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「お客の目線」とは

マーケティングなどで使われる常套句です。
「お客の目線で考える」「お客の目線に立て」など。
こういう言葉が流布するのは「店はお客のためにある」、だから、「繁盛したかったらお客が何を望んでいるか知らなければならない」と無意識のうちに思いこみ、そう言う下地が出来ているところに「客の目線に立て」といったご託宣が下されると「その通り」となり、「目線」などというギョーカイ用語でいわれると、ついつい印象に残って自分も使ってしまう・・・・。

もし、「客の目線に立つ」というコトバが気に入った、使ってみたいということなら(コトバが「気に入る」「気に入らない」ということは大切なことです)使えるように加工しなければならない。
「お客の目線に立つ」と言う言葉が気に入った、ボキャブラリィに加えよう、と考えたら。
「客の目線に立つ」とは一体全体どういうことなのか、しっかり中身をまとめておかなければならない。
一度しっかりまとめておくと、それから先は「客の目線」が阿吽語ではなく「理論語」(理論に裏打ちされた専門用語)になります。あなたのお店の無くてはならないコトバになるわけです。

○問題発見~解決の手法です。
 元々は、「子供の目線に立つ」というように、特定の条件にあるひとの条件を引き受けて環境をチェックすることで、相手にとっての問題を発見し、解決・改善を図る、という方法です。
転じて「相手の立場で考える」ことを意味するようになりました。
これはごく最近、それも一部で使われている言い方のようです。

 「子供の目線」の場合は、腰をかがめたり、膝をつくなど、目の高さを調節することで簡単に「成りきる」ことが出来ます。
しかし、「立場」はどうでしょうか?
「立場(もちろん、「立っている場所」のことでありません)」とはその人の「問題情況」を指して使われる言葉です。
ある人にとって問題情況とは、問題が起きている状況=
①問題を問題としてとらえるその人の価値観
②起きている問題そのもの
③問題を取り巻くより広い環境
の3つから成り立ちます。

 つまり、「立場」とは「問題を解決しなければならない状況にある人」を指すコトバです。
「上司の立場で考える」「お客の立場で考える」などはそれぞれの立場が持つ問題とそれを取り巻く条件に配慮することを意味しています。
こちらはなかなか物理的に「子供の目線に立つ」ほど簡単ではありません。また、問題解決についても「子供の目線」で物理的な障害物を改善するのとは違って、「相手の問題情況を正しく理解し、その人が期待していることを推測する」ことを意味します。
このように考えてみれば「客の目線に立つ」とは、「お客の問題情況を理解する」ということであることが分かります。

○問題情況を理解する
 お客の問題情況は、物理的にお客の目の高さにこちらが合わせるという調節で理解出来るものではありません。
お店側が理解しなければならないお客の問題情況とは、
第一に、お客の来店動機です、来店動機=お客が生活において直面していい問題を解決するために必要な解決策(商品・サービス)を入手すること、ですね。
第二に、来店動機を達成するための「解決策」をスムースに入手できるかどうか、ということ。店内での行動の目的はこれ。
(適切な商品・サービスが提供されていない・発見できないとこの店は問題を解決する場所としてふさわしくない!)
第三に、店内という「問題解決環境」は、問題を解決する=商品を検索し、吟味する環境として適切かどうか ということ。
(適切でなければ、環境自体が新しい問題をお客に強制することになる。)

 このように考えてみると、お客の問題情況は、「店づくり三点セット」と大変密接に関係していることがよく分かります。お店としてはあらかじめ作り上げている「店づくり」を前提にお客さんと向かい合うわけです。
「店づくり」という環境のなかで、お客の「問題解決」を支援するために、「さらに何が必要か」を考えることが「客の目線に立つ」ということです。
つまり、「客の目線に立つ」とは、「お客の問題解決に貢献するためにお客の問題情況を理解する」ことだった、わけです。「お客様の立場で考える」、こちらの方がより状況に近い言い方ですね。
あらためて考えてみると何かしら差があるように感じるのは私の主観でしょうか

○「目線」と「立場」
 「目線に立つ」と「立場で考える」。
お店で用いられる場合、どちらもお客の問題解決によりよく貢献できる店づくりを実現するための「アプローチ」、「心構え」を現す表現として使われています。
どちらも、お客が直面している「問題情況」を理解せよ、ということを意味する比喩ですね。
両方とも同じことを表現するレトリック、比喩です。

 ニュアンスの違いがありそうだ、というのは。
「目線」のほうは、「解決策」を探索するお客の「目」を意味しており、「立場」は「問題情況のただ中にある」お客の存在そのものを指していると考えられます。
お店の中でのお客の「目」は物理的な視界や視を意味するのではなく、適切な商品を発見しよう、という目的意識を持った・目的意識にコントロールされた「目」であることを考えておくことが必要です。
このように考えてみますと「幼児の目線に立つ」ことの意味が明らかになりました。「幼児の目線に立つ」ことは幼児の問題解決への貢献と言うより、幼児が問題を解決する(たとえば「走り回る})ために行動する環境を整える、ための表現と考えた方がより正確な使い方だったのではないか、ということです。
「幼児の目線に立つ」とは「幼児の生活環境を幼児の条件を踏まえて考える」というアプローチです。
 他方、「幼児の立場に立つ」の方は、「環境に限らず、幼児の問題状況を幼児の立場(問題の感じ方、環境条件など)で考える」というより広く深い問題に対するアプローチになっています。

○お客の期待
 「お客の目線で見る」=「お客の立場で考える」だとすれば、まず考えるべきことは、お客はなぜ、何を目的にこの店に来るのか ということですね。
もの余り時代=店余り時代にわざわざ自店を選んで来店する人(お客)はどのような問題情況にある人なのか?
お客はなぜ、自店を「問題解決の場」として選んだのか?
お客が自店に期待していることは何か?
このことを知るためには、
自店に来ることが解決につながるお客の問題とは何か?
お客の問題が解決されるとはどのような状況が生まれることか?
を知っておくことが必要です。これを知ってはじめて
お客はこの店に何を期待しているのか?
ということが分かります。

 このとき大事なことは、
お客が期待しているのは「ある特定のアイテムを入手すること」ではない、ということですお客は特定のアイテムが欲しいのではなく、自分の問題を解決するための解決策(商品やサービスと言う形の)を手に入れたいのであり、ここに「自分の問題を解決するためにぴったりの商品を見つけだす」という問題を解決するために解決し無「なければならない問題が発生まします。
お店が対応している(事業機会としている)のは後の問題を解決するプロセスですが、ここをきっちりやり遂げるには、そもそもお客が抱えている問題を理解しておかなければならない。

「目線」の前に「アタマの中の期待」を理解しておかなければならないということであり、そのことを考えれば「お客の目線に立つ」というのはちょっと安易な言い回しのような気がしないでもない。
もちろん、「目線」を決めるのはお客の問題式であることは百も承知の上で使っている、だから問題ない、かも知れませんが、
お店のスタッフ全員に「目線」の正しい意味(自店の専門用語としての)をちゃんと教えていますか?ということがあります。
長くなりますのではしょって言いますが、「目線に立つ」にあたっては、
「お客が自店に期待来していることは何か」
ということはしっかり理解しておかないといけません。

 人口相手に商売している人は、人口の数だけ「期待」の違いを理解しそれを店づくりとして表現する、という不可能ごとに挑戦していることになります。もちろん自分では思いもよらないことながら。
ということで。
「お客の目線に立つ」よりも
「お客はうちに何を期待しているだろうか」という仮説を立て、日々これを磨き上げていく、対応する店づくりも日々これ新た、という構えを作り上げていきたいものです。
 この構えがあってはじめて狭義の「客の目線に立つ」と言う問題発見へのアプローチとしての手法が意味をなしてくるのではないでしょうか。
「客の目線に立つ」前に「仮説に基づく店づくり」

○人は見たいものを視る
 もう少しつっこんでみましょう。
私たちは、物事を「白紙」で見ることは出来ません。
「おらは偏見がないから何でも白紙で見ることが出来る」って、
ゆ~じゃなあ~い。

私たちがものを見るにあたっては、事前に、アタマの中に「見方に関する構造」が出来上がっています。構造はこれまでの経験・学習によってつくられたものであり、森羅万象ことごとくこの構造に位置づけられている。この構造がないとたとえば「コップ」がコップに見えませんからね。
私たちが物事を見るのは、自分のなかに作り上げている「知識の構造
」に依存しています。私たちは、常にアタマの中にある「先入観」を通してしか物事を物事として見ることが出来ません。
生まれたて・目が見えるようになったばかりの赤ちゃんじゃあるまいし、けして白紙で外界を見ているわけでありません。
このことを忘れる・つまり自分が物事を見るときは、先入観に頼っているのだ、ということを忘れるととんでもないことが起こります。


○お客の「目線」の行き先は
 あなたのお店に来たお客は何を見たがっているのか?
もちろん、自分が意識し・解決しようとしている「問題」のソリューション=解決策(またはその一部)としてふさわしい、とイメージしているアイテムを探しているのですから、お客が「みたい」と思っている=お客がその目線の先に期待しているのは「自分にとってのソリューション」ですね。
ということは。
お客の問題情況が分かっていないと、お客の目線は「分からない」と言うことでしょう。
物理的な目線は心理的な課題によってあらかじめ決まっている、ということ。
「目線」問題をビジュアルに解消しているのがセルフのショップ、人的対応を加えて対応するのが専門店、という考え方も出来ますね。

○「目線」はアンテナ
 繰り返しておきますが、人は見たいものを視る。
「目線」は漫然と外界の情報を受動的にキャッチしているのではなく、アンテナ同様、「指向性」を持っています。
アンテナが指向性を持っている、というか、アンテナを機能させるについてはその「指向・周波数帯)」を決めないと役に立てることが出来ませんからね。
目線も同様、何を見たいのか、意識的に指向しないと何も見ることが出来ません。特に「問題解決」のプロセスで「視る」のは、「問題解決」に寄与する何かを探索している、ということが多い訳ですから、この傾向はさらに研ぎすまされていると考えるべきでしょう。
ショッピングは立派な「問題解決過程」、お客の目線はとぎすまされています。
ほんとうにお客の目線を理解したかったら、目線よりも先に「立場」を理解しなければならず、そのためにはお客の生活についてかねてから情報を収集することが不可欠です。
 もちろん、それでも不十分なのは、「今日、何を求めているのか」という情報、専門店の場合、これは「接客」を通じて了解されることですね。

「お客の目線」とは

マーケティングなどで使われる常套句です。
「お客の目線で考える」「お客の目線に立て」など。
こういう言葉が流布するのは「店はお客のためにある」、だから、「繁盛したかったらお客が何を望んでいるか知らなければならない」と無意識のうちに思いこみ、そう言う下地が出来ているところに「客の目線に立て」といったご託宣が下されると「その通り」となり、「目線」などというギョーカイ用語でいわれると、ついつい印象に残って自分も使ってしまう・・・・。

もし、「客の目線に立つ」というコトバが気に入った、使ってみたいということなら(コトバが「気に入る」「気に入らない」ということは大切なことです)使えるように加工しなければならない。
「お客の目線に立つ」と言う言葉が気に入った、ボキャブラリィに加えよう、と考えたら。
「客の目線に立つ」とは一体全体どういうことなのか、しっかり中身をまとめておかなければならない。
一度しっかりまとめておくと、それから先は「客の目線」が阿吽語ではなく「理論語」(理論に裏打ちされた専門用語)になります。あなたのお店の無くてはならないコトバになるわけです。

○問題発見~解決の手法です。
 元々は、「子供の目線に立つ」というように、特定の条件にあるひとの条件を引き受けて環境をチェックすることで、相手にとっての問題を発見し、解決・改善を図る、という方法です。
転じて「相手の立場で考える」ことを意味するようになりました。
これはごく最近、それも一部で使われている言い方のようです。

 「子供の目線」の場合は、腰をかがめたり、膝をつくなど、目の高さを調節することで簡単に「成りきる」ことが出来ます。
しかし、「立場」はどうでしょうか?
「立場(もちろん、「立っている場所」のことでありません)」とはその人の「問題情況」を指して使われる言葉です。
ある人にとって問題情況とは、問題が起きている状況=
①問題を問題としてとらえるその人の価値観
②起きている問題そのもの
③問題を取り巻くより広い環境
の3つから成り立ちます。

 つまり、「立場」とは「問題を解決しなければならない状況にある人」を指すコトバです。
「上司の立場で考える」「お客の立場で考える」などはそれぞれの立場が持つ問題とそれを取り巻く条件に配慮することを意味しています。
こちらはなかなか物理的に「子供の目線に立つ」ほど簡単ではありません。また、問題解決についても「子供の目線」で物理的な障害物を改善するのとは違って、「相手の問題情況を正しく理解し、その人が期待していることを推測する」ことを意味します。
このように考えてみれば「客の目線に立つ」とは、「お客の問題情況を理解する」ということであることが分かります。

○問題情況を理解する
 お客の問題情況は、物理的にお客の目の高さにこちらが合わせるという調節で理解出来るものではありません。
お店側が理解しなければならないお客の問題情況とは、
第一に、お客の来店動機です、来店動機=お客が生活において直面していい問題を解決するために必要な解決策(商品・サービス)を入手すること、ですね。
第二に、来店動機を達成するための「解決策」をスムースに入手できるかどうか、ということ。店内での行動の目的はこれ。
(適切な商品・サービスが提供されていない・発見できないとこの店は問題を解決する場所としてふさわしくない!)
第三に、店内という「問題解決環境」は、問題を解決する=商品を検索し、吟味する環境として適切かどうか ということ。
(適切でなければ、環境自体が新しい問題をお客に強制することになる。)

 このように考えてみると、お客の問題情況は、「店づくり三点セット」と大変密接に関係していることがよく分かります。お店としてはあらかじめ作り上げている「店づくり」を前提にお客さんと向かい合うわけです。
「店づくり」という環境のなかで、お客の「問題解決」を支援するために、「さらに何が必要か」を考えることが「客の目線に立つ」ということです。
つまり、「客の目線に立つ」とは、「お客の問題解決に貢献するためにお客の問題情況を理解する」ことだった、わけです。「お客様の立場で考える」、こちらの方がより状況に近い言い方ですね。
あらためて考えてみると何かしら差があるように感じるのは私の主観でしょうか

○「目線」と「立場」
 「目線に立つ」と「立場で考える」。
お店で用いられる場合、どちらもお客の問題解決によりよく貢献できる店づくりを実現するための「アプローチ」、「心構え」を現す表現として使われています。
どちらも、お客が直面している「問題情況」を理解せよ、ということを意味する比喩ですね。
両方とも同じことを表現するレトリック、比喩です。

 ニュアンスの違いがありそうだ、というのは。
「目線」のほうは、「解決策」を探索するお客の「目」を意味しており、「立場」は「問題情況のただ中にある」お客の存在そのものを指していると考えられます。
お店の中でのお客の「目」は物理的な視界や視を意味するのではなく、適切な商品を発見しよう、という目的意識を持った・目的意識にコントロールされた「目」であることを考えておくことが必要です。
このように考えてみますと「幼児の目線に立つ」ことの意味が明らかになりました。「幼児の目線に立つ」ことは幼児の問題解決への貢献と言うより、幼児が問題を解決する(たとえば「走り回る})ために行動する環境を整える、ための表現と考えた方がより正確な使い方だったのではないか、ということです。
「幼児の目線に立つ」とは「幼児の生活環境を幼児の条件を踏まえて考える」というアプローチです。
 他方、「幼児の立場に立つ」の方は、「環境に限らず、幼児の問題状況を幼児の立場(問題の感じ方、環境条件など)で考える」というより広く深い問題に対するアプローチになっています。

○お客の期待
 「お客の目線で見る」=「お客の立場で考える」だとすれば、まず考えるべきことは、お客はなぜ、何を目的にこの店に来るのか ということですね。
もの余り時代=店余り時代にわざわざ自店を選んで来店する人(お客)はどのような問題情況にある人なのか?
お客はなぜ、自店を「問題解決の場」として選んだのか?
お客が自店に期待していることは何か?
このことを知るためには、
自店に来ることが解決につながるお客の問題とは何か?
お客の問題が解決されるとはどのような状況が生まれることか?
を知っておくことが必要です。これを知ってはじめて
お客はこの店に何を期待しているのか?
ということが分かります。

 このとき大事なことは、
お客が期待しているのは「ある特定のアイテムを入手すること」ではない、ということですお客は特定のアイテムが欲しいのではなく、自分の問題を解決するための解決策(商品やサービスと言う形の)を手に入れたいのであり、ここに「自分の問題を解決するためにぴったりの商品を見つけだす」という問題を解決するために解決し無「なければならない問題が発生まします。
お店が対応している(事業機会としている)のは後の問題を解決するプロセスですが、ここをきっちりやり遂げるには、そもそもお客が抱えている問題を理解しておかなければならない。

「目線」の前に「アタマの中の期待」を理解しておかなければならないということであり、そのことを考えれば「お客の目線に立つ」というのはちょっと安易な言い回しのような気がしないでもない。
もちろん、「目線」を決めるのはお客の問題式であることは百も承知の上で使っている、だから問題ない、かも知れませんが、
お店のスタッフ全員に「目線」の正しい意味(自店の専門用語としての)をちゃんと教えていますか?ということがあります。
長くなりますのではしょって言いますが、「目線に立つ」にあたっては、
「お客が自店に期待来していることは何か」
ということはしっかり理解しておかないといけません。

 人口相手に商売している人は、人口の数だけ「期待」の違いを理解しそれを店づくりとして表現する、という不可能ごとに挑戦していることになります。もちろん自分では思いもよらないことながら。
ということで。
「お客の目線に立つ」よりも
「お客はうちに何を期待しているだろうか」という仮説を立て、日々これを磨き上げていく、対応する店づくりも日々これ新た、という構えを作り上げていきたいものです。
 この構えがあってはじめて狭義の「客の目線に立つ」と言う問題発見へのアプローチとしての手法が意味をなしてくるのではないでしょうか。
「客の目線に立つ」前に「仮説に基づく店づくり」

○人は見たいものを視る
 もう少しつっこんでみましょう。
私たちは、物事を「白紙」で見ることは出来ません。
「おらは偏見がないから何でも白紙で見ることが出来る」って、
ゆ~じゃなあ~い。

私たちがものを見るにあたっては、事前に、アタマの中に「見方に関する構造」が出来上がっています。構造はこれまでの経験・学習によってつくられたものであり、森羅万象ことごとくこの構造に位置づけられている。この構造がないとたとえば「コップ」がコップに見えませんからね。
私たちが物事を見るのは、自分のなかに作り上げている「知識の構造
」に依存しています。私たちは、常にアタマの中にある「先入観」を通してしか物事を物事として見ることが出来ません。
生まれたて・目が見えるようになったばかりの赤ちゃんじゃあるまいし、けして白紙で外界を見ているわけでありません。
このことを忘れる・つまり自分が物事を見るときは、先入観に頼っているのだ、ということを忘れるととんでもないことが起こります。


○お客の「目線」の行き先は
 あなたのお店に来たお客は何を見たがっているのか?
もちろん、自分が意識し・解決しようとしている「問題」のソリューション=解決策(またはその一部)としてふさわしい、とイメージしているアイテムを探しているのですから、お客が「みたい」と思っている=お客がその目線の先に期待しているのは「自分にとってのソリューション」ですね。
ということは。
お客の問題情況が分かっていないと、お客の目線は「分からない」と言うことでしょう。
物理的な目線は心理的な課題によってあらかじめ決まっている、ということ。
「目線」問題をビジュアルに解消しているのがセルフのショップ、人的対応を加えて対応するのが専門店、という考え方も出来ますね。

○「目線」はアンテナ
 繰り返しておきますが、人は見たいものを視る。
「目線」は漫然と外界の情報を受動的にキャッチしているのではなく、アンテナ同様、「指向性」を持っています。
アンテナが指向性を持っている、というか、アンテナを機能させるについてはその「指向・周波数帯)」を決めないと役に立てることが出来ませんからね。
目線も同様、何を見たいのか、意識的に指向しないと何も見ることが出来ません。特に「問題解決」のプロセスで「視る」のは、「問題解決」に寄与する何かを探索している、ということが多い訳ですから、この傾向はさらに研ぎすまされていると考えるべきでしょう。
ショッピングは立派な「問題解決過程」、お客の目線はとぎすまされています。
ほんとうにお客の目線を理解したかったら、目線よりも先に「立場」を理解しなければならず、そのためにはお客の生活についてかねてから情報を収集することが不可欠です。
 もちろん、それでも不十分なのは、「今日、何を求めているのか」という情報、専門店の場合、これは「接客」を通じて了解されることですね。
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進化する売場研究会

  • Author:進化する売場研究会
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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