フランクリンの十三徳

 マックス・ヴェーバーが根拠も示さず、「資本主義の精神」と持ち上げた?ベンジャミン・フランクリンが説く成功への十三の徳。

1.節度 頭が鈍くなるまで食べるな、酩酊するまで飲むな
2.沈黙 他の人あるいはお前に役立つことだけを語れ。無意味な雑談を避けよ。
3.整頓 すべての事物にその場所を持たせ、お前の仕事のあらゆる部分にその時間を持たせよ。
4.決断 お前がしなければならないことを事項するべく計画せよ。お前が企画したことを間違いなく実施せよ。
5.節制 他の人あるいはお前自身に善事を行うこと以外に支出をするな。これは浪費するなということだ。
6.勤勉 時間を失うな。常に有益なことに取り組め。すべての無用な活動はやめよ。
7.公正 けして有害な虚偽を用いてはならない。無邪気に正しく考えよ。そしてお前が語るときはそのように語れ。
8.正義 お前が不正を行うか、あるいはお前の義務である善事を怠ることによって、何人をも害してはならない。
9.中庸 極端を避けよ。お前にそれ阿がたいすると考えられる以上に侮辱を強く感じ、あるいは悪くとってはならない。
10.清潔 肉体、衣服あるいは住居内の不潔を我慢してはならない。
11.心の安定 小事についてあるいは通常の不幸あるいは不可避の災難について、不安になってはならない。
12.貞潔 性交は健康あるいは子孫を残すためにのみ行なえ。けして愚鈍になるほど、体が悪くなるほど、あるいはお前自身あるいは他人の心の平和や名声をおびやかすほど、これに耽溺してはならない。
13.謙虚 イエスとソクラテスを手本にせよ。
(引用:ゾンバルト『ブルジョワ 近代経済人の精神史』中央公論社 1990)

ということで、拳拳服膺されている人もあることでしょう。

 しかるべき人たちから信用を得るためには、という〈処世術〉ですね。一部プロテスタント宗派でも同じようなライフスタイルを追求するのですが、それはひとえに「神に選ばれた存在」であることを顕現するためです。

 初期資本主義に不可欠だった「信用」を得るため?フランクリンが推奨するライフスタイルと、別の動機からするプロテスタントのライフスタイルとの「親近性」をもって、資本主義はプロテスタントから生まれた、とするのが「ヴェーバー学派」の主張です。
 
 ご承知のとおり、米国では「人生を成功するの法」を説くというジャンルがありまして、takeoはほとんど無縁ですが、なにかの拍子で一冊だけ読んだことがあります。
ロバート・J・リンガー『複眼の論理』三笠書房
これはお奨め。古書店にあるようです。

上記、ゾンバルトの本はお薦めです。Y5,300と高めですが定額給付金でどうぞ。理屈抜き?で面白く、すらすら読めます。ヴェーバーなどとは大違い。学術書の第一要件はスラスラ読めることだとtakeoは確信しています。
買って後悔することありません。

ゾンバルトはこれから社会学の新しいアプローチを導く存在として一挙に復権するはずです。

「愚行」を理解する

 “賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ”とはよく知られた警句ですが、認識の範囲や精度は着実に高まるのに、、愚かな行為はなぜ繰り返されるのか?
失敗を許されない「都市経営」の遂行にあたっては、歴史に学び・教訓を理論化し、組織的に共有することが必要です。
スタートは、もちろん自分自身の啓蒙です。

 先人による「デス・マーチング:愚行の行進」の分析

□バーバラ・タックマン『愚行の世界史』(朝日新聞社 1987年)
人間にとって「愚行」とは何か?
4項目を定義し、トロイの戦争からベトナム戦争まで、「愚行」を内在的に分析しています。

□野中郁次郎他『失敗の本質』(ダイヤモンド社 昭和59年)
勝ち目のない戦争をしたということと、その戦争の戦い方とを区別し、後者について“負けるべくして負けた”その戦い方と負け方を分析。
ただし、「戦略」という概念の定義が明晰でなのため、適切な「教訓」を獲得するレベルに至っていませんが・・・。

□児島襄『誤算の論理』(文芸春秋 昭和62年)

もちろん、
□山本七平『一下級将校のみた日本陸軍(上下)』(朝日新聞社 1976年)
□ 同  『私の中の日本軍』(朝日新聞社 1976年)
□ 同  『空気の研究』(文芸春秋社 1977年)  

変わったところで
□エドワード・ヨードン『デス・マーチ』(トッパン 1997年)
ソフトウエア開発プロセスの「愚行」の発生メカニズムの分析から「愚行の一般理論」へ。

で、愚行防止に関する教訓の第一は、やはり「啓蒙力の強化向上」ということではないでしょうか。
「啓蒙力+勇気」=教養と考えれば、教養の向上。

 大東亜戦争末期、文系の学生は学徒出陣で最前線(ただし、官系は短期現役主計科士官など温存、理系は徴兵猶予という措置が取られ、結果、戦後復興は「官系と理系」をリーダーとして進むことになった、つまり、大東亜戦争によって教養系は断絶、復興を推進したのは官と理であり、以来現在に至っている、と喝破しているのは、

□保坂正康『あの戦争は何だったのか』(新潮新書 2005年)
“優秀な連中はみんな戦争で死んだ”と述懐する人が多かったそうですが、ん?、すると今生きているわれわれは・・・?

 ということで、愚行を阻むには「教養」が必須ですが、お得意の生産ラインで対応できる課題ではありません。
「地方分権」最大の課題ですが、果たして問題は自覚されているでしょうか。
気になるところです。

“誤算は期待から生まれる”といったのはリデル・ハートですが、とはいうものの期待無くして意欲・行動を組織することは出来ません。
だからといって「期待」は「資源」でも「選択肢」でもな意という冷厳な事実を忘れるとそこから「愚行」が生まれてくる、ということでしょうか。
期待は即色メガネであることを忘れると、デス・ダイビングへの道であるということをキモに銘じておくことが大切ですね。

カント的啓蒙の自修自得

 辞書を引いてみますと
啓蒙:無知の人を啓発して正しい知識に導くこと
などとありますが、こういう定義ではたちまち
「無知」とは何か
「正しい知識」とは何か
という問題が出てきます。
啓蒙とは特定の立場を作っている人が自分の立場を宣伝流布することかよ、という茶々もあり得まして、善男善女はいつも「正しい」と主張される言説を選択することを要求されているわけですが、はて、「正しいと主張される言説の根拠は?」と考えると、それを判断する力は自分で持たなければならない。

早い話。
辞書にいう啓蒙とは、ものごとを知らない「遅れている」人を「正しい知識」を持った人が教え導くこと、でありまして、この場合、
遅れているのは誰か
正しい知識をもっているのは誰か
ということは自称「正しい知識を持っている」側が決めているわけですね。
ふたつ問題がありまして、
その一 自称「正しい知識」が間違っていたらどうなる
その二 教え導いてもらう側はいつまで経っても教え導いてもらう立場から抜け出せないが・・?
ということです。

 見聞きする「教え導く側」のていたらくから、おいそれと啓蒙が実現出来るとは思えないわけです。
(中には、「目からウロコが落ちた」とか、これがダメならむこうがある、などと嬉々?として立場を飛び移る人もありますが・・)
「教え導く」と称する人の持っている知識が「正しい」とは限りませんし。教え導きたいのは「正しい知識」を持っている人だけとは限りませんし。

 ということで、辞書的「啓蒙」には自家撞着(矛盾)があります。

 『啓蒙とは何か』
これまで当サイトで何度か取り上げている カントさんの有名な本ですが、これによれば啓蒙とは「自分のアタマで考えること」であり、啓蒙哲学者カントさんは、この本で「自分のアタマで考えよ」と提唱しています。

 「自分のアタマで考える」とはどういうことか?
これは、遅れている知識、間違っている知識を正しい知識に置き換えることではありません。人から与えられた知識、世間の常識に唯々諾々とする態度は「啓蒙=自分のアタマで考える」とは違います。
(啓蒙とは蒙を啓く、闇から抜け出すという意味です)
他人から与えられる知識、いつの間にか自分の心身の一部になっているような知識に基づいて行動するのではなく、自分のアタマで考えて行動すべきだ、というのが啓蒙の立場。

 ではカントさんの「自分のアタマで考えよ」という提案を受け入れ、自分のアタマで考えてみようと思い立ったとき、われわれが取るべき態度とはどういうものでしょうか?
そもそも自分のアタマで考えるとはどういうことか?

 自分で考えよと言われてもアタマの中にはすでに様々の知識を詰め込んでいますし、いまからリセットするわけにはいきません。
リセットしてもその後になにをどうインストールするのか、という問題もあることでしょうし。

 カントさんの提唱をtakeo的に翻訳すると「人の振りみてわが振り直せ」「われ以外皆我が師」ということです。
人の振りを客観的・批判的に観察し、それを基準に我が振りを評価し、是正すべきを是正する。この作業を通じて自分の振りを作っていくわけです。人の振りをどう見るか、どう自分の振りに反映させるかは、自分で決めなければならない。

 カントさんが特に推奨するのは「公共言論」に関わることを通して、「ものの見方・考え方」について「振り」をなおしていくこと。
その第一として「公共言論」において交わされる相互批判の見聞を通じて「批判のしかた」、批判能力を自得することです。

 カントさんの「公共言論」とは学者が取り組む「どちらの言説が妥当か」をめぐる応酬・議論のことです。
学者が交わす相互批判を見聞することで、「言説を理解し・批判する」という技術を学び、態度を身につける、というのがカントさん的啓蒙です。
面白いのは、「公共言論」は間違った議論でもいいし、教え導こうとする趣旨の言説でもかまわない、ということ。
いずれにせよ、「相互批判」が行われればそれを見聞きする中から言説・ものごとを批判的に吟味する・「批判的態度」を修得することが出来る。

 現在の「公共言論」をみますと、カントさんが期待していたような「知識の妥当性」をめぐって学者さんたちが公共の場で丁々発止とやり合う、という情況はほとんどありません。皆無に等しい。
 Web、特にブログの機能に期待することですね。
中心市街地をめぐる言説やそれをめぐる応酬などをみても心細い限り、中心市街地活性化の実現には自力思考が不可欠ですが、必要な能力・態度をどう自得するか。
当サイトは、一貫して自力思考を提唱しているわけですが。

 珍しく公共言論において激しく相互批判が行われている事例があります。前にも紹介したと思いますが、マックス・ヴェバーの有名な『プロテスタンチズムの倫理と資本主義の精神』をめぐる大論争です。5年くらい続いたかと思いますが、ここに来て一段落したようです。

 これを題材に「批判的思考」の実際を見聞し、自力思考の確立に役立てよう、という大それた企画を思い立ちました。
年末年始、限られた時間ですが有効に使って「批判的思考」を見聞したいと思います。
この際、つきあってみるか、という人の参加をお待ちします。【理論創発】コーナーです。

「学問とは何か、―羽入ー折原論争見聞記―」
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