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言葉遣い

●言葉遣い

人形遣い、たとえば人形浄瑠璃。たくみに人形を操り観客をドラマに没入させる。
もちろん熟練のわざが必要ですね。

マーケティングの当社による定義は、ご承知のとおり、「お客がその期待する結果を得る活動に貢献することを通して自分の目的を達成する」ことです。
もちろんそのためには技術が必要です。
では、その技術とは一体何か? 小売業を通して考えてみましょう。

 小売業は商品を売買することがマーケティング機会ですが、商品の売買、消費の動きはあなた及びお客のアタマのなかでの仕事次第。
この仕事においてアナタがコントロールできるのはもちろんアナタのアタマの方だけですね。
アタマのなかの仕事のほとんどは「言葉」を使って行われます。
ということで、アタマの中の仕事がうまく行くかどうかは、「言葉」とその使い方に左右されるところが大きい。

 考えてみれば、私どもが提供しているコンテンツはすべて
言葉遣いの修得にかかわるものです。経営ノウハウなどは皆無(笑)
理論(そのエッセンスが、コンセプト、店づくり3セット、客相、転換などなど)を用いるということは、思考プロセスにおいて理論的にしっかり定義づけられたこれらの言葉を駆使するということです。
ラグジュアリィなショップ&モールという目標は、もちろん理論~仮説に基づいて「言葉」として表現されないとその細部に至る整合性を実現することが出来ません。
では表現さえうまくできれば結果は保証されるのか、といえばもちろん、そういうことではありませんが、誤りに学ぶ・理論・仮説を改善していく、さらにそれらを現場の改善につなげていく、という「向上」は可能です。

いずれにせよ、操る言葉とその操り方によって成果はまったく違って来ます。
例えお店の商品一個の陳列を変えるについても、
①今までの延長上で動かす、のと
②新しい言葉遣いにもとづいて位置を変える、のとではまったく違った意味がある。
例え動かした結果として①=②という結果になったとしても、それぞれを動かした理屈がちがうとそこから得られる結果が違います。
「合同」は、たまたま・現象面だけのこと、広げたハサミのようにやがて両者は大きく異なって行きます。

 もちろん変化・成長していくのは後者、言葉の蓄積が増え言葉遣いがどんどん成長して行きます。他方、前者は従来通りの言葉の鍛錬抜きの見よう見まね、なんの向上も期待できません。

 ものを考えるにあたって、どういう言葉を使うのか、どういう使い方をするか、ということの差異によって同じ時間・労力を費やして大きな差が生じます。このことを認めますか?

 我々は卓越した言葉遣い・遣い手を目指す。


●犬とか猿とか

人間以外の動物も当然?、ものごとを考えるすべを持っているわけでありまして、愛好家ならどなたでも、いくらでも、実例をお持ちのはず。
したがって、「思考」にあたっては必ず言葉を使わなければならない、とか言葉を使わないと思考は出来ない、とか言うことはありません。

言葉を使った思考は、前・言語的的な思考から、後・思考的というか、二進法デジタルまでの思考形態の分布の中に位置していると考えることが出来ます。
まあ、動物以上・デジタル未満というのが人間が言葉を用いて行う思考の範囲であるとしましょう。

そうしますと、「言語を用いた思考」などとと一口にいっても、これはいささか、どころか、大いに、広うござんす(笑)
犬・猫の思考に限りなく近いところから、人間離れ寸前というところまでが、「言葉による思考」の守備範囲です。

で、何が言いたいかと言いますと(笑)


●先に進む前に

言葉の機能を考えておきましょう。
我々は言葉を用いてものごとを考えるわけですが、そもそも、言葉とはどんな機能を持っているのか? ということを考えておきましょう。

「言葉の機能」としては、人によってさまざまに言われているところですが、ここでは
①表 出:自分の感情の表現
②指 示:ものや動作の指示
③説 明:物事の説明(自分あるいは他人に対する)
④推 論:推理
の4つに区分する方法を採用します。

区分法についてはあまり問題にしていません。問題は言葉の機能として、③説明と
④推理 があると言うこと。
先に進む前にこれらを説明しておきたいと思います。




●経営とは

言葉を形にすることである、とドラッカーさんがいっております。

その通りだと思います。

形にするためには。
言葉から形のイメージが引き出されなければならない、言葉にイメージがこもっていなければならない。

言葉にイメージをこめるのは人間です。
「活性化」、「革新」などの綺麗語、使うにあたってどんなイメージをこめているのか?

少なくとも私たちは、しっかりとイメージを込めた言葉を使いたいものです。
そうしないと知恵が出てきません。

もちろん、成るべき形も分かりませんから、成り行き任せ、ということになる。
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活性化=人口論批判

●人口理論派批判

小売業はお客の生活に必要な材料を提供することを事業機会としています。有店舗小売業の場合、お客は「地元・周辺住民」であることが多いことから、客数は人口に比例するとか、人口の多いところが好立地 などという[迷信]がはびこっています。

お店の客数・売り上げと周辺人口には因果関係は無い、にもかかわらず、多くの経営者が「人口神話」に陥っている。

また、中心市街地の商業活性化論において、
○中心市街地に居住する人口を増やす施策を講じろ
○中心市街地に(買い物以外の目的で)来訪する人口を増やせ
そうすれば、商店街は活性化する、などという
○論理的には最初から破綻しており、
○全国に一カ所も成功事例のない
「人口依存型活性化策」を振り回す傾向も、この期に及んで、依然として減少しておりません。

これら、小売業は人口相手の商売である、という迷信を、簡便のため、「人口理論」と呼び、上記のような主張をする人たちを「人口理論派」と呼ぶことにします。
これは当サイトで開発したコトバですから、よそで使っても通用しませんので、その点ご注意ください。

人口理論派。
中心市街地活性化レベルでは「中心市街地活性化への道」を阻み、「個店の活性化」レベルでは「繁盛店への転換」を阻害する
百害あって一利も、一理もない路線だと思います。

中心市街地も個店も、一日も早く「人口理論」に決別しないと、せっかくの活性化へのチャンスを棒に振ってしまうことになります。
と、分かってはいても決別できないのが「人口理論」かも知れません。

「人口理論は繁盛の敵(笑」
以下、その理由を説明し、出来れば「脱却の方法」を提案したいと思います。


●人口相手に商売ができるか

当社はこれまで、居住人口3,000人という○○村から500,000人の××市まで、様々な規模の市町村において主として商業・地域産業の振興に関する取り組みの支援に携わって来ました。

多くの都市で冒頭まず表明されるのが「うちは人口が少ない」という自己認識です。人口の多少について客観的な基準はありませんから、これはもっぱら当事者の主観ですね。ところが。

「人はイメージに基づいて行動する」という鉄則がありまして。
「人口が少ない、少なすぎる」という主観を持っていると、これが行動の基準になってしまいます。
中心市街地活性化、地域商業活性化といった課題では、二言目には「商圏人口が少ないから・・・」正論は通らない、とアタマから思いこんでしまっている。
こういうコトバが発せられる背景には、「商業は人口相手の商売」という発想が潜んでいますから、「人口が少なくて・・」と言ったとたん、全く知恵が出なくなってしまいます。

「人口理論」派の経営戦略:
1 個店の場合
(1)人口が少なく、売り上げを作るのは大変だ。
  ①うちの商圏にはいろんな人が少しずつ住んでいる。
  ②売り上げを作るには、なるべくいろんな人に来てもらわなければならない。
  ③いろんな人に合う商品をそろえておくことが大事だ
(2)限られた店舗規模で、人口理論に基づく店づくりをするためには
  ①いろいろな傾向の商品を少しずつ品揃えしなければならない。
   (マスコミも多品種少量とか言ってるし)
  ②幸い、取引先が業種メーカー、業種問屋だから同じ品種のアイテムならピンからキリまでそろっちゃう
  ③ということで、狭い店内になるべくたくさん詰め込む、という店づくりが出来上がる
  ④これが習慣となり、店内にちょっとでもスペースが空くと「お客に商品が少ないと思われるのではないか」と不安に駆られ
  ⑤何が何でも商品をめいっぱい詰め込んでおく

さて、お客は自分の生活に必要な材料を手に入れるために来店するのですから、お客にとって切実な問題は「自分の生活を作る材料として適切な商品があるか否か」「納得できる選択肢の中から吟味・納得出来る商品を手に入れられるか否か」ということです。

このような問題意識を持っているお客が人口理論に基づいて作られているお店を訪れると、どう感じるか?
端的に言って「いろいろあるけど、私がための店じゃない」ということではないでしょうか。

それも特定のお客にそう思われるのなら、これは当然のことですが、人口理論派のお店の場合、来る客、来る客、すべてにそう思われてしまうのです。

一渡りチェックしたお客は「商品はこれだけですか」と質問します。
「いろんな人の好みに対応しようと」一所懸命の店主にこの言葉はグサッと突き刺さります。「これだけ詰め込んでいてもまだ不足か!」
と。

お客にしてみれば、今日の来店目的である、たとえば夏物ブラウスの自分好みのデザイン、色柄、価格など、「選択肢」がきわめて少ないので「これだけですか」と質問したのに店主さんは「お宅の品揃えはトータルこれだけなんですか」と言われたと勘違いしてしまう。
「これでも満足してくれないのか・・・」
満足するわけがない。

「お客を絞り込め? そんなことは人口の多いところの話、ここらじゃ全部の人口を相手にしないとやってけないんだよ!」と言うのは典型的な「人口理論」派のみなさんの逃げ口上です。
では、あなたのお店が考える適正人口ってどれくらいですか?
そう言う条件がもしあったとして、そこであなた、どんな店づくりをするんですか?
もちろん答えは返ってきません。

人口が多ければ、いろんな人向けの品揃えをしているわけですから、そのままでいいんじゃないの、今より売り上げ伸びるんじゃありません?

ところでみなさんのお店にショッピングに来るのは、「人口の一部」ですか?
それともお客さんですか?


●人口と「お客」の接点

> ところでみなさんのお店にショッピングに来るのは、「人口の一部」ですか?
> それともお客さんですか?

「うちのお客は、商圏人口の一部だよ、あったり前じゃん・バカ」
と思った人は、
「人にバカという方がバカ」
である、という古今の鉄則を思い出しましょう(笑

それでは本論。
「人口」から自店の「お客」を導くことが出来るか否か。

検討してみましょう。

手続きとしては、「人口」という総数からブレイクダウンして、「自店のお客」にたどり着くことが出来るかどうか、ということを検討してみます。ま、答えは目の前に転がっていますけどね。

たとえば「行政人口」を腑分けしていきますと。
性別
年齢別
居住地域別
職業別
などに区分することが出来ます。

これらの区分をいろいろ工夫することで、「自店のお客」に至ることが出来るでしょうか?
出来ませんよね。
強いて「人口」と「お店のお客」を関連づけようとすれば、
人口=うちのお店のお客+うちのお店のお客ではない人 ということでしょう。人口とお客の関係はこれ以外にはありません。

さらに言えば、この関係は世界中に敷衍することが出来るのでありまして、世界中の人口は、
自店のお客とそうでない人に区分することが出来る。

ということで、一定の地域の「人口」とお店の客を関連づけて考えるのは無意味なことですね。


●商圏人口

これまたしっかり考えないと役に立たないアプローチです。

慣行理論では:
商 圏:当店の来店客の○%が居住している区域 とか、競合との力関係が拮抗する線の内側、などと定義されているようです。

「お店のお客」は「あなたのお店のお客だから・あなたのお店のお客」なのでありまして、住んでいる地域などには関係ありません。

あそこの地域に住んでいるお客○名とこちらに住んでいるお客○○名・・・・合計したらあなたのお店のお客(固定客としてもよい)の総数が算定されます。
この人数は、お客の総数が住んでいる範囲内の総人口と何か関係がありますか?
あるという人、どんな関係があると思うんですか?

ということで、「商圏人口」などというものは、数字として出すことはもちろん出来ますが、商売とはなんの関係もない数字ですね。


●占有率

> これまたしっかり考えないと役に立たないアプローチです。

定義して、じっくり眺めてみるとその空虚さ加減がよく分かる。

中心市街地の商業は、全消費支出の10%でやっていける。
それぐらいは取れるだろうという「提案」例を読んだことがありますが、もしそのようなアプローチを取るとすれば、
①消費支出の各項目に対応する売り場が中心市街地にあるのかないのか?
②売り場の「魅力」は域内の各集積と比較してどうか?
ということが当然問題になります。

商圏の線引きをして消費支出を積算、占有率を想定して目標売り上げを決める。
きょうび、こういうアプローチは、実務の世界には無いでしょうね。

売り上げ予測は「積み上げ」ていく以外の方法は全部デタラメではないでしょうか。「数式」などに惑わされないこと。
主流経済学をはじめ、社会学方面で数式をもてあそぶのは全部〈インチキ〉と決まっています(笑


●社会科学のまやかし

社会科学と称される領域には、自然科学の方法をパクって、

「人はイメージに基づいて行動する」・人々の行動の総体という一面を持つ社会現象を、人々の意識とは無関係に・意識や恣意性を除外して説明し・予測する方法を追求してきました。
これから起こることを起こる前に知りたい、というのは人間にとって基本的な性行でしょうから、明日世の中はどうなるのか、有象無象の動向に左右されることなく前もって知りたい、というのは人情というものです。

正確に予測するためには、個々人の思惑などには関係なく貫徹する「社会法則」を発見すればよろしい。「人はイメージに基づいて行動」しているつもりでも、実はその背後では「法則」が支配しているのだ、というレトリック。関係する個々人がなにをどう考え・どう行動しようとも、その総体は(マクロで見れば)こういう法則のもとにあるのだ、ということになります。

当サイトおなじみの「ハフモデル」などはその見事な一例です。
(いつぞや説明しましたように、この手の算式は重力の法則のパクリですからね。)

もっとすごいところでは、主流派経済学の「均衡価格」。
理論を完成させたワルラスという先生は、当時日進月歩だった物理学をパクリ、物理学者の助言を得ながら理論を完成させたそうです。以来、理論の欠陥については様々なレベルで指摘されていますが、対策は備峰策ばかり、基本的な欠陥はずうっと引き継がれています。

余談ですが、私は「人はイメージに基づいて行動する」ことを学の構成から取っ払っている主流派経済学(「マルクス主義」を含む)が、大嫌いなので、経済学の悪口はいくらでも言えるのです(笑、同好の人は【吶 喊】へどうぞ。
ただし目下開店休業中、新しい燃料は補給はしていません。


●人口と来店客数

> ところでみなさんのお店にショッピングに来る「来店客」は、「人口の一部」ですか?
> それとも「お客さん」ですか?

みなさんの商店街が一念発起、ショッピングモールを目指したとします。
テナントミックスの一環=個店の転換であなたのお店と同じ客相をターゲットにしたお店が当然いくつも出現します。
せっかくモールに来たからちょっと楽しんでいこう、と喫茶店、菓子店なども。

そうしますと。
来街者1が、来店客数3とか5とかになってしまう(笑
これが「集積効果」ということですね。
人口関連でいえば、なんと人口1=客数3。

商店街、いくら人出があっても入ってみたい店がなければ来店客数ゼロであり、あるお店に行くことを目的に来街した人にとって他にいってみたいお店がなければ(有ったとしても知らなかったら)目的の店に行ってそれでおしまいですから、来街者数=来店者数となります。

①きょう日、人出が多いが売り上げはさっぱりという商店街では、
来街客数>入店客数
という関係が生じているはずです。

②他方、人出の少ない商店街は、
来街客数≒来店客数
となっており、しかも来街者が極端に少ない、という状況に陥っているということですね。

①、②ともに、来街客数をアップする施策を講じたとして、それが入店客数や売り上げ増大につながりますか?


●中心市街地に人口を増やす

中心市街地に「まちなか居住」と言うことでマンションをどんどん建てる。居住者が増えれば商業は活性化する。

中心市街地に居住者が増えれば、
中心市街地を歩く人が増える
商店街にも出かけてくる
ショッピング客が増える
新規入居者増を目当てに新規出店も増える
というのが典型的な「人口理論」流中心市街地活性化論ですが、そうはいきません。

大きな誤解が二つあると思います。

その1
まちなか居住を推進したかったら、生活インフラとしての「コンビニエンスマート」の整備が先決でしょう。マンションだけ建ててもコンビニエンスニーズ対応型商業が充実していないと、
都心に住んでいながらデイリーの買い物は車で郊外へ、
という情けない生活になりかねない。
コンパクトシティのテーマの一つ、中心市街地からの車のシャットアウトなど実現出来ませんね。
(これはすでに「元気のいい地域」、マンションが続々建設される中心市街地で起きていることです。)

その2
中心市街地立地の商業は、昔から「まちなか居住者」のニーズに対応することを事業目的として立地しているわけではありません。広範囲に居住する人々の「買い回り型ニーズ」を標的に形成されてきたのが中心市街地型商業です。
まちなか居住がどれくらいの期間でどれくらい増えると予測されているのか、このこと自体も興味のあるところですが、いずれにしても中心市街地の商業機能を活性化しようとする取り組みとではタイムテーブルが違い過ぎます。とてもじゃないが、中心市街地活性化は、まちなか居住の進展に依存するような時間的余裕がある問題ではありません。

さらに、所要時間はカッコに入れたとして、居住が増えるのは結構なことかも知れませんが、居住さえ増えればその結果として中心市街地型商業が活性化する、などということはありませんからね。

中心市街地所在の商業の業容及びキャパは、まちなか居住が進めばその人たちの消費出の受け皿機能を受け持てば何とかなる、というような話ではない、ということはこれまでも繰り返し述べて来たところですが、今一度、あらためて確認してください。

それでも「人口理論」で行くという人は、まちなか居住がしっかり進んだが商店街は活性化できなかった、という事例はとっくにに出ていますからチェックされたらどうでしょうか。
そうそう、先に書いた「コンビニエンスマート」は整備しておかないとせっかく開発したマンションが売れないかも知れませんからね。
もし、TMOでマンション開発などと考えておられるところがあれば、コンビニエンスニーズの買い物行き先が「まちなかに」きちんとそろっているかどうか、まずそちらを考えてみる、もし不十分ならこちらを整備することが先決ではないでしょうか。
そうすると「中心市街地原住民」も助かります。

中心市街地、スーパーマーケットが撤退、居住者は商店主を始め郊外のSCとコンビニで買い物をまかなっているような居住環境にあるところが、居住促進などとは片腹痛いのです(笑


●風が吹けば桶屋が儲かるか

風が吹けばほこりが立つ、に始まって、
ネズミが増えて・桶をかじる 
桶の修理・買い換え需要が増え
桶屋が儲かる、というご存じ話。

人口が増えれば商店街が活性化する というのも全くよく似た話でありまして。

人口が増える
(人は買い物しないと生きていけない)
近くに商店街がある
新人口が商店街に買い物に行く
商店街が繁盛する

というお話です。

買い物する人の法則
その1 商品
①売られていないものは買うことが出来ない
②複数売られていると選択しないと買えない

その2 買い物行き先
①売ってる店がないと買い物できない
②複数あると選択しないと出かけられない

を前提に考えれば。
①需要側:商店街の近くに引っ越してきた人が商店街で買い物をするとは限らない。
②供給側:新人口を対象に商売替えしようと思ってもどう変えたらいいのか、分からない。

人口が増えたからといってそれが原因で商店街が活性化するということはありません。

では、新しい人口をねらった新規出店はどうか?
時と場所によっては成功するでしょうが、
①地元人口をねらえばほとんどが「コンビニエンスニーズ」対応型になる。
これでは中心商店街のキャパは埋められない。
②広域集客をねらう店が単独で出店すれば孤軍奮闘、アクセス不備にたたられるから敬遠される。
なかなか全体に波及する、とは行きません。

中心市街地に人口を増やせばとか、人通りを増やせばとかのアイデアは、「風が増えば桶屋が儲かる」に等しいレベルかも知れません。

実際に自店を繁盛させなければいけない人は人口理論などに依拠しないよ~に、といってもなかなか効き目がないのは、有効/無効というレベルではないところで「人口理論」を選択しているからかも知れません。

人口と買い物客、算定基礎はどちらも同じ生身の人間ということで短絡させがちですが、これは本来全然関係のない概念だと考えた方がよろしい。


●「人口理論」は活性化の敵(笑

個店にとって:
うちのまちは人口が少ない。(これは人口50万以下のまちの「人口理論」を奉じる人たちが必ず口にすることば)
いろんな人が少しずつ住んでいるから、売り上げを作るためには、
①いろんな人向きの商品をあれこれと
②少しずつ在庫しないといけない
③メーカー、問屋も「多品種少量」と言ってるし
ということで、
④狭い店内にめいっぱい、在庫を並べます。
そうしますと、誰から見ても
⑤いろいろあるけど、私好みは少ないなぁ という店になってしまいます。おまけに
⑥ありとあらゆる場所に在庫を詰め込んでいるため、商品選びが大変です。そこで買わずに退散する口実として
⑦「商品はこれだけですか?」と聞いたりします。さあ、大変。
⑧これだけ詰め込んでいるのに「これだけですか」だって! これでも足りないのか・・・、と店主側は意気消沈・・・。

そこへコンサルタントとか称するど素人がやってきて、「什器を減らして接待用のテーブル・いすを置け」などとエラソ~に言ったりする。
なにを、このど素人が! うちのお客は今でも在庫が足りないと言ってるんだよぉ! 大体おまえの話は人口の多いとこの話なんだよ、こんな人口少ないとこじゃ通用しっこないんだ、だいたいそんなことも分からないでよくコンサルタントとかいってられよなぁ、ボケ。
と考えられたのかどうか知りませんが、なかなか什器・在庫減らしには頑強な〈て~こ~せ~りょく〉があります。

何をおっしゃるやら(笑
①「商品、これだけですかぁ」っつ~のは「気に入った商品が無いから、買わずに帰るけど、悪く思わないでね~」と言われれてるんだろ~が、ぼけぇ! (笑
②だいたいだなぁ、狭い店内にぎゅ~ぎゅ~在庫を押し込んでおいてだなぁ、それをお客がぜ~んぶ見てくれるとでも思ってるのかぁああああ!
③持ち越し在庫の陰に新商品が隠れてますって。何だ、全店、去年の在庫を2階から降ろしてきただけじゃん とか思われてませんかぁ(笑

ということで、人口相手に商売している個店は、こ~ゆ~羽目に陥ってしまいかねません。

商店街の場合。
①人口が少ない上に郊外にSCその他出てきて、人通りが少なくなった。
②昔、繁盛していたころの人通りは半端じゃなかった。人通りさえ増えればまた繁盛してみせる ということで。
③中心市街地に住む人が増えれば人通りが増える
④中心市街地に会社が増えれば人通りが増える
⑤中心市街地に学校・病院・市役所・県庁・首都その他何でも誘致すれば人通りが増える
⑥イベントをすれば人通りが増える
ということで、力の及ぶ限り頑張ってみるわけですが、
もともと「買い物行き先」としてのリストからハズされたから、買い物客が来なくなっているわけですから、
人が増えた、人が歩いた、ということで活性化するはずもありません。

にもかかわらず。「人口理論」派のみなさんは。
「わ~、これでもまだ人口が足りない!」といつまで経っても人口のせいにする。
あのさ、郊外のSCってそ~ゆ~泣き言を言いながら出店してきてるんですかぁ?

ということで、小売業は人口相手、人出・店前通行量相手の商売だと思いこんでいる「人口理論」派は、自店・まちの業績不振を自分の力ではど~にもできない人口や通行量などのせいにして、他力本願、自分の店のシャッターの内側は「不可侵」となったいる。
実はこの「不可侵」と言うところに「人口理論」蔓延の秘密が隠されているのではないか?

そうそう、「人口理論」派の起死回生の策、コンパクトシティについては、こちらをみてちょ。
http://www.quolaid.com/cgi/j-forum/wforum2.cgi?no=
1246&reno=1242&oya=1242&mode=msgview&page=0

では次に。
このような実効力のない「理論」に基づく考え方が、なぜ現場で勢いを持っているのか? 考えてみることにします。


●長所

「人口理論」、流布し支持されているについては、それなりの理由がありますね。もちろん。
そうでなければ「そろばん」を弾くのが商売の商店主方に受け入れられるハズがない。

その最大の要因は、
「波風が立たない」ということでしょうか。

たとえば、売れないのはあなたの店のあり方がお客のニーズとミスマッチを起こしているからだ、と言われたら「なにを!」むかつく人がいることでしょう。特に「人口が少ないから売れない」と考えている人は)
こちらは一般論で言ったつもりが、ある人から自店がけなされた、と受け取られたり。よくある話です。

商店街は地縁関係、好きでも嫌いでもずう~っといっしょに暮らしていく宿命?ですから、波風は立てない、というのはとても合理的な処世だと思います。

しかし、それは商店街という好立地でずうっとおいしい商売を続けていける、という条件があってはじめて成立する処世ではないでしょうか。波風さえ起こさなければここでおいしい商売が続けられて一族安泰だ、ということがあってはじめて、波風は立てない、ということが合理的な選択になります。
商店街全盛時代、波風さえ立てなければ商売繁盛は約束されていましたからね。

成立条件が無くなっているにもかかわらず、いったん出来上がった不文律は自分からはなかなか退場しません。

はじめは合理的選択、やがてならい性となった「波風を立てない」というライフスタイルは、成立の根拠が消滅した後も自立自存しています。状況は変わり・繁盛は危うくなってもライフスタイルは残存、事情はどうであれ波風は立てない。

そうしますと。
商店街活性化に取り組むにあたっても「波風は立てない」ということが、最高とまではいかないにしても、結構重たい規範になる。

活性化にどう取り組むか、という論議の最中に波風防止を念頭に置けば、「個店の責任だ」などという〈暴言〉はとうてい口に出せませんん。
いきおい、人口のせい、通行量のせい、という考え方が支持される、ということが考えられます。

多くの出席者にとって、会議のテーマの背後には常に、「ただし、波風を立てないこと」が潜んでいるのではないか。「活性化策の案出」においても、ついつい、この「波風防止」原理が優先してしまう。
そうしますと、結果不透明な新たな挑戦より、結果見え見えの前例の方がまし、ということも起こりかねません。

ここに「人口理論」につけ込まれる大きな弱点がある。

「波風防止」という原理原則を基準にすると、「人口理論」は大きな長所を持っています。
どれだけ強調しても出席者の誰一人として、気に障る、むかつく、ということがありません。これは大きな長所ですね。
「人口理論」を唱えている限り、けして波風は起こりません。
「違うだろう」と感じている人がいるのですが、大勢は「波風反対」がいやと言うほど刷り込まれており、たとえ意義を唱えても同調を得られ、大勢が覆る可能性はきわめて低いでしょう。
どうせ発言したところでさざ波が立ってそれでおしまい、と予測がつ来ますから、あほらしくて発言する気になりません。

「波風防止」を前提に活性化に取り組む場合、人口理論は大変通りがよろしい。もちろん「イベント路線」も同様です。イベントについては「イベントに合わせて各店ではこれこれこういう取り組みを」などという指令は当然御法度。
「みなさんはもちろん商売のプロ、人集めは組合で取り組むので集まった人を自店のお客にするのはみなさんの腕ですよ」ということでしゃんしゃん。

今日の会議も波風なく終わったな~、と。

効果が無いことが明々白々となっている「人口理論」ですが、いつまでも商店街に残存しているについてはこのような事情が考えられますね。


●究極の選択

> 今日の会議も波風なく終わったな~、と。

安堵している場合ではありません。

「人口理論」で取り組んできたが、成果は上がりませんでした。
もはや、繁盛=自店のレジがじゃんじゃん音を立てる、という状況を作り出すためには「相当」のことをやらなければならない、というところまで来ました。

波風が立つことにびびってばかりではお店の存続が危うい。
「波風防止」と「商売繁盛」、両立が難しくなっています。

一時的に波風が起きたとしても、「商売繁盛」への道を探るのか?
商売繁盛を危機にさらしても「波風防止」を優先させるのか?

ところが、そこで考えなければならないのが「空気」というやっかいな存在です。


●空気が支配する「波風禁圧」風土

「波風禁圧」、「孤立」を極端に嫌う風土においては「波風禁圧」「大勢に従う」という不文律が生まれ、支配します。

様々な発言が交わされるに先だって会議の「空気」が決まっている。
結論はもちろんまだ決まっていませんが、「空気で決まる」ということを原理原則にする、ということは暗黙のご了解です。

「空気原理」には「何が言われたかより、誰が言ったかで話は決まる」という〈法則〉がありまして、つまりは「長」が何を言うか、ということですね。
だって、長の発言に逆らえば即「波風」ですからね。これは「空気」に逆らうことですから(発言内容の検討は抜きで)意見そのものが無かったことにされてしまったりする。

というような経験を2,3度味わうとたいていの人がもういいや、となってしまい、発言無し、出席無し、ただし決まったことには従いますんで、ということで、繁盛実現に向けて切迫しているにも関わらず若手が活動を断念してしまう。
これは厳しく・寂しいことですね。

「波風禁圧」という空気の支配をうち破ること。
この空気の存在で利益を得ている商売人は一人もいないわけですから、空気を打破する道はあるはずです。



●長さんの発言

> だって、長の発言に逆らえば即「波風」ですからね。これは「空気」に逆らうことですから(発言内容の検討は抜きで)意見そのものが無かったことにされてしまったりする。

では長さんは心おきなく自由に発言できるのかと言えば、もちろん、そんなことは全然ありません。
「波風禁圧」という暗黙・鐵のオキテは他の誰よりも長さんを囲繞しているのでありまして、長さん第一の責務は組織に波風を立てないこと。
したがって発言の多くは前例踏襲か、新しいことなら大勢を見極めて、ということになる。
大勢を見極める場合も基準は「波風禁圧」であり、けして大勢=多数意見が採用される、というわけではありません。大勢=「しこりを残さない」ことが第一の基準。
多数意見であっても「波風」が立つようなら押さえ込まなければならない。

かくて。
さまざまのレトリックが用いられます。
http://www.quolaid.com/library/mgbn04/mg040610.htm


●長さんの憂鬱

> 「波風防止」という暗黙・鐵のオキテは他の誰よりも長さんを囲繞しているのでありまして、長さん第一の責務は組織に波風を立てないこと。

仮にも一組織の長であり、組織については日頃から人一倍、三倍四倍考えておいでです。各種会議にも参加して情報は相対的に豊富。商店街の仲間の店の事情もよく把握していらっしゃる。
昨日と同じことをしていたのでは明日は来ないと言うことも重々承知しているのですが、「波風禁圧」というオキテがある。
長たるもの、これまでの経験で「波風」発生のダイナミックスはいやと言うほど分かっています。

長さんが「波風禁圧」というオキテに縛られている限り、組織が新しい試みに取り組むということはあり得ません。
長さん自身の意見なんか、「波風」が懸念される場合は真っ先に自制されますからね。このままでは先がない、と分かりつつ・・・。

かくて、商店街・本日も波風無し! 


●これではならじ

活性化への取り組み、取り組めるところはすいすい前進します。
たとえば、商人塾に取り組んでおいでの商店街のみなさんから「人口理論」など聞いたことがありませんし、長さんや長老さんから「時機未成熟原理」その他の鉄槌が下されることもありません。

もちろんここまで来るについては、いろいろと難儀があったかも知れませんが、とにかく、何でも言ってOK、という組織風土は気持ちがいい。
私など、どこの商店街でもおおむねこういう状況なんだろう、とか思いこんでドジったりするんですけど(笑

閑話休題。

突破の方法については私などより商人塾を実施されているところの長さんが実践者、話が早いと思います。メル友になるというのも一案ですね。
ここでも質問できるかもです。
http://15kai.quolaid.com/cgi/wforum/wforum.cgi

当社が考える「呪縛を突破するの法」については、この後書き継ぎます。というか、これはモロTMOフォーラムのネタですから、続きはあちらに移します。


●自縄自縛

商店街によってはまさにこういう状況にあるところも少なくないかも、と思われます。
誰もけして望んでいないのに、あたかも「現状維持」を望みつつかののように、従来通りの事業に取り組みつつ、こと志と違っていっそうの空洞化へ進んでいる・・・・。
実際のところは、商店街の店主・誰一人として現状維持など望んでいないはず、みんな業績向上に向けて何とかしたいと思っているハズです。ところが店と街の実際は・・・。
誰も望んでいないからこそ、いま採用している道を阻むことが出来ない、という逆説が成り立っているかも知れません。

このあたり、今回初めて書いてみましたが、「人口理論」をかついでいるのはバカ、ということであれば、バカに店づくりの転換が出来るはずがないのでありまして、当社提唱のラグジュアリィな店づくりは机上の空論に終わります。
「人口理論」がなぜまかり通るのか、それが目的合理的な選択であることを理解しておかないと、「転換」に向かう意欲の根源が見あたらないことになります。これは、@商店街の味方のみが発見できる〈根源〉かも知れません。とゆ~か、商店街でふつ~に話していると分かることなんですけど。

さて、もしだらだらと書き連ねて参りました・こういう状況があるとすれば、「まず商店街が態度を明確にしろ」「何がやりたいのかはっきりしろ」というのは、期待している「行動する商店街」を作り出す方法としては効果があるとは言えないようですね~。
如何ですか? ○○さん、××さん・・・・・。

都市経営と「政治経済学」

 経済学の歴史を勉強された人には常識?でしょうが、経済学は当初、政治経済学としてスタートしています。さらにさかのぼれば、統治の技術、統治者を統制する技術についての「学」であり、このあたりになりますと洋の東西を問いません。

社会経営の術としての政治経済学、ここから「経済学」を分離独立させたのが「経済学の始祖」、アダム・スミスでありまして、以来、今日に至るまで経済学は無明・不毛の荒野を徘徊しているわけです。

都市経営を取り巻く環境条件は、従来の関係者がこれまで慣れ親しみ・ノウハウを蓄積してきた時代と様相が一変しています。
ま、見たくない人には見えないことかも知れませんが(笑

こういう時期には、あらためて初心に戻り、「都市を経営するとは、いったい、何をどうすることなのか」ということを自分自身の胸に問いかけ、たぶん分からないでしょうから、これまでのジョ-シキに安住することなく、しっかりと探求すること・まずは探求する決意をすることが必要です。

別のフォーラムで解明しているとおり、中心市街地~商店街活性化の取り組みが、多くの都市で相当の年月・経費を費やしながら成果を挙げることが出来ないのは、スタート時点の常識が通用する条件が雲散霧消してしまっているにもかかわらず、当時の常識に安住したまま、商店街の現実に目を閉じているからです。
環境の変化に鑑み、「活性化」の意義・目的を定義し直すことが必要でしたが、この作業を怠ったことが中心市街地活性化の取り組みを「賽の河原の石積み」的な不毛な取り組みにおとしめています。

どうして怠ったのか?
答えは簡単でありまして、その必要に気づかなかったから(笑
これを敷衍いたしますと、中心市街地に当てはまることは、都市経営全般にあてはまる(かも知れない)(笑

改めて「都市経営の政治経済学」必要になっていると思いますが、現場さらには今どきの学校において、このあたりはどう取り組まれているのでしょうか。

どなたかご存じの方があれば教えてください。


●自転車操業

自転車はとりあえずペダルを踏んで車輪を回しておかないと転倒してしまいます。企業もとりあえず存続してなんぼ、運転資金=今日の売り上げを確保することが優先します。
そうしますと、「転換」の緊要性をいやというほど理解していても、とりあえず、今日のところは昨日の手法で売り上げを確保しなくちゃ、ということになる。まあ、一日二日で致命傷ということにもならないわけですし。

ということで一日が二日、一週間が二週間、やがて一月、二月・・・となりますと大変です、いつまで経っても転換できません。

実は、我が量販百貨店が陥っているのはこの「自転車操業地獄」ではないかというのが、「悪意ある量販店ウオッチャー」たる私が偏見するところでありまして、「ラグジュアリィに進路を取れ」、なるほど、当社もと考えたとしても、とりあえずは運転資金確保という至上命令から昨日の客相をターゲットにした商売を続けざるを得ない。幸いなことにようやっと「転換」の準備が出来た、ということになりましても何しろ図体が大きいわけですから、店頭まで方針が行き渡り・行動が変わるまでには時間がかかる。そうするとどうしても中途半端な期間が出る・・・。

というところが量販百貨店(都市百貨店も?)のジレンマではないでしょうか。

都市経営が逢着している問題状況、この構図にあてはまりませんか?

転換の必要を痛感し、転換を構想・計画し、内外の「これまで踏襲派」を説得する、という手間暇を考えると、事業のタイミングが狂いそう、う~む、仕方がない、従来の手法で行くしかないなぁ、とかなりそうです。各方面で起こっている、あるいは今後起こりそうな事態ですね。

これは意識的に取り組み方を変えないと、無し崩し的な転換は不可能だと思います。しかし、いつ、どのように方針転換を実施するのか?
思っただけでエライ難しい課題だと言うことが誰の目にも明かです。

その点、中心市街地活性化は、従来のやり方では通用しない、ということが誰の目にも(?)明らかになっていますから、相対的に転換がやりやすい。

この取り組みを都市経営転換のエポックメイキング、旧態脱出の突破口にする。というのが「中心市街地活性化」の都市経営上の隠れた戦略的目標、ということになります。
何しろ、民間~行政が「一体的推進の目標達成」を共通目的に、あるときは協働、ある分野では並進と役割を分担しながら長期に渡って事業を推進する、というのは都市始まって以来のプロジェクトですからね。

中心市街地活性化は、事業本来の目的以外に都市経営能力の転換ないし養成という課題に取り組む格好の事業、そういう位置づけをするかしないかで今後の展開およびその果実は大きく左右されそうです。

都市経営の自転車操業というのはぞっとしませんね。
このままで通用するとは消して思えないが、さればといって転換する方法はなかなか考えつかない・・。
「革新」に向けた戦略的な取り組みを構想出来ないところは、ペダルを踏み込む力がだんだん細まり、やがては力つきる・・・というのが都市版自転車操業の恐ろしさですね。

難しい問題ですが、「中心市街地活性化」をモデルにすればなんとかクリアできるかも。


●問 題

自転車操業、脱出は難しい。

事業対象は既存の団体・組織であることが多いわけで、これら事業主体とされる団体・組織の行動原理は、一般に省思考列島のビヘイビアまんまのはずであり、その行動変容をまつのは百年河清を待つに似たり、かも知れません。

市町村所在の各種組織の革新が課題。
もちろん、都道府県連合組織の革新も課題。

時代の変わり目というのは問題山積、都道府県の場合、誰に・どこに・依拠してあるいは協働して現状を突破するのか、という課題があるように部外者には見えています。
やっぱ、業界・分野を問わず「革新者」と連携あるいは支援する、という路線でしょうか。
その場合、本隊はどこでどのように合流させるのか?

その昔、学生さん達は「一点突破・全面展開」などと無責任に叫んでおりましたが、はたして革新者の育成支援から全面展開に至るシナリオ、書けるものでしょうか。
もちろん、これが書けませんと都道府県レベルとしては沈没という運命を避けることができません。直轄地区が増える・待ってましたと「再生」させる、次の方ど~ぞ、とは行かないでしょうからね。

グローバライゼーションと都市経営

■グローバライゼーションと都市経営
2004/10/20(Wed) 19:27

グローバルな規模での人間の交流。
つい、この間まで誰もが望んでいたことですが、まったく思いがけず、バーチャルな経済が主導する、極論すれば「世界の収益機会としての数値化」とでもいうような成り行きとなっています。

人とその生活、資材のすべてが「収益上の数値」として意味があるか否か、と言うことで評価され、対処される。
どうもこういう方向がはっきりしてきました。

もちろん、これはあなたやあなたの家族をはじめ生身の住民が生活する都市から見ればとんでもないことです。
都市は進展するグローバリゼーションの正体を見きわめ、これに対処することが必要だと思います。



■ 経済のグローバル化
2004/10/23(Sat) 17:14

> 都市は進展するグローバリゼーションの正体を見きわめ、これに対処することが必要だと思います。

グローバライゼーション、先行的には経済のグローバル化ですが、世界経済がアメリカナイズされること、といった理解は浅薄すぎます。一部を除き、アメリカの企業も対応に四苦八苦している。
一部いわゆる「勝ち組」も明日はどうなるのか、誰にもわからない、舵を取っている人間がいない、もちろん、企業もグループも国もグロ-バライゼーションの主導権を一括、掌握しているところは無い、ましてコントロール出来るものは皆無、というのがグローバライゼーションの正体。

儲かることなら何でもやる、やりたい、という情念につき動かされる企業の「唯我独儲」基準の行動が寄り集まって形成されているのがグローバライゼーションだということはお互いにしっかり認識しておかなければならない。

これはローカル経済すなわち単位国民経済に何をもたらすものであるか。

■位置取り
 2004/10/25(Mon) 13:53

> これはローカル経済すなわち単位国民経済に何をもたらすものであるか。

現下進展中のグローバライゼーション、これは経済主導・営利(求利)企業ベースで進んでいます。
行動基準はもちろん収益性。何でもやります、ただし収益が見込まれれば、ということ。
国、地域、企業、個人・・・、この収益性基準のグローバライゼーションとどうつきあっていくのか、これはちょっと考えてみなくてはならない。

こういう議論もあります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4895421554/qid=
1098610606/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/250-0306505-4815404
ちなみに私の書評
http://www.quolaid.com/take-one/tokkan/syohyou/index.html

雇用⇔消費という蜜月が終わる。とりわけ、当サイトご愛顧=中心市街地活性化法のフレームで中心市街地活性化に取り組もうという問題状況にある都市にとってこのことはきわめて重大な環境変化です。
どう対応すべきか?いずれにせよ、反対とか賛成とか言えばどうにかなる話ではありません。

不可逆的な趨勢をどのように都市経営に織り込んでいくか、と言うことが喫緊の課題、広域合併ももちろんこれが前提になることでしょう。



■グローバル経済vsローカル経済
2004/11/10(Wed) 08:04

> 雇用⇔消費という蜜月が終わる。とりわけ、当サイトご愛顧=中心市街地活性化法のフレームで中心市街地活性化に取り組もうという問題状況にある都市にとってこのことはきわめて重大な環境変化です。

求利企業、行動基準は収益性であることはいうまでもありません。その根拠は、収益を挙げないとつぶれる、ということです。面白い?のは、「つぶれたら何故いけないのか?」ということがまったく証明されていない。かっては社員の雇用~所得~生活を守るため、立地している地域社会に貢献するためという社会的な大義名分がありました。
今や、「雇っていてはつぶれるから」という恐るべき名目でこれらの大義名分は踏みにじられているわけで、「企業は人を捨て国を捨てる」かって労務管理の津田先生が喝破されたとおりの事態が進行している。
今をときめく「勝ち組」だっていつまで国内市場で商売を続けるかと言えば、これはいうまでもなく「商売が出来る間」ということですからね。もし「間」が終わるようなことがあれば後は「つぶれないために」、売れるところに市場を求めてか行かざるを得ない。

流通業ではすでにどんどん始まっています。
「地域の生活をより豊かに」などというキャッチを掲げて参入してきた大型店、最後は脱兎の如く、ということわざ通りですからね。
ここでの論理も「つぶれないため」。
本当に企業はつぶれたらいけないのか、あらためて考えてみることも必要ではないでしょうか。
地域から見てつぶれても仕方がない企業、つぶれたらヤバイ企業というのがありそうです。もちろん基準は「収益性」とは限りません。

本論に帰りまして。
企業は人を捨て、国を捨てる。不穏当な表現かもですが本音のところでしょう。伝統産地の多くもやりましたからね。

企業は収益性基準でこういうことをやる、これからもやる、これからはあるいはもっといろいろやるかもしれない、ということは考えておかなければならないところです。
企業は人を捨てることが出来ます。
その人は都市に住んでいます。

住民福祉は都市の使命、福祉といえば生活条件の整備と所得機会確保が基本になります。
高度成長期には所得方面はもっぱら企業に一任できましたが、今や趨勢としての地域社会と企業の蜜月は終わりました。
企業が捨てた被雇用者たる住民を都市はどうするのか?

知らないもんね、という対応ならざる対応では必ず都市経営全般に回復不能な悪影響が及ぶことは決定的です。

> どう対応すべきか?いずれにせよ、反対とか賛成とか言えばどうにかなる話ではありません。

都市サバイバル時代といっても過言ではありませんが、都市経営的にはどのように対処しなければならないか?

ここはローカル経済の原点に立ち戻って考えてみることから始めなければならない。

「一から始める都市経営」

中活法の改正:商業空間から生活空間へ?

■商業空間から生活空間へ
: 2005/10/08(Sat) 18:55

ということで。
「中心市街地活性化」のスキームが変わりそうですね。

もはや商業地としての活性化は無理だということがこれまでの取り組みでよく分かった。
今後は、生活空間、すなわち居住人口を増やすることで生活密着型の機能を充実させることで「賑わい」を作り出す。
そうすれば商業も活性化するだろう。
時代は「コンパクトシティ」だ。
ということらしい。

なんというか藻谷流まんまですね。
といってしまえば他に言うことはないも同然ですが、@商店街の味方としては一言いっておきたい。

今どきの商業機能が、別目的で集めた・集まった人たちをお客に想定して成立するとほんとうに思っているのか?
それともそんなことは考えたこともないのか?
どっちなんでしょうね、ホントに。

人が集まればものが売れた、そんな時代も確かにありました。
しかし、それはずうっと昔、もの不足・店不足の時代のことでした。

もの不足とは:
○家に衣・食・住に必要なアイテムが不足している。
○近所に売っているところがない。
○遠くまで行くには時間がない
○ついでにお金もあんまり持っていない
という状況のことです。
「大東亜戦争」から「高度成長期」に至るまで、日本全国、もの不足時代でした。
この時代、人が集まればそれは「もの不足=ものが欲しい人の集団」というのが当たり前でしたから、
①人がたくさん集まる
②人がたくさん通る
ところ・とおりは「好立地」だったわけです。

店不足:
ものが不足しておりお金も不足している時代、お店があっても商売になりませんから、当然、お店は不足しています。
というか、たまにお金が入った、近所に店があったら買うのに、
と思っても近くには見あたりません。
仕方がないから、お店のあるところまで出かけることになる。
せっかく出かけるわけですから、あれもこれも買ってこなくちゃ、
ということで、近郷近在からお客が押し寄せる。

お店はもちろん、交通の便がよいところに集中することになる。
こうして「中心商店街」が出来上がりました。
そうこうするうちに、高度成長の成果として、所得も伸び、余暇も増える。
商店街には通行客ではない・正真正銘・買い物客があふれるようになりました。これが商店街全盛時代。
人通り~賑わい、通行人=買い物客というのは、
①このような時代背景における
②商店街特有の風景だったのです。
いくら当時でもお店のないところの通行人は買い物客にはなりませんでした。

このような時代背景をきれいさっぱり忘れて(あるいは気づかないまま)、人通りが多いと商業が成立する、商売を活性化したかったら通行量を増やせばよい、という間違った考えが商店街の中に生まれ、現在まで一部に続いています。
なかには「商業活性化の専門家」として活躍している人の中にも知らず知らずのうちにこういう昔話を前提にしている人がいます。

■生活空間
: 2005/10/09(Sun) 16:56

中心市街地、商店街レベルでの活性化はむり、居住者を増やし・来街者を増やせば、賑わいが生まれる。
賑わいさえ生まれたらこっちのもの、たちどころに商店街は活性化する・・・らしい。

その根拠としては、先に見た、「昔はよかった」、「店前に人があふれており、商売するのに苦労はなかった」古き良き時代の夢読もう一度、ということらしい。

どっこい、そうは問屋がおろしません(笑

問題は、別件で中心市街地に現れた人たちが、何で・ど~して商店街でものを買うようになるのか?
ということです。
その前に考えてみましょう。
人はどうして郊外のSCまで買い物に行くのか?
SCって「他の来訪目的をつくって人を集め、集まってきた人たちにものを売りつけよう」という商売ではありませんからね(笑。
しっかり「物売りの場」「買い物行き先」と自分を位置づけ、そのために必要な機能、プラス備えておいたほうがよい機能をしっかり作り上げています。
郊外型SC、なんですか最近は「狐や狸の棲息するところ」が好立地とかいう話も聞きますが、「立地」なんか今日ではもはや「業容を展開するのにいいところ」という意味ですからね。
SCをみるにあたっては、無料駐車場の広さなどにびっくする前に、来店目的をきっちり作っていなくても「駐車場が無料ならお客は買い物に来るだろうか」とか、アクセスの良さに釣られて来店したお客が、気に入らない商品を買うだろうか? リピーターになるだろうか」などということを考えて頂きたい。

そうすれば、郊外のSCは「テナントミックス」を充実させることで来街目的を構築することでお客を集客しているのだ、ということがよく分かると思います。

生活空間として整備すれば人が集まり、人が集まれば買い物客に転身する、というのは、郊外型SCの存在を無視または否定するとんでもない暴論です。
よろしいか(笑

①今、機能を喪失し空洞化した中心商店街が存在します。
②かってここを買い物行き先にして生活を作り上げていた人たち、その家族は、今日、ショッピングセンターをはじめとする郊外型商業を買い物行き先として生活を営んでいます。
③このたび、コンパクトシティを思い立ち、中心市街地に居住人口を具増やし、来街人口を増やすことにしました。
④コンパクトシティを実現すれば、居住する人/来街する人は、商店街で買い物をすることでしょう。
⑤中心市街地を商業空間として捉えていたのでは実現できなかった活性化を「生活空間」と捉えなおして、居住機能/非・物販的来街機能を整備すれば、その結果街に賑わいが生まれ、賑わい客が買い物客に転化、中心市街地は活性化する
という論法ですが、まさに「つっこみどころ満載」といわなければならない。

■③から④への大ジャンプ
: 2005/10/09(Sun) 16:57

> ①今、機能を喪失し空洞化した中心商店街が存在します。
> ②かってここを買い物行き先にして生活を作り上げていた人たち、その家族は、今日、ショッピングセンターをはじめとする郊外型商業を買い物行き先として生活を営んでいます。
ここまでは「見たまま」ですから問題はありません。問題は次の「施策の方向転換」を導くところにあります。
> ③このたび、コンパクトシティを思い立ち、中心市街地に居住人口を具増やし、来街人口を増やすことにしました。

なるほど、金に糸目を付けず・それなりの施策を講じれば人口は増えるでしょう。とりあえず「増える」ということに異議はありません。

> ④コンパクトシティを実現すれば、居住する人/来街する人は、商店街で買い物をすることでしょう。

ここが大問題です。
人口減少に向かおうとするおおかたの地方都市において、中心部に集約居住させる人口とは、これまで中心部以外に居住していた人たちです。すなわち、これまで郊外立地の商業集積を買い物行き先として生活していた人たちということです。

この人たちが住まいを中心部に移したとして、どうして「買い物行き先」が中心市街地所在の商店街に変わるというのでしょうか?
そもそも、今現在、中心市街地に住んでいる人たちは、主要な買い物行き先を中心市街地内部の商店街にしているのか?
ということも振り返ってみなくてはならない。

かる~く考えてみただけで、
①何らかのインセンティブによって中心市街地へ移住した人たちの買い物行き先は、
②相も変わらず、郊外型商業集積のままだろう、
ということが高い蓋然性をもって予測されます。
だって、中心商店街、魅力ありませんですから。

と、まあ、普通なら考えるところですが、賑わいから繁盛へ、という捕らぬ狸の皮算用をしているみなさんには、ひょっとしたら我々なんぞには測り知れない、深遠な可能性が考えられているのかも知れません。(いないかも知れませんが)

まず賑わいを作りだし、それから繁盛へ、という路線を提唱している人&追随している人は、③から④への移行は大ジャンプなどではない、その可能性の根拠について是非説明していただきたいものです。

中心市街地―商店街活性化の数値目標

■中心市街地活性化の評価基準
: 2005/06/11(Sat) 09:45

国の中間総括では、客観的な数値などが考えられているようですが、実務的には。

事業に取り組んだ結果、繁盛店に生まれ変わった店舗がいくつあるか。
ということが基準の一つ、それも重要な基準になるのでないか。

①繁盛店が生まれ、さらに続出することが予測できれば、
②推進している取り組みは間違いない、ということになり
③取り組みをさらにスピードアップ、強化する方法を考えることで
④活性化の波及に拍車が掛かる

他方、
①繁盛店が現れていないし、これからも見込みがない とすれば
②繁盛再現を可能にする新しい方向・方法をめざして取り組みを見直さなければならない
ということになります。

『基本計画』作成以来の取り組みの評価はきわめて簡単、上記のとおり、商店街の状況を見れば分かります。
繁盛店再生の可能性を見いだせないまま、従前的事業を漫然と続行することは許され無いと思います。

商店街の実態を直視すれば、従来の事業が「中心市街地の商業機能の再生」への道として適切ではなかった、あるいは不十分あった、ということは否定できないと思います。

中心市街地活性化、この時期の評価基準としては、ただ一つ。
繁盛店が生まれているか否か、ということではないでしょうか。
事業がスタートして以来、4,5年経過しているわけですから、もう繁盛店が続出していて何の不思議も無い時期です。

違いますか?
違うとすれば、いつ頃から出現するんですか?

■「個店の責任」というのはナンセンス
: 2005/06/12(Sun) 09:42

> 中心市街地活性化、事業進捗の基準はただ一つ。
> 繁盛店が生まれているか否か、ということです。

行政は商売のことは分からないのだから・・、というのは理由になりません。

外人部隊である郊外型ショッピングセンターを除けば、地域ナンバーワンの商業者の組織である商店街が長年取り組んで実現できなかった商店街活性化。
なにはさておき、まず、このことを直視すべきです。
(もちろん、郊外型商業関係者が中心市街地で商売を成功させることが出来るかといえば、それは疑問です)

多くの街で長い間、「集人は組合の仕事、集まった人をお客にするのは個店の仕事」ということが言われてきました。
「人は集めた、お客に出来ない個店が悪い」という声も聞かれたりしたものです。
しかし、わが街限りの現象ならいざ知らず、日本全国ほとんどの商店街で「人は集めてもお客には出来ない」ということが起きている以上、これまで考えられてきた「街と個店の役割分担」のあり方は間違っていたのではないか、と考えてみるべきではないでしょうか。
組合(TMO)は人を集めた、活性化出来ないのは個店の責任」といって済む話ではないことは明らかです。

従来型のノウハウが役に立たなくなっている、ということを認めるならば、「もの不足」時代のノウハウに基づいた「慣行的商店街商売」にとらわれない、素人的な感覚で中心市街地を考えてみる、ということがあってしかるべき、つまり、買い物客の立場で「売り場⇔買い場」を考えてみることが必要になっています。

行政の担当者の役どころ、実はここにもあるのではないでしょうか?

つまり、ショッピングする側の立場に立った発想をどんどん出していくこと。商売はプロ相手ではなく、素人相手のビジネスであり、相手は商売については素人だがこと自分自身の生活については当事者として責任を持ち・日々ショッピングを通じて研鑽を積んでいる、いわば生活のプロとも言うべき存在です。
とてもじゃないが商店街全盛時代とは、全く違う「客層」だと考えなければならない。
にもかかわらず、全盛時代のノウハウをしかも当時よりぐーんとスケールダウンしてくり返しているわけですから、何とかなるはずがない。

と考えますと、活性化事業についても、「街区への集客」というレベルの取り組みははこれまで商店街がさんざんやってきて「個店の活性化にはつながらない」ことが今や誰の目にも明らかになっている事業ですからね。
イベントが繁盛店作りに効果が無いことは、昨日今日始まったことではありません。「法」が出来たからと言って「法」のスキームであらためてもう一度確認してみる必要は無いはずです。
これはもう全く時間とお金の無駄。

個店と共同事業の関係で言えば、これまで組合が取り組んできた事業・つまり繁盛実現につながらなかっった事業をTMOレベルで取り組むことにしたら、どうして「個店の活性化を実現する」効果が発揮できるのか?
出来ないとしたら、もっと他にすることがあるのでは?

『整備活性化法』制定以来丸7年、事業展開の結果を踏まえて、どうすれば商店街のなかに繁盛店への生まれ変わりが始まるか、というところをしっかり考えてみなければならない時期に来ています。
『基本計画』を見直すにあたって「中心市街地の通行量を○倍にする」などという目標を立てたところがあるそうですが、これははっきりシーラ(佐賀弁で身の入っていない籾のこと)です。

中心市街地活性化への取り組みの現時点における最重要課題は、
①「ショッピングモール」をめざす方向で「繁盛する個店」を実際に作り出していくこと。
これにつきると思います。
もちろん、これは「個店の責任」ではなく、中心市街地を活性化したい、と考える人たちの仕事です。
問題はそのために何にどう取り組んだらよいかと言うこと。

もちろん、ご承知のとおり、当社は当サイトにおいてその方向と方法について様々な視点、レベルで提案しているわけですが、当社の提案が気に入らない人は大いに結構、
さっさと別の方法を見つけて
実践してください。

当社の提案をもっともだ、と理解する人は「活性化を導く適切な理論を探し出す」という、と~っても難しいプロセスをクリアしているわけですから、さっさと実践に移りましょう。

「中心市街地活性化の可能性を実証するために、中心市街地既存の個店をモデルに繁盛店を作ってみせる」

中心市街地活性化をめぐる現下の課題、皆さんの責務は以上のように思われますが、如何でしょうか?

コンパクトシティとショッピングモール

コンパクトシティとショッピングモール
: 2005/07/08(Fri) 07:50

このところにわかに持ち上げられてきたコンパクトシティですが、これは、先に検討した九州経産局のテキストにもありますように、「中心市街地化基本計画」よりも上位に位置するフレーム、総合計画に掲げ、都市マスに降ろして実施計画に至る、というレベルに関わる概念です。

コンパクトシティにおける「中心市街地」と「中活法」の「中心市街地」では微妙に範囲(指定する要件)が異なり、さらに指針のために実施する事業も多様になりますから、事業メニューも大きく異なってくるはずです。
「中活法」はあくまでも中心市街地の商業地に立地する商業機能の活性化を目的にしたものであり、「コンパクトシティ」を推進するスキームではありません。

では国のレベルで「法」に変わるコンパクトシティ推進のスキームが準備されているかと言えば、それはありません。
つまり、コンパクトシティについてはこれからスキームが構想される段階だ、ということになります。

コンパクトシティとショッピングモール、両者の関係をどう考えておくべきか?
この関係を誤解すると、
①商業活性化のツールとしてコンパクトシティを位置づける
②コンパクトシティ推進のなかに商業活性化を埋没させる
という間違った取り組みが生まれかねません。
どちらに転んでも商業活性化、コンパクトシティの実現双方ともに失敗してしまいますから要注意です。


●青森市の事例
2005/07/12(Tue) 08:53

ブラウジング中に発見したブログで取り上げられていました。
『商店街再生を考える』
http://diary.jp.aol.com/applet/s8pdvk/20050708/archive

作者の岩澤さんは関東学院大学経済学部の先生です。
私は『商店街活性化と街づくり』(白桃書房)という本を読みました。
「まちづくり」とされていないところがいいですね。

青森市の事例
7月7日付け日経新聞の引用だそうですが、ここに紹介されている「活性化」施策はどれを取っても、「わざわざ商店街に出かけなければならない」目的を充実させる、作り出すという真っ正面の事業=「ショッピングモールとしての再構築」を目指しているものとは思えません。

ということは、商店街ぐるみでショッピング目的の来街者が増えるような事業に取り組んでいるわけではないということです。物販以外の来街目的を整備充実することで街区の通行量は増えても、それは商店街にとっては単なる通行人、通過者にすぎない、という結果になることは自明です。
つまり、「これらの事業に取り組んだ結果、商店街に立地する既存個店の入店客・買い物客が増えた、すなわち、商店街(商業機能)が活性化した、という成果は挙がっていないと思います。
(もし成果が挙がっているとすれば、個店レベルの「店づくりの革新」に街ぐるみで取り組んだ成果としてしかあり得ない。その取り組みが伝えられない以上、商業機能の活性化は実現されていない・・。
ということが推測されます。

通行量を「来街客」にするためには、商店街・個々の店舗が取り組まなければならない課題が別のところにある、ということです。

通行者は多いが来街客は少ない、という例は全国にいくらでもあります。
なにもあらためてみなさんの街でわざわざ追試・追認する必要はありません。
商店街はものが売れてこそはじめて存在価値があり、商業者は文字通り「売れてなんぼ」ですからね。
売れてなんぼなら売れる工夫をしなくてはならない。
もの余り/店あまりになれきっている人たちを物販機能以外の魅力で集めてものを買ってもらおう、という構想自体が大きく時代にミスマッチ状態。
もの余り時代にものを売るのだ、と考えれば、「通行量」などはあてに出来ない、ということが自づからの結論ではないでしょうか。

上で紹介したブログには、「コンパクトシティ」について概観した記事も載せられています。参考にさせていただきたいと思います。
皆さんも是非どうぞ。


●コンパクトシティを建設する
2005/07/12(Tue) 10:43

思考実験です。

更地にコンパクトシティを建設するとしたら・・、と考えてみましょう。

1.コンセプトの作成:
 「コンパクトシティ」の理念を踏まえて、建設しようとするコンパクトシティのあるべき姿を描く

2.機能の設計:
 コンセプトを具現するために必要な機能を列挙、規模や下位機能などを構想、設計

3.ゾーニング
 施設・機能の配置計画

4.建設計画
 建設の優先順位の決定、着手・・・・

というように進んでいくことでしょう。
このとき。
商業・物販機能の順位は相当高いことが推測されます。
この計画における「物販機能」の実現(建設)されるあるべき姿は、
1.コンパクトシティのコンセプトを上位目標としながら
2.都市における「買い物の場」のあるべき姿を構想、実現する
ということになるはずです。

商業機能は、コンパクトシティ全体のコンセプトを「買い物の場」としてのあるべき姿、として実現されないと、コンポクトシティそのものが実現しません。たとえば。
①買い物の場が設置されないと、市外へ買い物に出かけなければならない・・・コンパクトシティという概念に矛盾する
②買い物の場が設置されているが、コンセプトに合致していないという状況でも、①と同じことが発生する。

ということで、コンパクトシティにおける商業施設のあり方は、コンパクトシティが対応しようとしているライフスタイルに合致する機能を備えて置くことが必要です。
このことはあらためて申し上げるまでもないことでしょう。

では、既存市街地がコンパクトシティを目指す場合はどうか?
①コンセプトの策定:
 当該市街地が実現を目指すコンパクトシティのあるべき姿を描く

②機能・施設の改革
 既存施設、機能などのコンセプトを基準とする評価。コンセプト基準による改革・改善の計画~実行

③ゾーニング:
 コンセプト、基本方針に基づく機能配置

④実施計画
 各機能整備の優先順位、実施時期等の計画

⑤整 備
 各機能・施設等の改革・改善、新設など

というように進んでいくことが考えられます。
この場合、「商業機能」である商店街についてはどう考えるべきか?

もちろん、コンパクトシティの「あるべき商業機能」を担うべく、改革・改善されなければならない。
そうしないと「コンパクトシティの物販機能」としての役割を果たすことは出来ません。


●コンパクトシティへの転換
2005/07/12(Tue) 10:56

では次に、既存市街地がまちづくりの基本理念として「コンパクトシティを目指す」という場合について考えてみましょう。

①コンセプトの策定:
 当該市街地が実現を目指すコンパクトシティのあるべき姿を描く

②機能・施設の改革
 既存施設、機能などのコンセプトを基準とする評価。コンセプト基準による改革・改善の計画~実行

③ゾーニング:
 コンセプト、基本方針に基づく機能配置

④実施計画
 各機能整備の優先順位、実施時期等の計画

⑤整 備
 各機能・施設等の改革・改善、移設、新設など

というように進んでいくことが考えられます。

この場合、「商業機能」である商店街についてはどう考えるべきか?

もちろん、コンパクトシティの「あるべき商業機能」を担うべく、改革・改善されなければならない。
そうしないと「コンパクトシティの物販機能」としての役割を果たすことが出来ません。
●コンパクトシティの商業機能2005/07/12(Tue) 11:08

いうまでもなく、コンパクトシティは、立地する地域における地域経営の中枢として、広範な住民に対するサービス機能を受け持ちます。

商業機能もその一環として位置づけられるべきものであり、
①コンパクトシティの住民に対して「買い物の場」を提供する
②広域の住民に対して「買い物の場」を提供する
という二つの役割を担うことが必要です。

当サイトの用語で言えば、
①を担うのが「コンビニエンスマート」であり、
②を担うのが「ショッピングモール」ということです。

詳細はあらためて述べますが、以上でおわかりのとおり、コンパクトシティを目指す、といったとたん、既存の商業機能=商店街は、「コンパクトシティのあるべき商業機能」を目指して自己変革を遂げなければならない、ということが明らかだと思います。

商店街活性化を放置というか、イベントその他で荏苒時を過ごしつつ、コンパクトシティが実現する~[まちなか居住]が増えれば何とかなる、といったシナリオは実現できません。



● もし商業者がサボったら
2005/07/12(Tue) 16:51

つまり、商業者がコンパクトシティの非物販機能が整備されれば、その結果「まちなか居住」が増える、通行量も増える、その結果商店街の売り上げも増える、などと考え、物販機能の充実という本来業務をサボり、一日千秋、コンパクトシティの整備を待っていたりしますと、コンパクトシティそのものが成立しなくなります。

居住、非商業分野の都市的サービスは充実しても、「買い物の場」が整備されなければ、「まちなか新住民」は、買い物が出来るところまで・コンパクトシティの外まで買い物に出かけなければならない。
もし、行き先がショッピングセンターだったりすると、これはもう、マイカーの出番ということになり、コンパクトシティの内部は郊外への買い物流出で交通混雑、ということになりかねません。

商業者が店づくりを「転換」することで獲得する新しい事業機会については、これまでも繰り返し述べてきたところですが、今回、煩を省みずもう一回(笑
ウザイとお感じの人はどうぞ無視してください。



■コンパクトシティ論に埋没するなかれ
: 2005/07/16(Sat) 10:27

①中心市街地の商業が空洞化したのは、中心市街地の人口が空洞化したからだ、というでたらめな因果論に基づき、

②中心市街地の商業活性化は中心市街地の人口(居住と交流)を増大することによって可能である、と主張する一派がありまして、

③商店街活性化、取り組むべき課題は人口増大策を推進することである、ということで、

取りいだされたるは「コンパクトシティ」構想。

商業と人口に関するこの派の考え方のでたらめさは現下の商業の実態の中からいくらでも反証を指摘することが出来ますが、ここでいくら批判しても彼らが考えを変えることはありますまい。

ここでいわなければならないことは、上のような論理(?)をもってコンパクトシティ路線を採用したら、商店街はどうなるか?ということです。
ちょっと考えておきたいと思います。



●コンパクトシティとは
2005/07/16(Sat) 10:38

これは、いずれこのコーナーで詳しくやりたいテーマですが、今はその時期ではありません。

ここで紹介する「コンパクトシティ」は、もっぱら「中心市街地活性化」策として主張されているものです。

簡単に紹介しますと。

①空洞化し、地価低落、取得しやすくなった状況を踏まえ、行政、医療、福祉、ビジネス、観光、居住などの都市機能を都市中心部にコンパクトに再ゾーニングする。
②取り組みが進めば定住&交流人口が増大する。
③中心市街地に人通りが増える
④商業が活性化する

というのがコンパクトシティ派=人口依存派の論法です。

注目しなければならないのは、この構想において「商業」については何ら積極的な施策が考えられていない、というところです。
「商業は人口に依存する」と理解している彼らにとって、首尾一貫しているといえば一貫している訳ですが、では人口が増えれば本当に商業は活性化するのでしょうか?

●商店街の空洞化は人口減が原因か
2005/07/16(Sat) 10:53

まずは標題について。

中心市街地の居住人口の減少は地域住民の中心部から郊外への漸進的かつ小範囲の転居によるもの。商店主の間で進められた職住分離、郊外への居住機能の移転もその一端ですね。

では、居住人口の減少が中心市街地の商業=中心商店街の空洞化をもたらした原因なのか、といいますと全然そうではありません。

以前も当時も中心商店街の「商圏」は中心市街地にとどまらない、隣接市町村を含む広域でした。中心市街地居住者の移転先は元もと中心商店街の商圏内だったわけです。何しろ商店主の皆さんを始め「通勤圏」内での転居ですから。
商圏内での転居ということは、買い物行き先は(もし他によい行き先がなければ)従来通り、中心商店街となるはずです。
他に行き先がなければ多少遠くなっても従来通り中心商店街まで出かけてくることになります。
これはごくふつうのことです、何しろ中心商店街の商圏は自治体の境界さえ超えていましたから、同市内の郊外住宅地は昔から中心商店街のお得意さんだったわけです。

したがって、住民の郊外転居によって都市中心部の人口が空洞化したことが、中心商店街の空洞化の主因である(だから人口を増やせば商業は活性化する)という説明はオカシイ、ということが明らかです。

中心商店街の空洞化は他の理由で説明されないとつじつまが合いません。
つじつまが合わない理解に基づく人口依存に期待すると大変なことになりかねません。

●空洞化をもたらした買い物行き先の分散
2005/07/16(Sat) 11:09

では、本当は何が中心商店街を空洞化させたのか?

これは簡単。
他に買い物行き先が出てきたからです。(ここは簡単ですが重要なところです。)

人は、売られている場所=商業機能がなければものを買うことが出来ません。行動圏内に自分にふさわしい買い物行き先が一カ所しかないとしたら多少不満があってもそこで買い物する以外に選択肢はありません。中心商店街が栄えた時代というのは、住んでいる近くの店・最寄りの商店街では物足りないという買い物の一括受け皿だったのです。

量販百貨店の登場でこの条件は大きく揺らぎました。
量販百貨店、はじめは商店街の一隅に出店して既存店群と競合し、やがて駅裏や工場跡などに移転して中心商店街と「集積間競争」を展開しました。このプロセスで量販百貨店は専門店などのテナント群を抱え込みました。
商圏内のお客の多くが量販店に買い物に行くようになりました。

やがて郊外にカテゴリーキラーの登場、規制緩和による大型SCの展開競争と都市の商業機能の郊外への立地が進むにつれて中心商店街の空洞化はさらに深刻になったわけです。

このように、中心商店街の空洞化の主因は人口の減少によるものではなく、人々の購買行き先の変化による、と考えなければならない。
いくら人口が郊外に移っても他に買い物行き先がなければ相変わらず人々は中心商店街にショッピングに来ているはずですからね。

逆に言えば。
もし、郊外から中心部への転居を促進しても、中心商店街が今と同様、買い物行き先としての機能を空洞化したままだったら、転居してきた人たちはこれまで通り、郊外へショッピングに行くことになります。
現状のままの(機能が空洞化している)商店街が新居住者のショッピングの受け皿になるということはあり得ません。

●新居住者をあてに活性化?
2005/07/16(Sat) 11:54

もちろん、「人口依存」派は、新しい居住者の消費購買ニーズの受け皿として既存の商業者だけをあてにしているわけではありません(この点は特に重要ですから、彼ら自身の主張を直接確認されることをお勧めします)。

人口依存派は人口が増えればそこに新しい商業が張り付いてくる、と考えています。これはどうでしょうか?

①新しく登場する商業は、郊外型でのショッピングに習熟した新住民を対象に「買い物行き先の転換」を促していくことが戦略課題です。

②この戦略を展開出来る新商業者はいったいどこから現れるのか?
誰がその準備をするのか?

③新商業者は「(人口理論に基づけば)出現するだろう」という自然発生期待ですから、たとえ進出したとしてもそれぞれの都合による出店であり、彼らがいう「新陳代謝」なるものが一定時期に進むとは考えられません。

④もちろん、ある程度の新商業者の登場は予想されるところですが、彼らが空洞化し、かつ、老朽化している商店街の街並みを新開業の立地として選択するかどうか、はなはだ疑問です。

というように、人口依存派が描く「コンパクトシティの推進で中心市街地(の商業の)活性化」というシナリオはとうてい実現することのない絵空事だと思います。

コンパクトシティ、店前通行量依存でやってきた商店街関係者には確かに魅力的な方向かも知れません。しかし、考えてみれば全盛期の店前通行者はそのほとんどが商店街の買い物行き先としての魅力が引き寄せた「買い物目的」のお客さんでした。お客さんはどちらかといえば中心市街地からよりももっと他の広い範囲からのお客さんの方が圧倒的に多かったはずです。

コンパクトシティが作り出すという新しい住民が既存の商店街の店前通行客になり、個店のお客になってもらうには何をなすべきか?
課題は、新住民を対象に新規出店を目指す人と全く同様です。
郊外のショッピングセンターでのショッピングに習熟した人たちにショッピングセンターよりもこっちで買い物した方が満足できる、と評価される店づくりに取り組まなければならない。

この店づくりに成功しない限り、新住民が皆さんのお店を使うことはありません。他方、新住民が気に入って使ってくれれば、同じようなニーズ(郊外のショッピングセンターでのショッピングでは飽き足らない)を持っている鴎外・市外の人たちもあらためて中心商店街にショッピングに来てくれるようになることでしょう。

このように考えてみると、なんのことはありません。
中心商店街立地で繁盛したかったらコンパクトシティ実現の有無に関わらず、「ラグジュアリィ志向への店づくりの転換」に取り組む以外に確実な方法はない、ということです。
新出店、既存店を問わず、ラグジュアリィ志向でないと中心市街地での商売は無理、ということは人口がいくら増えても言えることです。

コンパクトシティ派及びそれに追随する主張がだめなのは、人口が増えればその結果として商業は活性化する、と根拠もなく唱えるばかりで商業活性化策を何ら提案していない、というところにあります。
私はここで「人口が増えてもそれが自動的に商業活性化につながるものではない」ということを示しました。
私の説明を納得した人は同時に人口依存派の商業に対する理解の貧弱さを確認されたことと思います。

中心市街地活性化の手段としての人口依存派によるコンパクトシティの提要などには一切期待することなく、自力でお客を引き寄せる「魅力づくり」、「商店街のショッピングモールとしての再構築」に全力で取り組んで行くことが唯一、確実に繁盛に至る道だということをあらためて確認してください。

もちろん、長期的にはコンパクトシティは都市経営の大きな目標の一つですが、これについては、現下の中心市街地活性化ー商業機能の活性課と同列に論じることは出来ません。
コンパクトシティは、ポスト工業化社会=時間堪能型社会の文脈で考えなければならない重要課題です。
これを中心市街地活性化のための人口増大策=マンション開発、病院移設など、「箱もの」いじりのレベルで考えていたら、「こんなはずじゃなかった」とほぞをかむことになる。
そのとき困るのは「目から鱗が落ちた」代わりにアワビの殻をくっつけた地元。

■コンパクトシティ
: 2005/07/17(Sun) 10:40

この概念は、以前にも書いたように、きわめて理論的な背景を持っています。
グローバリゼーション一辺倒では実現できないし、スローフード的ナショナリズムでも無理です。

とにかく。
拡げすぎた、今度は縮めて見よう、という着想にとどまっていては実現できません。
都市経営の2大領域、所得機会の確保と生活条件の持続・充実をどう整合的に推進するかということに密接に関わること。

問題はもっと多岐に渡り・かつ、深刻、かつやりがいのあることですから、興味のある人はブログへどうぞ。

●中心市街地とコンパクトシティ
2005/07/20(Wed) 15:51

紛らわしいですから要注意。

中心市街地:都市中心部の街区のうち、「三要件」に合致する地域。すなわち、商業街区。商店街地区のこと。

コンパクトシティ:中心市街地よりも広い概念。三要件で言えば、1の「集積要件」に合致する街区全般(特に「趨勢要件」は関係のない街区も含む)。
すなわち、商業街区のみならず行政、文化、医療、交通、居住、などなどの都市機能が生活環境としても優れたコンパクトな範囲にゾーニングされている都市の中心部を指す。

ということで、中心市街地とコンパクトシティ、混同すると前にも書いたように方「法」の目的である「中心市街地の商業機能の活性化」がコンパクトシティの人口問題に埋没してしまうので、十分な注意が必要です。

多くの論者が、「法」の中心市街地における定義を理解しないまま、商業機能の活性化というメインの課題を歴史・文化の活用、観光資源の活用などとone of them ととらえていたケースが余りにも多かったと思います。
スキームを良くチェックすると、歴史文化の活用、観光資源の活用は「商業機能の活性化」の手段の一つとして利用することが例示されているのだ、ということが分かるはずです。

「法」のメインは中心市街地(狭義の)の商業機能の活性化であり、その他の取り組みはこれを補強・補完するものです。

コンパクトシティ論とのからみでは、前にも書いたとおり、こちらは都市中心部(広義・常識的な中心市街地)に集積されている多様な都市機能のあり方について考えるわけですから、間口、所要期間がどうしても長くなります。
緊急に手を打たなければならない商業機能の活性化という課題をコンパクトシティのスキームに移すと、とんでもないことになります。コンパクトシティ化が推進されれば、その結果として商店街は新陳代謝が進み活性化する、などという言説に惑わされてやっぱ、小売業は人口だからな、などと考えないこと。

この傾向はこれから一時的に強まることが予想されますので、十分注意しておきましょう。そっちに流されると商店街はその時点でおしまいへの道、となります。

中心市街地―商店街はなぜ活性化出来ないか?

 対策として“PDCAを回す”という案も出ているが問題はもっと根深い。
添付資料に採録されている各地の『中心市街地活性基本計画』で『中活法』のスキームに照らして合格水準に達しているものは一個も無いと断言される。

 どういうことかというと、これらの基本計画に計画されている〈事業及び措置〉を一つ残らず完全に実施したとしても所期の目的である中心市街地=都市中心部所在の商業街区・商店街群の商業集積としての持続可能性の維持または再構築に接近することは出来ない、ということ。
総務省の行政評価/監視結果の「数値目標悉皆未達」とはそういうこと。

ある意味これは当然の結果で、大店法施行当時以来、活性化と言えば腕に覚えのある商店街間競争のノウハウだより、これまで
1.商店街活性化は定義しなくても活性化出来る
2.商店街を活性化するのに商業理論は必要ない
という基本姿勢だったのに、中活法のスキームで〈目標:商業集積としての持続可能性の再構築〉が示されても,それを実現するための事業及び措置を計画する基礎体力が無かった。

これまで歩んできた経路から一足飛びに離れる、というのはなかなか出来ることではありません。活性化の実現員はいわゆる〈経路被拘束〉からの脱却が課題だったが認識されず、もとより認識したとしても腕力不足はいかんともしがたい。

1.商店街活性化は定義しなくても活性化出来る
2.商店街を活性化するのに商業理論は必要ない
という条件での取組なら当然功なるだろうな、と予測されるとおりの結果が起こっている。
商業集積としての再構築を目指すなら不可欠の課題である既存個店群の売場の改革改善がまったく計画されていない。所要の理論・技術の修得が計画されていないということは、問題がよく理解されていない、ということの証左。

しかし、ものは考えようで、この状況はけして悲観するには及ばない。
もし、これまでの計画―取組が『中活法の』スキーム通りに計画され推進された結果、現在の状況が起きているとしたら、これはもはや活性化は断念せざるを得ないところだが、幸か不幸か、取組が間違っており改善の余地が大いにあるとなれば、夢も希望もあるというもの。

 特に我々が提唱する『コミュニティモールプロジェクト』は、中活法のすきーむをそのまま『商業集積としての再構築の』方向と方法として採用して作られた本法唯一のプロジェクトの原型。これを基本計画の第七章「経済か活力の向上のための事業及び措置」の内容として所要のアレンジをすれば、中心市街地―商店街活性化は実現に向けて大きく前進することになる。

商業集積としての再構築を目指すなら不可欠の課題である既存個店群の売場の改革改善がまったく計画されていない。所要の理論・技術の修得が計画されていないということは、問題がよく理解されていない、ということの証左。

商店街活性化の二極分化

「商店街活性化は陳腐化した」という人たちが「商店街活性化」に変えて使い出したのが「まちづくり」、かっては都市計画系の用語でした。
「まちづくり」に名称変更した人たちの特徴は、

1.「商店街活性化」とは街がどうなることか定義しない
2.自分たちが取り組んでいる販促活動その他を「活性化事業」と呼んでいた
ということです。
陳腐化したのは、「活性化」では無く自分たちの活動の方では無いか。

ということで「まちづくり」と名称を変えた後も相変わらず、

1.「まちづくり」を定義しない
2.取り組んでいる事業は昔と一緒

ということで、この点、「同伴有識者」も一緒です。
同伴有識者の特徴は、絶対に商店街の取組を批判しないこと。
「有識=中立」とでも思っているのでしょうか。

さて、今日の「二極化」は「活性化vsまちづくり」では無くて、それを越えた大きな二極化、呼び名では無く「商店街活性化」の考え方そのものの違いで二つに分かれます。

A. 商店街活性化とは現に商店街で起こっている問題を解決することである。

B.商店街活性化とは劣化している商業集積としての機能を再構築することである。

どちらも衰退傾向にある商店街という自生型商業集積を持続可能な状態にしたい、という目的は共通しています。方法が違うだけです。

しかし、この方法の違いは目的を達成出来るかどうかに関わる重大な違いです。

商店街を持続可能にするということは、老朽化した施設・設備は更新しなければなりません。店舗、什器などはそれぞれ個店が再投資して更新することになります。その原資は、銀行融資、担保は店舗の業績です。

商店街の持続可能性を突き詰めると、設備更新が可能な業績が今後とも維持されるか、ということになります。存続するためには「営業経費プラス将来の経費」を収益として稼ぎ続ける経営が必要だということです。
そして、活性化が必要な商店街の場合、存続するために必要な収益が不足しているか、あるいは不足する可能性が憂慮される状態に陥っているわけですから(そうでなければ活性化は不要)、活性化に取り組むことは、事業に取り組めが、持続可能性を担保する収益を確保出来るか、ということを基準に考えなければならない。

A、Bについて、考えて見ましょう。

Aの場合:

1.今起きている問題を解決すれば、必要な収益を確保出来るようになるとなぜ言えるのか?  例:通行量減少 空き店舗増加

2.これまでもさんざん取り組んで来たが、一向にその可能性は見えてこない。これからどうすれば見えてくるのか?

という問題に答えなければならない。
これは本当に、今まさに多くの商店街が直面している問題ですね。自覚されているどうかは別として。

Bの場合:
1.商業集積としての集積性を充実させる、というのは分かるが、郊外に多くの施設・集積が転回している中で、商店街が自助努力で実現出来る事業機会があるのだろうか?

2.事業機会があるとして、それを自分たちが毎日の店舗運営を続けながら、ものにすることが出来るのだろうか?

という二つの・未だかって人類が体験したことの無い・問題へのチャレンジです。
Bの選択肢については、当社がこれまでほとんどの問題を解決しており、文字通り後は増収増益を実現しながら進んでいくだけ、というレベルになっています。ご存じ、「売れる売場づくり」からスタートする【コミュニティモールプロジェクト】です。
今日はその説明は致しません。

問題はこの二極分化です。
A路線に将来性があるとは考えられません。たとえ通行量が増える空き店舗が解消する、と眼前の問題が解消されてもそれは一時的なこと、それらの問題の原因である「商業集積性の劣化」という根本原因は、微動だにせず残ったまま、念願の増収増益実現の展望はありません。

個店・商店街の持続可能性の再構築という目的を基準に率直に考えれば選択肢はBしか無いと思います。しかも我々が提案している方向と方法は、日々の売場オペレーションの簡単な改善の積み重ねで実現していくもの、コスト・リスク無し、即効で早秋増益の道を切り開くという術式、論理的に考えれば拒否する理由は無いと思いますが、残るは非合理的な理由の数々。

閉店休業して取り組む、投資資金が必要、といった条件は無いわけですから、「非合理的な理由」も深刻なものは無いと思います。

商店街活性化の二極化、これはいつまでも続くものではありません。
Bが伸びないと「活性化」という文言自体が消滅、もちろんAは補助制度が終われば即刻アウトです。(ご承知のとおり、国は商店街活性化を自治体に移管しょうと考えています)

商店街活性化の二極化、問題は「商店街活性化」はこのままで存続できるのか、というところまで来ています。
この状況への対応を提案しているのが当社だけ、というのが状況の深刻さを物語っていますね。
儲かりたい、という思いで行動すれば深刻さは一瞬にして吹っ飛びますが。

商店街活性化は前代未聞のプロジェクト

商店街活性化=維持に支障が生じている又は生じるおそれがある商店街を持続可能な商業集積として再構築するというプロジェクト、それも現在業績が低迷し打開の方向を見いだせない既存の中小小売商業者の自助努力を組織化することで実現しようというのは、世界に類を見ないチャレンジです。

成功するためには何が必要か?

これまでの取組は、通行量、空き店舗といった「眼に見える問題」に反射的に対応するだけで、根本的な問題=「商業集積としての再構築」に目を向けることがありませんでした。
しかし、通行量の減少や空き店舗の増加は、商店街の買い物行き先としての機能の劣化が原因で起きていること、ここにいくら取り組んでも肝心の商業集積としての機能の向上は実現出来ず、結果として通行量も空き店舗も改善することが出来ません。

この状況から脱却することが必要です。
これまで経験したことの無い取組ですから、経験と勘では対応することが出来ません。追随出来る成功事例もありません。
どうすれば良いか?

ここは「仮説―試行」を選択する以外にありません。
「仮説―試行」とはどのような方法でしょうか?

これは当たるも八卦、当たらぬも八卦、思いついたらとりあえずやって見る、という方法ではありません。むしろその真逆に位置する方法です。

仮説―試行法=解決策が分からない問題を解決する方法の進め方

1.問題を定義する
(1)問題が解決された状態を考える
(2)その状態に近づいていく経路を考える
(3)経路で起こる困難を予測する
※予測される困難が解決すべき問題です。

2.解決策を考える
(1)手持ちの手段を洗い出す
(2)これから手に入る手段を考える
(3) (1)と (2)をうまく組み合わせて活用して困難を乗り越える方法を考える
※これが【仮説―試行法】です。
(続く
-



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