世論調査の実態は国家機密W

 今朝の西日本新聞には共同通信が実施した民主党代表選挙をめぐる「全国電話世論調査」の結果が掲載されています。
以前にも書きましたが、この手の調査は噴飯ものでありまして、例えばマーケティング関係者なら、通常、調査の方法として採用することはおろか、脳裏に浮かぶことすら絶対にない、と断言できる代物です。

 全国電話世論調査とは:
①コンピューターを使って10桁の数字をアトランダムに打ち出す
②これを全国の固定電話の番号と見なす
③ダイヤルする
④応答が有ったものについて質問を行う
⑤集計・公表する
という「調査」です。

 問題はいろいろありますが、
1.10桁の数字の全部集合を「電話世論調査」の母集団である電話番号と見なすことは出来ない。(電話番号になっていない数字があるはず)
2.実際にコールした電話番号が調査対象として的確とは限らない。(団体、企業の電話など)
3.電話に出た相手が調査対象としての適格者とは限らない。
(電話に出るのはたまたま電話を掛けた時間に在宅していた人)
4.電話に出た人が調査に協力的かどうか。
というような状況が想定する中で、必要なサンプル(調査対象となる個々人)数を集めるわけですが、これは不可能です。
その理由:
1.世論調査は確率論を基礎に組み立てられるが、上記の手法は確率論を逸脱している。
(1)母集団が確定されていない。(母集団は「有権者」であるべき、電話番号=有権者ではない。)
(2)サンプルが確定されていない。(通常の調査ではサンプルは氏名が特定される。したがって性別・年齢・住所等が明白な特定の個人がサンプルとして抽出される)
(3)調査結果の信頼度が分からない。(何回電話をして何回応答があったか、そのうち調査に応じたもののの比率など。)

2.今どきのライフスタイルから予想される「全国・固定電話・世論調査」の回答者とは、
(1)調査日時に在宅している
(2)見知らぬ相手からの電話に即応する
(3)調査に協力する
という条件を持っている人に限られます。
つまり、「全国電話世論調査」とは以上のような「仕組み」での「調査」でありまして、これを「世論調査」と呼ぶのは恥を知らない所業というべき。

 以上、簡単に見たように、「全国電話世論調査」は、一般の調査概念を逸脱しており、その結果をまじめに受け取ることは出来ません。

 調査について上で述べたことは、社会調査のイロハですから、調査を行った共同通信がその調査が「欠陥商品」であることを知らないとは考えにくいですね。
この手の調査を本気でやろうとすれば:参照
我がマスコミ各社には諸般の事情で取り組めない問題かも知れません。

 さて、今日の本論。
以上を踏まえますと、「全国・固定電話・世論調査」は、調査に応じてくれた人たちの属性(住所・年齢・性別・支持政党など)の分布を公開することが出来ません。
もちろん、公開しようと思えば簡単ですが、公開したとたん、回答者の属性分布が調査対象であるはずの有権者の属性分布とまったく関係がないことが暴露されてしまいます。
(両者に対応関係があったとしても、もちろん、そのことをもって調査の正当性を主張することは出来ないのですが。)

 マスコミは、この手の調査を報道するにあたっては、調査に協力してくれた人たちの社会的属性の分布構造を明らかにすべきですが、もちろん、これをやると「全国・固定電話・世論調査」の中味が世界中に明らかとなり、さらに、この調査をもとにした「論調」の正体も明らかになり、調査結果を奇貨としてその言動を組み立てている関係各方面の「破廉恥」ぶりも、ぜ~んぶ白日の下に晒されることになります。

 日本国の名誉にかけてゼッタイ秘匿しなければならない国家秘密かも知れません。
というか、社会調査を囓った人で、自力思考を旨としている人なら国の内外を問わず、みんな知っていることですけど。

 一般にはバレバレのことですが、「全国・電話・世論調査に応じてくれる皆さんやその結果の報道を楽しみにしている人たちにだけは、絶対に知られたくない「秘密」です。
そうでないという調査機関があったら(今回の共同通信社とか)、調査に応じた人たちの社会的属性の分布を公表してご覧、ということですね。

「地殻変動」をどう見るか

 「キャップライト理論」(*)によれば、何をどう見るかということについては、先験的な資質に依拠するところもありますが、さらに重要なことはわれわれが生きてきた過程で意識的・無意識的に素帯してきた「ものの見方・考え方」ですね。
地殻安定期に装備したキャップライトの仕様・スペックで地殻変動期を把握しようとすれば、「不況」くらいしか見えません。
 (*)キャップライト理論

 キャップライト用品、どのようなものが市販されているでしょうか。
当社本棚で「大転換」をキーワードに探してみたら、次のような本がありました。
(タイトルはいずれも『大転換』)
K・ポランニー(東洋経済新報社 1981)
藤原直哉(総合法令 1995)
佐伯啓思(NTT出版)

引用スタート*************
自己調整的市場という考えは全くのユートピアであった、というのがわれわれの命題である。そのような制度は、社会の人間的・自然的な実態をむにしてしまうこと無しには、一時たりとも存在し得ないであろう。それは人間の肉体を破滅せしめたであろうし、人間の環境を広漠たるものに変えてしまったことであろう。社会は否応なく、自分自身を防衛する措置を取ったのであるが、しかし、その措置がどのようなものであろうとも、それは社会の自己調整作用を損ない、経済性生活を混乱させ、社会をさらにもう一つの危険に陥れた。まさにこのジレンマが市場システムの発展を一定の鋳型にはめ込んでしまい、ついには市場システムを基礎にした社会組織を崩壊させたのであった。
引用エンド********************
ポランニー、第一章の冒頭です。なんだかこれから先についての予言のようですね。

藤原さんは、このところ「スローライフ」方面です。
佐伯さんは、‘脱経済成長’を唱えていますが未だ方向と方法は提示されていませんが、情況認識は当サイトと相似です。
他の本も是非どうぞ。

 「地殻変動」の学問的レベルでの警告は1990年代に多く提起されています。ちなみに変動が集中的に露見したのは1989年でした。
興味のある人は、どこかに書いていますので検索してください。

 さて、新自由主義の失敗を受けてこのところ“ケインズ、シュンペーターに帰れ”という主張が見受けられますが、何のことやら。
ご両人には“もの余り・金余り時代の政治経済”という問題意識は当然ながら無かったのでありまして、何を今さら、といわなければならない。
経済学方面の専門家がこういうレベルだから、当社のような臨床部門が慣れない専門書をひっくりかえさなければならない(笑

 上記お三方の本を読むにあたっては、「時間堪能型社会」という補助ライトを装備しておかれると、スラスラ読めると思います。
既に読んだ人、【理論創発】で所感などご披露いただくと嬉しい限りです。

シビリアン・コントロールと「指揮権発動」

 読売新聞は、民主党第三者委員会の報告書にあった、“民主検察に対する法務大臣の指揮権(検察庁法第十四条)に関する言及に対する政府、与野党、識者の批判的コメントを報道しています。
資 料:
第三者委員会の報告書:
問題の個所は、「第3章 検察。法務省のありかたについて」
3.検察権の行使と民主主義の関係
に次のように書かれています。(19頁)

※引用スタート※
本件(西松事件)のように重大な政治的影響のある事案について、単に犯罪構成要件を充足しうるという見込みだけで逮捕、起訴に踏み切ったとすれば、国家による訴追行為としてはなはだ配慮に欠けたというそしりを免れないというべきであろう。逮捕・起訴を相当とする現場レベルの判断があったとしても、法制行政のトップに立つ法務大臣は、高度の政治的配慮から指揮権を発動し、検事総長を通じて個別案件における検察官の権限行使を差し止め、あえて国民の判断に委ねるという選択肢もあり得たと考えられる。また、本当の意味で法務省と検察庁とが独立した官庁なのであれば、このような観点からなされる法務大臣の指揮権発動を、法務省が組織的に支えることは可能なはずである。いずれにせよ、本件を契機として、指揮権発動の基準について、改めて研究・検討がなされるべきであろう。
※引用エンド※

 読売の記事では自民・民主両党の法務系の担当者や法学系の学者による“指揮権発動なんてとんでもない”という拒絶反応がコメントされています。

 指揮権発動といえば1954年吉田内閣当時、いわゆる「造船疑獄」において時の犬養法相が、検事総長に対する指揮権を発動、会期中にも関わらず目睫に迫っていた佐藤栄作自民党幹事長(当時)の逮捕について、国会会期終了まで延期するよう指示したこと、その結果、ついに佐藤氏の逮捕が実現しなかったことが有名です。
 この事件は、報道から政治の司法に対する介入として厳しく批判され、政治の検察に対する「トラウマ」となりました。以来、指揮権発動はタブーになって現在に至っています。
記事での政治家の発言もタブーを踏襲し、報告書を批判しています。
他の新聞も似たり寄ったりの論調です。

 報告書のこのくだりに対する批判に対して、第三者委員会のメンバーだった郷原信郎さんが“個人の資格”で反論しています。

『「法務大臣の指揮権」を巡る思考停止からの脱却を』
―造船疑獄指揮権発動は「検察の威信」を守るための策略だった―

 詳細は、上掲記事を読んでください。

■造船疑獄における指揮権発動の真相:
 代議士の逮捕を阻止しようとして法務大臣の検察に対する指揮権が行使された、ということになっている造船疑獄の指揮権発動ですが、実は、その時点で検察の捜査は行き詰まっており,終結しなければならない局面を迎えていたが、検察自身で幕を引くことが出来ず検事総長が法務大臣に依頼した、というのが真相だったとのこと。
どうも関係方面では周知のことのようですが、この経緯が伏せられていたため(それとはしらない?)メディアが政府与党を一斉に批判、これに対して当事者が説明責任を果たさなかったため“「指揮権」は正義の味方・検察に対する悪徳政治家の容喙の道具である”とする極めて平板・短絡的な理解が通論となり、今現在もまかり通っている検察不可侵・不謬論が確立したわけです。
報告書は、この状況に改めて一石を投じたもで、今後活発な議論が起こることは確実、展開が注目されます。法務省内部への相当の波及があるかもしれません。

■民主主義と専門家専制
 民主主義は、専門家に対する素人によるコントロールである、をよく言われます。シビリアン・コントロールですね。  
この「原則」は、軍隊に限らず、強大な検眼を負託されている行政の全体に及ぶものであり、検察もそのコントロールの下にある、ということだと思います。
その基礎となるのが、「情報の共有」であり共有を担保する「説明責任」であり、それをチェックし実現するのが報道の役割ですが、いずれもよく機能しているとは言えません。

 それにしても造船疑獄の指揮権発動の真相が、そういうことだったというのはビックリです。
あらためて、社会における「報道」機能の重大性が確認されるニュースです。

 もちろん、民主主義における“専門家にたいする素人によるコントロール”については、サボることが許されない国民の仕事です。

 “国民はおのれのレベルに応じた政治家と新聞を持つ”とするならば、両者に対する国民の・われわれの対応のあり方が問われていますね。その実現を担保するのが情報の共有であり、そのまた基礎となるのは啓蒙=自力思考ということ、とりあえず、Webをどう活用し発展させていくのかという課題があり、至る所で模索が始まっていますね。

近代経済学批判

□今年の世相漢字は「化」

2008年は「変」だったそうですね。
一年を振り返って一字で表現すると「変」だった、という人が多かった。なるほど。
2009年は、主動的にどういう年を目指すのか?目指すべきか?
「目標世相漢字」を考えてみるというのは如何でしょうか。

 ということで、当社は「化」を提案したいと思います。
「変」と違って「化」はみずから意識的に目指さないと実現できません。化けようとしなければ化けることは出来ません。

 中心市街地も従来の漫然たる活性化から活性「化」への脱皮が必要ではないか。
関係各位、それぞれ化ける覚悟がないと活性化は実現できないのではないか。

 ということで。
今年の世相漢字は早くも決定、「化」それも「大化け」ですからね、皆さん。
「大化け」出来なければ「大変」になる、というのが今年一年の情況だと思いますが如何でしょうか。

□化けるべきは

経済学&資本主義
株式会社&会社法、企業会計原則
マーケティング&店づくり

ぜ~んぶ大化けしないとこの暴風雨は乗り切れません。
特に「経済学」の責任は重大であり、しっかり追求しなければならない。

経済学者さんが言っています。
“経済学を無視するものは経済理論の奴隷となる運命にある”
“経済学を勉強するのは経済学者に騙されないためである”

□近代経済学批判
近代経済学とは、アダムスミスを鼻祖とする経済学全部
古典派も新古典派も
マルクス派も
ケインズ派も
み~んな「近代経済学」でありまして、これを全面的に批判して「現代経済学」を構築しなければならない。
情況はまさにそこまで来ているのでありまして、早い話。
年の暮れに働いている人を追い出して恬然としているような企業があり、その企業の経営者が「人の上に立つ」のが当たり前というような経済学が通用するというのはおかしな話でありまして。

 こういう経済学が主導的な位置を占めている世の中はやがてそういう経済学を信奉している企業の足元を確実に掘り崩してしまいますね。
“規制は緩和しろ、その結果については国が何とかしろ”という立場の人たちが別ステージでは「愛国心の養成」やら「道徳教育」などを説くわけですから、ちゃんちゃらおかしくって。

 ということで、新しい年は、“くたばれ!グローバリスム、くたばれ!新自由主義”ですね。
百年に一度の「大暴風雨」は、、百年間通用してきた常識では対応できません。
「ラグジュアリィ」は「近代経済学(含マルクス主義)」からは出てきませんからね。

今年最後のジュンク堂

 昨日はジュンク堂で午後一時~五時遊んできました。
いつもにましてお客が多い。
レジが10個所以上ありますが、それでも行列が出来ています。

 消費購買条件がシビアになると、当然ながらショッピング行動はシビアになります。
消費購買行動に適した業容を創出提供しているところにお客は集中します。ユニクロもそうです。
お客は増え、しかも衝動購買=来店目的以上に買ってくれる。
開店以来の好業績が伝えられたりします。

 新しく生活に導入する意味・価値がどれくらいあるか?
厳しい吟味に対応できる業容を創り、品揃えを提供しているお店にお客は集中する。不況になればこの傾向にいっそう拍車が掛かります。「不況だからお客が来ない、来ても買ってくれない」と思ったら大間違い、売れるべきお店はしっかり売れているのです。

 その点、「半額セール」など「不況=価格訴求」しか思いつけない量販店の業容は劣化の一途をたどっているのではないか。

 ユニクロの「目玉商品プラス平常価格」では衝動購買が当たり前ですが、量販店の半額セールでは、従来的愛顧客の単品目的買いが中心になっているはずです。
ジャスコの服が半額だからといって、モールのお客がそっちに流れることはありませんからね。

 ジュンク堂で気づいたのは、経済システムについて本が増えていること。
NPOや協同組合などについての論考が多くなっているようです。
Webでも同じような傾向がありますね。
他方、国の政策の受け皿としての協同組合は危機的状況に陥っているところが少なくありません。商店街関係でも多いようです。
どういうわけか基本計画ではほとんど取り上げられていません。

 これから先、自助能力の強化が課題となっている中小企業の活路開拓に協同組織は不可欠ですが、もちろん、これまでの協同組織は協同を名乗るのが恥ずかしいところも少なくなかったわけで、協同組織の活性化も都市経営上の大きな課題です。

 買った本
紺屋典子『平成経済20年史』幻冬社新書 2008年
奥村宏 『世界金融恐慌』七つ森書館 2008年
こういう人たちが活躍される時機になったようです。

目指せ!「一億総中流」

 本日の西日本新聞には。
「日本のGDP 世界の9.1%」という記事がありまして、1980年以来最低、一人あたりGDPも長期低落でOECD加盟国30ヶ国中18位。かっては1,2位を誇っていたわけですが。

 もとはといえば、高度成長期以来「一億総中流」という流れが自然成長的に出来たことが原因で出来た経済大国ですから、総中流が崩壊すれば、たちまち奈落に向かって驀進するのは当然です。

 同じ紙面には。
「自動車国内販売5社が前年割れ(11月)」も掲載されていまして、さあ、これからどうなるか。のぼせるな、勝ち組。というハナシもありまして、みんな一年車買うのガマンしょ~、となれば勝ち組もへったくれも無いのであります。

 ということで、バブル崩壊への対応を考えるにあたっては、「一億総中流体制の堅持」ということを条件に知恵を出すべきところ、グローバルスタンダードとか、株主利害とか、痛みを伴う構造改革とかのデタラメ、米国の一部求利業界のハナシを鵜呑みに狂奔した結果、こんにちの惨状を見ているわけでありまして、「一億総中流への道」を構想できない経済学やら経営学やらは顔を洗って出直してもらいたいw
といってももちろん後の祭り、もっぺん出直し的取り組み、です。

 ということで、目標は標題のとおり。
 一億総中流の実現は、中心市街地・商業機能の「ラグジュアリィ」への大転換から。
これが実現するには/したら、わが国の産業構造全般がどう変貌していくか、ちょっと考えれば「一億総中流への道は中心市街地活性化から」ということがいよ~く理解できると思います。

 国の方向がなかなか定まらないなら、都市単位で目指すべき「○○市民総中流への道」。
目標が決まると、仕事の目標、方向と方法も決まってきます。

「商店街、関係者全員中流化への道」こそ、中心市街地活性化の目的、経済活力の向上ってそういうことですね。

 ということで、都市経営としての中心市街地活性化、位置づけは市民総中流の実現」への第一歩、「ラグジュアリィは都市を救う」です。

目標は簡単明瞭・紛れなく、というのがプランニングの基本です。
「目指せ、一億総中流」今度はきちんと目的意識を持って取り組むわけですから、うまく行けばうまく行くかも。
この話題、年末年始から【理論創発】で延々と繰り広げる予定。

コーナーの性格柄、理論的なハナシになりますw
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イオンモール大牟田

 イオンの大牟田進出については既に一度取り上げています。
 新しい情報です。
********************* 参考 ********************

①株式会社ダイヤモンドシティは、2007年8月21日をもってイオンモール株式会社と合併いたしました。ホームページを変更いたしますので今後はこちらのアドレスをご利用ください。

②9月22日よりイオンモールの全国の各店舗名が変更いたしました。
新店舗名一覧

******************************************

 これらを踏まえつつ、あらためて。

①デベロッパーがイオン九州からダイヤモンドシティへ
 「参照記事」によれば、グループ内の機能分担の変更があったわけですね。それに伴い、開発主体が変更されたわけですが、売り場面積の増床など、業容変更が行われた、ということですね。
 ご承知のとおり、イオン系のショッピングセンターには、大別して「ダイヤモンドシティ」と「ショッピングセンター」がありましたが、今後は「モール」と「ショッピングセンター」のようですね。
両者の違いはどこにあるのか?
よく分かりません。分かる人教えてください。
 イオン大牟田店の名称は「イオンモール大牟田○○」でしようか。

②店舗面積が42,000㎡から45,000㎡へ
 増床分は、「地元業者向け枠」だそうで、これはイオンにとってはじめての試みとか。
takeo的にはこの内容が「ゆめタウン」対策と相まって興味津々をそそられます。

③建物面積が75,000平米から96,000平米へ
 非・物販施設の充実。
明らかに旧ダイヤモンドシティ業容、その拡充版でしょう。
併設される非・物販施設の効能効果については、あまり考えたことが無いのですが、果たしてどうなのでしょうか。
データ持っている人、よろしければアップしてくださいませ。
 「イオン」さんとしては「ゆめタウン」さんが「目の上のたんこぶ」であることは明白、どう対処しようとしているのか?

 旧ダイヤモンドシティ業容への移行という基本戦略の転換が行われたわけですが、
①基本的なネライは何か?
②「ショッピングコンプレックス・ゆめタウン」への対応如何?
③「地元枠」には何が期待されているか?
 といったことが問われます。

サイトで引き続き検討していきます。

 地元大牟田をはじめ、荒尾・柳川などの商業者・商店街にでは「対応」が課題になっていることでしょうが、当社の提案は:
『SC襲来・あなたならどうする』
“いますぐ出来ていますぐ効果が挙がる”あの手この手をご紹介。あの手この手の積み重ねでいつのまにか「繁盛店」が出来上がるという、勉強嫌いのアナタにピッタリの情報です。

当ブログの主張、普及宣伝の価値あり、と思われたら
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総裁選・麻生さんの射程

 自民党の総裁選、コップの中の嵐という見方が一般的ですが、そうじゃない、もっと、目を開けてよく見ろという人もいます。

 ラグジュアリィは、結局、生活のどの局面・領域で優先的に自分の「価値実現」を目指すのか、ということですからラグジュアリィ=「一億総オタク化」と言おうと思えば言えるわけです。

 気に入る商品が売られていない・手に入らない、というなら買うのを止める、どうしても必要な場合は間に合わせで安物で結構、となれば「消費購買」は縮減の一途。
縮減の原因がここにあるとすれば、対策は「デフレ対策」ではなくラグジュアリィ推進だったわけで、バブル崩壊~構造改革路線は全部間違いw

 『とてつもない日本』を読んだわけではありませんが、テレビでの発言などから推測すると、麻生さんの最近の主張には、時間堪能・ラグジュアリィ近似が含まれています。

 わが国で進行中のライススタイルの方向は、生活全般のカジュアル=自由裁量化、裁量所得の価値的生活領域・堪能したい時間への傾斜配分=生活の自主的編集であり、言ってみれ一億総オタク化ということ。

 中心市街地活性化は、この文脈で論じないと展望が出てきません。
日本経済も全く同様でありまして、「世界標準」とか「構造改革」というのはラグジュアリィとは無縁の「コモディティ」領域の話。現在の「勝ち組」なんかは、ラグジュアリィという『日本経済が進むべき王道」の前にはナンボのものでもないのです。

 ということで、麻生さん的「とてつもない日本」は自民党や政治の枠に収まらない、文字通り「とてつもない話」に大化けする可能性があります。

 ただし、主張の中に旧態依然の「世界に誇れる日本」などという文言があるとすればそれは余計な話。
なんで「世界」と比較して誇らなければならないのか、何でそれが余計なことか、もちょっとちゃんと考えると「保守本流」を確立することが出来ます。

 そうすると「コップの中の話」ではなくなるわけで、その可能性がコップの中から出てくるとは、いや、ホントに転換期は面白い。

当ブログの主張、もっと普及させるべきだと思われたら
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25% 米軍の戦場における発砲率  

アメリカ陸軍の調査によれば、第一次大戦当時、敵と交戦中の米軍兵士が実際に自分の銃を敵に向けて発射した割合は25%、4人に一人だったそうです。調査は、戦地で上司立ち会いのもとに挙手するという形で行われたにも関わらず、この数字で、立ち会った将校たちも仰天したそうです。その後訓練方法が改良された結果、朝鮮戦争当時は55%に達するようになったそうです。
日米対峙当時は、中間の発砲率だったのでしょうか。

河野仁『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊』

筆者は防衛大学校教授。「軍事社会学」の専門家です。

激戦地ガダルカナルを経験した日米の兵士を対象に戦場心理を探求しています。
戦闘行動の質を決定するのは思想教育ではなく、戦友や第一次グループ(内務班)の紐帯であったという「合理性の発見」は、戦場における相互殺傷に参加した兵士が何か特別の主義や信条に駆り立てられていたわけでは無かったと論じて説得力があります。
極限状態にある「人間としての兵士」の行動の「内在的論理」にせまる労作は一読の価値があります。

防衛大学校には凄い先生がいるんですね。

自衛隊といえば、最近はストレスがハンパではないということで、その原因の一端は「対テロ戦闘」の訓練ということらしい。
対テロの訓練には、「敵は必ず殺す」という原則があり、そのために超至近距離から「頭部に二発打ち込む」ことが原則。これを訓練するのは相当のストレスでしょう。
正規の戦闘の場合は、戦闘の目的は「抵抗力の奪取」ですから、えらい違いです。

ちなみに標題は、
米軍にとって捕虜になることは戦死に次ぐ名誉であり、
日本軍にとっては「生キテ俘虜ノ辱メヲ受ケズ」であったことによります。


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「水道理論」から「時間堪能」へ

♪何でもナショナル・松下電器の創設者、松下幸之助さんが提唱した「水道理論」というビジョンがあります。
「水道の蛇口をひねると衛生的で美味しい水が必要なだけ使えるように、品質の良い便利な商品をより安くより多く提供する」というような趣旨でした。

 当時としては画期的なビジョンですね。これは、まさしく時代のスローガン、生産側、消費側いずれにも強い共感を持って支持されたことと思います。私はリアルタイムで聞いたわけではありませんが、受けたろうな、と思いますね。
 「もっと豊かに・もっと便利に」という社会全体のニーズに対応する当時の全産業に共通する事業コンセプトをこの一語に凝縮している、といって過言ではありません。

 さて、高度成長が終焉を迎えバブルを経験し、時代は変わった、という声は諸処から聞こえますが、「水道理論」を超えるビジョンはどこからも提唱されておりません。
 産業界は相も変わらず水道管に入ったきり、絶対出てきませんからね。グローバリゼーション、構造改革などとといったスローガンは、あんなのは全部、「水道理論」の焼き直しですからね。バカみたい。

 これははっきり時代錯誤です。
この時代に、「もっと安く、もっとたくさん」は、もっとリストラ、もっと環境破壊・資源浪費ということですからね。「格差社会」の否定は、資本主義ニッポンの原動力、水道理論に代わる時代のキャッチが必要です。

 というわけで、当社がポスト水道理論として一押ししているのが「時間堪能」ですね。
 時代のビジョンとして「水道理論」が当時の人々の顕在・潜在の生活上の欲求を象徴しており、その後の経済社会の発展は、まさしく水道理論が提唱するところを具現して進みました。高度成長期、そこまでは良かったのでしょうが、それから後がいけなかった。というか、高度成長期には水道理論に取って代わるビジョン,「ポスト水道哲学」が打ち出されるべきでした。 

 これからは、「自分の好みで生活を演出し、時間を堪能する」というニーズを育み・助長することが全産業の共通した課題です。長きにわたって「水道理論」が占めていた座を襲位する新しい産業のコンセプトが求められているのではないでしょうか。
 まさに時代はこういう曲がり角にあることを認識し、スローガンを提示する産業人というのはいないものでしょうかしらね。
 今度は仕事の内容からしてやはり小売業、中心商店街あたりが提唱すべき立場かとも考えるわけですが・・。

 ちなみに水道理論、提唱されて当時は、夢物語だったでしょうね。「そうなれば良いけどいつのことかしら」とたいていの人が思ったことでしょう。それでも実現したのは時代が良かったから?

 スローライフ、ロハスなどもこういう方向への兆しとうか、実践ですね。
NPO、地域通貨など、脱資本主義的な試みも成否は別として果敢な試みが諸処で展開されています。

 ちなみに、水道哲学ですが、とどのつまりはミネラルウオーターに代替されたり、世界的な不足が予測されたりと、水道自体も言われるほど無尽蔵ではなかったことがはっきりしました。
 ましてや、ハイテク各種のツール、もっと便利に・もっと豊に、はよかったのですが、世界万民あまねく、というわけには行かないです。資源の有限性とのバッティング、地球のキャパとの衝突も目睫に迫っている。

 というわけで、水道理論から時間堪能へ、というのはあながち荒唐無稽なスローガンというわけでも無いようです。


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