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省思考と自力思考

 省思考とは、本来なら当然自分で考え・根拠づけて置かなければならないこ とをどういう訳かさぼることを言う私の造語です。
 会議では自分の頭でしっかり考え理解している訳でもない「活性化」「ニー ズの多様化」「構造改革」「デフレ」などなが空中を飛び交いますが、その意 味は、誰も明確には把握していない、したがって、会議の結果もそれが本当は何を意味しているのか出席者の誰にも分かっていない、ということが有ります。

 意味や根拠の分からないことは、自分の頭で考えて解明する・少なくとも自 分的には決着を付けておく、この当たり前のことがどうして出来ないのか、今 日はその原因の一つを考えてみましょう。
かって、小売(流通)業界では、「人類4,000年に及ぶ商売の歴史の精髄は米国で花開いている。商売とりわけ小売業はすべからく米国に学ぶべし」、と主張する先生がいて、一世を風靡しました。いま?さぁどうでしょうか。

 先生は、とにかく、「商売の原理・原則は米国にある、自分で考えてはなら ない、米国小売業に学べ、絶対服従せよ」、ということを盛んに主張していま した。
「自分の頭で考えるな、アメリカで見てきたことを実行せよ」、の一点張り、 「自分の頭と商業4,000年の歴史のどちらを信頼するのか」というような論法だったようです。今考えると本当に噴飯ないい草ですけどね。
 何しろ当時はなく子も黙る米国スーパーマーケットの全盛を眼前に見せつけ
れるわけですから、否応は無かったのかも知れません。「なるほど、4,000年
の歴史かぁ、なるほどなぁ」ということだったのでしょうか。
 では、米国では新しいビジネスはどこから生まれるんでしょうかね、先生?
と聞けば、全ては一瞬でガラガラと崩れ去る「権威」だったのですが。

 何しろ当時はアメリカで全盛期だったスーパーマーケット理論を直輸入、こ れがブレイクしたため、こういう理論?が飛ぶ鳥を落とす勢いだったらしい。
米国で、顧客にとって見やすく買いやすい売場づくりの経験則が、日本では4,000年の商業の歴史の精髄、小売業の原理・原則というふれこみであがめ られたのです。とにかく、商業者の4,000年に及ぶ歴史に裏打ちされた原理・原則ですから、「疑うな・信じて実行せよ」というわけです。

 考えるな、模倣せよ、なんでそうなっているのか、理由を考えるなどしゃら くさい、そんな暇があったら一つでも多く原理原則を暗記せよ、というわけです。現在の流通大手とりわけ量販百貨店のトップクラスはこういう教育?をたたき込まれていますからね。今頃になって「良いアイデアがあったら出せ」などとはムシの良い話です。

 ところで先生ご推薦の米国の小売業ですが、当時絶頂を極めていたスー パーマーケットはどうして米国で生まれたのか? 商業4,000年の精髄がど うして歴史・経験浅い米国に生まれたのか? こういう疑問は当時の流通 関係者、先生にも生徒にも全く浮かばなかったらしいですね。技術について も「どうしてそうしなければいけないか?」という疑問をもってはいけない、それは商業4,000年の歴史を疑うことだ、というような論調ですね。

 もちろん先生自身、そういうように考えていた節がありますから、技術の説 明も抱腹絶倒というのはざらです。(これは「省思考」には付き物の悲喜劇の パターンですが、いつかまとめて紹介しましょう。)

 米国では「お客の都合」にあわせて実現した工夫が先生にかかると「人類4,000年の商業の歴史の精髄」となるわけですから、そこからはなんの進歩もありません。卑近な例は「業態」という小売業の定義。詳しくは次号で説明しますが、今となっては(とりわけクオールエイド社の理論を学んでいる人には)とうてい信じられないはちゃめちゃな説明でした。

 米国でスーパーマーケットが誕生した経緯はあまりにも有名ですから、皆さん既にご承知のことですから割愛します。
 結論だけ言えば、既存小売業とお客の関係を、もっとお客に喜ばれる、支持される商売の方法はないか?という問題意識をもって観察し、自分の頭で考える人が問題を解決したビジネスモデルを発明する、というのが米国で新しい小売業の類型が出現するパターンです。もちろん、その背景には優れた(お客に支持される)ビジネスモデルを発明すればそれが商品になる、ということがあります。

 人類の商売4,000年の歴史などということでは、新しい業態が次々に生まれる由縁を説明することが出来ませんからね。とにかく売場第一線の即戦力育成という課題に対応するため、という側面もあったのでしょうがスーパーマーケット理論の根拠を「商業4,000年の歴史」に求めたため、自分の頭をってお客の立場で考える、ということを禁止しました。「ワーカー=人手」を作るのには効率的だったかも知れませんが、組織風土は話になりません。

 そういう「人材育成」をやって来た企業がこの期に及んで「知恵を出し合って難局を乗り切ろう」などと手のひらを返しても創業以来の風土はおいそれと変えることがはできません。全て、かけ声倒れ、という事態を幾度も目にしましたね。

 小売業では、各部各層こぞって「お客のプラスを増やし・マイナスを減らす」という問題意識を持っていないと、もの余り・人あまり・店あまり・企業あまり・という現状を突破していくことは不可能です。
 特にラグジュアリィへとシフトしつつある時代、お客と直接接する第一線の人たちの能力をどう活用するか、ということが大きな課題です。

 販売第一線の人材育成・活用、これは流通のみならず、日本経済再生の鍵を握っているといって過言ではありません。ラグジュアリィ対応はでもしか販売員では無理、もちろん、商業4,000年の歴史を背負った「ワーカー」などの手に負える仕事ではありません。小売業にとって販売職が高度な識見・技術を要する専門職となる日が来ています。

 この時期、「水道哲学」時代の原理原則は全て一度疑うことが必要です。
もはや省思考で自動的に反応する、ということで解決できる問題はないと考えるべき、あらためて自分の頭を信頼し自力思考の構造を再構築することが必要です。
 とりわけ、「商業4,000歴史」説及びそれに基づく「原理原則」に呪縛されている流通関係者は絶滅したわけではありません。経営・店づくりのそこここに生存、場合によってはいまだに猛威を振るっている可能性があります。

 自力思考と省思考、あなたの持ち場でも対決が必要かも知れません。

□理論とノウハウ  
        
 スーパーマーケットという業態が移入された当時、移入の根拠は、1.商売繁盛の根拠は「時流に乗ること」であり、2.今の時流は「スーパーマーケット」である、ということでした。その根拠としては、3.人類4,000年にわたる商業進化の到達は米国にあると(何の根拠もなく)主張されました。

スーパーマーケット業態の運営の技術は、商業技術の最高到達ということになり、そのノウハウは疑うことを許されない「原理原則」になりました。これは、我が国におけるスーパーマーケット業態の普及という当時の戦略課題への対応にはとても好都合だったと思います。「なぜこうしなければならないか」「なぜならば人類4,000年にわたる商業の精髄、原理原則だからである」疑うものは米国を見よというわけで、いちいち技術の説明をする手間が省けました。先生方も本気で「原理原則」だと思いこんでいたりして(w)
 当時の参考書を見てみますと、とにかく「考えるな・暗記せよ」一辺倒です。
 
  「時流に乗れ」ということもさんざん言われました。今、これから何が時流か、米国を見てくれば一目瞭然だ、ということでした。現場の人間はものを考えてはならない、というすさまじさですね。といっても私は当時業界にはいませんでした。
 後になって教科書を読んでみたらそういうレベルだった、ということです。とにかく、自分の頭よりも「おまえは自分の頭と人類4,000年の歴史、どっちを信頼するのか」という剣幕。「とあなたが言ってるんですよね、あなたの頭より自分の方を信頼しますよ、もちろん」といいたいところですが、先方は米国スーパーマーケットの隆盛という後光が差しており、こちらは素人ですからころりとだまされたわけです。

 これはもう、人材と言うより人での粗製濫造ですね。その結果どうなったか?
自分の頭で考えない、米国あるいは国内同業他社の動向ばかり気になる風見鶏的人材が輩出されました。前述したように、スーパーマーケットの店頭の技術を小売業の経営原則と勘違いしたスーパーマーケット業界およびその関連業界を席巻した「原理原則」は、たちまちほかの業種業態、関連産業にも普及してしまいました。

 スーパーマーケットの急速な発展期に先進事例であるスーパーマーケット全盛時代の米国の技術を直輸入したのはまあよいでしょう。問題はそのときのうたい文句、 前述のように、「人類4,000年に及ぶ商業の集大成」というのが導入の大義名分でした。 厳しい陣取り合戦、急速出店戦略にあわせて人材も促成というか粗製濫造というか、自分の頭で考えるな、原理原則を丸暗記せよ、頭を使うのは本部、店は筋肉を使え、という徹底した分業システムでした。

 この方式で鍛えられた人たちが今でも各社中枢にいそうですね。某社活性化への取り組みが話題になった頃、新経営陣が店舗を巡回、「どんどんアイデアを出すように」と叱咤しているのをテレビでみて暗澹たる思いがしましたね。
 組織の「原理原則」に照らせば、「頭を使う」ことを期待されているトップが「丸暗記奨励」の筋肉組に知恵を出してくれと言っているわけですから。
 こりゃ駄目だ、と思ったものですが、最近はどうなっているのでしょうか。

 小売業は、お客が「自分の生活を作り上げる」という問題の解決にもっとも適した商品あるいはサービス(つまりソリューションですね)を提供することが事業機会です。お客が実際に来店し商品を選定し購買を決定する、というプロセスを筋肉
で対応できる、ということは絶対にありません。にも関わらず、我が国では本部=頭、店舗=筋肉という考え方が支配的でした。
これは大企業に限ったことではありません。元々「指導者」が持ち込んだことですから、これは周り回って全商業界に蔓延することとなっています。

 米国の競争は「誰がお客から見てもっとも優れたソリューションを提供できるか」 と言うことを巡って争われています。現場は筋肉でOK、ということは全くありません。常に創意工夫が求められており、その工夫の基準はよりいっそうの「顧客満足」です。
 米国で「顧客満足」を基準に工夫し、成功し、売り場の(当時の)スタンダードとなっていた技術を我が国では「人類4,000年の商業の精髄」と言うことで暗記させました。この導入方法は我が国の「先進的」と言われるような企業に先を争って取り入れられましたからその結果たるや推して知るべしです。

 私は初めて米国商業の視察研修に参加したときこのことに気づき、大きなショックを受けました。本当に目から鱗が落ちるとはこのことだ、と感じたものでした。

 もの不足時代の余韻を残していた高度成長期までは筋肉路線でよかったかもしれませんが、今や成熟した顧客にマッチョだけでは通用しません。ところがお店のノウハウ、原理原則はその昔、「これが原理原則だ」と聞かされ、米国で成功しているという折り紙付きの方法ですから、受け入れやすいものでした。
 今ではいったいどうしてこういう方法でやらなければならないか、全く意味不明の「ノウハウ」、お客や新人から見れば全く意味不明の「技術」なるものが「人類4,000年の結晶」として売り場に居座っているはずです。

 お客はお店が気に入らなくなったらさっさと次の「買い場」を見つければよろしい。他方、みなさんは不振を打開するためにはこれまで「原理原則」と聞かされ、かってはそれなりに効果のあった「原理原則」、ノウハウを疑い、吟味し、必要により改革しなければならない。これは商店街のみならず我が国小売業の全業種・業態が今まさに共通して直面している大問題です。

 このような、商売上、いわば自分の血となり肉となっている「原理原則」を疑い、 必要によりこれと決別して新しい技術を自ら作っていく、ということが必要になっています。
 もちろん、なれ親しんでいる方法を捨てることは大変難しいことです。一朝一夕に出来ることではありません。やり遂げるためには、「なぜやり遂げなければならないのか」と言うことを爪の先ほどの疑念もなく理解しておくことが必要です。

 この「ノウハウ、原理原則の転換が必要だ」という確信を持つこと、そのためには「なぜ転換が必要なのか」と言うことをしっかり理解することが必要であることは言うまでもありません。かってのスーパーマーケットの技術が、お客の不便の解消、顧客満足の提供ということを基準に、従来の常識やノウハウを否定して、自分たちの知恵と工夫、お客の反応を頼りに作り上げられのと全く同じように、新しい時代のライフスタイルやお客の購買行動の変化を理解し、その理解にたって仮説と しての技術を作り、顧客の行動を基準に評価しながらさらに進化させていく、という取り組みが必要になっています。

フランクリンの十三徳

 マックス・ヴェーバーが根拠も示さず、「資本主義の精神」と持ち上げた?ベンジャミン・フランクリンが説く成功への十三の徳。

1.節度 頭が鈍くなるまで食べるな、酩酊するまで飲むな
2.沈黙 他の人あるいはお前に役立つことだけを語れ。無意味な雑談を避けよ。
3.整頓 すべての事物にその場所を持たせ、お前の仕事のあらゆる部分にその時間を持たせよ。
4.決断 お前がしなければならないことを事項するべく計画せよ。お前が企画したことを間違いなく実施せよ。
5.節制 他の人あるいはお前自身に善事を行うこと以外に支出をするな。これは浪費するなということだ。
6.勤勉 時間を失うな。常に有益なことに取り組め。すべての無用な活動はやめよ。
7.公正 けして有害な虚偽を用いてはならない。無邪気に正しく考えよ。そしてお前が語るときはそのように語れ。
8.正義 お前が不正を行うか、あるいはお前の義務である善事を怠ることによって、何人をも害してはならない。
9.中庸 極端を避けよ。お前にそれ阿がたいすると考えられる以上に侮辱を強く感じ、あるいは悪くとってはならない。
10.清潔 肉体、衣服あるいは住居内の不潔を我慢してはならない。
11.心の安定 小事についてあるいは通常の不幸あるいは不可避の災難について、不安になってはならない。
12.貞潔 性交は健康あるいは子孫を残すためにのみ行なえ。けして愚鈍になるほど、体が悪くなるほど、あるいはお前自身あるいは他人の心の平和や名声をおびやかすほど、これに耽溺してはならない。
13.謙虚 イエスとソクラテスを手本にせよ。
(引用:ゾンバルト『ブルジョワ 近代経済人の精神史』中央公論社 1990)

ということで、拳拳服膺されている人もあることでしょう。

 しかるべき人たちから信用を得るためには、という〈処世術〉ですね。一部プロテスタント宗派でも同じようなライフスタイルを追求するのですが、それはひとえに「神に選ばれた存在」であることを顕現するためです。

 初期資本主義に不可欠だった「信用」を得るため?フランクリンが推奨するライフスタイルと、別の動機からするプロテスタントのライフスタイルとの「親近性」をもって、資本主義はプロテスタントから生まれた、とするのが「ヴェーバー学派」の主張です。
 
 ご承知のとおり、米国では「人生を成功するの法」を説くというジャンルがありまして、takeoはほとんど無縁ですが、なにかの拍子で一冊だけ読んだことがあります。
ロバート・J・リンガー『複眼の論理』三笠書房
これはお奨め。古書店にあるようです。

上記、ゾンバルトの本はお薦めです。Y5,300と高めですが定額給付金でどうぞ。理屈抜き?で面白く、すらすら読めます。ヴェーバーなどとは大違い。学術書の第一要件はスラスラ読めることだとtakeoは確信しています。
買って後悔することありません。

ゾンバルトはこれから社会学の新しいアプローチを導く存在として一挙に復権するはずです。

「愚行」を理解する

 “賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ”とはよく知られた警句ですが、認識の範囲や精度は着実に高まるのに、、愚かな行為はなぜ繰り返されるのか?
失敗を許されない「都市経営」の遂行にあたっては、歴史に学び・教訓を理論化し、組織的に共有することが必要です。
スタートは、もちろん自分自身の啓蒙です。

 先人による「デス・マーチング:愚行の行進」の分析

□バーバラ・タックマン『愚行の世界史』(朝日新聞社 1987年)
人間にとって「愚行」とは何か?
4項目を定義し、トロイの戦争からベトナム戦争まで、「愚行」を内在的に分析しています。

□野中郁次郎他『失敗の本質』(ダイヤモンド社 昭和59年)
勝ち目のない戦争をしたということと、その戦争の戦い方とを区別し、後者について“負けるべくして負けた”その戦い方と負け方を分析。
ただし、「戦略」という概念の定義が明晰でなのため、適切な「教訓」を獲得するレベルに至っていませんが・・・。

□児島襄『誤算の論理』(文芸春秋 昭和62年)

もちろん、
□山本七平『一下級将校のみた日本陸軍(上下)』(朝日新聞社 1976年)
□ 同  『私の中の日本軍』(朝日新聞社 1976年)
□ 同  『空気の研究』(文芸春秋社 1977年)  

変わったところで
□エドワード・ヨードン『デス・マーチ』(トッパン 1997年)
ソフトウエア開発プロセスの「愚行」の発生メカニズムの分析から「愚行の一般理論」へ。

で、愚行防止に関する教訓の第一は、やはり「啓蒙力の強化向上」ということではないでしょうか。
「啓蒙力+勇気」=教養と考えれば、教養の向上。

 大東亜戦争末期、文系の学生は学徒出陣で最前線(ただし、官系は短期現役主計科士官など温存、理系は徴兵猶予という措置が取られ、結果、戦後復興は「官系と理系」をリーダーとして進むことになった、つまり、大東亜戦争によって教養系は断絶、復興を推進したのは官と理であり、以来現在に至っている、と喝破しているのは、

□保坂正康『あの戦争は何だったのか』(新潮新書 2005年)
“優秀な連中はみんな戦争で死んだ”と述懐する人が多かったそうですが、ん?、すると今生きているわれわれは・・・?

 ということで、愚行を阻むには「教養」が必須ですが、お得意の生産ラインで対応できる課題ではありません。
「地方分権」最大の課題ですが、果たして問題は自覚されているでしょうか。
気になるところです。

“誤算は期待から生まれる”といったのはリデル・ハートですが、とはいうものの期待無くして意欲・行動を組織することは出来ません。
だからといって「期待」は「資源」でも「選択肢」でもな意という冷厳な事実を忘れるとそこから「愚行」が生まれてくる、ということでしょうか。
期待は即色メガネであることを忘れると、デス・ダイビングへの道であるということをキモに銘じておくことが大切ですね。

カント的啓蒙の自修自得

 辞書を引いてみますと
啓蒙:無知の人を啓発して正しい知識に導くこと
などとありますが、こういう定義ではたちまち
「無知」とは何か
「正しい知識」とは何か
という問題が出てきます。
啓蒙とは特定の立場を作っている人が自分の立場を宣伝流布することかよ、という茶々もあり得まして、善男善女はいつも「正しい」と主張される言説を選択することを要求されているわけですが、はて、「正しいと主張される言説の根拠は?」と考えると、それを判断する力は自分で持たなければならない。

早い話。
辞書にいう啓蒙とは、ものごとを知らない「遅れている」人を「正しい知識」を持った人が教え導くこと、でありまして、この場合、
遅れているのは誰か
正しい知識をもっているのは誰か
ということは自称「正しい知識を持っている」側が決めているわけですね。
ふたつ問題がありまして、
その一 自称「正しい知識」が間違っていたらどうなる
その二 教え導いてもらう側はいつまで経っても教え導いてもらう立場から抜け出せないが・・?
ということです。

 見聞きする「教え導く側」のていたらくから、おいそれと啓蒙が実現出来るとは思えないわけです。
(中には、「目からウロコが落ちた」とか、これがダメならむこうがある、などと嬉々?として立場を飛び移る人もありますが・・)
「教え導く」と称する人の持っている知識が「正しい」とは限りませんし。教え導きたいのは「正しい知識」を持っている人だけとは限りませんし。

 ということで、辞書的「啓蒙」には自家撞着(矛盾)があります。

 『啓蒙とは何か』
これまで当サイトで何度か取り上げている カントさんの有名な本ですが、これによれば啓蒙とは「自分のアタマで考えること」であり、啓蒙哲学者カントさんは、この本で「自分のアタマで考えよ」と提唱しています。

 「自分のアタマで考える」とはどういうことか?
これは、遅れている知識、間違っている知識を正しい知識に置き換えることではありません。人から与えられた知識、世間の常識に唯々諾々とする態度は「啓蒙=自分のアタマで考える」とは違います。
(啓蒙とは蒙を啓く、闇から抜け出すという意味です)
他人から与えられる知識、いつの間にか自分の心身の一部になっているような知識に基づいて行動するのではなく、自分のアタマで考えて行動すべきだ、というのが啓蒙の立場。

 ではカントさんの「自分のアタマで考えよ」という提案を受け入れ、自分のアタマで考えてみようと思い立ったとき、われわれが取るべき態度とはどういうものでしょうか?
そもそも自分のアタマで考えるとはどういうことか?

 自分で考えよと言われてもアタマの中にはすでに様々の知識を詰め込んでいますし、いまからリセットするわけにはいきません。
リセットしてもその後になにをどうインストールするのか、という問題もあることでしょうし。

 カントさんの提唱をtakeo的に翻訳すると「人の振りみてわが振り直せ」「われ以外皆我が師」ということです。
人の振りを客観的・批判的に観察し、それを基準に我が振りを評価し、是正すべきを是正する。この作業を通じて自分の振りを作っていくわけです。人の振りをどう見るか、どう自分の振りに反映させるかは、自分で決めなければならない。

 カントさんが特に推奨するのは「公共言論」に関わることを通して、「ものの見方・考え方」について「振り」をなおしていくこと。
その第一として「公共言論」において交わされる相互批判の見聞を通じて「批判のしかた」、批判能力を自得することです。

 カントさんの「公共言論」とは学者が取り組む「どちらの言説が妥当か」をめぐる応酬・議論のことです。
学者が交わす相互批判を見聞することで、「言説を理解し・批判する」という技術を学び、態度を身につける、というのがカントさん的啓蒙です。
面白いのは、「公共言論」は間違った議論でもいいし、教え導こうとする趣旨の言説でもかまわない、ということ。
いずれにせよ、「相互批判」が行われればそれを見聞きする中から言説・ものごとを批判的に吟味する・「批判的態度」を修得することが出来る。

 現在の「公共言論」をみますと、カントさんが期待していたような「知識の妥当性」をめぐって学者さんたちが公共の場で丁々発止とやり合う、という情況はほとんどありません。皆無に等しい。
 Web、特にブログの機能に期待することですね。
中心市街地をめぐる言説やそれをめぐる応酬などをみても心細い限り、中心市街地活性化の実現には自力思考が不可欠ですが、必要な能力・態度をどう自得するか。
当サイトは、一貫して自力思考を提唱しているわけですが。

 珍しく公共言論において激しく相互批判が行われている事例があります。前にも紹介したと思いますが、マックス・ヴェバーの有名な『プロテスタンチズムの倫理と資本主義の精神』をめぐる大論争です。5年くらい続いたかと思いますが、ここに来て一段落したようです。

 これを題材に「批判的思考」の実際を見聞し、自力思考の確立に役立てよう、という大それた企画を思い立ちました。
年末年始、限られた時間ですが有効に使って「批判的思考」を見聞したいと思います。
この際、つきあってみるか、という人の参加をお待ちします。【理論創発】コーナーです。

「学問とは何か、―羽入ー折原論争見聞記―」
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プロフィール

有限会社 クオールエイド

  • Author:有限会社 クオールエイド
  • 【キラリ輝く繁盛店づくり】
    お客に見える店づくり―見える化をテーマに【個店の繁盛】から【商店街活性化】、【中心市街地の商業集積としての再構築】まで一貫した取組を支援します。
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