないイベントだったわけです。

皆さんがきれいさっぱりお忘れになっているのは、イベント全盛時代、イベントにあわせて売り出しをやればドンドンものが売れた、昔はイベントの威力はすごかった、と考えている人があるようですが、これは間違い。
昔、イベントとは「抽選付き大売り出し」の抽選ではなく、売り出しのほうでした。抽選などは二の次、お目当ては3割引・5割引場合によってはそれ以上の割引でものが買える、ということでした。

したがって、
ものが普及し、「差別化」がアピールされるになり、果ては「もの余り」と時代環境が変わって来るにつれて、「イベント」の威力が衰えてきました。
皆さんは、抽選の景品をより豪華に、あるいはよりたくさんの当選者を、などなど目先を変えて来ましたが、誰も気がつきませんでしたが、ここでイベントの内容が大きく変わってしまいました。
従来のイベント=「ものを手に入れる=買い物」のレベルは相変わらずの状態、すなわち、もの余り、飽和状態のお客に、見放された商品を買ってもらうための「仕掛け」として「物売りではないイベント」が考えられることになりました。
すなわち、「ものを売るイベントに人が集まる」から「イベントで集客してものを売る」という逆転が生じたのです。

すなわち、もの離れ状態のお客にものをを買わせることを目的にイベント、すなわち、「わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体
験できない」催しを仕掛ける、というように変化したわけです。
これが物販機能集積としての全盛期を過ぎた商店街のイベント、すなわち、現在取り組まれている商店街のイベントです。


○イベントの類型

 現在行われている商店街のイベントは、大別すると
①従来型の景品付き大売り出しに代表される「夢よもう一度」型。
 先にも書いたように、かっての売り出しは商品目当てだったことをすっかり忘れ、昔の売り出しが成功したのは「抽選」プラス割引セールだったから、と勘違い、今でもそれが通用すると思っている。あるいは通用するとかしないとか考える前に今までやってきたから今度もやろう、という省思考・省努力の成果です。
あのですね、当時、割引でものが売れたのは、「定価でも買いたい商品が安くなっている」、「定価だと手が出ない商品が安くなっている」ということが「イベント」そのものだった、ということですからね。
現在は、定価で売れないお店が割り引きセールをしてもお客を呼ぶことはできない、というシビアな時代、割引セールが威力を発揮するのは「定価でもどんど売れる商品が割り引きセールにかけられたとき」に限るのです。
 ここに、もの不足時代ともの余り時代の大きな相違が現れている、と考えなければならない。

②もの余り時代、もの(物販)では集客できない、(物販以外の)魅力的なイベントを提案し、イベント目当てで集まったお客に買い物してもらおうという「エビで鯛を釣ろう」型。
 (ある人たちにとって)魅力的なイベントを企画すれば、人は集めることができます。ただし、忘れてはいけないのは、イベントの中身です。
イベントは、それ自体が「わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体験できない」出来事ですから、この出来事にあわせて集まった人たちは、イベントを楽しむことを目的に来街した人たちです。
つまり、来街した人の多くは、イベントを楽しむために来たのであり、買い物をするために来たのではありません。
ここに大きな問題がありまして。
イベントを仕掛ける側の思惑は、買う気のない通行客(つまりイベント目当ての来街者)に、まちなかのお店に入店してもらい、買い物をしてもらう、ことにあちます。いうまでもなく。
これは「衝動買い」つまり、街に来るときは買うつもりが無かったのに、ショーウインドを見たら思わず入店したくなり、中の商品を見たら思わず買ってしまった、ということが起こることを意図している訳ですね。
 お客は「もの余り」「もの離れ」している、という認識を持ちながら、「もの離れ」イベントで集めたお客に「衝動買い」を訴求する、ということですが、これは大変難しい。どれくらい難しいかというと、とても皆さんの手には負えないくらい難しい。(笑

③「まちづくり」の一環を担う商店街主催のイベント、について
 「もの離れ」時代を反映しつつ、「商売が先に立つのではなく・利害は度外視して」「市民と協力して」まちづくりの一環としてのイベントに取り組む、という「純正イベント型」。
大変結構なことですが、つっこみどころ満載(笑
第一に、「物販」を甘く見ていませんか? ということ。もの余り、もの離れ時代の物販機能の重要性は、たぶんもの不足時代に優るとも劣らないものがありまして、もの離れ時代にものが売れないということは、すなわち、社会経済の構造に赤信号がともる、ということを意味します。
このあたり、詳しくは当サイト内で「時間堪能型社会」を検索してください。
結論だけ書きますと、もの離れ時代にものを売ると言うことは、ものが作り出す意味を売ること、ものを生活を堪能するための演出財として提案するということ、つまり、ものを買うことが新しい「イベント」になりうる時代、これが今という時代なのです。

商業者にとって絶好の機会を迎えていながら、そのことに気がつかないばかりか、商売抜きのイベントに邁進、その結果、イベントは賑わうがお店は空っぽ、という皮肉な情景が起こっている。お客は非・物販のイベントになぜ集まるのか?それはもちろん、イベントがイベントであるから、「時間堪能」の機会を提供しているから、ですね。ここに新しいビジネスチャンスが眼前しているではありませんか。
ここを見逃してもの離れ対応イベントを主催、にぎわいを作って何がどうなる?(笑
 
 純正イベントを企画し、寝食を忘れて没頭して成功させる。内外からの評価は高く生き甲斐、やりがいを感じ高揚した数日を過ごすことができる・・・。
なるほど、一日、二日はそれでOKとしましょう。ではそれ以外の360日はどうするんですか? イベント以外の「恒常業務」である「物売り」がちゃんと機能してはじめて「」
皆さんがになっている肝心の「商業機能」はしっかり機能させる自信がありますか?
「商売が先に立つのではなく」「利害は度外視する」というのはまさか「逃げ」ではないでしょうね。


○まとめ

 ということで、まずは事業機会=このことを通じて社会の機能を分担し、事業の目的を達成しようとしている「物販機能」の現在~将来のあり方を構想し、自店・商店街の取り組みとしてその実現に取り組む仕事をそっちのけで「まちづくり」にいそしむ、などとはちゃんちゃらおかしい、と思うものであります。まあ、イベントに邁進している間に肝心の商業機能の空洞化などが進展しないよう、たまには軒を連ねるお店の外観・業容にも目配りを、と期待するものです。

店外の動きで「売り上げはついてくる」などというのは真っ赤なウソでありまして、
売り上げは「作らなければならない」し、作るのは主として「店づくり」、「業容転換」の取り組みであり、この孤独な取り組みによる以外に売り上げを確保していく方法は無いのだ、ということをあらためて商店街レベルで確認することが必要です。

 もの不足時代ともの余り時代、イベント一つ取り上げてもその効能効果に大きな違いがある、ということを考えてみました。ことはイベントだけではありません。
これまで、何となく「小売業の原理・原則」と言われ、考え、信じてきたことどもがすべて、「もの不足時代」限定の原理・原則だったということ、もの余り・もの離れといわれる現在の「原理・原則」は確立どころか、その片鱗も見いだされていないなかで、自分たちが仮説試行による「店づくり」として実現していく以外に方法はないのだ、ということをあらためて確認してください。

なお、「イベントによる街おこし」成功事例の視察などに行かれる場合には、是非、
①所期の目的の達成と平行して
②当記事の主張の可否についても検証してください。

イベントに限らず、今後の商店街活動のあり方、自店のあり方を考える上で得られることが少なくないと考えるものです。

商店街とイベント

もの余り、という商業を取り巻く状況については、このたびの「商人塾全国サミット」(*)においても基調認識となっており、すでに定着しています。

(* 「商人塾全国サミット」:去る9月29~30日、商人塾発祥の地といわれる大分市で開催された。内容については後日アップします。)

では「環境適応業」と言われる小売業において、「もの余り」への対応はどのように考えられているか?
と考えてみますと、あっと驚く、これが、全然・全く・無いのであります。

消費ニーズは多様化し・個性化している、十人十色から一人十色へ、などといわれるだけ、では多様化し、個性化し、一人十色化しているニーズにどう対応するのかということになるとほとんど答えは提案されていませんね。(ただし、当サイトをのぞく(笑 )
皆さん、「もの余り時代」というキャッチコピーにはくれぐれもご注意。もう一度しっかり中身を詰めなおさないと、「こんなはずじゃなかった」的結末を迎えることになりますからね。

なかには、もの余り時代だ、もの売りでお客を集めることはできない、イベントで集めよう などという素っ頓狂な意見が出てきたりする。

あるいは、エラソーに、「商売ばかり考えるのではなく、市民の皆さんと一緒にまちづくりに取り組む中から活路を見いだそう」などという、単純思考の私などにはとても理解できない立派な意見も出てきたりする。

ということで。
もの余り時代の集客戦術・イベントについてもう一度考えてみたいと思います。思いっきり否定的に書きますので、「物言わぬは腹膨るるわざなり」、反論、悪口、何でもどうぞ。


○イベント再考

イベント、英英辞典を引いてみますと、「起こることが待ち望まれている出来事」とあります。
(ちなみに、外来用語について、暇な人は英英辞典でチェックされることを推奨します。もともとの意味を知ると、意外と「知恵のもと」になったりします。国語辞典との差異なども分かって面白い。お勧めです)

イベントが起きることを望んでいるのは誰か? 
もちろん、イベントに出かけてくる人ですね。
イベントの元来の意味は、「(ある人たちにとって)わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体験できない出来事」ということです。
二つの要因が含まれており、
①わざわざ出かけて楽しむ
②日頃は体験できない
という性格を併せ持っているのがイベントです。あらためてこうして分析してみますと、ほとんど私たちが使っているニュアンスであり、異存のある人は少ないと思います。

商店街のイベントといえば、これはもう、伝統的に「売り出し」ですね。
お祭り、期末、シーズンオフなどなど、機会を捉えては「大売り出し」「在庫一掃・棚ざらえ」、「せいもん払い」などなど、物売りをイベントに仕立てて提供してきました。

その昔、イベントを提供されるお客にとって、商店街が提供する「大売り出し」は、
①わざわざ出かけて楽しむ
②日頃は体験できない
ことでしたから、近郊近在に住む人たちから圧倒的な支持を受け、人出最高・売り上げ最高、という成果をもたらしました。
今は昔のお話です。

つまり、プレ・もの余り、家庭にも個人にも欲しくてたまらないものがいくらでもあった時代、「もの不足時代」には、
①日頃欲しくてたまらないが価格的に二の足を踏んでしまう商品が
②3割引、5割引で提供される売り出しは、
わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体験できないイベントだったわけです。

皆さんがきれいさっぱりお忘れになっているのは、イベント全盛時代、イベントにあわせて売り出しをやればドンドンものが売れた、昔はイベントの威力はすごかった、と考えている人があるようですが、これは間違い。
昔、イベントとは「抽選付き大売り出し」の抽選ではなく、売り出しのほうでした。抽選などは二の次、お目当ては3割引・5割引場合によってはそれ以上の割引でものが買える、ということでした。

したがって、
ものが普及し、「差別化」がアピールされるになり、果ては「もの余り」と時代環境が変わって来るにつれて、「イベント」の威力が衰えてきました。
皆さんは、抽選の景品をより豪華に、あるいはよりたくさんの当選者を、などなど目先を変えて来ましたが、誰も気がつきませんでしたが、ここでイベントの内容が大きく変わってしまいました。
従来のイベント=「ものを手に入れる=買い物」のレベルは相変わらずの状態、すなわち、もの余り、飽和状態のお客に、見放された商品を買ってもらうための「仕掛け」として「物売りではないイベント」が考えられることになりました。
すなわち、「ものを売るイベントに人が集まる」から「イベントで集客してものを売る」という逆転が生じたのです。

すなわち、もの離れ状態のお客にものをを買わせることを目的にイベント、すなわち、「わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体
験できない」催しを仕掛ける、というように変化したわけです。
これが物販機能集積としての全盛期を過ぎた商店街のイベント、すなわち、現在取り組まれている商店街のイベントです。


○イベントの類型

 現在行われている商店街のイベントは、大別すると
①従来型の景品付き大売り出しに代表される「夢よもう一度」型。
 先にも書いたように、かっての売り出しは商品目当てだったことをすっかり忘れ、昔の売り出しが成功したのは「抽選」プラス割引セールだったから、と勘違い、今でもそれが通用すると思っている。あるいは通用するとかしないとか考える前に今までやってきたから今度もやろう、という省思考・省努力の成果です。
あのですね、当時、割引でものが売れたのは、「定価でも買いたい商品が安くなっている」、「定価だと手が出ない商品が安くなっている」ということが「イベント」そのものだった、ということですからね。
現在は、定価で売れないお店が割り引きセールをしてもお客を呼ぶことはできない、というシビアな時代、割引セールが威力を発揮するのは「定価でもどんど売れる商品が割り引きセールにかけられたとき」に限るのです。
 ここに、もの不足時代ともの余り時代の大きな相違が現れている、と考えなければならない。

②もの余り時代、もの(物販)では集客できない、(物販以外の)魅力的なイベントを提案し、イベント目当てで集まったお客に買い物してもらおうという「エビで鯛を釣ろう」型。
 (ある人たちにとって)魅力的なイベントを企画すれば、人は集めることができます。ただし、忘れてはいけないのは、イベントの中身です。
イベントは、それ自体が「わざわざ出かけて楽しむ・日頃は体験できない」出来事ですから、この出来事にあわせて集まった人たちは、イベントを楽しむことを目的に来街した人たちです。
つまり、来街した人の多くは、イベントを楽しむために来たのであり、買い物をするために来たのではありません。
ここに大きな問題がありまして。
イベントを仕掛ける側の思惑は、買う気のない通行客(つまりイベント目当ての来街者)に、まちなかのお店に入店してもらい、買い物をしてもらう、ことにあちます。いうまでもなく。
これは「衝動買い」つまり、街に来るときは買うつもりが無かったのに、ショーウインドを見たら思わず入店したくなり、中の商品を見たら思わず買ってしまった、ということが起こることを意図している訳ですね。
 お客は「もの余り」「もの離れ」している、という認識を持ちながら、「もの離れ」イベントで集めたお客に「衝動買い」を訴求する、ということですが、これは大変難しい。どれくらい難しいかというと、とても皆さんの手には負えないくらい難しい。(笑

③「まちづくり」の一環を担う商店街主催のイベント、について
 「もの離れ」時代を反映しつつ、「商売が先に立つのではなく・利害は度外視して」「市民と協力して」まちづくりの一環としてのイベントに取り組む、という「純正イベント型」。
大変結構なことですが、つっこみどころ満載(笑
第一に、「物販」を甘く見ていませんか? ということ。もの余り、もの離れ時代の物販機能の重要性は、たぶんもの不足時代に優るとも劣らないものがありまして、もの離れ時代にものが売れないということは、すなわち、社会経済の構造に赤信号がともる、ということを意味します。
このあたり、詳しくは当サイト内で「時間堪能型社会」を検索してください。
結論だけ書きますと、もの離れ時代にものを売ると言うことは、ものが作り出す意味を売ること、ものを生活を堪能するための演出財として提案するということ、つまり、ものを買うことが新しい「イベント」になりうる時代、これが今という時代なのです。

商業者にとって絶好の機会を迎えていながら、そのことに気がつかないばかりか、商売抜きのイベントに邁進、その結果、イベントは賑わうがお店は空っぽ、という皮肉な情景が起こっている。お客は非・物販のイベントになぜ集まるのか?それはもちろん、イベントがイベントであるから、「時間堪能」の機会を提供しているから、ですね。ここに新しいビジネスチャンスが眼前しているではありませんか。
ここを見逃してもの離れ対応イベントを主催、にぎわいを作って何がどうなる?(笑
 
 純正イベントを企画し、寝食を忘れて没頭して成功させる。内外からの評価は高く生き甲斐、やりがいを感じ高揚した数日を過ごすことができる・・・。
なるほど、一日、二日はそれでOKとしましょう。ではそれ以外の360日はどうするんですか? イベント以外の「恒常業務」である「物売り」がちゃんと機能してはじめて「」
皆さんがになっている肝心の「商業機能」はしっかり機能させる自信がありますか?
「商売が先に立つのではなく」「利害は度外視する」というのはまさか「逃げ」ではないでしょうね。


○まとめ

 ということで、まずは事業機会=このことを通じて社会の機能を分担し、事業の目的を達成しようとしている「物販機能」の現在~将来のあり方を構想し、自店・商店街の取り組みとしてその実現に取り組む仕事をそっちのけで「まちづくり」にいそしむ、などとはちゃんちゃらおかしい、と思うものであります。まあ、イベントに邁進している間に肝心の商業機能の空洞化などが進展しないよう、たまには軒を連ねるお店の外観・業容にも目配りを、と期待するものです。

店外の動きで「売り上げはついてくる」などというのは真っ赤なウソでありまして、
売り上げは「作らなければならない」し、作るのは主として「店づくり」、「業容転換」の取り組みであり、この孤独な取り組みによる以外に売り上げを確保していく方法は無いのだ、ということをあらためて商店街レベルで確認することが必要です。

 もの不足時代ともの余り時代、イベント一つ取り上げてもその効能効果に大きな違いがある、ということを考えてみました。ことはイベントだけではありません。
これまで、何となく「小売業の原理・原則」と言われ、考え、信じてきたことどもがすべて、「もの不足時代」限定の原理・原則だったということ、もの余り・もの離れといわれる現在の「原理・原則」は確立どころか、その片鱗も見いだされていないなかで、自分たちが仮説試行による「店づくり」として実現していく以外に方法はないのだ、ということをあらためて確認してください。

なお、「イベントによる街おこし」成功事例の視察などに行かれる場合には、是非、
①所期の目的の達成と平行して
②当記事の主張の可否についても検証してください。

イベントに限らず、今後の商店街活動のあり方、自店のあり方を考える上で得られることが少なくないと考えるものです。
有限会社クオールエイド
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
ご案内
こちらは、コンサルタント・ファーム、有限会社クオールエイドのホームページの別館です。 商店街・中心市街地活性化関係の業務を中心に展開しています。 ご利用法について。 当ブログには、当該部門について、他では入手困難な情報をたくさん提供しています。 「ブログ内検索」で抽出、ご利用ください。 各種掲示板、ホームページ過去記事などは左欄の目次からアクセスできます。 引き続きよろしくお願いいたします。
プロフィール

有限会社 クオールエイド

  • Author:有限会社 クオールエイド
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
ブログ内検索
アクセスカウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
月別アーカイブ