これから読む本など

1.石原武政・西村幸夫編著『まちづくりを学ぶ -- 地域再生の見取り図』 (有斐閣ブックス)

 第七章「まちに賑わいをもたらす地域商業」(渡辺達朗)が面白い、あんたの問題意識とも共通するのではないかと薦めてくれる人がありまして。

 この本は商業理論の専門家である石原さんと都市計画系の学者である西村さんが共同で編著、“まちづくり”関係各分野の専門家を組織して作られたものです。
時宜を得た企画ですが、果たして内容はどうでしょうか。

 編著者の一人石原さんの本は、『商業学』『商業の外部性』などを読みました。
小売業のキモは“品揃え”だという視点に立っておられる用です。

 明日からの出張に持参して“まちづくりを学ぶ”ことにします。途中経過を報告するかもです。

2.熨斗一存『価値と公正の経済学』幻冬舎
著者は仮名だそうです。“著者名で先入観を持たずに読んでもらうため”とか。
経済学をダメにしているのは均衡論だ、と喝破したのは塩沢由祐さんですが、この本の参考文献には塩沢さんの数冊が挙げられており、楽しみです。
ただし、経済学はいまいちどその対象として取り扱う領域の定義からスタートしなおさないとダメかも知れません。

 何ごとによらず、「定義」は問題のイノチです。

 このところ、いわゆる理系の人が書いた人文領域の本が面白くはまっています。

既出ですが。
市川惇信『暴走する科学技術文明』岩波書店
堂免信義『経済学の大間違い』徳間書店

市川さんは、「システム科学」の大御所、堂免さんは知る人ぞ知る天才プログラマーだそうです。

 いずれも大変面白く、ためになりますが、当サイトの趣旨からすると、特に堂免さんは「小売業・商店街の経済学」として熱烈お奨めです。
もちろん、小売業以外には通用しない経済学ということではありません。伝統的な経済学が不当にも無視している小売業の機能がよく理解できる経済学だという意味です。

 理系の本が面白い理由は、従来の人文系のつまらなさと表裏です。もっとも、理系が書いた人文書が全部OKというわけではありません。

『海軍反省会』

 戸高一成編 『証言録 海軍反省会』 PHP研究所

 “太平洋戦争期にあって、主に中佐から大佐であった中堅幹部士官による、日本海軍の対米開戦に至る経緯、及び海軍の制度、人事などに関する研究会の記録(同書 編者による端書き)”です。
研究会は、昭和五十五年に第一回が開催され、以来、記録されているところでは平成3年4月の第131回まで開催されているそうです。
NHKの番組は、研究会の全体を編集したものでしたが、本書は第1回~10回までの記録です。

 この反省会に先立って、開戦当時重要な位置にあった海軍幹部を集めて、昭和20年12月~翌年1月にかけて「大東亜戦争開戦前の国内情勢に関する座談会」と題する反省会が開催されています。

新名丈夫編『海軍戦争検討会議記録』毎日出版社
本書についての感想は過去記事にあります。
こちらは、開戦の責任をめぐって極東軍事裁判直前に催された「反省会」でありまして、記録は英訳されてGHQにも提出されたとか。動機が不純です。

 今回の『海軍反省会』には、そういう動機は無いようですね。
NHKの番組は反省会の全体を編集したものだったのに対して、本書は長期にわたる会議のうち最初の10回分の記録であり、まだ「佳境」とは言えません。
NHKスペシャルでの衝撃的な発言の数々は、もっと後の会議で行われたもののようです。続刊を期待します。

 感想を一言にすれば“軍人さんもお役人だったんだな”ということですね。お役人とは、“組織の外に組織に先行して掲げられている目的よりも、組織内部の目標、とりわけ自身の処遇と密接に関連する事項への関心が大きい人”のことです。
海軍省部の“省益あって国益無し”という総括が随所に指摘されていますが、省益追求は即自身の利害の追求だったかも知れません。

 もう一つ。
お役人さんたちは“開戦には反対だったが、あれ以上突っ張ると命が危なかった”という言い訳をよくします。はて、軍人とは国家の安泰に命を的にご奉公するのが本領では、ということも。

 人事面では、海軍承行令の問題。
海軍承行令とは年功序列制度のこと。
ハンモックナンバーという兵学校での席次重視と相まって人事の硬直を招いた。
結果、「予算獲得」や「ことなかれ」がはびこり、誰もが望まず、予期しなかった開戦へと雪崩を打った、ということだそうで、何だ、そんなことで開戦したのかよ。

 大東亜戦争は自存自衛の戦争だった、ということですが、昭和16年11月時点で、東条首相は陛下から“開戦の大義名分”を問われて「目下検討中でございます」と答えるレベル・・・・。 バスに乗り遅れまいととるものもとりあえず急いだのですが、肝心のバスが転落してしまいました。

 対米開戦の確信派は、陸軍参謀本部の中堅で何の責任も負いようがないポジションにいた、周知の二人組だけでした。
もちろん二人とも無事生還し、敗戦後もご活躍でしたね。

『恋愛と贅沢と資本主義』

 マックス・ヴェーバーの仕事仲間にしてライバルであったヴェルナー・ゾンバルトの著作です。
ヴェーバーによるプロテスタントの理念に基づく勤勉・蓄積が資本主義の原点だとする主張に対して、王侯貴族の贅沢とりわけ非合法の恋愛こそがそれを起動させた商業者、手工業者に利潤の蓄積を可能にし、彼らの資本家への移行を可能にした原動力だった、ということで、贅沢が資本主義を生んだ、という説です。

 成金・ブルジョアジーにによる王侯貴族のライフスタイルの模倣・普及トリクルダウンのプロセスが資本主義的市場経済を拡大したわけです。

 当サイトは、脱資本主義の方向と方法としてラグジュアリィ=時間堪能を提唱しています。
資本主義の行き詰まり=もの余り店あまりを踏まえた贅沢は、あれこれのセレブ御用達ブランドを所有することではなく、それぞれが「価値」を置く時間を自分らしく演出し堪能することを意味します。
ラグジュアリィ=時間堪能ですね。
その向かうところはどこか?

 たぶん、ものを所有することで満足を感じる、という精神からははるかに離れたところであることは間違いありません。

 という方向へ日本などが真っ先に移行していかないと、BRICSなどが「先進国的所有の快感」の実現などをめざそうものなら、地球は幾つあっても足りません。
たぶん、わが国はその伝統もあって「時間堪能」にもっとも敏感な社会だと思います。
「しつらえ」などはその好例でしょう。

 他に先駆けて時間堪能型社会への移行を実践することで新しい持続可能なライフスタイルのプロトタイプを作り発信すること。
ひょっとするとこれこそわが国の新しい事業機会、マーケティングテーマであり、地球に対する使命かも知れません。

 ということで、時間堪能・ラグジュアリィは繁盛店づくりのテーマであるとともに中心市街地活性化の方向及び方法であり、脱工業社会をめざす実践の導きです。
大風呂敷ですが、これくらいのことは考えておかないと、「地核変動期」の中心市街地活性化は成功しないかも知れません。
少なくとも、工業社会の遺物であるショッピングセンターに追随しているようでは活性化は夢のまた夢に終わることは間違いなし。

 ということで世間ではケインズ再評価という声が盛んですが、何をおっしゃる、地核変動期を乗り切るのはゾンバルト的贅沢理論の現代バージョン・“見せびらかしから時間堪能へ”です。

参考:地核変動期の経済を理解し、戦略を構想するという役割には既存の経済学では無力です。
参考になるのはこれまで主流かr異端視されていた人たちの苦闘の跡。
ゾンバルトには『戦争と資本主義』(論創社 1996年)があります。
未読ですが『ブルジョワ―近代経済人の精神史』や『ブルジョア―近代経済人の精神史』を手配中。
ヴェヴレン、K・ポラニー、バタイユ、エマニュエル・トッド、ハーシュマン・・・・。
国内では
村上泰亮『反古典の政治経済学上下』(中央公論社 1992年)
佐伯啓思『貨幣・欲望・資本主義』(新書館 2000年)など

地核変動の時代であることを説明していますが、これから向かうべき「方向と方法」については残念ながら。
これは実践の中から出てくるものなんでしょうね。

資本主義を発明した夫婦

 資本主義創成期の原動力としては、
1.勤労精神・・・ヴェーバー
2.貨幣愛・・・ゾンバルト
が定番ですが、いつか【理論創発】で取り上げたことがある「百貨店を発明した夫婦」・プシコー夫妻こそがシステムとしての資本主義を創発した、というのが同書を訳した鹿島さんの卓見です。
鹿島茂『デパートを発明した夫婦』講談社現代新書

同書へのtakeoの感想

 資本主義が機能するためには、会社組織が不可欠ですが、これは勤労精神や貨幣愛では機能しません。
それぞれの動機・目的を達成する手段として企業と関わりを持つ人々の動機・目的に応える仕組みがあり、ちゃんと機能することが必要です。

 鹿島さんによれば、百貨店ボンマルシェでは、社員持ち株制度、自己評価制度、退職金制度などなど、「資本主義、かくあるべし」ともいうべき制度が発明されています。
会社制度草創期、会社の創発ときびすを接して「関係者の期待に応える」制度が作られていたわけで、組織は組織に先行し組織の外に存在する目的を達成するために作られる」というドラッカーさんの組織論をもじれば、「人は、みずからの目的を達成する手段として組織に参加する」わけで、参加してくる個々人の目的達成編期待に応えることは企業にとって不可欠の目標の一つだということになる。

 「会社は株主のもの」という会社法のお約束があたかも真理でもあるかのように幅を利かすのはけして資本主義の原理原則ではないのでありまして、とくに小売業の場合、その組織原理はあらためてプシコー夫妻に学ぶことが必要です。
このところ断続的に百貨店について考えていますが、なかなか先に進みません。
百貨店といえば、このところ企業合併と店舗の撤退話ばかりですが、そもそも百貨店とは何であったか、存続するためには何をしなければならないか、といった論議はほとんど無いようです。
論議がない、というところに百貨店の本当の危機が象徴されています。

 当サイト、百貨店からのアクセスも結構多いようです。
百貨店の業容転換など【理論創発】あたりで議論するというのはいかがでしょうか。

 上掲『百貨店を発明した夫婦』、昨日行きましたら甲府市春光堂書店に平積みされていました。
アクセス出来る方は是非同店でどうぞ。
同店は「まちなかの本屋さん」小規模な書店の業容転換に取り組まれており、その転換ぶりは文字通り日進月歩、この時期業績は右肩上がりだそうです。
店づくりの現状も確認してください。

『生物と無生物のあいだ』

“売り場は生きている”

 いつかどこかで聞いたことがあるフレーズですね。
一つのレトリックでありまして、つまり、売り場をあたかも一つの生命体であるかのようにとらえ(観察し)、生物の振る舞いを売り場のあり方に応用する、という店舗経営のノウハウです。
いわれている内容によって、早く処理しないと腐敗する、ということだったり、育てなければいけない、ということだったりするわけで、なるほど、いわれてみればそうだよね、と思った人も多いのではないでしょうか。

 サイトの【理論創発】コーナーでは、「中心市街地の商業活性化」という課題に取り組むために必要な〈商業理論〉の構築を企てていますが、レトリックつまり、枠組みが難しいですね。どういう枠組みでアプローチしたらスラスラ行けるのか?
理論を作って説明する、とは目の前にある誰もが知っていることをあらためて“そのものをそのものたらしめている全体の関係”のなかに居続けることですから、この全体をどうとらえるか、というところが難儀です。

 たまたま今朝起き抜けに読んだ本:
福岡伸一『生物と無生物の間』2007年 講談社現代新書
福岡先生のこれまでの著書はサイトの方で何度も紹介しています。

 読んでいてひらめいたのが、「売り場は生きている」の「生きている」レベルについて、生物学ジャンルの理論、それもこの本で論じられているレベルには学ぶことがたくさんある、ということ。ひらめいた、というのは適切では無いかも。いつもレトリックに関するアンテナは立てているわけで、そこにビビッと来たわけです。
(先生は、ヒラメキについて辛い評価ですが、そこはひとまず措くとして)

 社会的な事象を自然科学系のレトリックを援用して理解する、理論を構築する、というのはいろんなジャンルで毎度行われています。
たとえば経済学のある流派は、その体系のバックボーンに物理学のレトリックを借用し、また他の一派は「生物学的循環」を援用する、というように。

 万物は循環する、という自然界の通奏低音から、循環の生物的特徴~人間的特徴という理解の構造の中で、「店は生きている」という「小売理論」はどのあたりのレトリックに位置づけ(借用)れば理解しやすいか? というテーマをもっていましたので、おおいに参考になりました。

「商業理論」、ぐっと進むかも知れません。
たとえば「品揃えの必要性とその基本的な考えかた」など実践的な課題について理解が進み、その結果として個別・具体的な個店の品揃えの決定~運用についての「知恵」が出て来るようになります。

 ちなみに、「理解できれば知恵が出る」というのが私のモットーでありまして、中心市街地活性化もその全体像を理解すると、本当に必要な知恵が出てきます。
逆に言えば、理解できないあいだは知恵が出ない、ということで、採用される取り組みは、自力思考を欠いた、先生方のご託宣への盲従か、「成功」事例への追随か、ということになりますが、「なぜこの取り組みを採用するのか」というあるべき自問に自答することは出来ません。
こういうレベルで取り組まれる活性化事業なんか、いくら繰り返しても何の足しにもならない、反省材料にさえなりません。“自力思考を欠いた取り組み”の総括です。

 自力思考の根拠は、「すべては疑いうる」ということ。
特に、自分自身の見解を厳しく疑う、批判的に吟味することが、自力思考の基本です。
福岡先生は、科学者が具備すべき要件の一つは、「自己猜疑心」であると述べています。

 本書は、理論についてあれこれ考えている人には、まことに刺激的な内容がふんだんに詰め込まれています。
もちろん「理論」だけではなく、何らかの関心をもってこの本を読む人の、それぞれ固有の問題意識に応じて他ではなかなかえられない格別の刺激を与えてくれる、そういう意味でまれにみる「名著」だと思います。
ご一読をお奨めする次第です。

 私の収穫はサイトの【理論創発】で近日中に。

読んでみようか、で。
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幕末・幕府の有司

 新政府の「脱・幕藩体制プロバガンダ」もありまして、末期の幕府は人材払底していた、といつの間にか思い込んでいたりしますが、開国修好~富国強兵という明治政府の基本路線は、実は徳川末期、幕府によって敷かれていたわけで、新政府は好むと好まざるとに関わらず、これを漸進的に改良することが使命となったことは、歴史を振り返ってみれば明らかなわけですが、ではこの基本路線を準備したのは誰か、ということになりますと、このあたりは意識的に調べないと分かりません。
紆余曲折につじては、新しい知見が提出されています。
坂野潤治『未完の明治維新』ちくま選書 2007年

 先駆的に「開国修好」を担ったのは、幕府でありその実務はもちろん幕府の為政者~官僚が当たったわけですが、幕藩体制が開国修好で合意していたわけもなく、その推進には艱難がありました。

 実務を担った幕府官僚の維新後の身の処し方には、その一 隠棲、 その二 新政府に任官 その三 民間で活躍 と三通りがありますが、実は他にもう一つありまして、多くの有司が志半ばで病に倒れ、自分たちが敷いた「開国修好」の成果を見ることなく夭折しています。
 幕府旧臣で、維新後ジャーナリストとして活躍した福地源一郎は、明治33年、『幕末政治家』を著し、この基本路線の敷設に関わった人々を顕彰しています。
叙言に曰く「・・・もし一々これを観察すれば、その人物中、あるいは明治昭代の今日においても、得やすからざりしほどの材器ありしを信じるなり」。
 
 重点的に取りあげられている一人が岩瀬忠震(ただのり)。米国全権ハリスとの交渉に当たり、鎖国攘夷に固執する幕閣において一人断固として開国和親を唱え、外交路線の変更を主導しました。クライマックスは、伊井大老政権下における日米修好条約の締結で岩瀬は幕府全権として調印します。伊井は後に「岩瀬に騙された」と激怒するのですが・・・。伊井との確執は、幕府基本路線の選択をめぐり将軍家承継問題に参画し、大老との対立が決定的となり、ついに安政の大獄に連座して官職を追われ、地位を簒奪されます。蟄居のうちに卒去。享年53才。ちなみに横浜開港は(本当は)岩瀬の仕事です。
 この人に引き立てられ、遣米使節の副使兼軍艦奉行として赴いたのが 木村喜毅。 そもそも遣米使節は岩瀬のアイデアで、当初はみずからこの任に当たるつもりでしたが、官職追放で果たせませんでした。

遣米使節

正使 新見正興の一行は米艦ポーハタン号に乗艦、副使・軍艦奉行 木村喜毅は咸臨丸で別行動です。咸臨丸には木村「提督」のもと、「船将」として勝麟太郎、通訳としてジョン万次郎、さらに木村の従者となって参加した臼杵藩士福沢諭吉(ただし、これは名義を借りたもので実際は自費参加)がありまして、福沢・勝 両者生涯の関係はここに端を発しています。

 ちなみに福沢諭吉は後年、木村の著作に序文を寄せ、末尾に「木村旧軍艦奉行の従僕福沢諭吉」と記名しています。諭吉は終生ほとんど序文のたぐいを好まなかったといわれていますが、「封建制度は親の敵」のはずの福沢の「従僕」という自著は、木村との交流のありかた、木村の人となり、二人の終生の交友を物語ってあまりあるところです。

 勝と福沢の二人は咸臨丸船上ではじめて相まみえるのですが、咸臨丸の名目上の船長・勝に対する福沢の所感は『福翁自伝』に。以来、陰陽の確執が続き、福沢による『痩せ我慢の記』の執筆、勝の応答に至ります。

 そもそも勝海舟と榎本武揚を名指しした「痩せ我慢の記」が書かれたのは、後に駿河湾に沈んだ咸臨丸乗組員の慰霊碑(清水市 清水寺 清水の次郎長建立)に榎本武揚が「その人に食する者はその人のことに死す」と書いていた。実は五稜郭落城後、処刑されるはずだった彼が助命されたのは、知人に依頼された福沢の機略によるものでしたが、一日、清水寺に遊んだ福沢はこの書をみて「おまえが言うか!」と怒ったことに端を発するそうですが、榎本に限らず幕府旧臣の新政府への任官、立身については憮然たる思いを禁じ得ず、勝との間には咸臨丸以来の経緯がある・・・、ということで、これに西南の役の非命に倒れた西郷隆盛を論じた『丁丑公論』を併せて出したところに、ご一新後、官途に就かなかった福沢諭吉の一面が伺われます。

 なにやら、タイトルとはかけ離れた話になってしまいましたが、幕末の対立は、表面上は攘夷vs開国が基軸でしたが、必ずしも尊皇攘夷vs佐幕開国という単純なものではありませんでした。国際情勢をいち早く見極め、開国修好・富国強兵こそが国を安全ならしめる道であるとして、幾多の障碍を乗り越えて邁進、開国の基礎を開いたのは、幕府の有司であったことは紛れもない事実であり、かつ、その多くが開国の大業半ばにしてあるいは失脚、あるいは夭折、全うできなかったことへの憾みは、官途に就くことを肯んじなかった人に限られるものではないようです。

 維新後、かって尊皇攘夷を胸に東奔西走した志士の多くは、「文明開花」という空恐ろしい標語に象徴される時代を迎えることになりまして、もちろん、徳川幕府などは「非・文明・封建暗黒社会」となるなかで、有司懸命に敷設した開国路線は換骨奪胎されました。
もちろん、薩長のリーダーなどは早くから「開国」~富国強兵を胸底深く秘めていたわけですが、それはあくまでもごく限られたところで、「話が違う」と乱に走った尊王攘夷派は諸処に鎮圧され、ちゃらちゃら鹿鳴館・和魂洋才などという妄語をスローガンに「誰も計画しなかった」“万国無比』の体制が出来上がっていくわけです。(「出来上がった」のであって「作られた」わけではない)

 今日、「戦後レジュームからの脱却」とかいう超過激路線が唱えられたりしていますが、脱却してどこへ向かうのか、復古しようにも立ち返り先になるような体制なんか無いんですけど。
 そもそも、封建レジュームからの脱却を標榜し、「根底的改革」を目指した明治政府がどれくらい「レジュームの改革」に成功したか、ということはレジュームをどう見るか、ということに掛かっているのでありまして、まずは「レジューム」を定義する、それも“なるべく具体的に・なるべく客観的に”ということが要請されますね。

 “体制脱却”の予期できない波及効果を懸念するところから、「漸進改良」を基本とするはずの保守政党が「体制からの脱却」を声高に主張するとは、“石が沈み木の葉が流れる”まんまですね。

 もちろん、保守を標榜する人は軽々に「レジュームからの脱却」などは口走らないというのが基本中の基本です。
「レジューム脱却」は、古今東西、過激派の主張。

休日のひととき、いつもとはちょっと違う記事をご覧にいれました。 
興味のある人に参考となる本を。有名どころが主ですが。

福地櫻痴『幕末政治家』岩波文庫

森 健次『暁 星』文芸社

土井良三『軍艦奉行木村摂津守

福沢諭吉『福翁自伝』岩波文庫

福沢諭吉『丁丑公論・痩我慢の記』岩波文庫

清水寺の逸話の紹介:
谷沢永一『書物耽溺

読書耽溺、さらに突き進みたい人は:
 同 『紙つぶて』自作自注最終版

※この記事は、クオールエイドサイトの〈日曜日〉向け記事に加筆したものです。

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お奨めの本

サイトでときどきやっています。お役に立てば幸いです。

■生きとし生けるものに共通する「よりよく生きる」という問題に取り組むために。

①長谷川宏『新しいヘーゲル』講談社現代新書 1997

 理論とは何か、人が生きていく上でなぜ理論が必要か、を確認するために好適です。
「啓蒙=自分の問題に自力思考で取り組む」ことの実現が哲学の「本場」の基本課題であることがあらためて確認されます。
ついでにそれを移入した我が国の哲学業界の言説がどうしてイヤになるほど難解なのか、その理由も。

②池谷裕二『進化しすぎた脳』講談社 ブルーバックス 2007年

 “脳が脳を理解する”ことは、脳にとって目下最大・最強の難関ですが、この本は最前線を担っている人が、現場の状況を「中高生」向けにレクチュアしたもの。
環境と脳の構造と意識の関係の分析の現在の到達点を分かりやすく。「科学とは何か」、「知識とはなにか」整理整頓が必要になり、かつ、手助けをしてくれます。①との併読がお奨めです。

③同じく『記憶力を強化する』ブルーバックス 2001年

 もちろんハウツウではなく「記憶の原理」に関する最新の知見。著者は東京大学大学院薬学研究科の講師で、記憶システムを活性化する薬を開発中という人です。
すでに道は半ばを過ぎているらしい。
傍から見ればノーベル賞に相当近い人のように見えます。

 「心と脳」問題は、70年代にちょっと囓りましたが、30年も経つと隔世の感です。

④福岡伸一『もう牛を食べても安心か

 サイトではおなじみです。主題はBSEですが、前振りが凄い。『循環』と『動的平衡論』にはうならされます。
商業集積も計画して・作って・おしまいではありません。
個店におけるお客との協働による不断の業容変換=「動的平衡」を維持し続けることが必要です。

「循環」つながりで
⑤ジェイン・ジェイコブズ『経済の本質』日本経済新聞社
2001年

続きは、いずれサイトの【理論創発】コーナーで。


■プランナーさん向け・とっておきの一冊
陸上幕僚監部『野外令合本―野外幕僚勤務・野外令1・野外令2他―』学陽書房1966年

 陸上自衛隊の最上位教範です。
目的・目標を達成する計画の作り方を一望するにはもってこいの本。takeoがいう「背景知識」のポジションもすっきり理解される(ただし、「一般論」として読み解くチカラが必要)と思います。

 『中心市街地活性化法』と『基本方針について』と『認定マニュアル』があれば「中心市街地活性化基本計画」を作ることが出来る、と考え・実行するのは“『野外令』を読み、暗記すれば作戦が立てられる”というのと同じ「程度」ですね。

 これは、プランナーさん必携の一冊・確信をもってのお奨めですが、
amazonでは品切れ、入手出来るかどうか、幸運をお祈りします。

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amazon ユーズド本 掘り出し物

標記についてのお奨め。

ケネス・バーク 『動機の文法』 1982 晶文社

動機の文法とは、“動機の容れもの”。
人の行動には必ず動機がある、人の行動を理解したかったら、その行動が従っている文法を理解しておかなければならない、という着想から書かれた本です。
バークは、人の行動は、行為・場面・行為者・媒体・意図という五つのキーワードを使ってで理解することが出来る、人の行為を理解するには、あらかじめ「動機体制」を理解しておかなくてはならない、というのが著者の主張。
問題解決理論とも親和性のあるアプローチです。

「人の思考プロセスに影響を与えることを通じて仕事をする」ことに従事する人など、レベルアップに役立つと思います(ま、要らぬお節介ですけど)。
この価格(2,500円!)で入手できる機会はあまり無いはず。
※サイトですでに紹介したので、この価格では入手できないかも知れません。桁違いの価格になりますが、買う人が買えば損はしません。

似たようなアプローチで「環境」の記述を目指すのがクリストファー・アレグザンダーの『パターンランゲージ』ですね。

バーク流に言えばこれは「環境の文法」でしょうか。でも内容は、文法レベルを逸脱、著者の「こんな都市がいいな」的レトリック段階が展開されています。
「コンパク党(*)」のみなさんは、勝手な妄想にふける前に一度読んでみていただきたい。
(*)コンパク党
 ご明察のとおり、takeoはコンパク党に対して批判的です。
“中心市街地を空洞化したのは郊外のせい、今度は中心市街地ががんばって郊外をスカスカにする”というのが党員さんたち。そこには、都市を生活の場(生活環境・所得機会)として充実させていく、という気合いが感じられません。おっと、これは余談でした。

こんな本もあります。
竹内靖雄『日本人の行動文法』(東洋経済新報社 1995)
 竹内先生の著作は勉強させてもらえることが多く、お世話になっています。

 ものごとについて理解するにあたっては、白紙の状態で臨んだのではなにも理解できません。
あらかじめよく吟味した容器を準備しておき、対象を容器に落とし込むことで、所期の目的を達成する、という方法が一般的だと思いますが、上記三冊の本ではそれぞれのジャンルについて、そういうアプローチが提案されています。

Web 読書会のお誘い

安 土 敏 さんの新著『日本スーパーマーケット創論』、予告以来延び延びでしたが、やっと出るようです。

 名著『日本スーパーマーケット原論』の著者による『原論』以来の本格的な小売業経営論です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4827601259/249-1617476-1950725
雑誌『食品商業』連載中、当社サイトでも話題に出ました。
さっそく予約しました。

 諸方面で「業容」を巡る試行錯誤が続いている今日、スーパーマーケットに限らず、小売業全般・企業経営全般について大きな貢献が期待される本です。
きっと当ブログご愛顧の皆さんの中にも待っている方が大勢あると思います。
この記事ではじめて見参という人は、前著にもさっそくにチャレンジしてください。
小売業について理論的にアプローチするとはどういうことか、ということが分かる唯一の本だと思います。

 新著『創 論』では、『原 論』を実践する仮説~試行のあり方が、著者のスーパーマーケット経営者としての実践の客観化を含めて展開されることでしょう。
「仮説~試行」について、こういうポジションを占めているのは、[世界中で]この人だけですからね。

 そこでご提案、当社サイトにおいて本格的な「読書会」を開催するというのは如何でしょうか。

 「読書会」は、もちろん、読んで感想を話し合う、ということではありません。
「読むことは格闘することである」と誰か言ってませんでしたっけ(笑
今回の「読み」は、参加者それぞれの「問題意識」を念頭にした「論」との格闘です。
読むこと=批判的に読むこと。今回は、きっちり「三段階の読み」を行いたいと思っています。
長丁場になると思いますが、得ることは多い(はず)。

 従って、参加とは「読み・書き・考える」というプロセス全般に参加すること、「リードオンリー」では不十分です。
(ということはリードオンリーのままでは分からない(笑 )

 「読み・書き・考える」ことを通じて、私も含めて参加者のなかで必ず「プラス」が起こります。プラスとは「問題解決能力を向上させる」という課題にとってのプラス、騙されたと思ってご参加いただくと、後で「騙されて?良かった」ということになるかも。
脳内過程にプラスが必要な人は参加してください。

 取り組みは、「参加する」と決意するところから始まります。
「参加表明」することが、脳内に意欲を喚起し、「脳」をその気にさせます。
「脳」をその気にさせる、すなわち「自脳マーケティング」です(笑 脳は、その気にさせないと力を発揮しませんからね。

ということで、まずはスレッドで続々と「参加表明」していただくと、「脳」も「掲示板」も盛り上がるのではないかと(笑

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『裕仁天皇の昭和史』

山本七平 祥伝社(non select)平成16年7月

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396500815/qid=1098610713/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-0306505-4815404

山本さんは、学徒兵の体験を原点に「日本」を徹底して分析したことで有名です。
イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』の訳者として世に出て以来、「日本の正体」に迫る数々の論考を発表しました。
その業績は『山本七平ライブラリィ』全16冊にまとめられています。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163646108/qid=1098610836/sr=1-6/ref=sr_1_10_6/250-0306505-4815404


本書は、ライブラリィ発刊以降に書かれたものです。
上記「ライブラリィ」では昭和天皇についての論考、論及がほとんど無く、ストラッグルが推測されるところでした。

山本さんが本書で明らかにした昭和天皇の足跡が教えるところは、これまでの現代史などで語られてきた定番的見解を一網打尽、戦前・戦後を貫く「日本」とはいったい何か、ということです。

軽佻浮薄とでも表現する他はないような政治家の言動に象徴される今日の状況において、「日本なるもの」をあらためて認識するために、この本が教えてくれるところはまことに多く、深いと思います。

ちなみに、戦前の版図拡大路線から戦後の経済成長路線、はては現下の「国益」吹聴まで、根底にある「日本」は微動だにしておりませんが、山本さん描くところの昭和天皇は、この趨勢に流れる事無く、君主としての権力を掣肘する大日本帝国憲法を奉じ、敢然として屹立していた希有な君主であった、ということです。
もちろん、政治家、官僚、軍部の言動は憲法以下の法をないがしろにする「日本」そのものであり、そのスタイルは戦後もずうっと今日まで通底しているわけです。

こういう視点で「日本」を把握する試みはこれまで全くなかったと思います。
進路の混迷がさらに深まっているおりから、あらためてこのようなスパンで歴史を顧みることはとても意義があると思います。
今後連綿と読み継がれるべき書であることは間違いありません。
皆さんに是非ご一読をお薦めします。
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