「商店街商業」から脱却せよ!

●「商店街商業」とは

現在、商店街で営まれている大多数の商業のことです。

特徴は、
1.「立地の通行量」をあてにして出店した
2.伝統的な川上主導型の専門店である
3.見よう見まねでやってきた
4.隣近所との連携・相乗効果は、あまり期待できない
というところ。
つまり、商店街立地に見切りをつけて郊外に移動したフリースタンディングの専門店と異なるのは立地条件だけ、ということですね。

商店街の「集積としての行動」は、
5.共同施設事業、共同経済事業に取り組んでいるが、その内容は個店の経営活動の補完という位置づけであり、集積全体としてのデスティネーションを向上させることにはほとんど取り組まれていない、
という状況です。

●商店街全盛時代の小売業とは

教科書によれば小売業とは、
①消費財を
②他から仕入れ、またはみずから製造して
③最終消費者に販売する
という仕事です。

時代や取扱商品によってその基本的な経営課題が変わります。

1.「モノ不足~モノ不足~差別化」という時代:
メーカー、問屋から「売れ筋」商品を如何に仕入れるか
つまり、「川上」の情報、つきあいが業績を左右する

2.「モノ余り~ラグジュアリィ志向」という時代:
お客の好みに合う商品を如何に集荷するか
つまり、品揃えのお客とのマッチが決めて

商店街が生まれ・発展した時代というのは、まさしく、「1」の時代、メーカー、問屋と上手くつきあうことが商売繁盛の秘訣でした。
特に、小売業の経営理論といった体系的な知識・技術はなく、経営ノウハウは、先代、先輩、取引先から教えられる「商売の秘訣」など、見もう見まねプラス実践で蓄積しました。
他に方法はありませんでしたから、他の方法をとる競争相手もいませんでした。

出店者は、
1.戦前からの家業の継承者
2.復員して開業
3.その後参入
というところがほとんどだと思います。

特に「経営理論の研修」という機会は無かったと思います。
現在もありませんけどね(W

それでも商売が出来たのは、
1.モノ不足からスタート、
2.お客の生活・ショッピングの経験が貧弱、お店の言いなりで買い物をしていた。
3.商店街以外に競争相手がいなかった

という条件がそろっていたからです。この時期はいわゆる「売り手市場」でしたからね。よく、「○○商店街の店は殿様商売をしている」と言う風評がたつ根拠はこのころのビヘイビアかも知れません。

余談ですが、最近、消費者懇談会を傍聴しましたら、
「商店街のお店では、どうしてお客の私のほうから第一声を“すみません”と掛けないといけないのか」大型店ではそんなことはありませんよ、とキビシ~イ質問が出ていました。

それはともかく。
この時代、商業者は勉強しようにもチャンスがありませんでしたし、勉強しなくても売れましたから、このまま行けたら万々歳でした。


●今どきの小売業

時代は変わって、商業者は勉強しようと思えばいくらでもチャンスがあり、勉強して「商店街商売」から脱却=店づくりの転換に取り組まなければ「明日がない」という状況です。

もちろん、この状況は外からは見えませんし、まあ、今日勉強したからといってたちまち売り上げが急上昇する、ということも考えられず、ついつい一日延ばしになるわけですが、他方、お店の業績は着実?に落ちていきますから、これは望んでいない「即身成仏」、お店を生きながらミイラにしているようなものです。

商業者たるもの、どこかでしっかり勉強する機会を自ら求め・作ることが必要です。
このことは、「ロードサイド型商業集積」とやらに立地しているお店にもあてはまることです。
ロードサイダ型集積は、「後から生まれた商店街」、車が多く通るところは好立地、という「店前交通量」頼みの発想はかっての商店街止まったく一緒ですからね。

そうそう、商店街で「活性化事業」に取り組むにあたっては、「これをロードサイドでやったら効果があるだろうか?」と我が身と置き換えて考えてみられることをおすすめします。ロードサイドで取り組んでも効果が無い、と思われる事業は、商店街でやっても効果がないと思います。
「思考実験」、お金も時間もかかりませんからやってみてください。

ロードサイドでやっても効果がないとはっきり分かる事業に皆さんが取り組むのは、暗黙のうちに商店街を「物販機能プラスアルファ」と考えているからかも知れませんね。「街並みの魅力」、「ふれあい」などはまさか当てにしていないでしょうが、「暗黙」のうちに何かがあるとそれははっきり「甘え」ですからね。

よれよれになりましたが、
全盛期の商店街に立地していたお店は時代環境にピッタリ適合していたから繁盛することが出来ました。幸か不幸か、当時はお客も未熟、お店は勉強よりも「よい立地&よい仕入先」を確保することが大切、それで商売が出来たのです。当時は「商店街商業」こそ時代の花形だったのです。

今日、それが出来なくなったのは「時代が変わった」からですね。
「商店街商業、あんたの時代はよかった」とジュリーなら言うかも知れませんが、「あんたの時代」は終わったのであり、昔、時代に適応して商店街立地を作りあげてきた皆さん、あるいは皆さんの先代・先輩、時代が変われば商売の方法も変わるのが当たり前、あなた、今から創業するとしたら、今の業種業態で今の立地に出店しますか?

出店しませんよね、もちろん。
だとするならば、立地、お店の規模はそのまま、お店の中味は変えないと商売にならないのは当たり前でしょう。
これが「商店街商売からの脱却」が必要な、どこから見ても・全く当たり前の理由です。

●商店街商売の三頼主義

「三頼主義」とは、

1.品揃えは問屋に頼り
2.集客は店前通行量に頼り
3.商品管理は「売れ筋」に頼る
このうち、いま~これからも頼りに出来るものがありますか?

昔はこれでも立派な専門店として通用しましたが、時代が変わるととてもこういう商売は通用しない、ということですね。
今どきのお客さんは、皆さんのお店でのべつ買い物をしているうちにどんどん知識・経験が豊富になり、モノを見極める力がつき、自分の好みがはっきりしてきた、買い物行き先? どんなアイテムであれ、行き先の2店や3店なら「顧客名簿」に乗ってるわよ(W という人ばっかりですからね。

三頼主義、いくら工夫を凝らしても元が元ですから、絶対通用しません。
○○の時代は良かったなぁ、とぼやいても何の足しにもなりません。
三頼主義から脱却、ラグジュアリィ対応を目指し、試行錯誤を武器に未知の領域を踏み渡っていく、目指すは唯一、商店街商業革新の道です。

●成立条件

商店街商業は何故成立したか?

これははっきりしています。
1.時代背景:モノ不足からモノ普及~差別化というニーズに支えられた高度成長期
2.競合条件:マイカーが普及する以前、中心市街地に都市機能が集中しており、人々が離合集散する都市唯一の場所だった
3.理論・仮説に基づいて組み立てられた小売業が登場していなかった

つまり、中心商店街が都市の消費購買力のファイナルデスティネーションとして並ぶもののないポジションを占めていたわけです。

商店街が生まれ、発展した時期、お客=地域住民は、生活~ショッピングの経験が少なく、所得も相対的に低く、交通手段も限られてていたため、この時代の小売業は「売り手市場」でした。

小売業の好立地は「人が集まっているところ」であり、非商業系の集客施設の「門前」に商店が出店し、その成功が後続出店を呼ぶ、というパターンで「商店街」が自然発生~成長しました。

注意しなければならないのは、非商業系集客施設の集客力を当てにしたのは商店街が形成される初期段階、全盛期には自力で集客する力を持つようになっていました。つまり、商店街の全盛、まちは「物販機能」としての力で集客していたのであって、けして非物販集客施設の集客力に依存していたのではありません。

●成立条件の消滅

高度成長期以後の商店街は、「非・物販集客施設」の集客力ではなく、自分たちの「物販」という機能でお客を集めていました。
このことは、何らかの集客施設の「門前町」という立地にある商店街の場合も同じように当てはまります。全盛期、商店街は寄り合い所帯ながら自分たちの力でお客を「わざわざ」買い物のために呼び寄せていました。もちろん、当時、あなたのお店も一役買っていたわけです。

当時のお客の買い物行動は、「買い回り」と呼ばれ、商店街のなかを自分の条件に合う商品を探し回って買う、というパターンでした。
(もちろん、現在のお客は「買い回り」をすることはありません)
大きな商店街ほど品揃えが豊富、自分の条件に合う商品に巡り会う可能性が高い、ということでお客は「一番商店街」に集中しました。

このような条件は現在全く消滅しています。

●現代の「地域一番」商店街

ご承知のとおり、郊外のSCです。
我が国のSCは、量販百貨店が「核」、サブテナントは「たくさん売る力を持った店」ということでありまして、全体のコンセプトは「量販」です。

これは、もちろんかってのいわゆる「一番商店街」のいいとこ取り、全店、店前通行量頼みの露店型ショップ、お客からみたライフスタイル対応のデスティネーションなどは、ぜんぜん、全く無い、というのがその本性、これは全盛期の中心商店街まんまではありませんか(W

『中心市街地基本計画』のなかには、「郊外型SCと一戦交えてやる」と勢い込んでいるところもあるようで、これはとんでもない見当違い、機会があればおやめになるよう忠告したいものです。
中心市街地は、郊外型SCなどとの競合を意識しても、勝ち目はありません。
郊外のSC、中心市街地・商店街が目指すべき方向とは商売の構造が全く異なるものと考えるべきです。

「地域一番商店街」のまねはしない・・・・、つまり、商店街商売からは足を洗う、ということですね(W

●一見商売

一見(いちげん):はじめて対面したこと
一見客(いちげんきゃく):はじめてのお客

店前通行量をあてに商売を考えるということは、
①買い物ニーズをもって来街したお客に入店してもらい
②品揃えのなかからからデスティネーションを発見・買い上げてもらう
という商売になります。
商店街の全盛時代、とおりに人が溢れていた時代は、来街者のほとんどが「買い物目的」ですから、この人たちを店内に導入し商品をピックアップしてもらう、入店客は生活・買い物経験をそれほど積んでいない人たち、という構造でした。

つまり、街に来たお客を自店のお客にする、という営業のカタチ=一見客を主体にした商売だったわけです。はじめに店前通行量ありき、というのは、一見客を想定した商売=一見商売ですね。

店前通行量を対象にした商売は一見客相手の商売。
これは独特の商売でありまして、いってみれば縁日の露店の商売。
まあ、今日では郊外のショッピングセンターで部分的にのみ成立する「際物」商売です。

お客から見た「一見ショッピング」とはどのような購買行動でしょうか?

●一見商売の構造

店 舗:入りやすく・出やすい作り、店頭にワゴン、安さを強調して客足を止め入店を誘導、など

商 品:お客が「どこで買っても特に問題はない」と考えている商品、流行品を含む。

接 客:セミセルフ。セルフで選択、サイズその他の質疑くらい

サービス:特になし。

顧客管理:特になし。

その他:
※お客の源泉は店頭通行客。店頭でコンセプトを展開、入店を訴求することが勝負。

※基本的にお客は「一見」ということで、リピートにつながる仕組みはほとんど無い。あっても量販店の仕組みのパクリ程度。

※衣料品では「シュンのスタイルを低価格で」というニーズに対応

※上手にやるにはそれなりの工夫が必要。商店街の各店の現状は、もちろん、このレベルに達していない。

●デスティネーション

①決まった買い物行き先を持たない
②「ラグジュアリィ」・「こだわり」を持たない部門の商品・
③とりあえず、「人並みでいいや」という商品の購入

というところでしょう。

そうしますと、

①ついでにいろいろ買い物・用事が出来るといい
②価格は抑えめ
③時間と手間もとられたくない

などが課題になります。

他方、一見客=はじめてのお客でも、「一見商売」向きではないデスティネーションの場合は「一見商売店」では満足できません。

どういうデスティネーションかといえば

1.日頃は行きつけの店があるが今日は目先を変えて楽しみたい
2.今までのパターンから脱却、この分野の生活を堪能したい

ということです。
この場合、「一見客」は、特定のラグジュアリィショップの「潜在顧客」ですね。商店街(に立地する個店)再生の鍵は、このような一見客を「愛顧客」に変身させていく「店づくり」の実践です。
一見客でもこのデスティネーションの場合は、一見商売店では対応できません。

店頭通行量頼みで繁盛してきた商店街のお店の多くは、現在でも全盛時代の「店頭通行量」頼りの店づくりをしています。
ワゴンに安物、という店頭演出をしている店はちょっと極論すれば、すべて、「主観に関わらず」、「一見商売」をしているのだ、と言うことになります。

ところが、現代の一見客のニーズは、上で見たように相当絞り込まれていまして、商店街の皆さんの昔ながらのやり方は、ぜんぜん通用しないのです。
いまや「一見ニーズ」は、郊外のショッピングセンターが一手に引き受けておりまして、SCはこの客相があるおかげで成り立っている、といって過言ではありません。SCのサブテナントのほとんどは「露店型営業」です。

店頭にワゴンを出して年中セールっぽいことをしているお店は、ショッピングセンターに出店すると良いかも知れませんね。
もちろん、商店街立地でそういう演出をすることは、商売としては失敗するほかありません。

このあたり、しっかり確認してくださいね。

●単年度単発事業

こうして改めて考えてみますと、来街者数増大=店前通行量の増大を目的に取り組まれている商店街の単年度単発事業がもはやその効力を発揮できないことの本質的な理由がよく分かります。

このような施策に取り組んで効果が期待できるのは、現在進行形の「一見型商店街」=郊外型ショッピングセンターだけですね。
その理由、もはや説明の必要は無いでしょう。

商店街、そこに立地する各個店にとって、「街に来る人を増やす仕組み」づくりは、やればやるだけ徒労が増えるだけ、ということがよくお分かりいただいたことと思います。

商店街が人を集めればそれらの人たちがあなたのお店の買い物客に変身してくれる、ということが期待できる時代ではありません。第一に入店客の予備軍である「一見客相」が集まらない。
第二に、通行量の乏しいまちなかで「一見客」ねらいの店頭演出のお店、イベントで集客したお客がショッピング気分をそそられて思わず「衝動入店」してしまう、などということは有り得ない、ということです。

デスティネーションを作っていない個店、商店街は、単年度・単発事業に手を出してはならない、と言う理由が十分お分かりいただいたことと思います。
もちろん、単年度でなくても、単発でなくとも、デスティネーションが作られていない段階で集客事業(ハード&ソフト)に取り組むことは、デスティネーションづくりという肝心要の仕事をサボルことですから、「してはいけない」ことですね。

このこと、けして生半可な気持ちで受け取らないようにしてください。
デスティネーションづくりへの挑戦は、個店にとっても商業集積にとっても最重要課題、いかなる理由があろうとも、この課題をそっちのけで「集客事業」などに取り組むと、その分だけ確実に活性化が遅れることになります。

皆さんは、「モールへの転換をめざしますか?」それとも「不可能と分かっていながら、一発芸で商店街商売を続けようとするんですか?」と問いかけられているのでありまして、もちろん、答えは皆さん自身がお決めになればよろしいことですが、昔と違って行政やTMOなど街区外の関係者の思惑もありますからね、もちろん、内部と外部、どっちがどうということではありませんが・・・。

どっちがどうであろうとも、商店街再生を目指すからにはやるべきことははっきりしています。
とりあえずは、商店街商売の維持存続を目指す動きに対して「ちょっと待った!」といえるかどうか、でしょう。

商店街商売からの脱却、商店街及びそこに立地する個店が生き延びる・繁盛を再生する方向はこれしかありません。
(この稿は続きます)

「商店街商業」から脱却せよ!

●「商店街商業」とは

現在、商店街で営まれている大多数の商業のことです。

特徴は、
1.「立地の通行量」をあてにして出店した
2.伝統的な川上主導型の専門店である
3.見よう見まねでやってきた
4.隣近所との連携・相乗効果は、あまり期待できない
というところ。
つまり、商店街立地に見切りをつけて郊外に移動したフリースタンディングの専門店と異なるのは立地条件だけ、ということですね。

商店街の「集積としての行動」は、
5.共同施設事業、共同経済事業に取り組んでいるが、その内容は個店の経営活動の補完という位置づけであり、集積全体としてのデスティネーションを向上させることにはほとんど取り組まれていない、
という状況です。

●商店街全盛時代の小売業とは

教科書によれば小売業とは、
①消費財を
②他から仕入れ、またはみずから製造して
③最終消費者に販売する
という仕事です。

時代や取扱商品によってその基本的な経営課題が変わります。

1.「モノ不足~モノ不足~差別化」という時代:
メーカー、問屋から「売れ筋」商品を如何に仕入れるか
つまり、「川上」の情報、つきあいが業績を左右する

2.「モノ余り~ラグジュアリィ志向」という時代:
お客の好みに合う商品を如何に集荷するか
つまり、品揃えのお客とのマッチが決めて

商店街が生まれ・発展した時代というのは、まさしく、「1」の時代、メーカー、問屋と上手くつきあうことが商売繁盛の秘訣でした。
特に、小売業の経営理論といった体系的な知識・技術はなく、経営ノウハウは、先代、先輩、取引先から教えられる「商売の秘訣」など、見もう見まねプラス実践で蓄積しました。
他に方法はありませんでしたから、他の方法をとる競争相手もいませんでした。

出店者は、
1.戦前からの家業の継承者
2.復員して開業
3.その後参入
というところがほとんどだと思います。

特に「経営理論の研修」という機会は無かったと思います。
現在もありませんけどね(W

それでも商売が出来たのは、
1.モノ不足からスタート、
2.お客の生活・ショッピングの経験が貧弱、お店の言いなりで買い物をしていた。
3.商店街以外に競争相手がいなかった

という条件がそろっていたからです。この時期はいわゆる「売り手市場」でしたからね。よく、「○○商店街の店は殿様商売をしている」と言う風評がたつ根拠はこのころのビヘイビアかも知れません。

余談ですが、最近、消費者懇談会を傍聴しましたら、
「商店街のお店では、どうしてお客の私のほうから第一声を“すみません”と掛けないといけないのか」大型店ではそんなことはありませんよ、とキビシ~イ質問が出ていました。

それはともかく。
この時代、商業者は勉強しようにもチャンスがありませんでしたし、勉強しなくても売れましたから、このまま行けたら万々歳でした。


●今どきの小売業

時代は変わって、商業者は勉強しようと思えばいくらでもチャンスがあり、勉強して「商店街商売」から脱却=店づくりの転換に取り組まなければ「明日がない」という状況です。

もちろん、この状況は外からは見えませんし、まあ、今日勉強したからといってたちまち売り上げが急上昇する、ということも考えられず、ついつい一日延ばしになるわけですが、他方、お店の業績は着実?に落ちていきますから、これは望んでいない「即身成仏」、お店を生きながらミイラにしているようなものです。

商業者たるもの、どこかでしっかり勉強する機会を自ら求め・作ることが必要です。
このことは、「ロードサイド型商業集積」とやらに立地しているお店にもあてはまることです。
ロードサイダ型集積は、「後から生まれた商店街」、車が多く通るところは好立地、という「店前交通量」頼みの発想はかっての商店街止まったく一緒ですからね。

そうそう、商店街で「活性化事業」に取り組むにあたっては、「これをロードサイドでやったら効果があるだろうか?」と我が身と置き換えて考えてみられることをおすすめします。ロードサイドで取り組んでも効果が無い、と思われる事業は、商店街でやっても効果がないと思います。
「思考実験」、お金も時間もかかりませんからやってみてください。

ロードサイドでやっても効果がないとはっきり分かる事業に皆さんが取り組むのは、暗黙のうちに商店街を「物販機能プラスアルファ」と考えているからかも知れませんね。「街並みの魅力」、「ふれあい」などはまさか当てにしていないでしょうが、「暗黙」のうちに何かがあるとそれははっきり「甘え」ですからね。

よれよれになりましたが、
全盛期の商店街に立地していたお店は時代環境にピッタリ適合していたから繁盛することが出来ました。幸か不幸か、当時はお客も未熟、お店は勉強よりも「よい立地&よい仕入先」を確保することが大切、それで商売が出来たのです。当時は「商店街商業」こそ時代の花形だったのです。

今日、それが出来なくなったのは「時代が変わった」からですね。
「商店街商業、あんたの時代はよかった」とジュリーなら言うかも知れませんが、「あんたの時代」は終わったのであり、昔、時代に適応して商店街立地を作りあげてきた皆さん、あるいは皆さんの先代・先輩、時代が変われば商売の方法も変わるのが当たり前、あなた、今から創業するとしたら、今の業種業態で今の立地に出店しますか?

出店しませんよね、もちろん。
だとするならば、立地、お店の規模はそのまま、お店の中味は変えないと商売にならないのは当たり前でしょう。
これが「商店街商売からの脱却」が必要な、どこから見ても・全く当たり前の理由です。

●商店街商売の三頼主義

「三頼主義」とは、

1.品揃えは問屋に頼り
2.集客は店前通行量に頼り
3.商品管理は「売れ筋」に頼る
このうち、いま~これからも頼りに出来るものがありますか?

昔はこれでも立派な専門店として通用しましたが、時代が変わるととてもこういう商売は通用しない、ということですね。
今どきのお客さんは、皆さんのお店でのべつ買い物をしているうちにどんどん知識・経験が豊富になり、モノを見極める力がつき、自分の好みがはっきりしてきた、買い物行き先? どんなアイテムであれ、行き先の2店や3店なら「顧客名簿」に乗ってるわよ(W という人ばっかりですからね。

三頼主義、いくら工夫を凝らしても元が元ですから、絶対通用しません。
○○の時代は良かったなぁ、とぼやいても何の足しにもなりません。
三頼主義から脱却、ラグジュアリィ対応を目指し、試行錯誤を武器に未知の領域を踏み渡っていく、目指すは唯一、商店街商業革新の道です。

●成立条件

商店街商業は何故成立したか?

これははっきりしています。
1.時代背景:モノ不足からモノ普及~差別化というニーズに支えられた高度成長期
2.競合条件:マイカーが普及する以前、中心市街地に都市機能が集中しており、人々が離合集散する都市唯一の場所だった
3.理論・仮説に基づいて組み立てられた小売業が登場していなかった

つまり、中心商店街が都市の消費購買力のファイナルデスティネーションとして並ぶもののないポジションを占めていたわけです。

商店街が生まれ、発展した時期、お客=地域住民は、生活~ショッピングの経験が少なく、所得も相対的に低く、交通手段も限られてていたため、この時代の小売業は「売り手市場」でした。

小売業の好立地は「人が集まっているところ」であり、非商業系の集客施設の「門前」に商店が出店し、その成功が後続出店を呼ぶ、というパターンで「商店街」が自然発生~成長しました。

注意しなければならないのは、非商業系集客施設の集客力を当てにしたのは商店街が形成される初期段階、全盛期には自力で集客する力を持つようになっていました。つまり、商店街の全盛、まちは「物販機能」としての力で集客していたのであって、けして非物販集客施設の集客力に依存していたのではありません。

●成立条件の消滅

高度成長期以後の商店街は、「非・物販集客施設」の集客力ではなく、自分たちの「物販」という機能でお客を集めていました。
このことは、何らかの集客施設の「門前町」という立地にある商店街の場合も同じように当てはまります。全盛期、商店街は寄り合い所帯ながら自分たちの力でお客を「わざわざ」買い物のために呼び寄せていました。もちろん、当時、あなたのお店も一役買っていたわけです。

当時のお客の買い物行動は、「買い回り」と呼ばれ、商店街のなかを自分の条件に合う商品を探し回って買う、というパターンでした。
(もちろん、現在のお客は「買い回り」をすることはありません)
大きな商店街ほど品揃えが豊富、自分の条件に合う商品に巡り会う可能性が高い、ということでお客は「一番商店街」に集中しました。

このような条件は現在全く消滅しています。

●現代の「地域一番」商店街

ご承知のとおり、郊外のSCです。
我が国のSCは、量販百貨店が「核」、サブテナントは「たくさん売る力を持った店」ということでありまして、全体のコンセプトは「量販」です。

これは、もちろんかってのいわゆる「一番商店街」のいいとこ取り、全店、店前通行量頼みの露店型ショップ、お客からみたライフスタイル対応のデスティネーションなどは、ぜんぜん、全く無い、というのがその本性、これは全盛期の中心商店街まんまではありませんか(W

『中心市街地基本計画』のなかには、「郊外型SCと一戦交えてやる」と勢い込んでいるところもあるようで、これはとんでもない見当違い、機会があればおやめになるよう忠告したいものです。
中心市街地は、郊外型SCなどとの競合を意識しても、勝ち目はありません。
郊外のSC、中心市街地・商店街が目指すべき方向とは商売の構造が全く異なるものと考えるべきです。

「地域一番商店街」のまねはしない・・・・、つまり、商店街商売からは足を洗う、ということですね(W

●一見商売

一見(いちげん):はじめて対面したこと
一見客(いちげんきゃく):はじめてのお客

店前通行量をあてに商売を考えるということは、
①買い物ニーズをもって来街したお客に入店してもらい
②品揃えのなかからからデスティネーションを発見・買い上げてもらう
という商売になります。
商店街の全盛時代、とおりに人が溢れていた時代は、来街者のほとんどが「買い物目的」ですから、この人たちを店内に導入し商品をピックアップしてもらう、入店客は生活・買い物経験をそれほど積んでいない人たち、という構造でした。

つまり、街に来たお客を自店のお客にする、という営業のカタチ=一見客を主体にした商売だったわけです。はじめに店前通行量ありき、というのは、一見客を想定した商売=一見商売ですね。

店前通行量を対象にした商売は一見客相手の商売。
これは独特の商売でありまして、いってみれば縁日の露店の商売。
まあ、今日では郊外のショッピングセンターで部分的にのみ成立する「際物」商売です。

お客から見た「一見ショッピング」とはどのような購買行動でしょうか?

●一見商売の構造

店 舗:入りやすく・出やすい作り、店頭にワゴン、安さを強調して客足を止め入店を誘導、など

商 品:お客が「どこで買っても特に問題はない」と考えている商品、流行品を含む。

接 客:セミセルフ。セルフで選択、サイズその他の質疑くらい

サービス:特になし。

顧客管理:特になし。

その他:
※お客の源泉は店頭通行客。店頭でコンセプトを展開、入店を訴求することが勝負。

※基本的にお客は「一見」ということで、リピートにつながる仕組みはほとんど無い。あっても量販店の仕組みのパクリ程度。

※衣料品では「シュンのスタイルを低価格で」というニーズに対応

※上手にやるにはそれなりの工夫が必要。商店街の各店の現状は、もちろん、このレベルに達していない。

●デスティネーション

①決まった買い物行き先を持たない
②「ラグジュアリィ」・「こだわり」を持たない部門の商品・
③とりあえず、「人並みでいいや」という商品の購入

というところでしょう。

そうしますと、

①ついでにいろいろ買い物・用事が出来るといい
②価格は抑えめ
③時間と手間もとられたくない

などが課題になります。

他方、一見客=はじめてのお客でも、「一見商売」向きではないデスティネーションの場合は「一見商売店」では満足できません。

どういうデスティネーションかといえば

1.日頃は行きつけの店があるが今日は目先を変えて楽しみたい
2.今までのパターンから脱却、この分野の生活を堪能したい

ということです。
この場合、「一見客」は、特定のラグジュアリィショップの「潜在顧客」ですね。商店街(に立地する個店)再生の鍵は、このような一見客を「愛顧客」に変身させていく「店づくり」の実践です。
一見客でもこのデスティネーションの場合は、一見商売店では対応できません。

店頭通行量頼みで繁盛してきた商店街のお店の多くは、現在でも全盛時代の「店頭通行量」頼りの店づくりをしています。
ワゴンに安物、という店頭演出をしている店はちょっと極論すれば、すべて、「主観に関わらず」、「一見商売」をしているのだ、と言うことになります。

ところが、現代の一見客のニーズは、上で見たように相当絞り込まれていまして、商店街の皆さんの昔ながらのやり方は、ぜんぜん通用しないのです。
いまや「一見ニーズ」は、郊外のショッピングセンターが一手に引き受けておりまして、SCはこの客相があるおかげで成り立っている、といって過言ではありません。SCのサブテナントのほとんどは「露店型営業」です。

店頭にワゴンを出して年中セールっぽいことをしているお店は、ショッピングセンターに出店すると良いかも知れませんね。
もちろん、商店街立地でそういう演出をすることは、商売としては失敗するほかありません。

このあたり、しっかり確認してくださいね。

●単年度単発事業

こうして改めて考えてみますと、来街者数増大=店前通行量の増大を目的に取り組まれている商店街の単年度単発事業がもはやその効力を発揮できないことの本質的な理由がよく分かります。

このような施策に取り組んで効果が期待できるのは、現在進行形の「一見型商店街」=郊外型ショッピングセンターだけですね。
その理由、もはや説明の必要は無いでしょう。

商店街、そこに立地する各個店にとって、「街に来る人を増やす仕組み」づくりは、やればやるだけ徒労が増えるだけ、ということがよくお分かりいただいたことと思います。

商店街が人を集めればそれらの人たちがあなたのお店の買い物客に変身してくれる、ということが期待できる時代ではありません。第一に入店客の予備軍である「一見客相」が集まらない。
第二に、通行量の乏しいまちなかで「一見客」ねらいの店頭演出のお店、イベントで集客したお客がショッピング気分をそそられて思わず「衝動入店」してしまう、などということは有り得ない、ということです。

デスティネーションを作っていない個店、商店街は、単年度・単発事業に手を出してはならない、と言う理由が十分お分かりいただいたことと思います。
もちろん、単年度でなくても、単発でなくとも、デスティネーションが作られていない段階で集客事業(ハード&ソフト)に取り組むことは、デスティネーションづくりという肝心要の仕事をサボルことですから、「してはいけない」ことですね。

このこと、けして生半可な気持ちで受け取らないようにしてください。
デスティネーションづくりへの挑戦は、個店にとっても商業集積にとっても最重要課題、いかなる理由があろうとも、この課題をそっちのけで「集客事業」などに取り組むと、その分だけ確実に活性化が遅れることになります。

皆さんは、「モールへの転換をめざしますか?」それとも「不可能と分かっていながら、一発芸で商店街商売を続けようとするんですか?」と問いかけられているのでありまして、もちろん、答えは皆さん自身がお決めになればよろしいことですが、昔と違って行政やTMOなど街区外の関係者の思惑もありますからね、もちろん、内部と外部、どっちがどうということではありませんが・・・。

どっちがどうであろうとも、商店街再生を目指すからにはやるべきことははっきりしています。
とりあえずは、商店街商売の維持存続を目指す動きに対して「ちょっと待った!」といえるかどうか、でしょう。

商店街商売からの脱却、商店街及びそこに立地する個店が生き延びる・繁盛を再生する方向はこれしかありません。
(この稿は続きます)


中心市街地活性化を阻む5段階の不備

中心市街地活性化、「法」制定以来7年に渡り、全国で取り組まれているにもかかわらず、「成功事例」出てこない。
そもそも何をもって「成功」とするのか、ということさえ認識されていない、という状況があります。

ちなみに国も次のような総括を行っています。

『中心市街地の活性化に関する行政評価・監視』
〈評価・監視結果に基づく勧告〉  総務省 平成16年9月15日
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040915_1_1.pdf
ちなみに、この勧告についての私の考察は
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=104&reno=no&oya=104&mode=msgview&page=0
をご参照あれ。

さて、私は、最近、中心市街地活性化の実現を阻んでいるのは、取り組みの5つの局面それぞれに基本的な不備があるからだ、ということに思い至りました。
以下、まず5つの不備を指摘します。

第一の不備:「中心市街地活性化はなぜ必要か」目的の不備
第二の不備:「中心市街地活性化を実現する」目標の不備
第三の不備:「中心市街地活性化の目標を達成する」事業計画の不備
第四の不備:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備
第五の不備:「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論の不備

如何でしょうか。
こうしてみると、中心市街地活性化を推進する、実現するために必要な要件がことごとく不備だった、ということですね。
これでは活性化が実現しないのも無理ありません。大変なことですね。

大変なことですが、ものは考えようでありまして。
たとえば、一から五まで、全部、完全に整備されており、それにも関わらず活性化が実現できなかった、というのならほんとうに大変ですが、不備があって出来なかったわけですから、不備を整備すれば活性化できる可能性があるということになる(笑
これは皆さん、喜ばしいことではないでしょうか(笑
ということで、以下、5つの不備をしっかり分析、課題を抽出、対処の方法を考えてみることにいたしましょう。

ところで。
万一、万々が一、このスレッドが何を問題にしているか良く理解できない、という人がおられたらこれは一大事です。
このスレッドがこれから取り組む問題の理解なくして中心市街地活性化は、まず実現できないのですから、さっさとあきらめるか、このスレッドと格闘して内容をわがものにするか二つに一つですからね。
聞くは一時の恥、どんどん質問してください。
何でしたら匿名で結構ですからね。

◎第一の不備:「中心市街地活性化はなぜ必要か」:目的の不備

Q1.中心市街地とはどこのことか?
 A 都市中心部に立地する商業機能が集積した街区のことである。
Q2.なぜそういえるか?
 A 「中心市街地の三要件」の2,趨勢要件を見よ
Q3 中心市街地の活性化とは何がどうなることか?
 A 中心市街地がその本来の機能である小売商業機能として再構成す   ることである。
Q4 中心市街地活性化の目的は何か?
 A その目的は多様である。後ほど詳しく説明するが待ちきれない人   は「サイト内検索」で適宜自修しましょう。
Q5 中心市街地の活性化はなぜ必要か
 A 必要な理由は山ほどある(笑 後ほど説明するが待ちきれない人   は「サイト内検索」で適宜自修しましょう。

如何ですか。
このあたりはしっかり押さえておかないと、
①取り組んでいる自分たち自身の仕事の価値が分からない、誇りが持て ない、知恵がでない・・、と、当事者としてははなはだ困ったことに なる。

②関係各方面、TMO体制を担う仲間、上司&部下・議会・市民・消費 者・中心市街地以外で活性化に取り組んでいる人などなど関係者を中 心市街地活性化の必要性について説得、合意を確保することが出来な い。

③これからどんどん出てくる類似課題との競合において、「中心市街地 活性化」の優先順位を確保できない。
(これは、競合する事業の成功を妨げることになる=例:コンパクトシティ)

広域合併以降の都市経営における中心市街地活性化の重要性、しっかり理論武装しておかないと放置されてしまうことになりかねません。
今のうちに、しっかり頭に入れてくださいね。
特に、行政関係の人は大変だと思います。他部局と議会が共同戦線を張ったりして(笑)


○前提条件
 取り組みがスタートして7年、多くの都市がおおむね5年間は取り組 んできたところですが、なかなか展望が開けません。

まず、基本計画レベルにおいて。
中心市街地活性化がなぜ必要か? ということがハッキリと理解されていない。ここが適切に理解されていないと、取り組み全体が致命的な方向ミスになると思います。

基本的な視点としては。
1.中心市街地を新しい事業活動の場として再生させる
◇新しくないと「事業活動」と言うほどのことはできない

2.新しい消費・生活ニーズの受け皿として商業機能を再構築する
◇郊外型商業とは「棲み分け」を目指す。真っ正面からぶつかっても勝 ち目はない。もし五分に渡り合っても将来が不安。

3.再構築は中心市街地既存の商業者の自助努力を中心とする
◇他に中心市街地に出かけてきて活性化を引っ張ってくれる業種・業態・企業がありますか?
ということが前提になります。

以上を踏まえて「中心市街地活性化の必要性」=「中心市街地を活性化しなければならない理由」を10ばかり挙げてみましょう(笑

1.御市を中心にした広域圏に居住する人たちの「生活を充実させる」 ニーズの受け皿としての事業機会を確保する。
◇新しいニーズ:「自分の所得の範囲で生活を自分らしく演出して堪能 する」。郊外のセルフサービス主体の売り場では満足させられないニ ーズ。詳しくはサイト内検索=「ラグジュアリィ」

2.担税率の高い/相対的にインフラの整備された街区の効果・効率的 な利用・再構築
◇固定資産税等、高額負担に見合う効果・効率的な土地利用が津勇断し ていることは、都市経営上のマイナスであり、かつ、土地利用者にと って相対的に加重負担を生じている。

3.方向と方法を明示することによる、既存商業者の活性化への努力の 集約化
◇多くの既存商業者が自店の活性化、魅力ある個店づくりに取り組まな ければならない情況にある。単独、単発の取り組みで活性化を実現す ることは難しい。商業者の経営確信の努力を集中・集約すること、取 り組みを支援することが求められている。

4.商業施策の有効化、成果の蓄積・相乗効果の発揮
 単発的な商業施策では効果が出ない、シャッターの内側の取り組みを 連動しないと効果がない、という情況を突破する方向は街ぐるみでの 転換しかあり得ない。

5.郊外型商業が対応できないラグジュアリィニーズ対応商業集積の構 築による都市間競争における優位の確保
◇周辺各都市に先駆けて「ラグジュアリィモールとしての再構築」を実 現することで広域からの集客が期待される。中心市街地が名実ともに 広域の中心、「顔」として再生する。

6.中心街区の景観整備の推進
◇事業の進展で老朽店舗の更新、空き店舗を利用した新規出店が始まる ことで、景観整備事業の効果が生まれる

7.実務担当者の都市経営能力の向上
◇計画作成~実施能力、関係者を「その気にさせる能力」など、都市経 営に必要な能力を開発・修得する。

8.活性化推進ノウハウの他地域/事業への伝搬
◇この事業で開発・修得した地域活性化の推進に必要な知識・ノウハウ などを市内他地域の取り組みに活用することが可能になる。

9.地場産業・国内消費財産業の流通経路の再構築
◇郊外で売られているのは輸入品主体、国内産品は小売部門の空洞化に より、疲弊している。中心市街地が新しい商業集積として再生するこ とで、国産消費財の流通経路が生まれ、産地・地場産業の活性化をも たらす。

10・等々の成果を総合した「都市経営」の進歩向上
◇自助努力による都市経営が課題となっているこんにち、中心市街地活 性化への取り組みに成果があがれば何よりの自信となる。

如何ですか?
まだまだあると思いますが、とりあえず。
各項の内容は、これ以上説明の要はないかと思いますが、議会対策その他、詳細に確認したい人は、サイト内検索または直接当社にメールをどうぞ。


○見直し実務の体制
基本計画について

1.基本事項
(1)中心市街地(商店街)活性化は、商業者の救済策ではない。
(2)新しく生まれている生活消費ニーズに対応する、新しい商業機能   が求められている=新しい事業機会がある。
(3)新しい事業機会は郊外型商業では対応できない。
※この新しい事業機会を「ものにする」ことが中心市街地活性化の「成 功への道」・方向である。
(4)新しい事業機会は、中心市街地の既存集積(個店群)を利用して作り 上げる・・・これが活性化の方法である。
(5)中心市街地に作り上げる商業集積とは「ショッピングモール」であ  り、既存の商業機能を転換・再構築することで実現する。

2.事業期間:
(1)3~5年程度・・・ただちに取り組み、方向・方法を軌道に乗せるま での期間

3.事業体系
(1)「モールとしての再構築」を推進するために必要な事業群の計画=  (事業ミックスの作成)
(2)年度、分野別へのブレイクダウン

4.実施体制について
(1)TMO、商業者を中心とした推進組織の結成・運用
(2)TMO推進協議会等広範な組織の結集によるバックアップ

5.留意事項
(1)既存商業者の取り組みを中核とする
(2)上位計画、先行計画等に記載されている事業の確認、再配置

※ということで、見直しの実務は、実務担当者(行政、TMO、商業者」三者プラス専門家によって実施する、というのが適切。
特に専門家の選定が事業全体の成否を左右する、ということをしっかり覚悟して選定することが大切だと思います。

※計画の見直しプロセスを「理論的に指導出来る」能力のある専門家でなければ、中心市街地活性化を支援する専門家とは言えませんからね。また、招聘する専門家は、事業期間を通じて密接に支援を受けることを前提にしておくこと。
単年度契約あるいは単一事業ごとの契約でことが進められると思ったら大間違いです。
(この点はとくに強調しておきます。

全体のマネジメントはTMOの仕事、専門家は部分的に必要に応じて支援を受ける、という方針を出してものの見事に失敗したTMOの事例が一カ所ならずあります。前者の轍を踏みたくなかったら、このことはくれぐれも御注意あれ。
確かに、タウンマネジメントはTMOの仕事ですが、「ショッピングモールへの転換」という当面の事業を推進していく能力を各都市のTMOは何時・どのような方法で修得したのか? ということを考えてみれば思い半ばを過ぎる話です。

※いずれにしろ。
実務担当者は、計画見直しのプロセスで計画を推進するために必要な能力のうち、不足しているものをこの事業に取り組むプロセスで修得しなければならない。その能力修得は計画作成プロセスを通じて、支援する専門家の仕事です。


◎第二の不備:「中心市街地活性化を実現する」目標の不備

中心市街地とはどこのことか、そこの何を活性化するのか?
ここが判然としていないと、「これを実現することが中心市街地活性化である」という「目標」を設定することが出来ません。

国は、中心市街地活性化を推進するにあたっては、「車の両輪」である、市街地の整備改善の事業と商業等の活性化の事業を「一体的に推進することにより実現を目指す目標」を設定することを求めていますが、
中心市街地活性化は、これを実現すれば達成される、という具体的な「一体的推進の目標」を掲げている都市はきわめて少ないでしょう。

一体的推進の目標、これが適切に設定されていないと、実施する各種事業の方向、内容、時期などが適切か否か、判断する基準がありません。それでは目標達成は難しい。


◎第三の不備:「中心市街地活性化の目標を達成する」事業計画の不備

中心市街地活性化という
①相当広い範囲の街区について
②市街地の整備及び商業等の活性化という両目に渡る事業を駆使して
③相当の期間を掛けて取り組む
というのがこの事業の特性です。

したがって、取り組むにあたっては、
事業種別、事業期間別、事業主体別などなどさまざまに区分される多様な事業を逐次展開していくことが必要です。
言ってみればオーケストラが演奏を行うようなものです。

オーケストラの演奏に楽譜が必要なように、中心市街地活性化の取り組みには「計画」が必要です。
ここの事業の実施計画はもちろん、中心市街地活性化という大事業における個別事業の位置づけ、他の事業との関係・条件などが計画されて初めて、ここの事業が全体の一翼を担うことになり、全体の進展が担保されます。

中心市街地活性化には事業期間中の骨格となる計画・運行表が作られていません。


◎ 第四の不備:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備

市街地の整備改善及び商業等の活性化、両事業を車の両輪として進められる中心市街地活性化の取り組みは、それぞれ立場や役割のことなるさまざまな組織、個人によって推進されます。

立場、仕事の内容、実施する場所・時間、などがさまざまな事業の基準を定めたり、実施時期を調整するという重要な機能が必要です。
TMOがそれに充てられるわけですが、事業を効果的に進めていくためには、TMOを中心に関係者がさまざまな企画調整や協働を組み立てられる体制を作ることが必要です。

『基本計画』には行政内部における体制づくり、経営機能あるいは企画調整機能としてのTMOの設置はうたってありますが、事業を推進する「体制」の組織化については計画されておらず、計画されていたとしても実践レベルを担う商業者の位置づけなどの重要課題が未着手のままのはずです。
 
◎第五の不備:「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論の不備

もっとも根本的な不備、実はここにあります。
第一から第四までの不備は、「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論を備えておれば、ちゃんと取り組み・実現したことばかりです。

常々申し上げているように、中心市街地活性化という仕事に『整備改善・活性化法』の枠組みを用いて取り組もうとするならば、枠組みを駆使して対応しようとする「問題状況」の把握が不可欠です。

大きく変化する今日のような時代における「問題情況の把握」は静態的な経験・知識ではなく、変化を説明しうる理論を装備し、理論に基づいて行うことが大前提です。

理論の不備とは、すなわち、大前提の不備。
言ってみれば「親亀」がこけたわけですから、子亀、孫亀・・、みんなこけるのも無理はありません。

※第一の不備については、やや詳しく、二以下については簡単に書いてみました。
詳しく知りたい人は。
http://www.quolaid.com/cgi/tmo/wforum.cgi?no=984&reno=no&oya=984&mode=msgview&page=0
以下のスレッドをどうぞ。

中心市街地活性化を阻む5段階の不備

中心市街地活性化、「法」制定以来7年に渡り、全国で取り組まれているにもかかわらず、「成功事例」出てこない。
そもそも何をもって「成功」とするのか、ということさえ認識されていない、という状況があります。

ちなみに国も次のような総括を行っています。

『中心市街地の活性化に関する行政評価・監視』
〈評価・監視結果に基づく勧告〉  総務省 平成16年9月15日
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040915_1_1.pdf
ちなみに、この勧告についての私の考察は
http://www.quolaid.com/cgi/tkf/wforum.cgi?no=104&reno=no&oya=104&mode=msgview&page=0
をご参照あれ。

さて、私は、最近、中心市街地活性化の実現を阻んでいるのは、取り組みの5つの局面それぞれに基本的な不備があるからだ、ということに思い至りました。
以下、まず5つの不備を指摘します。

第一の不備:「中心市街地活性化はなぜ必要か」目的の不備
第二の不備:「中心市街地活性化を実現する」目標の不備
第三の不備:「中心市街地活性化の目標を達成する」事業計画の不備
第四の不備:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備
第五の不備:「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論の不備

如何でしょうか。
こうしてみると、中心市街地活性化を推進する、実現するために必要な要件がことごとく不備だった、ということですね。
これでは活性化が実現しないのも無理ありません。大変なことですね。

大変なことですが、ものは考えようでありまして。
たとえば、一から五まで、全部、完全に整備されており、それにも関わらず活性化が実現できなかった、というのならほんとうに大変ですが、不備があって出来なかったわけですから、不備を整備すれば活性化できる可能性があるということになる(笑
これは皆さん、喜ばしいことではないでしょうか(笑
ということで、以下、5つの不備をしっかり分析、課題を抽出、対処の方法を考えてみることにいたしましょう。

ところで。
万一、万々が一、このスレッドが何を問題にしているか良く理解できない、という人がおられたらこれは一大事です。
このスレッドがこれから取り組む問題の理解なくして中心市街地活性化は、まず実現できないのですから、さっさとあきらめるか、このスレッドと格闘して内容をわがものにするか二つに一つですからね。
聞くは一時の恥、どんどん質問してください。
何でしたら匿名で結構ですからね。

◎第一の不備:「中心市街地活性化はなぜ必要か」:目的の不備

Q1.中心市街地とはどこのことか?
 A 都市中心部に立地する商業機能が集積した街区のことである。
Q2.なぜそういえるか?
 A 「中心市街地の三要件」の2,趨勢要件を見よ
Q3 中心市街地の活性化とは何がどうなることか?
 A 中心市街地がその本来の機能である小売商業機能として再構成す   ることである。
Q4 中心市街地活性化の目的は何か?
 A その目的は多様である。後ほど詳しく説明するが待ちきれない人   は「サイト内検索」で適宜自修しましょう。
Q5 中心市街地の活性化はなぜ必要か
 A 必要な理由は山ほどある(笑 後ほど説明するが待ちきれない人   は「サイト内検索」で適宜自修しましょう。

如何ですか。
このあたりはしっかり押さえておかないと、
①取り組んでいる自分たち自身の仕事の価値が分からない、誇りが持て ない、知恵がでない・・、と、当事者としてははなはだ困ったことに なる。

②関係各方面、TMO体制を担う仲間、上司&部下・議会・市民・消費 者・中心市街地以外で活性化に取り組んでいる人などなど関係者を中 心市街地活性化の必要性について説得、合意を確保することが出来な い。

③これからどんどん出てくる類似課題との競合において、「中心市街地 活性化」の優先順位を確保できない。
(これは、競合する事業の成功を妨げることになる=例:コンパクトシティ)

広域合併以降の都市経営における中心市街地活性化の重要性、しっかり理論武装しておかないと放置されてしまうことになりかねません。
今のうちに、しっかり頭に入れてくださいね。
特に、行政関係の人は大変だと思います。他部局と議会が共同戦線を張ったりして(笑)


○前提条件
 取り組みがスタートして7年、多くの都市がおおむね5年間は取り組 んできたところですが、なかなか展望が開けません。

まず、基本計画レベルにおいて。
中心市街地活性化がなぜ必要か? ということがハッキリと理解されていない。ここが適切に理解されていないと、取り組み全体が致命的な方向ミスになると思います。

基本的な視点としては。
1.中心市街地を新しい事業活動の場として再生させる
◇新しくないと「事業活動」と言うほどのことはできない

2.新しい消費・生活ニーズの受け皿として商業機能を再構築する
◇郊外型商業とは「棲み分け」を目指す。真っ正面からぶつかっても勝 ち目はない。もし五分に渡り合っても将来が不安。

3.再構築は中心市街地既存の商業者の自助努力を中心とする
◇他に中心市街地に出かけてきて活性化を引っ張ってくれる業種・業態・企業がありますか?
ということが前提になります。

以上を踏まえて「中心市街地活性化の必要性」=「中心市街地を活性化しなければならない理由」を10ばかり挙げてみましょう(笑

1.御市を中心にした広域圏に居住する人たちの「生活を充実させる」 ニーズの受け皿としての事業機会を確保する。
◇新しいニーズ:「自分の所得の範囲で生活を自分らしく演出して堪能 する」。郊外のセルフサービス主体の売り場では満足させられないニ ーズ。詳しくはサイト内検索=「ラグジュアリィ」

2.担税率の高い/相対的にインフラの整備された街区の効果・効率的 な利用・再構築
◇固定資産税等、高額負担に見合う効果・効率的な土地利用が津勇断し ていることは、都市経営上のマイナスであり、かつ、土地利用者にと って相対的に加重負担を生じている。

3.方向と方法を明示することによる、既存商業者の活性化への努力の 集約化
◇多くの既存商業者が自店の活性化、魅力ある個店づくりに取り組まな ければならない情況にある。単独、単発の取り組みで活性化を実現す ることは難しい。商業者の経営確信の努力を集中・集約すること、取 り組みを支援することが求められている。

4.商業施策の有効化、成果の蓄積・相乗効果の発揮
 単発的な商業施策では効果が出ない、シャッターの内側の取り組みを 連動しないと効果がない、という情況を突破する方向は街ぐるみでの 転換しかあり得ない。

5.郊外型商業が対応できないラグジュアリィニーズ対応商業集積の構 築による都市間競争における優位の確保
◇周辺各都市に先駆けて「ラグジュアリィモールとしての再構築」を実 現することで広域からの集客が期待される。中心市街地が名実ともに 広域の中心、「顔」として再生する。

6.中心街区の景観整備の推進
◇事業の進展で老朽店舗の更新、空き店舗を利用した新規出店が始まる ことで、景観整備事業の効果が生まれる

7.実務担当者の都市経営能力の向上
◇計画作成~実施能力、関係者を「その気にさせる能力」など、都市経 営に必要な能力を開発・修得する。

8.活性化推進ノウハウの他地域/事業への伝搬
◇この事業で開発・修得した地域活性化の推進に必要な知識・ノウハウ などを市内他地域の取り組みに活用することが可能になる。

9.地場産業・国内消費財産業の流通経路の再構築
◇郊外で売られているのは輸入品主体、国内産品は小売部門の空洞化に より、疲弊している。中心市街地が新しい商業集積として再生するこ とで、国産消費財の流通経路が生まれ、産地・地場産業の活性化をも たらす。

10・等々の成果を総合した「都市経営」の進歩向上
◇自助努力による都市経営が課題となっているこんにち、中心市街地活 性化への取り組みに成果があがれば何よりの自信となる。

如何ですか?
まだまだあると思いますが、とりあえず。
各項の内容は、これ以上説明の要はないかと思いますが、議会対策その他、詳細に確認したい人は、サイト内検索または直接当社にメールをどうぞ。


○見直し実務の体制
基本計画について

1.基本事項
(1)中心市街地(商店街)活性化は、商業者の救済策ではない。
(2)新しく生まれている生活消費ニーズに対応する、新しい商業機能   が求められている=新しい事業機会がある。
(3)新しい事業機会は郊外型商業では対応できない。
※この新しい事業機会を「ものにする」ことが中心市街地活性化の「成 功への道」・方向である。
(4)新しい事業機会は、中心市街地の既存集積(個店群)を利用して作り 上げる・・・これが活性化の方法である。
(5)中心市街地に作り上げる商業集積とは「ショッピングモール」であ  り、既存の商業機能を転換・再構築することで実現する。

2.事業期間:
(1)3~5年程度・・・ただちに取り組み、方向・方法を軌道に乗せるま での期間

3.事業体系
(1)「モールとしての再構築」を推進するために必要な事業群の計画=  (事業ミックスの作成)
(2)年度、分野別へのブレイクダウン

4.実施体制について
(1)TMO、商業者を中心とした推進組織の結成・運用
(2)TMO推進協議会等広範な組織の結集によるバックアップ

5.留意事項
(1)既存商業者の取り組みを中核とする
(2)上位計画、先行計画等に記載されている事業の確認、再配置

※ということで、見直しの実務は、実務担当者(行政、TMO、商業者」三者プラス専門家によって実施する、というのが適切。
特に専門家の選定が事業全体の成否を左右する、ということをしっかり覚悟して選定することが大切だと思います。

※計画の見直しプロセスを「理論的に指導出来る」能力のある専門家でなければ、中心市街地活性化を支援する専門家とは言えませんからね。また、招聘する専門家は、事業期間を通じて密接に支援を受けることを前提にしておくこと。
単年度契約あるいは単一事業ごとの契約でことが進められると思ったら大間違いです。
(この点はとくに強調しておきます。

全体のマネジメントはTMOの仕事、専門家は部分的に必要に応じて支援を受ける、という方針を出してものの見事に失敗したTMOの事例が一カ所ならずあります。前者の轍を踏みたくなかったら、このことはくれぐれも御注意あれ。
確かに、タウンマネジメントはTMOの仕事ですが、「ショッピングモールへの転換」という当面の事業を推進していく能力を各都市のTMOは何時・どのような方法で修得したのか? ということを考えてみれば思い半ばを過ぎる話です。

※いずれにしろ。
実務担当者は、計画見直しのプロセスで計画を推進するために必要な能力のうち、不足しているものをこの事業に取り組むプロセスで修得しなければならない。その能力修得は計画作成プロセスを通じて、支援する専門家の仕事です。


◎第二の不備:「中心市街地活性化を実現する」目標の不備

中心市街地とはどこのことか、そこの何を活性化するのか?
ここが判然としていないと、「これを実現することが中心市街地活性化である」という「目標」を設定することが出来ません。

国は、中心市街地活性化を推進するにあたっては、「車の両輪」である、市街地の整備改善の事業と商業等の活性化の事業を「一体的に推進することにより実現を目指す目標」を設定することを求めていますが、
中心市街地活性化は、これを実現すれば達成される、という具体的な「一体的推進の目標」を掲げている都市はきわめて少ないでしょう。

一体的推進の目標、これが適切に設定されていないと、実施する各種事業の方向、内容、時期などが適切か否か、判断する基準がありません。それでは目標達成は難しい。


◎第三の不備:「中心市街地活性化の目標を達成する」事業計画の不備

中心市街地活性化という
①相当広い範囲の街区について
②市街地の整備及び商業等の活性化という両目に渡る事業を駆使して
③相当の期間を掛けて取り組む
というのがこの事業の特性です。

したがって、取り組むにあたっては、
事業種別、事業期間別、事業主体別などなどさまざまに区分される多様な事業を逐次展開していくことが必要です。
言ってみればオーケストラが演奏を行うようなものです。

オーケストラの演奏に楽譜が必要なように、中心市街地活性化の取り組みには「計画」が必要です。
ここの事業の実施計画はもちろん、中心市街地活性化という大事業における個別事業の位置づけ、他の事業との関係・条件などが計画されて初めて、ここの事業が全体の一翼を担うことになり、全体の進展が担保されます。

中心市街地活性化には事業期間中の骨格となる計画・運行表が作られていません。


◎ 第四の不備:「中心市街地活性化を推進する」組織体制の不備

市街地の整備改善及び商業等の活性化、両事業を車の両輪として進められる中心市街地活性化の取り組みは、それぞれ立場や役割のことなるさまざまな組織、個人によって推進されます。

立場、仕事の内容、実施する場所・時間、などがさまざまな事業の基準を定めたり、実施時期を調整するという重要な機能が必要です。
TMOがそれに充てられるわけですが、事業を効果的に進めていくためには、TMOを中心に関係者がさまざまな企画調整や協働を組み立てられる体制を作ることが必要です。

『基本計画』には行政内部における体制づくり、経営機能あるいは企画調整機能としてのTMOの設置はうたってありますが、事業を推進する「体制」の組織化については計画されておらず、計画されていたとしても実践レベルを担う商業者の位置づけなどの重要課題が未着手のままのはずです。
 
◎第五の不備:「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論の不備

もっとも根本的な不備、実はここにあります。
第一から第四までの不備は、「中心市街地活性化について合意を形成し、取り組みを実体化する」理論を備えておれば、ちゃんと取り組み・実現したことばかりです。

常々申し上げているように、中心市街地活性化という仕事に『整備改善・活性化法』の枠組みを用いて取り組もうとするならば、枠組みを駆使して対応しようとする「問題状況」の把握が不可欠です。

大きく変化する今日のような時代における「問題情況の把握」は静態的な経験・知識ではなく、変化を説明しうる理論を装備し、理論に基づいて行うことが大前提です。

理論の不備とは、すなわち、大前提の不備。
言ってみれば「親亀」がこけたわけですから、子亀、孫亀・・、みんなこけるのも無理はありません。

※第一の不備については、やや詳しく、二以下については簡単に書いてみました。
詳しく知りたい人は。
http://www.quolaid.com/cgi/tmo/wforum.cgi?no=984&reno=no&oya=984&mode=msgview&page=0
以下のスレッドをどうぞ。

「お客の目線」とは

マーケティングなどで使われる常套句です。
「お客の目線で考える」「お客の目線に立て」など。
こういう言葉が流布するのは「店はお客のためにある」、だから、「繁盛したかったらお客が何を望んでいるか知らなければならない」と無意識のうちに思いこみ、そう言う下地が出来ているところに「客の目線に立て」といったご託宣が下されると「その通り」となり、「目線」などというギョーカイ用語でいわれると、ついつい印象に残って自分も使ってしまう・・・・。

もし、「客の目線に立つ」というコトバが気に入った、使ってみたいということなら(コトバが「気に入る」「気に入らない」ということは大切なことです)使えるように加工しなければならない。
「お客の目線に立つ」と言う言葉が気に入った、ボキャブラリィに加えよう、と考えたら。
「客の目線に立つ」とは一体全体どういうことなのか、しっかり中身をまとめておかなければならない。
一度しっかりまとめておくと、それから先は「客の目線」が阿吽語ではなく「理論語」(理論に裏打ちされた専門用語)になります。あなたのお店の無くてはならないコトバになるわけです。

○問題発見~解決の手法です。
 元々は、「子供の目線に立つ」というように、特定の条件にあるひとの条件を引き受けて環境をチェックすることで、相手にとっての問題を発見し、解決・改善を図る、という方法です。
転じて「相手の立場で考える」ことを意味するようになりました。
これはごく最近、それも一部で使われている言い方のようです。

 「子供の目線」の場合は、腰をかがめたり、膝をつくなど、目の高さを調節することで簡単に「成りきる」ことが出来ます。
しかし、「立場」はどうでしょうか?
「立場(もちろん、「立っている場所」のことでありません)」とはその人の「問題情況」を指して使われる言葉です。
ある人にとって問題情況とは、問題が起きている状況=
①問題を問題としてとらえるその人の価値観
②起きている問題そのもの
③問題を取り巻くより広い環境
の3つから成り立ちます。

 つまり、「立場」とは「問題を解決しなければならない状況にある人」を指すコトバです。
「上司の立場で考える」「お客の立場で考える」などはそれぞれの立場が持つ問題とそれを取り巻く条件に配慮することを意味しています。
こちらはなかなか物理的に「子供の目線に立つ」ほど簡単ではありません。また、問題解決についても「子供の目線」で物理的な障害物を改善するのとは違って、「相手の問題情況を正しく理解し、その人が期待していることを推測する」ことを意味します。
このように考えてみれば「客の目線に立つ」とは、「お客の問題情況を理解する」ということであることが分かります。

○問題情況を理解する
 お客の問題情況は、物理的にお客の目の高さにこちらが合わせるという調節で理解出来るものではありません。
お店側が理解しなければならないお客の問題情況とは、
第一に、お客の来店動機です、来店動機=お客が生活において直面していい問題を解決するために必要な解決策(商品・サービス)を入手すること、ですね。
第二に、来店動機を達成するための「解決策」をスムースに入手できるかどうか、ということ。店内での行動の目的はこれ。
(適切な商品・サービスが提供されていない・発見できないとこの店は問題を解決する場所としてふさわしくない!)
第三に、店内という「問題解決環境」は、問題を解決する=商品を検索し、吟味する環境として適切かどうか ということ。
(適切でなければ、環境自体が新しい問題をお客に強制することになる。)

 このように考えてみると、お客の問題情況は、「店づくり三点セット」と大変密接に関係していることがよく分かります。お店としてはあらかじめ作り上げている「店づくり」を前提にお客さんと向かい合うわけです。
「店づくり」という環境のなかで、お客の「問題解決」を支援するために、「さらに何が必要か」を考えることが「客の目線に立つ」ということです。
つまり、「客の目線に立つ」とは、「お客の問題解決に貢献するためにお客の問題情況を理解する」ことだった、わけです。「お客様の立場で考える」、こちらの方がより状況に近い言い方ですね。
あらためて考えてみると何かしら差があるように感じるのは私の主観でしょうか

○「目線」と「立場」
 「目線に立つ」と「立場で考える」。
お店で用いられる場合、どちらもお客の問題解決によりよく貢献できる店づくりを実現するための「アプローチ」、「心構え」を現す表現として使われています。
どちらも、お客が直面している「問題情況」を理解せよ、ということを意味する比喩ですね。
両方とも同じことを表現するレトリック、比喩です。

 ニュアンスの違いがありそうだ、というのは。
「目線」のほうは、「解決策」を探索するお客の「目」を意味しており、「立場」は「問題情況のただ中にある」お客の存在そのものを指していると考えられます。
お店の中でのお客の「目」は物理的な視界や視を意味するのではなく、適切な商品を発見しよう、という目的意識を持った・目的意識にコントロールされた「目」であることを考えておくことが必要です。
このように考えてみますと「幼児の目線に立つ」ことの意味が明らかになりました。「幼児の目線に立つ」ことは幼児の問題解決への貢献と言うより、幼児が問題を解決する(たとえば「走り回る})ために行動する環境を整える、ための表現と考えた方がより正確な使い方だったのではないか、ということです。
「幼児の目線に立つ」とは「幼児の生活環境を幼児の条件を踏まえて考える」というアプローチです。
 他方、「幼児の立場に立つ」の方は、「環境に限らず、幼児の問題状況を幼児の立場(問題の感じ方、環境条件など)で考える」というより広く深い問題に対するアプローチになっています。

○お客の期待
 「お客の目線で見る」=「お客の立場で考える」だとすれば、まず考えるべきことは、お客はなぜ、何を目的にこの店に来るのか ということですね。
もの余り時代=店余り時代にわざわざ自店を選んで来店する人(お客)はどのような問題情況にある人なのか?
お客はなぜ、自店を「問題解決の場」として選んだのか?
お客が自店に期待していることは何か?
このことを知るためには、
自店に来ることが解決につながるお客の問題とは何か?
お客の問題が解決されるとはどのような状況が生まれることか?
を知っておくことが必要です。これを知ってはじめて
お客はこの店に何を期待しているのか?
ということが分かります。

 このとき大事なことは、
お客が期待しているのは「ある特定のアイテムを入手すること」ではない、ということですお客は特定のアイテムが欲しいのではなく、自分の問題を解決するための解決策(商品やサービスと言う形の)を手に入れたいのであり、ここに「自分の問題を解決するためにぴったりの商品を見つけだす」という問題を解決するために解決し無「なければならない問題が発生まします。
お店が対応している(事業機会としている)のは後の問題を解決するプロセスですが、ここをきっちりやり遂げるには、そもそもお客が抱えている問題を理解しておかなければならない。

「目線」の前に「アタマの中の期待」を理解しておかなければならないということであり、そのことを考えれば「お客の目線に立つ」というのはちょっと安易な言い回しのような気がしないでもない。
もちろん、「目線」を決めるのはお客の問題式であることは百も承知の上で使っている、だから問題ない、かも知れませんが、
お店のスタッフ全員に「目線」の正しい意味(自店の専門用語としての)をちゃんと教えていますか?ということがあります。
長くなりますのではしょって言いますが、「目線に立つ」にあたっては、
「お客が自店に期待来していることは何か」
ということはしっかり理解しておかないといけません。

 人口相手に商売している人は、人口の数だけ「期待」の違いを理解しそれを店づくりとして表現する、という不可能ごとに挑戦していることになります。もちろん自分では思いもよらないことながら。
ということで。
「お客の目線に立つ」よりも
「お客はうちに何を期待しているだろうか」という仮説を立て、日々これを磨き上げていく、対応する店づくりも日々これ新た、という構えを作り上げていきたいものです。
 この構えがあってはじめて狭義の「客の目線に立つ」と言う問題発見へのアプローチとしての手法が意味をなしてくるのではないでしょうか。
「客の目線に立つ」前に「仮説に基づく店づくり」

○人は見たいものを視る
 もう少しつっこんでみましょう。
私たちは、物事を「白紙」で見ることは出来ません。
「おらは偏見がないから何でも白紙で見ることが出来る」って、
ゆ~じゃなあ~い。

私たちがものを見るにあたっては、事前に、アタマの中に「見方に関する構造」が出来上がっています。構造はこれまでの経験・学習によってつくられたものであり、森羅万象ことごとくこの構造に位置づけられている。この構造がないとたとえば「コップ」がコップに見えませんからね。
私たちが物事を見るのは、自分のなかに作り上げている「知識の構造
」に依存しています。私たちは、常にアタマの中にある「先入観」を通してしか物事を物事として見ることが出来ません。
生まれたて・目が見えるようになったばかりの赤ちゃんじゃあるまいし、けして白紙で外界を見ているわけでありません。
このことを忘れる・つまり自分が物事を見るときは、先入観に頼っているのだ、ということを忘れるととんでもないことが起こります。


○お客の「目線」の行き先は
 あなたのお店に来たお客は何を見たがっているのか?
もちろん、自分が意識し・解決しようとしている「問題」のソリューション=解決策(またはその一部)としてふさわしい、とイメージしているアイテムを探しているのですから、お客が「みたい」と思っている=お客がその目線の先に期待しているのは「自分にとってのソリューション」ですね。
ということは。
お客の問題情況が分かっていないと、お客の目線は「分からない」と言うことでしょう。
物理的な目線は心理的な課題によってあらかじめ決まっている、ということ。
「目線」問題をビジュアルに解消しているのがセルフのショップ、人的対応を加えて対応するのが専門店、という考え方も出来ますね。

○「目線」はアンテナ
 繰り返しておきますが、人は見たいものを視る。
「目線」は漫然と外界の情報を受動的にキャッチしているのではなく、アンテナ同様、「指向性」を持っています。
アンテナが指向性を持っている、というか、アンテナを機能させるについてはその「指向・周波数帯)」を決めないと役に立てることが出来ませんからね。
目線も同様、何を見たいのか、意識的に指向しないと何も見ることが出来ません。特に「問題解決」のプロセスで「視る」のは、「問題解決」に寄与する何かを探索している、ということが多い訳ですから、この傾向はさらに研ぎすまされていると考えるべきでしょう。
ショッピングは立派な「問題解決過程」、お客の目線はとぎすまされています。
ほんとうにお客の目線を理解したかったら、目線よりも先に「立場」を理解しなければならず、そのためにはお客の生活についてかねてから情報を収集することが不可欠です。
 もちろん、それでも不十分なのは、「今日、何を求めているのか」という情報、専門店の場合、これは「接客」を通じて了解されることですね。

「お客の目線」とは

マーケティングなどで使われる常套句です。
「お客の目線で考える」「お客の目線に立て」など。
こういう言葉が流布するのは「店はお客のためにある」、だから、「繁盛したかったらお客が何を望んでいるか知らなければならない」と無意識のうちに思いこみ、そう言う下地が出来ているところに「客の目線に立て」といったご託宣が下されると「その通り」となり、「目線」などというギョーカイ用語でいわれると、ついつい印象に残って自分も使ってしまう・・・・。

もし、「客の目線に立つ」というコトバが気に入った、使ってみたいということなら(コトバが「気に入る」「気に入らない」ということは大切なことです)使えるように加工しなければならない。
「お客の目線に立つ」と言う言葉が気に入った、ボキャブラリィに加えよう、と考えたら。
「客の目線に立つ」とは一体全体どういうことなのか、しっかり中身をまとめておかなければならない。
一度しっかりまとめておくと、それから先は「客の目線」が阿吽語ではなく「理論語」(理論に裏打ちされた専門用語)になります。あなたのお店の無くてはならないコトバになるわけです。

○問題発見~解決の手法です。
 元々は、「子供の目線に立つ」というように、特定の条件にあるひとの条件を引き受けて環境をチェックすることで、相手にとっての問題を発見し、解決・改善を図る、という方法です。
転じて「相手の立場で考える」ことを意味するようになりました。
これはごく最近、それも一部で使われている言い方のようです。

 「子供の目線」の場合は、腰をかがめたり、膝をつくなど、目の高さを調節することで簡単に「成りきる」ことが出来ます。
しかし、「立場」はどうでしょうか?
「立場(もちろん、「立っている場所」のことでありません)」とはその人の「問題情況」を指して使われる言葉です。
ある人にとって問題情況とは、問題が起きている状況=
①問題を問題としてとらえるその人の価値観
②起きている問題そのもの
③問題を取り巻くより広い環境
の3つから成り立ちます。

 つまり、「立場」とは「問題を解決しなければならない状況にある人」を指すコトバです。
「上司の立場で考える」「お客の立場で考える」などはそれぞれの立場が持つ問題とそれを取り巻く条件に配慮することを意味しています。
こちらはなかなか物理的に「子供の目線に立つ」ほど簡単ではありません。また、問題解決についても「子供の目線」で物理的な障害物を改善するのとは違って、「相手の問題情況を正しく理解し、その人が期待していることを推測する」ことを意味します。
このように考えてみれば「客の目線に立つ」とは、「お客の問題情況を理解する」ということであることが分かります。

○問題情況を理解する
 お客の問題情況は、物理的にお客の目の高さにこちらが合わせるという調節で理解出来るものではありません。
お店側が理解しなければならないお客の問題情況とは、
第一に、お客の来店動機です、来店動機=お客が生活において直面していい問題を解決するために必要な解決策(商品・サービス)を入手すること、ですね。
第二に、来店動機を達成するための「解決策」をスムースに入手できるかどうか、ということ。店内での行動の目的はこれ。
(適切な商品・サービスが提供されていない・発見できないとこの店は問題を解決する場所としてふさわしくない!)
第三に、店内という「問題解決環境」は、問題を解決する=商品を検索し、吟味する環境として適切かどうか ということ。
(適切でなければ、環境自体が新しい問題をお客に強制することになる。)

 このように考えてみると、お客の問題情況は、「店づくり三点セット」と大変密接に関係していることがよく分かります。お店としてはあらかじめ作り上げている「店づくり」を前提にお客さんと向かい合うわけです。
「店づくり」という環境のなかで、お客の「問題解決」を支援するために、「さらに何が必要か」を考えることが「客の目線に立つ」ということです。
つまり、「客の目線に立つ」とは、「お客の問題解決に貢献するためにお客の問題情況を理解する」ことだった、わけです。「お客様の立場で考える」、こちらの方がより状況に近い言い方ですね。
あらためて考えてみると何かしら差があるように感じるのは私の主観でしょうか

○「目線」と「立場」
 「目線に立つ」と「立場で考える」。
お店で用いられる場合、どちらもお客の問題解決によりよく貢献できる店づくりを実現するための「アプローチ」、「心構え」を現す表現として使われています。
どちらも、お客が直面している「問題情況」を理解せよ、ということを意味する比喩ですね。
両方とも同じことを表現するレトリック、比喩です。

 ニュアンスの違いがありそうだ、というのは。
「目線」のほうは、「解決策」を探索するお客の「目」を意味しており、「立場」は「問題情況のただ中にある」お客の存在そのものを指していると考えられます。
お店の中でのお客の「目」は物理的な視界や視を意味するのではなく、適切な商品を発見しよう、という目的意識を持った・目的意識にコントロールされた「目」であることを考えておくことが必要です。
このように考えてみますと「幼児の目線に立つ」ことの意味が明らかになりました。「幼児の目線に立つ」ことは幼児の問題解決への貢献と言うより、幼児が問題を解決する(たとえば「走り回る})ために行動する環境を整える、ための表現と考えた方がより正確な使い方だったのではないか、ということです。
「幼児の目線に立つ」とは「幼児の生活環境を幼児の条件を踏まえて考える」というアプローチです。
 他方、「幼児の立場に立つ」の方は、「環境に限らず、幼児の問題状況を幼児の立場(問題の感じ方、環境条件など)で考える」というより広く深い問題に対するアプローチになっています。

○お客の期待
 「お客の目線で見る」=「お客の立場で考える」だとすれば、まず考えるべきことは、お客はなぜ、何を目的にこの店に来るのか ということですね。
もの余り時代=店余り時代にわざわざ自店を選んで来店する人(お客)はどのような問題情況にある人なのか?
お客はなぜ、自店を「問題解決の場」として選んだのか?
お客が自店に期待していることは何か?
このことを知るためには、
自店に来ることが解決につながるお客の問題とは何か?
お客の問題が解決されるとはどのような状況が生まれることか?
を知っておくことが必要です。これを知ってはじめて
お客はこの店に何を期待しているのか?
ということが分かります。

 このとき大事なことは、
お客が期待しているのは「ある特定のアイテムを入手すること」ではない、ということですお客は特定のアイテムが欲しいのではなく、自分の問題を解決するための解決策(商品やサービスと言う形の)を手に入れたいのであり、ここに「自分の問題を解決するためにぴったりの商品を見つけだす」という問題を解決するために解決し無「なければならない問題が発生まします。
お店が対応している(事業機会としている)のは後の問題を解決するプロセスですが、ここをきっちりやり遂げるには、そもそもお客が抱えている問題を理解しておかなければならない。

「目線」の前に「アタマの中の期待」を理解しておかなければならないということであり、そのことを考えれば「お客の目線に立つ」というのはちょっと安易な言い回しのような気がしないでもない。
もちろん、「目線」を決めるのはお客の問題式であることは百も承知の上で使っている、だから問題ない、かも知れませんが、
お店のスタッフ全員に「目線」の正しい意味(自店の専門用語としての)をちゃんと教えていますか?ということがあります。
長くなりますのではしょって言いますが、「目線に立つ」にあたっては、
「お客が自店に期待来していることは何か」
ということはしっかり理解しておかないといけません。

 人口相手に商売している人は、人口の数だけ「期待」の違いを理解しそれを店づくりとして表現する、という不可能ごとに挑戦していることになります。もちろん自分では思いもよらないことながら。
ということで。
「お客の目線に立つ」よりも
「お客はうちに何を期待しているだろうか」という仮説を立て、日々これを磨き上げていく、対応する店づくりも日々これ新た、という構えを作り上げていきたいものです。
 この構えがあってはじめて狭義の「客の目線に立つ」と言う問題発見へのアプローチとしての手法が意味をなしてくるのではないでしょうか。
「客の目線に立つ」前に「仮説に基づく店づくり」

○人は見たいものを視る
 もう少しつっこんでみましょう。
私たちは、物事を「白紙」で見ることは出来ません。
「おらは偏見がないから何でも白紙で見ることが出来る」って、
ゆ~じゃなあ~い。

私たちがものを見るにあたっては、事前に、アタマの中に「見方に関する構造」が出来上がっています。構造はこれまでの経験・学習によってつくられたものであり、森羅万象ことごとくこの構造に位置づけられている。この構造がないとたとえば「コップ」がコップに見えませんからね。
私たちが物事を見るのは、自分のなかに作り上げている「知識の構造
」に依存しています。私たちは、常にアタマの中にある「先入観」を通してしか物事を物事として見ることが出来ません。
生まれたて・目が見えるようになったばかりの赤ちゃんじゃあるまいし、けして白紙で外界を見ているわけでありません。
このことを忘れる・つまり自分が物事を見るときは、先入観に頼っているのだ、ということを忘れるととんでもないことが起こります。


○お客の「目線」の行き先は
 あなたのお店に来たお客は何を見たがっているのか?
もちろん、自分が意識し・解決しようとしている「問題」のソリューション=解決策(またはその一部)としてふさわしい、とイメージしているアイテムを探しているのですから、お客が「みたい」と思っている=お客がその目線の先に期待しているのは「自分にとってのソリューション」ですね。
ということは。
お客の問題情況が分かっていないと、お客の目線は「分からない」と言うことでしょう。
物理的な目線は心理的な課題によってあらかじめ決まっている、ということ。
「目線」問題をビジュアルに解消しているのがセルフのショップ、人的対応を加えて対応するのが専門店、という考え方も出来ますね。

○「目線」はアンテナ
 繰り返しておきますが、人は見たいものを視る。
「目線」は漫然と外界の情報を受動的にキャッチしているのではなく、アンテナ同様、「指向性」を持っています。
アンテナが指向性を持っている、というか、アンテナを機能させるについてはその「指向・周波数帯)」を決めないと役に立てることが出来ませんからね。
目線も同様、何を見たいのか、意識的に指向しないと何も見ることが出来ません。特に「問題解決」のプロセスで「視る」のは、「問題解決」に寄与する何かを探索している、ということが多い訳ですから、この傾向はさらに研ぎすまされていると考えるべきでしょう。
ショッピングは立派な「問題解決過程」、お客の目線はとぎすまされています。
ほんとうにお客の目線を理解したかったら、目線よりも先に「立場」を理解しなければならず、そのためにはお客の生活についてかねてから情報を収集することが不可欠です。
 もちろん、それでも不十分なのは、「今日、何を求めているのか」という情報、専門店の場合、これは「接客」を通じて了解されることですね。

中心市街地に人を増やす?

 中心市街地に「まちなか居住」と言うことでマンションをどんどん建てる。
居住者が増えれば商業は活性化する、という、まあ、ありがちなお話ですが。

中心市街地に居住者が増えれば、
中心市街地を歩く人が増える
商店街にも出かけてくる
ショッピング客が増える
新規入居者増を目当てに新規出店も増える
というのが典型的な「人口理論」流の中心市街地活性化論ですが、そうはいきません。
大きな誤解が二つあると思います。

○その1
まちなか居住を推進したかったら、生活インフラとしての「コンビニエンスマート」の整備が先決でしょう。マンションだけ建ててもコンビニエンスニーズ対応型商業が充実していないと、
都心に住んでいながらデイリーの買い物は車で郊外へ、
という情けない生活になりかねない。
コンパクトシティのテーマの一つ、歩行圏内にコミュニティを構築することが出来ません。
(これはすでに「元気のいい地域」、マンションが続々建設される中心市街地で起きていることです。)

○その2
まちなか居住がどれくらいの期間でどれくらい増えると予測されているのか、ということ自体も興味のあるところですが、いずれにしても中心市街地の商業機能を活性化しようとする取り組みとではタイムテーブルが違い過ぎます。とてもじゃないが、中心市街地活性化は、まちなか居住の進展に依存するような時間的余裕がある問題ではありません。

さらに、所要時間はカッコに入れたとして、居住が増えるのは結構なことかも知れませんが、居住さえ増えればその結果として中心市街地型商業が活性化する、などということはありませんからね。
 中心市街地所在の商業の業容及びキャパは、まちなか居住が進めばその人たちの消費出の受け皿機能を受け持てば何とかなる、というような話ではない、ということはこれまでも繰り返し述べて来たところですが、今一度、あらためて確認してください。
 それでも「人口理論」で行くという人は、まちなか居住がしっかり進んだが商店街は活性化できなかった、という事例はとっくにに出ていますからチェックされたらどうでしょうか。
そうそう、先に書いた「コンビニエンスマート」は整備しておかないとせっかく開発したマンションが売れないかも知れませんからね。
もし、TMOでマンション開発などと考えておられるところがあれば、コンビニエンスニーズの買い物行き先が「まちなかに」きちんとそろっているかどうか、まずそちらを考えてみる、もし不十分ならこちらを整備することが先決ではないでしょうか。
そうすると「中心市街地原住民」も助かります。
 中心市街地、スーパーマーケットが撤退、居住者は商店主を始め郊外のSCとコンビニで買い物をまかなっているような居住環境にあるところが、居住促進などとは片腹痛いのです(笑

○風が吹けば桶屋は儲かるか

風が吹けばほこりが立つ、に始まって、
ネズミが増えて・桶をかじる 
桶の修理・買い換え需要が増え
桶屋が儲かる、
・・・というご存じ話。

 人口が増えれば商店街が活性化する というのも全くよく似た話でありまして。
人口が増える
(人は買い物しないと生きていけない)
近くに商店街がある
新人口が商店街に買い物に行く
商店街が繁盛する
・・・というお話です。

※買い物する人の法則
その1 商 品
①売られていないものは買うことが出来ない
②複数売られていると選択しないと買えない

その2 買い物行き先
①売ってる店がないと買い物できない
②複数あると選択しないと出かけられない
を前提に考えれば、
①需要側:商店街の近くに引っ越してきた人が商店街で買い物をするとは限らない。
②供給側:新人口を対象に商売替えしようと思ってもどう変えたらいいのか、分からない。
人口が増えたからといってそれが原因で商店街が活性化するということはありません。

では、新しい人口をねらった新規出店はどうか?
時と場所によっては成功するでしょうが、
①地元人口をねらえばほとんどが「コンビニエンスニーズ」対応型になる。
これでは中心商店街のキャパは埋められない。
②広域集客をねらう店が単独で出店すれば孤軍奮闘、アクセス不備にたたられるから敬遠される。
なかなか全体に波及する、とは行きません。
 中心市街地に人口を増やせばとか、人通りを増やせばとかのアイデアは、「風が増えば桶屋が儲かる」に等しいレベルかも知れません。
実際に自店を繁盛させなければいけない人は人口理論などに依拠しないよ~に、といってもなかなか効き目がないのは、有効/無効というレベルではないところで「人口理論」を選択しているからかも知れません。
 人口と買い物客、算定基礎はどちらも同じ生身の人間ということで短絡させがちですが、これは本来全然関係のない概念だと考えた方がよろしい。

○「人口依存理論」は活性化の敵(笑

 個店にとって:
うちの街は人口が少ない。(これは人口50万以下の街の人で「人口理論」を信じている人たちが必ず口にすることば)
いろんな人が少しずつ住んでいるから、売り上げを作るためには、
①いろんな人向きの商品をあれこれと
②少しずつ在庫しないといけない
③メーカー、問屋も「多品種少量」と言ってるし
ということで、
④狭い店内にめいっぱい、在庫を並べます。
そうしますと、誰から見ても
⑤いろいろあるけど、私好みは少ないなぁ という店になってしまいます。おまけに
⑥ありとあらゆる場所に在庫を詰め込んでいるため、商品選びが大変です。そこで買わずに退散する口実として
⑦「商品はこれだけですか?」と聞いたりします。さあ、大変。
⑧これだけ詰め込んでいるのに「これだけですか」だって! これでも足りないのか・・・、と店主さんは意気消沈・・・。

 そこへコンサルタントとか称するど素人(takeoとか)がやってきて、「什器を減らして接待用のテーブル・いすを置け」などとエラソ~に言ったりしますと。(ホントに言うんですよ)
なにを、このど素人が! うちのお客は今でも在庫が足りないと言ってるんだよぉ!大体おまえの話は人口の多いとこの話なんだよ、こんな人口少ないとこじゃ通用しっこないんだ、だいたいそんなことも分からないでよくコンサルタントとかいってられよなぁ、このボケぇ!。
と考えられたのかどうか知りませんが、なかなか什器・在庫減らしには頑強な〈て~こ~せ~りょく〉があります。

 何をおっしゃるやら(笑
①「商品、これだけですかぁ」っつ~のは「気に入った商品が無いから、買わずに帰るけど、悪く思わないでね~」と言われれてるんだろ~がぁ! (笑
②だいたいだなぁ、狭い店内にぎゅ~ぎゅ~在庫を押し込んでおいてだなぁ、それをお客がぜ~んぶ見てくれるとでも思ってるのかぁああああ!
③持ち越し在庫の陰に新商品が隠れてますって。何だ、全店、去年の在庫を2階から降ろしてきただけじゃん とか思われてませんかぁ(笑
 ということで、人口相手に商売しているお店は、こ~ゆ~羽目に陥ってしまいかねません。

 商店街の場合。
①人口が少ない上に郊外にSCその他出てきて、人通りが少なくなった。
②昔、繁盛していたころの人通りは半端じゃなかった。人通りさえ増えればまた繁盛してみせる ということで。
③中心市街地に住む人が増えれば人通りが増える
④中心市街地に会社が増えれば人通りが増える
⑤中心市街地に学校・病院・市役所・県庁・首都・国連本部その他何でも誘致すれば人通りが増える
⑥イベントをすれば人通りが増える
ということで、力の及ぶ限り頑張ってみるわけですが、
もともと「買い物行き先」としてのリストからハズされたから、買い物客が来なくなっているわけですから、人が増えた、人が歩いた、ということで活性化するはずもありません。

 にもかかわらず。「人口依存」派のみなさんは。
「わ~、これでもまだ人口が足りない!」といつまで経っても人口のせいにする。
あのさ、郊外のSCってそ~ゆ~泣き言を言いながら出店してきてるんですかぁ?
 ということで、小売業は人口相手、人出・店前通行量相手の商売だと思いこんでいる「人口理論」派は、自店・まちの業績不振を自分の力ではど~にもできない人口や通行量などのせいにして、他力本願、自分の店のシャッターの内側は「不可侵」となっている。
実はこの「不可侵」と言うところに「人口理論」蔓延の秘密が隠されているのではないか?
そうそう、「人口理論」派の起死回生の策、コンパクトシティについては、ちょっとこちらをみてください。
http://www.quolaid.com/cgi/j-forum/wforum2.cgi?no=1246&reno=1242&oya=1242&mode=msgview&page=0

では次に。
このような実効力のない「理論」に基づく考え方が、なぜ現場で勢いを持っているのか? 考えてみることにします。

○ 長 所 
「人口理論」、流布し支持されているについては、それなりの理由がありますね。もちろん。
そうでなければ「そろばん」を弾くのが商売の商店主方に受け入れられるハズがない。
その最大の要因は、
「波風が立たない」ということでしょうか。
 たとえば、売れないのはあなたの店のあり方がお客のニーズとミスマッチを起こしているからだ、と言われたら「なにを!」むかつく人がいることでしょう。特に「人口が少ないから売れない」と考えている人は)
こちらは一般論で言ったつもりが、ある人から自店がけなされた、と受け取られたり。よくある話です。

 商店街は地縁関係、好きでも嫌いでもずう~っといっしょに暮らしていく宿命?ですから、波風は立てない、というのはとても合理的な処世だと思います。
しかし、それは商店街という好立地でずうっとおいしい商売を続けていける、という条件があってはじめて成立する処世ではないでしょうか。波風さえ起こさなければここでおいしい商売が続けられて一族安泰だ、ということがあってはじめて、波風は立てない、ということが合理的な選択になります。
商店街全盛時代、波風さえ立てなければ商売繁盛は約束されていましたからね。

 成立条件が無くなっているにもかかわらず、いったん出来上がった不文律は自分からはなかなか退場しません。
はじめは合理的選択、やがてならい性となった「波風を立てない」というライフスタイルは、成立の根拠が消滅した後も自立自存しています。状況は変わり・繁盛は危うくなってもライフスタイルは残存、事情はどうであれ波風は立てない。

 そうしますと。
商店街活性化に取り組むにあたっても「波風は立てない」ということが、最高とまではいかないにしても、結構重たい規範になる。
活性化にどう取り組むか、という論議の最中に波風防止を念頭に置けば、「個店の責任だ」などという〈暴言〉はとうてい口に出せませんん。
いきおい、人口のせい、通行量のせい、という考え方が支持される、ということが考えられます。

 多くの出席者にとって、会議のテーマの背後には常に、「ただし、波風を立てないこと」が潜んでいるのではないか。「活性化策の案出」においても、ついつい、この「波風防止」原理が優先してしまう。
そうしますと、結果不透明な新たな挑戦より、結果見え見えの前例の方がまし、ということも起こりかねません。

ここに「人口理論」につけ込まれる大きな弱点がある。

「波風防止」という原理原則を基準にすると、「人口理論」は大きな長所を持っています。どれだけ強調しても出席者の誰一人として、気に障る、むかつく、ということがありません。これは大きな長所ですね。
「人口理論」を唱えている限り、けして波風は起こりません。
「違うだろう」と感じている人がいるのですが、大勢は「波風反対」がいやと言うほど刷り込まれており、たとえ意義を唱えても同調を得られ、大勢が覆る可能性はきわめて低いでしょう。
どうせ発言したところでさざ波が立ってそれでおしまい、と予測がつ来ますから、あほらしくて発言する気になりません。

 「波風防止」を前提に活性化に取り組む場合、人口理論は大変通りがよろしい。もちろん「イベント路線」も同様です。イベントについては「イベントに合わせて各店ではこれこれこういう取り組みを」などという指令は当然御法度。
「みなさんはもちろん商売のプロ、人集めは組合で取り組むので集まった人を自店のお客にするのはみなさんの腕ですよ」ということでしゃんしゃん。

今日の会議も波風なく終わったな~、と。

 効果が無いことが明々白々となっている「人口理論」ですが、いつまでも商店街に残存しているについてはこのような事情が考えられますね。


○空気が支配する「波風禁圧」風土

 「人口理論」で取り組んできたが、成果は上がりませんでした。
もはや、繁盛=自店のレジがじゃんじゃん音を立てる、という状況を作り出すためには「相当」のことをやらなければならない、というところまで来ました。
波風が立つことにびびってばかりではお店の存続が危うい。
「波風防止」と「商売繁盛」、両立が難しくなっています。

 一時的に波風が起きたとしても、「商売繁盛」への道を探るのか?
商売繁盛を危機にさらしても「波風防止」を優先させるのか?

 ところが、そこで考えなければならないのが「空気」というやっかいな存在です。
「波風禁圧」、「孤立」を極端に嫌う風土においては「波風禁圧」「大勢に従う」という不文律が生まれ、支配します。
様々な発言が交わされるに先だって会議の「空気」が決まっている。
結論はもちろんまだ決まっていませんが、「空気で決まる」ということを原理原則にする、ということは暗黙のご了解です。

 「空気原理」には「何が言われたかより、誰が言ったかで話は決まる」という〈法則〉がありまして、つまりは「長」が何を言うか、ということですね。
だって、長の発言に逆らえば即「波風」ですからね。これは「空気」に逆らうことですから(発言内容の検討は抜きで)意見そのものが無かったことにされてしまったりする。
というような経験を2,3度味わうとたいていの人がもういいや、となってしまい、発言無し、出席無し、ただし決まったことには従いますんで、ということで、繁盛実現に向けて切迫しているにも関わらず若手が活動を断念してしまう。
これは厳しく・寂しいことですね。

 「波風禁圧」という空気の支配をうち破ること。
この空気の存在で利益を得ている商売人は一人もいないわけですから、空気を打破する道はあるはずです。


○ 長さんの発言
 では長さんは心おきなく自由に発言できるのかと言えば、もちろん、そんなことは全然ありません。
「波風禁圧」という暗黙・鐵のオキテは他の誰よりも長さんを囲繞しているのでありまして、長さん第一の責務は組織に波風を立てないこと。
したがって発言の多くは前例踏襲か、新しいことなら大勢を見極めて、ということになる。
大勢を見極める場合も基準は「波風禁圧」であり、けして大勢=多数意見が採用される、というわけではありません。大勢=「しこりを残さない」ことが第一の基準。
多数意見であっても「波風」が立つようなら押さえ込まなければならない。

かくて。
さまざまのレトリックが用いられます。
http://www.quolaid.com/library/mgbn04/mg040610.htm
 仮にも一組織の長であり、組織については日頃から人一倍、三倍四倍考えておいでです。各種会議にも参加して情報は相対的に豊富。商店街の仲間の店の事情もよく把握していらっしゃる。
昨日と同じことをしていたのでは明日は来ないと言うことも重々承知しているのですが、「波風禁圧」というオキテがある。
長たるもの、これまでの経験で「波風」発生のダイナミックスはいやと言うほど分かっています。

 長さんが「波風禁圧」というオキテに縛られている限り、組織が新しい試みに取り組むということはあり得ません。
長さん自身の意見なんか、「波風」が懸念される場合は真っ先に自制されますからね。このままでは先がない、と分かりつつ・・・。
かくて、商店街・本日も波風無し! 

○これではならじ

 活性化への取り組み、取り組めるところはすいすい前進します。
たとえば、商人塾に取り組んでおいでの商店街のみなさんから「人口理論」など聞いたことがありませんし、長さんや長老さんから「時機未成熟原理」その他の鉄槌が下されることもありません。

もちろんここまで来るについては、いろいろと難儀があったかも知れませんが、とにかく、何でも言ってOK、という組織風土は気持ちがいい。
私など、どこの商店街でもおおむねこういう状況なんだろう、とか思いこんでドジったりするんですけど(笑

○閑話休題。
突破の方法については私などより商人塾を実施されているところの長さんが実践者、話が早いと思います。メル友になるというのも一案ですね。
ここでも質問できるかもです。
http://15kai.quolaid.com/cgi/wforum/wforum.cgi

当社が考える「呪縛を突破するの法」については、この後書き継ぎます。というか、これはモロTMOフォーラムのネタですから、続きはあちらに移します。


○自縄自縛
 商店街によってはまさにこういう状況にあるところも少なくないかも、と思われます。
誰もけして望んでいないのに、あたかも「現状維持」を望みつつかののように、従来通りの事業に取り組みつつ、こと志と違っていっそうの空洞化へ進んでいる・・・・。
実際のところは、商店街の店主・誰一人として現状維持など望んでいないはず、みんな業績向上に向けて何とかしたいと思っているハズです。ところが店と街の実際は・・・。
 誰も望んでいないからこそ、いま採用している道を阻むことが出来ない、という逆説が成り立っているかも知れません。

 このあたり、今回初めて書いてみましたが、「人口依存理論」をかついでいるのはバカ、ということであれば、バカに店づくりの転換が出来るはずがないのでありまして、当社提唱のラグジュアリィな店づくりは机上の空論に終わります。
「人口理論」がなぜまかり通るのか、それが目的合理的な選択であることを理解しておかないと、「転換」に向かう意欲の根源が見あたらないことになります。これは、@商店街の味方のみが発見できる〈根源〉かも知れません。とゆ~か、商店街でふつ~に話していると分かることなんですけど。
 さて、もしだらだらと書き連ねて参りましたこういう状況があるとすれば、「まず商店街が態度を明確にしろ」「何がやりたいのかはっきりしろ」というのは、期待している「行動する商店街」を作り出す方法としては効果があるとは言えないようですね~。
 中心市街地立地の商業は、昔から「まちなか居住者」のニーズに対応することだけを事業目的として立地しているわけではありません。広範囲に居住する人々の「買い回り型ニーズ」を標的に形成されてきたのが中心市街地型商業・専門店群です。
この広域来街機能を再生させる(これが中心市街地活性化の最大の目標です)には、広域に住む人たちが、郊外に乱立するショッピングセンターを横目に、わざわざ・買い物目的で・中心市街地までやってくる・「ショッピングの場」 を実現しなければならない。
これは、そのつもりで本気になって掛からないと実現できない大目標、とうてい、「人出が増えれば何とかなる」というレベルのお話ではありません。

納得出来た人は、人出万能・人口理論派のお話などにはこれを機会にきっぱり絶縁、正しい(笑 活性化への道に一歩踏み出していただきたいものです。

中心市街地に人を増やす?


 中心市街地に「まちなか居住」と言うことでマンションをどんどん建てる。
居住者が増えれば商業は活性化する、という、まあ、ありがちなお話ですが。

中心市街地に居住者が増えれば、
中心市街地を歩く人が増える
商店街にも出かけてくる
ショッピング客が増える
新規入居者増を目当てに新規出店も増える
というのが典型的な「人口理論」流の中心市街地活性化論ですが、そうはいきません。
大きな誤解が二つあると思います。

○その1
まちなか居住を推進したかったら、生活インフラとしての「コンビニエンスマート」の整備が先決でしょう。マンションだけ建ててもコンビニエンスニーズ対応型商業が充実していないと、
都心に住んでいながらデイリーの買い物は車で郊外へ、
という情けない生活になりかねない。
コンパクトシティのテーマの一つ、歩行圏内にコミュニティを構築することが出来ません。
(これはすでに「元気のいい地域」、マンションが続々建設される中心市街地で起きていることです。)

○その2
まちなか居住がどれくらいの期間でどれくらい増えると予測されているのか、ということ自体も興味のあるところですが、いずれにしても中心市街地の商業機能を活性化しようとする取り組みとではタイムテーブルが違い過ぎます。とてもじゃないが、中心市街地活性化は、まちなか居住の進展に依存するような時間的余裕がある問題ではありません。

さらに、所要時間はカッコに入れたとして、居住が増えるのは結構なことかも知れませんが、居住さえ増えればその結果として中心市街地型商業が活性化する、などということはありませんからね。
 中心市街地所在の商業の業容及びキャパは、まちなか居住が進めばその人たちの消費出の受け皿機能を受け持てば何とかなる、というような話ではない、ということはこれまでも繰り返し述べて来たところですが、今一度、あらためて確認してください。
 それでも「人口理論」で行くという人は、まちなか居住がしっかり進んだが商店街は活性化できなかった、という事例はとっくにに出ていますからチェックされたらどうでしょうか。
そうそう、先に書いた「コンビニエンスマート」は整備しておかないとせっかく開発したマンションが売れないかも知れませんからね。
もし、TMOでマンション開発などと考えておられるところがあれば、コンビニエンスニーズの買い物行き先が「まちなかに」きちんとそろっているかどうか、まずそちらを考えてみる、もし不十分ならこちらを整備することが先決ではないでしょうか。
そうすると「中心市街地原住民」も助かります。
 中心市街地、スーパーマーケットが撤退、居住者は商店主を始め郊外のSCとコンビニで買い物をまかなっているような居住環境にあるところが、居住促進などとは片腹痛いのです(笑

○風が吹けば桶屋は儲かるか

風が吹けばほこりが立つ、に始まって、
ネズミが増えて・桶をかじる 
桶の修理・買い換え需要が増え
桶屋が儲かる、
・・・というご存じ話。

 人口が増えれば商店街が活性化する というのも全くよく似た話でありまして。
人口が増える
(人は買い物しないと生きていけない)
近くに商店街がある
新人口が商店街に買い物に行く
商店街が繁盛する
・・・というお話です。

※買い物する人の法則
その1 商 品
①売られていないものは買うことが出来ない
②複数売られていると選択しないと買えない

その2 買い物行き先
①売ってる店がないと買い物できない
②複数あると選択しないと出かけられない
を前提に考えれば、
①需要側:商店街の近くに引っ越してきた人が商店街で買い物をするとは限らない。
②供給側:新人口を対象に商売替えしようと思ってもどう変えたらいいのか、分からない。
人口が増えたからといってそれが原因で商店街が活性化するということはありません。

では、新しい人口をねらった新規出店はどうか?
時と場所によっては成功するでしょうが、
①地元人口をねらえばほとんどが「コンビニエンスニーズ」対応型になる。
これでは中心商店街のキャパは埋められない。
②広域集客をねらう店が単独で出店すれば孤軍奮闘、アクセス不備にたたられるから敬遠される。
なかなか全体に波及する、とは行きません。
 中心市街地に人口を増やせばとか、人通りを増やせばとかのアイデアは、「風が増えば桶屋が儲かる」に等しいレベルかも知れません。
実際に自店を繁盛させなければいけない人は人口理論などに依拠しないよ~に、といってもなかなか効き目がないのは、有効/無効というレベルではないところで「人口理論」を選択しているからかも知れません。
 人口と買い物客、算定基礎はどちらも同じ生身の人間ということで短絡させがちですが、これは本来全然関係のない概念だと考えた方がよろしい。

○「人口依存理論」は活性化の敵(笑

 個店にとって:
うちの街は人口が少ない。(これは人口50万以下の街の人で「人口理論」を信じている人たちが必ず口にすることば)
いろんな人が少しずつ住んでいるから、売り上げを作るためには、
①いろんな人向きの商品をあれこれと
②少しずつ在庫しないといけない
③メーカー、問屋も「多品種少量」と言ってるし
ということで、
④狭い店内にめいっぱい、在庫を並べます。
そうしますと、誰から見ても
⑤いろいろあるけど、私好みは少ないなぁ という店になってしまいます。おまけに
⑥ありとあらゆる場所に在庫を詰め込んでいるため、商品選びが大変です。そこで買わずに退散する口実として
⑦「商品はこれだけですか?」と聞いたりします。さあ、大変。
⑧これだけ詰め込んでいるのに「これだけですか」だって! これでも足りないのか・・・、と店主さんは意気消沈・・・。

 そこへコンサルタントとか称するど素人(takeoとか)がやってきて、「什器を減らして接待用のテーブル・いすを置け」などとエラソ~に言ったりしますと。(ホントに言うんですよ)
なにを、このど素人が! うちのお客は今でも在庫が足りないと言ってるんだよぉ!大体おまえの話は人口の多いとこの話なんだよ、こんな人口少ないとこじゃ通用しっこないんだ、だいたいそんなことも分からないでよくコンサルタントとかいってられよなぁ、このボケぇ!。
と考えられたのかどうか知りませんが、なかなか什器・在庫減らしには頑強な〈て~こ~せ~りょく〉があります。

 何をおっしゃるやら(笑
①「商品、これだけですかぁ」っつ~のは「気に入った商品が無いから、買わずに帰るけど、悪く思わないでね~」と言われれてるんだろ~がぁ! (笑
②だいたいだなぁ、狭い店内にぎゅ~ぎゅ~在庫を押し込んでおいてだなぁ、それをお客がぜ~んぶ見てくれるとでも思ってるのかぁああああ!
③持ち越し在庫の陰に新商品が隠れてますって。何だ、全店、去年の在庫を2階から降ろしてきただけじゃん とか思われてませんかぁ(笑
 ということで、人口相手に商売しているお店は、こ~ゆ~羽目に陥ってしまいかねません。

 商店街の場合。
①人口が少ない上に郊外にSCその他出てきて、人通りが少なくなった。
②昔、繁盛していたころの人通りは半端じゃなかった。人通りさえ増えればまた繁盛してみせる ということで。
③中心市街地に住む人が増えれば人通りが増える
④中心市街地に会社が増えれば人通りが増える
⑤中心市街地に学校・病院・市役所・県庁・首都・国連本部その他何でも誘致すれば人通りが増える
⑥イベントをすれば人通りが増える
ということで、力の及ぶ限り頑張ってみるわけですが、
もともと「買い物行き先」としてのリストからハズされたから、買い物客が来なくなっているわけですから、人が増えた、人が歩いた、ということで活性化するはずもありません。

 にもかかわらず。「人口依存」派のみなさんは。
「わ~、これでもまだ人口が足りない!」といつまで経っても人口のせいにする。
あのさ、郊外のSCってそ~ゆ~泣き言を言いながら出店してきてるんですかぁ?
 ということで、小売業は人口相手、人出・店前通行量相手の商売だと思いこんでいる「人口理論」派は、自店・まちの業績不振を自分の力ではど~にもできない人口や通行量などのせいにして、他力本願、自分の店のシャッターの内側は「不可侵」となっている。
実はこの「不可侵」と言うところに「人口理論」蔓延の秘密が隠されているのではないか?
そうそう、「人口理論」派の起死回生の策、コンパクトシティについては、ちょっとこちらをみてください。
http://www.quolaid.com/cgi/j-forum/wforum2.cgi?no=1246&reno=1242&oya=1242&mode=msgview&page=0

では次に。
このような実効力のない「理論」に基づく考え方が、なぜ現場で勢いを持っているのか? 考えてみることにします。

○ 長 所 
「人口理論」、流布し支持されているについては、それなりの理由がありますね。もちろん。
そうでなければ「そろばん」を弾くのが商売の商店主方に受け入れられるハズがない。
その最大の要因は、
「波風が立たない」ということでしょうか。
 たとえば、売れないのはあなたの店のあり方がお客のニーズとミスマッチを起こしているからだ、と言われたら「なにを!」むかつく人がいることでしょう。特に「人口が少ないから売れない」と考えている人は)
こちらは一般論で言ったつもりが、ある人から自店がけなされた、と受け取られたり。よくある話です。

 商店街は地縁関係、好きでも嫌いでもずう~っといっしょに暮らしていく宿命?ですから、波風は立てない、というのはとても合理的な処世だと思います。
しかし、それは商店街という好立地でずうっとおいしい商売を続けていける、という条件があってはじめて成立する処世ではないでしょうか。波風さえ起こさなければここでおいしい商売が続けられて一族安泰だ、ということがあってはじめて、波風は立てない、ということが合理的な選択になります。
商店街全盛時代、波風さえ立てなければ商売繁盛は約束されていましたからね。

 成立条件が無くなっているにもかかわらず、いったん出来上がった不文律は自分からはなかなか退場しません。
はじめは合理的選択、やがてならい性となった「波風を立てない」というライフスタイルは、成立の根拠が消滅した後も自立自存しています。状況は変わり・繁盛は危うくなってもライフスタイルは残存、事情はどうであれ波風は立てない。

 そうしますと。
商店街活性化に取り組むにあたっても「波風は立てない」ということが、最高とまではいかないにしても、結構重たい規範になる。
活性化にどう取り組むか、という論議の最中に波風防止を念頭に置けば、「個店の責任だ」などという〈暴言〉はとうてい口に出せませんん。
いきおい、人口のせい、通行量のせい、という考え方が支持される、ということが考えられます。

 多くの出席者にとって、会議のテーマの背後には常に、「ただし、波風を立てないこと」が潜んでいるのではないか。「活性化策の案出」においても、ついつい、この「波風防止」原理が優先してしまう。
そうしますと、結果不透明な新たな挑戦より、結果見え見えの前例の方がまし、ということも起こりかねません。

ここに「人口理論」につけ込まれる大きな弱点がある。

「波風防止」という原理原則を基準にすると、「人口理論」は大きな長所を持っています。どれだけ強調しても出席者の誰一人として、気に障る、むかつく、ということがありません。これは大きな長所ですね。
「人口理論」を唱えている限り、けして波風は起こりません。
「違うだろう」と感じている人がいるのですが、大勢は「波風反対」がいやと言うほど刷り込まれており、たとえ意義を唱えても同調を得られ、大勢が覆る可能性はきわめて低いでしょう。
どうせ発言したところでさざ波が立ってそれでおしまい、と予測がつ来ますから、あほらしくて発言する気になりません。

 「波風防止」を前提に活性化に取り組む場合、人口理論は大変通りがよろしい。もちろん「イベント路線」も同様です。イベントについては「イベントに合わせて各店ではこれこれこういう取り組みを」などという指令は当然御法度。
「みなさんはもちろん商売のプロ、人集めは組合で取り組むので集まった人を自店のお客にするのはみなさんの腕ですよ」ということでしゃんしゃん。

今日の会議も波風なく終わったな~、と。

 効果が無いことが明々白々となっている「人口理論」ですが、いつまでも商店街に残存しているについてはこのような事情が考えられますね。


○空気が支配する「波風禁圧」風土

 「人口理論」で取り組んできたが、成果は上がりませんでした。
もはや、繁盛=自店のレジがじゃんじゃん音を立てる、という状況を作り出すためには「相当」のことをやらなければならない、というところまで来ました。
波風が立つことにびびってばかりではお店の存続が危うい。
「波風防止」と「商売繁盛」、両立が難しくなっています。

 一時的に波風が起きたとしても、「商売繁盛」への道を探るのか?
商売繁盛を危機にさらしても「波風防止」を優先させるのか?

 ところが、そこで考えなければならないのが「空気」というやっかいな存在です。
「波風禁圧」、「孤立」を極端に嫌う風土においては「波風禁圧」「大勢に従う」という不文律が生まれ、支配します。
様々な発言が交わされるに先だって会議の「空気」が決まっている。
結論はもちろんまだ決まっていませんが、「空気で決まる」ということを原理原則にする、ということは暗黙のご了解です。

 「空気原理」には「何が言われたかより、誰が言ったかで話は決まる」という〈法則〉がありまして、つまりは「長」が何を言うか、ということですね。
だって、長の発言に逆らえば即「波風」ですからね。これは「空気」に逆らうことですから(発言内容の検討は抜きで)意見そのものが無かったことにされてしまったりする。
というような経験を2,3度味わうとたいていの人がもういいや、となってしまい、発言無し、出席無し、ただし決まったことには従いますんで、ということで、繁盛実現に向けて切迫しているにも関わらず若手が活動を断念してしまう。
これは厳しく・寂しいことですね。

 「波風禁圧」という空気の支配をうち破ること。
この空気の存在で利益を得ている商売人は一人もいないわけですから、空気を打破する道はあるはずです。


○ 長さんの発言
 では長さんは心おきなく自由に発言できるのかと言えば、もちろん、そんなことは全然ありません。
「波風禁圧」という暗黙・鐵のオキテは他の誰よりも長さんを囲繞しているのでありまして、長さん第一の責務は組織に波風を立てないこと。
したがって発言の多くは前例踏襲か、新しいことなら大勢を見極めて、ということになる。
大勢を見極める場合も基準は「波風禁圧」であり、けして大勢=多数意見が採用される、というわけではありません。大勢=「しこりを残さない」ことが第一の基準。
多数意見であっても「波風」が立つようなら押さえ込まなければならない。

かくて。
さまざまのレトリックが用いられます。
http://www.quolaid.com/library/mgbn04/mg040610.htm
 仮にも一組織の長であり、組織については日頃から人一倍、三倍四倍考えておいでです。各種会議にも参加して情報は相対的に豊富。商店街の仲間の店の事情もよく把握していらっしゃる。
昨日と同じことをしていたのでは明日は来ないと言うことも重々承知しているのですが、「波風禁圧」というオキテがある。
長たるもの、これまでの経験で「波風」発生のダイナミックスはいやと言うほど分かっています。

 長さんが「波風禁圧」というオキテに縛られている限り、組織が新しい試みに取り組むということはあり得ません。
長さん自身の意見なんか、「波風」が懸念される場合は真っ先に自制されますからね。このままでは先がない、と分かりつつ・・・。
かくて、商店街・本日も波風無し! 

○これではならじ

 活性化への取り組み、取り組めるところはすいすい前進します。
たとえば、商人塾に取り組んでおいでの商店街のみなさんから「人口理論」など聞いたことがありませんし、長さんや長老さんから「時機未成熟原理」その他の鉄槌が下されることもありません。

もちろんここまで来るについては、いろいろと難儀があったかも知れませんが、とにかく、何でも言ってOK、という組織風土は気持ちがいい。
私など、どこの商店街でもおおむねこういう状況なんだろう、とか思いこんでドジったりするんですけど(笑

○閑話休題。
突破の方法については私などより商人塾を実施されているところの長さんが実践者、話が早いと思います。メル友になるというのも一案ですね。
ここでも質問できるかもです。
http://15kai.quolaid.com/cgi/wforum/wforum.cgi

当社が考える「呪縛を突破するの法」については、この後書き継ぎます。というか、これはモロTMOフォーラムのネタですから、続きはあちらに移します。


○自縄自縛
 商店街によってはまさにこういう状況にあるところも少なくないかも、と思われます。
誰もけして望んでいないのに、あたかも「現状維持」を望みつつかののように、従来通りの事業に取り組みつつ、こと志と違っていっそうの空洞化へ進んでいる・・・・。
実際のところは、商店街の店主・誰一人として現状維持など望んでいないはず、みんな業績向上に向けて何とかしたいと思っているハズです。ところが店と街の実際は・・・。
 誰も望んでいないからこそ、いま採用している道を阻むことが出来ない、という逆説が成り立っているかも知れません。

 このあたり、今回初めて書いてみましたが、「人口依存理論」をかついでいるのはバカ、ということであれば、バカに店づくりの転換が出来るはずがないのでありまして、当社提唱のラグジュアリィな店づくりは机上の空論に終わります。
「人口理論」がなぜまかり通るのか、それが目的合理的な選択であることを理解しておかないと、「転換」に向かう意欲の根源が見あたらないことになります。これは、@商店街の味方のみが発見できる〈根源〉かも知れません。とゆ~か、商店街でふつ~に話していると分かることなんですけど。
 さて、もしだらだらと書き連ねて参りましたこういう状況があるとすれば、「まず商店街が態度を明確にしろ」「何がやりたいのかはっきりしろ」というのは、期待している「行動する商店街」を作り出す方法としては効果があるとは言えないようですね~。
 中心市街地立地の商業は、昔から「まちなか居住者」のニーズに対応することだけを事業目的として立地しているわけではありません。広範囲に居住する人々の「買い回り型ニーズ」を標的に形成されてきたのが中心市街地型商業・専門店群です。
この広域来街機能を再生させる(これが中心市街地活性化の最大の目標です)には、広域に住む人たちが、郊外に乱立するショッピングセンターを横目に、わざわざ・買い物目的で・中心市街地までやってくる・「ショッピングの場」 を実現しなければならない。
これは、そのつもりで本気になって掛からないと実現できない大目標、とうてい、「人出が増えれば何とかなる」というレベルのお話ではありません。

納得出来た人は、人出万能・人口理論派のお話などにはこれを機会にきっぱり絶縁、正しい(笑 活性化への道に一歩踏み出していただきたいものです。

人 口 依 存 派 批 判

小売業はお客の生活に必要な材料を提供することを事業機会としています。有店舗小売業の場合、お客は「地元・周辺住民」であることが多いことから、客数は人口に比例するとか、人口の多いところが好立地 などという[迷信]がはびこっています。
お店の客数・売り上げと周辺人口には因果関係は無い、にもかかわらず、多くの経営者が「人口神話」に陥っている。

また、中心市街地の商業活性化論において、
○中心市街地に居住する人口を増やす施策を講じろ
○中心市街地に(買い物以外の目的で)来訪する人口を増やせ
そうすれば、商店街は活性化する、などという
○論理的には最初から破綻しており、
○全国に一カ所も成功事例のない
「人口依存型活性化策」を振り回す傾向も、この期に及んで、依然として減少しておりません。

これら、小売業は人口相手の商売である、という迷信を、簡便のため、「人口依存理論」と呼び、上記のような主張をする人たちを「人口依存派」と呼ぶことにします。
これは当サイトで開発したコトバですから、よそで使っても通用しませんので、その点ご注意ください。

人口依存派。
中心市街地活性化レベルでは「中心市街地活性化への道」を阻み、「個店の活性化」レベルでは「繁盛店への転換」を阻害する
百害あって一利も、一理もない路線だと思います。

中心市街地も個店も、一日も早く「人口依存理論」に決別しないと、せっかくの活性化へのチャンスを棒に振ってしまうことになります。
と、分かってはいても決別できないのが「人口理論」かも知れません。

「人口依存は繁盛の敵(笑」
以下、その理由を説明し、出来れば「脱却の方法」を提案したいと思います。

○人口相手に商売が出来るか

 私はこれまで、居住人口3,000人という○○村から500,000人の××市まで、様々な規模の市町村において主として商業・地域産業の振興に関する取り組みの支援に携わって来ました。
多くの都市で冒頭まず表明されるのが「うちは人口が少ない」という認識です。人口の多少について客観的な基準はありませんから、これはもっぱら当事者の主観ですね。ところが。
「人はイメージに基づいて行動する」という鉄則がありまして。
「人口が少ない、少なすぎる」という主観を持っていると、これが行動の基準になってしまいます。
中心市街地活性化、地域商業活性化といった課題では、二言目には「商圏人口が少ないから・・・」正論は通らない、とアタマから思いこんでしまっている。
こういうコトバが発せられる背景には、「商業は人口相手の商売」という発想が潜んでいますから、「人口が少なくて・・」と言ったとたん、全く知恵が出なくなってしまいます。

「人口依存派」派の経営戦略:

1 個店の場合
(1)人口が少なく、売り上げを作るのは大変だ。
  ①うちの商圏にはいろんな人が少しずつ住んでいる。
  ②売り上げを作るには、なるべくいろんな人に来てもらわなければならない。
  ③いろんな人に合う商品をそろえておくことが大事だ
(2)限られた店舗規模で、人口理論に基づく店づくりをするためには
  ①いろいろな傾向の商品を少しずつ品揃えしなければならない。
(マスコミも多品種少量とか言ってるし)
  ②幸い、取引先が業種メーカー、業種問屋だから同じ品種のアイテムならピンからキリまでそろっちゃう
  ③ということで、狭い店内になるべくたくさん詰め込む、という店づくりが出来上がる
  ④これが習慣となり、店内にちょっとでもスペースが空くと「お客に商品が少ないと思われるのではないか」と不安に駆られ
  ⑤何が何でも商品をめいっぱい詰め込んでおく

 さて、お客は自分の生活に必要な材料を手に入れるために来店するのですから、お客にとって切実な問題は「自分の生活を作る材料として適切な商品があるか否か」「納得できる選択肢の中から吟味・納得出来る商品を手に入れられるか否か」ということです。
このような問題意識を持っているお客が人口理論に基づいて作られているお店を訪れると、どう感じるか?
端的に言って「いろいろあるけど、私がための店じゃない」ということではないでしょうか。
 それも特定のお客にそう思われるのなら、これは当然のことですが、人口依存派のお店の場合、来る客、来る客、すべてにそう思われてしまうのです。

 一渡りチェックしたお客は「商品はこれだけですか」と質問します。
「いろんな人の好みに対応しようと」一所懸命の店主にこの言葉はグサッと突き刺さります。「これだけ詰め込んでいてもまだ不足か!」
と。
お客にしてみれば、今日の来店目的である、たとえば夏物ブラウスの自分好みのデザイン、色柄、価格など、「選択肢」がきわめて少ないので「これだけですか」と質問したのに店主さんは「お宅の品揃えはトータルこれだけなんですか」と言われたと勘違いしてしまう。
「これでも満足してくれないのか・・・」
満足するわけがない。

 「お客を絞り込め? そんなことは人口の多いところの話、ここらじゃ全部の人口を相手にしないとやってけないんだよ!」と言うのは典型的な「人口理論」派のみなさんの逃げ口上です。
では、あなたのお店が考える適正人口ってどれくらいですか?
そう言う条件がもしあったとして、そこであなた、どんな店づくりをするんですか?
もちろん答えは返ってきません。

 人口が多ければ、いろんな人向けの品揃えをしているわけですから、そのままでいいんじゃないの、今より売り上げ伸びるんじゃありません?

 ところでみなさんのお店にショッピングに来るのは、「人口の一部」ですか?
それともお客さんですか?


○「人口」と「お客」の接点

 「うちのお客は、商圏人口の一部だよ、あったり前じゃん・バカ」
と思った人は、
「人にバカという方がバカ」
である、という古今の鉄則を思い出しましょう(笑

それでは本論。「人口」から自店の「お客」を導くことが出来るか否か。
検討してみましょう。
手続きとしては、「人口」という総数からブレイクダウンして、「自店のお客」にたどり着くことが出来るかどうか、ということを検討してみます。ま、答えは目の前に転がっていますけどね。

 たとえば「行政人口」を腑分けしていきますと。
性 別
年齢別
居住地域別
職業別
などに区分することが出来ます。

これらの区分をいろいろ工夫することで、「自店のお客」に至ることが出来るでしょうか?
出来ませんよね。
強いて「人口」と「お店のお客」を関連づけようとすれば、
人口=うちのお店のお客+うちのお店のお客ではない人 ということでしょう。人口とお客の関係はこれ以外にはありません。
さらに言えば、この関係は世界中に敷衍することが出来るのでありまして、世界中の人口は、
自店のお客とそうでない人に区分することが出来る。
ということで、一定の地域の「人口」とお店の客を関連づけて考えるのは無意味なことですね。

○「商圏人口」

 これまたしっかり考えないと役に立たないアプローチです。
慣行理論では:
商 圏:当店の来店客の○%が居住している区域 とか、競合との力関係が拮抗する線の内側、などと定義されているようです。
「お店のお客」は「あなたのお店のお客だから・あなたのお店のお客」なのでありまして、住んでいる地域などには関係ありません。
あそこの地域に住んでいるお客○名とこちらに住んでいるお客○○名・・・・合計したらあなたのお店のお客(固定客としてもよい)の総数が算定されます。
この人数は、お客の総数が住んでいる範囲内の総人口と何か関係がありますか?
あるという人、どんな関係があると思うんですか?
ということで、「商圏人口」などというものは、数字として出すことはもちろん出来ますが、商売とはなんの関係もない数字ですね。

○占有率

 これも定義を確認して、じっくり眺めるとその空虚さ加減がよく分かる。
 中心市街地の商業は、全消費支出の10%でやっていける。
それぐらいは取れるだろうという「提案」例を読んだことがありますが、もしそのようなアプローチを取るとすれば、
①消費支出の各項目に対応する売り場が中心市街地にあるのかないの  か?
②売り場の「魅力」は域内の各集積と比較してどうか?
ということが当然問題になります。
商圏の線引きをして消費支出を積算、占有率を想定して目標売り上げを決める。
 きょうび、こういうアプローチは、実務の世界には無いでしょうね。
売り上げ予測は「積み上げ」ていく以外の方法は全部デタラメではないでしょうか。「数式」などに惑わされないこと。
主流経済学をはじめ、社会学方面で数式をもてあそぶのは全部〈インチキ〉と決まっています(笑

○いわゆる「社会科学」のまやかし

 社会科学と称される領域には、自然科学の方法をパクって、
「人はイメージに基づいて行動する」・人々の行動の総体という一面を持つ社会現象を、人々の意識とは無関係に・意識や恣意性を除外して説明し・予測する方法を追求してきました。
これから起こることを起こる前に知りたい、というのは人間にとって基本的な性行でしょうから、明日世の中はどうなるのか、有象無象の動向に左右されることなく前もって知りたい、というのは人情というものです。

 正確に予測するためには、個々人の思惑などには関係なく貫徹する「社会法則」を発見すればよろしい。「人はイメージに基づいて行動」しているつもりでも、実はその背後では「法則」が支配しているのだ、というレトリック。関係する個々人がなにをどう考え・どう行動しようとも、その総体は(マクロで見れば)こういう法則のもとにあるのだ、ということになります。
「ハフモデル」などはその見事な一例です。
http://www.quolaid.com/city/city126.htm
http://www.quolaid.com/city/city125.htm
(この手の算式は重力の法則のパクリですからね。)

 もっとすごいところでは、主流派経済学の「均衡価格」。
理論を完成させたワルラスという先生は、当時日進月歩だった物理学をパクリ、物理学者の助言を得ながら理論を完成させたそうです。以来、理論の欠陥については様々なレベルで指摘されていますが、対策は備峰策ばかり、基本的な欠陥はずうっと引き継がれています。
余談ですが、私は「人はイメージに基づいて行動する」ことを学の構成から取っ払っている主流派経済学(「マルクス主義」を含む)が、大嫌いなので、経済学の悪口はいくらでも言えるのです(笑、同好の人は【吶 喊】へどうぞ。
ただし目下開店休業中、新しい燃料は補給はしていません。

○人出と来店客数

 商店街が一念発起、ショッピングモールを目指したとします。
テナントミックスの一環=個店の転換であなたのお店と同じ客相をターゲットにしたお店が当然いくつも出現します。
せっかくモールに来たからちょっと楽しんでいこう、と喫茶店、菓子店なども。
そうしますと。

 来街者1が、来店客数3とか5とかになってしまう(笑

これが「集積効果」ということですね。
人口関連でいえば、なんと人口1=客数3。
商店街、いくら人出があっても入ってみたい店がなければ来店客数ゼロであり、あるお店に行くことを目的に来街した人にとって他にいってみたいお店がなければ(有ったとしても知らなかったら)目的の店に行ってそれでおしまいですから、来街者数=来店者数となります。

①きょう日、人出が多いが売り上げはさっぱりという商店街では、
来街客数>入店客数
という関係が生じているはずです。
②他方、人出の少ない商店街は、
来街客数≒来店客数
となっており、しかも来街者が極端に少ない、という状況に陥っているということですね。
①、②ともに、来街客数をアップする施策を講じたとして、それが入店客数や売り上げ増大につながりますか? 

人 口 依 存 派 批 判

小売業はお客の生活に必要な材料を提供することを事業機会としています。有店舗小売業の場合、お客は「地元・周辺住民」であることが多いことから、客数は人口に比例するとか、人口の多いところが好立地 などという[迷信]がはびこっています。
お店の客数・売り上げと周辺人口には因果関係は無い、にもかかわらず、多くの経営者が「人口神話」に陥っている。

また、中心市街地の商業活性化論において、
○中心市街地に居住する人口を増やす施策を講じろ
○中心市街地に(買い物以外の目的で)来訪する人口を増やせ
そうすれば、商店街は活性化する、などという
○論理的には最初から破綻しており、
○全国に一カ所も成功事例のない
「人口依存型活性化策」を振り回す傾向も、この期に及んで、依然として減少しておりません。

これら、小売業は人口相手の商売である、という迷信を、簡便のため、「人口依存理論」と呼び、上記のような主張をする人たちを「人口依存派」と呼ぶことにします。
これは当サイトで開発したコトバですから、よそで使っても通用しませんので、その点ご注意ください。

人口依存派。
中心市街地活性化レベルでは「中心市街地活性化への道」を阻み、「個店の活性化」レベルでは「繁盛店への転換」を阻害する
百害あって一利も、一理もない路線だと思います。

中心市街地も個店も、一日も早く「人口依存理論」に決別しないと、せっかくの活性化へのチャンスを棒に振ってしまうことになります。
と、分かってはいても決別できないのが「人口理論」かも知れません。

「人口依存は繁盛の敵(笑」
以下、その理由を説明し、出来れば「脱却の方法」を提案したいと思います。

○人口相手に商売が出来るか

 私はこれまで、居住人口3,000人という○○村から500,000人の××市まで、様々な規模の市町村において主として商業・地域産業の振興に関する取り組みの支援に携わって来ました。
多くの都市で冒頭まず表明されるのが「うちは人口が少ない」という認識です。人口の多少について客観的な基準はありませんから、これはもっぱら当事者の主観ですね。ところが。
「人はイメージに基づいて行動する」という鉄則がありまして。
「人口が少ない、少なすぎる」という主観を持っていると、これが行動の基準になってしまいます。
中心市街地活性化、地域商業活性化といった課題では、二言目には「商圏人口が少ないから・・・」正論は通らない、とアタマから思いこんでしまっている。
こういうコトバが発せられる背景には、「商業は人口相手の商売」という発想が潜んでいますから、「人口が少なくて・・」と言ったとたん、全く知恵が出なくなってしまいます。

「人口依存派」派の経営戦略:

1 個店の場合
(1)人口が少なく、売り上げを作るのは大変だ。
  ①うちの商圏にはいろんな人が少しずつ住んでいる。
  ②売り上げを作るには、なるべくいろんな人に来てもらわなければならない。
  ③いろんな人に合う商品をそろえておくことが大事だ
(2)限られた店舗規模で、人口理論に基づく店づくりをするためには
  ①いろいろな傾向の商品を少しずつ品揃えしなければならない。
(マスコミも多品種少量とか言ってるし)
  ②幸い、取引先が業種メーカー、業種問屋だから同じ品種のアイテムならピンからキリまでそろっちゃう
  ③ということで、狭い店内になるべくたくさん詰め込む、という店づくりが出来上がる
  ④これが習慣となり、店内にちょっとでもスペースが空くと「お客に商品が少ないと思われるのではないか」と不安に駆られ
  ⑤何が何でも商品をめいっぱい詰め込んでおく

 さて、お客は自分の生活に必要な材料を手に入れるために来店するのですから、お客にとって切実な問題は「自分の生活を作る材料として適切な商品があるか否か」「納得できる選択肢の中から吟味・納得出来る商品を手に入れられるか否か」ということです。
このような問題意識を持っているお客が人口理論に基づいて作られているお店を訪れると、どう感じるか?
端的に言って「いろいろあるけど、私がための店じゃない」ということではないでしょうか。
 それも特定のお客にそう思われるのなら、これは当然のことですが、人口依存派のお店の場合、来る客、来る客、すべてにそう思われてしまうのです。

 一渡りチェックしたお客は「商品はこれだけですか」と質問します。
「いろんな人の好みに対応しようと」一所懸命の店主にこの言葉はグサッと突き刺さります。「これだけ詰め込んでいてもまだ不足か!」
と。
お客にしてみれば、今日の来店目的である、たとえば夏物ブラウスの自分好みのデザイン、色柄、価格など、「選択肢」がきわめて少ないので「これだけですか」と質問したのに店主さんは「お宅の品揃えはトータルこれだけなんですか」と言われたと勘違いしてしまう。
「これでも満足してくれないのか・・・」
満足するわけがない。

 「お客を絞り込め? そんなことは人口の多いところの話、ここらじゃ全部の人口を相手にしないとやってけないんだよ!」と言うのは典型的な「人口理論」派のみなさんの逃げ口上です。
では、あなたのお店が考える適正人口ってどれくらいですか?
そう言う条件がもしあったとして、そこであなた、どんな店づくりをするんですか?
もちろん答えは返ってきません。

 人口が多ければ、いろんな人向けの品揃えをしているわけですから、そのままでいいんじゃないの、今より売り上げ伸びるんじゃありません?

 ところでみなさんのお店にショッピングに来るのは、「人口の一部」ですか?
それともお客さんですか?


○「人口」と「お客」の接点

 「うちのお客は、商圏人口の一部だよ、あったり前じゃん・バカ」
と思った人は、
「人にバカという方がバカ」
である、という古今の鉄則を思い出しましょう(笑

それでは本論。「人口」から自店の「お客」を導くことが出来るか否か。
検討してみましょう。
手続きとしては、「人口」という総数からブレイクダウンして、「自店のお客」にたどり着くことが出来るかどうか、ということを検討してみます。ま、答えは目の前に転がっていますけどね。

 たとえば「行政人口」を腑分けしていきますと。
性 別
年齢別
居住地域別
職業別
などに区分することが出来ます。

これらの区分をいろいろ工夫することで、「自店のお客」に至ることが出来るでしょうか?
出来ませんよね。
強いて「人口」と「お店のお客」を関連づけようとすれば、
人口=うちのお店のお客+うちのお店のお客ではない人 ということでしょう。人口とお客の関係はこれ以外にはありません。
さらに言えば、この関係は世界中に敷衍することが出来るのでありまして、世界中の人口は、
自店のお客とそうでない人に区分することが出来る。
ということで、一定の地域の「人口」とお店の客を関連づけて考えるのは無意味なことですね。

○「商圏人口」

 これまたしっかり考えないと役に立たないアプローチです。
慣行理論では:
商 圏:当店の来店客の○%が居住している区域 とか、競合との力関係が拮抗する線の内側、などと定義されているようです。
「お店のお客」は「あなたのお店のお客だから・あなたのお店のお客」なのでありまして、住んでいる地域などには関係ありません。
あそこの地域に住んでいるお客○名とこちらに住んでいるお客○○名・・・・合計したらあなたのお店のお客(固定客としてもよい)の総数が算定されます。
この人数は、お客の総数が住んでいる範囲内の総人口と何か関係がありますか?
あるという人、どんな関係があると思うんですか?
ということで、「商圏人口」などというものは、数字として出すことはもちろん出来ますが、商売とはなんの関係もない数字ですね。

○占有率

 これも定義を確認して、じっくり眺めるとその空虚さ加減がよく分かる。
 中心市街地の商業は、全消費支出の10%でやっていける。
それぐらいは取れるだろうという「提案」例を読んだことがありますが、もしそのようなアプローチを取るとすれば、
①消費支出の各項目に対応する売り場が中心市街地にあるのかないの  か?
②売り場の「魅力」は域内の各集積と比較してどうか?
ということが当然問題になります。
商圏の線引きをして消費支出を積算、占有率を想定して目標売り上げを決める。
 きょうび、こういうアプローチは、実務の世界には無いでしょうね。
売り上げ予測は「積み上げ」ていく以外の方法は全部デタラメではないでしょうか。「数式」などに惑わされないこと。
主流経済学をはじめ、社会学方面で数式をもてあそぶのは全部〈インチキ〉と決まっています(笑

○いわゆる「社会科学」のまやかし

 社会科学と称される領域には、自然科学の方法をパクって、
「人はイメージに基づいて行動する」・人々の行動の総体という一面を持つ社会現象を、人々の意識とは無関係に・意識や恣意性を除外して説明し・予測する方法を追求してきました。
これから起こることを起こる前に知りたい、というのは人間にとって基本的な性行でしょうから、明日世の中はどうなるのか、有象無象の動向に左右されることなく前もって知りたい、というのは人情というものです。

 正確に予測するためには、個々人の思惑などには関係なく貫徹する「社会法則」を発見すればよろしい。「人はイメージに基づいて行動」しているつもりでも、実はその背後では「法則」が支配しているのだ、というレトリック。関係する個々人がなにをどう考え・どう行動しようとも、その総体は(マクロで見れば)こういう法則のもとにあるのだ、ということになります。
「ハフモデル」などはその見事な一例です。
http://www.quolaid.com/city/city126.htm
http://www.quolaid.com/city/city125.htm
(この手の算式は重力の法則のパクリですからね。)

 もっとすごいところでは、主流派経済学の「均衡価格」。
理論を完成させたワルラスという先生は、当時日進月歩だった物理学をパクリ、物理学者の助言を得ながら理論を完成させたそうです。以来、理論の欠陥については様々なレベルで指摘されていますが、対策は備峰策ばかり、基本的な欠陥はずうっと引き継がれています。
余談ですが、私は「人はイメージに基づいて行動する」ことを学の構成から取っ払っている主流派経済学(「マルクス主義」を含む)が、大嫌いなので、経済学の悪口はいくらでも言えるのです(笑、同好の人は【吶 喊】へどうぞ。
ただし目下開店休業中、新しい燃料は補給はしていません。

○人出と来店客数

 商店街が一念発起、ショッピングモールを目指したとします。
テナントミックスの一環=個店の転換であなたのお店と同じ客相をターゲットにしたお店が当然いくつも出現します。
せっかくモールに来たからちょっと楽しんでいこう、と喫茶店、菓子店なども。
そうしますと。

 来街者1が、来店客数3とか5とかになってしまう(笑

これが「集積効果」ということですね。
人口関連でいえば、なんと人口1=客数3。
商店街、いくら人出があっても入ってみたい店がなければ来店客数ゼロであり、あるお店に行くことを目的に来街した人にとって他にいってみたいお店がなければ(有ったとしても知らなかったら)目的の店に行ってそれでおしまいですから、来街者数=来店者数となります。

①きょう日、人出が多いが売り上げはさっぱりという商店街では、
来街客数>入店客数
という関係が生じているはずです。
②他方、人出の少ない商店街は、
来街客数≒来店客数
となっており、しかも来街者が極端に少ない、という状況に陥っているということですね。
①、②ともに、来街客数をアップする施策を講じたとして、それが入店客数や売り上げ増大につながりますか? 

商業理論は装備してますか?

このたび、各地の中心市街地活性化について研究された専門書を読む機会がありました。(私としては滅多にない機会です)

読んでいて気になったのが、各地の取り組み、いったい商業理論としてはどのようなものを修得・装備しているのだろうか、ということです。

当社はかねてから、
①全盛期と様変わりしている環境において活性化を目指すのなら
②状況を認識し、戦略を構築する基礎となる商業理論を選択し、共有することが不可欠である
③現下、喫緊の課題は理論の修得・共有であると主張しています。
この時期、理論の重要性を認識してその修得を心がけないということはいったい何を意味しているか?

私たちは、物事を考えるにあたっては、けして白紙の状態で考えるわけではありません。私たちの頭は「白紙」で使えるようにはセットされておりません。
常に、これまでに蓄積した知識・情報のうち、「使える」と評価した知識・情報を駆使しながら考えるわけですが、このことを知っているといないとではものすごい差が生じることがある。

一例。
Aさんがいます。Aさんは、何らかの理由で持っている知識がすべて江戸時代のものだったとします。
彼は眼前の状況をすべて自分の知識で理解・判断しようとすることになります。なかなか理解できることは少なく、彼は調査研究が必要だ、と考えることでしょう。しかし、急を要する事態が発生したら、彼はどうするでしょうか。
周りに人がいればその人を見習うことが出来ます。周りの人の行動が信用できないと感じたら、自分のなかに確固としている江戸時代の知識を基準に行動するかも知れません。あるいは、周辺の人の行動と自分の知識を折衷するかも知れません。
もし、事態が切迫していなかったとしたなら、彼は自分の知識と環境のギャップに気がつき、知識と環境をマッチさせるという仕事に取り組むことでしょう。

さて、商業理論の話です。
我々は、知識・理論抜きでは問題解決・目標達成のための行動は出来ません。
我々が目標を達成するためには、
①目標達成に到達するシナリオを考え、
②シナリオを実現していく行動を計画し、
③必要な準備を行い
④計画を実施する
という仕事をしなければならない。
当たり前ですね。

問題は、このすべてのプロセスが「理論」に基づいて行われる、ということを認識しているかどうかということです。これはすぐ分かります。

現在のように環境が激変する中で取り組まれる事業ですから、取り組みが「理論」に基づいて行われるということを認識していれば、自分たちが取り組もうとしている事業はどのような理論に基づいているか、ということを明らかにしなければならない、ということがいやでも分かります。
なぜなら、従来の理論しか考えていない人には、事業の目的や内容が良く理解されないかも知れないからです。
計画などを評価する場合は、その計画がどのような理論に基づいて立てられているのか、分かるような説明がされているか否か、ということをまずチェックしてみるようにしましょう。
この段階で計画策定者の状況が判断できます。

今日私たちは、全国各地の商店街活性化の取り組みについて計画書を読み、実態についての紹介に接したり、あるは現地に視察に出かけたりします。そのとき重要なことは、その取り組みがどのような理論に基づいて取り組まれているのか、ということです。なぜ、このことがそんなに重要なのか?

「活性化事業」の計画の説明において、その根拠としている理論が明らかにされないということは、当の事業を推進している人々にとって、そのような説明は必要がない、と考えられているということであり、さらには、背景の理論は互いに共通していますよね、という暗黙の了解が成立していると判断しているからです。
その理論とは、当然、商店街が自然発生~成長~現在に至る間、使われてきた理論です。それはもちろん、もの不足時代の商品確保、立地選定に始まり、消費財普及時代の商品差別化・店舗面積確保、それらに伴奏するマーケティング技術といったものであり、当時はちゃんとものの役に立ったノウハウの基礎となる理論でした。だからこそ成功体験・成功ノウハウとして今日まで生きながらえている、と見ることも出来ます。

それら、経験的に蓄積された理論には商店街立地の専門店が作り上げたノウハウ・理論もあれば大型店との競争の中で導入した大型店由来のノウハウ・理論もありました。
現在、商店街などが無意識のうちに採用している理論とは、各時代、各業種・業態の経験則の「集大成」ともいうべきものであることを否定する材料はないと思います。
商店街、活性化に取り組むときの計画・行動の基盤となっているのは、過去の経験則の集大成である、ということです。

問題は、当時は影も形もなかった、郊外型ショッピングセンターやカテゴリーキラー、アウトレットなど新しい業態が出現し、商店街は空洞化の一途をたどっている、という時代の商業を理解する道具として、かっての理論・知識・経験で大丈夫だろうか?
ということです。

如何ですか?
皆さん一人一人のこととしてお考えいただきたい。
あなたのお店、あなたの商店街どういう理論を根拠に「繁盛づくり」を構想していますか?
あなたの理論は郊外型商業の成立根拠、ねらい、問題点などをきちんと分析する道具として使い物になりますか?

ということでありまして。
もちろん、上のような作業課題に耐えられない理論がこの時代の中心商店街活性化について考える際の道具として役立つはずがありません。
「中心市街地活性化」の取り組みの現状、うまく行かない理由としていろいろいわれて(*)おりますが、ホントのホントは、ここに原因がある、と私は確信しています。
間違っていますか?

(*)
一例:『総務省による総括』
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040915_1_1.pdf

これまで無意識(たぶん)のうちに使ってきた理論の不備に対する自覚・反省がないとするなら、これから先もやはり「現代・今直面している問題」に「江戸時代の常識」で対応しようとするAさんの立場と変わることはありません。
Aさんにはやむを得ない事情がありましたが、皆さんは自分の責任で昔の理論に固執していることになりますね。

何でも結構、お手元の商店街活性化関係の資料をチェックして見てください。ただの一カ所も「理論」について述べられているところがないとすれば、それはもちろん、郊外型ショッピングセンター到来以前の常識で書かれていると考えられます。
つまり、今という時代に役に立つかどうかは運次第、ということになる。

もちろん、お客から見た・中心市街地立地の・魅力ある個店、という意味であり、このことに疑問の余地はありません。
ところが問題がありまして。

郊外型ショッピングセンター時代到来の「前」と「後」では「魅力ある個店」の意味するところが大きく変わっている、ということです。
「前」の時代の魅力ある個店とは、通りあるいは商圏で「一番店」を目指すということであり、それが不可能な条件がある場合は、「差別化」を図る、ということでした。
このような戦略は、とっくの昔に使用期限が切れています。
当時、一番店だった総合衣料店の崩壊、さらには量販百貨店の衣料品売り場の低迷が一番主義の時代錯誤を証明しています。
差別化についてもいうまでもありません。
よその店が扱っていない商品、大型店が仕入れられない商品など、他店を基準に店づくりをするというのが差別化の特徴ですが、当市でうちだけ・ブランド路線を取採用したブティックは軒並み敗退・低迷状態です。

「魅力ある個店」
お客から見て魅力のある
①品揃え
②サービスシステム
③内外環境
を三位一体で作り上げている店舗のことですが、郊外型SC時代の前と今では中身が全く違う、ということです。
なぜか?
お客である日本国民のライフスタイル・消費購買行動が大きく変わっており、それに相即して商業のあり方も変化しているからです。

今という時代、商業を理解するということは、お客である地域社会~日本人のライフスタイルを理解する、という作業を含んでいます。

このあたりについて、何事も語っていない「魅力ある個店」路線は、差別化~オンリーワン路線や地域一番店など、シーラカンス的ノウハウを引きずっている可能性が高いので要注意、ということです。

商業理論は装備してますか?

このたび、各地の中心市街地活性化について研究された専門書を読む機会がありました。(私としては滅多にない機会です)

読んでいて気になったのが、各地の取り組み、いったい商業理論としてはどのようなものを修得・装備しているのだろうか、ということです。

当社はかねてから、
①全盛期と様変わりしている環境において活性化を目指すのなら
②状況を認識し、戦略を構築する基礎となる商業理論を選択し、共有することが不可欠である
③現下、喫緊の課題は理論の修得・共有であると主張しています。
この時期、理論の重要性を認識してその修得を心がけないということはいったい何を意味しているか?

私たちは、物事を考えるにあたっては、けして白紙の状態で考えるわけではありません。私たちの頭は「白紙」で使えるようにはセットされておりません。
常に、これまでに蓄積した知識・情報のうち、「使える」と評価した知識・情報を駆使しながら考えるわけですが、このことを知っているといないとではものすごい差が生じることがある。

一例。
Aさんがいます。Aさんは、何らかの理由で持っている知識がすべて江戸時代のものだったとします。
彼は眼前の状況をすべて自分の知識で理解・判断しようとすることになります。なかなか理解できることは少なく、彼は調査研究が必要だ、と考えることでしょう。しかし、急を要する事態が発生したら、彼はどうするでしょうか。
周りに人がいればその人を見習うことが出来ます。周りの人の行動が信用できないと感じたら、自分のなかに確固としている江戸時代の知識を基準に行動するかも知れません。あるいは、周辺の人の行動と自分の知識を折衷するかも知れません。
もし、事態が切迫していなかったとしたなら、彼は自分の知識と環境のギャップに気がつき、知識と環境をマッチさせるという仕事に取り組むことでしょう。

さて、商業理論の話です。
我々は、知識・理論抜きでは問題解決・目標達成のための行動は出来ません。
我々が目標を達成するためには、
①目標達成に到達するシナリオを考え、
②シナリオを実現していく行動を計画し、
③必要な準備を行い
④計画を実施する
という仕事をしなければならない。
当たり前ですね。

問題は、このすべてのプロセスが「理論」に基づいて行われる、ということを認識しているかどうかということです。これはすぐ分かります。

現在のように環境が激変する中で取り組まれる事業ですから、取り組みが「理論」に基づいて行われるということを認識していれば、自分たちが取り組もうとしている事業はどのような理論に基づいているか、ということを明らかにしなければならない、ということがいやでも分かります。
なぜなら、従来の理論しか考えていない人には、事業の目的や内容が良く理解されないかも知れないからです。
計画などを評価する場合は、その計画がどのような理論に基づいて立てられているのか、分かるような説明がされているか否か、ということをまずチェックしてみるようにしましょう。
この段階で計画策定者の状況が判断できます。

今日私たちは、全国各地の商店街活性化の取り組みについて計画書を読み、実態についての紹介に接したり、あるは現地に視察に出かけたりします。そのとき重要なことは、その取り組みがどのような理論に基づいて取り組まれているのか、ということです。なぜ、このことがそんなに重要なのか?

「活性化事業」の計画の説明において、その根拠としている理論が明らかにされないということは、当の事業を推進している人々にとって、そのような説明は必要がない、と考えられているということであり、さらには、背景の理論は互いに共通していますよね、という暗黙の了解が成立していると判断しているからです。
その理論とは、当然、商店街が自然発生~成長~現在に至る間、使われてきた理論です。それはもちろん、もの不足時代の商品確保、立地選定に始まり、消費財普及時代の商品差別化・店舗面積確保、それらに伴奏するマーケティング技術といったものであり、当時はちゃんとものの役に立ったノウハウの基礎となる理論でした。だからこそ成功体験・成功ノウハウとして今日まで生きながらえている、と見ることも出来ます。

それら、経験的に蓄積された理論には商店街立地の専門店が作り上げたノウハウ・理論もあれば大型店との競争の中で導入した大型店由来のノウハウ・理論もありました。
現在、商店街などが無意識のうちに採用している理論とは、各時代、各業種・業態の経験則の「集大成」ともいうべきものであることを否定する材料はないと思います。
商店街、活性化に取り組むときの計画・行動の基盤となっているのは、過去の経験則の集大成である、ということです。

問題は、当時は影も形もなかった、郊外型ショッピングセンターやカテゴリーキラー、アウトレットなど新しい業態が出現し、商店街は空洞化の一途をたどっている、という時代の商業を理解する道具として、かっての理論・知識・経験で大丈夫だろうか?
ということです。

如何ですか?
皆さん一人一人のこととしてお考えいただきたい。
あなたのお店、あなたの商店街どういう理論を根拠に「繁盛づくり」を構想していますか?
あなたの理論は郊外型商業の成立根拠、ねらい、問題点などをきちんと分析する道具として使い物になりますか?

ということでありまして。
もちろん、上のような作業課題に耐えられない理論がこの時代の中心商店街活性化について考える際の道具として役立つはずがありません。
「中心市街地活性化」の取り組みの現状、うまく行かない理由としていろいろいわれて(*)おりますが、ホントのホントは、ここに原因がある、と私は確信しています。
間違っていますか?

(*)
一例:『総務省による総括』
http://www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040915_1_1.pdf

これまで無意識(たぶん)のうちに使ってきた理論の不備に対する自覚・反省がないとするなら、これから先もやはり「現代・今直面している問題」に「江戸時代の常識」で対応しようとするAさんの立場と変わることはありません。
Aさんにはやむを得ない事情がありましたが、皆さんは自分の責任で昔の理論に固執していることになりますね。

何でも結構、お手元の商店街活性化関係の資料をチェックして見てください。ただの一カ所も「理論」について述べられているところがないとすれば、それはもちろん、郊外型ショッピングセンター到来以前の常識で書かれていると考えられます。
つまり、今という時代に役に立つかどうかは運次第、ということになる。

もちろん、お客から見た・中心市街地立地の・魅力ある個店、という意味であり、このことに疑問の余地はありません。
ところが問題がありまして。

郊外型ショッピングセンター時代到来の「前」と「後」では「魅力ある個店」の意味するところが大きく変わっている、ということです。
「前」の時代の魅力ある個店とは、通りあるいは商圏で「一番店」を目指すということであり、それが不可能な条件がある場合は、「差別化」を図る、ということでした。
このような戦略は、とっくの昔に使用期限が切れています。
当時、一番店だった総合衣料店の崩壊、さらには量販百貨店の衣料品売り場の低迷が一番主義の時代錯誤を証明しています。
差別化についてもいうまでもありません。
よその店が扱っていない商品、大型店が仕入れられない商品など、他店を基準に店づくりをするというのが差別化の特徴ですが、当市でうちだけ・ブランド路線を取採用したブティックは軒並み敗退・低迷状態です。

「魅力ある個店」
お客から見て魅力のある
①品揃え
②サービスシステム
③内外環境
を三位一体で作り上げている店舗のことですが、郊外型SC時代の前と今では中身が全く違う、ということです。
なぜか?
お客である日本国民のライフスタイル・消費購買行動が大きく変わっており、それに相即して商業のあり方も変化しているからです。

今という時代、商業を理解するということは、お客である地域社会~日本人のライフスタイルを理解する、という作業を含んでいます。

このあたりについて、何事も語っていない「魅力ある個店」路線は、差別化~オンリーワン路線や地域一番店など、シーラカンス的ノウハウを引きずっている可能性が高いので要注意、ということです。

コンパクトシティとショッピングモール

このところにわかに持ち上げられてきたコンパクトシティですが、これは、先に検討した九州経産局のテキストにもありますように、「法」よりも上位に位置する概念、総合計画に掲げ、都市マスに降ろして実施計画に至る、というレベルに関わる概念です。
コンパクトシティにおける「中心市街地」と「法」の「中心市街地」では微妙に範囲(指定する要件)が異なり、さらに指針のために実施する事業も多様になりますから、事業メニューも大きく異なってくるはずです。

「法」はあくまでも中心市街地の商業地に立地する商業機能の活性化を目的にしたものであり、「コンパクトシティ」を推進するスキームではありません。
では国のレベルで「法」に変わるコンパクトシティ推進のスキームが準備されているかと言えば、それはありません。
つまり、コンパクトシティについてはこれからスキームが構想される段階だ、ということになります。

コンパクトシティとショッピングモール、両者の関係をどう考えておくべきか?
この関係を誤解すると、
①商業活性化のツールとしてコンパクトシティを位置づける
②コンパクトシティ推進のなかに商業活性化を埋没させる
という間違った取り組みが生まれかねません。
どちらに転んでも商業活性化、コンパクトシティの実現双方ともに失敗してしまいますから要注意です。


 たとえば青森市の事例

 このたび発見したブログで取り上げられていました。
『商店街再生を考える』

 作者の岩澤さんは関東学院大学経済学部の先生です。
私は『商店街活性化と街づくり』(白桃書房)という本を読みました。
「まちづくり」とされていないところがいいですね。
7月7日付け日経新聞の引用だそうですが、ここに紹介されている「活性化」施策はどれを取っても、「わざわざ商店街に出かけなければならない」目的を充実させる、作り出すという真っ正面の事業=「ショッピングモールとしての再構築」を目指しているものとは思えません。

 ということは、商店街ぐるみでショッピング目的の来街者が増えるような事業に取り組んでいるわけではないということです。物販以外の来街目的を整備充実することで街区の通行量は増えても、それは商店街にとっては単なる通行人、通過者にすぎない、という結果になることは自明です。つまり、「これらの事業に取り組んだ結果、商店街に立地する既存個店の入店客・買い物客が増えた、すなわち、商店街(商業機能)が活性化した、という成果は挙がっていないと思います。
(もし成果が挙がっているとすれば、個店レベルの「店づくりの革新」に街ぐるみで取り組んだ成果としてしかあり得ない。その取り組みが伝えられない以上、商業機能の活性化は実現されていない・・。
ということが推測されます。

 通行量を「来街客」にするためには、商店街・個々の店舗が取り組まなければならない課題が別のところにある、ということです。
通行者は多いが来街客は少ない、という例は全国にいくらでもあります。なにもあらためてみなさんの街でわざわざ追試・追認する必要はありません。
 商店街はものが売れてこそはじめて存在価値があり、商業者は文字通り「売れてなんぼ」ですからね。
売れてなんぼなら売れる工夫をしなくてはならない。
もの余り/店あまりになれきっている人たちを物販機能以外の魅力で集めてものを買ってもらおう、という構想自体が大きく時代にミスマッチ状態だということです。

 もの余り時代にものを売るのだ、と考えれば、「通行量」などはあてに出来ない、ということが自づからの結論ではないでしょうか。
上で紹介したブログには、「コンパクトシティ」について概観した記事も載せられています。参考にさせていただきたいと思います。
皆さんも是非どうぞ。


 さて、次に思考実験をしてみましょう。

更地にコンパクトシティを建設するとしたら・・・。

1.コンセプトの作成:
 「コンパクトシティ」の理念を踏まえて、建設しようとするコンパク トシティのあるべき姿を描く
2.機能の設計:
 コンセプトを具現するために必要な機能を列挙、規模や下位機能など  を構想、設計
3.ゾーニング
 施設・機能の配置計画
4.建設計画
 建設の優先順位の決定、着手・・・・
というように進んでいくことでしょう。

 このとき。
商業・物販機能の順位は相当高いことが推測されます。
この計画における「物販機能」の実現(建設)されるあるべき姿は、
1.コンパクトシティのコンセプトを上位目標としながら
2.都市における「買い物の場」のあるべき姿を構想、実現する
ということになるはずです。

 商業機能は、コンパクトシティ全体のコンセプトを「買い物の場」としてのあるべき姿、として実現されないと、コンポクトシティそのものが実現しません。たとえば。
①買い物の場が設置されないと、市外へ買い物に出かけなければならない・・・コンパクトシティという概念に矛盾する
②買い物の場が設置されているが、コンセプトに合致していないという状況でも、①と同じことが発生する。

 ということで、コンパクトシティにおける商業施設のあり方は、コンパクトシティが対応しようとしているライフスタイルに合致する機能を備えて置くことが必要です。
このことはあらためて申し上げるまでもないことでしょう。

 では、既存市街地がコンパクトシティを目指す場合はどうか?
①コンセプトの策定:
 当該市街地が実現を目指すコンパクトシティのあるべき姿を描く
②機能・施設の改革
 既存施設、機能などのコンセプトを基準とする評価。コンセプト基準 による改革・改善の計画~実行
③ゾーニング:
 コンセプト、基本方針に基づく機能配置
④実施計画
 各機能整備の優先順位、実施時期等の計画
⑤整 備
 各機能・施設等の改革・改善、新設など
というように進んでいくことが考えられます。

 この場合、「商業機能」である商店街についてはどう考えるべきか?
もちろん、コンパクトシティの「あるべき商業機能」を担うべく、改革・改善されなければならない。
そうしないと「コンパクトシティの物販機能」としての役割を果たすことは出来ません。

 いうまでもなく、コンパクトシティは、立地する地域における地域経営の中枢として、広範な住民に対するサービス機能を受け持ちます。
商業機能もその一環として位置づけられるべきものであり、
①コンパクトシティの住民に対して「買い物の場」を提供する
②広域の住民に対して「買い物の場」を提供する
という二つの役割を担うことが必要です。

 クオールエイド流でいえば、
①を担うのが「コンビニエンスマート」であり、
②を担うのが「ショッピングモール」ということです。
詳細はあらためて述べますが、以上でおわかりのとおり、コンパクトシティを目指す、といったとたん、既存の商業機能=商店街は、「コンパクトシティのあるべき商業機能」を目指して自己変革を遂げなければならない、ということが明らかだと思います。

 商店街活性化を放置というか、イベントその他で荏苒時を過ごしつつ、コンパクトシティが実現する~[まちなか居住]が増えれば何とかなる、といったシナリオは実現できません。
つまり、商業者がコンパクトシティの非物販機能が整備されれば、その結果「まちなか居住」が据える、通行量も増える、その結果商店街の売り上げも増える、などと考えて、一日千秋、コンパクトシティの整備を待っていたりしますと、コンパクトシティそのものが成立しなくなります。

 居住、非商業分野の都市的サービスは充実しても、「買い物の場」が整備されなければ、「まちなか新住民」は、買い物が出来るところまで・コンパクトシティの外まで買い物に出かけなければならない。
もし、行き先がショッピングセンターだったりすると、これはもう、マイカーの出番ということになり、コンパクトシティの内部は郊外への買い物流出で交通混雑、ということになりかねません。
 中心商店街のみなさんは、コンパクトシティづくりの動向に一喜一憂することなく、「ショッピングモールとしての再構築」に向けて整斉と取り組むことが求められています。

コンパクトシティとショッピングモール

このところにわかに持ち上げられてきたコンパクトシティですが、これは、先に検討した九州経産局のテキストにもありますように、「法」よりも上位に位置する概念、総合計画に掲げ、都市マスに降ろして実施計画に至る、というレベルに関わる概念です。
コンパクトシティにおける「中心市街地」と「法」の「中心市街地」では微妙に範囲(指定する要件)が異なり、さらに指針のために実施する事業も多様になりますから、事業メニューも大きく異なってくるはずです。

「法」はあくまでも中心市街地の商業地に立地する商業機能の活性化を目的にしたものであり、「コンパクトシティ」を推進するスキームではありません。
では国のレベルで「法」に変わるコンパクトシティ推進のスキームが準備されているかと言えば、それはありません。
つまり、コンパクトシティについてはこれからスキームが構想される段階だ、ということになります。

コンパクトシティとショッピングモール、両者の関係をどう考えておくべきか?
この関係を誤解すると、
①商業活性化のツールとしてコンパクトシティを位置づける
②コンパクトシティ推進のなかに商業活性化を埋没させる
という間違った取り組みが生まれかねません。
どちらに転んでも商業活性化、コンパクトシティの実現双方ともに失敗してしまいますから要注意です。


 たとえば青森市の事例

 このたび発見したブログで取り上げられていました。
『商店街再生を考える』

 作者の岩澤さんは関東学院大学経済学部の先生です。
私は『商店街活性化と街づくり』(白桃書房)という本を読みました。
「まちづくり」とされていないところがいいですね。
7月7日付け日経新聞の引用だそうですが、ここに紹介されている「活性化」施策はどれを取っても、「わざわざ商店街に出かけなければならない」目的を充実させる、作り出すという真っ正面の事業=「ショッピングモールとしての再構築」を目指しているものとは思えません。

 ということは、商店街ぐるみでショッピング目的の来街者が増えるような事業に取り組んでいるわけではないということです。物販以外の来街目的を整備充実することで街区の通行量は増えても、それは商店街にとっては単なる通行人、通過者にすぎない、という結果になることは自明です。つまり、「これらの事業に取り組んだ結果、商店街に立地する既存個店の入店客・買い物客が増えた、すなわち、商店街(商業機能)が活性化した、という成果は挙がっていないと思います。
(もし成果が挙がっているとすれば、個店レベルの「店づくりの革新」に街ぐるみで取り組んだ成果としてしかあり得ない。その取り組みが伝えられない以上、商業機能の活性化は実現されていない・・。
ということが推測されます。

 通行量を「来街客」にするためには、商店街・個々の店舗が取り組まなければならない課題が別のところにある、ということです。
通行者は多いが来街客は少ない、という例は全国にいくらでもあります。なにもあらためてみなさんの街でわざわざ追試・追認する必要はありません。
 商店街はものが売れてこそはじめて存在価値があり、商業者は文字通り「売れてなんぼ」ですからね。
売れてなんぼなら売れる工夫をしなくてはならない。
もの余り/店あまりになれきっている人たちを物販機能以外の魅力で集めてものを買ってもらおう、という構想自体が大きく時代にミスマッチ状態だということです。

 もの余り時代にものを売るのだ、と考えれば、「通行量」などはあてに出来ない、ということが自づからの結論ではないでしょうか。
上で紹介したブログには、「コンパクトシティ」について概観した記事も載せられています。参考にさせていただきたいと思います。
皆さんも是非どうぞ。


 さて、次に思考実験をしてみましょう。

更地にコンパクトシティを建設するとしたら・・・。

1.コンセプトの作成:
 「コンパクトシティ」の理念を踏まえて、建設しようとするコンパク トシティのあるべき姿を描く
2.機能の設計:
 コンセプトを具現するために必要な機能を列挙、規模や下位機能など  を構想、設計
3.ゾーニング
 施設・機能の配置計画
4.建設計画
 建設の優先順位の決定、着手・・・・
というように進んでいくことでしょう。

 このとき。
商業・物販機能の順位は相当高いことが推測されます。
この計画における「物販機能」の実現(建設)されるあるべき姿は、
1.コンパクトシティのコンセプトを上位目標としながら
2.都市における「買い物の場」のあるべき姿を構想、実現する
ということになるはずです。

 商業機能は、コンパクトシティ全体のコンセプトを「買い物の場」としてのあるべき姿、として実現されないと、コンポクトシティそのものが実現しません。たとえば。
①買い物の場が設置されないと、市外へ買い物に出かけなければならない・・・コンパクトシティという概念に矛盾する
②買い物の場が設置されているが、コンセプトに合致していないという状況でも、①と同じことが発生する。

 ということで、コンパクトシティにおける商業施設のあり方は、コンパクトシティが対応しようとしているライフスタイルに合致する機能を備えて置くことが必要です。
このことはあらためて申し上げるまでもないことでしょう。

 では、既存市街地がコンパクトシティを目指す場合はどうか?
①コンセプトの策定:
 当該市街地が実現を目指すコンパクトシティのあるべき姿を描く
②機能・施設の改革
 既存施設、機能などのコンセプトを基準とする評価。コンセプト基準 による改革・改善の計画~実行
③ゾーニング:
 コンセプト、基本方針に基づく機能配置
④実施計画
 各機能整備の優先順位、実施時期等の計画
⑤整 備
 各機能・施設等の改革・改善、新設など
というように進んでいくことが考えられます。

 この場合、「商業機能」である商店街についてはどう考えるべきか?
もちろん、コンパクトシティの「あるべき商業機能」を担うべく、改革・改善されなければならない。
そうしないと「コンパクトシティの物販機能」としての役割を果たすことは出来ません。

 いうまでもなく、コンパクトシティは、立地する地域における地域経営の中枢として、広範な住民に対するサービス機能を受け持ちます。
商業機能もその一環として位置づけられるべきものであり、
①コンパクトシティの住民に対して「買い物の場」を提供する
②広域の住民に対して「買い物の場」を提供する
という二つの役割を担うことが必要です。

 クオールエイド流でいえば、
①を担うのが「コンビニエンスマート」であり、
②を担うのが「ショッピングモール」ということです。
詳細はあらためて述べますが、以上でおわかりのとおり、コンパクトシティを目指す、といったとたん、既存の商業機能=商店街は、「コンパクトシティのあるべき商業機能」を目指して自己変革を遂げなければならない、ということが明らかだと思います。

 商店街活性化を放置というか、イベントその他で荏苒時を過ごしつつ、コンパクトシティが実現する~[まちなか居住]が増えれば何とかなる、といったシナリオは実現できません。
つまり、商業者がコンパクトシティの非物販機能が整備されれば、その結果「まちなか居住」が据える、通行量も増える、その結果商店街の売り上げも増える、などと考えて、一日千秋、コンパクトシティの整備を待っていたりしますと、コンパクトシティそのものが成立しなくなります。

 居住、非商業分野の都市的サービスは充実しても、「買い物の場」が整備されなければ、「まちなか新住民」は、買い物が出来るところまで・コンパクトシティの外まで買い物に出かけなければならない。
もし、行き先がショッピングセンターだったりすると、これはもう、マイカーの出番ということになり、コンパクトシティの内部は郊外への買い物流出で交通混雑、ということになりかねません。
 中心商店街のみなさんは、コンパクトシティづくりの動向に一喜一憂することなく、「ショッピングモールとしての再構築」に向けて整斉と取り組むことが求められています。

「大転換の時代」

人間の歴史始まって以来という大転換期、個人、各種組織ともに安定・繁栄を維持・確保するためにはどのように考え・何をなすべきか、抜本的にポジションを再構築しなければならない、という戦略的な問題に直面しています。
戦略的な課題の常として、今日取り組まなかったとしても明日明確に弊害がでるわけではなく、取り組んだからといって明日からバラ色になるわけでもありません。
戦略課題への真剣な取り組みが一日延ばしになっていくゆえんですが、はっきりしているのはやがていつか必ず取り組まなかった付けを払わなければならない、ということです。

このブログは、「中心市街地活性化」というメインの課題を考える傍ら、こういった時代的な課題、それらがさまざまな分野に現れる様相、対応のあり方などを論じて行きたいと思います。
なんといっても中心市街地の空洞化自体が「転換期」を象徴する状況に陥っていますからね。

ということで、まずは我々が生きている時代とはいったいどのような時代なのか、過去の延長線上で考えられる=従来の戦略で対処できるのか、それとも本当に転換期であり、戦略レベルの転換が必要なのか、あらためて考えてみたいと思います。
あなたもご一緒にどうぞ。

さて、ちょうど1年前、政府税制調査会は、
『わが国経済社会の構造変化の「実像」について 
~「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ~ 』
と題するレポートを発表しました。

「構造変化」がいわれる現在から将来に渡っての税制のスキームを構想するに先立って、変化の実像を見極めようというものです。さしあたり、このレポートをもとに考えてみましょう。

二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト
 
1.今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」
 *人口減少社会への突入
 *超高齢化社会への変貌-少子化と長寿化の同時進行
* 従属人口指数の上昇-社会的な扶養力の弱まり
2.「右肩上がり経済」の終焉
 *高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅-標準モデルの「非  標準化」
 *「量的拡大」志向の限界
3.家族のかたちの多様化
 *「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化
 *「戦後家族モデル」の終焉-標準的ライフコースの相対化
 *ライフコースの多様化と不確実性の高まり
4.「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化
 *雇用形態の多様化
 *職業観の多様化―カイシャ離れと不確実性の高まり)
5.価値観・ライフスタイルの多様化・多重化
 *「画一」から「多様」、「多重」へ
 *キーワード-選択の自由、煩わしさ回避、現在(いま))
6.社会や「公共」に対する意識
 *社会貢献意識と他者への依存
 *個人の主体的な「公共」への参加
7.分配面での変化の兆し
 *均質化、流動化の動きの鈍化
 *「機会の平等」志向
8.環境負荷の増大、多様化
 *「循環型社会」への転換
9.グローバル化の進行
 *世界規模でのグローバル化
 *わが国における国際的結びつきの深化
10.深刻化する財政状況
 *戦後の財政運営
 *問われる「持続可能性」
というように「実像」が報告されています。

※詳細は、http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top_zei3.htm から 「諮問・答申・報告書等」~「我が国経済社会の構造変 化の実像について」及び「参考資料」を参照のこと

「三 結びにかえて-将来に向けての示唆」では、二の「10のキー・ファクト」に見られる特徴として二つあげられています。

1.経済社会の「基盤」の変容-「量的拡大」から「質の充実」 へ
* 第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべ き構造変化である。
 今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中 心の若い社会」から「成 熟した長寿社会」となる。また、高 度経済成長を支えた基礎的条件(高い家計貯蓄 率、人口ボー ナス、労働力人口増加等)はほぼ消滅した。グローバル化が加 速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が 問われている。
  このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経 済成長期のような大 幅な「量的拡大」を期待することができ なくなった。「質の充実」を軸とする経済 社会への転換が求 められている。
2.「標準」から「多様」へ
  第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済 成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し「多様 化」が進みつつあるということである。
 もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。 今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉 え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどの ように活かしていくのかが問われることになる。

以上を簡単に確認しておきましょう。

1.「10のキーワード」に象徴される構造変化は、「我が国経 済社会の基盤の変容」というレベルのものである。
2.従来型の標準的・定型的な目標が消失、慣行的な手法が適用 できない。
ということですね。
このような現状認識から導かれる課題は、
※新しい「経済社会」の方向は「質的充実」をめざし「多様化」 を活用していかなければならないが、
※ほうっておいても「実像」的構造変化が進展するなかで、「質 的充実」を実現していくシナリオをどう描けるか?
ということでしょう。

「転換期」とは、
①これまで傾向として一定の方向なり範囲なりにあったことが、
②その方向や範囲を成立させていた条件が変化することで、
③これまでの延長線上では物事が想定できなくなる 
という時代ですから、転換期の特徴は、
①「復旧」はない
②これまでの経験・ノウハウは役に立たないことが多く・それば かりか変化への対応を妨害する可能性さえある
③新しい取り組みのスタイルが必要である 
といったことではないでしょうか。

 「構造改革」とは転換期における「新しい取り組みのスタイル」の構築を意味し、「転換期(ミクロではなく社会経済全体の)におけるありかた」という問題意識がないとせっかくの取り組みがミスマッチ、思いがけない結果を招く可能性があります。

転換期の課題は、
①[10のキーワード]的な転換期の特性を「自分にとってのラス要 因に出来る」ポジションを考え出し、
②現状からそのポジションへの移行をめざして転換戦略(=シナ リオ)を描く
という作業であることが理解されます。

もちろん、「転換期という環境をプラスにする」という課題は、中心市街地に限らず、[転換期」の影響を被る組織・地域においては、それぞれの存在目的に応じてしっかり対応を構築していかなければならない、まさに「画期的」な課題です。

「大転換の時代」

人間の歴史始まって以来という大転換期、個人、各種組織ともに安定・繁栄を維持・確保するためにはどのように考え・何をなすべきか、抜本的にポジションを再構築しなければならない、という戦略的な問題に直面しています。
戦略的な課題の常として、今日取り組まなかったとしても明日明確に弊害がでるわけではなく、取り組んだからといって明日からバラ色になるわけでもありません。
戦略課題への真剣な取り組みが一日延ばしになっていくゆえんですが、はっきりしているのはやがていつか必ず取り組まなかった付けを払わなければならない、ということです。

このブログは、「中心市街地活性化」というメインの課題を考える傍ら、こういった時代的な課題、それらがさまざまな分野に現れる様相、対応のあり方などを論じて行きたいと思います。
なんといっても中心市街地の空洞化自体が「転換期」を象徴する状況に陥っていますからね。

ということで、まずは我々が生きている時代とはいったいどのような時代なのか、過去の延長線上で考えられる=従来の戦略で対処できるのか、それとも本当に転換期であり、戦略レベルの転換が必要なのか、あらためて考えてみたいと思います。
あなたもご一緒にどうぞ。

さて、ちょうど1年前、政府税制調査会は、
『わが国経済社会の構造変化の「実像」について 
~「量」から「質」へ、そして「標準」から「多様」へ~ 』
と題するレポートを発表しました。

「構造変化」がいわれる現在から将来に渡っての税制のスキームを構想するに先立って、変化の実像を見極めようというものです。さしあたり、このレポートをもとに考えてみましょう。

二 わが国経済社会の構造変化の「実像」:10のキー・ファクト
 
1.今世紀日本は「人口減少社会・超高齢化社会」
 *人口減少社会への突入
 *超高齢化社会への変貌-少子化と長寿化の同時進行
* 従属人口指数の上昇-社会的な扶養力の弱まり
2.「右肩上がり経済」の終焉
 *高度経済成長を支えた基礎的条件の消滅-標準モデルの「非  標準化」
 *「量的拡大」志向の限界
3.家族のかたちの多様化
 *「夫婦と子供のみの世帯」の非標準化
 *「戦後家族モデル」の終焉-標準的ライフコースの相対化
 *ライフコースの多様化と不確実性の高まり
4.「日本型雇用慣行」のゆらぎと、働き方の多様化
 *雇用形態の多様化
 *職業観の多様化―カイシャ離れと不確実性の高まり)
5.価値観・ライフスタイルの多様化・多重化
 *「画一」から「多様」、「多重」へ
 *キーワード-選択の自由、煩わしさ回避、現在(いま))
6.社会や「公共」に対する意識
 *社会貢献意識と他者への依存
 *個人の主体的な「公共」への参加
7.分配面での変化の兆し
 *均質化、流動化の動きの鈍化
 *「機会の平等」志向
8.環境負荷の増大、多様化
 *「循環型社会」への転換
9.グローバル化の進行
 *世界規模でのグローバル化
 *わが国における国際的結びつきの深化
10.深刻化する財政状況
 *戦後の財政運営
 *問われる「持続可能性」
というように「実像」が報告されています。

※詳細は、http://www.mof.go.jp/singikai/zeicho/top_zei3.htm から 「諮問・答申・報告書等」~「我が国経済社会の構造変 化の実像について」及び「参考資料」を参照のこと

「三 結びにかえて-将来に向けての示唆」では、二の「10のキー・ファクト」に見られる特徴として二つあげられています。

1.経済社会の「基盤」の変容-「量的拡大」から「質の充実」 へ
* 第一の特徴は、わが国経済社会の「基盤」の変容とも言うべ き構造変化である。
 今後の日本は、「人口減少」、「超高齢化」が進み、「壮年中 心の若い社会」から「成 熟した長寿社会」となる。また、高 度経済成長を支えた基礎的条件(高い家計貯蓄 率、人口ボー ナス、労働力人口増加等)はほぼ消滅した。グローバル化が加 速し、環境負荷も高まりつつある。財政は、その持続可能性が 問われている。
  このような経済社会の「基盤」の変容により、もはや高度経 済成長期のような大 幅な「量的拡大」を期待することができ なくなった。「質の充実」を軸とする経済 社会への転換が求 められている。
2.「標準」から「多様」へ
  第二の特徴は、家族・就労等様々な局面において、高度経済 成長期に形成され定着した「標準的なるもの」が消失し「多様 化」が進みつつあるということである。
 もはや画一的な「標準モデル」によることは現実的ではない。 今後の経済社会を展望する際には、「多様性」をどのように捉 え、これにどのように対応していくのか、さらにはこれをどの ように活かしていくのかが問われることになる。

以上を簡単に確認しておきましょう。

1.「10のキーワード」に象徴される構造変化は、「我が国経 済社会の基盤の変容」というレベルのものである。
2.従来型の標準的・定型的な目標が消失、慣行的な手法が適用 できない。
ということですね。
このような現状認識から導かれる課題は、
※新しい「経済社会」の方向は「質的充実」をめざし「多様化」 を活用していかなければならないが、
※ほうっておいても「実像」的構造変化が進展するなかで、「質 的充実」を実現していくシナリオをどう描けるか?
ということでしょう。

「転換期」とは、
①これまで傾向として一定の方向なり範囲なりにあったことが、
②その方向や範囲を成立させていた条件が変化することで、
③これまでの延長線上では物事が想定できなくなる 
という時代ですから、転換期の特徴は、
①「復旧」はない
②これまでの経験・ノウハウは役に立たないことが多く・それば かりか変化への対応を妨害する可能性さえある
③新しい取り組みのスタイルが必要である 
といったことではないでしょうか。

 「構造改革」とは転換期における「新しい取り組みのスタイル」の構築を意味し、「転換期(ミクロではなく社会経済全体の)におけるありかた」という問題意識がないとせっかくの取り組みがミスマッチ、思いがけない結果を招く可能性があります。

転換期の課題は、
①[10のキーワード]的な転換期の特性を「自分にとってのラス要 因に出来る」ポジションを考え出し、
②現状からそのポジションへの移行をめざして転換戦略(=シナ リオ)を描く
という作業であることが理解されます。

もちろん、「転換期という環境をプラスにする」という課題は、中心市街地に限らず、[転換期」の影響を被る組織・地域においては、それぞれの存在目的に応じてしっかり対応を構築していかなければならない、まさに「画期的」な課題です。


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